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人生は冥土までの暇潰し

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人生は冥土までの暇潰し
亀さんは政治や歴史を主テーマにしたブログを開設しているんだけど、面白くないのか読んでくれる地元の親戚や知人はゼロ。そこで、身近な話題を主テーマに、熊さん八っつぁん的なブログを開設してみた…。
ミヌシンスク文明 01
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先週の日曜日の11月25日、TBSが毎週日曜日に放送している「世界遺産」が、ホルトバージ国立公園を取り上げていたので、大阪で開催された「故飯山一郎氏を送る会」から戻った後、録画しておいた同番組を鑑賞してみた。そして、番組を見ながら脳裏に浮かんだのが、送る会の〝公演〟でも取り上げたツランである。過日の拙稿「ハンガリーと日本」で、亀さんはハンガリーと日本はツラン兄弟国と書いたが、ホルトバージ国立公園で牧畜の生活を営む人々も、シベリアからやってきた遊牧民の末裔であり、どことなく彼らを見て郷愁を覚えたものだ。

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太陽パネルを設置した牧童の家

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茅葺屋根の畜舎(羊)

番組の途中、藁葺屋根の人家や畜舎が映し出された時、思わず亀さんの父方の田舎を思い出したのだし、また、無限に広がっているのではと錯覚しそうな草原は、今年の夏に再訪したアルゼンチンのパンパス(乾いた広大な温帯草原)を連想させるに充分であった。

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大阪で開催された「故飯山一郎氏を送る会」において、亀さんが公演を行った時に使用したスライドで説明したように、人類文明発祥の地はシベリアであり、そこから流れてきたツランの一部が現在のハンガリー人の遠祖で、ハンガリー人同様にツランを遠祖に持つ日本人が、ハンガリー人と物の見方と考え方に共通点が多いのも頷けるというものだ。そのシベリアの地で誕生したツランの骨幹を成すものこそ、シャーマニズム、そして二体制(国体と政体)に他ならないのだが、そのあたりは拙稿「天頂に生きる」でも言及したので割愛したい。

さて、シベリアは人類文明発祥の地と書いたが、その人類文明こそが栗本慎一郎氏の謂うミヌシンスク文明なのである。栗本氏はミヌシンスク文明について、どのように書いているか…。少々長くなるが、重要なので以下に引用しておこう。

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『栗本慎一郎の全世界史』p.67

■人類文化の出発地点、ミヌシンスク文明
 北京原人や化石人類ではなく現生人類は、北アフリカからメソポタミアヘ北上した後、コーカサスを通ってさらに北上、ついで西アジアの草原を経て南シベリアに至った。

 インドもメソポタミアと直接繋がっていたわけではなく、北方のチュー川平原や南シベリアと繋がって発展した。インドはその後に、東ペルシアやメソポタミアと相互干渉することになるというわけだ。

 要するに、西アジア草原ルートから南へ下りることがあり、それがインド文明やペルシアになる。このルートと南シベリアが中心であって、そこから分岐して開花したものもあるという点では中国も同じである。古代中国の青銅器文明は」南シベリア経由抜きでは考えられない。

 つまり人類文化の出発地点は明らかに、オビ川やエニセイ川上流の南シベリアの盆地である。

 その地域の紀元前の文明をミヌシンスク文明と言う。

 ミヌシンスクとは現ロシア・シベリアのクラスノヤルスク地方の南、ハカス共和国の東でエニセイ川上流東岸にある盆地名だ。そこを中心に多数の亜新石器時代から青銅器時代の遺跡がある。

 そして実は西はエカテリンプルク東から、東はバイカル湖東南まで広がる多数の文化群が連なっているうちの一つの地域だ。

 ミヌシンスタ以外にも、多数の跡が残っている。単に研究が不足しているだけだ。

 ここを扱うと、紀元後8世紀以降の西アジアの動きがロシアだけでなくイスラム世界東部の歴史を解明することになるのは当然だったが、それでは彼らが後にユーラシアと名づけた地域の重要性を特に確認することになってしまう。それだとひいては東西交流の意味だけでなくアジアの意味の見直しも行わなくてはならないことになる。それが彼らには嫌だったのだ。

 また、ひいてはの話ではあるが、それではメソポタミア文明は、原点でなくある種の「中興の祖」とだけになってしまう。

 メソポタミア文明だけを始原的なものとみなし、その他を雑物としてしか見たくないゲルマン人やユダヤ人の学者は、自分たち自身が深くこの南シベリア文明にかかわっていたと→部では気づきながらも、そこを無視することを選んできた。

 それが許されてしまった理由のひとつには、ミヌシンスク文明の研究が散発的で時には杜撰だったことがある。

 遺跡は少なくとも紀元前4500年のものから多数発見されているが、相互の関係についての研究はきわめていい加減である。

 遺跡は旧ソ連時代から旧チエルタ系の共和国に分散していた。またそれら共和国をまたがるものも多数あった。東のバイカル湖を越した地方(ザバイカル地方)はすぐにモンゴルだったし、アムール川源流域はすぐに北満州だ(正確には北満州がアムール源流と言うべきだが)。

 アムール川源流域とエニセイ川源流域をまとめたあたりの草原からは、後にキォンヌ皇帝家やチンギスカンが出ている。

 実はオホーツク海に流入する大河アムールと北極海に流入する大河エニセイは、源流域ではごくごく近く、相互の距離200キロ未満の位置にある。その地は現在、モンゴルの領域内にあるが、隣接して現中国の東北地方が広がっているところだ。

 東から見ると、アムール川源流域を南端とし、アムール川とエニセイ川やオビ川流城から西へウラル山脈東部のエカテリンブルク郊外あたりとそのすべての北側のタイガ(凍土地帯)をシベリアと呼ぶわけだが、この帯状の南部部分には多数のミヌシンスク文明遺跡が散在している。

 発掘研究が進めば「密集」ということになってもおかしくないくらいの密度だ。

 でも、その研究は旧ソ連時代以来、かなり大雑把でいい加減な(政治的な?)まとめ方がされていたわけである。


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『栗本慎一郎の全世界史』p.74~77


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エニセイ川・オビ川・アムール川

大分長くなってしまったが、要は、亀さんが先週日曜日の公演で示した上掲のスライドのように、人類の文明はシベリアで始まったということを頭に入れていただいた上で、ミヌシンスク文明のパート・ツーについて次稿で書き連ねていこう。

【グリコのおまけ】
NHKで「世界ふれあい街歩き」という旅番組をやっている。これは、レポーターと現地の普通の人たちとの交流を撮影した、どうっていうことはない番組なのだが、それだけに、番組を見ていると思わぬ収穫も時々ある。以下は最近放送された「アルマトイ カザフスタン」編…。

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アルトマイにある〝ラクダの店〟…、やはり、酒に目が行く亀さん!

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呑んでみたいなぁ…

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かつて、カザフスタン人は遊牧民族(ツラン)だった…
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