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人生は冥土までの暇潰し

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人生は冥土までの暇潰し
亀さんは政治や歴史を主テーマにしたブログを開設しているんだけど、面白くないのか読んでくれる地元の親戚や知人はゼロ。そこで、身近な話題を主テーマに、熊さん八っつぁん的なブログを開設してみた…。
アルゼンチンで思ふ(6)
■死んだことがねぇから、分かるかい!
いきなりだが、読者は輪廻転生について、どう思われるだろうか? 亀さんは放知技でハリィー今村先生と、輪廻転生について色々とやり取りを行ったことがある。
http://grnba.bbs.fc2.com/reply/15507578/927-935/

ブエノスアイレスの親友シルビアとも、輪廻転生について語り合っているが、彼女は輪廻転生の否定論者であった。

「輪廻転生を信じるか?」とズバリ問うてみたところ、「信じない」と即答。小生がさらに、「しかし、イエス・キリストは十字架に架けられた後、再び復活しているではないか」と問い詰めると、「それは、イエスは神の子からだ。私たち一般人は生き返るわけではない。だから、人生も一度きり」と回答してきたものである。
ブエノスアイレス滞在記 15


もう一人、輪廻転生を否定した人を紹介しよう。飯山一郎さんである。

人生は一度きり
私は輪廻転生は信じていません。仏教が最初に出した概念で、「前世が○○○だった」「来世は生まれ変わって○○○になる」という類は一切、全く信じていないです。輪廻転生を信じているという人ほど、この現世をよく見ていませんね。そういう思想的な弱点があるんです。輪廻転生を信じ込ませた仏教の現実逃避性がここにあります。それを信じている人との会話では普通に話も聞きますよ。別に議論を戦わせる必要もないですからね。ただ、輪廻転生を本氣で語っている人の現実認識は、甘過ぎて聞いていられません。輪廻転生というテーマで会話することは、その人がどの程度の現実認識をしているのかという観察をするには、うってつけですね。

この世に生を受けて生まれた人は誰もが意味があるはずです。でも、その人が生きた存在価値と意味を、発揮できないまま死んでいく人がほとんどです。たまたま私は運が良くて、私の存在の意味と影響力とを行使できる立場に恵まれてはいます。まさにインターネットを支えるITのお陰です。ブログがなければ私の存在もないも同然です。ある条件の中に入ると、その人の生まれた意味や存在価値が生かされるにもかかわらず、大多数の人々はその環境に恵まれません。

『飯山一郎の世界の読み方、身の守り方』p.252


亀さん自身は飯山さんのように、「人生は一度きり」と頭から否定したりはしない。代わりに、「死んだことがねぇから、分かるかい!」と答えるのを常としている。次のようなことがあった。

アルゼンチンから帰国後、録画してあったNHKの「縄文1万年の美と祈り」という番組を見ていた時のことだ。縄文人の死生観「再生」のシーンを目にした時、思わず息を呑んだ自分がいたのである。この時、朧気ながらも自分に縄文の血が流れていると確信した。それは、日本語を母語とする者として生まれ、日本列島の四季折々の美しさを、過去において60回以上にわたって目にしてきた身として、春→夏→秋→冬、そして再び春というサイクルに、縄文人の「再生」を連想したからである。

春は新しい命が芽吹く季節、荒涼とした何も無かった大地から、若芽が小さな顔を覗かせ、それがグングンと成長していく様は、赤ん坊がこの世に誕生し、可愛い盛りの幼児期を過ぎ、小学校、中学校、高校、大学へと進むにつれ、集団生活の中で社会性を身につけ、知識を習得していくのにも似ている。やがて、親元から巣立つ二十歳の頃、本格的な夏を迎えるのである。
人の一生


ところで、シルビアと飯山さんの主張する「人生は一度きり」には、文化的に大きな隔たりがある。飯山さんの場合、科学的に熟考した上で輪廻転生はないという結論に達しているが、カトリック教徒のシルビアの場合、「イエスは神の子」という言葉からも分かるように、彼女自身の宗教が「人生は一度きり」と言わせているのである。

そのシルビアとは、カトリック、さらには宗教について多くを語り合ったが、帰国した今、つくづく思うのは、一神教徒(シルビア)と多神教徒(亀さん)との間に横たわる深い溝である。しかも、その溝は埋めようのない、底なしの溝であると、彼女と語り合いながら思ったことだった。なを、この一神教と多神教とを比較する形で、旧ブログに書いているので参考にされたい。
一神教の正体

一神教と多神教の違いを知ることは、これからの世界と渡り合って生きていかねばならない若者にとって、欠かせない素養の一つとなるはずで、孫子ではないが、「 彼(一神教)を知り己(多神教)を知れば百戦殆ふからず」なのである。

水の中の魚(一神教)にとって、陸の世界(多神教)は理解不能の世界であり、また逆も真なりなのだ。よって、異なる環境に生まれ育った者同士の真の相互理解、コミュニケーションは不可能であることを理解した上で、一神教の人たちと接していくべきだろう。

コミュニケーションの基本は「同一言語(文化)を共有する者の間に生じる情報伝達行為[努力]・意思疎通行為[努力]」だということだ。日本語圏で生まれ育ち、日本語しか話せない日本人と、英語圏で生まれ育ち、英語しか話せない英語母語話者の間では情報伝達行為[努力]・意思疎通行為[努力]は成立・成就しない。
コミュニケーション」(communication)の意味(続)


次回は、アルゼンチン滞在時に二日間だけ訪問した、ウルグアイでの想い出について書く予定である。

18091401.jpg
シルビアの両親が眠る墓

18091402.jpg
墓の周囲

18091403.jpg
アルゼンチン独特の墓

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