■エコロジーと乳酸菌 今回をもって南方熊楠シリーズの最終回とするが、この機会に鶴見和子の著した『南方熊楠』の最終節を紹介しておこう。iv 自然の循環の法則をとりいれた新しい技術の開拓をめざす 南方植物研究所は実現しなかった。しかし、南方が、栽培した藻から寒天を作り、寒天によってバクテリアを培養し、バクテリアによって空中の窒素を分離するというアイディアは、自然然循環の法則を、人間がとりいれて、技術化するという考えである。これは、自然を人間が、人工の法則によって支配するという原理にもとづく機械文明の技術観と異る。自然支配の技術観が、公害を生み出し、自然環境を破壊することによって、人間そのものを崩壊させている今日の地球上の状況対して南方の自然と共生するという考えは、未来を先取りしていたということができる。 南方熊楠を、近代日本の独創的な思想家として、わたしは評価する。この本は、その発端を示しただけである。読者のとりひとりが、南方の原典を読み、そこに流れる思想の水脈を掘りあてていただきたい。今、日本で起こっている、そして地球上で起こっている、人間の問題を解き放つ水路を開くために、尽きせぬ泉がそこにあるとわたしは考える。 p.241
最終節で注目していただきたいのは、「今、日本で起こっている、そして地球上で起こっている、人間の問題を解き放つ水路を開くために、尽きせぬ泉がそこにある 」という結語だ。何故なら、この鶴見の結語は、今や大きく時代が動こうとしている現在と、多くの点で重なってくるからだ。そのあたりは、掲示板「放知技」でも話題 になった、「第52回国家公務員合同初任研修開講式 」での安倍総理の訓示に耳を傾ければ、肌で感じることができるはずだ。 加えて、「南方の自然と共生するという考えは、未来を先取りしていた 」という鶴見の記述、この南方のエコロジー観こそ、鶴見の『南方熊楠』を貫いている南方思想なのだが、この南方思想を具現化した一例が、飯山一郎さんが提唱している乳酸菌である。乳酸菌については、飯山さんのHP の読者であれば説明は不要と思うが、乳酸菌が近未来に大きくブレークすることを予感させる記事を、野崎晃市博士の『文殊菩薩』から一本だけ紹介しておこう。大連の食品加工業者と会合 また、3月4日の堺市での会合でも、飯山さんと堺のおっさんから、乳酸菌を主体とした今後の事業展開についての貴重な話を伺っている。 このように、乳酸菌一つとっても無限のフロンティアが目の前に広がっているのだが、乳酸菌やAIだけに限らず、新時代を切り拓いていく上でキーとなるのが人材である。前稿「南方熊楠の世界(3) 」で、現代日本人のタイプを亀さんは以下のように分けた。国粋派 コスモポリタン派 脱藩派
同稿では脱藩派について少し触れただけであり、また国粋派とコスモポリタン派に至っては解説すら行っていないので、この機会に今までの亀さんの歩みと重ね合わせる形で、上記三タイプの人間型について敷衍しておこう。■コスモポリタン派 「南方熊楠の世界(3)」にも書いたとおり、亀さんの脱藩人としての修行は、十代という多感な時期に日本を飛び立った日、1972年3月23日に始まった。その後、多感な時期を三年近くにわたり海外で過ごしたことで、「己れを生み育んでくれた祖国を思う一方で、相手の国籍や肌の色に拘ることなく、お互いに同じ人間として自然に接することができる」という、脱藩人としての土台が辛うじて完成したのである。 ここで、三省堂の大辞林(電子版)は「コスモポリタン」について、どう定義しているのか確認しておこう。一つの国や民族にとらわれず、全世界を自国として考え、生活する人。世界市民。国際人。
一見、脱藩派の定義かと勘違いしそうな定義である。それはともかく、そもそも大辞林が定義するような「全世界を自国として考え、生活する」人間が、本当に存在するのだろうか…。大辞林の「コスモポリタン」の定義、言葉の響きこそ心地よいものの、実は根無し草と紙一重、否、はっきり言ってしまえば根無し草そのものを指しているに過ぎない。 このあたりをもう少し具体的に、言葉の観点から考察してみよう。亀さんが私淑していた故國弘正雄の話を、拙稿「和僑 」に書いたことがある。ここで、人の思考行動形式を支配している根源的なもの、それはその人の母語であると亀さんは思っている。そのあたりを教えてくれたのが、同時通訳の泰斗・故國弘正雄であった。國弘先生の資料が見つからないので朧気な記憶で書くが、「人の生涯の母語は小学校2~3年生ころまでに決まり、その年齢を過ぎると後はどんなに努力してもバイリンガルには成るのかせいぜいで、一部の天才を除き、絶対にバイカルチャーには成れない」というものである。これは亀さんの体験からもその通りだと思う。英語と日本語のバイリンガル、時には数ヶ国語を自由に操る知人友人には数多く出会ったものの、未だにバイカルチャーの人間と出会ったことはない。
「人の思考行動形式を支配している根源的なもの」こそが母語なのであり、別の表現を使うとすれば、子守歌を聞きながら自然に身につけた言葉こそ、母語と云えるのである。こうした視点を持つ身として、「一つの国や民族にとらわれない」だの、「全世界を自国として考え、生活する」だのといったのは、単なる根無し草の戯れ言にしか映らないのである。 かつて、亀さんは道友の葛巻岳さんと一緒に、「脱藩道場」を立ち上げたことがあり、この「脱藩」という看板名は、藤原肇氏の著した『日本脱藩のすすめ』から来ている。因みに、『日本脱藩のすすめ』は以下で読むことができる。http://fujiwaraha01.web.fc2.com/fujiwara/library/dappan/dappan.html このページは、亀さんが『日本脱藩のすすめ』をOCRで読み取って電子データにしたものだ。この作業を行ったのは20年前のことで、当時の亀さんは「国粋主義者vs.コスモポリタン」という構図しか頭に無かったのだが、同書のお陰で、第三の「脱藩人」という概念を獲得できたことは、今思うに大きかった。 しかし、当時の亀さんはコスモポリタンと脱藩人の区別が余り明確ではなかったのも本当だ。たとえば、あのジョージ・ソロス。当時の亀さんは、ソロスと言えば超金持ちの投資家ていどにしか思っていなかったのである。だから、小人数での会合で藤原氏が、「ジョージ・ソロスからメールで返信をもらった」と、自慢げに携帯でソロスの私信を見せてくれた時は、「あの有名なソロスから…、大したものだ!」と、大変感心した己れを今でも覚えている…。■国粋派 その藤原氏と喧嘩別れをした頃、藤原氏を通じて付き合いの始まった栗原茂さんに、『みち』の編集人・天童竺丸さんに引き合わせてもらったという次第である。同編集室に集う人たちは、コスモポリタンとは対極的な立場の人たちで、己れを生み育んでくれた祖国をこよなく愛する、国粋主義傾向の強い人たちであった。ここで再び三省堂の大辞林を紐解けば、国粋派すなわち「国粋主義」について以下のように定義している。自国民および自国の文化・伝統を他国より優れたものとして、排外的にそれを守り広げようとする考え方。
『みち』の編集室で月に一回行われる「まほろば会」には、月刊日本の関係者も参加しており、それが縁で同誌の定期購読を始めている。当時の同誌はまさに、国粋主義を地で行く雑誌だったし、自分の知らなかった祖国日本の姿について、実に多くを学んだものである。 しかし、時間の経過とともに『月刊日本』と『みち』の限界が見えるようになってきたのも確かだ。たとえば『月刊日本』、既に拙ブログでも記事にしたとおり、今や同誌は完全なネオコン誌に転向した雑誌である。一方、『月刊日本』の関係者が参加する『みち』の場合はどうか? 今のところあからさまなネオコン路線に染まっていないし、個人的に同誌の校正のお手伝いもしている上、人間的に温かい人たちが多いことから、当面はお付き合いを続けさせていただくつもりだが、コスモポリタン派vs.国粋派というモノサシで分けるとすれば、明らかに『みち』も国粋主義的な傾向の強い雑誌であることは確かである。 たとえば、一昨年の秋に中国の青州市を訪問、帰国して久方ぶりにまほろば会に顔を出した時、常連の一人に、「あっ、支那 の臭いがする」と声高に言われた時は、ただただ苦笑するしかなかった。『みち』の執筆者も一部を除き、全員が中国ではなく支那 と言ったり書いたりしているのだが、これは表現(言論)の自由であり、亀さんは全く気にもしていない。ただ、拙稿「青州で思ふ(7) 」にも書いた、毛允明社長や張苓明氏の人物を目の当たりにしている身として、中国人が嫌がっている支那 という言葉を口にすることは、今後もないだろう。仮にお二人の前で支那 という言葉を口にすれば、それまでに築いてきた良好な関係は、一瞬にして水泡に帰す。■脱藩派 以上から、現代日本人、殊に新時代の日本を背負う、若い日本人の理想像は脱藩人である。だから、一人でも多くの若い日本人の脱藩人を輩出させることに、残り少ない冥途までの人生を懸けたいと、心から思う今日この頃である。
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