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人生は冥土までの暇潰し

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人生は冥土までの暇潰し
亀さんは政治や歴史を主テーマにしたブログを開設しているんだけど、面白くないのか読んでくれる地元の親戚や知人はゼロ。そこで、身近な話題を主テーマに、熊さん八っつぁん的なブログを開設してみた…。
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天頂に生きる
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大涼山の山嶺

NHKの「秘境中国 謎の民 天頂に生きる ~長江文明を築いた悲劇の民族~」という番組を観賞した。この番組は、三千メートル級の山々が連なる大涼山の山頂に暮らす、山岳民族イ族(彝族)を取材したものだが、実に示唆に富む番組であった。以下、同番組を通じて感じたことを、四つの角度から述べてみたい。

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天頂の村を目指して帰路に就く少女

■国家
最初に、中国〝最古〟の王朝と云われている殷王朝(商王朝)だが、その祭祀王はシャーマンであった。このあたりについては、すでにブログ記事にしている。

四千年近くの時空を超えて、今日の世界にも神格シャーマンが存在する。今上陛下その人である。つまり、朝鮮族であった遙か太古の殷の祭祀王のDNAを、しっかりと引き継がれておられるのが今上陛下なのである。
青州で思ふ(3)


以下は現在の定説とされている殷王朝の版図である。殷王朝が諸侯に分け与えた封国に、揚子江(長江)の一部が含まれているのに注目されたい。

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次に、以下は同番組で登場した定説の四大文明のイラスト…。

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しかし、最近の研究では〝第五の大文明〟ともいうべき、「長江文明」なるものの存在が明らかになりつつある。

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同時に、イ族は長江文明を築いた人たちの末裔である、という可能性が最近の研究で高まりつつあるのだ。その末裔が、長江という肥沃な土地から、何故に大涼山山頂に住むようになったのかというあたりの詳細は、同番組で確認していただくとして、簡単に経緯を述べるとすれば、秦帝国による侵略から始まりモンゴル帝国による侵略に至るまで、侵略に次ぐ侵略を受けた古蜀国の住民は散り散りとなり、一部が大涼山の山頂に逃れたということになる。

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秦の侵攻を受けた古蜀国

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古蜀国から最後は大涼山へと逃れたイ族の一部

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古蜀国侵攻の記述がある中国最古の地誌『華陽国志』

さて、殷王朝の支配者、すなわちシャーマンについてだが、長江文明に属する古代中国の遺跡の一つとして、1986年に発見された四川省広漢市の三星堆遺跡が同番組で紹介されていた。以下はその当時の発掘の模様だ。

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発掘された遺跡の一部を同番組で紹介していたが、最も強い印象を受けたのが青銅立人像、すなわち長江文明を支配していたシャーマンである。

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そして、上のシャーマンの流れを汲んでいるのが、大涼山のイ族のピモ(シャーマン)ということになる。数千年もの時空を超えて、殷王朝のシャーマニズムが大涼山のイ族に引き継がれ、さらには東に位置する日本の天皇にも引き継がれたのだと思うと、実に壮大な気持ちにさせられるではないか…。

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■村落
次に、同番組の中心舞台となった大涼山の最奥地にある、イ族の四季吉村について筆を進めていこう。四季吉村には「ピモ」と呼ばれている上述のシャーマンと、政(まつりごと)を担当する村長がいるのだが、このあたりは現代日本の天皇(シャーマン)と、総理(政)という二体制を連想させるに十分だ。ピモの聖職者としての仕事をテレビを通じて観つつ、村人の精神的な心の拠り所としての存在は村の〝天皇〟を連想させるのだし、村長は今の日本を力強く牽引している安倍総理を連想させるに十分であった。

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「和を以て貴しとなす」は、架空の人物である聖徳太子の言葉だが、「和」を四季吉村の村長が口にしたシーンを耳にした時、亀さんは飛び上がらんばかりに驚いた。日本の東京と中国の四季吉村という、数千キロの距離を超え、現在日本人の物の見方・考え方に相通じるものを、直感的に悟ったからだ。

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■家族
二年前、「秋刀魚の味」と題したブログ記事を書いたことがある。「秋刀魚の味」は小津安二郎監督の映画作品なのだが、同映画で印象に残ったシーンがある。

同映画の公開は1962年11月18日というから、1964年10月10日に開催された東京オリンピックから遡ること2年前、亀さんは小学校の4年生だった。だから、かつての古き良き時代の日本を思い出しながら、懐かしく鑑賞した次第である。なかでも印象深かったシーンが、若夫婦の平山幸一(佐田啓二)と秋子(岡田茉莉子)が暮らしていた団地でのシーンだ。
秋刀魚の味


だから、今回のNHKの番組で最も感動したのが以下のシーンだった。

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家畜番人の娘(16歳)

これは、三千メートル級の山でも夏期には家畜の伝染病が流行るということもあり、近所の家畜をまとめて高地に連れて行き、夏の間の二ヶ月ほどを近所の人たちの代わって、世話をする村人の家畜の番人についてのドキュメンタリーなのだが、ある日預かっていた牛の一頭が行方不明になった。無我夢中で三日三晩探したものの見つからない…。このままでは、35万円もの賠償金を支払わなければならない、という苦境に家畜番人は立たされたのだった。もし牛が見つからなかった場合、山を下りた町に下宿させて勉強をさせていた長女(16歳)、息子(6歳)、末娘(5歳)らを学校や幼稚園に通わせることができなくなる…。悩む父親の姿を見た長女は、自分が学校を辞めて家族のために働く、と決心するのであった。

このあたりは、やはり長女だった亀さんの母を彷彿させるものがある。母は中学校を終えたばかりの叔父が、丁稚奉公に出されるということで、不憫で不憫で仕方がなかったというエピソードを聞かせてくれたものだった。この母の弟を思う気持ち、ブログで記事にして亀さんは以下のように書いている。

叔父は亀さんの母の弟で、小学6年生(12歳)の時に実の母親と死別、長女だった亀さんの母(当時20歳)が、残された弟や妹の面倒を見たのだった。そして、叔父は中学を終えた15歳の春に、親戚の呉服店へ丁稚に出されたのだが、わずか15歳で社会に出る弟を見て、母は不憫でしかたがなかったという。
叔父との別れ


だから、当時の日本と同じ境遇にある四季吉村は、母や叔父が若かりし頃と同じ時代精神を背負っているのだと、画面を通じてつくづく思ったことだった。

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行方不明だった牛は伝染病で死んだことが判明し、賠償金を払わずに済み、安堵する父親の家畜番人

■お金
以下のシーンは、村長の息子が都会に出て大学生活を送る傍ら、村の羊の肉を使った屋台を開いたところ、好評だったので村の羊を都会の名産にするべく、大規模な事業を展開してみたいと相談した時の父親の反応である。

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このあたりは意見の分かれるところだろうが、ホリエモンあたりだったら、間違いなく息子の方を応援するんだろうなと思いつつ、同シーンを眺めていた。このお金についての考え方だが、mespesadoさんが実にE-ことを書いているので、この機会に紹介しておこう。

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http://grnba.bbs.fc2.com/reply/16340424/302/

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実りの秋を迎えた四季吉村
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