12月9日、抜けるような青空のもと、掲示板「放知技」の読者5名と天覧山・多峯主山を散策、久方振りに森林浴を楽しんできた。そして帰宅した翌日、録画しておいた同日放送のTVシンポジウム(NHK)、「いのちのマンダラに生かされる~今に息づく南方熊楠の思想~」を見たのである。
 南方熊楠林中裸像(和歌山県西牟婁郡上富田町にて1910年撮影)
実に示唆に富む番組であった。番組を見終わって再確認できたことは、「熊楠は現代日本人の道標 我々の進むべき道」ということである。自然の懐に抱かれた翌日同番組を見ただけに、なおさらその感を強くした。
では、何故に熊楠は「道標、進むべき道」と亀さんは思っているのか? それは、南方マンダラ(南方の曼荼羅)にある。では、南方マンダラとは何かだが、こればかりは亀さんの下手な解説よりも、鶴見和子の「南方熊楠の曼荼羅論」に接した方が早い。

鶴見は南方マンダラについて、以下のような言葉で的確に表現している。
熊楠は、真言密教の曼荼羅を、科学の方法論のモデルとして読み替えたのである。
熊楠がロンドンに居たころの19世紀の科学は、ニュートン力学が支配的パラダイムであった。それは因果律-必然性-の発見を究極の目標としていた。これに対し熊楠は、因果律は必然性を明らかにする性質があるが、自然現象も社会現象も必然性だけでは捕らえられないと考えた。必然性と偶然性との両面から捕らえるのでなければ真実はわからない。
仏教は因縁を説く。因は因果律-必然性-であって、縁は偶然性である。したがって科学の方法論としては、仏教のほうがニュートン力学を超えていると喝破したのである。
近代科学とその限界については、拙稿「生と死を見つめる 2」でも以下のように書いた。
大学病院の医師らは、人間的に良い人たちが多いのが分かるのだし、日々研鑽に励んでいるのも分かる。だが、彼らは細分化された医学のホンの一部に詳しいというだけで、人間の身体については偏った見方に陥っている、
換言すれば、今の医者は人体の一部だけやたらに詳しく、人体の全体を捉えて目の前の患者を診断することができない。だから、直感、熊楠の言葉を借りれば「やりあて」が働かないのである。やりあてというのは熊楠の独創語だが、以下の記事でやりあての大凡の概念が掴めるはずだ。 公開講座:南方熊楠の新次元
さて、ここまで書いた時点で、一気に上の鶴見女史の記事に目を通してみたところ、最後の段落に目が留まった。
古代インドに発祥し、密教とともに日本に伝来したこの曼荼羅の思想を、今、南方熊楠が生きていたら、これこそ諸宗教・諸文明の交流・対話の思想であり、未来に向かって人類が地球上に生き残るための平和共生への道すじだと、高らかに主張するのではないだろうか。

まさに、昨日のNHKの番組を見ながら脳裏に浮かんだ、「熊楠は現代日本人の道標 我々の進むべき道」と、根底で相通じるものがある。今後も折に触れ、熊楠の世界を書いていきたい。
 昭和天皇の御製
 孫文と熊楠
 熊楠と管鮑の交わりだった土宜法龍
 『Nature』に掲載された熊楠の論文数は50篇
【追記】
 浜松の農業王さん投稿の写真
- 関連記事
-
スポンサーサイト
|