飯山一郎さんのHPに、「『大和心への回帰』:これぞ本物の国士のブログ」という記事が掲載、その時初めてブログ「大和心への回帰」の存在を知った。爾来、同ブログに掲載された記事は欠かさず全文に目を通している。そして、読む度に己れを生み育んでくれた日本を思う、筆者の熱い心に打たれるのである。その「大和心への回帰」の最新記事は、「219.この歴史的快挙をなぜ報じない? 今国民は、報道犯罪を糾弾して決起する時!」。
上の記事で筆者は自民党の圧勝を取り上げ、「この歴史的快挙をなぜ報じない?」と、日本のマスコミに対して強い憤りを感じているのが分かる。日本のマスコミを反安倍へと煽る黒幕(ネオコン)の存在に、筆者が気が付いていないのは残念だが、それはともかく、小池百合子と小泉進次郎を取り上げていたので注目した。最初に小池だが、筆者は以下のように評している。
小池百合子が総理の目を失ったのが、もう一つのエポックであった。 驕りと過信によって自らその道を閉ざしてしまったのである。
次に、筆者が「弁舌が爽やかで国民受けする説得力は天性の才能」と評する小泉の場合、以下のように書いている。
小泉進次郎に、将来総理総裁の野望があるならば、モリカケ問題を恰かも安倍総理の説明不足であるかのように訴えたのはいただけない。 国民受けする一方で、党内からスタンドプレーとして反感を買っているのではないだろうか。
外部(国民)には受けが良いが内部(党内)では受けが悪いというあたり、職場では顧客や上司の受けが良いが、家では粗大ゴミ扱いされている、どこにもいるようなビジネスマンを連想させるではないか(爆)。
ともあれ、小池は昨日の記者会見で「都政に注力する」と広言していたことからも分かるように、もはや復活の芽はなくなったので無視するとして、問題は小泉進次郎だ。何故に小泉が応援演説で森友・加計学園問題を取り上げ、「説明ができるのは安倍総理だけ」と言い放ったのか? そのあたりについては、放知技の以下の投稿に答えがある。
 http://grnba.bbs.fc2.com/reply/16256324/164/
飯山さんの小泉進次郎観は正に正鵠を射ている。この飯山さんの投稿を読み、拙稿「手の指は十本」にも書いた、蜀国丞相の諸葛亮孔明率いる蜀軍と、南蛮王の孟獲率いる南蛮軍の戦いを思い出した。戦場(孟獲)と国会(小泉進次郎)という違いはあるものの、諸葛孔明が孟獲を殺らなかった理由と、安倍総理が小泉進次郎を殺らない理由とには相通じるものがある。
プーチンvs.ネオコンの対立は、現在読み進めている柴錬三国志で繰り広げられている、蜀国丞相の諸葛亮孔明率いる蜀軍と、南蛮王の孟獲率いる南蛮軍の戦いを彷彿させるものがある。ここで、三度の戦で三度とも孟獲は諸葛亮孔明に生け捕りにされている。だが、孔明は三度も孟獲を生け捕りにしたのに拘わらず、三度とも孟獲を解き放っているのだ。そうした孔明の戦術を理解できなかった武将の魏延が問うたところ、孔明は以下のように答えたことだった。
いかに不屈の執念を持っている覇王であろうとも、所詮は、人間だ。鬼神でもなければ、悪霊でもない。手の指は十本しか持って居らぬ。その十本をのこらず切断されることに堪えられぬのが、人間というものであろう。
小泉進次郎をネオコン派から民族独立派に転向させるには、安倍総理は小泉の手の指を幾本か切り落とさなければならないはずだが、いつ、どこで、どのように小泉の指を切り落とすのか、そして最終的に小泉を〝転向〟させることかできるのだろうか…。
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