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人生は冥土までの暇潰し
亀さんは政治や歴史を主テーマにしたブログを開設しているんだけど、面白くないのか読んでくれる地元の親戚や知人はゼロ。そこで、身近な話題を主テーマに、熊さん八っつぁん的なブログを開設してみた…。
ホンダのもう一つの顔
過日、「正念場のホンダ」を書いたところ、読者からのコメントがあった。今までの拙ブログではホンダの表の顔に焦点を当てて記事を書いてきたが、今回はコメントに書いたホンダの裏の顔を本稿に浮上させておこう。

ホンダの従業員
亀さん
初めまして。
kenichi2409です。

元、自動車業界(部品メーカー)に居た時に
ホンダの従業員と話した事があります。

やりたい事があるが、上司・トップの権力が
あって出来ない・諦めている 感じでしたね。

昔はホンダイズム?(恐れずにチャレンジする)
が生きているみたいな会社だな と小生は思って
いましたが、ちょっとづつ変わってきているみたい
ですね。

日本の企業を切って中国のコピー会社を採用
したり、部品メーカーの独自技術をコンペと称して
ライバルメーカへ横流ししたり(一応許可は取って
いると聞きましたが)、イロイロありましたよ。

ちょっと企業として大きく成り過ぎ、倫理観の変化
があるのかな?
(鈴鹿に誘致出来たのはお茶のエピソードから
 との話はどこへやら。。。)

個人的にはホンダジェット・赤いスポーツカー
・エンジンはレッドドーンに入ってなんぼ みたいな
感じで、独自路線を貫いて欲しいですが。。。

PS.今でもエンジンは左廻りなのかなぁ?



ホンダの光と影
kenichi2409さん、初めての投稿有り難うございました。

> 昔はホンダイズム?(恐れずにチャレンジする)
> が生きているみたいな会社だな と小生は思って
> いましたが、ちょっとづつ変わってきているみたい
> ですね。

実は拙ブログの場合、ホンダに光があたる部分しか書いていませでした。今回、裏、すなわちホンダの影の部分について少し書きます。

ホンダイズムが生きていたのは、本田宗一郎が社長だった時代あたりまででしょう。ちなみに、小生かホンダに入社した時は、すでに河島喜好社長になっていました(1973年10月に本田宗一郎の後を受け、45歳で本田技研工業代表取締役社長に就任)。そして、小生がホンダに勤めていた、1970年代後半から1980年代前半当時は、かつての創立精神(ホンダイズム)はすでに死に体でした。

確かに、研究部門や本社の社員には、ホンダイズムが少しは残っていたものの、製造現場では人を人とも思わぬ扱いでした。だから、現場の正社員が次々と辞めていったものです。多くの教え子をホンダに送り込んだ高校時代の恩師も、小生がホンダに入社した直後に挨拶に行ったところ、「ホンダは社員使い捨ての会社だよ」と教えてくれたものだし、その後小生も一時期とは云え、製造現場に従事した体験があるので、恩師の言っていたことは本当だったと痛切したものです。

こんなこともありました。当時のホンダでは改善提案運動が盛んで、金賞を受賞すると御褒美に研修とは名ばかりのバス旅行を挙行していました。小生も入社してから間もなく金賞を受賞したので、四十名近くの他の金賞を受賞した社員と一緒に、伊豆だかどこだったかは忘れましたが、一泊のバス旅行に参加したのです。その時、本社からの大卒で人事部の三十代前半と思われる社員が同行したのですが、上から目線というよりは、威圧的な態度でバスの中の社員に向かって、「お前ら、俺の言うことを平身低頭で聴けよ。態度が悪い奴には俺は怖いぞ」というようなことを言い放ったのです。その刹那、あたかもヤクザ世界、否、ヤクザ世界そのものの雰囲気に、バスの中がガラッと変わったのを今でも覚えています。このように、大卒の本社部門の社員と高卒の多かった現場の社員との間には、明らかな身分差別がありました。

また、職位が一つ違うだけで、下は虫けら同然でした。だから、面と向かって上司に真っ当な意見を述べようものなら、忽ち日の当たらぬところに左遷されたものです。たとえば、小生は最初、二輪車の化成課(化成とは車体を塗装する工程)の検査係に配属されたのですが、上司のN係長は実に面倒見の良い上司で、親分肌の人でした。しかし、上司のO課長と意見が衝突、二輪車の化成課から四輪車の組立課に追い出されて(左遷)しまったのです。皮肉にも、O課長が同じ四輪の組立課に課長として異動、再びN係長はO課長の部下となったのですが、二輪時代のN係長とは人が打って変わっていました。たとえば会議でO課長がお茶を飲み干すと、自ら立ち上がってO課長の空になった湯飲みにお茶を淹れるなど、傍から見て痛々しいほどでした。小生もO課長が組立課に異動する前に、二輪化成課から組立課に転属になっていますが、当時はオハイオ州に四輪工場の立ち上げを準備していた時期でもあり、小生が転属になったのも、英語のできる社員が必要になったからだと今にして分かります。そして、現場の作業以外に、外国からのお客の通訳をはじめ、組立課で外国人も参加する会議では、同時通訳や翻訳の仕事も結構していたので、O課長の前では人が変わってしまったN係長を目の当たりにしていた次第です。


> ちょっと企業として大きく成り過ぎ、倫理観の変化
> があるのかな?

御意。ホンダも並の会社になったということです。本田宗一郎がいたら、拳骨が飛んできたことでしょう。

今後ともよろしくお願いいたします。


加えて、掲示板「放知技」の常連の一人、虻農〇さんの指摘も貴重だ。以下に転載しておく。

17092702.jpg
http://grnba.bbs.fc2.com/reply/16074479/151/
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