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人生は冥土までの暇潰し
亀さんは政治や歴史を主テーマにしたブログを開設しているんだけど、面白くないのか読んでくれる地元の親戚や知人はゼロ。そこで、身近な話題を主テーマに、熊さん八っつぁん的なブログを開設してみた…。
『飯能文化』
拙宅に、昭和22年8月1日に創刊されたという『飯能文化』(昭和23年1月1日発行分から『武蔵文化』と改題)の一年分ほどの復刻本がある。数ヶ月前に初めて同書を紐解いたとき、ところどころに紙切れが挟んであるので何かと思ったら、孤月という俳号で投稿した親父の俳句が数句載っていた。昭和23年というから親父が24歳のころであり、まだ小生はこの世に生まれていない。それにしても、思わぬところて亡き親父と“再会”したものだ。
その親父同様に俳句が好きだった、埼玉の某県立高校で国語の教師をやっていた親父の従兄弟と親父本人が、俳句を巡る見解の相違で桑原武夫と大激論になったことがある。その桑原武夫のいう“第二芸術論”について、今東光も独自の意見を語っているので以下に引用しておこう。
俳句は果して第二芸術か?
俺は、俳句を人生道楽としてやっていきたいと思っている。しかし桑原武夫ごときは、俳句を第二芸術だという。俺は俳句が小説や詩に劣るとは思わない。そこでだ、文学者としての今東光に俳句を論じてもらいたい。(もし俳句を知らなけれぱ返答は無用)
(栃木県宇都宮市 20歳 俳句狂)
生意気なことぬかすな、この馬鹿野郎! 俳句を〝道楽〟にやるとは何事だ! てめえのそういう態度だけでも、もうオレは許せねえ!
俳人は皆、命がけで作っているよ。命がけと言っては語弊があるけど、命がけで俳句の世界に入っていることはたしかだ。ある意味で俳禅一如みたいなもので、俳句の句と禅の妙機と接する所まで奥深く探究して行ってるんでね。それを道楽にやるとか、趣味でやるなんていうようなふざけた奴に答えるのは嫌だよ。
でもオレは、俳句は作らないし、大体散文的な男だから言うけど、日本の文学は外国に比べてスケールが小さい。世界の大文学に比べるとずうっとスケールが小さい。それは何故かというと、俳句十七文字、歌三十一文字の世界に全宇宙をたたき込もうということばかり考えているために、それがある種の制約になって、ああいうスケールの大きな文学は生まれないんだ。オレのように俳句も歌も作らない男でも、俳句の境地、歌の世界というものが、教科書やいろんなもので沁みこんでいる。それで、それが大文学を作らせない非常た障害になっているということがわかるんだ。
フランスにもベルレーヌみたいな短い詩を書いている人もいるが、そういうのは近代にそういう試みがたされているだけで、ミルトンでも、ダンテでも、ゲーテでも、詩でありながら小説であり、大文学になっている。ああいうものは芭蕉でもできなければ本居宣長にもできないし、業平にもできない。それは歌や俳句という一つの制限された世界を錬磨、彫琢、いろいろなことをしているために大文学が生まれないんでね。
そういう点で、オレは日本という国はたいへん島国的であり、小人文化だという風に思う。やっばりこれからの人は、そういう世界でなく、もっと大文学へ遊ぶという風にならなければ、エラいものはできないんじゃないかな。
桑原みたいにフラソス文学をやり、バルザックやモリエールなんかいろんなものを見ていると、俳句はもの足りないだろうね。でもジャンルが違うんだ。ひとつの土俵で相撲をとらすことはできないよ。わかったかい、この生意気野郎! てめえみたいた奴にかかわりあってると胸糞が悪くなるから、もうやめだ。
答えられなかったら返事は要らねえなぞと、張り倒すぞ、この野郎! てめえみたいたヤクザな野郎は殺されねえだけましだと思え。
『最後の極道辻説法』p.130
和尚の言う「土俵が違う」という意見には、諸手を揚げて賛成だ。そのようなニュアンスで小生も最近コメントしてる。
http://toneri2672.blog.fc2.com/blog-entry-11.html#comment4
ただ、皇后陛下の『祈りの御歌』(竹本忠雄著 扶桑社)に目を通した身としては、和尚の言う「俳句十七文字、歌三十一文字の世界に全宇宙をたたき込もうということばかり考えているために、それがある種の制約になって、ああいうスケールの大きな文学は生まれないんだ」というあたり、少々和尚の考え方は底が浅いような気がする。と言うのも、俳句ではないが天皇の御製や皇后の御歌には言霊が籠もっており、ある意味では西洋文学よりもスケールが大きい世界を描いていると言えるからだ。また、御製と御歌には隠されたメッセージが込められていると小生は信じており、そのあたりは別ブログで書いておいたので,関心のある方は一読して戴きたい。
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