
NHKドキュメンタリーで、「星野道夫 没後20年“旅をする本”の物語」という番組が、今月28日に再放送された(初回放送は2016年3月27日)。星野道夫氏と言えば、シベリアでヒグマに襲われて亡くなったカメラマンであり、同氏の写真集を幾度か書店で目にしたことがある。その星野氏の数ある作品の中で、とりわけ愛されている作品に『旅をする木』があり、同番組はこの本の数奇な運命について取り上げたものだが、最近希に見る感動的な番組であった。同番組のあらましについては、以下のNHKの番組紹介ホームページの解説が分かりやすい。
自然やそこに生きる人たちを愛した、写真家の星野道夫さんが亡くなって今年で20年。 生前最後に出版された「旅をする木」という一冊の本が、さまざまな人によってリレーされ、ヨーロッパからアジア、南極、北極と12万キロを旅しています。バックパッカー、南極の湖に潜る女性研究者、単独無補給で北極点を目指す冒険家など。人生に大きな影響を与えた本と、その感動を伝え続ける人たちの不思議な物語です。 星野道夫氏のオフィシャル・サイトから引用
かつて三年間近く世界各地を放浪した、元バックパッカー(亀さんの時代は〝無銭旅行者〟と言っていた)の身として、共鳴するシーンが多かったのだが、中でも思わず頷いたシーンを幾つかピックアップしてみた。

小説家のドリアン助川氏と言えば、2年ほど前に映画化された「あん」を思い出す。1年ほど前にテレビで同映画が放送されているが、人が生きる意味を問いかけてくる、実に素晴らしい作品であった。その助川氏が、星野氏の『旅をする木』を以下のように評している。
(星野さんの『旅をする木』は)詩人が書く文章です。この大自然を作り出している もっと根源のなにかに触れられて書かれている。

あたかもリレー走のように、この本は実にさまざまな人たちの手にわたり、総距離12万キロ、地球を三周する距離を旅したわけだが、この本と人とのつながりについて、助川氏は以下のように語った。
結局 人というのは どこかで人と人が接点を持たないと 生きていけないことになっていて それぞれが やはり網の目のように つながって それぞれの 命をやりぬこうとしている。それを感じさせるのが今回の この本だと思います。

 南極を二往復、北極を三往復した、あの本…
この本を手にした人たちの一人に、荻田泰永氏がいる。荻田氏は、北極点無補給単独徒歩に挑み続けている冒険家だ。 北極冒険家 荻田泰永 北極点無補給単独徒歩2015-2016
実は、この本を荻田氏にバトンタッチしたのは、写真家・阿部幹雄氏であった。ある講演会で互いにパネリストとして、一緒になったのがきっかけのようで、この本を阿部氏は萩田氏にバトンタッチした理由について、以下のように述べている。

まさに、一人の若い冒険家への、阿部氏の温かい眼差し、思いやりを感じるではないか。
また、『旅する木』に書かれていることだが、親友T君を火山の噴火で失った星野氏、T君の母に慰めの言葉をかけようとしたところ、逆に励まされるという行を目にして、熱いものがこみ上げてきたのであり、親の心を見事に表現している行だと思った。T君の母親は以下のように言ったのである。

もう一人、田邊優貴子さんという女性にも登場してもらおう。可愛がってくれた祖母が病に伏せた時、祖母の病の原因は遺伝病で、自身もそれを受け継いでいることを知ってからというもの、常に死が頭から離れなくなったという。ついには、生きることには意味がない、という思いが頭から離れなくなった時、星野氏の本に出会った。やがて、田邊さんは亡き星野氏に背中を押される形で、アラスカへの旅に出た。二週間の旅の最後という日、大自然に抱かれた湖の畔で独り、沈みゆく夕日を眺めていた時のことである。突然、涙が溢れて止まらなくなった…、心がワナワナと震えた…。それが、生きていることだ、と悟った田邊さん、何かが吹っ切れたと語るシーンが実に感動的であった。

このように、人は独りで生きていける生き物にあらず、どこかで人と人とは繋がっているのだということを、同番組は思い出させてくれたのである。
最後に、大自然とちっぽけな己れ自身について、一度立ち止まって考えることの大切さについて、以下のシーンが教えてくれよう。




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