「もっと、スミカスミレについて書いて欲しい。ネタ切れでしょうか?」というメールが、読者の一人から昨日届いた。そこで、その読者の期待に応えるべく、スミカスミレ関連の記事を一本アップさせていただこう。
亀さんがスミカスミレに出演した女優で注目したのは、松坂慶子と秋元才加の二人である。松坂慶子については幾度か取り上げてきたので、今回は秋元才加について取り上げてみよう。
最初に、松坂慶子と秋元才加が共通していることの一つは、ともに赤貧洗うが如しの子ども時代を送っている点だ。松坂慶子が困窮した子ども時代を送ったことは、拙稿「松坂慶子を女優にした「事件」 その2」にも書いた。
大竹しのぶは1957年7月17日生まれなので、1952年7月20日生まれの松坂慶子とはほぼ5歳違いだ。その大竹しのぶも含め、松坂慶子、そしてシルビア・クリステルは、全員が全員、子ども時代は赤貧洗うが如しの生活を体験している。だから、同じように子ども時代は貧乏だった亀さんなので、三人の女優の生い立ちに深く共鳴するのだ。
秋元才加の場合、貧乏だった子ども時代をテレビで語っている。
その秋元才加、最近のNHKの「バリバラ」にゲストとして登場、番組のテーマは「“外国ルーツ”の子どもたち」であった。同番組での秋元の発言も良かったが、最も感動したのは高校生の女の子の発言で、「私のように日本語で苦労している、子どもたちを助ける仕事がしたい。日本と中国の懸け橋になりたい」には、グッと来るものがあった。



東京帝国大学文科大学長だった外山正一が、「君は何の為に勉強するのかね」と、新入生の新渡戸稲造に問うと、「我、太平洋の架け橋とならん」と新渡戸は答えたという。その新渡戸の言葉を引用しつつ、亀さんが私淑する同時通訳の泰斗・國弘正雄が、「架け橋は無理でも、せめて橋桁の一つになりたい」といった旨のことを、本か何かに書いていたのを今でも思い出す。亀さんの場合、橋桁にすらなれずに一生を終えそうだが、それでも、せめて橋台の一つになりたいと思う、今日この頃である。
【別報】 以下は5月15日付の東京新聞夕刊の記事で、日比国際児が来日、実の父との面会を果たすという、心温まる記事だ。
 日本で演じる心の葛藤 「日比国際児」フィリピンに数万人
考えてみれば、アジアの貧しい子どもたちのために活動している、映画監督の四ノ宮浩氏、元テレビ番組制作会社社長、後に八戸大学教授に就任した大谷真樹氏といった人たちが、亀さんの周囲にいるのを思い出した。
- 関連記事
-
スポンサーサイト
|