数日前、19歳の南谷真鈴さんという女子大生が、北極点到達を成し遂げたというニュースを耳にしたときは、「エッ!」と驚いたものである。それだけではない。あの植村直己にして実現できなかった、南極点到達も昨年(2016年)の1月に成功しているのだ。さらに凄いのは、若干19歳にして7大陸最高峰の登頂に成功していることである。その意味で、昨年掲載された「TABI LABO」のインタビュー記事は、そうしたスーパーウーマンの素顔を上手く引き出せているように見えた。
 http://tabi-labo.com/271474/marinminamiya
亀さんの周囲を見渡しても、息子の友人で逞しく自分の人生を切り拓いていこうとしている若者が何人かいる。そうした若者の一人、仮にA君としておくが、A君は親に頼ることなくバイトで資金を貯め、近く海外放浪の旅に出るのだという。亀さんも十代の頃に3年間ほど世界放浪の旅を体験しているだけに、「亀さんがエールを送っていた」と、A君に伝えるよう息子に頼んでいる。
このように、一時は森友学園問題で大騒ぎ(バカ騒ぎ)をしていたマスコミやブログと違い、こうした若者の生き様は爽快ですらある。そして、脳裏に浮かんできたのが「近頃の若者は」という常套句だった。この「近頃の若者は」だが、アンサイクロペディアが示す定義が面白い。
時代の変化というものに対し、若年者はすぐさま流れに乗るかのごとく追随するが、齢を重ねて年長者になると自分の人生経験という一定の杓子に固執してしまい、新しいものを受け入れるような柔軟性が失われてしまう事がある。それらの者が、「新しい時代」の先端を行くようなものを若者が行っているのを見た際、良くこの言葉が発せられる。当人も若年の時、年長者から同じ事を言われたのは全く覚えていないようで、それが現代に至るまでこの言葉が受け継がれている土台になっている。
現在ではこの言葉の使用も若年化が進んでおり、幼稚園の年長(5・6歳)も使用している。しかし使用する状況は同じで、年少・年中の新しい考えについていけなくなった園児が使用しているようである。

ここで、「植村直己物語」という映画を読者はご存知だろうか。同映画については拙稿「私は、今でも植村が生きていると信じてます」でも少し触れているが、同映画を見て思ったことの一つがスポンサー探しの苦労である。大陸最高峰登頂や南極北極点到達を実現するには、莫大な資金が必要なのだ。このスポンサー探し、植村直己の場合には泥臭さを感じたものだが、南谷真鈴さんの場合はスマートさを感じる。これも、時代の違い、あるいは男女の違いにあるのかもしれない。

- 関連記事
-
スポンサーサイト
|