
自宅の書架にある『世界の名著』(中央公論社)の一冊に、『マキアヴェリ』がある。巻末に発行日が昭和41年(1966年)とあるから、今から半世紀以上も前の本だ。現在、この『マキアヴェリ』を柴錬三国志とともに、毎晩少しずつ読み進めているが、昨夜、同書に挟まれていた小冊に何気なく目を通したところ、ナント開高健がマキアヴェリについて、会田雄次と対談している記事であることを知った。
その開高健だが、かつて『週刊プレイボーイ』に人生相談が1966年に登場、亀さんが特に気に入ってるのが、今東光の「極道辻説法」、柴田錬三郎の「円月説法」、そして開高健の「風に訊け」なのだ(「男が興奮する人生相談」)。

現在、掲示板「放知技」の「飯山一郎と紳士・淑女の歓談室 -24-」で、展開されている大転換期というテーマを念頭に、会田雄次と開高健の対談記事を読み比べてみるのも一興である。
マキアヴェリの周辺

〈対談〉 開高 健(作家) 会田 雄次(『世界の名著』第16巻責任編集)
乱世の小貴族 開高 歴史上の英雄、偉人といわれる人は、やせた小男が多いですね〔笑)、ナポレオン、ヒトラー、秀吉……。見かけによらず精力的で、しぶとくて、嫉妬心があって、陰険で、大男の肥満漢にあるとぼけたところがない。 会田 マキアヴェリも、やせた男だったでしょう。上から見おろすのと、下から見あげて謀反を企てるのとの違い、騎馬民族と農耕民族との相違でしょう。ナポレオンの小心さにも共通したところがありますね。『君主論』を書いた背後にも、偉くなりたい、自分をもっと使ってみろという気持があったと思うんです。 開高 マキアヴェリの生まれや育ちは、どうだったんですか。 会田 貴族の生まれですけれど、イタリアには貴族が多くて、マキアヴェリのばあいは日本の侍程度ですよ。 開高 いわば旗本みたいなところですか。 会田 三十石、百石といった御家人というところでしょう。マキアヴェリの息子が安物だったんです、事業をしても失敗ばかりして、だから最後はちょっと悲惨だったのではないですか。マキアヴェリのお父さんは当時一流の人文主義者と交際のあったなかなかの教養人でした。お母さんのほうも家柄はよくて、詩人で、お父さんに劣らず知性豊かな人だったらしいですね。 開高 サマセット・モームの小説に、マキアヴェリを主人公にした『昔も今も』というのがありますね。僕は昔から愛読しているんです。あの小説ですと、マキアヴェリは夫人に「おまえはいい女房だ、いい女房だ」とばかり言っていて、夫人のほうは夫人のほうで、マキアヴェリの浮気やら好色ぶりをよく知っていながら知らんふりしている。そして台所でいそいそとひばりの料理など作っている。マキアヴェリ自身には凶悪無惨なボルジアという独裁者が迫ってきて、フィレンツェをつぶしにかかろうと構えている。それを徒手空拳舌先三寸でまるめこみに、マキアヴェリは出かけ、そうしてだましたりだまされたりしながら、一方ではつまらない女を好きになって言い寄るものの、いいかげんにあしらわれて、いっこうに首尾が果たせたい。ボルジアのほうは、うまい具合にまるめこんだけれども、女のほうだけはいかんともしがたくて、あげくの果てに、自分がばかにしていたお供の青年にしてやられて、子供までつくられる。しかし、フィレンツェは無事だったと家に帰ってくる。それで、おれもちょっと政治生活に退屈したといって、楽しみのために小説を書いてみようかと思うのだよ、ひばりの料理を食べながらね(笑)。考えてみれば、このひばりも気の毒なもので、さんざん歌ったあとで食われてしまうんだなというようなことを言うと、夫人が横から、あなたの心に通ずる道は胃袋を通っているんですからねとかなんとか言う。友だちはそのマキアヴェリの希望を聞いて、とびあがって驚いて、自分の楽しみのために小説を書くなど、批評家にどんなことを言われるかわからない。するとマキアヴェリはひばりを食いながらせせら笑って、あの連中は、いつも楽しんだあとで文句を言うのが商売なんだ。古来自分の楽しみのため以外に書かれた傑作ってあるか。ベトロニウスの『サチュリコン』がなんのために書かれたか、よく考えてみろ。いい例ではないか。おれは小説を書くんだ――というので、そこで幕切れになっていますね。結局マキアヴェリ自身がマキアヴェリズムにやられてしまうという通俗的な皮肉もたいへん気がきいているし、僕はやはり非常に成熟した知性を感じますね。モーム独特の目が生きているわけで、政治小説の出色の作のひとつだと思うんです。日本の現代文学のなかで政治小説ということを考えると、すぐにコミュニズムとの対決、敗北、その挫折、誠実な良心の追求というようなことしかしませんけれど、僕はああいう政治小説が出てくるようになれば、そういう社会はかなり成熟したものだと思いますね。 会田 そう、それだったら日本もかなり成熟した社会になりましたね。当時のイタリアといえば、すでに成熟しきった社会だったわけで、そうした目から見たら、イギリス人にしてもフランス人にしても、わけのわからない宗教だとかイデオロギーをかついでいる猿にしか思えなかったでしょう。その点マキアヴェリはすっかり見抜いていたはずですよ。 開高 『昔も今も』では、非常に頭のよい、口先の達者な、手練手管にたけた、中年のけちんぼの好色漢、まあ男としての要素を全部備えている…(笑)。 会田 だからマキアヴェリは思想家として、あるいはドイツ、日本、つまり後進国流にいえば、道徳家、思想家としては安物だと解釈されるわけですよ。小、中学校程度の道徳思想で武装している人がそう思うのは当然でしょうが、イタリア人にとってはばかばかしいでしょうね、それは。 開高 至誠天に通ずるなどということは、けっして言わないですね。「道」を追究するという日本人の倫理意識には、いつも政治と道徳を一体化しようとするものがあって、だからユーモアが出てこない。 会田 マキアヴェリにある偽悪家的な性格にも、ルネサンス時代の、古い道徳意識に反抗しているマキアヴェリの姿勢があったからで、天然自然にそこまで成熟した、りっぱな男とも思えませんね。 開高 僕は偽善者というのは、ある意味で尊敬するときがありますね。なぜかというと、偽善というのは、つねに気を張っていなければつとまらない感情生活ですからね。これはつらいことだと思います。おそらく偽悪も同じことでしょう。使うエネルギーは同じで、ただ方向が違うだけだと思うんです。偽善にもならず、偽悪にもならず、小心翼々とした人物たちが、偉大な偽善者、偉大な偽悪者を描いてみようとか、筆の先に引っかけてみようとすると、これはつらいことですね。 会田 しかしマキアヴュリはおもしろいことに、偽善に徹した人間は尊敬してますね。ところがぼろを出すものだから怒る。偽悪者に対しても。どっちつかずをルネサンス人は軽蔑します。でも、善と知りつつ善をなさず、悪と知りつつ悪をなさない、これをいちばん軽蔑する。 開高 常住坐臥、全身目にしていなければならないわけですから、これはたまらない。 会田 ですからウェルナーという傭兵隊長が自分の胸甲に、「神、慈悲、憐欄の敵」と刻ませていたのも、そうしないと自分がささえきれたかったからだと思いますよ。
政治の芸術化 開高 当時の人民は、政治や政治家をどう見ていたんですか。 会田 将来を見通している政治家もいないし、はっきりした指導理念があるわけではないし、権力闘争に明け暮れていたわけですから、ばかにしていたでしょう。そのかわり政治に対する批判は、寸鉄人を刺すようなことばで、なかなか辛辣ですよ。しかし、それをひっくり返すまでにはならない。操縦するほうが、まだまだうわ手だったからでしょうね。 開高 そうすると、政治を道徳のひとつの形と考えないで、一種の技術、また芸術というように見ていたわけですか。 会田 それをマキアヴェリがとくに打ち出したんですね。政治と技術というよりも、ひとつの道徳や宗教から完全に独立した政治の世界だと考えますからね。世の中の常識や道徳から見れば、これ以上、上の人はないというような人が見事に失敗する。それから、非常に悪辣無惨で、こんな悪人はないというのがちゃんと君主になっておさまっている。あるいは、これは絶対信頼していいと思っていた男が、主人を裏切って殺してしまう。そうしたことをマキアヴュリは見ているんで、哲学だとか、道徳だとか、宗教だとか、そうしたものとは違った法則のようなものがあるだろう、それを見抜くぞ、見抜けたぞという自負があったのではないかと思いますね。もっともはっきりした理論体系とか、世界観の体系にまではいかない、見抜いたという感じね。命をかけて、相手と弁舌でやりとりする。マキアヴュリのうしろにはフィレンツェの興廃がかかっているんですから、じつに楽しかったでしょうね。 開高 革命家の生きがいはこれと同じでしょうね。平和になったらボヤッとしてしまいますよ。 会田 ところがマキアヴェリのかわいそうなのは、まだまだ能力があると思っていたのに、ボルジアが死んでしまって、自分を知ってくれる者はいなくなる、そして、まわりには安物の君主ばかり。しかも、その君主ですら自分を使ってくれない、呆然としたところがありますね。マキアヴュリ自身も知っていたのではないでしょうか、『君主論』がむなしい叫びのようなものであるということを。 開高 それはどういうことですか。マキアヴェリがやはり両刃の剣として恐れられていたからなのでしょうか。つまり、味方として使っている分にはいいけれど、その鋭さは、同時に敵にまわしたらこっちに切ってかかってくるものだという……。使いこなせなかったということですか。 会田 そうでしょうね。もうすこし使いこなせる者がいたらよかったのでしょうが、とほうもない人間ですから使い誤れば自分より上になりますからね。大ロレンツォぐらいだったら使いこなせたかもしれないでしょうけれど。 開高 さっき、当時の人民の、政治や政治家に対する話が出ましたが、マキアヴェリは人民というものをどう考えていたんでしょうね。 会田 これはちょっとむずかしい。共和主義者だという人と、君主政論者だという人と、人民に愛情をもっていたというのと、軽蔑していたという意見がありますからね。やはり矛盾していたのではないでしょうか。接していて、かわいくてしようがないというときと、この愚か者という憎しみとがあって、そのどちらともいえない。私利私欲にばかりとらわれている者にも腹が立つ。しかしそうばかにしていると、なんか偉い、こわいもので、力もあるし、民衆の英知のようなものも感じられて、どこか始末に困ったところがあったでしょうね。だからこの得体の知れない民衆をどうしようかというところが、楽しかったのではありませんか。この民衆というものの実体、むしろこれは開高さんから逆にお聞きしたいな。開高さんの『日本も三文オペラ』のように、たくましくて、どんなときでも生きていって、戦争になったら、平気で死んだ人問の死骸を剥いで、もうける。戦争になったら非常によろこんだ民衆がいたこともたしかですね。 開高 これはE・H・カーの『カール・マルクス』の結びの文句で、僕は忘れられないんですが、こう言っているんです。つまり、集団化の革命の時代を開いたのはマルクスだった。マルクスがはじめて集団というものを発見した。しかし、人間のなかには個別化の衝動というものがあって、これはすでに天性である。この個別化の革命が次にくるのだけれども、これに対しては、まだだれもなんの処方箋も書いていない、という意味のことです。それ以来これはずっと謎として残されているんですね。マキアヴュリの時代というのは個人の時代であって、集団というものはまだ発見されていなかったというのが、いちおうの通説ですね。しかし僕は、さっき会田さんがおっしゃったように、マキアヴェリは人民を一面ではたいへんに恐れていたと思いますけど。 会田 恐れていますね。プルクハルトが、ルネサンス時代は近代の雛形で、全部近代の実験例があると言ってます。といいますのは、ルネサソスの初期に、フィレンツェにチオンピの乱というのがあって、これはエソゲルスが最初のプロレタリア革命みたいなものだと言っているくらいで、ルンペン・プロレタリアと組織労働者とによる革命です。しかし惨憺たる失敗に終わった。なぜかというと、労働者のエゴイズム、それと原料を買うのも売るのも大商人のはずなのに、それを排除してしまった、つまり経営不在になったためですよ。マキアヴェリはそれを歴史上追体験していますから、人民を恐れていると同時に、これではいけないということもわかっていた。 開高 人民を決定的な要素として感じていたんでしょうね。 会田 かなり感じていると思いますよ。人心を掌握するということがいちばん大事だといっています。 開高 そのためには手段も選ばない。 会田 とにかく掌握しなければならない。それはしかし、おだてることも必要だし、なぐることも必要だし……。 開高 こっちの頭を切ったら、こっちの頭がとび出すという、ヒドラみたいな怪物のようには感じていなかったですか。 会田 それは当然でしょうね.だからそれをうわまわる、征服する。統御する力量が必要になる。知恵が要るわけですよ。それを自分はもっているんだというようなところがあったのではないでしょうか。だからそれがうまくいったときはおもしろい。当時の政治家には、混乱が多いほどおもしろがるというような、へんなところもありますからね。あまり簡単にいってしまったのでは楽しくないのですよ。大人物にぶつかるほど、その楽しみがふえる。 開高 大勝負ですからね。 会田 身ぶるいしたでしょう、恐怖と楽しさが入り混じっている。あのころは命があったら拾いものだという気がありますからね。チェリーニが言っているように、ちょっと散歩に行って、けんかして七人殺してきましたというような世界なんですから(笑)、われわれには想像できない世界ですよ。 開高 マイホーム時代にはなかなかわからないが、乱世になるとよくわかる。 会田 だからマキアヴェリのわかる人はマイホームでなしに…。 開高 治にいて乱を求むる人ですね。 会田 矛盾だらけの人間ですよ。 開高 やはり、芸術家といったらすこしあまい呼び方になりますが、芸術家にも非常に悪魔的な芸術家もいますから、そうした意味では、マキアヴェリも天性芸術家ですね。芸術家は博奕打ちみたいなもんですから、そういう人物は、ああした混沌期でないと、生きている気がしないのでしょうね。
力の政治と組織の政治 会田 マキアヴェリは、組織の力を見抜けなかったのですね。イタリアがフランスから攻められたとき、ひとたまりもなくやられてしまう。マキアヴェリはそれを見て、どんな偉い人間がその軍隊を組織しているのかと思ったでしょう。ところがその廷臣団というのが、ぶよぶよの坊主ばかりで、コンサルタントにもたいした人物がいるわけでもない。それではシャルル八世とはよほどの人間だろうと想像していたら、これが二十四歳、まったく自分では決断のできない、猫背の神経質な男なんですね。こんなぶよぶよの廷臣団と、こんな男が軍隊を組織してどうしてこんな大軍団で遠征してこられたのか、マキアヴェリにはわからないんです。それは組織の力なんですね、絶対主義の。ところがそれが見抜けなかった。マキアヴェリは、むしろイタリアにはシャルル八世よりもはるかに偉い人物がいる。あんなできの悪い人間でも、こんな力を発揮するのだったら、もっとりっぱな君主を置くことによってどんなことでもできるのではないかと思ったのではないでLようかね。その点でしたら、同時代の歴史家だったグィッチャルディーニのほうが上だと思います。マキアヴュリの友人ですが、位置はマキアヴェリよりもちょっと高かったから、組織まで見破れる場所に遭遇できた。この点、マキアヴュリには能力がありながらチャンスがなかったわけで、かわいそうなところですよ。 開高 会田さん、かりにボルジアがイタリアを統一していたらイタリア人民はどうなっていたでしょうか。 会田 マキアヴェリの立場からいえば、よかったでしょう、その瞬間は人民も苦しかったでしょうが。 開高 話がすこし飛びますけれど、全体制、独裁制のことですが、秦の始皇帝はどうして万里の長城を作ったかということを、小説のような形で書いたんですがね。僕の野心では、現代の全体主義と相呼応するひとつの寓話みたいな形で……。そのときはまだ僕も道徳主義、センチメンタリズムがおおいにありましてね。それで始皇帝を悪の革命家みたいに扱ったんです。それから北京へ行ったとき、北京の歴史博物館を見て歩いていると、長い髭をはやした始皇帝が、大きな額におさまって、麗々しくかかげてあった。博物館の館長がいろいろ説明してくれたんですが、その説明がすべて唯物史観の階級闘争論で、納得しきれないものが多い。まあそれはいいとして、始皇帝をこんなにりっぱにかかげてあるが、僕はじつは始皇帝を小説に書いて、ヒトラーも及ばぬくらいの悪玉で、全体主義の大親玉である……というようなことを言った。そうしたら、その館長はにこにこ笑って聞いてましたが、中国では始皇帝の評価はまだ決まっていませんと言う。六年ほど前の話ですよ。悪の親玉だということはわかりますし、認めますが、同時に彼は中国史上はじめて全国統一をした政治家だった。それは中国にとって貴重なものなんだと言うんです。全国統一することは、あの膨大な大陸では、政治家の最上の美徳なんですね。それで、いかなる善政を施そうとも、全土を統一しなければだめなんだという価値観があるらしい。日本のばあいは、とっくの昔にすんでしまっていて、内戦の苦悩というものを経てきていない。兄弟殺しだとか、国内分裂の闘争のね。それでその苦悩というものは、これはなににもまさる悪なんだという意識は全然ない。純潔なんです。単一民族がひとつの政府をひっくり返してやろうか、もちこたえてやろうかという発想法だけなんです。ところがあの大陸にはごく近世まで、帝国が無数にあった。そのときになって僕は、中国史の苦悩の一端にやっと触れたような気がしました。イタリアのばあいは言語、文物、尺度が同じだったのでしょうから、ボルジアの統一を始皇帝の中国統一とは比べられないでしょうが、悪政を行なったとしても、統一は果たせたのではないかと思います。そうしたら汚名からまぬがれていくところが多かったのではないでしょうかね。
鳩と蛇の教訓 会田 ところが日本は島国で、ちょうど大きさが統一指向的で、努力しなくても統一ができた。統一というものが、どんなに必要であり、正裏なことか、日本人には全然わからない。マキヴュアリには、ボルジアだろうがなんだろうが、ここで統一しなければ、イタリアはめちゃくちゃになるだろうという見通しが十分あったわけです。この点は民衆にはわかりませんから、生活のほうばかりを大事にしている。そんなとき、この統一のためなら、もうなにをやってもよろしい。統一が最大のもの、唯一無二で、ほかの価値はまったく下だという、これがわからないのかというくやしさがあったのではないか。また、現実に統一できなかったからこそ、あとでイタリアは悲惨なことになってしまいますね。そうしたことがわからずに、ただ、道徳主義だけによってマキアヴェリをかたづけることは、たいへん一面的で危険なことですよ。僕は、マキアヴェリというのは、いわば昔の人で、毒されていないところがあるでしょう、へんな体系主義ということからまぬがれています。ですからそれは、もう一度マキアヴェリを回復してほしいのですよ。現代はニュートン物理学の時代と違って、相対性の時代なんですから、精神科学だけがニュートン哲学みたいな真理を追いかけていたのでは、どうにもならない。マキアヴェリの相対主義の上に立って……そして腰をすえてほしいと思いますね。 開高 そうね、マキアヴェリから得る教訓を、現代式に当てはめることばでむりやりに当ててみれば、鳩のごとくやさしく、蛇のごとく聡かれというほかないでしょうね。 会田 日本は、どっちかに徹する顔をしたがるからいけないですよ。極端にいえば、毒を全身に受けよということですね。 開高 無菌培養ばかりしていたら、人間はますます弱くなってしまいますからね。
(昭和四十一年九月二十八日 虎の門「福田家」にて))
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