仕事や私事で数日にわたりバタバタしていたため、世界戦略情報誌『みち』が主催している、まほろば会を先月に続いて今月も欠席、ブログ更新も滞ってしまった。仕事の方は先ほど漸く解放されたので、以下、筆の流れるまま、感じたことや考えたことを書き連ねておこう。
最初に、前稿の「森友狂想曲」を書いた後も、相も変わらず森友学園問題を追いかけているブロガー達の記事を読みながら、脳裏に浮かんだのが「同じ穴の狢」という諺であった。何を言いたいのかと言うと、最近までの亀さんは、彼らブロガーと思想的基盤を共有しているものとばかり思っていた。つまり、亀さんが愛読していたのは、大手マスコミを批判していたブログが中心だったのだが、森友学園問題を境に、そうしたブログのブロガーらは、いつの間にか大手マスコミの太鼓持ちになっていた…。そのうち、産経新聞、読売新聞、朝日新聞、赤旗、聖教新聞は言うに及ばず、NHKや民放のワイドショー(NHKも「ごごナマ」というワイドショーを近くスタート)からも、そうしたブロガーらに〝お声〟がかかる日が近いのではないか…(嗤)。おっと、新井信介氏のように、ネオコン新聞の代表である産経新聞のインタビューを、疾うの昔に受けているブロガーもいた…(爆)。
しかし、政治や経済以外なら、NHKも民放もソコソコ頑張っているのだ。たとえばNHKの「ファミリーヒストリー」、数日前に最終回を迎えた番組である。学界などの広告塔を登場させたり、登場ゲストの腹黒さや悪業を暴くこともなく、単なる御涙頂戴(おなみだちょうだい)的な番組に仕上げているなど、気に入らない点も多々あったものの、基本的には良い番組だったと思う。数日前に放送された「最終回スペシャル 名場面集」、これも最終回に相応しい、ナカナカ良い番組であった。特に、夭折した画家・島村洋二郎についての物語には感動した。

島村洋二郎は己れの消えゆく命の短さを悟っていたのか、1953年に三歳の息子をアメリカ人夫妻の養子に出している。1953年と言えば亀さんが生まれた年で、その頃の日本は、戦争が終わって間もないということもあり、大変貧しい国だったのである。

そのアメリカに渡った島村洋二郎の息子の消息を長年にわたり探していた、島村洋二郎の姪・島村直子さんが同番組に登場、以下は番組のシーンの一部だ。なお、島村さんは今年1月の東京新聞にも登場した。



 http://www.tokyo-np.co.jp/article/chiba/list/201701/CK2017012102000156.html
【別報1】

 今朝の東京新聞に載った吉永小百合の「私の十本」(7)。
【別報2】 かつて、今東光和尚が新聞を購読する理由について、以下のように書いていた。
俺が新聞を購読しているのは、赤旗と何等論調が変わるところのない、政治や経済の記事を読むためではなくて、新刊本の案内や書評を読むためなんだ。
爾来、亀さんも和尚に倣い、基本的に新聞の書評欄や本の広告には、必ず目を通すようにしているが、今朝の東京新聞の書評欄「書く人」に、是非読んでみたいという衝動に駆られた本があった。

直ぐにも入手して読みたいところだが、記事にも出てくるゲーテの『ゲーテ形態学論集 植物篇』(木村直司訳 ちくま学芸文庫)が積ん読のままだ。これを読了してから手に入れたいと思う。ところて、何故にゲーテなのかという点については、拙稿「生命記憶を探る旅」を参照されたい。
ゲーテは生の本質を太陽系の描く螺旋状道に乗って「食と性」の位相を交替させる「果てしない波の連なり」と見抜いていました。我々ヒトを含めた動物は、春夏秋冬の宇宙のリズムと共振し、発情もすれば休眠もし、またうきうきしたり悲嘆にくれたりもするのです。
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