戦後の早い時期にGHQが日本国憲法を起草、その後に起きた砂川紛争で、日米安保条約といった上次元の問題については、憲法判断をしなくてもよいという判決(統治行為論)を最高裁が下している。それからというもの、つい最近までの日本人は文字通り米国の〝奴隷〟であった。そのあたりの明白な証拠が、『ニホンという滅び行く国に生まれた若い君たちへ』に書かれている。
ニホンの重要な法律は日米合同委員会で決定される。 (p.35)

この米国ネオコンによる日本支配が、未来永劫に続くものと誰しもが諦めかけていた時、安倍晋三首相が米国を訪問、トランプ大統領から熱烈な歓迎を受けたのである。そしてそれは、日本に巣食っていた米国ネオコンの追放を意味していた。拙稿「中国への連携対応」でも述べたように、〝奴隷根性〟が未だに抜け切れない副島隆彦などは、安倍首相がトランプ大統領に約束した51兆円は、投資ではなくて朝貢だと思っているようで、日米の関係が大きく変化したのを未だに理解できない副島のような〝識者〟が、今の日本では多数派を占めているのだ。これは、彼らに大局観が欠けているためなのだが、それはともかく、ネオコンを斬り捨てた安倍晋三首相は、どれだけ評価しても評価しすぎるということはなく、われわれは奴隷から半奴隷へと〝昇格〟したのである。
さて、最近の掲示板「放知技」のアクセスが急増したと、管理者である飯山一郎さんの報告があった(以下の投稿参照)。これは、日米の間で本当は何が起きたのか、あるいは起きているのかについて、本当のことを知りたいという人たちが、少しずつ増えてきたためなのかも知れず、良い徴候と云えるだろう。また、霞ヶ関からのアクセスも急増しているとのことだ(嗤)。
 http://grnba.bbs.fc2.com/reply/16034724/671/
さらに、上の投稿で刮目すべきは、赤枠で囲んだ箇所である。
1.「政治」は,個人的な「好き嫌い」や「善悪」を排除して語るべし! >>324 2.「ヤツは敵だ.敵は殺せ!」 ←これが政治の本質. >>325 3.先ずは,「敵か?味方か?」 ←これを基準にして「政治」を語るべし! >>328 4.「政治」を語るには,「政治」を語る基準がある >>361 5.「清濁」「善悪」「好き嫌い」でしか政治を語れない日本知識人 >>363 6.「政治」を語るということは,「国家」を語ることである! >>370 7.新井信介氏を叱る >>394

ダイナミックな国際政治を正確に追っていくためには、正しい大局観を身につけると同時に、政治というものを冷静かつ客観的に見ていく視座も必要となる。そのあたりが上記の1~7で語られているわけだが、その核となっているのがマキアヴェッリだ。副島ら〝識者〟らは大局観に欠けているのみならず、マキャヴェリズムにも欠けているのだ。だから、浪花節という主観的な物差しで、未だに世界の政治を見ているということになる(嗤)。
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