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人生は冥土までの暇潰し

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人生は冥土までの暇潰し
亀さんは政治や歴史を主テーマにしたブログを開設しているんだけど、面白くないのか読んでくれる地元の親戚や知人はゼロ。そこで、身近な話題を主テーマに、熊さん八っつぁん的なブログを開設してみた…。
駕籠を担ぐ人・造る人
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ここ関東圏は数日にわたって晴天が続いたこともあり、連日30分~1時間の太陽凝視を実施、お陰様で連日10時間以上パソコンと睨めっこという、〝苛酷な〟生活を送っているのにもかかわらず、目の疲れはまったくない。昨日のテレビの天気予報によれば、今日は雨ということで太陽凝視は久しぶりに休みかと思っていたが、どうやら昼頃までは太陽が顔を覗かせるらしい。だから、太陽が雲に隠れてしまうまでに、30分ほど太陽凝視をやるつもりだ。なお、太陽を直視している間は、今でも上半身裸で日光浴も同時に行っているので、まさに一石二鳥である。来月から師走というのに日光浴とは、「変なおっさん」と近所の人は思っているんだろうが…(爆)。

ところで、四日前に「森への誘い」をアップしたところ、てくのぱぱさんを始め、数名の読者が参加したいと申し出てくれた。5月下旬と言うと半年以上先だが、それまでに日本が保っている可能性は五分五分と亀さんは見ている。つまり、来年5月までに戦争屋vs.中露連合による核戦争、世界大恐慌、円の大暴落、あるいは関連の問題が起こる恐れが多分にあるのだが、その時はその時である。それよりも、に気づいた人たちと実際に顔を合わせることで、決して自分は独りではないという認識を新たにし、お互いの連帯感を生み出して欲しいと思うのだ。その点、読者の一人が来年の5月の集いについて、「希望の光を見出した」と書いてくれたのは嬉しかった。

その飯能で、年一回の祭りが11月5日から6日にかけて行われた。京都で学生生活を送っている上の息子が、講義の絡みで飯能まつりを取材するということで帰省、祭りの合間に近所の居酒屋で半年ぶりに酒を酌み交わした(「息子との語らい」参照)。息子は大学の文学部文化史学科に所属していることから、祭り調査を兼ねての帰省だったようだ。

酔いが回るにつれ、隣の日高市で今年盛大に行われている「高麗郡建郡1300年」に話題がおよび、拙稿「まぼろしの古都」で紹介した本、『高麗王若光物語』について言及したところ、ナント同書を著した高麗文康氏は、息子が合気道を教わった師範だったという。亀さんは息子が小学校低学年あたりまでは、上さんと交替で子どもたちを道場まで連れて行き、稽古が終わるまで道場で見守り、それから連れて帰っていたのだが、道場では二人の師範が交替で子どもたちに合気道を教えていた。だから、若い方の師範のことも良く覚えており、改めてネットで高麗師範を拝見、懐かしく思った。ちなみに高麗師範は、若光から数えて60代目の直孫であり、現在は高麗神社宮司でもある。

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http://www.mindan.org/kr/front/newsDetail.php?category=6&newsid=12839



話題が先月訪れた青州に及んだ。来年の2月上旬には卒業試験も終わり、あとは3月中旬の卒業式を待つばかりというので、卒業祝いに関空・青島往復切符をプレゼントするから、最低一週間の予定で青州に行ってこいと嗾けた。それまでに円が暴落していなければ、青州で自分の銀行口座を開設してくるようにと、アドバイスしたのは勿論である。その時期に飯山さんが青州にいるかどうかは分からないものの、野崎(晃市)博士は確実にいるはずなので、青州と日本との深い繋がりを含め、野崎博士からじっくりと青州史の講義を受けてこいと、息子の背中を押した次第である。

ところで、亀さん家では代々〝駕籠〟に関係した仕事が、何故か家職のようになっているのに、居酒屋で息子と語らいながら気づいた。亀さんの父方の祖父は運送業という駕籠担ぎを営んでいたし、父は国鉄という駕籠担ぎであった。そして亀さんは本田技研で自動車という駕籠造りに従事、今では翻訳の仕事をしているが、依頼の多くが自動車を中心とした駕籠関係の翻訳である。そして、ナント息子も駕籠担ぎの大手企業に内定、これで四代にわたって駕籠に纏わる仕事ということで、何とも不思議な気がする。そうなると、亀さんの曾祖父や高祖父の職業が何だったのか気になってきた(お恥ずかしいことに未だに知らない…)。幸い、90歳を超える伯母が元気なので、近く聞いてくるつもりだ。

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コメント

亀先輩、おはようございます。

石北貨物 DD51 あんな坂こんな坂

http://youtu.be/RGZnik_veNs

息子さん、頑張ってください。

[2016/11/08 07:34] URL | 成田 #- [ 編集 ]

ありがとうございます!
素晴らしい応援歌になりそうでりす。

それにしても、京都ではお世話になりました。堺のおっさんが大阪百済ツアーを企画しましたら、また一緒しませう。

亀さん
[2016/11/08 07:54] URL | 亀さん #FlJCcfGk [ 編集 ]

とても興味深いお話 有難う御座います
亀さん
ご無沙汰してます だいぶ寒くなって来ましたね~~~
こちらソウルも 結構冷え込んで、夜半には、
はく息が白くなりました(さぶぅ チベットの方がもっとさぶいですよね^^;

さて、高麗師範との縁、そして師範のお話、聞き入ってしまいました。

私は東京生まれの東京育ち、祖父は群馬、祖母は岡山
祖母の実家(岡山県新見市のもっと田舎のからまつ)が、
私にとって本物の『故郷』という認識でした。

中学に上がってから、ほんのガキんちょでしたが、
都会の生活は人間として間違っている!!などと真剣に悩んでいました。

故郷願望とでも言うのでしょうか?
どうにも抑えきれない感情に突き動かされて、
当時、絶滅の危機に瀕していた、天然の『タナゴ』にひと目逢いたくて
名栗川、高麗川、入間川など休みの度に通っていました。

昨日まで、私が何に導かれて訪れたのかはわかりませんでした・・・
その何かの糸口が少し掴めたような師範のおはなしでした。
それは、青州に降り立った時にも感じたものでした・・・

次回お目に掛かる時に、こんな話も酒の肴にしながら一杯やりたいですぅ~~~~

貴重なお話、有難う御座いました。
[2016/11/08 23:13] URL | しょうりん #- [ 編集 ]

亀さん家のルーツについて
しょうりんさん、ご無沙汰しております。それにしても、息子に言われるまでは、息子に合気道を教えてくれた師範の一人が、高麗神社の宮司だったとは全く気づきませんでした (^^);

なを、高麗師範の説明は日本の定説そのままなので、飯山さんの史観と整合させて聞く必要がありますね。それにしても、高麗王若光の子孫である高麗氏にして、定説の域を出ていないのですから、飯山史観が日本の定説となるまでには、途方もない時間がかかるなと、高麗氏のYouTubeを見ながら思ったものです。

それはさておき、己れのルーツを知りたいという願望は、しょうりんさん同様に小生も年輪を重ねる毎に強まってきています。NHKの「ファミリーヒストリー」のゲストも、同じように感じていることが手に取るように分かります。その意味で、今度お会いした時は互いの遠祖について、語り合えればと願っています。

小生の父方のルーツは三重県亀山市の隣にある鈴鹿市だと、皇統に詳しい人物から聞き及んでおり、『鈴鹿市史』(第一~五巻および通史編含む)を数年前に入手済みです。しかし、その後は本業に追われているため、未だに同書を紐解く時間が取れていません。

母方のルーツは未だ調べていません。現在分かっているのは拙稿「母方のルーツ」に書いてある程度です。掘り下げていけば、もしかしたら渡来人に繋がるかもしれません。
http://toneri2672.blog.fc2.com/blog-entry-851.html

ともあれ、除籍謄本を入手してどうにか幕末あたりの祖先が分かったし、父からのルーツが分かる菩提寺では、「八兵衛」というご先祖様が、1704年に亡くなったという記録が墓石に刻み込まれていましたので、そのあたりを手がかりに調べていけそうです。ただ、1600年代以前となると皆目分かりません。しかし、さらに時代を遡ると意外に分かるようで、YouTubeにあった高麗建都の時期、拙宅の遠祖は鈴鹿市にいたという、一本の細い糸を掴みました。これを手がかりに、時間が取れたら調べたいと思いつつ、十年が過ぎてしまいました。

亀さん拝
[2016/11/09 03:29] URL | 亀さん #FlJCcfGk [ 編集 ]

追記
しょうりんさん、「八兵衛」で拙ブログを検索してみたところ、以下の拙稿がヒットしました。
「八兵衛」
http://toneri2672.blog.fc2.com/blog-entry-702.html

同記事に出てくる「八兵衛」は〝最近〟の「八兵衛」で、1704年に逝去した「八兵衛」とは別人です。なお、今確認したところ「1704年に逝去した八兵衛」というのは勘違いで、施主・久三郎が母親(または妻?)と思われる女性を、宝永5年に埋葬したと思われる記録がありました。つまり、宝永5年(1708年)が、墓石から読み取れる最も古い年代ということになります。
[2016/11/09 04:01] URL | 亀さん #FlJCcfGk [ 編集 ]


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