野崎晃市さんのブログ記事「山東省が輩出した哲学・思想家たち」を読んだ。文は人なりと言うが、野崎さんの一連のブログ記事を読むに、つくづく文章は人となりを反映する鏡であると痛切するのだ。野崎さんのブログ記事には血が通っており、自分の足で歩き、自分の目で見たことを、素直に書き連ねているのが分かるのだ。そうした野崎さんを見て、〝歩く思想家〟と呼びたい衝動に駆られるのは、何も亀さんだけではあるまい。以下の行を一読いただきたい。
日本の哲学・思想研究は文献学に偏りすぎていて、中国の春秋戦国時代の研究者でもこれらの哲学者たちが育った現地に赴いて調査する例は少ない。しかし、これら哲学者や思想家の発言は育った環境や土地と密接に関係していることが少なくない。現地に行けば思わぬ発見や、その土地でしか伝わっていない逸話が聞けることもある。
実は同記事に梅棹(忠夫)先生が登場している。どうやら、野崎さんは梅棹先生の教え子のようだ。なるほど、野崎さんが〝歩く思想家〟となり得たのも、梅棹先生の薫陶を受けたあたりにありそうだ。

そうであれば、野崎さんは梅棹先生も深く関与した、『大興安嶺探検』(今西錦司編集 朝日文庫)をすでに目を通しているのではないだろうか。
7年ほど前になるが、亀さんは佐々木良昭さん(ブログ「中東TODAY)に初めてお会いしている。ツランについての意見交換が目的だったのだが、その時に出席者の一人から、ツラン研究にあたり欠かせない一冊の本を紹介していただいている。それが上述の『大興安嶺探検』で、同署の何について語り合ったのかについては、当時の記録が残っているので以下に再掲しておこう。
・『大興安嶺探検』(今西錦司編集 朝日文庫)という本がある。この本の説明書きに「1942年、自由の天地を求めて若き探検家グループ21名は、憧れの大地へ飛び出して行った―。日本の生態学の第一人者で探検家でもある今西錦司を隊長に、森下正明、吉良竜夫、川喜田二郎、梅棹忠夫、藤田和夫ら、現在、アカデミズムの頂点に立つ諸氏の青春時代の探検記録」(アマゾンドットコムより抜粋)とあるように、戦前に行った調査である点に注目したい。今西らはツランについて熟知していたのであるが、戦後はGHQによって今岡十一郎の著した『ツラン民族圏』が発禁扱いになっていることから分かるように、戦後は公にツランについて研究できなくなった。だから、その後今西、梅棹、川北らはツランについて触れていない。
また、北朝鮮事情に詳しい別の出席者は、以下の情報も提供してくれた。
・白頭山信仰に繋がる「シベリア・シャーマニズム」を研究していたのが今西錦司、梅棹忠夫らであった。従って、今西らは大本教に関係していた。
山東省の生んだ晏子、孔子、孫子、墨子、孟子といった思想家・戦略家縁の地を訪ねる傍ら、できれば大興安嶺にも一度は足を運んでいただき、ツランと絡めた現地レポートをしてもらえたら嬉しいのだが…。
 経棚―馬架子 大興安嶺山脈をバックに一路西へと向かう重連貨物(2005/02/11)

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