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人生は冥土までの暇潰し
亀さんは政治や歴史を主テーマにしたブログを開設しているんだけど、面白くないのか読んでくれる地元の親戚や知人はゼロ。そこで、身近な話題を主テーマに、熊さん八っつぁん的なブログを開設してみた…。
洞察歯観のすすめ(18)
この夏は信州の山里に籠もっていたという、歯科&音楽ウォッチャーさんから便りが届いた。今回はビートルズと坂本九の話がメインなのだが、音楽業界の裏に詳しい歯科&音楽ウォッチャーさんの話だけに、興味津々といった読者も多いはずだ。

歯科&音楽ウォッチャーさん、次回は是非、「上を向いて歩こう」の謎解きをお願い!

少々・・・ご無沙汰いたしております。お変わりないでしょうか!
この夏は山里に籠もっておりました。寅さんの言葉を借りれば、「ちょいと訳あり」で仕事を休んで山籠もりをしておりまして、野良仕事&DIYな毎日を送って汗まみれになって労働しておりました。
山籠もりの最中は、アナログな毎日で、情報はラジオ。音の楽しみは、山鳥と蝉の声。そして、レコード。
食事は毎度のことながら1日1食。不思議なことにこのところ、体を動かせば動かすほどに食べなくてもエネルギーが続き、それどころか、汗まみれで動いていても大して喉の渇きを感じない。その上、炎天下散歩が気持ちよくてしょうがない。山里から街へ戻る途中、久しぶりに諏訪に立ち寄り、照りつける太陽の下、諏訪湖を一回り歩いてきました。

山里でのDIYな毎日は、四畳半倉庫の内装アレンジと押し入れの改造。網戸の張り替え・・・等々しておりましたが、予定していた作業がほぼ出来上がり一段落しました。食事は玄米と例の玄米ポップ。知り合いの農家からもらった野菜にトウモロコシなどですが、トウモロコシが思いの外美味しいもので、塩ゆでにした後、豆乳と一緒にしてジューサーミキサーでコーンスープに。
これに粗塩を一つまみ入れて食べるとトウモロコシの甘みと粗塩の刺激が絡み合ってなかなか美味。1日1食。このスープ一皿だけでも十分満足できます。

山籠もりしているところに、街からはるばる車を走らせて友人が酒とスイカを手土産に遊びに来てくれたので、久しぶりに夏祭りに出かけて野外コンサートなどビール片手に楽しんできました。コンサートといってもアマチュアバンドの祭りイベント・ライブなんですが、懐メロナンバーでそこそこ盛り上がっておりました。前半は、「ベンチャーズ」に「ビートルズ」。後半は、昭和歌謡。ラストの二曲が「真っ赤な太陽」と「上を向いて歩こう」。坂本九のナンバーは、大合唱とまではいきませんでしたが、その昔、ナウなヤングだった・・・おじさん、おばさんたちが楽しそうに歌っておりました。
ベンチャーズやビートルズというと、亀さんも懐かしく思い浮かべるメロディーがいくつかあるのではないでしょうか。

ビートルズといえば・・・以前、亀さんがブログ上で栗本慎一郎・著「パンツを脱いだサル」を取り上げておりましたが・・・四畳半倉庫の段ボールを片づけていたところ、その「パンツ~」が出てきまして、少々懐かしくパラパラと読み返してみました。本の間に三つ折りの黄ばんだニュースレターが挟んであり、これは何だろうかと思いつつ広げてみると、こちらも懐かしいビートルズ関連の記事内容。(これが、なかなか興味深い)

街から来た友人との話しは、中古アナログ(レコード)売買の情報交換が中心だったのですが・・・このところビートルズ関連の中古アナログ価格が上がってきているようなので、少々高値で売れそうなものは今のうちにピックアップして出してしまおうというわけです。(目が飛び出るほどの高値のつきそうなお宝レコードは残念ながら持ち合わせておりませんが、当面の酒代と古都・温泉一泊旅行の旅費ぐらいにはなりそうです)
中古アナログ買い取り店をあれこれと調べてみると、例えば ,LP[レット・イット・ビー](東芝音楽工業 AP-9009 初回BOX赤盤)であれば、(盤面、ジャケットの傷みがなければ)・・・10万円前後で買い取ってくれるところもあります。
たかがアナログ円盤ではありますが、亀さんも家の中を探せば・・・もしかすると押し入れの奥に、お宝レコードが埃を被って寝ているかも知れません。

さて、「パンツ~」からこぼれ出たセピア色になりかかったニュースレターの記事ですが、これは、米国ジャーナリストのポール・ゴールドスタインとジェフリー・スタインバーグが1991年(平成3年)10月15日号に記したものです。下記 全文を紹介します。
「新時代の寵児 オノ・ヨーコ当編集局は、ソニーがコロンビア映画を、松下電器がMCAを買収した際も、このままでは日本が邪悪な新イスラエル・マフィアの牛耳るハリウッドの「文化産業」に取り込まれてしまうと警告した。今や、ソフトコアポルノ・ロックのスター歌手、マドンナが日本のテレビで大もてである。彼女のミュージックビデオはキリスト教への冒涜であるとひんしゅくを買った代物であり、日本の若者たちのあこがれの対象となる資格は持ち合わせていない。マドンナに輪を掛けた悪が、日本の尻軽女、オノ・ヨーコだ。当年とって58歳のヨーコは、一流銀行家の娘である。子供の頃から、学習院や三井アカデミーなどブルジョア学校で学び、皇族の一人とも親交を結んだ。
1952年、二度目の渡米生活の時、ニューヨークのサラ・ローレンス大学に入学し、勃興しつつあったアバンギャルドの「ビートニック」の洗礼を受けた。大学時代に麻薬を覚え、何回かの中絶をするなどみだれた男女関係を経た後、一柳俊というニューヨークのジュリアード音楽院の学生と結婚した。二人は麻薬の巣窟、グリニッジ・ビレッジのジャズ界に入り浸りとなった。その結婚生活もヨーコが、ホモの作家といい仲になったことから破局を迎えた。
1962年になって、ヨーコの家族は娘をこのすさんだ生活から救おうとして日本に呼び戻したが、ヨーコはまたもや自殺を図り、東京の精神病院に収容された。その精神病院からヨーコの脱出の手助けをしたのが、トニー・コックスというアメリカの麻薬売人である。コックスは、とあるユダヤ教司祭の息子と手を結んで麻薬の製造と密売を行った男で、ニューヨークにおけるLSD-25の売人第一号でもある。ヨーコの友人にも手広くLSDを売りさばき、FBIとマフィアの追跡から逃れて日本に渡ってきたとき、ヨーコと再会し結婚する。その時点で法的には、ヨーコは未だに最初の夫の妻であったにもかかわらずである。ニューヨークに舞い戻った二人は、幻覚症状を催す麻薬とアバンギャルド芸術の世界に憂き身をやつすことになる。
日本を発つ直前に、ヨーコは「グレープ・フルーツ」と題する詩集を出版した。その中には次のような一説がある。「愛した男のすべてを殺せ。遺骨は箱に詰め、花を付けて海に流せ」
トニーとヨーコは赤貧洗うがごとき生活を送り、夫婦げんかも絶えなかった。1966年には、ロンドンに行き、アバンギャルド会議に出席した後、1年ほど滞在し、麻薬とロックとセックスの裏文化の中にどっぷりつかることになった。当時の裏文化のメッカはインディカ・ギャラリーの界隈であり、このインディカ・ギャラリーと称するカフェ兼アート・センターを始めたのが、ジョン・ダンバーとその妻のロック・スター歌手のマリアンヌ・フェイスフル、およびビートルズのメンバーのポール・マッカートニーであった。
そこでヨーコは、ジョン・レノンに紹介される。その後の数ヶ月、ロンドンのあたりでレノンと遊び回るうちに、ヨーコはすでに妻子ある身のこの花形ロック・スターを丸め込んでしまう。レノンはヨーコとつきあう以前からすでにLSD-25の常用者だった。ヨーコと一緒になったレノンはローリング・ストーンズ等のロックミュージシャンを巻き込んで手当たり次第に色々な麻薬を試すようになった。当然のことながら、レノンもヨーコも麻薬中毒者に転落した。
その頃になると、ヨーコはオカルトに夢中になり、専属のタロット占い師を雇うまでになった。70年代後半には、コロンビアのカルタヘナ島に行き占い師の会社、リサ・ザ・ウィッチに一週間通った。
長年にわたる麻薬とオカルトへの異常な関心の結果、1980年のジョン・レノン暗殺事件の当時は、ヨーコは新時代の退廃的な哲学に夢中になっていた。相変わらず手の施しようもない麻薬中毒であった。進んで、麻薬・ロック・セックスの裏文化に入り、今やその道に掛けては世界的に有数な伝道者とも言える人物になっている。ヨーコこそ、まさに日本の新時代の寵児と言えよう。
解説
NTTがよくテレビや新聞でのPRにオノ・ヨーコを使っている。ただ知名度だけで使用するのは危険である。その背後に恐るべき意図が働いている」

「パンツ~」とこのニュースレター記事を合わせ読んで、更に、ピーター・マッケイブ&ロバート・ショーンフェルド著、「ビートルズの不思議な旅」。
トニー・サンチェス著、「悪魔を哀れむ歌」 等から登場人物を抜き出してジグソーパズルのように組み合わせてみると、今まで気づかなかった(見えそうで見えなかった)音楽業界における麻薬連鎖の様子が多少なりとも浮かび上がってくるように思います。
音を楽しむと書いて・・・音楽ですが、楽しんで聴いている音に何か異質なものが寄り添っている場合もあるのかも知れません。

ビートルズの来日武道館公演の決定についてのエピソードが「パンツ~」に記されておりましたが、ビートルズを日本の若者たちの心奥に(良くも悪くも)入れ墨した仕掛け人の一人は、音楽雑誌「ミュージック・ライフ」の星加ルミ子記者であったのではと考えますが、星加記者の60年代ビートルズ取材エピソードなどをみると、そこにも興味深い人間関係を発見することが出来ます。
ミュージック・ライフ 1965年(昭和40年)8月号。(星加記者がビートルズ4人と撮った写真が表紙)
これが押し入れに眠っていたら、マニアが高値で引き取ってくれるかも知れません。


追記

夏祭りで聴いた「上を向いて歩こう」は、1963年(昭和38年)6月15日、「SUKIYAKI」のタイトルで全米チャートにおいてトップに躍り出て、その後、三週間トップの座を守り続けミリオンセラーとなり、全米レコード協会からゴールドディスクを受賞。そして、この曲はヨーロッパへ飛び火して、更にイスラエルにおいてもナンバーワンとなり、日本語で歌われる「上を向いて歩こう」が世界的ヒット・ソングとして知られるようになる。
同時期、英国で火がついたビートルズ。一大マーケットである米国へと売り込んでみたものの、米キャピトル・レコードは、「ものにはならないだろう」と門前払い。やむなく、シカゴにある弱小レーベルからドーナツ盤で「プリーズ・プリーズ・ミー」を発売したもののマッチ1本ほどの炎にもならなかった。それとは対照的に坂本九の人気はうなぎ登り。当時、テレビの人気番組「スティーブ・アレン・ショー」にゲスト出演のため渡米。ロスの空港に降り立ったとき1万人からのファンが待ち受けており、身動きできないありさまだったという。
・・・上を向いて歩こう 世界を魅了したその理由は何であったのか・・・!考えるほどに眠れなくなりそうなので、そろそろ寝ます。




【追伸】
その後、歯科&音楽ウォッチャーさんから以下の連絡があった。次回が楽しみ…!

「上を向いて歩こう」は、永六輔・中村八代コンビが曲を作り、坂本九が歌うことで世に出たもので、中村八代は中国は青島の生まれです。


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