昨日は旧盆の入り、家族と車で菩提寺に行き、ご先祖様に手を合わせてきた。日に日に悪化するフクイチであるにも拘わらず、今年も再び旧盆を迎えることができたことは、滅法界嬉しい。
昨年の今頃、すなわち拙稿「日本最後の旧盆」を書いた当時、今年の旧盆を迎えられる可能性は極めて低く、少なくとも東日本の場合、梅雨明け頃には首都圏が麻痺、旧盆を迎える頃には原始生活に突入しているだろうと、〝最悪の事態〟を想定していたのだが、今のところ想定していたよりも〝軽傷〟で事は推移しており、表立って物流に大きな支障を来していないようだ。 今上陛下の〝奇蹟〟
夕方になって、正月以来久しぶりに兄弟が集まり、互いの半年間の近状報告を交わした。その後、今年も政治経済の話題で盛り上がったが、やがてお互いの健康についての話題に切り替わった。一人の弟は最近の検診で、身体のあちこちに20個以上ものポリープが見つかったと告白してくれた。
もう一人の弟の場合はさらに最悪で、検診でガンが見つかったとのこと。しかも、すでにステージ4に突入しており、医者からは余命数年と宣告されたようだ。その弟、「人生で思い残すはない」と、泰然と振る舞うのであった。何故か?
弟の場合、若い頃からギャンブルにのめり込み、ギャンブル好きが昂じて、ついにはギャンブルそのものを仕事にしてしまった男である。思い起こせば、亀さんが子どもの頃は家に麻雀卓が2台あり、父の同僚が大勢家に押しかけて来ては、ワイワイガヤガヤと卓を囲んでいたものである。そして、3人兄弟の中で最も熱心に父や父の同僚の麻雀を見ていたのが、今回ガンを宣告された弟だ。今にして思えば、そうした子ども時代の麻雀との出会いが、弟をしてギャンブルに目覚めさせたのだろう。
埼玉県所沢市の高校に進学してからの弟は、今度はパチンコにのめり込み、授業をサボっては、駅前のパチンコ店に通っていたようだ。その高校は県立高校だったが、当時は私服が認められていたこともあり、店員は高校生かどうかの見分けが付かなかった。たがら、堂々とパチンコ店に入り浸ることができたというわけだ。新台が入ろうものなら、その日の学校の教室は、どこもかしこも閑古鳥が鳴いていたという。
高校を卒業してからの弟は、海外を放浪していた愚兄の亀さんを見倣ってか、料理専門学校に通い、調理師の免状を取って卒業したかと思ったら、今度は国内放浪の旅に出た。旅の途中、京都で知り合ったという、小指のないヤーさんと意気投合、その後も一緒に旅を続け、最終目的地の沖縄に到着、すっかり沖縄が気に入ってしまった弟は、職を転々としながらも、そのまま沖縄に居座ってしまったというわけでである。
沖縄での弟は、バーテンダー、沖仲仕などを体験しているが、なかでも工事現場監督としての体験談は壮絶だ。一緒に働く本土からの男たちのほとんどは、本土に居られなくなって、沖縄に逃れてきた小指のない男たちであり、弟は連中と一緒に文字通りのタコ部屋で、寝起きをともにしたという。仕事の後は、連中と卓を囲むことも多かったようだが、流石に麻雀に強い連中が多く、そうした連中と卓を囲むことで、相当麻雀の腕を上げたようだ。そうした一癖も二癖もある連中を、二十代の頃に取り纏めてきたのだから、これは胆力がつくわけである。
弟は競馬にも狂った。競馬新聞は隅から隅まで目を通し、書き込みで新聞が真っ赤になったという。その後の弟は結婚をしたが、ナント新居は府中市の東京競馬場近くを選んでいる。
このように弟は、ギャンブルというものに、徹底的に打ち込んできたからなのだろう、ギャンブルを通じて、人生というもの、人間というものが、もう十分に分かったから、いつ死んでも悔いはない、とすら言い切るまでになった。
確かに弟の場合、ギャンブルを通じて徹底的に人生を楽しみ、さらには子どもたちが巣立ち、それぞれの人生を歩み始めたので、親としての務めは立派に果たし終えている。また、ギャンブルというものを通じて、徹底的に遊んできただけに、もう十分、いつ人生の最後の日を迎えても、悔いはないという心境に達したようだ。
だから、亀さんとしてもこれ以上弟に言うことは何もない。だが、来年は福島原発事故以外に弟らの病が重なり、再び兄弟が三人揃って次の旧盆を迎えることができるのだろうかと、ふと思った。

今度、弟が再訪したら、臨終の山岡鉄舟が示した立ち振る舞いを描いた、『武士道―文武両道の思想』(山岡鉄舟・勝海舟共著 角川選書)、家の書架の何処かにあるはずなので、仕事が一段落したら探し出し、プレゼントするつもりだ。なお、ネットでも「山岡鉄舟の臨終の見事さ」と題した記事で、山岡鉄舟の臨終の様子が分かる。どのようにして漢(おとこ)は己れの人生終えるべきか、良き指針となるはずだ。
寅 えー、おばあちゃんは九十二歳の天寿をまっとうしたと 伺っております。 本日この七回目の法要に、かくも大勢の関係者が 集まられるということで、個人の人柄が偲ばれます。


寅 人間この世に生まれて来る時もたっった独り。 そして、死んでいく時もたっった独りでございます。 なんと寂しいことではございませんか。

寅 天に軌道があるごとく、 人それぞれに運命の星というもを持っております。
 http://www.yoshikawatakaaki.com/lang-jap/32saku.htm
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