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人生は冥土までの暇潰し
亀さんは政治や歴史を主テーマにしたブログを開設しているんだけど、面白くないのか読んでくれる地元の親戚や知人はゼロ。そこで、身近な話題を主テーマに、熊さん八っつぁん的なブログを開設してみた…。
藤原氏というキーワード
昨日のまほろば会は、久しぶりに特別ゲストが登場、「内海新聞」というメルマガの発行者、武田宙大氏である。主な講話のテーマは以下の通りであった。

藤原定家
内海新聞
米軍
地震


亀さんが最も関心を抱いたのは、冒頭の藤原定家についてであった。4年前、亀さんは待ち合わせのため、京都御所前にある同志社大学を訪れたことがある。2名の翻訳者仲間と落ち合うためであった。翻訳者仲間と落ち合った後、同大学の学生も加わり、同志社大学のキャンパス、さらには隣の相国寺を案内してもらっている。その時は迂闊にして知らなかったのだが、同寺山内にある大光明寺の墓地の一角には、藤原定家、足利義政、伊藤若冲の墓が並んでいたのである。

16061803.jpg
相国寺山内にある大光明寺から藤原定家、足利義政、伊藤若冲のお墓へ

武田氏が同墓を初めて訪れた時、荒れ果てた状態だったという。爾来、武田氏は同墓を訪れては、心を込めて清掃してきたところ、2010年、下鴨神社において神託を受けるに至っている。

藤原定家についての講話の最後に、以下の結語を武田氏は述べた。

日本の歴史は藤原氏の視点で見ないと読み解けない。


同感である。旧稿「藤原不比等」でも書いたことだが、ルーツを唐に持つ藤原氏を理解しないことには、本当の日本史に迫ることはできないはずだ。ご参考までに、マイペディアに載っている「藤原氏」を、本稿の最後に転載しておくが、注目すべきは以下の冒頭の記述である。

古代に繁栄,明治維新まで朝廷の中枢を占めてきた貴族。


明治維新まで〟に注目。これは、以下の武田氏の主張に結び付くのだ。

明治からの歴史はインチキ。


ここで、明治期の神仏分離と廃仏毀釈を思い出していただきたい。なぜなら、明治の御代に入るまでの日本の神道と仏教を、実質的に支配してきたのが藤原氏に他ならなかったからだ。そして、件の廃仏毀釈は同時に、藤原氏の解体を意味していた。ともあれ、明治以前は代々の天皇に帝王学を授けてきたのが、藤原氏に他ならなかったのだし、その藤原氏の帝王学が本物であったことは、以下に示す後水尾天皇の宸翰、「忍」を例に示すだけで事足りよう。武田氏の場合、実物を前にして、あまりの感動に涙が溢れて止まらなかったと語っていた。

16061801.jpg

宸翰「忍」と関連して、以下の北陸新聞の記事を見つけた。
加賀・前田家と文化振興 石川県立美術館・村瀬氏が新説

その後は賀茂氏など、現皇室を巡る秘話について多々聞き及んだものの、インターネットという公の場での公開、これ以上は控えさせていただく。

残りのテーマ内容についても、以下に簡単に紹介しておこう。

内海新聞
武田宙大氏がメルマガ形式で発行している新聞(不定期・無料)。詳細はホームページ「内海新聞」を参照のこと。同電子新聞の最大の読者は米軍で、ホームページの右上にあるメダルは、在日米軍横田基地副司令官から授与されたもの。米軍に詳しい識者なら、以下のメダルを目にして驚くはずだ。

16061802.jpg

米軍
武田氏は在日米軍について以下のように述べた。

日本の政治・行政と経済はアメリカ(CIA)の支配下にある。


実は、武田氏と同じような結論を導き出したのが、『日本はなぜ、「基地」と「原発」を止められないのか』の著者、矢部宏治氏である。矢部氏の場合、大量の公文書を漁っていくうちに、武田氏と同様の結論に至っている。

一方で武田氏の場合、一般の日本人が入れない横田基地の心臓部、〝マッカーサー室〟に入室した経験の持ち主である。室内にはマッカーサー元帥と昭和天皇が並ぶ、あの写真が飾られているのを武田氏は目の当たりにしている。また、壁面一杯に描かれた世界地図、および主要国の現地時間を示す時計が並ぶ、司令室にも武田氏は足を踏み入れている。このように、米軍基地を幾度か訪れていくうちに、武田氏は上記の結論に至ったのだという。

16061805.jpg

地震
武田氏は独自の地震予測方法を開発している。詳細はホームページ「内海新聞」にある、地震関連の記事を参照のこと。

【藤原氏】(マイペディアより)
古代に繁栄,明治維新まで朝廷の中枢を占めてきた貴族。中臣鎌足(なかとみのかまたり)が大化改新に尽くした功で天智天皇から藤原姓を賜ったことに始まる。鎌足の子不比等(ふひと)は律令体制の推進に努め,娘宮子(みやこ)を文武天皇夫人に,光明子(こうみょうし)を人臣として初めて皇后に立て,外戚(がいせき)として権力を振るった。以後その子武智麻呂(むちまろ)が南家(なんけ),房前(ふささき)が北家(ほっけ),宇合(うまかい)が式家(しきけ),麻呂が京家(きょうけ)を開いた(藤原四家)。北家が最有力で,平安以後摂政・関白・太政大臣を多く出し,道長のとき全盛に達した。中世以降は無力化したが,摂関の職は依然五摂家(ごせっけ)が独占した。このため地方の豪族で自らの出自を飾るため藤原氏を自称したものも多い。奥州藤原氏は系譜的には秀郷(ひでさと)流藤原氏の流れをくみ,平安中期から後期にかけて平泉を拠点に陸奥(むつ)一帯を支配した。⇒摂関政治

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