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人生は冥土までの暇潰し
亀さんは政治や歴史を主テーマにしたブログを開設しているんだけど、面白くないのか読んでくれる地元の親戚や知人はゼロ。そこで、身近な話題を主テーマに、熊さん八っつぁん的なブログを開設してみた…。
今日は何の日、アレの日…
毎年の今日、東京新聞の朝刊で真っ先に目を通すのが「特報」だ。いつもの通り記事は2本立てで,1本は花粉症に抜群の効果を示す新薬が発明されたという話。鼻毛の生長を促進させて花粉をカットするのだという。ナルホド…! しかし、油断すると鼻の穴に束子が付いているように見えるとのことで、かなり注意が必要のようだ。もう1本の記事は、野球のルーツは米国ではなく日本だったという目から鱗の記事だった(爆)。

ところで、通訳翻訳ジャーナルさんで今日、わざわざ秩父山地の麓にある拙宅までインタビューに来るという。そこで昨日、インタビューに備えて質問を想定し、以下のように回答を簡単に纏めてみた。まぁ、今日はエープリルフールということで、幻のインタビューで終わる鴨寝…(笑)。

■経歴・動機・学習法・最初の仕事の獲得法?
1971年に埼玉県立狭山工業高校・機械科を卒業、椿本チェインに入社、1年後に退職し、3ヶ月の予定でヨーロッパに旅発った(旅発つ前に、田崎清忠の英会話レコードを、半年ほど熱心に勉強した)。ヨーロッパを一周して数ヶ月で帰国の予定が、3年間近くに延びた。4ヶ月ロンドンのイタリアレストランで皿洗いの仕事をした後、南米に飛び半年ほど中南米放浪の旅をする。メキシコシティから飛行機でニューヨークに飛び、8ヶ月間ほど日本レストランで板前見習の仕事を経験、貯めた資金で45日間のアメリカ・カナダ一周バスの旅。途中立ち寄ったサンフランシスコの美しい町並みが気に入り、ニューヨークからとんぼ返りでサンフランシスコに戻り、住み着く。最初はアダルトスクールに通っていたが、サンフランシスコ大学の今村茂男教授の勧めで同大に転校。1年後に帰国した。1年間東京スクールオブビジネスで貿易を学び、貿易の他、トミー植松の授業を受けた。中途退学して半年ほど尾瀬の自然保護運動に加わったり、沼田市の友人と八百屋の行商も体験した後、本田技研に入社。現場の仕事が中心だったが、海外からのお客様の通訳を務めた他、当時立ち上げたばかりの本田技研のオハイオ工場の研修生の通訳・案内・翻訳等を担当した。その後立ち上げたばかりのTOEICの国際コミュニケーションズに入社。その頃、英語道の松本道弘を知り、英語道にのめり込み、己れの英語に磨きをかけた。松本道弘編集の本の手伝いもしたことがある(『困ったときのビジネス現場の英語ハンドブック』講談社刊)。また、東京海外旅行研究会のメンバーだったので、新声社から『アクション英会話』と『アクション会話 20カ国語』も出した。国際コミュニケーションズを辞めた後は、武蔵工業という半導体洗浄装置のベンチャーメーカーに入社した。自社製品の半導体洗浄装置を購入した、シンガポールの会社からクレームが出たため、下請けのSEと一緒に3週間現地で缶詰になった体験をした他、イギリスや台湾にも出張した。その後サンケン電気に入社、11年が経った1998年秋に希望退職に応募し、退職。その頃、起業家の集う「和僑」というメーリングリスト主体のサークルに参加していたが、仲間の一人にNHK関係の仕事をしていた者がいて、それが縁でBS1「日曜スペシャル」の「知ってますか あなたの値段」(1998年12月6日 22:00~22:59放送)に、翻訳者を目指す〝起業家〟として出演した。エイブス技術翻訳スクールの英日翻訳を1年間通学して無事に修了した。パストラル実務会という翻訳サークルに当時入っていたが、その会のリーダーであり現役の翻訳者だったFさんに、「W」という翻訳会社を紹介してもらい、トライアル受けたところ合格、Adobeの製品マニュアルの翻訳が翻訳者人生で初の仕事となった(無事に2000年7月18日初納品)。その頃、JTF(日本翻訳連盟)にも積極的に関与し、翻訳セミナーの書記を1年間ほど務めた。このあたりは前の専務理事だった高崎栄一郎さんが証言者だ。一時はJTFの理事に推薦されたことがあるが、諸事情があって結局断った。現在は、『みち』の天童竺丸氏が中心となって開催している「まほろば会」のメンバーである。翻訳関連では「F」という年に1~2回集う翻訳者のサークルに参加しているが、それ以外で翻訳者との交流はない。

■今のライフスタイル?
朝4時前後に起床、夕方の5時頃に1日の仕事を終了というのがお決まりパターンだ。仕事が入っている時は土日も働く。ただし、第三土曜日の「まほろば会」だけは極力出席することにしている。上の息子は京都の大学に進学、今春二年生になる。下の息子は埼玉県立の某高校の三年生にこの4月進級。本人は大学や専門学校に行くつもりはないようで、自衛隊に2年近く身を置き、それから己れの進路を決めたいとのことだ。だから、2年後に彼が大学に進学する可能性もあり、その頃の私は63歳、さらに4年間大学で学ぶのであれば、67歳まで現役の翻訳者を続けなければならないが、子どもたちのためだからこそ、頑張れるだろうと思っている。
翻訳会社からの受注が100%だが、そのうちの90%が海外の翻訳会社だ。かつ、95%以上が英日翻訳だ。相手の翻訳会社は主に欧州と北米で、一部に台湾・香港・シンガポールもある。基本的に英語の原文1 wordあたり$0.10 USD以下は引き承らないことにしている。最近は、日本人の英日翻訳者のチェッカーの仕事も増えた。ほとんどの翻訳者は学校英語の影響が強いのか、直訳調の翻訳がほとんどだ。あれで良く翻訳の仕事をやっていけるものだと、つくづく感心している。こうした日本語力のない日本人の翻訳者は、いずれ淘汰されていくと思う。私の場合、日本語力の維持向上は、インプットでは普段の日本語の読書、アウトプットでは個人ブログ([人生は冥土までの暇潰し])等である。日本語の本は好きな本を読むことを信条としており、これから読む予定の本が山積みにしてある。ブログにしても同様好きなことを書いているので,普段は「図のように、3本のステンレス製ボルトをそれぞれ締め付けて、所定の位置で固定してください」といった訳文ばかり書いている身として、仕事の合間の読書やブログはストレス発散にもなって本当に良い。また、内容的にも少しは世の中の為にもなっていると自負している。

■年齢をハンディにしないためのコツ?
・「翻訳技術」について、右も左も分からない場合、資金的に余裕があれば1年間ほど翻訳学校に通いつつ、翻訳者になる準備をすると良い。ただし、翻訳学校で教える翻訳技術はプールでの泳ぎ方にすぎず、実際に大海で泳ぐ術(実際に経験する翻訳の仕事)は自身で試行錯誤を繰り返し、先輩の翻訳者に相談したり、翻訳技術の本を読んだりして、ステップバイステップで身につけていくしかない。
・年齢的に一番ハンディになると思われるのが、英語力でもなければ、専門知識でもなく、日本語力でもない。PCスキルである。最低限マイクロソフトのWordとExcelを使いこなせ、ファイルをメールに添付するといったメールの使い方を習得している必要がある。理想的には、翻訳支援ツール、特にSDL Trados 2011の基本的な機能を使いこなせるレベルに達していると、かなり有利になる。日本の場合、IT分野でTraodsが使われているだけだと、翻訳センターのK氏が語っていた。しかし、海外の場合は分野を問わず、Trados、Transitといった翻訳支援ツールを使いこなせないと、仕事を得る上で大変不利だ。
・PCスキル以外は、長い人生を歩んでこられたので、そこそこの日本語力はあると思うし、専門知識にしても今まで会社で得たものを生かせばよい(たとえば、金融関係の仕事をしてきた方は金融英語の翻訳を目指していけば良いし、メーカーの人は持てる技術知識が生かせる翻訳の仕事が沢山ある)。英語力にしても、海外の一般の新聞を辞書無しで読める程度の英語力があれば十分事足りる。

■これから勉強しようと思っている中高年層へのアドバイス?
・中高年で一番の問題はPCスキルだが、マイクロソフトのWordやExcelを使ったことのない人は、今日からでもパソコン教室に通うこと。WordやExcelをそこそこ使いこなせるのであれば、Tradosの基本操作ができるレベルに達しておくと良いと思う。前述したように、日本の翻訳会社だけなら、基本的にIT以外の分野ではTradosは不要だが、海外の翻訳会社も取引先に含める場合、IT以外の分野でもTradosを中心に翻訳支援ツールが必須になるので、マスターしておいて損はない。
・翻訳者のサークルに参加すること。小人数でやっている翻訳サークルがあったら、是非参加して欲しい。先輩の翻訳者を通じて仕事を斡旋してもらったり、翻訳技術を教えてもらったりすることができるからだ。私は、上記の「パストラル実務会」に参加したお陰で、米国のForbes誌の記事翻訳を、同誌の日本語版が廃刊になるまでの10年以上続けた。さらに、翻訳団体としてJTFやJAT、海外に目を向けると世界最大のProZなどがあり、いずれかに参加することをお勧めする。私はProZに参加しているが、ProZで私の存在を知り仕事の打診をしてくる会社は多い。ちなみに、ProZ経由の仕事は年収の80%前後を占めている。ただし、海外との翻訳会社との取引をしたいという人たちにのみ勧めたい。
・年齢とともに、一番の問題が健康だ。普段の健康管理に気を配ること。ヨガをやったり、散歩をしたりすると良い。また、パソコンを使う仕事なので目を酷使する。その場合、黒酢を飲むと良い。また、ディスプレイにフィルターを貼るのも手である。ヨガで目の疲れを取る方法もある。
・最後に、サラリーマン時代は社内の人間関係にかなりのエネルギーを使っていたと思うが、翻訳者は一国一城の主だ。嫌な相手(翻訳会社等)は遠慮なく〝首。にしよう。また、フーテンの寅さんではないが、翻訳者は片手にトランクならぬノートパソコンが一台あれば、世界何処でも仕事ができる。放浪の旅を続けながら、気に入った避暑地で数ヶ月仕事に集中し、また旅に出るという余生を過ごすのも悪くない。私は十代の頃に放浪した中南米を再び訪れ、再会したいと思っている友人・知人が多いし、またアルゼンチンのパンパ、インカ帝国の遺跡、アンデス山脈、アマゾン川、情熱の街リオ(ブラジル)、南米のパリことブエノスアイレスなどの観光地の再訪も、体力的に可能なうちに実現したいと思っている。これが、今の私の〝ささやかな夢〟だ。

平成25年3月31日(日) 記す 亀さん



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コメント
マイッタなあ
亀さん
 マイッタな~
担任はK先生でしょうか
ずい分昔に
私もそこまで通いましたわ
MではなくてEでしたが
 
そういえば
新宿線と平行に真っ直に伸びた道を
一生懸命歩いたことが
今のせかせか歩きの原点だと気が付きましたよ。



[2013/04/01 21:51] URL | 奥むさしの山人(やまびと) #- [ 編集 ]

あんれまぁ…
ナント互いにSM…、じゃなくてMEでしたか…!

手許にあった「同窓会会員名簿」(平成七年一月)で確認したところ、昭和46卒のMは二人のK先生ですね。小生は3組のK先生でした。最後にお会いしたのは10年ほど前のクラス同窓会…。今でも年賀状の交換をして互いに近状報告をしています。K先生の家には幾度か遊びにいきました。まさに、亀さんの〝我が師〟です。

確かに、入間川駅(当時)から学校までは遠かったですよね(爆)しかし、あのお陰で3年間近く世界を放浪できたんだなと、山人さんの同様、「せかせか歩き」の原点だったんだと思うに至りました。

昨日、『通訳翻訳ジャーナル』という雑誌社が拙宅を訪れ、(翻訳者としての)2時間近くインタビューを受けましたが、今の仕事(技術系統の翻訳)をしている原点も、やはり高校での学びにあります。

尤も、学んだ授業内容はほとんど覚えていないのですが、体育の授業で厳しかったN先生(ナント、車の番号も459…)の授業で、一つだけ覚えていることがあります。それは真面目な〝同年齢の息子〟の話が出たときでして、「キトウと呼んで、亀の頭と書く」と先生が話された瞬間、クラスメートからドッと笑い声が起こり、全員が亀さんの方を一斉に振り向きましたぜ…。恥ずかしくなって学ランの中に頭を引っ込めたのが、今では良い想い出です。
[2013/04/02 03:57] URL | 亀さん #FlJCcfGk [ 編集 ]


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