今年の2月から3月にかけて、テレビ朝日で放送されたドラマ「スミカスミレ」は、65歳の老婆が中身は65歳のまま、身体だけ20歳に若返るという、なんとも奇想天外な物語なのだが、そんなドラマに亀さんが惹きつけられたのは、二つの個人的な体験に基づく。
一つ目の体験は、「若いってね、何にも諦めなくていいってことなんだよ」でも書いたことだが、当時高校一年生だった息子の親友の死であり、第七話に登場する自殺未遂の高校生の話が、とても他人事には思えなかったのだ。この体験については、拙稿「占いは信じるな!」でも取り上げており、その時載せた佐藤優氏の発言は、今読み返してもインパクトがある。よって、以下に再掲させていただこう(傍線は亀さん)。
神様、運といった超越的なものを信じるということと、実際に占い師に頼ったりすることとは、質的に全く異なります。 --中略-- 私はたびたび、超越的なものへの畏れの感覚を取り戻すことの重要性を指摘して来ました。しかし、それは何かに入信せよとか、占いに頼れということでは断じてありません。それは、世界が存在し、自分が今生きているという根源的な不思議さに気づき、「身の毛もよだつほどに」慄(おのの)くということです。 『月刊日本』2013年4月号k「太平記を読み解く」(56)
実は、傍線の箇所が二つ目の個人体験に深く関わってくるのだ。
最初に、同ドラマの最終話に登場する、以下のシーンを見ていただきたい。このシーンは、拙稿「松坂慶子を女優にした事件」で、松坂慶子演じる如月澄が、45歳下の町田啓太演じる真白勇征から、心の籠もったプロポーズを受けたシーンの直後である。

如月澄 良かった…、わたし、生まれてきて、本当に良かった……!
初めて上記の台詞を耳にした時、咄嗟に脳裏に浮かんだのは、拙稿「胸を張って厚かましく生きろぉ!」で書いた以下の行だった。
本来なら元気に生まれてくるはずだった我が娘と、桐谷美玲演じる如月スミレが重なって見えて仕方がないからだ…。如月スミレが家の事情で通えなかった大学に通い、65年間体験することのなかった恋を体験しているシーンを見るたびに、我が娘にはそうした体験させてやることができなかったという、親としての忸怩たる思い、悲しみがある。
ドラマとは云え、最後には「生まれてきて、本当に良かった……!」と、心の底から言えた如月澄、「生まれてきて、本当に良かった……!」と、言うこともできずにあの世に旅立った我が子が、何故かオーバーラップするのだった。だから、初めて上記の如月澄の台詞を耳にした時、正直かなり身に堪えた。そしてカミさんも、そうした辛い体験をしてきたからこそ、拙稿「大原麗子の女優魂」でも書いたように、2番目の子、つまり上の息子を身籠もった時、担当医のアドバイスに背を向け、「(たとえ我が身がどうなろうと…)この子は絶対に堕ろさない!」と、覚悟を決めることができたのではと、今にして思う。
過日、その上の息子が就活のため帰省したおり、居酒屋で多くを語り合ったことは、拙稿「息子との語らい」でも書いた通りだが、その時に話題の中心になったものとして、実はインテリジェンス以外に、NHKの「ファミリーヒストリー」があった。上の息子が同番組に深い関心を示すのも、本能的に「母が命を懸けて自分を産んでくれた」ということを、心の何処かで感じているためではないかと、酒を酌み交わしながら思ったことである。
以上、個人的な体験以外にも、懐かしい昭和という時代を思い出させてくれること、さらには登場人物が織り成す厚い人情も同ドラマの魅力なのだが、このあたりは別の機会に書こう。
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