昨日、拙稿「軍産複合体と闘うオバマ」の【追伸】で約束したとおり、TVドラマ「スミカスミレ」(BS朝日)について筆を進める。
最初に、改めて同TVドラマの粗筋を簡単に紹介しておこう。松坂慶子演じる如月澄は、子供の頃から家業(花屋)の手伝いに追われ、その後は病に倒れた祖母の介護のため、せっかく合格した大学の進学を父親の命令で諦め、キャンパス生活や恋愛といった青春を謳歌することなく過ごす。やがて、祖母、父親、そして母親の介護に追われ、ようやく最後に母親を看取り終えた時、澄は家庭も持つこともなく65歳の天涯孤独の身になっていた。火葬場から母親の遺骨を持ち帰ったその晩、コタツの中でうとうとしながら、「人生をやり直したい」と、涙ながらに澄は我が人生を振り返えるのだった。すると、家の屏風から及川光博演じる化け猫の黎(れい)が現れ、気を失った澄に不思議な術をかける。翌朝目が覚めると、中身は65歳のまま、身体は20歳(桐谷美玲)に戻っている我が身に驚く澄であった。やがて、名前も如月澄から如月すみれへと改め、人生をやり直すことになるのだが…。
一見、荒唐無稽な設定ではある。しかし、如月澄と同じ60代の身として同番組を見ていると、実に思うところが多いのだ。拙ブログで「スミカスミレ」を初めて取り上げた、「申し訳ない…」で、亀さんは以下のように書いた。
ここで、ふと思った。「45年前に戻してやる」と、もし自分も神様に言われたとしたら、果たして自分は45年前に戻ることを望むだろうかと…。
少し考えてみた。当時は目一杯人生を謳歌していたこともあると思うが、いまさら若い頃に戻りたいという気持ちはゼロであるのに気づかされた次第である。
若い頃は目一杯人生を謳歌したと言い切れる亀さんと違って、今の日本の若者は実に大変な時代に生まれ合わせたと云えよう。そうしたこともあり、拙ブログでは「仕事の話」と題するカテゴリを設け、若者にエールを送っているつもりなのだ。
拙ブログの「仕事の話」というカテゴリだけではない。実は「スミカスミレ」も日本の閉塞感に悩む若者への、優れたエール番組と言えるのだ。一例として、「スミカスミレ」の第二話を取り上げておこう。いろいろあって大学を退学しようとしている、秋元才加演じる由ノ郷千明に対して、〝65歳〟のすみれが〝お節介を焼く〟シーンだ。

すみれ:沢山あるんです、思い残してきたことが…。

千明:え?
すみれ:これまでの、65年間の人生のなかで…。だけど、どれだけ思い残しても、時間は戻せない。今の自分を嘆いていても仕方がないって諦めて…。そのうちに、思い残しているという気持ちにフタをして、目を向けないようにして、生きてきたんです。


すみれ:だから、もし奇跡が起きて、時間が戻せるなら、今度は、ゼッタイに後悔しないように、自分の思うように生きてみようって思ったんです。
真白:それって…、如月さんのおばあさんの話?
すみれ:えっ……、あぁ…、そうです。年寄りみたいなお節介焼いて、済みません。でも、気づいて欲しかったんです。今、由ノ郷さんの目の前にあるのは、この先ゼッタイに取り戻せない青春だって…。面倒くさいなんて言ったら、もったいないって…。大学、来てくれるのを待ってますから。


余談になるが、「失敗してもいい 僕はやるを選ぶ 02」で、映画の道に進みたいという相談を、ある若者から受けた話を書いたが、その若者は見事に映画関係の仕事に就き、この4月から社会人としての人生のスタートを切る。亀さんの余計なお節介が役に立ったようで、我がことのように嬉しかった。続報については折があれば書いていこう。
ところで、「スミカスミレ」でもう1本書きたいと思っている記事がある。それは第七話に登場する、自殺未遂の高校生についてだ。亀さんの息子の親友が6年前に亡くなっているが、二人とも同じサッカーチームに所属していた。だから、息子の親友は無論のこと、ご両親もよく知っている。それだけに、取り上げるには辛いテーマなのだが、閉塞感だけでなく、死の放射能にも覆われている日本列島に住む若者のため、近々書きたいと思う。
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