安西ファイル「激動する2015年以降の世界金融・経済情勢 その12」だが、「(7)BIS(国際決済銀行)とヒトラー、メルケルを結ぶ線」という章を見落としていたので、急ぎ同章の【ポイント・私見】を以下に紹介しておこう。
【ポイント・私見】 ・BIS規制によって自己資本比率8%に縛られた商業銀行は、12.5(100%÷8%)倍までしか信用創造できない。こうして収益の源泉を制限された商業銀行とは異なり、投資銀行は1999年のグラム・リーチ・ブライリー法で銀行と証券会社の垣根を取り払われた。これにより、投資銀行は自己資本規制の縛りから解き放たれて証券会社と同様、思う存分に信用創造して株や債券に好き勝手に投資できるようになった。そして、貪欲に収益を追求するあまり、デリバティブにのめり込み、自己資本の数十倍もの想定元本を積み上げるまでに至っている。 ・現在、欧米の大手投資銀行が購入している高リスク商品がデフォルトとなる恐れがあり、リーマンショックを上回る金融カタストロフィーの再来が懸念されている。その根本的原因を作ったBIS(国際決済銀行)は「中央銀行の中の中央銀行」と呼ばれるが、当初は、第一次世界大戦で敗戦国となったドイツに賠償金を支払わせることを目的として設立された。 ・しかし、第二次世界大戦中は米国企業がナチスドイツ(ドイツ第三帝国)に融資するバイパスとして、真逆の役割を果たした。つまり、BISは秘密裏にナチスドイツを育て、アドルフ・ヒトラーを操って第二次世界大戦を引き起こした「戦争製造マシーン」である。
・旧ソ連のKGB(国家保安委員会)の記録によると、アンゲラ・メルケル独首相は、アドルフ・ヒトラーの実の娘であり、人工授精によって誕生したという。メルケルはヒトラーとまったく同じ目をしているなど、人相は驚くほど酷似しており、荒唐無稽な話ではない。 ・アドルフ・ヒトラーは1889年「4月20日」生まれ、アンゲラ・メルケルは1954年「4月20日」生まれである。4月20日はベルテーン祝祭の魔女の宴サバットの11日前であり、バール神に血の生け贄を捧げる日といわれ、悪魔崇拝に関係する日付だ。メルケルは東独のルーテル教会のコネクションでカトリック教会の管理人になった。これによって、バチカンとの深い結びつきができたと思われる。 ・2005年「4月20日」、ナチ党員歴のあるヨーゼフ・ラッツィンガーが教皇ベネディクト16世となった。その後、2005年11月22日にメルケルがドイツの首相に選出された。その11月22日は、チャールズ・ダーウィンの宇宙の創造主を否定する反キリスト的な著書『種の起源』の出版記念日だった。 ・メルケルはリヒャルト・ワグナーの作品に異常な執着を持っている。ワグナーは悪魔主義者であり、悪魔的な舞台神聖祝典劇「パルジファル」というオペラを書いた。奇しくも、パルジファルはアドルフ・ヒトラーのお気に入りでもあり、ヒトラーはワグナーの崇拝者でもあった。 ・メルケルはアドルフ・ヒトラーと同様に、ワグナーの楽曲「ワルキューレ」の騎行に魅了されている。ワルキューレは北欧神話に登場する小さな女性の神々であり、戦場において死を定め、勝敗を決するといわれる。彼女たちは、終末の最終戦争でオーディン(北欧神話の主神にして戦争と死の神)の軍隊に加わる王侯や勇士を選り分け、ヴァルハラへ迎え入れて彼らをもてなす役割を担う。
・メルケルは、世界寡頭権力の言論兵器の一つである英『エコノミスト』誌の年頭増刊号の表紙で、2015年には中央やや左に、2016年には中央に配置された。2015年の時は、ジャケットのボタンを囲む三角形を作るかのように両手の指を合わせ、悪魔的なシンボルである「プロビデンスの目」(すべてを見通す目)をサインとして送っている。これは、世界寡頭権力がメルケルを、今年の国際政治における最重要人物と位置付けていることを意味する。 ・メルケルがヒトラーが崇拝するワグナーの「ワルキューレ」に心酔しているエピソードと考え合わせると、彼女に与えられた使命はヒトラーの再演とドイツ帝国の復活(第四帝国の創建)であると推察される。つまり、ワルキューレの頭領として他のワルキューレたち(各国の女性元首や各界の女性指導者たち)を統括して騎行し、軍神オーディン(世界寡頭権力)の軍隊に加わる王侯や勇士(各国の男性元首や各界の男性指導者たち)を世界最終戦争(第三次世界大戦)の決戦場へと駆り立てるのではないか。
・2015年の元旦と年末、NHKはヒトラーに関する特集ドキュメンタリー番組を放映した。言論兵器であるテレビが、それも国営放送局が年の幕開けと年の瀬にヒトラーの特番を放映したことに胸騒ぎを覚えるのは私だけだろうか。
安西ファイルの第7章は、「BIS(国際決済銀行)とヒトラー、メルケルを結ぶ線」という主題になっており、このBIS・ヒトラー・メルケルを結ぶキーワードは、〝ドイツ第四帝国〟だ。BISの胡散臭さについては安西さんの私見に同意するが、メルケルの生物学的な父親をヒトラーとする都市伝説については、本腰を入れてまで真偽を確認してみようという気は全く起こらない(爆)。安西さんがこうしたテーマを取り上げたのも、まほろば会においてドイツ第四帝国が幾度か過去において取り上げられてきたからだろう。たとえば、2011年11月に開催されたまほろば会では、以下のようなテーマが話題になっている。
ドイツは、(1)神聖ローマ、(2)プロシア、(3)ナチス帝国を経た後、現在は(4)第四帝国の道に進みつつあり、それを防止しようとイスラエルは試みている。

亀さんは、遠い将来にドイツ第四帝国が興る可能性は否定しないが、現在および近未来という短期のタイムスパンで見る限り、当面においてドイツ第四帝国が興ることはあり得ないと見る。その思う理由の一つは、欧米に対してハード面でもソフト面でも、圧倒的な軍事力を中露が握ったという現実があるからだ。そのあたりについて、拙PDFにもまとめているので参照していただきたい。 http://www.nextftp.com/tamailab/etc/warring_factions.pdf
横道に逸れるが、上記PDFで紹介した「スプートニク」紙に下のような興味深い記事が昨日掲載された。 CIA元職員、ロシアはシリアへの米侵攻から世界を救済
同記事の中で亀さんが注目した行があり、それが赤線で示した以下の行だ。オバマ大統領もメルケル首相もケリー長官も、隠れキリシタンならぬ〝隠れ中露派〟であることに思いを致せば、「スプートニク」紙の〝意図〟が透けて見えてくるではないか…(笑)

それからもう一つの理由なんだが、それは戦後のドイツの歩みをじっくりと見つめれば、ドイツ第四帝国への道とは真逆の道を歩んできたことが分かるからだ。そのあたりは矢部宏治氏の『日本はなぜ、「基地」と「原発」を止められないのか』(集英社インターナショナル)に詳しいので、以下に引用しておこう。
ドイツの「独立」までの歴史 『国際連合憲章逐条解説』に「東方政策」という言葉で書かれていたように、ドイツは第二次大戦後、広大な領土をポーランドやフランスに割譲することを認め、国家としての「謝罪外交」も展開し、必死になって「過去の克服」をおこなうことで「新しいヨーロッパ」の中心国としての地位を固めていきました。
その輝かしい成果が現在のEU(ヨーロッパ連合)であり、ドイツはみなさんよくご存じのとおり、その中心にどっかり腰をおろして、他のヨーロッパ二七カ国とともに強固な地域共同体を形成しています。現在のドイツを「アメリカの属国」だとか、国連憲章における「敵国」だと言う人はどこにもいないでしょう。戦後、わずか六人の首相によって達成されたその「独立」までの歴史を、ごく簡単に説明すると次のようになります。
まず、戦後最初の西ドイツ首相となったコンラート・アデナウアー(キリスト教民主同盟党首。一九四九年から一四年間、首相の座にありました)は、ちょうど日本の吉田首相と同じように、徹底した対米従属路線を強いられることになりました。しかしそうしたなかでも彼の、「新しいドイツ人は、断固たるヨーロッパ人たるべきである。そうすることによってのみ、ドイツは世界に平和を保障される」(『アデナウアー回顧録』佐瀬昌盛訳/河出書房)という明確な国家方針に揺らぎはありませんでした。先にふれた、西ドイツの首都をフランクフルトにして、その周囲を米軍基地でかこむというアメリカの計画を、土壇場でひっくり返したのもアデナウアーでした。
そしてその後、二人の首相をはさんで、一九六九年にドイツ社会民主党への政権交代が起きると、第四代首相となったヴィリー・ブラントは、それまでできなかった「東ドイツの事実上の容認」と、「ハルシュタイン原則(東ドイツと国交のある国とは外交関係を結ばないという、それまでの基本方針)の完全撤回」に踏み切りました。
さらに「ドイツ(東ドイツ)とポーランドの国境」についても、大きく譲歩することを認め(オーデル・ナイセ線の確認/次ページ)、領土問題にも決着をつけました。一九七〇年にはポーランドの首都ワルシャワで、ユダヤ人ゲットー(強制居住地区)の跡地にひざまずいて献花し、ナチスによるユダヤ人虐殺について心からの謝罪を表明したことは有名です。
ブラントのあとをついだ第五代首相のヘルムート・シュミットも、周辺諸国との融和政策を押し進めました。彼は「サミット」と呼ばれた一九七〇年代の先進国首脳会議(G7)が華やかだったころの主要メンバーで、日本でもよく知られたハンサムな政治家ですが、日本の外交問題について意見を求められるたびに、
「日本は周囲に友人がいない。東アジアに仲のいい国がない。それが問題です」
と礼儀正しく、しかしはっきりと助言してくれていました。一九七九年の東京サミットにも来ていたので、私もよくおぼえています。三〇数年後のいまになって、彼の助言がいかに大切なものだったかが身にしみてわかります。それは同じ敗戦国だったドイツからの、本当の、心からの助言だったのです。
ごのようにドイツはさまざまな努力の結果、『国際連合憲章逐条解説』にあるように、すでに一九七〇年代、「敵国」としての位置づけを事実上、脱することに成功していました。
そうした歴代の首相たちの努力があったからこそ、第六代首相となったヘルムート・コール(キリスト教民主同盟)は、冷戦終結のチャンスをとらえて一九九〇年九月」二日に、「ドイツの戦後処理に関して責任をもつ」戦勝四カ国(米英仏ソ)と東西ドイツのあいだで事実止の「講和条約」(通称「2プラス4条約」)を結び、敗戦国としてのなごりをすべて清算することができたのです。そして翌月一〇月三日のドイツ再統一、さらには一九九三年一一月一日のEU創設へと突き進むことができたのです。
一九九〇年に結んだ「2プラス4条約」にもとづき、米英仏ソの駐留軍はすべて一九九四年までにドイツから完全撤退していきました。現在ドイツに残っている米軍は、基本的にNATO軍としての制約のもとに駐留しており、そのドイツ国内での行動にはドイツの国内法が適用されています。
こうして日本と同じく第二次大戦の敗戦国だったドイツは、長く苦しい、しかし戦略的な外交努力の末、戦後四九年目にして、ついに本当の意味での独立を回復することができたのです。
 左側の太線がオーデルサイセ線(ドイツとポーランドの国境)で、灰色の部分がドイツの失った領土。横線の部分がポーランドの失った領土。ドイツはこの国境変更により、帝国の中心だった旧プロイセン王国の領土のほとんどを失い、1200万人の難民が、オーデル・ナイセ線を越えてドイツに「帰還」した。
『日本はなぜ、「基地」と「原発」を止められないのか』p.238~
それにしても、「CIA元職員、ロシアはシリアへの米侵攻から世界を救済」という一本の記事の中に、「米紙「NYT」 シリアはオバマの恥、そしてプーチンの勝利」、および「メルケル首相、トルコ首相との会談で「シリアでのロシアの空爆に恐怖」と語る」という、2本の別記事を小枠で紹介するという「スプートニク」紙、なかなかやるワイと思った(笑)。
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