fc2ブログ
プロフィール

亀さん

Author:亀さん
FC2ブログへようこそ!

最新記事

最新コメント

最新トラックバック

月別アーカイブ

カテゴリ

kamesan

人生は冥土までの暇潰し

検索フォーム

RSSリンクの表示

リンク

このブログをリンクに追加する

ブロとも申請フォーム

この人とブロともになる

QRコード

QR

人生は冥土までの暇潰し
亀さんは政治や歴史を主テーマにしたブログを開設しているんだけど、面白くないのか読んでくれる地元の親戚や知人はゼロ。そこで、身近な話題を主テーマに、熊さん八っつぁん的なブログを開設してみた…。
怪しい彼女
『あんどーなつ』という漫画がある。過去に何本か『あんどーなつ』についての記事を書いた記憶があったので、念のため検索して確認したところ、ナント26本も・・・。最近、『あんどーなつ』がテレビで再放送されていることもあって、久しぶりに漫画本を読み返してみたのだが、思うところが多々あった。

22081501.jpg

左上に赤下線を引いた「他から来た物を上手に取り入れた」、小生が放知技に投稿した以下の行とも相通じるものがある。

そうした概念が「日本列島」に人が定住し始めてから、気の遠くなるような時間をかけて、今や日本人のDNAの一部にすらなっているように思えます。
https://grnba.bbs.fc2.com/reply/17349208/333/


対象が漫画本の場合は和菓子、放知技の場合は皇統という違いはあるにせよ、そこには日本列島に住む我々の祖先たちが獲得したDNA、つまり日本の心とも呼ぶべきものが読み取れるのだ。

ここで、各国版の映画「怪しい彼女」に目を転じてみるに、改めてそうした思いを強くした自分がいる。拙ブログで日本版「あやしい彼女」について、過去において4本の記事を書いているが、今回は他国版の「怪しい彼女」について取り上げてみよう。

22081502.jpg

小生は日本版「あやしい彼女」を観てからというもの、思うところがあってオリジナル版である韓国版「怪しい彼女」、続いてベトナム版や中国版も観てみた。基本的にオリジナルである韓国版の「怪しい彼女」が、各国版の下敷きになっているわけだが、それぞれの映画に各国の国民性が滲み出ており、個人的に実に面白かったと思っている。

日本版も他国版同様、オリジナル版である韓国版を下敷きにしつつも、上掲の『あんどーなつ』の言葉にもあるように、実に上手く日本の心を表現していたと思うし、ある意味、まったく別の映画になっていると個人的に思ったほどである。ここに、他から来た物を上手に取り入れてみせた、日本版の制作スタッフによる匠の技を見るのだし、日本人の琴線に触れる映画になっていた。

以下、四本の映画を見比べた上での簡単な小生の感想である。

■お天道様
日本語版では「お天道様」という言葉が幾度か登場している。また、「お天道様」と題するブログ記事も書いたこともあり、ここに、日本の心を見る思いをしたものだ。

22050102.jpg
あー、駄目、絶対駄目! 二度とお天道様の下を歩けなくなるよぉ・・・


他国では同シーンがどのように演じられたか、比較の意味で画像を並べておこう。

22081505.jpg
地獄で閻魔様に脅されたって、いけないよ・・・ (韓国版)

22081503.jpg
ダメだよ・・・ (ベトナム版)

22081504.jpg
無理・・・ (中国版)


■歌
天性の歌声」と題した拙稿で、大鳥節子(多部未華子)が歌った「悲しくてやりきれない」を紹介した。歌に関して言えば、ベトナム版や中国版の歌も良かったが、個人的に最も聞き惚れたのが、オ・ドゥリ(シム・ウンギョン)の「雨水」だった。


『雨水』(字幕追加版)シム・ウンギョンさんShim Eun Kyeong

■家族
4ヶ国の「怪しい彼女」を見終えて思ったことは、主テーマは「家族」と断言できるということだ。拙稿「子は親を選ぶ」でも、個人的に最も感動したシーンとして紹介している。

22050601.jpg
お前がいたから、私はお母さんになれたんだ。

その点、韓国版の同シーンも良かったと思うが、個人的に最も感動したのは、以下のシーンだった。

22081508.jpg
いい夢を見たよ。あんなに楽しい夢は初めてだった・・・

自分が元の姿に戻ってしまうというのに、歌手になった夢を棄てることになるというのに、胸を高鳴らせた恋人を失うというのに、血を分けた孫の命を救うため、躊躇うことなく孫に輸血するオ・ドゥリ、そんな彼女の胸中を一掬の涙で表現したシーン、実に見事である。

まとまりのない記事になってしまったが、小生の映画関係の友人や知人、今回の拙稿を読んでどう思ったのか気になる。ここは、感想の一つや二つを寄せてもらえたら有り難い。

スポンサーサイト



人生百年
今回の参院選(7月10日)で注目した点の一つが、参政党、殊に吉野敏明候補(落選)の健康論だったが、健康と言えば気になったのが、炎天下で全国を演説していた、御年79歳(1943年6月3日生)の武田邦彦氏だった。ところが、「【参政党】武田邦彦7/11今回の選挙で釈然としない強く思った事が有ります」(9:30~)で、「身体はむしろ元気になったような気がする」と語る武田氏の言葉に思わず耳を傾けた。そのあたりは、武田氏が元気に数々の演説を見事にやり抜いたことからも分かる。どうして、それが可能だったのかをつらつら考えるに、「真剣な仕事」と武田氏は表現していたあたりにヒントがある。この言葉は、「志」という言葉に置き換えることができよう。つまり、「日本を良くしたい」という志が、武田氏をして二ヶ月間をやり通せた、元気の素だったのではと思う。

ここで、日本人の平均寿命だが、厚生労働省のHPが示すとおり、敗戦から二年が経った昭和22年(1947年)、日本人の平均寿命が有史以来初めて男女とも50歳を超え、今日では男女とも八十歳を超えている(2020年の日本人の平均寿命は男性が81.64歳、女性が87.74歳)。

しかし、平均寿命という概念の盲点は、二点あると個人的には思っている。

一点目として、たとえば男性の平均寿命81.64歳が意味するところは、その時点で既に半分の男性が亡くなっているということだ。そして81歳以降は高齢化も手伝って、死者数が激増しているのも、当然と言えば当然である。

22081101.jpg
どんな先見性のある人も見落としがちな人生の死角とは【仏教の教え】
(※150人というのは、70歳の時点で亡くなった人が千人あたり150人ということ)

二点目は健康寿命の視点が抜け落ちていることだ。厚生労働省の定義によれば平均寿命とは、「0歳における平均余命」であるとしている。一方で健康寿命は、「健康上の問題で日常生活が制限されることなく生活できる期間」と同省では定義している。ちなみに、2016年の健康寿命は男性72.14歳、女性74.79歳。

以上を念頭に、武田邦彦氏が寿命について、ユニークな持論を披露していたので紹介しておこう。


【武田邦彦】朗報!トンデモない事が起きた!スグにこの2つを準備してください!

武田氏は日本人の平均寿命が、男女とも80歳を超えるようになった今、各々の人生設計を見直すべきだと主張している。つまり、誕生してから50歳までを人生の第一ステージとし、50歳から100歳までを人生の第二ステージとすることで、二つの人生計画を立てようと主張しているわけだ。

では、第一と第二の人生ステージの大きな違いは何か? 上掲の動画を観て個人的に思ったこと、それは責任、つまり、五十代に突入するあたりまで、人には家族を路頭に迷わせないという責任があるということだ。たとえば生命保険を例に挙げれば、子どもたちの教育費、特に大学にかかる費用は莫大なもので、学資を稼ぐべく父親は四十代から五十代にかけて馬車馬のように働かなければならない。だから、自分に万一のことがあった場合、家族が路頭に迷うことのないよう、充分な生活費を遺すべく保険をかけるが、六十代以降は自分の葬儀代ていどを遺しておけば、別に生命保険に加入する必要もなくなるのだし、県民共済あたりに入っておけば、医療制度の充実した日本でなら充分だ。人間ドックにも行く必要がないし、一日一食、玄米を充分に咀嚼し、おかずは味噌汁・梅干し・漬け物、そして時には焼き魚の一つもあれば充分だ。だから、食費も大してかからない。

以下の動画(前編・後編)で武田氏が語っていることだが、同期の仲間よりも武田氏が元気なのは、日本のため、つまり日本を良くしていこうという志があるからだ。一方で、早くに定年を迎え、毎日が日曜日で時間を持て余している同窓生は、一気に老いているのが分かる。


【死生観】「今日一日がんばろう!」はやらない…江戸っ子精神が後悔しない生き方??前編【政党DIY→参政党 赤尾由美×武田邦彦】


【死生観】お金が先行した人生というのは日本的ではない!富貴を求めすぎると不幸になるメカニズムとは 後編【政党DIY→参政党 赤尾由美×武田邦彦】

以上、50歳を過ぎてから考えるべきは三点だけで、それは、健康・お金・人間関係だと言う。ともあれ、仮に100歳まで生き長らえたとして、50歳からの第二ステージのお手本は無いので、手探りの状態で我々は前に進んでいかなければならないのが現実だ。

それから、上掲動画の主テーマは死生観だが、赤尾由美さんは東大の医学博士(矢作直樹)に、「人間は事故や病気で亡くなるんではなく、持って生まれた寿命で亡くなる」と言われたという。

死生観・・・。小生は昨秋、背骨を骨折して長期の入院をしたが、入院時に医者から、「死ぬかもしれない」と脅されたものだ。しかし、その時の小生は別に動揺することもなく、「あぁ、そうですか」ていどに聞き流したものである。一方、付き添いをしていた家人は、言葉が出ないほど呆然としていたのをありありと思い出す。

最後に、以下に仏教関連の動画を紹介しておこう。


70歳からの「幸せな過ごし方」【仏教の教え】

上掲の動画では、真の幸せは身近にあること、そして七十年という人生体験を、後生に遺すことの大切さを語っているのだが、来年は古希を迎える身として全く以て同感だ。これからの日本を背負う若い世代の日本人のため、今後もできるだけブログ記事を書いていきたいと思った。