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人生は冥土までの暇潰し

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人生は冥土までの暇潰し
亀さんは政治や歴史を主テーマにしたブログを開設しているんだけど、面白くないのか読んでくれる地元の親戚や知人はゼロ。そこで、身近な話題を主テーマに、熊さん八っつぁん的なブログを開設してみた…。
武士の時代 17
前稿でお約束したとおり、今回から四英傑を取り上げていく。そのトップバッターは、やはり信長だ。その信長をわずか数行で、端的に評していたのが今東光である。

■織田信長
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信長を戦さ上手の謙信や信玄と同列に見ては駄目です。ありゃ天才ですからね。何といっても日本近世史を開いた天才です。彼の存在なくしては日本の近世はありません。その代わり尋常な男ではないんだ。スターリンもヒットラーも同じです。尋常な男には出来っこないことをやる男なんです。
『毒舌日本史』p.270


今和尚は信長が尋常な男ではなかった証に、以下のようなエピソードを語っている。

北陸の一向宗は富樫政親を攻め滅ぼすと宗教王国を作りました。これは日本で最初にして且つ最後の宗教王国ですが、ともかく北陸地方は数年間、一向宗によって支配された。そんな目障りなものを信長が放っておく筈がありません。これまた徹底的にやっつけた。長島でも徹底的こりゃ全滅ですものな。老若男女を問わない。一向宗徒は赤ん坊も殺した。信長の痛快な遺り口は徹底の一言に尽きます。
『毒舌日本史』p.342


この和尚の言葉で思い出したのが、拙稿「マキアヴェリの周辺」で紹介した以下の行だ。

会田 身ぶるいしたでしょう、恐怖と楽しさが入り混じっている。あのころは命があったら拾いものだという気がありますからね。チェリーニが言っているように、ちょっと散歩に行って、けんかして七人殺してきましたというような世界なんですから(笑)、われわれには想像できない世界ですよ。
開高 マイホーム時代にはなかなかわからないが、乱世になるとよくわかる。
会田 だからマキアヴェリのわかる人はマイホームでなしに…。
開高 治にいて乱を求むる人ですね。
会田 矛盾だらけの人間ですよ。


所詮、平和ボケしている今の日本とは、時代背景というものが、全く異なっていることがお分かりいただけたと思う。

さて、信長を取り上げた動画の中から、これはと思ったものを以下に紹介しよう。


教科書には書かれていない織田信長と楽市楽座の真実|小名木善行

この動画のタイトルには「楽市楽座」が使われているが、この楽市楽座という経済政策を思いついた信長、流石としか言い様がない。続く天下人の秀吉や家康も、経済政策の重要性を十分に知り抜いていたし、天下統一後は国内はもとより、海外との交易にも手を伸ばしていたことは、『西班牙古文書を通じて見たる日本と比律賓』からも、秀吉や家康の交易観が伝わってくる。なを、同書の大凡の内容については、以下の記事を参照にされるとよい。

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GHQが戦後の日本人に封印したフィリピンの歴史~~奈良静馬『西班牙古文書を通じて見たる日本と比律賓』

上掲書についての記事を書いたのは、歴史逍遥『しばやんの日々』というブログのオーナーであるが、そのオーナーが以下のように記しているのに注目されたい。

 今から六年ほど前に奈良静馬著『西班牙(スペイン)古文書を通じて見たる日本と比律賓(フィリピン)』という本を「国立国会図書館デジタルコレクション」で見つけて読んだときに、倭寇や豊臣秀吉に対する見方が変わってしまった。この本には、戦後の歴史叙述ではまず語られることのない史実が満載で、しかもスペインの公文書で裏付けが取られているのである。


同書を読了した小生も全く以て同感だし、小生の秀吉観が変わった。小生の秀吉観については、次稿の豊臣秀吉で取り上げたい。

ところで、上掲の動画で小生が、楽市楽座以上に注目したのが弾正台である。小名木氏も動画(4:05~)で弾正台の解説を行っており、弾正台はどのような役目だったのか、天皇にとっての弾正台は、どのような意味を持っていたのかについては、実際に動画で確認していただきたい。そして、信長は正式に弾正忠に叙任された、数少ない戦国武将の一人だったことに、ここは注目するべきである。以下の記事を参照。
戦国時代、武将たちが名乗った「弾正」は京都洛中の風紀委員だった?

ところで、小生は拙稿「日本精神とGHQ焚書」に、以下のように書いた。

織田信長、明智光秀、豊臣秀吉、徳川家康という、近世日本の礎を築いた四傑に共通する〝日本精神〟について、新稿で語っていくつもりだ。
日本精神とGHQ焚書


つまり、『皇室と日本精神』(辻善之助 大日本出版)を例に挙げるまでもなく、四傑に共通する日本精神とは「皇室」、すなわち國體を指していることは言うまでもない。信長については上掲動画の一部を切り抜いた、以下の写真からもお分かりのように、天皇の大御宝(おほみたから)である民を護るべく、天皇直属の機関として國體(天皇)に忠誠を誓い、國體のために身を粉にして時代を駆け抜けた人物の一人が、織田信長だったというわけだ。

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また、小生は「武士の時代 16」で一霊四魂を取り上げたが、信長の場合は「直感力すなわち先見の明があった信長は奇魂」、つまり、奇魂が最も強く顕れていた人物であると書いた。こうした視点で近世日本の祖である信長の人物を、一度は見直してみるだけの価値はあると思う。

それから、信長の特長である「先見の明」で思い出したのが今和尚の以下の言葉だ。

同盟というのは信義をもって結ぶのが本義で、功利で結ぶものではありません。

・・・中略・・・

その意味では信長が律義な三河者の家康を同盟者として択んだことは、これまた先見の明あるものというべきですね。その点では上杉も武田も北条も当てになりません。
『毒舌日本史』p.297


続いて、信長についての小名木氏の動画で、注目したもう一本の動画は、本能寺の変についてのものだ。


本能寺の変の真実 織田信長を暗殺した真の黒幕|小名木善行

光秀=天海説をとっている小名木氏なので、当然ながら信長は本能寺で死んでいないと語るのだが、関心のある読者は直に動画で確認していただきたい。

それにしても、本能寺の変の後も信長が生き長らえていたとしたら、文字通り信長は「お隠れ」になったということになる。

落合莞爾や飯山一郎といった先達は、孝明天皇は暗殺されたのではなく、「お隠れ」になったと主張しており、小生もその通りだと思っている。
鬼塚英昭の天皇観


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ウクライナ情勢
時々、仕事の息抜きに茶の間へ行って一服、その間はテレビのニュース報道を漠然と眺めるのを日課としている。それにしても、相も変わらずピント外れの報道番組ばかりだ(笑)。そんな折、日テレの深層NEWSがYouTubeにアップされていたのに気づいた。テーマはウクライナ情勢についてだったので、50分近い番組だったものの、取り敢えず最後まで観てみた。


【ロシア侵攻は】緊迫するウクライナ情勢…ロシア軍事侵攻の可能性は?【深層NEWS】

見終えた感想としては、思っていた通り西側(特に米国)に偏った論調に始終した番組で、大手マスコミの限界というものを改めて垣間見る思いだった。

個人的に思うのは、今現在のウクライナ問題を正しく把握するには、ウクライナの国内事情、そしてプーチンという人物を識っていない限り、今のウクライナ情勢を見誤る恐れ大ということだ。

第一に、プーチンが置かれている立場というものを、動画に登場する三人のパネリスト全員が関心がなさそう、なさそうと言うよりは、まったく理解していないのが手に取るように分かる。つまり、林千勝氏の言うところの「NWO」について、知ってか知らずか三者とも全く話題に取り上げることはなかった。そのNWOと対峙している一団のリーダーこそがプーチンに他ならず、このあたりを認識しているのとそうでないのとでは、天地ほどの差があり、その人の持つ世界観というものが全く異なってくるのだ。

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小生がプーチンについて言及した拙稿は194本に及んでおり、その小生のプーチン観を確立してくれたのは四人の識者(山浦嘉久・飯山一郎・佐藤優・畔蒜泰助)だ。なかでも、山浦さんから直接話を聞けたことは大きかった。

天啓がプーチンに降りた。クリミア併合あたりから、プーチンの顔つきが変わってきたことからして明かだ。これは、世界がとてつもない大転換期を迎えようとしていることを意味し、その大転換期への橋渡し役を担うのがプーチンということになる。そうしたプーチンの本当の姿を最初に見抜いたのがバチカンとイギリスだった。そして、最近はイスラエルも気づき始め、ロシアを支持するようになってきている。
天啓を得たプーチン


なを、上記の拙稿では藤原源太郎の話となっているが、これは山浦嘉久さんのペンネームだった。

ところで、同拙稿の中で小生は佐藤優氏の記事を紹介している。
ウクライナとクリミアの歴史的経緯を鑑みれば、ウクライナが"善"でロシアが"悪"なんていう簡単な構造ではないことがわかります

記事の冒頭で佐藤氏が、以下のように語っているのに注目されたい。

ロシアのこともウクライナのこともわかっていない人が、アメリカの情報を基にして書いている「素人の記事」ですから、鵜呑みにしないほうがいいと思います。


佐藤氏は東京新聞の記事を指しているのだが、上掲の日テレの動画も、素人の井戸端会議に過ぎないのがお分かりいただけるだろう。この佐藤氏の記事は8年前の記事なのだが、今日読み返しても、ウクライナの国情を知る上で最良の記事の一本だと小生は思っている。

ここで、その他の識者はウクライナ情勢について、どう観ているのだろうか?


【ぼくらの国会・第272回】ニュースの尻尾「プーチン大統領は日本を試してるぞ」

青山繁晴議員の動画は数多く観ており、ほとんどの動画について小生は高く評価している。殊に、メタンハイドレートと皇室関連については、素晴らしいの一言に尽きると思う。しかし、別のテーマとなると、目も当てられない動画もままあるのだし、上掲の動画もそうした一本だ。青山氏はロシアのクリミア侵攻について語っているのだが、それを北方領土に結びつけているのはいただけない。何故なら、1945年当時のソ連と現在のロシアは、全く別の国であるという視点が必要であり、特にエリツィンからプーチンが政権を引き継いでから間もなくして、ロシアは嘗てのソ連ではなくなったということが、どうも青山氏には理解できていないようだ。

栗本慎一郎氏も語っているように、ロシア革命を引き起こしたのは西側だった。つまり、ソ連を建国したのは西側だったし、当然ながら米ソ冷戦は出来レースだったことに思いを致すべきである。この〝西側〟だが、今日ではNWOあるいはネオコンと呼んでいる。そして、そのNWOと対峙しているのがプーチンということになる。

もう一人、最近ロシアについての動画が多い、柏原竜一氏の動画を一本だけ紹介しておこう。


柏原竜一のインテリジェンス 台湾、北方領土が日本の領土にもどる日 TSMCとサムソンから透視する今後の世界秩序

柏原氏のロシアに関する動画は数本観ているが、共通して云えることは同氏のロシア観も、ソ連時代のままということである。これでは動画に掲げている、「インテリジェンス」の看板が泣こうというものだ。

ここで、青山氏や柏原氏と違い、故山浦嘉久さんや佐藤優氏同様、深くウクライナの国情を理解している識者の一人に、幸福実現党の及川幸久氏がいる。だから、以下の及川氏の記事は一読に値すると思うし、同氏の主張には小生も概ね賛成である。
(及川幸久)【言論チャンネル】ウクライナ国境にロシア軍大集結。第三次世界大戦勃発か?ロシアからみたウクライナ問題の真相。

小生は「プーチンと六韜」で、故飯山一郎さんの以下の記事を紹介した。
◆2014/03/22(土)2   『 プーチンの兵法 』

同記事には飯山さんが遺してくれた、プーチン兵法に関する記事一覧が表示されており、気になる記事があったら一読するといいだろう。上掲の記事で飯山さんは、「プーチンの兵法』は、『孫子の兵法』を凌ぐかも知れない」と書いているが、小生も同感だ。だから、今回のウクライナ騒動にしても、個人的には高みの見物を決め込んでおり、仮にプーチンがウクライナに侵攻したら、どのようなプーチンの戦略がウクライナで展開されるのか、プーチン兵法を注意深く見守りつつ、自分の頭でプーチン兵法について考察してみたいと思う。ご参考までに、小生は「プーチンと六韜」で以下のように書いている。

プーチンの兵法』が『孫子の兵法』を凌いでいるかどうかはさておき、孫子に匹敵するほどの兵法が我々の目の前で展開されていることだけは確かだ。よくぞプーチン兵法の目撃者として、凄い時代に生まれ合わせたものよと、天に感謝したい気持ちで一杯である。


最後に、今や時代が大きく変わろうとしていることは、以下のマドモアゼル・愛氏の動画からも、十分に伝わってくるのではないだろうか・・・。


流れがサーッと変化してきている

マドモアゼル・愛氏と言えば、同氏の別の動画で「本物のプーチンは既に亡くなっている」と、サラリと語っていたのが今でも小生の耳にこびりついている。それは、プーチンと30年間連れ添い、2013年に離婚した元妻のリュドミラさん、「(目の前にいるプーチンは)夫ではない」という言葉を残してプーチンの元を去っていたからだ。恐らく、事の真相を永久に我々は知ることはないだろう。ただ、仮に本物のプーチンや金正恩が、既に亡くなっていたとしても、プーチンあるいは金正恩が遺していった国家としての土台は、これからも継承されていくはずだ。それが国家というもの、マドモアゼル・愛氏が謂うところの「サーッと変化してきている流れ」に乗ることになるからである。

【追加情報】

2022.1.29【ウクライナ】ランド・ポール上院議員とFOXタッカー・カールソンの視点:アメリカは関わるべきではない【及川幸久-Breaking】


2022年を徹底的に占う 全般の運勢 日本と世界の動向について


【第310回】ウクライナとの関係におけるプーチンの考え方!

トヨタイムズ
本来は2月10日締め切りだった仕事(自動車関連の翻訳)、意外と早く昨日の正午過ぎに終わらせることができた。その後、三週間ほどかかった今回の仕事の合間に、ブックマークしておいた気になる記事や動画を、じっくりと読んだり見たりして過ごしている。今のところ最も印象に残っているのが、豊田章男トヨタ社長の対談動画(前編・後編)だ。


イチロー×豊田章男×小谷真生子 2018 「ここだけの話」(前編)|トヨタイムズ


イチロー×豊田章男×小谷真生子 2018 「ここだけの話」(後編)|トヨタイムズ

この三者対談動画では、個人的にはイチローの話が一番面白かったと思う。一方、豊田氏の場合はそれほど記憶に残るような話は無かったものの、一つの収穫があった。それは、豊田氏も我々と同じ日本人であるという、当たり前の事実だったのだが、現在『皇室と日本精神』(辻善之助 大日本出版)という書籍に目を通していることもあり、豊田氏も確実に日本精神を自身の土台にしていることが分かったのである。

ここ数年の小生は、書籍よりも動画を見る機会が増えている。なぜなら、テレビや動画に登場する人たちの人物が手に取るように判るからだ。豊田社長の場合も、動画から滲み出る人間性、語りの口調、話の内容、身体の仕草など、豊田章男という人間が余すところなく映し出されていた。このように、自分を公の前に晒すということは、人となりが分かってしまうことであり、ある意味、テレビや動画は怖いと改めて思った。

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豊田社長の顔を久しぶりに見たので、トヨタイムズのHPにアクセスしてみたところ、目に留まったのがスズキの鈴木修会長と豊田氏の対談動画であった。


【第1章】鈴木修会長×豊田章男社長(聞き手 小谷真生子)「ここだけの話」| トヨタイムズ


【第2章】鈴木修会長×豊田章男社長(聞き手 小谷真生子)「ここだけの話」| トヨタイムズ


【第3章】鈴木修会長×豊田章男社長(聞き手 小谷真生子)「ここだけの話」| トヨタイムズ

特に注目したのが、【第1章】(9:05)の鈴木会長による豊田社長評である。当時(2011年)の豊田氏は、社長を辞めさせられるかどうかの瀬戸際に立たされていたのを初めて知った。

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そうしたことがあったとは露知らず、拙稿「若き日の孫正義」で「初代が作り2代目で傾き3代目で潰す」という諺を持ち出して、トヨタグループの祖・豊田佐吉の直系の曾孫である豊田章男社長を批判、一方で初代、すなわち創業者である、孫正義を高く小生は評価していたが、同記事を書いてから5年が経過した今では、小生の二人に対する評価は逆転している。

ともあれ、鈴木会長と豊田社長の二人の言葉の端々から垣間見える、物づくりのトップならではの物の見方・考え方は、同じく自動車メーカーに勤めていた身として、同感できるところが実に多かった。

【追加】

食糧備蓄は大切です! 2022/01

アスパラ屋仁左衛門という農業を営む人が、メディアについて興味深い発言をしていたので紹介する。このあたり、トヨタイムズという、大手マスコミに頼らない独立系のメディアを、トヨタが立ち上げた経緯を知っているだけに、アスパラ屋氏の「新聞は購読しない。テレビは捨てる」という主張に、トヨタと相通ずるものを見た。

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林千勝氏もそうだが、新聞やテレビを捨てることで、人は自分の頭で考えなければならない状況に追い込まれるので、自ずと物事の本質を見極める力が身につくのだろう。

ところで、昨日トンガで海底火山噴火が起きた。これから何が起こるか分からない世の中にあって、万一に備えての食糧備蓄は大切となる。アスパラ屋仁左衛門氏も上掲の動画で語っているように、一人あたり20kgの米は最低でも確保しておきたいところだ。

武士の時代 16
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読者の皆様、新年明けましておめでとうございます。

ちょうど六年前の2016年1月3日、「門松は冥土の旅の一里塚」と題する記事をアップ、同記事の冒頭で小生は以下のように書いている。

「門松は冥土の旅の一里塚 めでたくもありめでたくもなし」という、一休の狂歌に使われている「冥土」は拙ブログ名の一部にもなっている。亀さんは拙ブログを開始して間もなく還暦を迎えたこともあって、正月を迎える度に人生の終わりに近づいているという、何とも言えぬ寂寥感を感じる身となった。


爾来、六年もの歳月が流れたことになり、改めて「光陰矢の如し」という諺を思うのだし、来年は古希を迎えることもあって、この世で〝暇潰し〟をする時間も、残り少なくなってきたと感じる今日この頃だが、ここは気を取り直して、今年こそは飯山史観を完成させるべく、ラストスパートをかけたいと思っている。

■日本の中世・近世・近代
前稿「武士の時代 15」で近世の時代に入ったこともあり、ウォーミングアップのつもりで光秀=天海説について書いた。よって、いよいよ今回から本格的に日本の近世について筆を進めていこう。ただ、その前に日本の中世・近世・近代を、明確に区別しておく必要があると思ったので、最初に手許の大辞林(電子版)に載っている、各時代区分の定義を見ていくことにしたい。

中世 歴史の時代区分の一。古代に続き、近代に先行する時期で、封建制を基礎とする。西洋史では、五世紀のゲルマン民族大移動から、一四~一六世紀のルネサンス・宗教改革までの時期をさす。日本史では封建制の時期を前期と後期に分け、後期は近世と呼び、前期のみを中世と呼んで、鎌倉・室町時代をこれに当てる。

近世 歴史の時代区分の一。中世と近代の間の時期。(ア)日本史では、後期封建制の時期の安土桃山・江戸時代をいう。(イ)西洋史では近代と同義に用いられることが多いが、特にそのうち市民革命・産業革命までの時期を近代と区別していう場合がある。(ウ)中国史では明末・清初以後、辛亥(シンガイ)革命までをいうのが普通。

近代 歴史の時代区分の一。西洋史では、ルネサンス、新航路の発見、宗教改革以降の時代、特に市民革命・産業革命以後の資本主義社会の時代をいう。日本史では一般に、明治維新から太平洋戦争終了までの時期をさし、それ以降を現代というが、一九一七年のロシア革命以後を現代、それ以前を近代とする考え方もある。


以上が、世間で謂うところの中世・近世・近代の時代区分だ。では、どうして鎌倉時代から大東亜戦争終了までが、中世・近世・近代という時代区分になったのか? このあたりについてだが、大辞林で定義されているような、統一した見解が未だに我が国では定まっていないのが現実だ。たとえば、近世という新しい時代が始まった切っ掛けとして、「YAHOO!知恵袋」のベストアンサーの場合、近世の始まりには諸説あるとしている一方で、そうした諸説に共通して見出せるものこそ(最大公約数)、「土地制度と兵農分離」だとしている。

そこで、幾つかの歴史関連のサイトにアクセスし、近世をどのように捉えているかを確認するに、たとえば「日本史論述ポイント集」というサイトの場合、「近世社会の礎を築いた大閤検地」と言い切っている。このあたりについては、YAHOO!もベストアンサーで近代の礎は「土地制度」、すなわち大閤検地であるとしているし、小生も同感だ。何故なら、大閤検地は天下人でなければ為し得ないことであり、その大閤検地については「日本史論述ポイント集」の「近世①」でも詳述している。

ただ、YAHOO!のベストアンサーで主張している、もう一つの近代日本の礎となった「兵農分離」については、「日本史論述ポイント集」では特に述べてはいないものの、豊臣秀吉の刀狩り令(天正16年(1588))を以て嚆矢とできよう。それは、日本全土で刀狩り令を確実に進めるには、天下が統一されていることが大前提となるからだ。この天下統一こそが日本の中世と近世を分けたものであると思うし、上掲の「日本史論述ポイント集」も以下のように解説している。

ズバリ言うと〈権力のあり方〉の違いです。

中世には統一的な権力は現れませんでした。鎌倉時代は公武二元支配でしたし、室町時代も分権的な状況で、そうした中からこそ〈自立〉的な存在が生まれたと言えます。

これに対して、近世には、豊臣秀吉が天下を統一して一元的な権力者となります。徳川家康は征夷大将軍への任命によって全ての大名に対する指揮権の正統性を認められました。「天下人」の登場です。


これで、中世日本と近世日本の違いが明確になったと思う。続いて、近世日本の礎を築いた信長・秀吉・家康・光秀の四傑について言及していこう。

■四傑と一霊四魂

織田信長、豊臣秀吉、徳川家康、明智光秀の隠された恐るべき関係性|小名木善行×羽賀ヒカル

この動画は、一霊四魂という視座から四傑の人物を評価した内容となっている。一霊四魂思想は神道家の本田親徳が編み出した独特の霊魂観であり、明治に入ってから体系化されたものだ。ちなみに、この一霊四魂をテクノロジー化し、「個性認識学」(四魂の窓)を開発した人物がおり、それが出口王仁三郎を曾祖父に持つ出口光氏だ。

ところで、人は身体と霊魂から成ると言われている。この霊魂だが、「一つの霊「直霊(なおひ)」と、四つの魂「荒魂(あらみたま)」「和魂(にぎみたま)」「幸魂(さきみたま)」「奇魂(くしみたま)」から出来ている」と、神道ライターの紺野うみさんは語っている。

ここで、小名木善行氏との対談動画において、北極流占い継承者の羽賀ヒカル氏が、本来は一人の個人に備わっているはずの四魂を、信長・秀吉・家康・光秀の四傑に振り分けるという試みに、正直なところ最初は戸惑ったものの、同氏の説明を聞くに及んで、四傑の一人一人には最も強く顕れる四魂が一つだけあり、それが四傑各々の思考行動様式を決定付けているというのが、羽賀氏の主張だと分かった。つまり、羽賀氏によれば、直感力すなわち先見の明があった信長は奇魂、和合・友好の力を持った秀吉は和魂、忍耐力・諦めぬ心を持った家康は荒魂、幸せを祈る力を持った光秀は幸魂とのこと。四傑の人物の違いを考える上で、一つの面白い見方だと思った。

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和魂カウンセラー協会

次稿では、四傑の一人一人を取り上げていこう。

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