前稿「武士の時代 13」をアップしたのが2021年5月23日、かれこれ半年も飯山史観を更新していなかったことになる。それと、武士の時代シリーズで鎌倉時代から室町時代に舞台を移したのは、「武士の時代 08」(2021年2月2日)からなので、室町時代で一年近くも足踏みしていたことになる。
そうなった理由は幾つかあるが、私的な理由としては本業(翻訳)が5月以降から多忙になったことと、背骨の骨折で1ヶ月近く入院をしたことなどによる。また、それ以外にも理由があり、それは平成の御代から令和の御代にかけて婆娑羅の時代に突入、そこで婆娑羅とは何だったのか、これからの我々が生きていく羅針盤として、婆娑羅は何を教えてくれるのか、そのあたりを歴史から学ぶ意味で、婆娑羅が登場した室町時代にスポットを当てたかったし、それに関連して、婆娑羅の時代到来を思わせる米大統領選をはじめとする、様々な世界情勢についても時間を割いてしまったことも大きい。
 エリザベス女王が天皇陛下と握手する際に、自ら一歩踏み出す理由
この室町時代だが、婆娑羅の登場以外に九州の地で南北朝戦争が起こり、敗れて下甑島に逃れた南朝を同島の和田家が匿い、その南朝の繋累が現皇室へと繋がっている。また、その後に至って薩摩で見え隠れする英国の影(ワンワールド)、島津家と西郷隆盛の公になっていない謎の動きなど、故飯山一郎さんから直接聞き及んだ秘話も、その一部は幾本かの拙稿で言及したが、いずれ幕末期あたりで総括せねばならぬテーマということもあり、そのあたりの思索にも時間を割いていたため、飯山史観の新稿が遅れたというわけである。
ともあれ、「武士の時代」シリーズの完結までには、まだまだ時間がかかると思うが、基本的には今東光和尚の言葉に沿った内容になりそうだ。以下、和尚が総括的に武士の時代について述べていた行からの引用である。
鎌倉時代の転換期を作ったのは源頼朝で、それを完成したのは足利尊氏。近代の転換期は信長によって作られて家康によって大成したんです。 『毒舌日本史』p.223

さて、拙稿「武士の時代 13」で足利尊氏を取り上げたので、本来であれば婆娑羅についてさらに深く言及する意味で、佐々木道誉を取り上げたいと思っていたが、この婆娑羅については多くを今までに拙ブログに書いてきたので、佐々木道誉については割愛させてもらうとして、代わりに倉山満氏の動画を紹介するに留めておこう。
新番組 歴史人物伝~足利の時代 第2回「 佐々木道誉」秋吉聡子 倉山満【チャンネルくらら・6月18日配信】
特に佐々木道誉についての動画は、婆娑羅の実態を理解する上で大いに参考になるし、婆娑羅の時代を生き抜くヒントを与えてくれるので、一度は見ておいても損は無いと思う。多分、読者をして気宇壮大な気持ちにさせてくれるだろうし、小さくまとまってしまった現代日本人を思うに、我々と同じ日本人が室町という時代を逞しく生き抜いたのかと思うと、これから婆娑羅の時代を迎える我々としては、実に心強く思うのである。 「武士の時代 13」
また、倉山氏は第三代将軍であった足利義満についても動画で詳説しているので、ついでに紹介しておこう。足利義満はどのような将軍であったのか、その人物がよく解る動画だ。
新番組 歴史人物伝~足利の時代 第3回「 足利義満」秋吉聡子 倉山満【チャンネルくらら・7月2日配信】
ところで、何故に令和が婆娑羅の時代と言い切れるのかについて、過去の拙稿でも多様な観点から述べており、以下は「武士の時代 12」に書いたものである。
現在進行している情報大革命は、最早人間の力で止めることの出来ない、「人間中心」という言葉で代表される大きな流れなのだ。そして、「人間中心」という言葉から小生の脳裏に浮かんだのが「婆娑羅」(ばさら)であった。すなわち、従来の生き方(伝統的な思考・行動様式)には囚われない、まったく新しい生き方を貫ける人たちの時代が、間もなく到来しつつあるということである。 武士の時代 12

室町時代に関しては、他にも応仁の乱や戦国期といった書きたいテーマは多々あるが、なかなか室町時代から抜け出せなくなるおそれがあるので、次稿では一気に安土桃山時代へと筆を進めたいと思う。
【追加1】 拙稿「武士の時代 11」で取り上げた世阿弥の風姿花伝を、初心者にも分かるように解説した動画。
【人生100年時代の必読書】風姿花伝|世阿弥 大丈夫。あなたは一生輝ける… ~室町時代より伝わる秘奥義の伝授~
【追加2】 8年ほど前に京都を旅したが、訪問先の一つが伏見宮家縁の地であった。
他用で〝さる筋〟と電話で語り合っていた時、中世のころの亀さん家のルーツは京都にあるという話を、昔日さる筋がしていたのを思い出し、「京都でルーツを求める旅をしたいので、何かヒントになることを教えていただきたい」と問うと、「伏見宮家縁の土地および八坂神社」を訪ねると良いとのアドバイスであった。 遠祖を求めて
上掲の「武士の時代 13」でも書いたとおり、落合莞爾さんも伏見宮家について、自著(『南北朝こそ日本の機密』)で言及している。
その一方で、冒頭で紹介した『南北朝こそ日本の機密』の目次を、改めてじっくり眺めるに、第Ⅳ部「伏見殿の真相」の真偽を見極める意味で、一度は時間を掛けて伏見宮について検証する必要があると感じているのも確かだ。何故なら、堀川政略を落合さんに伝えたさる筋(栗原茂さん)から、実に多様な視座から伏見宮について直接聞き及んでおり、伏見宮について一度整理する必要性を感じているからだ。 「武士の時代 13」
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