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人生は冥土までの暇潰し

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人生は冥土までの暇潰し
亀さんは政治や歴史を主テーマにしたブログを開設しているんだけど、面白くないのか読んでくれる地元の親戚や知人はゼロ。そこで、身近な話題を主テーマに、熊さん八っつぁん的なブログを開設してみた…。
洞察歯観のすすめ(41)
過日の台風19号で崩れた千曲川の堤防近くに居を構える、歯科&音楽ウォッチャーさんから今年初めての原稿が届いた。ウォッチャーさんの新記事、今か今かと心待ちにしていた読者のため、早速アップしよう。

今回の内容は宮沢賢治ファンだけではなく、シャーマニズムに関心を抱く読者にとっても必読でR。

宮澤賢治 ラプソディ

###遠いところへ行くのでしょう ねぇ 行くのでしょう 私を置いて~
世界のどこへ行ったって 今も争い続いている いつになれば小鳥たち 羽ばたけるの?~
世界のどこへ行ったって 想定外の雨や嵐 地球の悲しみの声 聞こえるでしょう~
世界のどこへ行ったって 自分ファーストを叫んでいる 見えない壁で心が離れていく~
きっと私は行くのでしょう 心を決めて~ ###

今年、令和という新しい時代の幕が上がる、ほんの少し前のこと。
ある雑貨店で買い物をしているときに、「遠いところへ行くのでしょう~」と歌う曲が流れていました。昭和時代のフォークソングを思わせる、シンプルで覚えやすいメロディーに乗せて女性デュオによる歌のようで、何とも懐かしい気分になったのですが・・・その歌う内容が、不思議と心の奥に流れ込んで消えることなく帰宅しました。
帰宅後、あれこれと調べてみたところ、歌っているのは、ビター&スィートという女性デュオで、今年3月27日に「遠いところへ行くのでしょう」というタイトルでシングルCDが発売されていました。その後も何度か店先で耳にすることはあったのですが、令和の幕が上がると、いつの間にか聞こえなくなりました。
シンプルなメロディーに乗った歌詞は心から離れることなく・・・。


~遠いところへ行くのでしょう~と、歌に誘われてというわけではありませんが・・・この秋口あたりから、休日を利用しては、あの町~この町、田舎町を歩くという小さな旅を楽しんでおります。
そのようななか、ある田舎町で歩き疲れたところで目にとまった歴史博物館。よく見ると小綺麗なレストラン喫茶があり、そこで珈琲を飲みながら一息つていたときのこと・・・マガジンラックに並べられていた小雑誌を何となく手に取って、パラパラと流し読みをしていたところ、
「歌は時を超えて**印度の虎狩り」というエッセイを見つけました。
「印度の虎狩り」というのは、「セロ弾きのゴーシュ」の物語で、ゴーシュが猫に聴かせたハードロック?風味な曲のタイトル。
小雑誌のエッセイには、次にようなことが記されてありました・・・
***「印度の虎狩り」という曲は、架空の音楽と思われるけれど、佐藤素平氏(宮澤賢治研究家であり、作家で、オルガニスト)の研究によると、昭和6年にビクターから「印度へ虎狩りですって」という歌のレコードが発売されていたらしい。おそらくダンス音楽で、男性歌手が歌っている。ところどころに虎の咆哮なども入るユーモラスな曲であり、物語のなかで猫がのたうち回る状況とはちょっと違う気がする。賢治は曲名だけを知ってヒントを得たのだろうか。***

20011502.jpg

エッセイを読み進めているうちに、ひょんなことを思い出しました。とはいっても、はっきりとしたものではなく、おぼろげながら浮かび上がってきたもの・・・それはもう随分前のことになりますが、蒲田東二氏が話していたことで・・・この出そうで出てこないもやもやを抱えたまま帰宅したものの、わずかに部分的な記憶しか蘇らず、その後、四畳半倉庫の段ボールをひっくり返すこと二日と半日。鼻水啜りながら、やっと見つけ出したのが「憑霊の人間学」という一冊。
これは、平成元年、佐々木宏幹氏と蒲田東二氏が、憑霊とシャーマニズムのもつ多種多様なアスペクツ(諸相)について自由に考察するという「憑霊の人間学」と題した二人の講話と対談をまとめたもの。久しぶりに手にとりページを追ってみました。
下記 出そうで、なかなか出てこなかった蒲田東二氏が話した内容をいくつか紹介してみます・・・
***この前(1989年)の12月2日は、私にとっては凄く象徴的な体験だったんですが、学校を学生といっしょにでた途端、学生の一人が「お月さんと星がくっついてる」というので私も見てみると、本当に三日月と星が合体しているんですね。今まで見たことのない不思議な光景でした。
その時に感じたのは、それぞれの家には家紋がありますが、月と星が家紋になっている家があり、それは千葉氏の家紋で、三日月の上に北極星がある。千葉氏は妙見信仰もっていた一族だった。真っ先に、千葉氏が復活するのではと思いました。
平成という名前がついてしまったからには平静ではいられないのが歴史の掟のようなもので、日本では、「平」という文字がついた時代は乱世になってしまうという宿命をもっている。「平」の字が頭についた元号は、「平冶」が最初で、その年の12月に平治の乱が起こっています。そしてこれが源平の合戦の引き金となって、慈円のいう「「武者の世・乱世」の中世を生み出していくわけです。そして、二番目に「平」の字がついたのが、この平成時代なんです。
平成の幕開けは、日本内外で天安門からベルリンの壁崩壊まで、東からへ極端から極端へ動き続けました。これは一体、誰が仕組んでいるのでしょう。一体なんのなせる業なのでしょうか。この現象は様々な伏線の上に成り立ってきたものですから、一概にカルマとは簡単にはいえない。歴史の大きなうねりを今年ほど特に感じた年はありませんでした。そうした矢先にこうした天体ショーがあった。
ところで、幕末期の国学者・平田篤胤は、千葉氏の出身で、千葉氏が復権してくるということは、ある意味で平田篤胤が復権してくるという意味も含んでいる。平田篤胤は、仙道虎吉とか、道教、あるいは神道でも非常にシャーマニズムと結びついている神道。あるいは、密教の世界を探求してきたわけです。そして、日本の霊学の先駆者でもある。平田篤胤を含むこれらの研究は、1960年以降からかなり注目されてきたわけですが、これがいよいよトータルに浮かび上がってきた時代がきたのかなという様々な感慨が巡りました。
と同時に、ちょうどその時刻には、地中海のマルタ島で米ソの首脳が対談を行っていた。そして、声明に米ソの両首脳がいっしょに現れたというのは前例がないということが報道されました。マルタとポスト・マルタでは世界史がかなり違っているのだと思う。つまり、第二次世界大戦の米ソ両大国を軸とした冷戦構造の変化にきざしが現れたのです。そして、それは、1992年のEC統合などの動きを更に複雑にしていく歴史出来事だと思います。
そういうことを考えてみると、この月と星は、アメリカとソビエトの象徴ではないかと思えてきます。国の家紋である国旗を見ると、アメリカの星条旗、ソビエトにも星の形に似た鎌がある。そこで、新聞でちょうどマルタ島の対談が始まった時刻というのは現地時間で午後十時で、時差の八時間を考えると、日本時間では、ちょうど午後六時なんです。米ソの首脳が会っていたときに月と星の動きと深く照応しあっていて、天体の動きから社会の動きを読み取ることも可能だと、おそらくシャーマンならば考えると思うんです。ですから、我々の世界は、自然科学的な説明、社会科学的な説明も出来ますが、星を読んだり月を読んだりすることで、世の動きと未来を感知することが出来る。そういう星を読む人たちというのは、シャーマン的な能力を持って現象を読み解き、それを理論化し体系化していったわけです。そういうことをこの前に感じました。
月と星の合体は、新しい時代を告げる象徴的な天体ショー。おそらく、それと関連して、今までのシャーマニズムとは違うシャーマニズムが今日現れてきている。それを、ネオ・シャーマニズムと呼んでいます。
さらに、世界宗教である仏教にもネオ・ブッティズムとして新たな展開期を迎えているといえます。そしてまた、天皇の崩御に始まるこの一年は、神道にとっても未来を占うような年でした。そういう意味では、ネオ・シントイズムが語られ始めることしょう。
おそらく、日本の文化に深く根ざした宗教のなかでは、シャーマニズムとブッティズムとシントーイズム、このいずれの局面にもネオとつく新しい動きがすでに始まっていますし、それはこれから、かなりはっきりと浮かび上がってくるに違いありません。この、ネオ・シャーマニズム、ネオ・ブッティズム、ネオ・シントーイズムという新しい動きの日本における先駆者的人物がいます。***

日本における先駆者的人物とは・・・
***その先駆者的人物というのは、ほぼ同時期に生きた、宮澤賢治 南方熊楠 折田信夫、この三人です。この三人は、いずれもシャーマニズム、シントーイズムに内的に深く拘わった、新しいビジョンや生き方を示した人物ではないか。そこに、たとえば月とか星とか象徴的な天体的シンボルが表れてきている。***

蒲田氏は三人の人物を登場させているのですが、その内の一人が、セロ弾きのゴーシュ(宮澤賢治)!というわけです。
そして、蒲田氏は、賢治の「東岩手火山」という詩を紹介しつつ、・・・
「月は水銀 後夜の喪主 火山礫は夜の沈殿
火口の巨きなゑぐりを見ては たれもみな驚くはずだ (風としづけさ)
いま漂着する薬師 外輪山 頂上の石標もある (月光は水銀 月光は水銀)」
(賢治は、この詩を東岩手火山へ登り、その時の体験をもとに下山した翌日に記したという)

・・・この賢治の詩について、次のように話を進めます。
***古来、月は錬金術の一方の非常に重要な象徴であり、水銀というのは人間の心・魂・精神を変えていく目に見える物質ですから、水銀は流とか蛇とかのシンボルとも結びついた。液体であるけれども個体である。さまざまに姿形を変えていく両義的な存在としての水銀は、アストラル体やエーテル体とも結びつく。流れうごめいて姿を変えていく、そういう魂の変成状態を媒介する物質として水銀というものが注目されてきたわけです。錬金術において水銀がもっている象徴的意味合いは非常に深いものがある。水銀を飲んだ人は死にます。死を体験するということは、シャーマニズムにおける根本体験なんですね。死を体験せずにシャーマン的世界はわからないし、宗教的本質はわからない。死と再生というのは、シャーマニズムのなかにある、あるいはイニシエーションがもっている秘技的核心ですから、死をいかに体験するか、また、いかにして生きたまま死を体験するかという点は宗教的体験の核心にある。
そういう時に、水銀というのは自ら死に近づいていくための、それを導いていくためのひとつの物質といえるかもしれない。シャーマン宮澤賢治は、
「月光は水銀 月光は水銀」
と繰り返し、月光世界と水銀の統合を語ります。ここでは、月光はまさに水銀そのものです。そして、その月光が当たっている自分の魂というものを浮遊させ、それをどんどんハイにさせ変えていこうとする。まさに魂の錬金術が今行われようとしている。***

シャーマン宮澤賢治・・・

賢治が東岩手火山に登ったとき、午前三時頃、岩陰から火口に向かって、一時間近く朗々と南無妙法蓮華経を唱えていたいいます。山に同行した賢治の教え子の一人、照井謹次郞氏は、
「宮澤賢治先生の声は、ものすごくきれいだった」
と思い出を語っておりますが、午前三時。これは、とても大事な時間であると蒲田氏は指摘します・・・

***夜中の三時というのは非常に大事な時間です。前の日が完全に終わって、次の日が始まる時間が午前三時なのです。私が出会った日本の霊能者は、いつも午前三時が自己変容の象徴的な時間になると言っています。
例えば、沖縄のノロの家系に生まれた人は、結婚しましたが、離婚せざるを得ない非常に苦しい状態になった。その時に、毎晩午前三時に神様にたたき起こされる。起きたくないと思っても背中に龍が浮かんできて、自分を突き上げてくる。ですから、起きざるを得ない。起きて、水行とか交信が始まる。そして、神様がいろいろその人に指示を与える。これは、シャーマンがシャーマンになっていくための巫病に一種といえます。
巫病というのは、シャーマンがイニシエーションを通過する一時期に現れてくるコンフリクトや症状です。社会的には狂気にも見られるものです。また、本人も一体自分に何が起こっているのか自覚的につかめない状態です。またある別の何人かの人物も、午前三時に命じられて行をさせられるといいます。また、修験者の人も午前三時に起きて瞑想する。
会う人会う人なぜか知らないけど午前三時という。ということは、午前三時に始めるということは、少なくとも修行とか神事というものは一時間近くかかりますから、三時から四時の間、丑寅の時刻から虎の時刻にかけて行われるということです。おそらく古代の神事も重要な時間帯としてその時間に行われていたに違いない。呪いの丑の刻まいりもそうですね。宮澤賢治はそういうことを意識しておりません。彼は三時か四時頃に意識の変調状態に入りかけていた・・・***

さて、宮澤賢治とは・・・蒲田氏の話は、まだまだ先があるのですが、このあたりで、鎌田氏の語りを一時心に留め置き、改めて宮澤賢治の世界を引き寄せてみるのも良いか思います。美しい日本語を書く賢治の作品は、読み始めると不思議にも、いつの間にやら聴いている・・・に、変化し、読んでいる最中、何やら今までに聴いたことのない音楽が心内に浮かび上がってくるやも知れません。

ーー追記ーー

~遠いところへ行くのでしょう~~という昭和風味のメロディーに乗って、田舎町散策していたところ、偶然にも?巡り会った「歌は時を超えて**印度の虎刈り」というエッセイの載った小雑誌のおかげで、セロ弾きのゴーシュの物語や蒲田氏の話を思い出したわけですが・・・そう言えば、
「メロディーは脳に、ハーモニーは呼吸に作用する。リズムは、手足の運動や血管の循環、物質代謝を左右する。病は、この三つのバランスが崩れることだから、音楽で調整してやれば良い」
と語ったのは、確か、シュタイナーだったか・・・?
「メロディー ハーモニー リズム」・・・とすると、セロ弾きのゴーシュは、音楽療法の達人であり、名医である。と、いうことになるでしょうか・・・!
以前、音楽評論家の萩谷由喜子氏が、
「宮澤賢治は、大正七年頃、花巻の岩田用品店で初めて本格的な洋楽レコードを聴いて、たちまちその虜になった。蓄音機のラッパの中に首を突っ込むようにして全身全霊で音楽を浴び、クラシック音楽から独自の霊感を得て、その手法を自身の文学作品に豊かに反映させていた。まさに、クラシック音楽のレコードこそ、賢治文学の霊感の源泉だったと言っても過言ではない」
と、賢治と音楽について語っておりましたが、宮澤賢治は音楽から何か透明な力を得ていたのでしょう。しかし、それは、何もクラシック音楽だけに止まるものではく、もっと身近な土臭さを感じさせる音からも肌で見えない力を吸収していたはず・・・「セロ弾きのゴーシュ」の物語を読むにそのように感じます。子どもの頃、「セロ弾きのゴーシュ」を読んでいると、身体の中を色々な音楽が駆け廻るような感じを受けたことを思い出します。五十音という音符を用いて書き上げた音楽作品なのかも知れません。
ところで、ゴーシュの家を訪ねた森の動物たち!この動物たちは一体何者だったのでしょう・・・ゴーシュと動物たちが会話する中に、そのヒントが潜んでいるような気がします・・・

ーー追記 その2ーー

このところ、レイ・ブライアント・トリオのアルバム
「ゴッド・ファーザー」を寝酒代わりに聴いておりますが、賢治作品に触れるときBGMにも大いに役立ちそうです。と言っている今、聴きつつ呑みつつしており・・・酔いつぶれる前にもうひとつ。
レストラン喫茶で手にした小雑誌のエッセイにあった、「印度へ虎狩りですって」・・・実はこの曲!聴いたことがあります。コミックソング風でイントロ部分は、ハリマオ!でも出てきそうな雰囲気があり、大滝詠一あたりがプロデュースして、リバイバルさせていたなら、案外面白いワールド・ミュージックに仕上がっていたかも知れません。
~~ハリマオ!~~
活躍していたのは半世紀以上も前のこと。久しぶりに、主題歌を聴いてみたくなります。



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台湾と西田哲学
本日の1月11日、台湾で総統選が行われる。多くのマスコミが蔡英文総統の圧勝を予測しており、小生も1月5~7日にわたって訪台しているが、同様に蔡総統の圧勝という空気を感じ取ることができた。

今回、久方ぶりに台湾を再訪したのは、台北の中心から電車で30分ほどの所にある、北投温泉の湯に漬かりたかったからだ。そして、せっかく台湾を再訪するのだから、旅のお供にということで一冊の本を旅行バッグに詰めたのだが、それは『李登輝の偉業と西田哲学』(柏久 産経新聞出版)という本であった。

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昨年の10月25日に上梓されたという同書の存在は、旅立つこと二日前、台湾関連の情報入手にネット検索していた折に知り、即アマゾンに注文、届いたのは訪台前日の午後ギリギリであった。だから、初めて同書のページを開いたのは成田空港へ向かう車中だったのだが、やがて同書の世界に没頭していく自分がいた。結局、同書を読了したのは三日後、成田空港に着陸する一時間ほど前で、久方ぶりに青線や赤線で一杯の本となった。読了に時間がかかったのは、幾度も同書を閉じて思索を重ねることが多かったためである。中でも、深く思索を重ねたのが著者である柏久氏の哲学観、そして親鸞であった。

■柏久氏の哲学観
柏久氏の哲学観を一言で言い表すなら、「死と使命」ということになろうか。柏氏は同書の中で以下のように述べている。

西田のフィロソフィーレンに影響された李先生(李登輝)、その使命は公儀に尽くして台湾の人々を幸せに導くというものだった。またわが父祐賢の使命も、より良い農学の実現によってより良い農業、延いてはより良い社会を導く、ということだったと言える。いずれにしろフィロソフィーレンは、人生における最大の苦悩である死の恐怖を克服するための道を導くだけではなく、この世において自らに与えられた使命を自覚させてくれるのである。
『李登輝の偉業と西田哲学』p.126


最初に「死」。昨年の12月17日、長期入院中だった母(享年92歳)が静かに息を引き取った。親戚や近所の助けもあり、滞りなく喪主としての務めも無事に終えた今、現在は2月1日に執り行う忌明けの準備に大童の日々を送っている。こうした身内との別れを体験した直後の訪台だっただけに、柏氏の語る死生観に思うことが多かったのだろう。

実は、西田幾多郎、柏祐賢(柏久氏の父)、李登輝の三者に共通するものが身内の死であり、三者とも各々最愛の長男に先立たれている。これは偶然という言葉で片付けられるようなものではなく、人間世界の不思議さを感じたものである。だからこそ、人が最も恐れている死についての柏久氏の言葉には、鬼気迫るものを感じたのも道理であった。

西田の場合、長男のみならず、妻をはじめとする他の身内も時期を前後して亡くしているが、西田の場合、こうした具体的な形の悲哀だけに留まるものではなかった、と柏氏は語るのであった。

人間にとっての一回限りのこの世(此土)での人生が有限であること自体が悲哀であるというのである。宇宙が無限であるのと比すれば、人の一生など無きに等しい。現実を対象的・物質的に見る限り、それは紛れもない事実である。しかし人生とはそれだけのものなのであろうか。もしそれだけのものなら、ひとは救われない。そこで宗教というものが出てくることになる。
『李登輝の偉業と西田哲学』p.116


この柏氏の言葉、自分も実母を亡くした直後だっただけに、一層身に染みた行であった。

次に「使命」。柏氏は哲学と使命についても以下のように述べている。

愛知すなわちフィロソフィーがもたらすものはひとそれぞれで異なるであろうが、それは、阿弥陀仏すなわち宇宙の理によって与えられた此土(この世)における「使命」なのだと、私は考えている。
『李登輝の偉業と西田哲学』p.124


自分も、一昨年の夏にアルゼンチンを訪れ、友人宅に一か月ほどお世話になっていた時、今後の己れの生き方についての思索を重ねたものであり、以下のようなことを小生は書いた。

今振り返るに、アルゼンチンでの一ヶ月間は、冥途までの暇潰しを決定付ける旅となったようだ。
アルゼンチンで思ふ(8)


すでに、「飯山史観」というカテゴリに書き連ねてきた同史観編集の作業日誌、記事総数が60本に達しており、飯山史観完結までに最低でも150本の記事を書くことになると思うので、60本ということは漸く三分の一強を終えたことを意味している。

完結した暁には一枚のPDFファイルに纏め、掲示板「放知技」の同志に配布、最終的なチェックを依頼した後、アマゾンあたりから電子出版の形で出したいと思っている。それにより得た収益は、志布志市に飯山さんの石碑を建立したいという、堺のおっさんの提案に賛意を示していることもあり、その建立資金に役立てて欲しいと思う。

飯山史観を完成させた後の話になるが、健康体である限り、一年の半分は日本、残り半分は海外で生活するという、大雑把な人生計画を立てている。旅行資金に関しては、ノートパソコン一台あれば世界の何処でも仕事ができるので(アルゼンチンで体験済み)、特に心配はしていない。無論、単なる物見遊山の旅や長期滞在で終わらせるつもりは毛頭なく、思索の旅あるいは滞在にしていくつもりだ。これは、拙稿「」に示した井筒俊彦の「東と西の生きた思想的対話の場」、という言葉の実現を念頭に置いたものであり、これは、柏氏が同書で述べる以下の結語にも相通じるのである。

結局、人間にとってもっとも根源的な問題である死を乗り越え、「いかに生きるべきか」を教えること、使命感を植え付けることなのである。
『李登輝の偉業と西田哲学』p.135


ここで、柏久氏の本には、ヨーロッパの若者の間で西田哲学ブームが起きていることを匂わす記述がある。

西洋の若者二〇人ほどが案内人に先導され、熱心に展示物や流れる音声に耳を傾けているのに出会い、いかに西欧において西田哲学が注目されているのかもわかった。
何故いま西田哲学に注目しなければならないのか?
科学主義イデオロギーの席巻によって、人間を「物」としてしか見ることのできなくなっている現状は、こころを失った人々が不幸の道を転げ落ちている状態だからである。

…中略…

いまや世界には一国主義、拝金主義がはびこり、「正義」が滅びた感がある。それに気づきはじめた一部の西洋人は、主観と客観を分離することなく、現実をありのままに捉え、主体的に生きる道を示す西田哲学に注目しはじめたのである。そこには対立ではなく、調和を導くヒントが隠されているからである。

『李登輝の偉業と西田哲学』p.126~127


また、拙稿「日本人は何を考えてきたのか」でも、小生は以下のように書いた。

改めて西田幾多郎の凄さを再認識し、現在世界で西田哲学が見直されつつあることを知った。


■親鸞
『李登輝の偉業と西田哲学』を通読して、最も驚いたのが親鸞についての行であり、その行を目にするまでの自分は、西田幾多郎の哲学に最も大きな影響を与えたのは、禅宗だろうとばかり思っていた。しかし、そうではなかったことを知った時、愕然としたものである。その親鸞と西田幾多郎の繋がりを語る柏久氏の言葉には重みがあり、かつ、西田哲学の真髄に触れることができたことから、柏氏には心から感謝したい。

西田の宗教が禅ではなく親鸞だ、ということに私が気づいたのは、二人の学者との出会いがあったからである。決定的であったのは、維摩経を研究する宗教学者橋本芳契との出会いであり、橋本との出会いを導いたのは、京都学派に属する哲学者大嶺顕との出会いであった。
『李登輝の偉業と西田哲学』p.101


■日本精神
今回の訪台で最も印象に残った光景がある。それは、滞在先のホテルから北投温泉行の地下鉄駅に向かう途中で目にした、あるビル前の歩道で目撃した光景で、一人の老婆が歩道を清掃していたのである。日本では当たり前の光景なのだが、それを台湾という異国の地で目撃した時は、心から感動した自分がいたのであり、咄嗟に脳裏に浮かんだのが同じ台北に居を構える李登輝であった。こうした光景が今でも台湾に残っているのは、李登輝の偉業であると云っても過言ではなかろう。その後、読み進めていた『李登輝の偉業と西田哲学』の中で、以下の記述に出会った。

李(登輝)氏は,「(例えば)ゴミひとつ落ちていない社会、日本のそういう秩序が台湾の国づくりに欠かせない」という。「公」よりも「私」が優先された国民党政権時代の教育の残滓が、現在でも色濃く残る「中国人化」した台湾社会に影を落としていることは確か。このことが国際社会における「台湾自立」のための足かせになっていると李氏はいいたげだ。
李氏は、危機をバネに困難を克服、成長を遂げようとする日本人の根底に「哲学」「秩序」があると肌で感じ、その「力」を台湾に応用するべく思いをめぐらせているようにみえる。同時に「日本人」を原風景とする李氏は、いまの時代を生きている「日本人」にも、そのことを伝えようとしているに違いない。

『李登輝の偉業と西田哲学』p.147


帰国後、「■日本精神」について筆を進めていた時、脳裏に浮かんできたのが黄文雄氏であった。黄氏の日中比較文化論は一読するに値するが、そのあたりを如実に物語っている行があり、この機会に紹介しておきたい。それは、黄氏の著した『日本人の道徳力』の第4章「善悪とは何か」である。殊に、第5節「仏教の明快な善悪の判断基準」に親鸞が登場しているのに注目していただきたい。また、同章は優れた日中文化比較論というだけではなく、我々日本の大人が日本のみならず、世界の若者に伝えていくべき、ある種の指針ともなり得るものだと思った次第である。だから、海外に長期滞在の折には、現地の若者と積極的に交わり、黄文雄の云うところの「日本人の道徳力」について、彼らに語り聞かせたいと密かに思っている。