■邪馬台国 ツラン→ツングース→殷→箕子朝鮮→北魏→北燕→邪馬台国→馬韓→扶余→百済

邪馬台国という言葉を耳にすると、咄嗟に脳裏に浮かぶのが、山縣明郷先生の『邪馬台国論争 終結宣言』(後に三五館より装い改めて『卑弥呼の正体』として復活)だ。この本によって、小生の東アジア観が根底から覆されただけではなく、故飯山一郎さんを知る切っ掛けともなった。

上掲の山形先生の『卑弥呼の正体』の場合、もう一冊の著書である『古代史犯罪』とともに、日本の歴史学会などから未だに無視され続けている。しかし、一握りではあるものの、同書に目を通し、書評を残している在野の歴史愛好家もいるのだ。たとえば、「頑固爺の言いたい放題」というブログであり、同ブログのオーナーである池澤康氏は以下のような書評を書いた。 邪馬台国は朝鮮半島にあった?!
邪馬台国の遼東半島説を打ち出した山形先生に対して、池澤氏は異を唱え、九州説を採っているのがわかる。そして、上掲の記事の中で池澤氏は、以下のように結論づけていた。
端的に言って、山形説は『倭人伝』を捏造と批判してるに等しいが、それにしては列島に関する記述に具体性があり、とても創作物語とは思えない。
池澤氏の「列島」という記述に注目していただきたい。明らかに、九州説をとる池澤氏は、『倭人伝』に出てくる「依山㠀為國邑」(山島に依り国邑を為す)とは、日本列島のことだと思っていることが分かる。
一方、同じ山形先生の本から、池澤氏と真逆の結論に達したのが飯山さんで、放知技の以下の投稿を参照されたい。
また、『魏志倭人伝』が日本古代の事象を記した歴史書ではないこと も証明しきっています。 したがって、卑弥呼の邪馬台国の所在地も日本列島ではなかったと 明確に述べています。 これは、「日本人の歴史観」と「常識」を根底から突き崩す大変な史観 だと言えましょう。 http://grnba.bbs.fc2.com/reply/13652197/824/
止めとして、以下の飯山さんのブログ記事を紹介しておこう。
この2冊(『卑弥呼の正体』・『古代史犯罪』)を眼光紙背! 熟読玩味すれば、 目からウロコどころではない! 脳細胞が入れ替わるような知的衝撃で、あなたは、 歴史観どころか世界観も人生観をも変えざるを得ないショック症状に見舞われる! ◆2011/02/03(木) 金王朝の “深い深い謎” -68-
もう一点追加しておくとすれば、邪馬台国は日本列島(畿内説と九州説)にあったと信じ込んでいるのは、日本の歴史学者だけという事実だ。
邪馬台国と卑弥呼の物語が古代日本の歴史だと思い込んでいるのは、 日本人だけ。 ◆2011/02/12(土) 金王朝の “深い深い謎” -75-
次に、以下に示す通り、山形先生の『古代史犯罪』でいうところの、古代史犯罪を犯した過去の日本の歴史学者の流れを汲む人たちは、とてもではないが『古代史犯罪』の書評など怖くてできないはずだ。ともあれ、飯山さんあるいは坂口孝男氏といった山形先生の関係者を除き、骨のある山形本の書評を一度も目にしたことがないのだが、もし知っている読者がおられたら、ご一報いただければ幸いである。
遼東半島の熊岳城にあった『百済建国の始祖尉仇台之碑』を現在の韓国忠清南道 の錦江まで移動し、そこが「百済建国の地」であった! などと偽装する。 この悪質さ! これは完璧な犯罪! です。 こういう犯罪行為を、帝国陸軍と東京帝大は、共同して行っていました。 ◆2011/02/03(木) 金王朝の “深い深い謎” -68-
最後に、旧著『邪馬台圀論争 終結宣言』から一部を抜粋、併せて邪馬台国の版図を載せておこう。
注・補筆「邪馬台に想定される国の具体的な所在地」に就いて
古代(二~三世紀)に存在した〝邪馬・郁馬・蓋馬〟国の、考古学蹟上の遺跡・痕跡地は、「鴨線江北岸・渾江口より遡ること九粁(キロ)の古馬嶺村周辺から、麻天嶺の中間地域」、即ち、「現・吉林省通化市古馬嶺村から、現・遼寧省丹東市寮馬県との中間地帯約九十粁(キロ)圏内」と推定する。
可能性としては、「古馬嶺村を中心とする渾江下流域一帯」 の方が強いと言えよう。 次頁(下図)の図面を参照されたし。 『邪馬台国論争 終結宣言』p.218

さて、山形史観を支持する身として、主流を占める畿内説と九州説は取り敢えず脇に置いて、小生同様に遼東半島説をとる飯山さんの卑弥呼説を、ここで再確認しておきたい。以下、てげてげHPの「金王朝の “深い深い謎」シリーズから。
「卑弥呼は公孫氏!」の記述は、現在までのところ、中国史書中では、批判・非難の 対象にはなってない。ご安心の程!>山形師のファンの皆さん。 ◆2011/02/13(日) 金王朝の “深い深い謎” -76-
『晋書』(巻九十七・四夷傅)には、↓こんな文言がある。 「乃立女子為王、名曰卑弥呼。宣帝之平公孫氏也、其女王遣使至帯方朝見。」 これを翻訳すると…、 「…女子を立て王となす。名を卑弥呼という。宣帝の平らぐ公孫氏なり…。」 ◆2011/02/07(月) 金王朝の “深い深い謎” -70-
つまり、卑弥呼は日本人ではなく、中国人(公孫氏)であったということを『晋書』に書いてある事実、これを日本の歴史学者は何とする…。さらに、卑弥呼とシャーマニズムの関係…。
おおらかで神秘的な『亀卜(きぼく)』は、箕子朝鮮→馬韓→天皇陛下と継承されて いきます。 馬韓近辺にいた卑弥呼にも伝承されたはずです。 「唯有男子一人給飲食傅辞出入」(『魏志倭人伝』) 「ただ男子一人あり、飲食を給し、辞を伝えて出入りす。」 この男子は、シャーマン卑弥呼が察した“神意”(=吉凶)を記述する覡(かんなぎ) でありましょう。 卑弥呼という「巫女(みこ)」に仕える男子一人(=「覡(かんなぎ)」)。この関係は、 「原始神道」の萌芽といえるでしょう。 遠い昔、遠い遼東の地で、卑弥呼も 「原始神道」の形成にかかわっていたのです。 ですから、卑弥呼も、「天皇制」の先祖の一人と考えていいのです。 ◆2011/03/01(火) 金王朝の “深い深い謎” -90-
ともあれ、卑弥呼は中国人という〝事実〟に心底驚いた読者は、一度、「金王朝の “深い深い謎」の「◆2011/02/08(火) 金王朝の “深い深い謎” -71-」以降に目を通しておいていただきたい。なぜなら、次稿の「馬韓」と深く関係してくるからだ。
最後に、現実の世界に戻り、以下の飯山さんの「予言」、ここで改めて噛み締めておこう。
21世紀のアジアは、“鬼=鬼道家”になったシャーマン史家=妄想家”が変える! ◆2011/02/13(日) 金王朝の “深い深い謎” -76-
【追記】
 精神核 Mensa Nuklea
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