今回より、「蘇我一族」と題した新シリーズを連載させていただく。本来は「天武天皇」シリーズを開始する予定でいたが、それを変更した理由は前稿「古墳時代 14」にも書いたとおりである。

次シリーズとして「天武天皇」に筆を進めるつもりでいたが、その前に、上掲の皇統譜を基に、武内宿禰から天武天皇までの流れを洗い直したい。

上記の前稿「古墳時代 14」で渡辺豊和氏の二枚の図を転載しているが、各々の図に使われていた、「ゾロアスター神殿」という言葉に目が留まったことだろう。これは、応神天皇とゾロアスター教の深い結びつきを示しているわけだが、このゾロアスター教の正体を知る上で欠かせないのが、掲示板「みち」の冒頭にある天童竺丸編集長の挨拶文だ。特に、以下の記述…
ミトラ信仰はもともと「太陽崇拝」と「公正」とを旨とするツラン起源の古い信仰ではないかと栗本氏は示唆しているように小生は感じています。つまり、この信仰のペルシア的展開がアフラ-・マズダーを主神として悪神アーリマンを斥けてしまったゾロアスター教であり、それは本来の善悪共にそのところを得しめていた天神信仰からすれば、一種の堕落であり、矮小化であったのだと、栗本氏は指摘しているように思います。善悪を分離したゾロアスター教の影響下にユダヤ教の痩せ細った一神教信仰がまとめられたのは、ユダヤ教神学が整備されたのがバビロン捕囚時代であることを考えると、説得力があります。

一神教のユダヤ教が誕生した背景に、ゾロアスター教の存在があったのではと天童編集長は書いているわけだが、小生もその通りだと思う。そのゾロアスター教を精神的基盤としていたのが蘇我氏だったということになる。
それにしても、鹿児島は実に摩訶不思議な土地だ。そのあたりを如実に物語る、拙稿「青州で思ふ(6)」の一部を再掲しておこう。
●「大化の改新」の前に、蘇我氏(仏教派)と物部氏(神教派)に分かれて争った。その舞台が九州だった! ●次に、時代が下って、南北朝の時代。南朝と北朝が激しく闘った舞台も南九州だった。その結果、南朝側が南九州でも敗退し…、下甑島(しもこしきじま)まで逃亡していった。 その下甑島(しもこしきじま)には…、今でも楠木正成の末裔を弔う豪商がいて、莫大な南朝の資金が、なんと今も!東京やアジアの某地で活用されている…という驚愕の秘密! ●和田家の当主は、皇室に関する秘密も握ってます。それを知られることを怖れてはいますが。 ●とまれ、下甑島(しもこしきじま)には、皇室の秘密の歴史が隠されたままです。 ●あと…、秘密結社「薩摩ワンワールド」と、甑島(こしきじま)の関係。 深追いすると、皇室と英国の関係が透けて見えてくる…。 ●江戸中期。下甑島(しもこしきじま)で温存された南朝の「血脈」が、島を出る時が来た。島を出て、薩摩に上陸し、薩摩の地で力(ちから)を蓄えた。そこが、薩摩の「熊毛郡・田布施」だ。金峯山の麓(ふもと)の…。ここから長州の「熊毛郡・田布施」までは、一瀉千里だ。しかし、薩摩ワンワールドは、薩摩の「熊毛郡・田布施」の地名を、巧妙に隠している。 ●なぜ? 何故に「熊毛郡・田布施」という地名を隠そうとするのか? 天皇家の秘密の…。 ●じつは昨日…、「志布志の地で南朝軍と北朝軍が激突した!」という600年前の証拠(石碑)を見に行った。私は、その石碑の余りの迫力に腰が抜けて、現場にヘナヘナと座り込んだ…。 この激突で南朝軍は敗退し…、下甑島(しもこしきじま)に逃げ込んだワケだが…、このことを知らないまま、和田家の当主(数兆円規模のファンドをマカオで経営している)は、私に会いに志布志まで来ている。3回も。また今度ヤツが志布志に来たら…、この情報を、私は数百億円で売りつけようと思っている(爆) だって…、ヤツは、今も政界の貧乏政治家たち(ほとんどが貧乏、かつ守銭奴だ!)に数百億円のカネを貸している(返済はアテにしてない)んだからな。 ●下甑島の和田家は、楠木正成の弟、正季系(近畿系)ではなく、楠木正成(大楠公)の嫡男、正行(まさつら、小楠公)の直系を自認しているようだが、伝説!というのが通説。 しかし、下甑島(しもこしきじま)の和田家は、楠家の直系の子孫であることを(一切公言せずも)自認しており、今に至るも徹底して後醍醐天皇側。 300年近い北朝の天下では、南朝は逆賊。その逆賊の謗り(そしり)を耐えぬいてきた! という強い「誇り」を持っている。 600年前、北朝側が南朝側を「根絶やし」にすべく、南九州は志布志まで追討してきた「証拠」(石の板碑)を見ると、下甑島の和田家こそが楠木家の本流・直系であるとの「自認」が正しい! と、私は思っています。
加えて、上記の時代をさらに遡ること、応神天皇の御代についても飯山さんは以下のように述べている。
応神天皇の「大隅→河内」と,前方後円墳の「大隅→河内」 この二つの流れが↑並行していることは… 応神天皇の「河内王朝」の淵源が,なんと!「大隅半島」にある!ということであり,日本古代の歴史解釈は様変わり!となる.
「様変わり!」とは,応神天皇が「熊襲」=「地方の豪族の長」という解釈をせねばならないからだ.それが「ホンダワケ」の意味だ.
「応神天皇は熊襲族の首長だった!」 ということだ. 大隅半島で前方後円墳を築造した熊襲族.その長が応神天皇.
仲哀天皇を「賊矢」で射殺した(記事)のは熊襲族. その仲哀天皇の後継者を応神天皇にするために… 『日本書紀』は,神功皇后や武内宿禰の物語を考え出した…. このことが↑古代天皇家の最大の秘密である. ◆2017/12/10(日) 【連載:ホンダワケ】 巨大な前方後円墳の原型は?
ここで頭に入れておくべきことは、応神天皇の御代から現在の英国に至るまで、外国勢が薩摩に多大な影響を及ぼし続けているという点である。
世界の要人たちの人間関係は、実に奥深いのです。
アサド夫妻とJ.F.ケリー夫妻の親密関係の秘密は、英国!このことの 意味が分かると…↓
プーチンと英国の関係 鹿児島と英国の関係 川内原発と英国の関係なども見えて来ます。 川内原発の再稼働のウラにある深い深い意味も…www http://grnba.bbs.fc2.com/reply/15511504/629/
おっと、応神天皇の御代から現代へと一気に時間を広げすぎた。ここで再び蘇我氏の時代に時計の針を戻し、武内宿禰から天智天皇に至るまで、ゾロアスター教が日本にどのよう影響を及ぼしたのか、蘇我一族をフィルタに次稿以降から多角的に検証していこう。
『2015/11/03(火)あらびき茶の産地は 日本古代史の舞台』は、「大化の改新」の前に、 蘇我氏(仏教派)と物部氏(神教派)に分かれて争った。その舞台が九州だった!という 秘密が見えてきたことが、先ずあります。 http://grnba.bbs.fc2.com/reply/15558491/173/
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