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人生は冥土までの暇潰し

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人生は冥土までの暇潰し
亀さんは政治や歴史を主テーマにしたブログを開設しているんだけど、面白くないのか読んでくれる地元の親戚や知人はゼロ。そこで、身近な話題を主テーマに、熊さん八っつぁん的なブログを開設してみた…。
蘇我一族 03
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十年前、世界戦略情報誌『みち』(平成18年8月1日号)の巻頭言、『「舎衛女のうた」齋明紀童謡考 1』を手にした時、古の日本とペルシアの間で人的交流があったという記述に目が留まり、それが蘇我氏について再考する一つときっかけとなっている。この玉稿は「みち」ホームページに公開されており、また、その後において『「かぐや姫」誕生の謎: 渡来の王女と“道真の祟り”』(孫崎紀子)という、一冊の本となって刊行された。

ここで、上掲書の読後感を「夜間飛行」というブログが執筆していたので紹介しておこう。
かぐや姫考

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竹取物語

それ以外に、「夜間飛行」のブログ主は興味深い日本古代史を展開しており、たとえば「「百花深処」と題する記事は、男系と女系について掲示板「放知技」で行った、mespesadoさんとのやり取りを彷彿させるものがあり、そのあたりは『新時代「令和」を迎えて』と題したmespesadoさんの講演本に詳しい(p.37~47)。ともあれ、縄文時代の基盤を成していた「女性性の思考」と、蘇我氏といったツラン民族の侵略がもたらした「男性性の思考」とが、織りなす日本の成り立ちを説くブログ「夜間飛行」の古代史シリーズは、同じく飯山史観を編集している身として実に興味深いものがある。

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『「かぐや姫」誕生の謎: 渡来の王女と“道真の祟り”』に話しを戻す。

同書や『みち』の巻頭言を再読しつつ考えを巡らせたのは、「斉明紀(日本書紀の斉明天皇條)に出てくる童謡(わざうた)は古代ペルシア語で解ける」という巻頭言の行であり、上掲のブログ「夜間飛行」でも取り上げていた。過日の山形県南陽市で行われた講演会で、『日本書紀』の推古紀、舒明紀、天武紀だけ倭文臭がするというmespesadoさんの指摘以外にも、ササン朝ペルシアの影響や日本書紀のペルシア語ついても検討しなければならないと、帰宅してから痛切した次第であった。そして、旨いビールを飲みつつ、孝徳天皇から斉明天皇の御代にかけて、九州に漂流した吐火羅人に思いを馳せた。この吐火羅國については、やはり天童竺丸編集長の記事、「大唐西域覩貨邏国考」が大変参考になるのであり、ツランについての思索を深めていく上で必読だ。

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倭文織

それから『竹取物語』だが、世間では作者不詳、かつ成立年代も不明とされている。しかし、そのあたりを孫崎女史が見事に解明しており、これもブログ「夜間飛行」から引用させていただこう。

 この本で著者(亀さん注 孫崎紀子)は、『竹取物語』の作者が、菅原道真の直孫文時(ふみとき)であること、かぐや姫のモデルが、ササン朝ペルシャ王・ヤズデギルド三世の娘舎衛女(シャー女)とその夫ダラとの間に生まれた娘(ダラ女)であること、竹取の翁とは、オータル(大建)という名の同じくペルシャ人(の長老)であることなどを、様々な史料から解き明かしてゆく。


本来は、「古墳時代」シリーズから「天武天皇」シリーズに筆を進めるはずだったのだが、「古墳時代」の執筆中に蘇我氏を洗い直すべきと考え、「蘇我一族」という新シリーズを開始したまではよかったが、掘り下げていけばいくほどキリがなく、どのあたりで切り上げて「天武天皇」シリーズを開始するべきがと、悩む今日この頃である。

【追記】
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二週間前に行われたmespesadoさんの講演に道友の出世外人さんも参加、その時に語り合ったことの一つが伊達藩黒川郡の隠れキリシタンであった。実は孫崎女史も『古九谷の暗号:加賀藩主・前田利常がつくった洗礼盤』という、隠れキリシタン関連の書籍を著しており、五島列島、天草、仙台等だけではなく、加賀にも隠れキリシタンの痕跡が残されていたことを明らかにしている。
『古九谷の暗号』の著者 孫崎紀子さん

過去において、『ザビエルとヤジロウの旅』(大住広人)、『ザビエルを連れてきた男』(梅北道夫)、『近代文化の構造』(中村勝己)、『キリストと黒いマリアの謎』(清川理一郎)といった、日本のキリシタン史についての書籍に接してきた身として、中世以降の日本列島において、隠れキリシタンが日本精神にどのような影響を及ぼしたのかについて、見直しが必要だと思っている。

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古代精神に帰れ!
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NHKの「奇跡の巨石文明!ストーンヘンジ七不思議」という番組を見た。小生は二度、英国へ観光や仕事で訪れているが、残念ながら一度もストーンヘンジに行ったことがない。だから、三度目の正直ということで、再々訪する機会があれば、今度こそは是が非でもストーンヘンジに行きたいと思っている。

さて、肝心な番組の内容だが、例によって同番組の案内サイトから引用しておこう。

橋本環奈が“不思議の扉”を開く!伝説と神話に彩られたイギリス巨石文明のシンボル「ストーンヘンジ」。大人気の世界遺産に秘められた七つの謎を最新科学で徹底解明!数千年の時を超えた“驚異のテクノロジー”が判明!古代人が仕掛けた“視覚トリック”の正体とは!?誰が何のために築いたのか?古代文明の存亡を賭けた壮大なドラマに、最新科学が鋭く切り込む。絶景のストーンサークルも続々登場!人類究極のミステリーに迫る!


ゲストとして、サヘル・ローズさんや荒俣宏氏が登場していたが、小生が最も注目したのは松木武彦氏(考古学者)の発言であった。

■現代の映し鏡
松木氏の発言に耳を傾けながらつくづく思ったことは、「古代は現代の映し鏡」ということである。どういうことか?

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最初に、「ストーンヘンジからは、人とは何かということがわかる」という、松木氏の発言に耳を傾けながら思い出したのが、「男はつらいよ 葛飾立志篇」で、寅さんが口癖のように語っていた「己を知れよ~♪」だ。つまり、松木氏の「ストーンヘンを通じて人を知る」ことは、寅さんの「学問を通じて己を知る」ということに結びつくのである。

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ブリテン島の原住民であった古代ブリテン人は、石を中心とした平等な社会を構築していた。だが、やがて古代ブリテン人の土地に金属文化のビーカー人が侵略、平等社会が崩壊した…。松木氏が語るように、「石はみんなで共有できるが、金属は一部の人が独占」してしまうからだ。

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古代ブリテン人は、ビーカー人による大殺戮(ジェノサイド)の憂き目に遭い、ブリテン島をビーカー人が占領、今まで平等であった古代ブリテン人の世界が、一気に格差を生じるビーカー人の世界へと変わったのであった。このあたりは、拙稿「アルゼンチンで思ふ(3)」を思い出させるのだし、侵略してきたスペイン人によって大量に殺されたインディオが、古代ブリテン人と重なって見えた。

アルゼンチン人は、表層的にはラテン特有の底抜けの明るさを持つ民族のように思われがちだが、一歩彼らの心の奥に踏み込んでみれば、インディオ大殺戮という暗い過去が顔を覗かせるのであり、程度の差こそあれ、一人一人が心の片隅のどこかで重い十字架を背負っているのが分かり、ハッとさせらることが今までに幾度かあった。


改めて思ったことは、当時も今も変わらないということ。つまり、現代は古代(ストーンヘンジ時代)の映し鏡だなということだった。大殺戮をしてでも富を独占したいという戦争屋や金融屋といったグループに対して、プーチン・金正恩・トランプ・安倍晋三といった、国益を優先し、平和に重きを置くグループが台頭してきた。つい最近まで、優位に立っていたと思われていたDS(Deep State)が、最近になって、殊に令和という御代に至って、劣勢になりつつあるのが分かるのだし、こうした流れは最早誰にも止めることはできないだろう。

換言すれば、一部の者だけが富を独占していた世界から、古代ブリテン人のように皆で共有するという世界、すなわち平等の世界へと世の中が大きく変わりつつあるのだが、このあたりは放知技の読者であれば説明に多言を要しないだろう。

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■太陽信仰と埋葬
以下、太陽信仰と埋葬に関するシーンの一部を見れば、ストーンヘンジとは何だったのかがお分かりいただけると思うので、細かい説明は省かせていただく。

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ストーンヘンジと沈みゆく冬至の太陽

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ストーンヘンジ(左)と大湯の環状列石(右)

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■学会に身を置く人たちの限界
天文学や医学といった世界では、学会で〝定説〟とされている理論、たとえばビッグバン理論やiPS細胞理論に異を唱えることは死、すなわち干されることを意味する。これは、考古学という世界も例外ではない。心の内では、栗本(慎一郎)史観や飯山(一郎)史観に共鳴していたとしても、表立って賛意を示すことは相当の勇気が要ることだろう。松木氏の場合はどうか? たとえば邪馬台国説。松木氏は定説から外れたことを主張していないのだが、そのあたりは、松木氏を批判した論文に目を通せば一目瞭然だ。
松木武彦氏の古代史史観

松木氏の文明・文化論は正論であるだけに、最初は学会の定説に囚われている理由が理解できなかったのだが、松木氏が考古学会という場に身を置いていることを考えれば、たとえ栗本史観や飯山史観に共鳴していたとしても、表立って賛意を示すことができないのも、これは致し方のないことなのだろう。だから、そうした学会に身を置く人たちの事情を念頭に置いておくことも必要だと、つくづく思った次第である。

それはともかく、歴史に対する見方が変わりつつある現状を述べた、松木氏の以下の発言は極めて重要だ。

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情報交換をしながら協力していくという松木氏の発言から、インターネットが普及した今日にあって、掲示板「放知技」の果たす役割が、今後ますます大きくなりつつある理由が分かろうというもの。そのあたりについて、松木氏は飢饉に備えて共同で食料を貯蔵してきた歴史を例に挙げていた。

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そして、情報交換と協力こそが、文明の発生につながったと松木氏は説くのであった。

ダ・ヴィンチの素顔
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今月の上旬(5月4日)、スプートニク紙が「レオナルド・ダビンチの生前肖像画が見つかる」と題する記事を掲載していたかと思ったら、今度はNHKで「ダビンチ 幻の肖像画」という番組を数日前に放送していた。以下、NHKの<番組案内サイトから…。

モナリザを描き、建築や解剖学も極めた“万能の天才”ダビンチが亡くなって500年。ある収集家の自宅に保管されていた「ルカ―ニアの絵」は、世界の美術界の注目を集め、美術史家や科学者らによる分析がフィレンツェをはじめ欧州各地で行われた。顔料から年代を特定し、残された指紋を解析。最新の3D技術で、巨匠ダビンチの素顔を初めて3次元で復元! 近代芸術が花開いたルネサンス時代へと、アート・ミステリーを探る旅。


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ダ・ヴィンチと云えば、万能型の天才として昔から注目してきた人物の一人だ。同タイプの天才として、小生は空海とゲーテも並行して追ってきており、さまざまな書籍に目を通していた時に三人のいずれかを取り上げていれば、その箇所を熟読したものである。たとえば、西原克成医学博士がゲーテについて取り上げた『生命記憶を探る旅』などだ。空海についても、旧ブログで「空海の夢」など、幾本かの空海関連の記事を書いてきた。しかし、何故かダ・ヴィンチについて言及したことは、今まで殆どなかった。

ゲーテは生の本質を太陽系の描く螺旋状道に乗って「食と性」の位相を交替させる「果てしない波の連なり」と見抜いていました。我々ヒトを含めた動物は、春夏秋冬の宇宙のリズムと共振し、発情もすれば休眠もし、またうきうきしたり悲嘆にくれたりもするのです。
『生命記憶を探る旅』p.215


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同番組では、ダ・ヴィンチの弟子フランチェスコ・メルツィが、1510年ごろに描いたといわれるダ・ヴィンチの肖像画と、某収集家の自宅に保管されていた「ルカ―ニアの絵」が、果たして同一人物か否か3Dを駆使して精密に比較測定している様子を紹介していたが、結果として同一人物であることが判明したと番組のナレーションは語っていた。小生は両画を精密に比較したわけではないが、多分黄金比が隠されていると睨んでいる(黄金比については旧ブログ記事「虚数の情緒」参照)。

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番組を見ながら思い出したことが他にもある。それは、かつて慶応大学の高橋信一先生とフルベッキ写真を追求していた時のことで、傍らから見て徹底的かつ細部に至るまで、フルベッキ写真という集合写真に隠された真実を追求していた先生の姿である。そうした研究者としての先生の姿勢に自分は圧倒されたものであり、とてもではないが自分には真似ができないと思ったことだった。その成果が、高橋先生と共同で執筆した旧ブログの「フルベッキ」カテゴリである。

それから、ダ・ヴィンチについての番組を見ながら脳裏に浮かんだ、もう一人の人物がいる。マキャベリその人である。二人は同時代を生きただけではなく、フィレンツェ海港化計画を通して、実際に交流もあった事実は良く知られている。そのあたりは、『ダ・ヴィンチとマキアヴェッリ―幻のフィレンツェ海港化計画』(朝日選書)に詳しい。

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蛇足ながら、マキャベリの『君子論』は、政治の実態を知る上で不可欠の名著であり、未だに大手マスコミの垂れ流すフェイクニュースを鵜呑みにしている人たちに、一度でよいから同書に目を通して欲しいと思う今日この頃である。以下、マキャベリについての拙稿…。
マキアヴェリの周辺

上皇后のメッセージ
先月、拙稿「祈りの御歌」で小生は以下のように書いた。

歴代の天皇は和歌を通じて人々と交わり、自らの心情を伝えてこられた


これは、なにも天皇陛下に限らず、他の皇族の方々についても同様である。だから、小生は日テレの「皇室日記」を極力見るように心がけてきた。それにより、皇室からのメッセージを、己なりに読み取るようにしてきたつもりである。そうして読み取ったメッセージの数々は、折々の拙記事にさり気なく織り込んできた。

そこで今日は、最近の上皇后美智子さまのメッセージの中から、「蚕」と「愛読書」という二つのテーマに絞って取り上げておこう。


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世界戦略情報誌『みち』の最新号で、黄不動さんが「紅葉山御養蚕所の養蚕」という記事を執筆している。どのような内容の記事だったのかは本稿の最後に掲載しておくので、関心のある読者は一読していただくとして、ここで注目して欲しいのは、「皇室が大株主である横浜正金銀行」という記述である。ここで思い出すのが、先日訪れた南陽市の結城豊太郎記念館だ。同記念館を回りながら小生の脳裏に浮かんだのが、黄不動さんの記事にあった皇室と横浜正金銀行の関係だった。

ちなみに、一緒に同記念館を回ったmespesadoさん、結城豊太郎についての素晴らしい記事を放知技に投稿している。はぐらめいさんの解説が付いた、mespesado理論のリンクを以下に張っておくので、一読するといいだろう。
mespesadoさんによる1億人のための経済談義(69)
mespesadoさんによる1億人のための経済談義(68)
mespesadoさんによる1億人のための経済談義(67)


なを、雅子皇后陛下も上皇后さまから養蚕という伝統を、しっかりと受け継がれたことを付言しておく。

愛読書
渡辺正次郎氏が良記事を紹介している。
美智子さまは神々しい!!

数週間前に上皇后美智子さまが愛読書として、ジーヴスの探偵小説について言及された時、小生はジーヴスの小説を読んだことがなかったこともあり、一瞬、何故にジーヴスの探偵小説なのかと心の中で引っ掛かるものがあった。しかし、昨日の渡辺氏の紹介記事を読み、上皇后さまのメッセージの一端を、漸く読み取れたような気がする。

【追記】
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毎週の日テレの「皇室日記」以外に、毎日欠かさずにチェックしているのが、東京新聞の「首相の一日一覧」だ。そういえば数週間前、亀井静香氏が安倍総理と会談を持ったということを「首相の一日一覧」で知り、亀井氏の著した『晋三よ! 国滅ぼしたもうことなかれ』という本を大分前に読んだことを思い出した。亀井氏には講演会で幾度かお会いしており、一言で言えば憎めないオヤジといったところだ。その亀井氏が以前、自身のホームページに歌をアップしていた(今は削除されてない)が、亀井氏の歌う「お母さん」は温もりがあり、小生は好きだ。亀井氏と寅さんがダブる…(爆)




JINMOさんの指差す先を見ると…(ヒントはカツラ)

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蘇我一族 02
前稿「蘇我一族 01」では、ゾロアスター教を精神的基盤とし、武内宿禰を始祖とする蘇我一族についてのラフスケッチを試みた。その時、武内宿禰から天智天皇までの蘇我一族の栄枯盛衰、さらにはタイムスパンを広げて、応神天皇の御代から現在の鹿児島に至るまでの外国勢の影響、という流れをサーッと振り返ってみたわけだが、ここで少しだけ補足しておきたいことがある。それは、故飯山一郎さんが「放知技」で行った以下の投稿…

>>121
出世から外れた人さんも,ほんと,大胆に先を読みますな~

>>この死闘行方は↑↑(日本政治史に残る)『(最強官庁)財務省のカタストロフィ!!』という結末に向かっています.

>とりもなおさず、これは大化の改新・律令制度布告以来、千数百年にわたって続いた官僚支配、民衆の隷属化の終焉――真の民主化の始まり、ととらえてよいでしょうか?

たしかに! いま,(ほとんどのシトの目には見えない)「何か」が,始まっています.

http://grnba.bbs.fc2.com/reply/16422161/123/


出世外人さんの言う「死闘行方」とは何か? そのあたりについては、昨日の放知技の本スレにあったmespesadoさんの投稿がすべてを語り尽くしている。
http://grnba.bbs.fc2.com/reply/16675542/540/

加えて、今の世界に目を向けるに、ブログ『文殊菩薩』が最新記事で、「EUの崩壊とロスチャイルド支配の終焉が近づいてきた」と書いているように、令和の御代になってから世の中の変化が急ピッチになってきた。たとえば、今夕のトランプ来日、さらには、6月28日から6月29日にかけてのG20大阪サミットといった具合にである。同サミットで、トランプとプーチンが会談を持つ予定になっているが、今までに幾度かトランプとプーチンは国際会議の場で顔を合わせてきたものの、その都度、直前になって米ロ首脳会談が流れている。果たして、今回こそ一年ぶりに米露首脳会談が実現するのか、固唾を呑んで見守っていきたい。

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プーチン、トランプ両大統領が会談を総括した共同記者会

ちなみに、最近のスプートニク紙は以下のような記事を書いた。
プーチン大統領は、日本でトランプ大統領と会談することを楽しみにしている

ここで、再び世界から日本列島に目を転じるに、飯山さんではないが、まさに「何か」、つまり「財務省のカタストロフィ」が始まりつつあるようだ。これは、出世外人さんの言うところの「大化の改新・律令制度布告以来、千数百年にわたって続いた官僚支配、民衆の隷属化の終焉」…。

「大化の改新」という言葉が出てきた。この大化の改新だが、以下の飯山さんの言葉にもあるように、日本書紀に書かれている「大化の改新」は、日本ではなくてお隣、すなわち『百済書記』に書かれている出来事だった…。

『大化の改新』なんてのも,百済国の歴史なのに,日本列島での史実である!と思い込んでいる.
http://grnba.bbs.fc2.com/reply/15947559/602/


また、改めて注目すべきは『栗本慎一郎の全世界史』の第七章、「ヨーロッパと日本だけの共通項」である。同章のp.164に掲載されている図7-2「日本における二重性の起源」に注目されたい。そして、同章で栗本は以下のように書いている。

日本では、それまでの太陽信仰や山間の芋農業中心の世界にユーラシア貴族の蘇我氏が聖方位に象徴される価値観(これが文化だ)を持ち込んだ上、自らが作り出した天皇制の中心となって「蘇我的文化」対「非蘇我的文化」の構造化を固定した。
『栗本慎一郎の全世界史』p.156~157

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この「蘇我的文化」対「非蘇我的文化」という対立が、日本に見受けられる〝二重性〟であると栗本は説くわけだが、飯山史観を知る者であれば、栗本の言うことに違和感を覚えることだろう。たとえば、「(蘇我氏)自らが作り出した天皇制」といった栗本の記述にである。これは、栗本が天武天皇の正体に気づいていないからに他ならない。

ここまで読んで、出世外人さんの言う「官僚支配」と、上図の左側にある「貴族(藤原氏)」とが、結びついた読者が多かったのではないだろうか…。

蘇我一族 01
今回より、「蘇我一族」と題した新シリーズを連載させていただく。本来は「天武天皇」シリーズを開始する予定でいたが、それを変更した理由は前稿「古墳時代 14」にも書いたとおりである。

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次シリーズとして「天武天皇」に筆を進めるつもりでいたが、その前に、上掲の皇統譜を基に、武内宿禰から天武天皇までの流れを洗い直したい。


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上記の前稿「古墳時代 14」で渡辺豊和氏の二枚の図を転載しているが、各々の図に使われていた、「ゾロアスター神殿」という言葉に目が留まったことだろう。これは、応神天皇とゾロアスター教の深い結びつきを示しているわけだが、このゾロアスター教の正体を知る上で欠かせないのが、掲示板「みち」の冒頭にある天童竺丸編集長の挨拶文だ。特に、以下の記述…

ミトラ信仰はもともと「太陽崇拝」と「公正」とを旨とするツラン起源の古い信仰ではないかと栗本氏は示唆しているように小生は感じています。つまり、この信仰のペルシア的展開がアフラ-・マズダーを主神として悪神アーリマンを斥けてしまったゾロアスター教であり、それは本来の善悪共にそのところを得しめていた天神信仰からすれば、一種の堕落であり、矮小化であったのだと、栗本氏は指摘しているように思います。善悪を分離したゾロアスター教の影響下にユダヤ教の痩せ細った一神教信仰がまとめられたのは、ユダヤ教神学が整備されたのがバビロン捕囚時代であることを考えると、説得力があります。

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一神教のユダヤ教が誕生した背景に、ゾロアスター教の存在があったのではと天童編集長は書いているわけだが、小生もその通りだと思う。そのゾロアスター教を精神的基盤としていたのが蘇我氏だったということになる。

それにしても、鹿児島は実に摩訶不思議な土地だ。そのあたりを如実に物語る、拙稿「青州で思ふ(6)」の一部を再掲しておこう。

●「大化の改新」の前に、蘇我氏(仏教派)と物部氏(神教派)に分かれて争った。その舞台が九州だった!
●次に、時代が下って、南北朝の時代。南朝と北朝が激しく闘った舞台も南九州だった。その結果、南朝側が南九州でも敗退し…、下甑島(しもこしきじま)まで逃亡していった。
その下甑島(しもこしきじま)には…、今でも楠木正成の末裔を弔う豪商がいて、莫大な南朝の資金が、なんと今も!東京やアジアの某地で活用されている…という驚愕の秘密!
●和田家の当主は、皇室に関する秘密も握ってます。それを知られることを怖れてはいますが。
●とまれ、下甑島(しもこしきじま)には、皇室の秘密の歴史が隠されたままです。
●あと…、秘密結社「薩摩ワンワールド」と、甑島(こしきじま)の関係。
深追いすると、皇室と英国の関係が透けて見えてくる…。
●江戸中期。下甑島(しもこしきじま)で温存された南朝の「血脈」が、島を出る時が来た。島を出て、薩摩に上陸し、薩摩の地で力(ちから)を蓄えた。そこが、薩摩の「熊毛郡・田布施」だ。金峯山の麓(ふもと)の…。ここから長州の「熊毛郡・田布施」までは、一瀉千里だ。しかし、薩摩ワンワールドは、薩摩の「熊毛郡・田布施」の地名を、巧妙に隠している。
●なぜ? 何故に「熊毛郡・田布施」という地名を隠そうとするのか? 天皇家の秘密の…。
●じつは昨日…、「志布志の地で南朝軍と北朝軍が激突した!」という600年前の証拠(石碑)を見に行った。私は、その石碑の余りの迫力に腰が抜けて、現場にヘナヘナと座り込んだ…。
この激突で南朝軍は敗退し…、下甑島(しもこしきじま)に逃げ込んだワケだが…、このことを知らないまま、和田家の当主(数兆円規模のファンドをマカオで経営している)は、私に会いに志布志まで来ている。3回も。また今度ヤツが志布志に来たら…、この情報を、私は数百億円で売りつけようと思っている(爆)
だって…、ヤツは、今も政界の貧乏政治家たち(ほとんどが貧乏、かつ守銭奴だ!)に数百億円のカネを貸している(返済はアテにしてない)んだからな。
●下甑島の和田家は、楠木正成の弟、正季系(近畿系)ではなく、楠木正成(大楠公)の嫡男、正行(まさつら、小楠公)の直系を自認しているようだが、伝説!というのが通説。
しかし、下甑島(しもこしきじま)の和田家は、楠家の直系の子孫であることを(一切公言せずも)自認しており、今に至るも徹底して後醍醐天皇側。
300年近い北朝の天下では、南朝は逆賊。その逆賊の謗り(そしり)を耐えぬいてきた! という強い「誇り」を持っている。
600年前、北朝側が南朝側を「根絶やし」にすべく、南九州は志布志まで追討してきた「証拠」(石の板碑)を見ると、下甑島の和田家こそが楠木家の本流・直系であるとの「自認」が正しい! と、私は思っています。


加えて、上記の時代をさらに遡ること、応神天皇の御代についても飯山さんは以下のように述べている。

応神天皇の「大隅→河内」と,前方後円墳の「大隅→河内」
この二つの流れが並行していることは…
応神天皇の「河内王朝」の淵源が,なんと!「大隅半島」にある!ということであり,日本古代の歴史解釈は様変わり!となる.

「様変わり!」とは,応神天皇が「熊襲」=「地方の豪族の長」という解釈をせねばならないからだ.それが「ホンダワケ」の意味だ.

「応神天皇は熊襲族の首長だった!」 ということだ.
大隅半島で前方後円墳を築造した熊襲族.その長が応神天皇.

仲哀天皇を「賊矢」で射殺した(記事)のは熊襲族.
その仲哀天皇の後継者を応神天皇にするために…
『日本書紀』は,神功皇后や武内宿禰の物語を考え出した….
このことが古代天皇家の最大の秘密である.

◆2017/12/10(日) 【連載:ホンダワケ】 巨大な前方後円墳の原型は?


ここで頭に入れておくべきことは、応神天皇の御代から現在の英国に至るまで、外国勢が薩摩に多大な影響を及ぼし続けているという点である。

世界の要人たちの人間関係は、実に奥深いのです。

アサド夫妻とJ.F.ケリー夫妻の親密関係の秘密は、英国!このことの
意味が分かると…↓

プーチンと英国の関係
鹿児島と英国の関係
川内原発と英国の関係なども見えて来ます。
川内原発の再稼働のウラにある深い深い意味も…www

http://grnba.bbs.fc2.com/reply/15511504/629/


おっと、応神天皇の御代から現代へと一気に時間を広げすぎた。ここで再び蘇我氏の時代に時計の針を戻し、武内宿禰から天智天皇に至るまで、ゾロアスター教が日本にどのよう影響を及ぼしたのか、蘇我一族をフィルタに次稿以降から多角的に検証していこう。

『2015/11/03(火)あらびき茶の産地は 日本古代史の舞台』は、「大化の改新」の前に、
蘇我氏(仏教派)と物部氏(神教派)に分かれて争った。その舞台が九州だった!という
秘密が見えてきたことが、先ずあります。

http://grnba.bbs.fc2.com/reply/15558491/173/


古墳時代 14
先週末(2019年5月18~19日)、mespesadoさんの講演を聞きに、山形県南陽市を訪れた。前日、はぐらめいさんに教えていただいた、最近発見されたという長岡南森遺跡の他、稲荷森古墳を見学するため、つばさ121号で朝の8:35に赤湯駅着、田園風景の中、徒歩で最初の目的地である稲荷森古墳を目指した。

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稲荷森古墳に到着、頂上へ向かう

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途中、目に入ってきた朝日連峰と田園風景

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稲荷森古墳上から眺めた長岡南森遺跡


肝心のmespesadoさんの講演内容だが、この「歴史に残る」講演については、はぐらめいさんが「第一回東北一郎会報告」シリーズとして、取り上げていくとのことなので、拙ブログでは割愛させていただく。

なを、今回を以て「古墳時代」シリーズの最終回にしたく、古墳時代の総まとめをさせていただきたい。

2018年3月3日に訪れた大阪の大仙陵古墳(仁徳天皇陵)と誉田御廟山古墳(応神天皇陵)、2019年1月22日に訪れた横瀬古墳と唐仁古墳群、5月18日に訪れた稲荷森古墳と(認定されれば東北最大の古墳となる)長岡南森遺跡を実際に訪れて確信に至ったのは、古墳時代から飛鳥時代にかけての時期に横たわる〝大断絶〟であった。

小生がユーラシア大陸のクルガンと古墳との関係、ササン朝ペルシアの聖方位と日本古墳の方位について気になり始めたのは、旧ブログの記事「シルクロードの経済人類学」を10年前書いた頃からである。

同書(『シルクロードの経済人類学』)を一読していくうちに、私の北ユーラシア史観が音を立てて崩れていくのが分かりました。2ヶ月前、山形明郷氏の『邪馬台国論争 終結宣言』(星雲社)を読んで、自分の東アジア史観を根底から覆されたという体験をしたばかりであり、まさか同様の体験を2ヶ月もしないうちに再び体験するようになろうとは、夢にも思いませんでした。


過去、小生の史観が大きく変わったのは四回あった。一回目は世界戦略情報誌『みち』の「巻頭言」(天童竺丸)、二回目は『邪馬台国論争 終結宣言』(山形明郷)、三回目は『シルクロードの経済人類学』(栗本慎一郎)、最後の四回目は「てげてげHP」と「放知技」の飯山史観(飯山一郎)である。

『みち』の天童竺丸稿ではツランというユーラシア大陸に派生した諸民族の存在を知り、『邪馬台国論争 終結宣言』では邪馬台国が中国の遼東半島にあったことを知り、『シルクロードの経済人類学』では日本文化の基礎となるものが、中国・朝鮮から伝わってきたというのは、半分本当で半分嘘であることを知り、「てげてげHP」と「放知技」では天武天皇は百済国王子(大海人皇子)で、初めて天皇を名乗り今日の日本を築いた人物であったことを知るにつれ、小生の史観は大きく変化していった。

これら多くの基礎となるものをこれまでの歴史学では「中国から」あるいは「中国から朝鮮を経て」来たと言ってきたが、間違いである。技術的なもの(たとえば漢字)は確かに多数、中国朝鮮からやってきている。中国朝鮮の影響を日本が受けなかったということは絶対にない。しかし、主要な要素は「中国朝鮮を通らずに北から」日本へやってきていると考えるべきだ。
『シルクロードの経済人類学』p.11~12


この行は、上掲の旧ブログ記事「シルクロードの経済人類学」で紹介済だが、その他に以下の項目も取り上げている。

★ 蘇我氏
★ 聖方位
★ 日本語
★ 古墳群
★ ユダヤ

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『栗本慎一郎の全世界史』p.164


つまり、古墳時代から次の飛鳥時代にかけて途方もない変化が我が国に起きたのだが、そのあたりを確実に理解するには以下の皇統譜がスタートラインとなる。

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これは、ウィキペディアの「蘇我氏」から引っ張り出してきた皇統譜だが、蘇我氏の始祖である武内宿禰の子孫から〝聖徳太子〟が誕生し、その後は天武天皇の〝兄〟である天智天皇が、蘇我一族の姪娘(めいのいらつめ)と結ばれているのに注目されたい。そして、天智天皇と天武天皇との間に横たわる断絶こそ、蘇我氏から百済に権力が移行したことを示していると思う。

上掲の皇統譜で疑問に思った主な点は以下の通り。
・武内宿禰 応神天皇は武内宿禰と神功皇后との間で生まれたと小生は考えているのだが、上掲の皇統譜には応神天皇の名が見当たらない。
・聖徳太子 上掲の旧ブログ記事にも示したように、聖徳太子は架空の人物であると栗本慎一郎は断定しており、小生も同意見である。
・天智天皇 小生は飯山一郎さんの「天武天皇は済州島の御方」という説を信じており、天武天皇の〝兄〟である天智天皇が蘇我一族の姫と結ばれた点に関心がある。

次に聖方位だが、日本列島に16万基あるとされる古墳の主軸が、聖方位である古墳は意外と少ない。ちなみに、今年の一月に訪れた志布志近郊の古墳群の場合、聖方位の古墳は皆無であった。

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『唐仁古墳群シンポジウム』p.9

では、日本列島には聖方位の古墳が幾つあるのか? それを示したのが以下の図だ。

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『扶桑国王蘇我一族の真実』p.116

『扶桑国王蘇我一族の真実』では、聖方位の古墳の始点が会津若松の大塚山古墳で、200年ほどかけて西へと伝搬したとしている(p.115)。そして、古墳時代も末期に近づくと聖方位の古墳が急増していると説いているのだ(p.117)。つまり、聖方位古墳は東北から畿内に伝搬したと渡辺豊和氏は主張しているわけだが、飯山史観を根底に置いている身として、聖方位古墳の開祖は熊襲の首長であった応神天皇で、誉田御廟山古墳(応神天皇陵)築造の本になったのが応神天皇であったと思う。しかし、会津若松の大塚山古墳が4世紀末の築造、一方で誉田御廟山古墳は4世紀末から5世紀初頭に築造とされており、ほぼ同時期ということになる。

果たして、両古墳いずれも応神天皇が本になって後世の者が築造したのか、あるいは会津の方は別の豪族が築造したのか、このあたりの確かなことは今のところ分からない。

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『扶桑国王蘇我一族の真実』p.113

ともあれ、少なくとも誉田御廟山古墳は正真正銘の聖方位の古墳である。一方、その他大半の16万基に及ぶ古墳は聖方位とは無縁である。そのあたりについては放知技でも少し触れた。ちなみに、聖方位以外の大半の古墳の方位についてだが、北條芳隆氏の著した『「ものが語る歴史36 古墳の方位と太陽』(同成社)を、23回にわたって徹底的に追求した「気まぐれな梟」というブログが参考になる。

弥生時代や古墳時代の方位測定では、太陽の運行と影を利用する方法と夜空に輝く星を利用する方法は、当時の倭人にとっても使用可能なもので、それらは実際に使用されたと考えられる。
北條芳隆「ものが語る歴史36 古墳の方位と太陽(同成社)」を読んで(1)

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それ以外に、「鬼の会」HPも参考になると思う。

日本の先人たちは先祖を敬う「貴い心」によって山のように大きな墳墓を各地に築いて来ました。其処には現代人の想像を絶するエネルギーがあった。
古墳方位1


以下、「日読み」、つまり日暦(真の太陽暦)のページです。
日読み1


天皇の崩御日と皇居との位置関係を円暦・方位と対照して行けば、ある古墳が真の天皇陵である事を発掘しなくても確定できます。
古墳纏め


次シリーズとして「天武天皇」に筆を進めるつもりでいたが、その前に、上掲の皇統譜を基に、武内宿禰から天武天皇までの流れを洗い直したいので、しばらく横道にそれるかもしれない。

ともあれ、百済国の王子(大海人皇子)である天武天皇を以て、日本の歴史が始まったのだし、唐に命を狙われて命からがら、済州島から大隅半島の志布志へ必死で逃げてきた天武天皇が、記紀の編纂を命じ、国名を「日本」と定め、自らを「天皇」と称し、シャーマニズムを日本に持ち込んできたのであり、その天武天皇について本格的に筆を進めるのは大分先になりそうだ。

古墳時代 13
過日の拙稿「稲荷森古墳」で、今週訪れる稲荷森古墳のサイトを紹介したが、以下に再掲しておこう。

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稲荷森古墳

三内丸山遺跡を例に挙げるまでもなく、東北には縄文時代の遺跡が大量にあることは知っていた。そして、時代を下った東北の古墳だが、稲荷森古墳のように東北の古墳群の多くが、西暦四世紀後半に集中して築造されたということを知って、「エッ」と思った次第である。何故なら、今まで五世紀初頭あたりに東北でも古墳がボチボチと誕生したのだろう程度に、今までは何となく思っていたからだ。小生は拙稿「志布志の旅 02」で以下のように書いた。

横瀬古墳(推定築造時期 5世紀中葉-後半 - 西暦440年~490年)や、唐仁大塚古墳(推定築造時期 4世紀末 - 西暦370年~390年)が築造された


まぁ、九州の唐仁古墳群も東北の古墳群も、タイムラグなく築造されたということだ。ちなみに、唐仁大塚古墳よりも古い生目古墳群の場合、ウィキペディアで「生目古墳群」を紐解けば、冒頭に以下のような解説がある。

宮崎平野を流れる大淀川右岸に位置する標高25メートルほどの台地上に広がる、古墳時代前期から中期の古墳群である。3世紀後半ないし4世紀前半頃から作られ始め、古墳時代前期としては九州地方最大の古墳群とされる。


以下、今年の一月に絶食青年(今年の三月、志布志から満州に飛ばされたwww)から謹呈してもらった、『唐仁古墳群シンポジウム』の図1(p.33)である。図を眺めればお分かりのように、南九州の生目古墳群と東北で最古とされている古墳群とのタイムギャップは100年前後ということで、明らかに古墳発祥の地である南九州から東北に古墳が伝搬したことが分かる。

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ここで、上掲の拙稿「稲荷森古墳」でも紹介した論文、「東北日本における古墳文化の成立と展開」(p.93)に、以下のような記述がある。

畿内地方から遥遠の未開地であるがゆえに、古墳文化伝播に要する年代差を考慮するのがこれまでの常識であった。しかし後述するように、近年の研究成果によれば、すべての文化現象の伝播を遠距離なるがゆえ、はるかに数十年もおくれて到達すると考えることの誤りが明らかになりつつあり、四世紀後半代に本古墳の築造年代を求めうると考える。


日本では古墳発祥の地は畿内とされている従来の定説を、執筆者の大塚初重氏も疑うことなく信じていることが分かる。それにしても、この定説が間違いであることが、広く世に知れわたる日が来るのだろうか…。

再び上掲の稲荷森古墳サイトに戻るが、亀さんが最も注目したのが「南々西」という方角である。「ブルータスよ,お前もか」ではないが、「稲荷森古墳よ、お前も(聖方位)か」と思ったものである。なぜなら、「南々西」は南と南西の間の方角、つまり真南から西に向かって22.5°の方角だからだ。ここで、聖方位に関する拙稿「法隆寺を科学する」を思い出していただきたい。同稿は『法隆寺を科学する』の書評の形をとっているが、この本は故飯山一郎さんから謹呈していただいた本なので、御礼の意味で亀さんは同書の書評を書いた次第である。

この20°のズレは「聖方位」と言い、渡来人であった蘇我氏が日本に持ち込んできたもの


法隆寺の場合は(真北の方角からみて)西寄りに20°、稲荷森古墳の場合は東寄りに22.5°という、ちょっとした違いがあるにせよ、いずれも真北から20°前後にずらして築造された点では共通している。この20度のズレこそが聖方位なのだが、実は遥か時代を遡ると、ツランの遺跡にも聖方位を見出すことができるのだ。「一条真也の読書館」というブログに以下のような記述がある。

この栗本の『シリウスの都 飛鳥』という署名が示しているように、聖方位はシリウスと深い関係があり、大和三山の位置、あるいは後ろの正面♪は、シリウスの冬至の南中時に当たる聖方位を指している。


つまり、縄文と言えば太陽信仰だが、それが聖方位とどのように結びついたのか? 以下のブログ記事に目を通していただきたい。同ブログは栗本慎一郎の関係者が開設したブログで、『栗本慎一郎の全世界史』から一部を引用しており、拙ブログでも引用させていただこう。

「日本列島の文化は、ほぼ全体に太陽と星の位置を意識した方位のネットワークを張り巡らせていたことを基軸にする。​
​​
夏至と冬至時におけるそれぞれの日の出、日没地点を結んだ(夏至線と冬至線の)ネットワークは、世界のどこにでも見つかるものだが、日本の縄文時代(前1万2000年から前3世紀)のものは明らかに「異常なほど」精密なものだ。​
​
巨石文化ではないにもかかわらず、主要な夏至線、冬至線の交点にだけは必ず巨石が置かれていた。あるいは埋められていた。​

重要な神社や後の大寺はその夏至線、冬至線の上に載せられた。つまり、両線や交点は十分、意識されていたのである。​

後に、日本列島に全く別の方位たる「聖方位」が蘇我氏によって入ってきて以降、夏至線・冬至線の世界は聖方位の世界と混在し、対抗し合い、やがて支配層の世界では新しく聖方位が中心となった。​

この日本における方位の問題は、当然、それに伴ったはずの土木工事力も含めて、そこに全国的な政治権力があったことを科学的に推測させる。​

全国を統合するものがあったなら、初期段階の帝国が、そうでなければ王国が複数存在した。それは間違いない。

縄文王国と言うべきか、縄文帝国なのか、それとも糸魚川地後退から採れる宝物・翡翠の財力を頼った翡翠の帝国か、それは今分からない。」


【参考サイト】
縄文の息吹
北海道・北東北の縄文遺跡群

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運命を変える
二年前、NHKスペシャルの「人体」シリーズを取り上げ、「山中伸弥と巨大利権」と題した記事を書いたことがある。

その「人体」シリーズの続編ということで先週と今週にかけ、「人体II」シリーズが放送されたのだが、その主テーマは遺伝子であった。特に、「第2集・“DNAスイッチ”が 運命を変える」を興味深く見た次第である。ちなみに、同シリーズの内容がNHKのサイトで紹介されていた。

DNAが運命を決める―。そんな常識が今、「DNAのスイッチ」の発見によって覆されようとしている。なんと、このスイッチのONとOFFが一人ひとりの体質だけでなく、能力まで決めていることが分かってきた。さらに、がんや糖尿病などの病の発症までDNAのスイッチが左右していると言うのだ。最新研究は、DNAのスイッチを自在にコントロールすることを実現。人類の運命を大きく変えようとしている。

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上記の紹介文にある「DNAスイッチ」とは、DNAメチル化酵素を指しており、この酵素がDNAスイッチをオン・オフしているとのことだ。たとえば、ガンのDNAスイッチがオフになると、ヒトは途端にガンになる可能性が高まるらしい。だが、再びDNAスイッチをオンにすると、ガンの進行が止まるだけではなく、場合によってはガンが小さくなっていき、やがて消滅していったケースもあったとのこと。

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DNAスイッチオンの効果は、ガン、心筋梗塞、糖尿病、メタボといった病気だけに限らないようで、芸術やスポーツといったDNAスイッチをオンにすると、第二の羽生結弦、大坂なおみ、藤井聡太に、貴方もなれる鴨(爆)。

■記憶力アップ
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→ NHKはランニングを勧めており、どうやら運動が記憶力アップに良いらしい。尤も、ランニングに限らず、ヨガ、徒歩、ゴキブリ体操なども記憶力アップにつながるかもしれない…。最近の小生、記憶力がダウンしたのも、「もっと運動せよ」という天の声?

■音感アップ
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→ NHKはピアノの練習が良いという。番組を見た限り、どうして他の楽器では駄目なのかは分からずじまいであった。それはともかく、過去の記事で亀さんの歌は落語の域に達していると書いたが、そのあたりは今年の二月、数名の落語家の前で実証済み(爆)。だから、音感アップはホント、望むところwww

■精子の正常化
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→ 両親が過食気味であったり、メタボであったりすると、精子の過食・メタボといったDNAスイッチがオンになり、そののまま子ども、孫へと受け継がれていくのだとか…。ということは、メタボ気味の男性はメタボDNAスイッチをオフにするためにも、運動が不可欠ということになる。将来、本当に「精子トレーナー」という職業が誕生する鴨…

また、DNAスイッチは非常時にオンになることが判明したという。スコット宇宙飛行士が一年近く宇宙ステーションに滞在した後、同飛行士のDNAスイッチを調べたところ、ナント、何千ものDNAスイッチがオンになっていたという。これは、危険な宇宙線を浴びてDNAが傷つきかねない、宇宙飛行士の身体を守るためのようだ。また、無重力の状態で長期間にわたり滞在するので、どうしても骨が脆くなる。それを防ぐ手段として、骨の強度を維持するDNAスイッチが入るらしい。思っていた以上に、我々の身体は凄い適応能力を秘めていることを知った。

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ここで、記憶力アップや精子の正常化に、適度な運動が良いとNHKは語るのだが、それなら何故にガンといった病気で頼れるのは薬だけと説明するのか…。このあたり、「病院に行くと殺される!」や「医は算術」を書いた身として、腑に落ちないんだがー。

稲荷森古墳
前稿「古墳時代 12」で亀さんは以下のように書いた。

応神天皇の出自の他、太陽信仰、聖方位、クルガン等について筆を進めていく予定


だから、仕事も一段落した本日、上記の作業を進めていたんだが、突然、東北一郎会が一週間後に迫っているのを思い出したwww だから、慌てて南陽市までのアクセスを調べた次第でR。山形県へは二十代の頃にオートバイで通過したことがあるくらいで、同県で泊まったことは今まで一度もない。ともあれ、鉄道で行くにはどうすればE-のかと考えたほどで、最初は新幹線で新潟に出て、そこから山形新幹線に乗り換えるのかな、くらいに漠然と思っていたんだが、ネットで確認したところ、ナント郡山経由で目的地の赤湯(南陽市)まで、新幹線一本で行けることを初めて知った。凄い世の中になったもんだと感動したし、しかも、自宅から3時間ほどで行けるとは、驚き桃の木山椒の木!!!!

ここで、はぐらめいさんの案内を再読するに、mespesadoさんの講演は午後2時からとある。だから、時間ギリギリに行けばE-だろうくらいに思って、山形新幹線の時刻表や、楽しみにしている二日目の熊野大社をネットで調べていたところ、ナント、南陽市に稲荷森古墳という前方後円墳があることを知った。これを見逃す手はないつうことで、地元の東飯能駅の始発に乗って南陽市に向かうことにした次第でR。つばさ121号に飛び乗れば、赤湯駅に8:35着、しかも、稲荷森古墳までは赤湯駅から1kmていどなので、初めての土地とはいえ、徒歩で10分もかからないだろう。今年一月に志布志を訪れた時、皆で横瀬古墳に登ったように、今回も稲荷森古墳の頂上まで登り、腰を下ろし、一時間ほど古の時代に思いを馳せるつもりだ。

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稲荷森古墳

今年の一月に志布志を訪れた時、古墳発祥地は志布志を中心とした南九州だと確信したのだが、ほぼ時期を同じくして、これだけの数の古墳群が東北にもあるとは、迂闊にも知らなかったwww。出発の当日までに、ネットで公開されている「東北日本における古墳文化の成立と展開」等に目を通し、さらに詳しく調べてみたい。

それから、楽しみにしている二日目の熊野大社、たとえば「熊野信仰の発展と東北」を読むに、役小角円仁といった人物の記述があり、こちらも興味深そうだ。特に参考になりそうなのが、「熊野信仰」と題する論文である。

【追記】
はぐらめいさんがAmazonに投稿したカスタムレビューを読んでいたところ、ナント、寅さんこと渥美清に会ったことがあるとか!!! 羨ましい…

会ったのは半世紀前と書いてあるから、多分、男はつらいよの「葛飾立志篇」の時だろう。ロケ地は山形県寒河江市だったし…。ちなみに、同作品の公開は1975年だから、44年前ということで、時期的にほぼ一致している。はぐらめいさん、来週お会いした時に詳しくお聞かせください(ペコリ)。ちなみに小生、「寅さん」というカテゴリを設けており、今までに170本の寅さん関連の記事を書いていますwww

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古墳時代 12
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2018年3月3日、故飯山一郎さんや道友と一緒に誉田山古墳を訪れ、その時初めて国宝・2号鞍に小生は接している。夢にまで見た鞍であった。この2号鞍について、福岡大学助教授(当時)の桃崎祐輔氏が論文を公開しており、特に注目していただきたいのが以下の記述だ。

遼寧省北票県の喇嘛洞ⅡM101号墓出土の龍文透彫鞍は大阪府誉田丸山(応神陵陪塚)2号鞍と細部に至るまでほとんどまったく同一で、丸山2号鞍は北燕の製品である可能性が高そうです。
『三燕文物精粋』の驚愕 桃李


桃崎氏の「北燕の製品である可能性が高い」、という言葉にある北燕(407年 - 436年)は、中国の五胡十六国時代の王朝の一国で、鮮卑化した漢人将軍馮跋が後燕王の慕容熙を廃して建国、首都を黄龍府すなわち龍城(現在の遼寧省朝陽市)に置いたのだが、その北燕の版図は以下の通りだった。

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雄霸北方数百年的?卑人,建立燕国最多的是慕容氏

北燕王朝は応神天皇の御代から百年ほど経った後の王朝だが、ウィキペディアは古墳時代を西暦250年~538年としているので、2号鞍は日本の古墳時代につくられた鞍ということになる。その後、日本に亡命してきた百済の渡来人(王族)が、2号鞍を日本に持ち運んできたのだ。

ここで、「北魏馮太后は、天皇家の先祖だった!」とする、飯山さんのHP記事を改めて再読、否、熟読していただきたい。
http://grnba.jp/more16.html#ws0129

上記のHP記事以外にも掲示板「放知技」に、飯山さんは沢山の北魏に関する投稿を行っているので、同掲示板トップの右側にある「検索:」に〝北燕〟と入力して[検索]ボタンをクリックすると、19件ほど「北燕」を含む投稿がヒットする。亀さん(旧ハンドル名 サムライ)を含め、他の人たちの投稿は読む必要がなく、飯山さんの投稿にだけ目を通せば十分だ。

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ところで、現在は古墳時代を中心に飯山史観の作業日誌をココに書いているわけだが、近く「天武天皇」シリーズに突入する。そのキーワードは「百済」。ちなみに放知技で検索すると、ナント、ページ数にして9ページ、合計で267もの投稿がヒットするwww。亀さんの投稿も含まれているんだが、こんなのはどうでもよく、飯山さんの投稿の他、堺のおっさんと小ボンボンの投稿を熟読すれば十分だ。こうして読み通した投稿についての感想は、天武天皇シリーズに突入したら、テーマに応じて取り上げていきたいと思う。

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さて、古墳時代シリーズも終わりに近づいている。これから、応神天皇の出自の他、太陽信仰、聖方位、クルガン等について筆を進めていく予定である。

阿弥陀堂だより
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昨日、NHKで放送された映画「阿弥陀堂だより」、幸い本日の仕事は早めに終わったので先程まで鑑賞していたが、実に心洗われる映画であった。

同映画のロケ地は長野県飯山市。新緑が眩しい五月から、フキノトウが芽を出す翌年の早春まで、飯山市の美しい自然をアクセントに物語は展開する。医療の最先端で活躍していた上田美智子(樋口可南子)は、パニック障害を病んで夫である上田孝夫(寺尾聡)の古里に引っ越し、阿弥陀堂という小寺で独り生活する、おうめ婆さん(北林谷栄)との心温まる交流を重ねていく…。以下のサイトにアクセスすれば、飯山市の自然の織り成す美しさと、同映画の粗筋を同時に味わうことができよう。
シネマ紀行

所々のシーンが脳裏に焼き付いたが、特に印象に残ったのがラストシーンで、44歳にして子供を授かった美智子が嬉しそうに夫に報告する姿を見て、おうめ婆さんの姿が浮かんだ。「人の一生」や「今を生きる」を書いた身として、96歳のおうめ婆さんと、これから生まれてくる新しい命、どこか心に迫りくるものがあった。

数々の珠玉の言葉も忘れ難い。特に、小百合(小西真奈美)の以下の言葉…

小説とは、阿弥陀様を言葉で作るようなものだと思います。




【男はつらいよ】
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上掲の映画を観ながら、脳裏に浮かんだのが「男はつらいよ」であった。「阿弥陀堂だより」に出演した俳優の多くが、「男はつらいよ」にも出演している…

「寅次郎夕焼け小焼け」 寺尾聡
 元気だった頃の寺尾の父・宇野重吉と岡田義子の共演は、山あり谷ありの人生を歩んできた人間ならではの名演技だったと、今にして思う。

「寅次郎恋愛塾」 樋口可南子
 1985年8月3日に公開の作品なので、当時の樋口可南子は27歳、思わず見蕩れてしまう美しさである。一方、「阿弥陀堂だより」の樋口は44歳になっていたが、年齢とともに滲み出る内面的な美しさを見事に出していた。

「旅と女と寅次郎」 北林谷栄
 佐渡の民宿・吾作のおばあちゃんを好演しており、実に味わいあるシーンだった。都はるみが民宿で歌う「矢切の渡し」も強く印象に残る。

「寅次郎春の夢」 香川京子
 拙稿「寅さんと翻訳」参照。

「望郷篇」 井川比佐志
 井川の出た「望郷篇」は、拙稿「寅さんのことば 第2部 24」でも取り上げているが、むしろ、同じ山田洋次監督の撮った「家族」(1970年)の方が印象に残る。あれは、実に良い映画だった。

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「浪花の恋の寅次郎」(1981年)~「寅次郎ハイビスカスの花 特別篇」(1997年) 吉岡秀隆
 諏訪満男役だった吉岡秀隆も今年で48歳(1970年8月12日生)、子役時代のイメージが強いので、モー五十路も目の前かと、何んだか信じられない気分だ。

無文字社会
掲示板「放知技」の「奇人と愚人の『座敷牢』」というスレッドで、パパリンさんという人の投稿をきっかけに、いつも楽しみにしていたスケベーな投稿が脇に追いやられ、ナント、〝高尚〟な芸術論が熱く展開中… (@_@)

これわ、パパリンさんが陶芸家の田崎太郎氏について取り上げたところ、オマンゴロウさんをはじめ、虻 soluteさん、出世外人さんといった、放知技の常連さんが自前の芸術論を展開するつう図になったワケだが、そんな中、>>291で岡本太郎が登場、ふと思い出したのが飯山さんの以下の記事だった。
文字・国家をもたない縄文人が形成した
地球規模の壮大なネットワーク空間のこと


岡本太郎と言えば、読者の脳裏に浮かぶのが火焔土器だろう。飯山さんは岡本太郎について、以下のように述べている。

「芸術は爆発だ!」の名セリフを残した日本を代表する前衛芸術家岡本太郎が、日本における唯一の優れた芸術と賞賛したのは「火焔土器」と呼ばれる縄文時代中期の土器であった。

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確かに、レヴィ・ストロースではないが、フランボワイヤン(燃え立つ炎)のように見えないこともない。しかし、京都造形芸術大学の石井匠氏は、以下のように書いているのだ。

 考古学者たちは、この不可思議なモノを「火焔土器」と呼んでいる。この異様な形と文様に、燃え立つ炎のイメージを重ねたのだろう。岡本太郎もまた、この土器に根源的な美をみたのだが、彼が想起したものは「火炎」ではなかった。太郎の秘書であり、養女でもある岡本敏子は生前、こんなことを私に言っていた。

 「岡本太郎さんはね、『火焔土器は深海のイメージだ』と言ってたのよ。」

 「深海ですか?」

 「そう。『縄文人は深海を知っていたんだ』ってね。」

火焔土器のイメージ


岡本太郎が縄文土器から想像したのは「火炎」ではなくて「深海」…。石井氏が岡本太郎の身内から聞いたのだから間違いないのだろうが、もしかしたら、それは深海ではなくて「心界」あるいは「神界」」だったのかもしれないと、愚生は愚考するのでR。まぁ、それはどちらでもよい。むしろ小生が注目したのは飯山さんの以下の言…

ここで注目すべきは、1万年以上もの間、豊かで高度な文明を花咲かせた縄文人は文字を持っていなかった、 ということである。しかも縄文文化は、日本列島のあらゆる地方に伝播して展開されたのである。エジプトのナイル文明にしても、中国の黄河文明にしても、チグリス・ユーフラテス文明にしても、いずれもがせいぜい5千年足らず。これに対して縄文文化は、実に1万年以上も継続して繁栄したのだ。しかも、くどいようだが文字はなかった。文字がないのに何故に高度な文化が広範囲にいきわたったのかという疑問は、ピラミッドがどのようにして作られたのかといった謎の比ではない、世界の文明史上、最大の謎であろう。謎のスケールがちがうのだ。


そこから、飯山さんは縄文文化が日本列島を基点に、広く環太平洋一帯に伝播していった話を展開しているのだが、このあたりは小生も以下の拙記事に書いたので、関心のある読者に一読していただけたら幸いだ。
海上の道
海上の道 02

それにしても、「文字がないのに何故に高度な文化が広範囲にいきわたったのかという疑問は、ピラミッドがどのようにして作られたのかといった謎の比ではない、世界の文明史上、最大の謎であろう」という飯山さんの疑問、小生も時折だが無文字社会とは何だったのかと考察したことがあり、上記の「海上の道」でも川田順造の著した『無文字社会の歴史』を紹介したほどで、改めて同書を再読してみたいという思いに駆られた。

思えば、先日(5月1日)に体験したJINMOさん斎行の寄絃乃儀も、言葉や文字は一切なく、すべて神岩が奏でる神音であった。このあたりに、無文字社会すなわち縄文時代を解く鍵が潜んでいるような気がする。そのJINMOさんと昨年の暮れに初めてお会いした時、世界戦略情報誌『みち』に言霊について執筆すると約束してくれたが、言霊について連載を開始した時に、明快なJINMOさんの答えを知ることができるかもしれない。

空間知性体と古事記
先日、「天上界の音」という拙稿をアップしたが、先ほど読み返してみたところ、二点ほど追記したいテーマが出た。それは「空間知性体」と「ふることふみ」(古事記)である。

■空間知性体
空間知性体とは何かということだが、最初に地球外知的生命体から考えてみよう。我々の銀河系だけで二千億もの恒星があることは承知の通りだが、そうした銀河系のような銀河が我々の宇宙には、これまた千億もあるとされている。ともあれ、銀河系だけでも二千億の恒星ということは、地球外知的生命体が我々の銀河系だけに絞っても、ほぼ確実に存在しているはずだし、NHKの「コズミックフロントNext」シリーズの一つ、「どこで会う!?地球外生命体」でも同様なことを述べている。

次に、それなら空間知性体とは何かということだが、世界戦略情報誌『みち』(平成31年4月15日号)に載った、JINMOさんの記事(p.15)からその定義を引用しておこう。

すでに物質的ハードウェアを捨て去った地球外知的生命体


要は、肉体から離れた知的生命体のことを指しているのだったが、小生は死後の世界や輪廻転生などについては、この世で一度も体験していないので、「そんなものがあるかどうか、分からねぇ」と、専ら答えるしかない。だが、一方で人智の及ばぬ世界があるだろうと、心の何処かで感じているのも確かだ。

さらに、JINMOさんは空間知性体について、以下のようなことも述べている。

神、仏、霊……、様々な呼ばれ方はするが、古今東西、あらゆる時代のあらゆる文明で、ヒトがその存在を、例え知覚できないとしても否定せずに、肯定的に期待し続けている超越的存在。


これは、小生が時々用いる「霊性」と重なるところが多い。この霊性と空間知性体について、今後取り上げていく予定である。

■古事記
次に「ふることふみ」(古事記)。令和初日、JINMOさんが斎行する寄絃乃儀の前に、八幡書店の武田崇元社長らの挨拶があった。そうした挨拶の中で古事記という言葉を耳にした時、思わず背筋を伸ばしたものである。細かい話の内容は忘れたが、幾つか印象に残る話があった。

古事記序
古事記の中で「序」が最も大切であるという主張があったが、その通りだと思う。2010年5月20日に行われた第45回目の舎人学校で、栗原茂さんも以下のようなことを述べている。

『ふることふみ かみよのまき』の「古事記序」に、「時に舎人有り、姓は稗田名は阿禮、年是廿八」の行がある。ここでいう28とは年齢のことではなく、稗田阿禮のような音による伝承者人28名のことを示す。なを、「古事記序」はシャーマン風の読み方でないといけない。


毎晩風呂の中で古事記を暗誦しているが、時折シャーマニズムについて思うこともあり、ある意味、これは空間知性体に向かう道程なのかもしれない。空間知性体とシャーマニズム、今後も思うところがあれば取り上げていきたい。

成ると鳴る
古事記の上巻(ふることふみ かみよのまき)の冒頭は、「天地の初發の時、高天原に成りませる神の名は…」で始まる。幸田校訂では「成る」となっているが、それは「鳴る」であるとの主張であった。なるほどと思った。ただ、「なる=鳴る」というのであれば、同行にある「並獨神成りまして、身を隱したまひき」を、「並獨神〝鳴りまして〟、身を隱したまひき」にすると、どうも文脈が合わないのが気になるが、これは今後の研究課題としよう。

【追記1】
最近見た銀河系関連の番組で優れていたと思ったモノ。
あなたと宇宙を結ぶストーリー 銀河大衝突
映像詩 宮沢賢治 銀河への旅 ~慟哭の愛と祈り~

【追記2】
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古事記序(幸田成友校訂)

【追記3】
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世界戦略情報誌『みち』(平成31年4月15日号)に掲載された、「精神核について 4」


古墳時代 11
掲示板「放知技」に時折投稿していただいている、はぐらめいさんが最近行った投稿…

出世外人さんの「日本史図式」がすごいです。日本の歴史を学ぶとき、この図式が頭に入っているといないとでその理解度はまったくちがってくるはずです。
http://grnba.bbs.fc2.com/reply/16639517/15/


はぐらめいさんが言うところの出世外人さんの「日本史図式」とは、以下のようなものである。

 *大和政権草創期:分権的
    ↓
 *奈良時代~平安時代中期:中央集権的(大宝律令制定 現在に続く徴税機構と官僚機構の成立)
    ↓
 *平安時代後期~鎌倉時代:地方分権的
    ↓
 *建武親政:中央集権的
    ↓
 *室町時代~戦国時代:地方分権的
    ↓
 *織豊期:中央集権的
    ↓
 *江戸時代:地方分権的
    ↓
 *明治時代:中央集権的
    ↓
 *大正時代:分権的(大正デモクラシー)
    ↓
 *昭和・平成:中央集権的(大政翼賛、国家総動員法)、グローバリゼーション

http://grnba.bbs.fc2.com/reply/16675542/349/


ここで思い出すのが、故飯山一郎さんが行った投稿、「外圧と占領説」だ。出世外人さんの日本史図式と対比させる意味で、「日本の歴史は,外圧と占領により大変化する」とする飯山さんの外圧と占領説を念頭に、以下のようにまとめてみた。

 *第1回目は:紀元前1万5千年前頃.日本列島に土器文化人が侵入

 *第2回目は,紀元前5千年頃.定住稲作民族が移住

 *第3回目は,西暦紀元前後,古墳文化をもつ豪族たちが侵入

 *第4回目は,7世紀.豪族・古墳文化の日本列島に,百済国が侵入

 *第5回目は,9世紀.奥羽地方に獰猛なアテルイ族や突厥族が侵入(外圧)

 *第6回目は,19世紀.英国が「カラー革命」を策謀し,英国による間接支配開始

 *第7回目は,20世紀.大東亜戦争に敗北した日本は,米国の占領下に入り,以後70年間,米国の植民地・属国

 *第8回目は,米国の支配下から脱するため,ロシアとの同盟関係に入る.← いまココ.

http://grnba.bbs.fc2.com/reply/16155707/828/


早速、出世外人説と飯山説を対比させる意味で、飯山さんの「外圧&占領」説というフィルタを、出世外人さんの「集権vs.分権」説にかけてみよう。

最初に、出世外人さんの日本史図式を見て、咄嗟に念頭に浮かんだのがライフサイクルだ。人間に生老病死があるように、社会、そして国家も生老病死というライフサイクルを避けて通ることはできない。このライフサイクルについては、藤原肇氏の図表「組織におけるライフサイクルの理想曲線」が参考になろう。

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早速、外圧&占領フィルタを、集権vs.分権説にかけたところ、ライフサイクル以外に外圧&占領が大きく作用していることが分かった。たとえば、飯山説による第4回目の外圧&占領、「7世紀.豪族・古墳文化の日本列島に,百済国が侵入」が、以下の出世外人さんの集権vs.分権説に当て嵌まるという具合にである。

 *大和政権草創期:分権的
    ↓
 *奈良時代~平安時代中期:中央集権的
    ↓
 *平安時代後期~鎌倉時代:地方分権的


つまり、「*大和政権草創期:分権的」だったのは、飯山史観の第3回目の外圧&占領にあるとおり、西暦紀元前後古墳文化をもつ豪族たちが日本列島に侵入,多くの豪族が犇めき合っていたためで、それが日本列島において分権的(群雄割拠)な時代を形成していた。その後、飯山史観でいう第4回目の外圧&占領として百済国が日本列島に侵入,百済国は多くの豪族が犇めき合う日本列島に天皇制国家「日本」を建国したのであり、これがやがて出世外人さんのいう、「奈良時代~平安時代中期:中央集権的」へと収斂されていった。しかし、国家のライフサイクルをここでも避けることはできず、中央集約もやがて衰退、すなわち分権的時代に突入していった。つまり、出世外人さんが言うところの「*平安時代後期~鎌倉時代:地方分権的」に向かていったのである。

他の時代の集約vs.分権説についても、外圧&占領説というフィルタを通せば以下のようになる。

*建武親政:中央集権的  奥羽地方に獰猛なアテルイ族や突厥族が侵入、やがて収斂されていく(第5回目)

*明治時代:中央集権的  英国による間接支配が続き、やがて明治維新に至る(第6回目)

*昭和・平成:中央集権的  日本は大東亜戦争に敗北、以後70年間にわたり米国の植民地・属国となる(第7回目)


このあたりについては、出世外人さんによる追加説明が欲しいところだ。幸い、はぐらめいさんと加計呂麻島さんが中心となって、今月下旬に東北一郎会が開催されることになり、出世外人さんも出席する。だから、遠慮なく出世外人さんに質問をぶつけていただきたい。

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http://grnba.bbs.fc2.com/reply/16639517/14/

東北一郎会は、放知技の常連の一人であるmespesadoさんの講演後となる。ここで、出世外人さん以外に、グリコのおまけとして、堺のYさんと亀さんも出席を予定しているのだが、多分、インテリジュンス集会ならぬピンク集会になるであろう(爆)。

【追伸】
故飯山一郎さんの一周忌となる7月21(日)、午後から東京の池袋で東京一郎会を挙行します。先日(5月1日)、世界戦略情報誌『みち』の天童竺丸編集長と、兵庫県高砂市でJINMOさんが斎行した、寄絃乃儀の場で少し話を交わしたところ、天童さんには東京一郎会に参加いただけることになりました。また、確認は取っていないものの、『お金の秘密』を著した安西正鷹さん、そしてJINMOさんにも都合がつけば、三名の巫女とともに参加していただけたらなと密かに願っています(ペコリ)。

なを、かんだい・ネットショップ関係者、堺のYさん、八戸市のマタタビさんも、小生宛ての私信で既に参加を表明されていますが、本格的に参加申込のメール受付は、来月の下旬か7月の初旬あたりに開始しますので、スケジュールの都合のつく方はこの機会に是非ご参加ください。

天上界の音
令和初日、生石神社(兵庫県高砂市)にて斎行された寄絃乃儀に参列してきた。天上界の音、すなわち神人一如を体験をしたいと思ったからだ。ここで、本稿の最後に転載した寄絃乃儀を斎行したJINMOさんの筆による、「寄絃乃儀と天乃浮」(世界戦略情報誌『みち』に連載)に、以下のような記述がある(同誌平成30年12月1号)。

●実行委員会の嶋谷一也氏が私に言った。

「演奏が始まってすぐ、天乃浮石の遥か上空に、四つの明るい発光体が長時間に渡って浮遊しているのが、明確に視認できた」


これは、昨年の11月3日に生石神社にて斎行された、薪奏に参列した嶋谷一也氏の言である。しかし、本当に「四つの明るい発光体」を自分も視認できるのか、神人一如とでも呼ぶべき体験を、自分もできるのだろうかと思いつつ生石神社へと赴いたわけである。

残念ながら、会場が屋根で覆われていたため、天空を仰ぎ見ることはできず、嶋谷氏の言うところの四つの明るい発光体は視認できなかった。代わりに、INMOさんの奏でる音に、全神経を集中するように心がけた。やがて、恍惚とした状態に陥った。しかし、時々前に座る参列者らが焚くストロボで、現実の世に引き戻されることしばしば…。そうこうするうち、周囲から拍手が起こり、終演したのだということを知った。

せっかくここまで足を運んだのだからということで、同行者の猿都瑠さんと神前に進んだところ、『みち』の天童竺丸編集長の姿があった。声をかけたところ、促されたので二礼二拍一礼を行った。すると、天童さんが神岩の周囲を案内してくれ、神岩が奏でる音の神秘について詳説してくれたのである。このあたりは、やはり本稿の最後に転載した、JINMOさんの三回にわたる「寄絃乃儀と天乃浮」に目を通すといいだろう。

神岩を回った後、天童さんからJINMOさんを囲んでの直会があるので来いと誘われたのだが、残念なことに既に神戸市に宿を予約していた上、終電に間に合わないこともあって辞退し、JINMOさんにもお礼の言葉を述べ、会場を後にした。神戸の宿に向かう途中、時折だが脳裏に浮かんだのが霊性であった。神戸に到着して宿の温泉で疲れを癒した翌日、産経新聞の以下の記事が目に飛び込んできた。確実に、前稿「令和最初の日」の通りに世界は動いている…。

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■即位後朝見の儀における天皇陛下初のお言葉(全文)

日本国憲法および皇室典範特例法の定めるところにより、ここに皇位を継承しました。

 この身に負った重責を思うと粛然たる思いがします。

 顧みれば、上皇陛下にはご即位より、30年以上の長きにわたり、世界の平和と国民の幸せを願われ、いかなる時も国民と苦楽を共にされながら、その強い御(み)心をご自身のお姿でお示しになりつつ、一つ一つのお務めに真摯(しんし)に取り組んでこられました。上皇陛下がお示しになった象徴としてのお姿に心からの敬意と感謝を申し上げます。

 ここに、皇位を継承するに当たり、上皇陛下のこれまでの歩みに深く思いを致し、また、歴代の天皇のなさりようを心にとどめ、自己の研鑽(さん)に励むとともに、常に国民を思い、国民に寄り添いながら、憲法にのっとり、日本国および日本国民統合の象徴としての責務を果たすことを誓い、国民の幸せと国の一層の発展、そして世界の平和を切に希望します。



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 現界巫女3名については、以下のJINMO稿参照。

 塀の中の懲りない面々…、ではなくて「まほろば会」の面々。

 直会、出たかった…。

 小生は左側の奥で天上界の音に聞き入っていたが、幻想的な一夜であった。

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令和最初の日
平成の御代が幕を閉じた昨日、関東地方は一日雨であった。令和という御代を迎えた今朝は雨も上がり、雨に打たれた庭の木々の新緑が瑞々しい。いよいよ、新しい御代が始まったのだなという感を強くした。

今年の一月、歌会始の儀において皇太子殿下(当時)のお歌の披講があり、その直後、「祈りの御歌」を小生は書いた。

■皇太子殿下
雲間よりさしたる光に導かれわれ登りゆく金峰の峰に

金峰という言葉が耳に飛び込んできた時、奈良の吉野山から山上ヶ岳までの連峰を指す金峰山(きんぷせん)が、咄嗟に脳裏に浮かんだ。続いて連想したのが、飯山史観と深く関与する熊本の金峰山であった。しかし、直ぐに詠まれたのは奥秩父連峰の盟主、金峰山と知った。

古の伝えによると、日本武尊が東征の折、同連峰の金峰山に鎧をおさめたとあり、秩父山地の入り口に居を構える身として、思わずギクッとなった。ちなみに、同山は修験の総本山である、和州(奈良県)金峰山から蔵王権現を分祠されている。

ともあれ、殿下の御言葉「雲間よりさしたる光」に、今日現在の日本、そして世界の実態を指していると思うのだし、そうした中での「登りゆく」という御言葉に、新天皇になられる殿下の秘めた決意のようなものを読み取った次第である。


改めて、天皇に御即位あそばされた当時の皇太子陛下のお言葉、「雲間よりさしたる光」に注目していただきたい。このお言葉はどういう意味か? これは、雲の切れ目から光がさしたという、単なる自然現象を表したものではないはずだ。上掲の「祈りの御歌」に書いた、以下の拙文を思い出していただきたい。

歴代の天皇は和歌を通じて人々と交わり、自らの心情を伝えてこられた


以下は、「雲間よりさしたる光」についての小生の解釈である。

戦争勃発の気運のといった、世界を厚く覆っていた雲間から一条の光が見えてきた。


このように、大きく変わろうとしている世界の潮流を正確に把握するには、大手マスコミの流すニュースを読んでいるだけでは駄目で、たとえば野崎晃市博士のブログ、【文殊菩薩】等に目を通した方が遥かによい。何故なら、最近の野崎博士の諸記事を読めば、まさに雲間より光がさしてきたことが実感できるからだ。以下、「雲間よりさしたる光」の具体例を示す、野崎博士の記事を数本紹介しておこう。

日米首脳会談と中露首脳会談の同時開催
 日米首脳会談と中露首脳会談が同時進行した背景は、「北朝鮮問題解決の布石」であると野崎博士は喝破していたが、全くもって同感である。

ウクライナでコメディアンが大統領に
 過日のウクライナ大統領選挙において、現職のポロシェンコを元コメディアン俳優のゼレンスキーが大差で破ったが、これは、ウクライナに巣食うネオコンの衰退を示す明るい兆候だ。

金正恩とプーチンが握手
 同記事の冒頭文、「(遅刻常習犯の)プーチンは金正恩より30分早く到着し、金正恩との首脳会談と拡大会議に三時間半もの時間をかけた」に注目していただきたい。露朝首脳会談については、拙ブログでも「プーチンと金正恩」を書いた。

北朝鮮との関係改善を図る米国
 二度目の米朝首脳会談では共同声明に至らなかったものの、その後もトランプの金正恩への信頼に揺らぎはない。何故なのか? 考えてみて欲しい、何故、トランプの信頼が揺るがないのか…と。

さらに、FBIは米朝首脳会談直前にスペインの北朝鮮大使館を襲撃した元米海兵隊員を逮捕したことを発表した。

これにより、米国は「自由朝鮮」なる金正恩体制を破壊しようとする工作機関を支持しないことを表明したのである。


いよいよトランプの逆襲が始まる
冒頭文に注目していただきたい。

モラー特別検査官がトランプがロシアと共謀した疑惑に関する報告書を発表し、共謀の事実なしとロシア疑惑に終止符をうった。


誰が、何のために、トランプにロシア疑惑という罠を仕掛けたのか、そのあたりが分かれば、大量のフェイクニュースを流してきた大手マスコミの正体が分かる。

以上、お気づきのように、最近の野崎博士は、ロシア、アメリカ、北朝鮮、そして日本のリーダーの動向を中心に記事を執筆している。何故か? 

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ここで、堺のおっさんの最近の投稿(掲示板「放知技」)に注目していただきたい(赤線)。

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http://grnba.bbs.fc2.com/reply/16675542/435/

何故に、プーチン、トランプ、金正恩、安倍晋三なのか…。読者の中には習近平が入っていないのは何故かと、訝る方もおられるかもしれないので、同じく堺のおっさんの以下の投稿を紹介しておこう。

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http://grnba.bbs.fc2.com/reply/16675542/406/

何故に習近平は身動きできないのか? そのあたりは、最初に取り上げた堺のおっさんの投稿にある、青線で示した言葉のとおりである。

資本主義が出現して以来、覇権は

オランダ→英国→アメリカと受け継がれてきたが、

このたびの米中覇権争いもその延長線にある。


さて、これから兵庫県の姫路市に向かう。今日斎行される寄絃乃儀に参列するためだ。帰宅後、なるべく早めに寄絃乃儀についての記事を書き、アップする所存である。

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■退位礼正殿の儀における天皇陛下のお言葉(全文)

今日をもち、天皇としての務めを終えることになりました。

ただ今、国民を代表して、安倍内閣総理大臣の述べられた言葉に、深く謝意を表します。

即位から30年、これまでの天皇としての務めを、国民への深い信頼と敬愛をもって行い得たことは、幸せなことでした。象徴としての私を受け入れ、支えてくれた国民に、心から感謝します。

 明日から始まる新しい令和の時代が、平和で実り多くあることを、皇后と共に心から願い、ここに我が国と世界の人々の安寧と幸せを祈ります。


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