現在、早めに仕事を終えた手隙の時を狙って「飯山史観」の編集作業を進めているが、実は亀さんが最初に描いてみたいと思っていた飯山史観とは以下のようなものであった。
宇宙→銀河系→太陽系→地球→生命→類人猿→ホモサピエンス→ツラン→ツングース→扶余→百済→日本
本来であれば、飯山史観の要諦は応神天皇の御代以降にあることから、「ツングース→扶余→百済→日本」だけを書き進めればE-ことは分っていた。ところが、どうしたことか浅学菲才の身であることを忘れ、宇宙の開闢から現在までを網羅してやろうと、最初は本気で考えていたのだから、まさに平成のドン・キホーテもいいところ…。
そのあたりを反省して、拙稿「トーラス」では「宇宙→銀河系→太陽系→地球→生命」までを簡単に書き、さらに続稿「ツランの原郷」では「類人猿→ホモサピエンス→ツラン」までを簡単に書いたつもりである。そして今回はツランの一民族ツングースと、栗本慎一郎氏の謂う「ミヌシンスク文明」について書くつもりでいたが、その準備段階として日本のツラン第一研究者である、天童竺丸さんの大量の論文を読み漁っていくうち、以下の一文に目が留まったのである。
現在ハンガリーにおける歴史研究の「主流」はフィン・ウゴール理論へと頑なに傾斜して、ハンガリー人は高度に文明化したヨーロッパに「遅れてやって来たアジアの原始的侵略者」だったという考えを喧伝している。 したがって、この公式の歴史解釈は、ハンガリー人の古代ツラン民族起源やシュメール、スキタイ、フン、アヴァール、マジャールの同一性と持続性、さらには紀元一〇〇〇年以前の千年間にハンガリー民族が成し遂げた文化的・政治的・軍事的業績などを、無視もしくは黙殺することを特徴とする。まさにそれこそがハンガリーという国家の基礎を築いたにもかかわらず……。 ツラン魂は健在なり 2

これは、天童さんがハンガリーの「フン・マジャール協会」という、ホームページから引用した内容の一部である。この行を読みつつ脳裏に浮かんだのが、戦後のGHQという存在であった。一時、放知技でもGHQについて激しい議論が交わされていたが、今でも記憶に残るのが猿都瑠さんのGHQに関する一連の投稿だ。
何故に、上掲の天童さんの一文でGHQが思い浮かんだのか? それは、日本とハンガリーが現在対峙している勢力に、共通するものを見たからである。
つまり、天童さんの「ツラン魂は健在なり 2」にある、「ハンガリー民族が成し遂げた文化的・政治的・軍事的業績などを、無視もしくは黙殺」しようとする勢力と、猿都瑠さんの投稿「GHQ撤退後に日本にやって来たジャパンハンドラーズと呼ばれる面々」という勢力は同じ穴の狢なのである。ハンガリーと日本は、ツランという血族として結ばれた兄弟国同士であり、物の見方・考え方が似通っていることもあって、ハンガリーや日本の誇る文化伝統から目を逸らせようとする勢力と、ハンガリーと日本は今でも対峙しているのだ。
ここで、初めて拙ブログを訪れた読者には、ツランと言ってもピンと来ないのではないだろうか。そうであれば、ここは是非、日本のツラン第一研究者である天童竺丸さんの論文集に目を通すことをお勧めする。莫大な量の論文だが、幸いツラン関連の論文は「赤字表題」で示されているので見分けがつきやすく、ツラン関連の論文だけでも一読いただければと思う。
ともあれ、日本においてはGHQの軛から脱するため、われわれの目に見えぬところで完全独立に向けた闘い(殺し合い)が行われている。だからこそ、後に続く若い日本人のためにも、ここは『飯山史観』を後世に遺さねばと思うのである。
【追記1】 ハンガリーと日本を貶めようとする勢力の正体については、以下の二文がヒントになろう。
●まず、今岡の炯眼は、ツラン民族の宗教に注目している。イスラム教やラマ教である。だが、S・ハンチントンとは異なって宗教の違いを文明の對立を招く要因として捉えてはいない。むしろ、宗教や家族を否定する共産主義イデオロギーに対する「鐵璧」 になりうると考えているのだ。 そしておそらくは、多くの日本人と同じように、宗教の違いを超えた共通の自然的道義というものがあり、宗教はこの自然的道義の表現形態として尊重するという態度が根柢にある。 今岡十一郎「ツラン民族の文明的使命」
●今岡十一郎がここで強調して述べているのは、地政学でいうところの「ハートランド」がツラン民族の故地であり、東西文明交流の要衝であったという歴史的事実を踏まえつつ、さらに、陸の時代、海の時代を経て空の時代へと突入すれば、ユーラシア大陸の中央部に位置するツラン民族の故地がふたたび脚光を浴びるであろうということである。 植民地利権支配の覇道イデオロギーに促された地政学の「ハートランド」なる規定は、いうならばツラン民族の覚醒を妨害する意図を秘めていたともいえよう。 現在のところ、今岡が指摘したような状況とは異なるものの、「ハートランド」すなわちツラン民族の故地が脚光を浴びるという事態がすでに部分的には訪れているように思われる。すなわち、支那包囲網の後門として、あるいは石油ほかの埋蔵天然資源の宝庫として、そしてイスラム原理主義の浸透先として、戦略的に注目されているからである。 だが、「ツラン民族の故地」であるがゆえの、文明的な脚光はいまだ及んでいない。今岡の洞察の我々にとっての意味は、むしろ今後を睨んだものと考える方がよかろう。 今岡十一郎「ツラン民族の文明的使命」
【追記2】 天童さんの論文集に目を通しているうち、思わぬ収穫があった。それは、母語は人の物の見方・考え方、すなわち思考様式を根底で支配していると常日頃感じている身として、「ツラン魂は健在なり 5」には大いに啓発を受けたからだ。殊に、望月長與の提唱する「一音語」、…これこそ世界に数多ある言語のなかでも、日本語だけが持つ独特の特徴を示すものであり、おかげさまで、今までに自分の考えてきた日本語観についての確信が一層深まったように思う。
今日相互に大きく異なる言語のグループとして、「膠着語」「孤立語」「屈折語」の三つが挙げられる。 「孤立語」とは他の言語と関係を有しない独りぼっちの言語という意味ではなく、文章の中で単語が何時も同じ形で孤立し(それ自身が語尾変化したり他の要素を付加しないでも)文法上のさまざまな意味をもつことを特徴とする言語集団の謂である。支那語やチベット語、タイ語などがこの言語グループに属する。 いわゆる「てにをは」をくっつけてやらなければ、文法上の意味が明確にならない言語が「膠着語」である。膠でくっつけるように小辞をつけて意味を明らかにする言語というほどの意味である。ツラン民族の言語の特徴はこの「膠着語」である。 「屈折語」とは、動詞も名詞も実際に文章の中で使われるときは、その文法上の意味(役割)によって語形を屈折(変化)させる言語集団である。津田氏の話に出てきた印欧語族は、この「屈折語」のグループに属する。 ツラン魂は健在なり 2
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