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人生は冥土までの暇潰し

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人生は冥土までの暇潰し
亀さんは政治や歴史を主テーマにしたブログを開設しているんだけど、面白くないのか読んでくれる地元の親戚や知人はゼロ。そこで、身近な話題を主テーマに、熊さん八っつぁん的なブログを開設してみた…。
栗本慎一郎の生命論
『週刊ダイヤモンド』(11月3日号)が、「投資に役立つ地政学・世界史」という特集を組んだ。それと並行して、「中間層の格差とポピュリズムはグローバリゼーションが生んだ」と題する、ダイヤモンド編集部の宣伝記事をアップしていたので目を通してみた。

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通読して分かったのは、「ツラン」という視点が完全に欠落していることだ。天童論文に目を通した読者であれば、このあたりについて立ちどころに気がつくはずである。また、栗本慎一郎氏の〝最後の一冊〟とされている、『栗本慎一郎の全世界史』(技術評論社)の腰巻にも、以下のような重要なメッセージが載っている…。

日本史も、世界史も、すべてが一つの「歴史」 - ゲルマン人、中国人が恐れ、隠してきた「ユーラシア」にこそ躍動する歴史の源泉があった


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栗本氏はツランという言葉こそ用いていないものの、栗本氏が言うところの「ユーラシア」とは、これ即ちツランのことであると思って差し支えないであろう。何故にツランに対して、「ゲルマン人、中国人が恐れ、隠してきた」のか? そのあたりについては、『栗本慎一郎の全世界史』、あるいは天童論文を一読すれば容易に理解できるはずだ。

さて、今回は栗本慎一郎氏が提唱する「ミヌシンスク文明」に筆を進めるつもりでいたが、昨日、『栗本慎一郎の全世界史』、そして『ゆがめられた地球文明の歴史』を久しぶりに再読してみたところ、『栗本慎一郎の全世界史』に〝栗本史観〟とも謂うべき、栗本氏の歴史観が展開されているのに気づいた。前回読んだ時に何故気づかなかったのかと、我ながら情けなく思ったものだが、栗本史観の紹介は極めて重要なので、ミヌシンスク文明については次稿に回し、今回は栗本史観について言及させていただきたい。

最初に、栗本史観を理解する上で参考になると思われるインタビュー記事(第一~三部)があるので、以下にリンクを張っておこう。
https://www.bio-anthropos.com/kurimoto-interview1-1/
https://www.bio-anthropos.com/kurimoto-interview1-2/
https://www.bio-anthropos.com/kurimoto-interview1-3/


また、やはり三部シリーズで別の栗本慎一郎のインタビュー記事もあり、併読していただければと思う。
https://www.bio-anthropos.com/kurimoto-interview2-1/
https://www.bio-anthropos.com/kurimoto-interview2-2/
https://www.bio-anthropos.com/kurimoto-interview2-3/


以上の計六部に目を通していただいたという前提で筆を進めよう。

他にはないユニークな栗本史観について、亀さんなりの視点で以て述べるとすれば、それは〝生命論〟という一言で言い表すことができる。インタビューの中で、栗本氏は以下のように語った(下線は亀さん)。

まず生命論があって、生命の実際の動きとして共同体の発展、興亡がある。こういう視点が根本にある。それが、そもそもの歴史の基本です。
https://www.bio-anthropos.com/kurimoto-interview1-2/


何故に生命論が「歴史の基本」ということになるのか、上掲の栗本氏の言葉だけでは分かりにくいと思うので、栗本氏の謂う生命論の大枠が示された、『栗本慎一郎の全世界史』の「はじめに」の冒頭を引用しておこう。

はじめに - 哲学と生命論なき「歴史」学は全て退場せよ

 歴史人類学は、私が1988年に『意味と生命』なる哲学書を書いた時、最後尾において「これから生命論として思索と研究のテーマにするぞ」と述べた分野である。おそらく誰にも意外だったろうが、当たり前ながら私は本気だった。
 『意味と生命』の土台になったマイケル・ボランニーの生命論(それはすなわち意味論)に導かれて、私は「層の理論」というものを提唱した。あるいは、既に提唱されていたものを新たに解読した。
 それによれば、実は生命はいくつもの層からなっている。たとえば、われわれの身体と精神の関係は大きく見れば、まず下層に純粋に物理的化学的素材からなっている身体性の層がある。そこでは原子の結合がこうで、分子の素材はこうであるということが分かっている。かなり深く分かってきていると言える。
 しかし、分析や注目がそのレベルにとどまる限り、いかに細かく研究しても精神を持つ生命の(仕組みの)表面にも到達しない。下層だけの分析をいくらしても、その下層システムの働きも最終的には分からないのだ。そもそも、生体の内部においてもっとも重要な化学反応に対応する酵素の役割さえも、私に言わせれば、今のところ基本がほとんど解明されていない。謎ばかりである。上位にある生命システムの中での位置が見えないということだろう。
 大体、なぜ素材的には反応に関係のない酵素が登場しなくてはならないのか。基本的に変ではないか。その意味では、素材のことは分かってきても素材間の関係は分かっていない。分子生物学の研究が進めば進むほどその分かっていないことが分かってくるだけのことである。それはどれも化学反応における触媒の役割の謎に酷似した問題であり、そこでまた「層の理論」の提唱者、マイケル・ボランニーの関心に戻ってくるというわけであるが。
 ともあれ、素材的下層も単なる素材であるだけではなく、外見としての身体を形成した段階で、より上位の原理によってコントロールされている。それは共同体の内部における人の場合と同様だろう。こうした素材の統御は内部と外部を隔てる境界を生むが、理の当然として、境界は連続して存在し、その内側に「形」を作らざるを得ない。
 そこで重要なのは内部と外部の峻別であり、その内部には素材を統御する原理がある。実は、その原理こそが、下層の原理の一つ上にある「生命」と呼ぶべきシステムなのである。
 本書中では、国際金融(資金資本)の担い手である主流派ユダヤ人が民族的にパレスチナに生まれた人々ではないことを初めて公然と論じた人物が科学哲学者アーサー・ケストラーであることを述べているが、そのケストラーが機械の中にもある種の生命性があるものだと論じた「機械の中の幽霊」論は明らかにそういう論理構成をとっている。かくしてケストラーとボランニーと私はどうしても同じものに関心を抱いたことになるが、これは言ってみれば「生命の階層性」というようなことであったろう。

『栗本慎一郎の全世界史』p.2~5


つまり、栗本氏の謂う生命論、すなわち生命の階層性という発想を根底に置かないことには、真の歴史を捉えることができない、ということなのである。このあたり、栗本氏は続けて以下のように述べている。

歴史を学ぶとは、ヒトの個体的生命の一つ上の層の生命現象を観察することなのである。
『栗本慎一郎の全世界史』p.8


ヒトの社会の歴史のありかたを考えること自体が哲学であり、歴史こそが生命であるということだ。その意味で、過去の歴史「学」は重要な事実誤認や見すごしがあったということではなく、その認知の方法自体がすべて間違っていたということである。
『栗本慎一郎の全世界史』p.11


実は、亀さんも栗本氏が主唱する「生命論」について、1995年前後に接していたのだが、その時は単に〝知識〟として身につけたのに過ぎなかった。一方で栗本氏の場合、〝智慧〟のレベルにまで達していたのである。そのあたりを物語っているのが、上掲の栗本氏の言葉というわけだ。

ところで、亀さんが知識として得た生命論だが、それは藤原肇氏が作成したホロコスミックス図(以下)である。ホロコスミックスとは聞きなれない言葉だが、ホロコスミックスについての同氏の論文(英語)があるので以下を参照されたい。
Holocosmics: Beyond the new horizon of a unified theory in the Meta-Sciences

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ホロコスミックス(宇宙システムを構成する多次元構造)

亀さんが上に示す藤原氏の論文を「宇宙巡礼」HPにアップしたのは、ほぼ四半世紀前になる。爾来、ホロコスミックスについて気にはなっていたが、今回漸くにして栗本氏の「生命論」と結びついたということになる。ともあれ、現在進めている『飯山史観』の編集に、栗本氏の謂う生命論がどのような形で織り込まれていくのか、現時点では全く予想ができないものの、栗本氏の謂う生命論を飯山史観に吹き込むと何が起こるのだろうかと、今からワクワクしている自分がいる。

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スオミと窪田規
ダイヤモンド社の以下の記事を興味深く読んだ。
トヨタとソフトバンクが描く「MaaS市場の覇者」への道

特に、以下の行には目が釘付けになった(下線は亀さん)。

 トヨタにとって必要なものは、MSPFと、そのユーザー/顧客である。トヨタなら、子会社やグループ企業を巻き込むことで市場を作ることは可能だろう。が、それではグローバルでスケールしない。オープンでなければプラットフォームは真の価値を持たない。生粋の製造業であるトヨタのDNAだけではバランスに欠く。そこではソフトバンクとの融合がカギになるだろう。


この「オープン」という語彙で咄嗟に思い浮かんだのが、スオミ(フィンランド)が生んだリナックス(Linux)だ。前稿で紹介した天童竺丸さんの論文の一つに、このスオミを取り扱った「ツラン」シリーズの論文がある。ちなみに、何故にフィンランドをスオミと呼ぶのかは、以下のシリーズに目を通せば納得していただけるはずだ。
ツランの子 ─ スオミ=フィンランド
フィンランド技術立国に貢献した日本人 1
フィンランド技術立国に貢献した日本人 2
フィンランド技術立国に貢献した日本人 3

ともあれ、上掲の「スオミ」シリーズに久しぶりに目を通し、スオミと日本は兄弟国なのだと、改めて思った次第である。そう、スオミと日本は、ハンガリー同様、ツランという血族で結ばれた兄弟なのだ。

ところで、上のシリーズに登場する窪田規の行を読み、天童さんに窪田を紹介した人物を懐かしく思い出した。その人物とは旧知の間柄だが、今思うに実に良い情報を天童さんに伝えてくれたと思う。そして、同胞に窪田のような優れた日本人がいたことを知った時、驚くと同時に誇りに思ったものである。

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窪田規(「フィンランド技術立国に貢献した日本人 2」より)

話をトヨタとソフトバンクに戻す。

亀さんは機械屋であることから、自動車、工作機械、半導体といった翻訳の仕事が多く、ダイヤモンド社の記事にも登場する、「MaaS(モビリティ・アズ・ア・サービス)」、「コネクティビティ」、「オートノマス」、「IoT(物のインターネット=Internet of Things)」といった語彙が、最近の仕事に頻繁に登場するようになってきたことで、時代が大きく動きつつあるのが肌でわかる。

ここで、誤解を恐れずに言えば、トヨタとソフトバンクの提携は、ハード(トヨタ)とソフト(ソフトバンク)の融合という試みであると言うこともできよう。

その意味で、改めて孫正義という起業家について深く知ることが大切だと思った次第である。つまり、亀さんは機械屋であることからハードという一刀流の人生を歩んできたが、これからは、ソフトについても理解を深めて両刀遣い…、ではなくて二刀流を目指していこうと思うのでR。そのソフトについて理解を深める一助として、以下に孫の講演を改めて紹介しておきたい。
孫正義氏「OneWebで情報通信革命を」12億ドル出資する“宇宙ベンチャー”の未来を語る

孫氏が半島人だの乗っ取り屋だのといった、単なる好き嫌いという色眼鏡をかけたままの石頭では、これから変革しつつある世界を確実に見誤ることになろう。

ハンガリーと日本
現在、早めに仕事を終えた手隙の時を狙って「飯山史観」の編集作業を進めているが、実は亀さんが最初に描いてみたいと思っていた飯山史観とは以下のようなものであった。


宇宙→銀河系→太陽系→地球→生命→類人猿→ホモサピエンス→ツラン→ツングース→扶余→百済→日本


本来であれば、飯山史観の要諦は応神天皇の御代以降にあることから、「ツングース→扶余→百済→日本」だけを書き進めればE-ことは分っていた。ところが、どうしたことか浅学菲才の身であることを忘れ、宇宙の開闢から現在までを網羅してやろうと、最初は本気で考えていたのだから、まさに平成のドン・キホーテもいいところ…。

そのあたりを反省して、拙稿「トーラス」では「宇宙→銀河系→太陽系→地球→生命」までを簡単に書き、さらに続稿「ツランの原郷」では「類人猿→ホモサピエンス→ツラン」までを簡単に書いたつもりである。そして今回はツランの一民族ツングースと、栗本慎一郎氏の謂う「ミヌシンスク文明」について書くつもりでいたが、その準備段階として日本のツラン第一研究者である、天童竺丸さんの大量の論文を読み漁っていくうち、以下の一文に目が留まったのである。

 現在ハンガリーにおける歴史研究の「主流」はフィン・ウゴール理論へと頑なに傾斜して、ハンガリー人は高度に文明化したヨーロッパに「遅れてやって来たアジアの原始的侵略者」だったという考えを喧伝している。
 したがって、この公式の歴史解釈は、ハンガリー人の古代ツラン民族起源やシュメール、スキタイ、フン、アヴァール、マジャールの同一性と持続性、さらには紀元一〇〇〇年以前の千年間にハンガリー民族が成し遂げた文化的・政治的・軍事的業績などを、無視もしくは黙殺することを特徴とする。まさにそれこそがハンガリーという国家の基礎を築いたにもかかわらず……。

ツラン魂は健在なり 2


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これは、天童さんがハンガリーの「フン・マジャール協会」という、ホームページから引用した内容の一部である。この行を読みつつ脳裏に浮かんだのが、戦後のGHQという存在であった。一時、放知技でもGHQについて激しい議論が交わされていたが、今でも記憶に残るのが猿都瑠さんのGHQに関する一連の投稿だ。

何故に、上掲の天童さんの一文でGHQが思い浮かんだのか? それは、日本とハンガリーが現在対峙している勢力に、共通するものを見たからである。

つまり、天童さんの「ツラン魂は健在なり 2」にある、「ハンガリー民族が成し遂げた文化的・政治的・軍事的業績などを、無視もしくは黙殺」しようとする勢力と、猿都瑠さんの投稿「GHQ撤退後に日本にやって来たジャパンハンドラーズと呼ばれる面々」という勢力は同じ穴の狢なのである。ハンガリーと日本は、ツランという血族として結ばれた兄弟国同士であり、物の見方・考え方が似通っていることもあって、ハンガリーや日本の誇る文化伝統から目を逸らせようとする勢力と、ハンガリーと日本は今でも対峙しているのだ。

ここで、初めて拙ブログを訪れた読者には、ツランと言ってもピンと来ないのではないだろうか。そうであれば、ここは是非、日本のツラン第一研究者である天童竺丸さんの論文集に目を通すことをお勧めする。莫大な量の論文だが、幸いツラン関連の論文は「赤字表題」で示されているので見分けがつきやすく、ツラン関連の論文だけでも一読いただければと思う。

ともあれ、日本においてはGHQの軛から脱するため、われわれの目に見えぬところで完全独立に向けた闘い(殺し合い)が行われている。だからこそ、後に続く若い日本人のためにも、ここは『飯山史観』を後世に遺さねばと思うのである。

【追記1】
ハンガリーと日本を貶めようとする勢力の正体については、以下の二文がヒントになろう。

●まず、今岡の炯眼は、ツラン民族の宗教に注目している。イスラム教やラマ教である。だが、S・ハンチントンとは異なって宗教の違いを文明の對立を招く要因として捉えてはいない。むしろ、宗教や家族を否定する共産主義イデオロギーに対する「鐵璧」 になりうると考えているのだ。
 そしておそらくは、多くの日本人と同じように、宗教の違いを超えた共通の自然的道義というものがあり、宗教はこの自然的道義の表現形態として尊重するという態度が根柢にある。
今岡十一郎「ツラン民族の文明的使命」


●今岡十一郎がここで強調して述べているのは、地政学でいうところの「ハートランド」がツラン民族の故地であり、東西文明交流の要衝であったという歴史的事実を踏まえつつ、さらに、陸の時代、海の時代を経て空の時代へと突入すれば、ユーラシア大陸の中央部に位置するツラン民族の故地がふたたび脚光を浴びるであろうということである。
 植民地利権支配の覇道イデオロギーに促された地政学の「ハートランド」なる規定は、いうならばツラン民族の覚醒を妨害する意図を秘めていたともいえよう。
 現在のところ、今岡が指摘したような状況とは異なるものの、「ハートランド」すなわちツラン民族の故地が脚光を浴びるという事態がすでに部分的には訪れているように思われる。すなわち、支那包囲網の後門として、あるいは石油ほかの埋蔵天然資源の宝庫として、そしてイスラム原理主義の浸透先として、戦略的に注目されているからである。
 だが、「ツラン民族の故地」であるがゆえの、文明的な脚光はいまだ及んでいない。今岡の洞察の我々にとっての意味は、むしろ今後を睨んだものと考える方がよかろう。

今岡十一郎「ツラン民族の文明的使命」


【追記2】
天童さんの論文集に目を通しているうち、思わぬ収穫があった。それは、母語は人の物の見方・考え方、すなわち思考様式を根底で支配していると常日頃感じている身として、「ツラン魂は健在なり 5」には大いに啓発を受けたからだ。殊に、望月長與の提唱する「一音語」、…これこそ世界に数多ある言語のなかでも、日本語だけが持つ独特の特徴を示すものであり、おかげさまで、今までに自分の考えてきた日本語観についての確信が一層深まったように思う。

 今日相互に大きく異なる言語のグループとして、「膠着語」「孤立語」「屈折語」の三つが挙げられる。
「孤立語」とは他の言語と関係を有しない独りぼっちの言語という意味ではなく、文章の中で単語が何時も同じ形で孤立し(それ自身が語尾変化したり他の要素を付加しないでも)文法上のさまざまな意味をもつことを特徴とする言語集団の謂である。支那語やチベット語、タイ語などがこの言語グループに属する。
 いわゆる「てにをは」をくっつけてやらなければ、文法上の意味が明確にならない言語が「膠着語」である。膠でくっつけるように小辞をつけて意味を明らかにする言語というほどの意味である。ツラン民族の言語の特徴はこの「膠着語」である。
「屈折語」とは、動詞も名詞も実際に文章の中で使われるときは、その文法上の意味(役割)によって語形を屈折(変化)させる言語集団である。津田氏の話に出てきた印欧語族は、この「屈折語」のグループに属する。

ツラン魂は健在なり 2


洞察歯観のすすめ(34)
メインのデスクトップPCが最近に至って、仕事時の処理スピードが極端に遅くなり、支障をきたすようになったため、新しいデスクトップPCに替えることにしたのだが、仕事がなかなか途切れず、そのため新デスクトップPCの設定は無論のこと、ブログ更新の時間も取れない状態が続いていた。このままでは、今月のブログ更新は無理だなと諦めかけていた時、天から救いの手が…。そう、歯科&音楽ウォッチャーさんから新稿が届いたのだ! 

今回のトピックスは「法歯学」なるもので、歯科&音楽ウォッチャーさんが最も得意とする分野の一つだ。新稿を読み進めながら、年に一回程度は通っている近所の歯医者さんで目撃したある事を思い出した。数年前、同病院の待合室で雑誌を読んでいた時に刑事らしい二人の男が突然訪問、身元確認のため同病院で治療を受けた患者某のデータ提出を院長に依頼したのである。今回の歯科&音楽ウォッチャーさんの原稿を読んで当時を思い出すと同時に、敬愛する西原克成先生の『歯はヒトの魂である』(青灯社)も思い出した次第である。そう、まさに歯はヒトの魂、命なのだ。

蒸し暑さから、ようやく解放され・・・とはいうものの、何とも長~いサマータイムでした。、暑さが続く間は、避暑地へ。避暑地といえば、軽井沢!気持ちも涼しく、軽井沢の別荘にて時間を忘れ、ゆるりと過ごしてまいりました。

と、まあ、そう言いたいところですが・・・気分だけは軽井沢の別荘をイメージして、せっせと図書館の喫茶コーナーへ通っておりました。図書館へは、片道、約12000歩ほど。おかげで、シャツもパンツも汗まみれ!
喫茶コーナーでは、一杯300円の珈琲を片手に読書。読書の一時は涼しく、別荘気分を満喫。しかし帰宅すると、またもや汗まみれ!!我が家には、文明の利器であるエアコンがありません。50年以上、病ひとつなく健康体で活躍する扇風機(今時の扇風機と違って、ちょっとごつい感じで重い)が一台。この先、まだまだ元気で長生きしそうです。
さて、300円レンタル別荘で、珈琲を飲みながら読んでいた一冊の本があります・・・鈴木和男(著)、「死体に歯あり 法歯学の現場」。
ーー「法歯学」=(ほうしがく)ーー
あまり聞き慣れない言葉・・・というより、聞いたこともないと首を傾げたくなるようなものかも知れません。簡単に言えば、歯をもとに、歯から様々な情報を導き出すための学問ということなのですが・・・。
この法歯学という聞き慣れない言葉・・・歯から様々な情報を導き出すとはどのようなことなのか。下記、鈴木氏の話を紹介してみます。

***「法歯学」
もともとは、法医学の一分野として誕生し、容易には変質しないという歯の特徴を武器として、遺体の身元確認などに役立てられている。法歯学が世間で認知されるようになったのは、昭和60年(1985年)8月に起きた日航機墜落の時だろう。この事故の際、遺体の身元確認作業に法歯学者たちが携わり、大きな成果を上げて以来、歯が個人識別に欠かせないことが、一般にも認識されるようになったのである。
法歯学で最も大切なテーマは、個人識別である。個人識別とは、「この人は誰であるか」、あるいは、身体の一部が残されているときは、それが「誰の物であるか」ということを明らかにすることをいう。
個人識別に、なぜ法歯学が有効かというと、第一に人の歯は身体の組織の中で最も硬く、変質しにくいため、人が死んで他の体組織が失われても、最後まで残るからである。特に歯の表面のエナメル質は、内部の象牙質が消失しても帽子状態に残るほどしっかりしている。これを、エナメルキャップと呼ぶが、これは約3000年ももつといわれ、古い物では古墳時代のものでも残っている。また、歯は、口唇や頬によって保護されているので、生前の状態のまま残存することが多い。
第二に、歯や歯の治療痕跡(充填物や入れ歯など)の形態、歯列弓の形(歯並び)、歯槽骨紋理(歯の周囲の骨の模様)のX線所見などは、一人一人異なった形をしている。似ているものはあっても、同一の物はない。つまり、歯は指紋と同様、万人不動なのである。
第三に、現代では多くの人が身体検査を受けているため、身体検査表ないしは、歯の検査記録が学校、会社、官公庁などに保管されている。歯の治療を受けていれば、歯科医の元に詳しい情報の記載されたカルテやX線写真が保管されているはずである。有事の際には、こうしたデーターの比較照合が容易に可能である。
つまり、歯は証拠として採用されるうえで、安定性があり、固有性があって、照合のための記録が保管されている確率が高いという理由から、個人識別、すなわち一般的にいう身元確認に適しているといえるのである。***


ーーたった一本の歯からーー
***遺体が誰か見当が付いている場合と、まったく見当がついていない場合とがある。物理的手がかりを欠き、遺体がどこの誰か、まったくわからない身元不明死体、特に白骨死体の場合に、どのようにして歯および歯に接続する頭蓋骨から身元確認を行うのか?
人種 年齢 性別 血液型 体格 習慣 習癖 経済状況 顔面頭蓋の特徴および歯科治療状態 また、そこから推測できる歯科医に関する情報などを丹念に収集する。
先ず、人種についてみると、歯列弓(歯並び)の形が白人(コーカソイド)、黒人(ネグロイド) 黄色人種(モンゴロイド)ではそれぞれ違う。
白人は、歯列弓がV字形で、口蓋も深い。肉を引き裂くのに都合のいい、とがった形になっている。
黒人は、歯列弓がコの字形の方形が多い。
黄色人種は、放物線状の歯列弓で、口蓋は浅い。
また、鼻腔の状態で判断することができる。白人は高く狭い。黒人は、左右に広く、黄色人種はその中間である。

頭蓋から判断するには、頭蓋縫合の線を見る。骨と骨の統合部が縫い合わされたような形をしているため、縫合という。ただ、人種内にも個体差があるので、いずれの形態にしても、ただひとつの特徴によって人種を識別することは不可能であり、できる限り多くの特徴を観察することが必要である。

年齢の推定
口蓋縫合や頭蓋縫合の癒合、消失の状況から年齢を推定するのは、個体差がかなり大きいので、参考程度に留めておくのが望ましい。有効なのは、切歯縫合である。切歯縫合の場合は、末端から正中(中心)に向かって進み、20代で内側部には消失は認められない。30~40代では、内側部80パーセント、外側部96パーセントが消失。さらに、50代では、両側部では100パーセント消失しているが痕跡を留めている程度である。したがって、切歯縫合が残っていれば、50歳前であるといえる。加えて外側部が残っていれば、30代前後と考えて差し支えない。

性別判定
頭蓋骨の外観による判断、眉間の隆起の突出度によって判断が可能である。
男性は、ひたいの横から見た角度、目の上、眉毛の下の骨のところが、グッと前に出ていて、ヒサシになっている。ここは、前頭部眉弓といい、女性は、ずっとなめらかである。白骨になっても女性は優しい顔をしている。また、歯の大きさも男性と女性では違う。いちばん違いがわかりやすいのは犬歯である。幅、長さ、厚み、どれをとっても男性は大きく、女性は小さい。

血液型判定
ABO式血液型も、該当者を絞り込む上で重要な情報である。血液型判定の資料としては、歯牙(歯随細胞
象牙質)、歯石、義歯などがあげられる。義歯でも、材質がレジン(合成樹脂)などは、唾液が歯のなかに染みこむので、唾液を抽出すれば、血液型を決定することが出来る。

習慣 習癖の推測
それぞれの歯の摩耗の程度や、色素沈着(煙草のヤニ カフェインなど)の有無を調べる。そこから喫煙の習慣や歯ぎしり癖の有無などを推定する。

経済状態の推測
歯科治療の状態から、その人の治療時の経済状態を推測できる。使われた材料が高価で有り、保険外治療と思われる場合には、治療時の経済状態はきわめて良かったと判断される。
以上のように、歯科領域の特徴は、身元不明死体、事件に関わる白骨死体の個人識別情報を得るのに非常に有効なのである。加えて、歯科領域特有の情報である歯牙の補綴(差し歯
金冠 入れ歯 ブリッジなど)、充填(詰め物)などの歯科学的加工の状況によって、ある程度、年齢、職業、環境なども推測できる。
現在ではこの他に、死後経過時間、腐敗状況、死因など、多岐にわたって科学的な研究が行われている。***

ーー我が家でも暇潰し法歯学ーー
以前、ある歯科医院で自分の歯の石膏模型(上下全額模型)を作ってもらったことがありましたが・・・普段、歯を磨くときなど自分の歯を鏡でみることはあっても、上下、歯の並びの全体像を見ることは出来ないので(歯の裏側は、まず見ることはありません)。石膏模型にして見てみると、今まで考えもしなかった意外なことに気付きます。歯列弓(歯並び)をみて、どのようなアーチを描いているのか。左右、臼歯の咬合面の微妙な違い。これまでに、どこの歯を治療してきたのか(充填物
被せものなど)等々・・・毎日見ているうちに、様々な情報を、わが命の分身(上下全額模型)が無言のうちに教えてくれます。
ーー歯に響きありーー
歯を鏡で見る・・・で思い出しましたが、歯を鏡で見るとき、人差し指または、中指の爪を立てて歯を軽く叩いてみる・・・すると、乾いた音で短く響きます。いい音がします。これは健康な歯。響きが良くない鈍い音がすると、これは何かしら問題を抱えている部位かも知れません。また、補綴物(入れ歯、被せもの、詰め物)がある部位の音も、乾いたいい音と違いがあります。音の善し悪し(違い)も大事な情報です・・・これは、法歯学暇潰し応用編といったところでしょうか。更に遊び心を持って暇潰しの延長線で、例えば・・・ドナルド・トランプやヒラリー・クリントン。金正恩などの笑顔にこぼれ見える歯の並びや色、形を観察する。観察すると同時に音の善し悪しを想像してみる。金属音もすれば、有田焼のような瀬戸物を叩くようなサウンドも聞こえてくるかも知れません。
ついでながら、上記、名前を挙げた三人。この中の一人、乾いた音でいい響きを持っているであろうと思われる人物がおります・・・。加えて想像を膨らませてみると、その人物の影に、歯原病(虫歯から始まる全身の病気)に熟知したエキスパートが寄り添っているのではないでしょうか・・・。


ーー鈴木氏の話をもう一点ーー
鈴木氏は、法歯学が一般に認知されるようになったのは、昭和60年(1985年)8月に起きた日航機墜落の時であろうと話されておりますが、鈴木氏は、日航ジャンボ機が群馬県上野村の御巣鷹山に墜落炎上していることが発表された後、群馬県警から出動要請を受けて、遺体の検視、確認作業に携わり、その時の様子を書き記しています。下記
その一部を紹介します。

*** 遺体が運び込まれると、藤岡市民体育館の入り口左側の受付で記入する。入り口から続く通路とT字に交差する通路の両側に、緑色のビニールシートが敷いてあった。通路には二台の歯科用X線レントゲン。シートの上に検視のスペースが十一カ所(一カ所二畳程度)、衝立で仕切られていた。
生存者が四名ということは、五百二十名の遺体があるということだった。初日、二日目は、生存者四名が発見された近くで収容された遺体が多かったので、さすがにまだ形があった。しかし、その後に運ばれてくる遺体の損傷は想像を絶するものだった。五百二十名の遺体は決して一つでは無く、人間のパーツ(部分)あるいはフラグメント(断片)に過ぎなかった。収容が進むと、犠牲者の損傷状態はますますひどく墜落の衝撃の凄まじさをうかがわせた。外見から確認できる遺体はごくわずかであった。ほとんどは頭頂部や顔面部、四肢が欠損していた。また、焼けて炭素化していた。通常の識別方法での確認は不可能であった。長いこと遺体を見続けている私だが、こんな悲惨な光景に接するのは、初めてだった。
五百二十名の遺体ならば、一人の医師が五、六人を担当して検視するとして、百名程度でできる仕事と踏んでいた。ところが、そんな考えはフッ飛んでしまった。検視場の藤岡市民体育館は、外部からのぞかれるのを防ぐ理由で、暗幕が張りめぐらされていた。真夏の太陽は連日、屋根の上を照らしている。内部は、電源車から引かれた十二基の照明灯で照らされていた。その中を、二、三百人の警察官、百五十人を超す医師。歯科医師、看護婦たちが動き回っている。冷房装置は無く、換気扇は検視初日から故障した。体育館内の湿度は八十パーセント、室温は四十度を超した。運び込まれて目の前に置かれた肉塊は、人間のなんたるかを問うていた。それらの物体は、もはや人間の形をしていない。遺体または、離断遺体は腐敗防止のため冷凍され、検視と身元確認のため藤岡市民体育館に並べられた。***


ここでもう一冊のタイトルを・・・青山透子(著)「日航123便墜落 遺物は真相を語る」。
話題のノンフィクションとして手に取った方も、たくさんいるのではないでしょうか。
青山氏はこれまでに、「日航123便墜落 疑惑の始まり 天空の星たちへ」「日航123便墜落 墜落の新事実」という二冊のノンフィクションを書き上げており、「遺物は真相を語る」は、第三弾目。123便はなぜ落ちたのか、事故の背景に何があったのか。その真相を探るべく独自に地道な調査を積み重ね、まとめ上げたもの。この三冊のノンフィクション・シリーズは、図書館においても貸し出し予約が多数入っており・・・(別荘・図書館で図書予約を調べたところ)新刊図書扱いの第三弾が、予約70人。「疑惑の始まり」と「墜落の新事実」においては、40名ほどの予約状態となっておりました。

鈴木氏の遺体検視の様子のなかに、「焼けて炭素化していた」と記されたところがあります。このことについて、青山氏も著書で取り上げておりますが、両者の著書を併せて読み進めると、今まで見え隠れしていたものの、それでいて気付かなかった事実が浮き上がって見えてくるかも知れません。


ーー追記ーー
長い夏が始まって7月半ば・・・15日、夜のこと。
50年ぶりに珍客が何の予告もなく、我が家にふらりとやってきました。300円別荘から戻り、玄関を入ると光りながら動くものが・・・
一瞬、何だろうかと明かりを付けて見ると、そこには、ホタルが!ビックリしました!!明かりを消して暫くホタルの光を眺めておりましたが、その光が何とも言えず美しく・・・暑さも疲れもすっかり忘れておりました。
ホタルの家庭訪問だったのか。訪問理由は、光の美しさに釘付けになっていたので、聞けず終いでしたが・・・。

今宵の寝酒・・・ではなく、一曲は、亀さんのアルゼンチン滞在記を読んで、ふと思い出した・・・フォーカス(FOCUS)の名曲、「シルヴィア(Sylvia)を!




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