
十代の頃に約一ヶ月ほどをかけて、地球の裏側にあるアルゼンチンをヒッチハイクで旅した亀さんは、最近、実に46年ぶりにアルゼンチンの土を踏んだ。前回同様、一ヶ月(2018年7月23日~8月25日)という短い期間だったが、ある意味、己れの人生そのものを見つめ直す旅ともなった。そこで、ブログ再開にあたり、当地での体験を「アルゼンチンで思ふ」シリーズとして書き連ねてみたい。
■ポルテーニョ
 築百年を誇るシルビアの家
アルゼンチンの首都ブエノスアイレス市(Capital Federal)は、南米のパリとも言われており、あたかもヨーロッパに居るのではと錯覚を起こすほどの美しい都市である。そのブエノスアイレス市から車で20分ほどのブエノスアイレス州(Provincia de Buenos Aires)の一角に、アルゼンチン人の親友の一人、シルビア(女性)の家がある。結局、彼女の家で一ヶ月にわたり亀さんはお世話になった。このように書くと、アルゼンチンで生活した体験を持つ人たちにとって、俄には信じがたい話のはずである。何故か?
 シルビア一家の最寄り駅
 のんびりと電車を待つシルビアと夫のオスカール
 そして亀さん
ここで、以下に亀さん同様、アルゼンチンに滞在した体験がある、風樹茂氏の記事を取り上げてみよう。
誤解してはならないが、ポルテーニョの差別は膚の色によるのではなく、あらゆる他者に対する差別なのである。意見が違うもの、別の政治信条を持つもの、利害が対立するもの、身内じゃないもの、その距離が遠ければ遠いほど、差別が強まる。ポルテーニョ自身もこの差別からは無傷ではいられない。 アルゼンチンで繰り返される新自由主義とポピュリズム
風樹氏の上の記事は、本物の焼肉(パリヤーダ)を求め、ブエノスアイレス市内のレストランを歩き回り、二週間かけて漸く本物の焼肉を出すレストランを探し当てた時の体験談である。しかし、苦労して本物の焼肉にありつけたものの、そこで風樹氏は後味の悪い体験をしている。それは、ポルテーニョであった給仕から受けた〝差別〟であった。ここで、風樹氏の言うポルテーニョとは、白人系でブエノスアイレス生まれの人たちのことを指すのだが、そのポルテーニョである給仕から露骨な〝差別〟を受けたというわけである。ポルテーニョ誕生の背景については、アルゼンチン史を紐解く必要があるので別稿で改めたい。
ちなみに亀さんの場合、シルビアの家族(シルビア・彼女の夫・息子・娘)をはじめ、シルビアの妹夫婦といった親戚や友人らからは、一切〝差別〟を受けていない。それは、シルビアとその妹がブエノスアイレス市から北方400キロ離れた、エントレ・リオス州ノゴジャ生まれ・育ちということもあるが、それ以上に大きかったのが、シルビアが亀さん同様、〝脱藩人〟であったことにある。この脱藩人については、拙稿「南方熊楠の世界(3)」あるいは「南方熊楠の世界(4)」で詳述した。
ともあれ、風樹氏や亀さんのアルゼンチンでの体験は、以下の風樹氏の記述にもある、数日の観光だけ、それも観光スポットをめまぐるしく回るだけの観光とは、まったく異質のものである。尤も、そうした旅行の仕方に亀さんもアレコレ言うことはできない。何故なら、かく言う亀さんも十代の頃は小田実ではないが、「何でも見てやろう」と貪欲にアチコチ歩き回る旅をしているからだが、今回はブエノスアイレス州の一角にあるシルビアの家で主に日々を過ごすという形をとった。しかも、滅多に外出することもなく、殆どの時間をシルビアの家で過ごしている。自然、英語のできるシルビアやその家族、そしてシルビアの親戚や知人らと触れあうことが多い日々だったので、当然ながら観光地を回るだけの人たちの受けたアルゼンチン観とは、大きく掛け離れたものとなった。
2、3日しか留まらない観光客や、5つ星のホテルに泊まり、政府関係者やビジネスマンと会う新聞記者、政治家、企業関係者などは「素晴らしい、肉もうまい、音楽もいい、女性も美しい、国の経済が悪いなんて嘘だろう」という印象しか残らないかもしれない。 アルゼンチンサッカーは憎悪の祭典だった
このように、深くアルゼンチンと関わった風樹氏と亀さんだが、体験の中味次第で、かくもアルゼンチン観が異なってくるのかという格好の見本にもなっている。

|