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人生は冥土までの暇潰し

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人生は冥土までの暇潰し
亀さんは政治や歴史を主テーマにしたブログを開設しているんだけど、面白くないのか読んでくれる地元の親戚や知人はゼロ。そこで、身近な話題を主テーマに、熊さん八っつぁん的なブログを開設してみた…。
大阪報告
大阪から戻り、一段落したので簡単に大阪報告をさせていただきたい。本稿の「大阪報告」では大阪で起きたことを一通り報告、続く第二稿では「乳酸菌と日本人」について言及、乳酸菌造りが日本人にできて中国人にできない理由については、当日参加した人たちの大勢が〝〟と思われたことだろう。このあたりについての私見を簡単に述べさせていただくつもりだ。最終回の三回目では「新百済に向けて」を取り上げたい。、殷のシャーマニズムが、箕子朝鮮→馬韓→百済→日本へと伝わったことを理解した上で、山東省で乳酸菌に関わる事業と歴史に何の関係があるのかについて、第三稿で簡単に取り上げるつもりだ。

ところで、今回大阪に行くことに決めたのは、青州で大変お世話になった毛允明社長に、是非とも一言御礼の言葉を述べたかったからである。もう一つは、乳酸菌を解する人たちが集い、何が生まれるかについてを見極めておきたかったからだ。お陰様で二つとも実現した。後者の(大阪で)何が生まれるかものについては、乳酸菌プロジェクトを巡って一つの機運が盛り上がったことを確認したのだが、どのような機運だったかについては、第三回目の「新百済に向けて」で取り上げるつもりである。

では、早急に「大阪報告」といこう。

●ツーテン記念日
予定通り東京発のぞみ295号に乗り、新大阪駅に9:23着、掲示板「放知技」の常連の一人である成田さんが、約束通り新大阪駅まで出迎えに来てくれた。大阪の地理を知らないだけに、本当に有り難かった(涙)。早速阪急アネックスホテルに向かい、我々と一緒に通天閣・道頓堀散策に同行してくれるという、宮崎のおばちゃんと連れ添いさん(ハズバンド)、皮肉屋さん kazさん、ひろきりんさんと阪急アネックスホテルで合流、地下鉄で通天閣に向かった。その後は通天閣→千日前道具屋筋商店街→法善寺→道頓堀川にかかる心斎橋と歩いた。心斎橋で成田さんは仕事のため一端仕事場に戻り、今夜遅く再合流することになった。その後は同じく大阪人であるkazさんに、心斎橋筋商店街をガイドしてもらいながら電車でホテルに戻った。

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綾瀬はるかではなく…

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グリコのオッサンだったが、まぁ、E-でしょう…

それにしても、仕事で多忙を極めているはずなのに、我々の為に貴重な時間を割いてくれた成田さんに、ここで改めて御礼を申し述べたいと思う。結果的に成田さんは夜遅くまで仕事に追われていたため、歓迎会は無論のこと、二次会も三次会も顔を出せなかったが、今後の乳酸菌事業に欠かせない人材であることは飯山さん、間違いない。なぜなら、成田さんは任侠について解っている人物だから…。

ところで、成田さんによれば、ナント我々が通天閣を訪れた日は、通天閣再建60周年 10月28日(ツーテン)の記念日だったとか…。記念日と言えば、1ヶ月ほど前に亀さんが国慶節に中国を訪問した深遠なる理由について、公開するよと約束していたことを今でも覚えている。それについては、いずれというか、語る時が来ると思うので暫くお待ち願いたい(ペコリ)。今語ると、皆さん腰を抜かすんで…。

ともあれ、成田さん、お互いに再会する日が必ず来ると思う。その時は是非飯山さんに会っていただき、一緒に酒を酌み交わし、大いに語り合いませう。なお、昨日の通天閣散策は皮肉屋さんの以下の投稿を一読すれば、大凡の様子が分かる。
http://grnba.bbs.fc2.com/reply/15862681/953/

●梅田の喫茶店
心斎橋から電車で梅田に戻り、全員が阪急アネックスホテルに向かったところ、ナント飯山さん本人がホテルから出てきたと、確か宮崎のおばちゃんが叫んだ…。どうやら飯山さん、ホテル内ではタバコが吸えないので外に出てきたらしい。ともあれお互いに再会を喜び、抱き合った(キッスはしていない、念のため…)。秘書2さんをはじめ、堺のおっさん、小ぼんぼんさんとも再会を喜び、お互い涙を流して(?)握手をした。その後、通天閣巡りに同行してくれた人たち一人一人に自己紹介をしてもらった後、最寄りの喫茶店に15名近くが集結、多くを語り合った。小生の隣に座っていたおばちゃんが大阪のおばちゃんかとてっきり思っていたら、後から来た人が大阪のおばちゃんと知った(爆)。以下は堺のおっさんの投稿なんだが、堺のおっさんの大阪のおばちゃん評、正にその通りだと思うね。

初めてお会いしましたが、なんと上品なおばちゃん。
これからは大阪のおば様と呼ばせていただきます。(笑)

http://grnba.bbs.fc2.com/reply/15862681/940/


その伝でいけば、大阪のおばちゃんの投稿にあったように、堺のおっさんではなくて「堺のおっちゃん」と呼ばなければいけないんだろうな…。あっ、それから喫茶店で小生と楽しくお喋りをしてくれたおばちゃん、放知技のハンドル名は何でしたっけ? また、未だ本名も知らないんですが…。誰か、分かる人がいたら教えてください(ペコリ)。

●グルンパ説明会
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喫茶店で一休みした後、チェックインを済ませ、急ぎ阪急アネックスホテルで行われる、午後3時からのグルンパ説明会に参加するためロビーに降りる。暫くすると郭秀生局長、毛允明社長、毛社長の息子さん、通訳の趙秀娟さん一行がエレベータで降りてきた。飯山さんが郭秀生局長と毛社長、そして水研工業の大村光治社長、同社の濱田菱平顧問を紹介、飯山さんを除く一行は、エレベータで同ホテルのグルンパ施設に向かい、我々は徒歩で地下にある汚水処理(グルンパ)システムに向かった。汚水処理システムのある地下に到着した途端、懐かしい乳酸菌の〝匂い〟で充満しているのに気づいたのであり、即座に汚水処理システムは本物と確信できた。なお、汚水処理システムを立ち上げた水研工業、そして飯山さんによる汚泥処理システムについては、以下のページにある「排水処理システム」を一読いただきたい。同社の画期的な汚泥処理システムの正体は乳酸菌、すなわちグルンパであることが分かるはずだ。
http://www3.osk.3web.ne.jp/~suiken/sub5.htm

また、掲示板「放知技」の河内のおんなさんの以下の投稿に注目していただきたい。

大阪に在住する者として、大阪市内の下水道が飯山先生のグルンパに支えられて快適な都市生活が営われていることを知り、感動しました。
http://grnba.bbs.fc2.com/reply/15862681/925/


そう、大阪の下水道の守護神こそグルンパなのであり、大阪の下水道を守っているのがグルンパと知れば、グルンパが中国では途方もない可能性を秘めていることが想像できよう。

グルンパで思い出した。青州でグルンパという名称の商標権が話題になったんだが、〝グルンパ〟という名称は日本でも中国でも、既に他人が商標権を取っているが、飯山さんは堂々と(商標権を無視して)グルンパを使用しているという。商標権を取得した輩は、飯山さんが輩を無視してグルンパを連発しているのにも関わらず、何も飯山さんに言ってこないという。このような飯山さんの図太さというか、良い意味での開き直りは、今後において山東省で生きていくにあたって参考となるはずだ。

しばらく我々は阪急アネックスホテル地下で、グルンパシステムを見学していた。途中、毛社長が小生に気づき、近寄ってきて固い握手を交わしてくれのには感動した。昨日の飯山さんのHP記事「ワシの『友達運』は,ほんと,最高だ!」にある通り、毛社長は苦労人である。だから、青州の実業家で五指に入る毛社長がホテルの地下のグルンパシステムの説明会の途中、わざわざ小生の所まで近寄ってきて固い握手をしてくれたあたり、本物の苦労人であることが分かったものである。なを、阪急アネックスホテルの汚泥処理システムについては、第二号の「乳酸菌と日本人」で語るつもりである。

●日中友好夕食会
すでに飯山さんのHPで記事になっていたので割愛する。それにしても、飯山さんの爆笑と苦笑の連続の司会も良かったが、プロの歌手であるヤヨE~さんの歌にも深く感銘を受けた。翌朝、通訳の趙さんを介して直接毛社長に、ヤヨE~さんが歌ったテレサテンーの中国語の歌について、どう思われたか訊いたところ、「素晴らしかった!」の一言であった。

そこで、ついでに飯山さんが最後に歌った、凍飢行さんも仰せの〝艶歌〟…(爆)について、どう思ったか訊こうとしたところ、郭さんがエレベータで降りてきたので中断。飯山さんが、「亀さん、毛社長に訊きたいというもう一つのことは何?」と聞いてきたので、歓迎会の最後にあった「飯山さんの〝艶歌〟について、どう思うか訊きたかった」と述べたところ、飯山さんは、「それはどうでもE-」と逃げた(爆)。

しかし、飯山御大の艶歌、懐かしかったです。
小生も、学生時代にあの類の歌を、良く歌ったものです。

http://grnba.bbs.fc2.com/reply/15862681/939/


ともあれ、このあたり、飯山さんが報告しているので、小生としては特に付け加えることはない。

◆2016/10/28(金)  郭さんと毛さんを囲む日中友好夕食会

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おふざけ爺さんの司会で↑爆笑と苦笑の連続

●二次会
二次会だが、阪急アネックスホテルにあるカラオケ店へ15名ほどが集結。プロの歌手ヤヨE~さんに対して、〝プロも顔負け〟の亀さんと歌で競い合うのかと思っていたんだが、最初から最後まで飯山史観の話で終結した。青州でトラブルを起こした連中の話の他、過日大麻で逮捕された上野俊彦氏も話題になった。彼は飯山さんの〝弟子〟であるだけに、飯山さんは今回の事件の経緯を把握していた。だから、来月のまほろば会で安西正鷹さんが、同事件の経緯を詳しく話してくれるとのことなので、上野氏逮捕の真相を知る飯山さんから聞いた情報と、安西さんの講話と何処が違うか、遠慮なく書かせていただくつもりだ(爆)。なお、二次会の飯山史観の話がチンプンカンプンだったという読者は、亀さんが飯山史観の大筋を「青州に思ふ」の(3)(4)(5)(6)に書いてるので、取り敢えず参照にしてもらえたら幸いだ。

●三次会
亀さんの部屋に、堺のおっさん、小ボンボンさん、日向夏(旦那)さん、ひろきりんさん、KAZさんが集結。此処で何が語り合われたかは、以下の投稿に詳しいので参照のこと。なお、三次会で思ったことの詳述は、「新百済に向けて」で語りたい。
http://grnba.bbs.fc2.com/reply/15862681/951/

堺のおっさんは掲示板「放知技」のNo.928で、日向夏(旦那)さんはNo.1956で三次会のことを語ってくれた。ありがとう!

【追記】
↓以下は梓みちよの「こんにちは赤ちゃん」。ドーシテいきなり「こんにちは赤ちゃん」なのか、こればかりは大阪に集結した人にしか分からないハズ(爆)…。くやしかったら、次回参加してみな。




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想い出の大阪
明日の28日、実に45年ぶりに大阪に行く。思えば昭和46年に高校を卒業して地元の一部上場企業(椿本チエイン)に入社、本社が大阪だったので入社式を終えてから1ヶ月ほど、大阪で寮生活をしながら新入社員研修を受けている。一緒に研修を受けた同期に同社の現代表取締役会長である長勇さんがいた。彼は大卒だったので亀さんより4歳年上だ。無論、大阪には1ヶ月前後居たので週末に大阪見物もできたはずなのだが、どういうわけか亀さんは大阪より以西の山陽地方や山陰地方を、専ら訪ね歩いていたのである。だから、山口県の萩に寄って萩焼を買ったり、厳島で初めて「男はつらいよ」を見たりしている(拙稿「寅さんのことば 2」参照)んだが、肝心の大阪城、道頓堀、通天閣などは行かなかった。爾来ウロウロキョロキョロしているうち、いつの間にか45年の月日が流れていたというワケである(無論、九州、四国、中国地方を旅した時などは大阪を通過しているが、新入社員だった研修時代を除き、一度も大阪の駅から外に出たことはない)。

さて、予定では、28日の午前9時半過ぎに新大阪駅に到着、掲示板「放知技」の常連の一人、成田さんが出迎えに来てくれることになった。以下は成田さんに送った亀さんの当日の希望スケジュールで、これでも一所懸命ネットで調べたのだ。御堂筋線なんて言う地下鉄があるのも、今回初めて知った…。


以下は当日の大雑把なスケジュールです。

まず、始発で秩父山地の麓から東京に向かい、東京発のぞみ295号に乗って新大阪に9:23着(多分、乗れると思うが、切符の購入に戸惑って少し後の列車になるかも…)、新大阪は9:23着。その後、通天閣に御堂筋線で行きます(動物園前駅で下車)。通天閣を見たら、村田英雄の「王将」を歌いながら、ゆっくりと徒歩で道頓堀に向かいます。着いたら道頓堀川やグリコの万歳のおっさんを見て、ビールを飲みながら一休み。その後は大阪城へ。時間があれば城内を見たいと思っているが、時間がなければ外から見るだけにして、徒歩で梅田へ向かいます。午後2時頃に到着すると思うので、先にチェックインを済ませ、あとはのんびりと、午後3時に皆さんが集まってくるのを待つとします。すでに阪急アネックスホテルに10/28~29の予定で予約を入れました。ただ、当日は雨のようだから、早めに切り上げるなり、電車やタクシーで移動するかもしれません。だから、多分、大阪城あたりで午前の部は成田さんとお別れになるのかな?

なお、荷物をホテルに預ける必要はありません。いつもリックサック(甲羅)ですので、新大阪駅から背負って徒歩で通天閣に向かうつもりでした。

また、当日は夜の9:30以降はお時間があるとのこと、是非小生のホテルの部屋に寄ってください。色々と語り合いませう。それから部屋は喫煙可にしました。小生は喫煙はしませんが、人によってはタバコを吸う人もいますので喫煙が可能な部屋にした次第です。だから、成田さんがタバコを吸うのであれば中国のタバコを一箱プレゼントします。

新幹線から在来線への乗り継ぎ改札は一つのことですが、見つからなかったら駅員さんに訊きます。当日の小生は青州でピースマークをしていたようなラフな格好です。以下の↓写真↓を目安に探してください。シャツは違うかもしれません(赤系統の格子の入った山シャツ)。
http://bbs6.fc2.com//bbs/img/_409100/409098/full/409098_1476387894.jpg

では、明後日の28日にお会いできること、今から楽しみにしております。

亀さん拝


さあ、明後日の午後3時、飯山一郎さんや毛允明社長との再会が楽しみになってきた。

【追記】
明日と明後日はブログ更新はなし。東京に戻ったら、大阪での体験を報告予定。

【グリコのおまけ1】
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【グリコのおまけ2】


【グリコのおまけ3】


【グリコのおまけ4】


安西ファイル[2676.10]
先週の土曜日、世界戦略情報誌『みち』編集部において、まほろば会が開催された。安西正鷹さんの講話が中心で、その時に配付された安西ファイルの内容は以下の通りであった。

【お金の話レジュメ】
①時限爆弾を抱える世界経済
②新しい時代に向かうにつれて深まる闇
③世界に先駆けて闇が深まる日本
④突破口は将来への一体感と共感性にあり


残念ながら、同日の午後6時から講演会「櫻井ジャーナル・トーク」も出席を申し込んでいたので、「②新しい時代に向かうにつれて深まる闇」が終わったところで会場をあとにしなければならなかった。そのため、残りの③と④は聞いていないので今回は割愛したい。よって、①と②で特に印象に残ったのが「①時限爆弾を抱える世界経済」だったこともあり、以下に安西ファイルの【ポイント】【私見】をそのまま転載しておこう。

【ポイント】
・破綻が懸念されたドイツ銀行は、サブプライム関連商品で損失を被った原告との間で和解が成立していったん危機を切り抜けたかのように報じられているが、株価を引き上げたかった金融筋が流したウソだった可能性が高い。今回の件は、米国からドイツや欧州勢に対する意地悪に見える。
・選挙前に株価の下落や経済の悪化が起きると、野党(今の大統領の母体でない方の党)の候補にとって有利になる。今回の選挙ではトランプが野党だ。オバマ政権の司法省が、今のタイミングでドイツ銀に対する懸念を扇動し、銀行株を皮切りに株価を押し下げるほど、オバマの(表向きの)後継者であるクリントン候補が不利になり、オバマが(表向き)嫌っているトランプを優勢にする。司法省がドイツ銀と短期間に和解しない場合「隠れ反軍産のオバマは、軍産侃偏のクリントンでなく、反軍産のトランプをこっそり支援している」という仮説が現実味を帯びてくる。
・ドイツ銀は、世界最大級の75兆ドルのデリバティブ残高を持っている。デリバティブの危機も、リーマンの時は米当局がAIGを救済して最悪のシステム危機の発生を防いだが、今のパワーが低下した中銀群などの当局の状態では、危機を鎮火できるかどうか危うくなっている。
・米司法省とドイツ銀の交渉が早めに妥結すれば、ここに書いたような危機は起きない。しかし、交渉が難航して長引くほど、金融危機の発生やトランプの勝利が現実のものになっていく。
・戦争(WW3)を開戦させようという動きは、昨年末、ローマ教皇の「今年は人類にとって最後のクリスマスとなりそうだ」との発言あたりから明らかになってきた。
・米国の好戦性に対しては、ロシアも即座に反応、プーチン大統領は米国に対し「最後通牒」とも言うべき過激な要求を発した! かくして今、アメリカとロシアの軍事的衝突は避けられない情勢になっている。

【私見】
・少なからぬ金融経済の専門家が金融市場の暴落を「予言」したり、バシャールからのチャネリング情報で2016年の秋に現在の金融(経済)システムの変化が起こると言われていることもあり、経営危機が噂されるドイツ銀行の民事訴訟と賠償金に注目が集まっていた。
・和解が成立してひとまずドイツ銀行の危機は去り、金融市場は落ち着きを取り戻したったかのように見えるが、ことはそう単純ではなさそうだ。
・和解が成立したという報道自体がそもそも、強欲な金融筋の都合で歪められた虚報だったので、今回のドイツ銀行を巡る破綻懸念は、不安心理を掻き立てるために意図的に扇動されたことが明るみになった。
・ドイツ銀行の経営状況や現在の国際金融情勢を冷静かつ正確に分析すれば、確かに、ドイツ銀行が破綻したり、世界大恐慌が発生する可能性は高い。しかし、米大統領選挙でトランプ候補を有利にするために、その不安や恐れ、心配を必要以上に掻き立てたとなれば、非常に危機的な様相を見せ始めた世界情勢はすべて意図的に作られた茶番劇だということになる。
・ここ数力月間でにわかに高まってきた第三次世界大戦への流れも、同じ目的で敷かれた路線であろう。つまり、オバマ米大統領やメルケル独首相ら『隠れ多極主義者」が盛んに世界大戦の恐怖を煽っているのは、彼らが密かに肩入れしているトランプ候補への援護射撃ではないかと思われる。
一方のヒラリー候補も、影式者を使い、トランプ候補のスキャンダル暴露でネガティブキャンペーンに躍起となっており、米大統領選挙はかつてないほどの低レベルの様相を呈している。
・なお、2016年9月にユダヤ教のヨベルの年(大安息年)が終わったが、ユダヤ教徒はヨベルの年に悲願の第三神殿再建を成就できなかったことは大いに落胆しているはずだ。しか」彼らは諦めきれずに、これからもあらゆる手を使って第三神殿再建を実現していこうとするため、彼らの執念も戦争を起こそうとする動きを加速している。いずれにせよ、いま、世界は米大統領選挙を巡る両陣営と、その背後に控える世界支配層たちの闘いに翻弄されている。
・精神世界の観点から見れば、世界支配層やそれに連なる代理人たちは、約1ヶ月近くにわたってマスコミやネット情報で用意周到にそうしたネガティブな感情を抱いた人々からエネルギーを吸い取ったとも言える。
・ピラミッド型の構造の上層に君臨する彼らは、長年にわたってこうしたやり型で人々の心に寄生してエネルギーを搾取し、生きながらえてきた。このような常套手段がまたしても発動されたわけである。2016年の秋に大きな変化が起きるという予言やチャネリング情報を逆手にとって、エネルギーを大量に吸い取ろうとする動きであり、今後もネガティブな感情を過剰に扇動しようとする動きが頻発するだろう。
・大切なことは、彼らの「エナジーパンパイア」に不安、怖れ、心配などのエネルギーを供給しないことである。ネガティブな感情を発し続けるということは、彼らにエネルギーを供給し続けることになる。愛と調和、喜びと感謝のエネルギーを放射すれば、それが強力な免疫となってエネルギーを吸い取られることはなくなる。これによって、人類を不幸にしてきたピラミッド型の支配構造はあっけなく崩壊していくだろう。


以上、「①時限爆弾を抱える世界経済」の【ポイント】【私見】に目を通すに、過日のドイツ銀行危機、さらには第三次世界大戦勃発が起こるのではという最近の噂も、共和党の大統領候補トランプを当選させるための〝深謀〟だという見方は面白いし、亀さんも基本的に同意見だ。

だが、窮鼠猫を噛むではないが戦争屋が自棄っぱちになり、核ボタンを握っているオバマ大統領を無視して、後は野となれ山となれと言わんばかりに、核戦争を勃発させるおそれが無きにしも非ずだ。ともあれ、来月の米国大統領選挙が終わるまで、まさに息の詰まる日々が続きそうだ。

【追記】
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BS朝日が毎週土曜と日曜の夕方に放送している、「ザ・インタビュー」を極力見るようにしている。わずか1時間足らずのインタビュー番組だが、時にはインタビューを受ける人物の過去が赤裸々になることもあり、思わぬ収穫もある。先週の日曜日に見たのは小島慶子がインタビュアを担当した番組で、相手はお笑いタレントのパックンであった。パックンの子ども時代は貧しく、新聞配達をしながらの苦学生だったのだが、ナント最後にはハーバード大学への入学を果たしている。その後は遠回りの人生を送りつつも、ついには日本でお笑いタレントとしてブレークするという、一風変わった経歴も面白かったが、さらに面白かったのは、パックンの大統領選挙についての見方だった。ご存じのように大統領選では、それぞれの候補者がスローガンを打ち出すのを慣例としている。そしてトランプのスローガンは“America first”、かたやクリントンのそれは“Love trumps hate”だ。どちらのスローガンがアメリカ人のハートを鷲掴みにするだろうか、どちらのスローガンがアメリカ人の心の琴線に触れるだろうか…、そうした観点から両スローガンをじっくりと見比べると、なるほどパックンの言う、「言葉の一つ二つで歴史が動く」というのは確かであり、まさにことばは言霊だなとつくづく思うのだった。

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櫻井ジャーナルトーク
先週の土曜日(10月22日)、山手線駒込駅近くにある東京琉球館というレストランで、櫻井晴彦氏(ブログ「櫻井ジャーナル」)の講演会が開催された。人数的には20名前後の人たちが来場していたと思う。亀さんが開演15分ほど前に会場に到着すると、沖縄出身だという愛想の良い女将が受付を担当していたので、参加費を支払って後席に腰を掛けた。目の前にはスライドがあり、その横に学者風の中年の男性が座っていた。近寄って声をかけてみたところ、果たして櫻井氏本人であった。そこで、同氏の写真をネットには公開しないという約束で、写真を一枚撮らせていただいた(帰宅後、「桜井晴彦」で検索してみたところ、同氏の11年前の写真数枚がヒットした)。

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http://homepage3.nifty.com/shindanshiFP/kougiroku17migi.html

上の写真は11年に撮られたもので、今回会った櫻井氏のイメージとやや異なっている。よって、現在の櫻井氏のイメージを掴んでいただく意味で、亀さんが受けた櫻井氏と似た俳優を一人紹介しておこう。「男はつらいよ」の第26作「寅次郎かもめ歌」を、読者は観賞したことがあるだろうか? 伊藤蘭演じるすみれと村田雄浩演じる貞夫の二人の若いカップルに、寅さんが恋の指南役を買って出るという物語だ。そして、同作品に登場する松村達雄演ずる林先生に、容貌も人間性も櫻井氏は実によく似ているのだ。同作品は1980年12月27日公開というから、当時の松村は66歳、櫻井氏の場合は1955年生まれというから現在61歳なので、まぁ、年齢的にも似たようなものだ。写真を撮ろうとした時、左のようなむっつりした顔をしているので、「はい、笑ってぇ-」と声をかけてみたところ、右の写真のように実に良い表情になった(爆)。

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櫻井氏は〝調査ジャーナリストと〟名乗るだけあって、国際政治経済に関して多岐にわたるテーマに精通していることが、同氏の話に耳を傾けていくうちによく分かったものである。その櫻井氏が当日選んだテーマは、CIAに関するものであった(以下の写真参照)。CIAの誕生の経緯から昨今のアルカイダに至るまでの話は、綿密かつ徹底した調査に基づいていることが分かるのだし、内容的に非の打ち所のないもので、「流石は櫻井氏だ」と唸ったほどだ。このように、ミクロの視点、すなわち虫の目で国際政治経済を捉える櫻井氏の〝眼力〟は、亀さんのようにちゃらんぽらんな人間には、到底真似のできるものではないとつくづく思った次第である。

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一方、マクロの視点というか、鳥の目で国際政治経済を捉えるということに関しては、やや苦手としているように見受けられた。つまり、櫻井氏自身は学者タイプであり、多くの書籍や論文を通しての情報収集と解析に優れているのが分かったが、一方で生身の人間とトコトン付き合い、同じ釜の飯を食い、酒を酌み交わし、相手の本音を引き出すことで、相手を丸裸にするという体験はさほどないように見受けられた。
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一例を挙げればマッキンダーの『ハートランド理論』。同夜の櫻井氏もハートランド理論を取り上げて国際情勢を多角的に説明してくれたのであり、ハートランド理論そのものについての櫻井氏の解説は非の打ち所がなかった。しかし、「ハートランド理論が本当に実践されているのかどうかは何とも言えない」とか、「欧米がハートランド理論を念頭に、(ハートランドに領土を占める)ロシアに対して包囲作戦を採っている」といった説明を聞くに及んで、おやおやと思った次第である。

ハートランドを制するものは世界を制するというのが、実は同理論の真髄に他ならないのだし、そのハートランドを領土としているのがロシアだ。そして、今年に入って覇権がアメリカから中露連合に移行したことに思いを致せば、ハートランド理論が現実味を帯びてくるはずなのだ。加えて、プーチンは〝最強の任侠の徒〟という視点を持つことにより、今後の世界情勢を一層正確に捉えられるはずなのである。

たとえば、ハートランド理論について取り上げた拙稿「ワンワールドvs.中露連合」で、亀さんは「5月からのキーワードは 『ロシア』」と題する記事を紹介しているが、同記事で特に注目していただきたいのが以下の記述である。

プーチンは,ロシアという国家が『ハートランド』を支配した!という強烈な国家意識をもって,今後,全世界に新秩序をもたらすべく,目の覚めるような政策と策略を連発してくる。


どうだろうか? このような文章が書けるのも、人間を観察してきた修行の賜なのだ。この文章を書いたのは飯山一郎さんなのだが、なぜ飯山さんはプーチン=侠客という視点を持つに至ったのか。そのあたりの秘密は、実は野崎晃市さんの最新記事「青州は『水滸伝』の舞台」を一読すれば分かる。特に注目していただたいのが以下の記述だ。

現在の青州にある飯山一郎邸にも多彩な才を持つ一癖二癖もある人物がひっきりなしに訪れ、さながら現代の梁山泊のようになっている。


現代の梁山泊にひっきりなしに訪れる、〝一癖二癖もある〟連中と語り合い、同じ釜の飯を食い、酒を酌み交わすことで、人物を観察してきた飯山一郎さんの観察力は本物であり、だからこそプーチンの中に侠客を見たのである。なお、参考までに亀さんも「最強の侠客が登場する日」を書いている。

櫻井氏に対してやや批判めいたことを書いたが、それでも数多ある国際情勢関連のブログの中でも、同氏のブログは一位、二位を競う優れたブログだ。だから、今後も櫻井氏のブログを精力的に追っていきたいと思う。

一点だけ残念だったのは、福島原発事故についての言及が全くなかったことだ。櫻井氏ほどの聡明なジャーナリストも、官邸、官僚、マスコミが全力をあげて放射能問題にフタをしてきたため、福島原発事故は過去の話と捉えているのかもしれない…。

【追伸】
12月17日に第二回目の櫻井ジャーナルトークが開催される。
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雅子妃とシャーマン
現在、ある日本人のプロの翻訳者が提出した、訳文の訂正に四苦八苦している。たとえば、"close personal friend"が「近しい個人的友人」と訳されており、これを「親友」と亀さんが訂正しているというわけだ。万事がこんな調子な上、契約に関する内容のためか、誤訳のオンパレード…、久しぶりに酷い訳文に当たってしまった。まぁ、引き受けたからには最後までやり遂げるが、今日一杯かかりそうだワイ…(泣)。

そんなワケで、今日は「青州で思ふ(3)」を読んだというYOさんという読者への回答を一部訂正の上、以下に転載する。その後、土曜日(10月22日)に出席したまほろば会、そして櫻井ジャーナルトークの報告をしたいと思っている。

YO様

貴重な投稿ありがとうございました。YOさんの投稿は、「管理者にだけ表示を許可する」タイプの投稿でしたが、小生への質問が含まれていましたので、支障のない範囲で引用の上、以下に回答させていただきます。


> このような経験から、雅子妃が?という驚きです。
> 私がマスコミの雅子妃評に毒されているのでしょうか?

雅子妃がシャーマンであると発言したのが、栗原茂さんと飯山一郎さん以外の人物であれば、小生も多分スルーし、大手マスコミの流す一連の雅子妃パッシングを、鵜呑みにしていたかもしれませんね。

しかし、皇室とは関わりの深い栗原さんから直接、雅子妃がシャーマンであることの証を幾度か聞かされてきたし、その後に至っては飯山さんからも雅子妃=シャーマン説を聞かされるに及んで、雅子妃=シャーマン説について、半信半疑から確証に変わった次第です。

このあたりは、栗原さんの三部作に目を通したり(『みち』HP参照)、飯山一郎さんや堺のおっさんのシャーマンや雅子妃に関する投稿を追っていけば、さらに確信を深めることができると思います。ともあれ、約束はできないものの、いずれ皇室とシャーマンをテーマにブログ記事書きたいと思っています。

ここで肝心なことを一つ。大手マスコミの〝ウソ〟を鵜呑みにすると、後でトンデモナイ目に遭います。政体やマスコミの言うことを鵜呑みにしていると、以下を信じ込んでしまうでせう…。

………………………………
・雅子妃は病を口実に行事を怠けている。
・福島原発事故は完全に解決している。放射能の問題はない。
・大麻は大変危険である。
・ガンになったら手術や放射線治療を受け、抗がん剤を服用しよう。
・プーチンと習近平は冷徹な独裁者である。
・中国から輸入する食料品は大変危険だ。
………………………………


> 雅子妃におかれては血脈なのかそれ以外の原因なのか。またシャーマンとしてのお働きがあるとすればそれはどのような状況なのか?

このあたりは、一言二言で言い尽くすことは不可能です。繰り返しになりますが、約束はできないものの(公開できない事柄が多いため)、支障のない範囲でブログ記事にすることが可能か否か検討中なので、少々お時間をください。


> 甑島にそんな歴史があるとは知らず、42-43年前に訪れました。

実は、青州では飯山さんから甑島について、さらに凄い情報を沢山聞き及んでいます。ただ、ネットという公の場では書くわけにはいきませんので、割愛させていただきます。どうしても知りたいということであれば、直接飯山さんにお会いし、お尋ねください。


> ちなみに昭和天皇が崩御される直前は久高島に滞在していたのですが、
> 夢の中で”天皇”という言葉が鳴り響きました。天皇とか日本の歴史に
> 疎遠な当時の私でしたので不思議に思いました

YOさん同様に、やはり先帝が崩御された時、真に不思議な体験をしている知人・友人が数名います。ただ、ネットで書けるような内容ではないので公開はご勘弁願います。もし、お会いするようなことがあれば、お話し致します。

以上


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歩く思想家
野崎晃市さんのブログ記事「山東省が輩出した哲学・思想家たち」を読んだ。文は人なりと言うが、野崎さんの一連のブログ記事を読むに、つくづく文章は人となりを反映する鏡であると痛切するのだ。野崎さんのブログ記事には血が通っており、自分の足で歩き、自分の目で見たことを、素直に書き連ねているのが分かるのだ。そうした野崎さんを見て、〝歩く思想家〟と呼びたい衝動に駆られるのは、何も亀さんだけではあるまい。以下の行を一読いただきたい。

日本の哲学・思想研究は文献学に偏りすぎていて、中国の春秋戦国時代の研究者でもこれらの哲学者たちが育った現地に赴いて調査する例は少ない。しかし、これら哲学者や思想家の発言は育った環境や土地と密接に関係していることが少なくない。現地に行けば思わぬ発見や、その土地でしか伝わっていない逸話が聞けることもある。


実は同記事に梅棹(忠夫)先生が登場している。どうやら、野崎さんは梅棹先生の教え子のようだ。なるほど、野崎さんが〝歩く思想家〟となり得たのも、梅棹先生の薫陶を受けたあたりにありそうだ。

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そうであれば、野崎さんは梅棹先生も深く関与した、『大興安嶺探検』(今西錦司編集 朝日文庫)をすでに目を通しているのではないだろうか。

7年ほど前になるが、亀さんは佐々木良昭さん(ブログ「中東TODAY)に初めてお会いしている。ツランについての意見交換が目的だったのだが、その時に出席者の一人から、ツラン研究にあたり欠かせない一冊の本を紹介していただいている。それが上述の『大興安嶺探検』で、同署の何について語り合ったのかについては、当時の記録が残っているので以下に再掲しておこう。

・『大興安嶺探検』(今西錦司編集 朝日文庫)という本がある。この本の説明書きに「1942年、自由の天地を求めて若き探検家グループ21名は、憧れの大地へ飛び出して行った―。日本の生態学の第一人者で探検家でもある今西錦司を隊長に、森下正明、吉良竜夫、川喜田二郎、梅棹忠夫、藤田和夫ら、現在、アカデミズムの頂点に立つ諸氏の青春時代の探検記録」(アマゾンドットコムより抜粋)とあるように、戦前に行った調査である点に注目したい。今西らはツランについて熟知していたのであるが、戦後はGHQによって今岡十一郎の著した『ツラン民族圏』が発禁扱いになっていることから分かるように、戦後は公にツランについて研究できなくなった。だから、その後今西、梅棹、川北らはツランについて触れていない。


また、北朝鮮事情に詳しい別の出席者は、以下の情報も提供してくれた。

・白頭山信仰に繋がる「シベリア・シャーマニズム」を研究していたのが今西錦司、梅棹忠夫らであった。従って、今西らは大本教に関係していた。


山東省の生んだ晏子、孔子、孫子、墨子、孟子といった思想家・戦略家縁の地を訪ねる傍ら、できれば大興安嶺にも一度は足を運んでいただき、ツランと絡めた現地レポートをしてもらえたら嬉しいのだが…。

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経棚―馬架子 大興安嶺山脈をバックに一路西へと向かう重連貨物(2005/02/11)

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健康であれ
帰国して一週間が経過したころ、舞い込んでくる仕事量も以前のペースに戻った。特にここ数日というもの、処理しきれないほどの仕事に追われていたが、それも今日あたりで峠を越えられそうで、ホッと一息入れているところだ。

それにしても、飯山一郎さんのHPや野崎晃市さんのブログを読むに、青州から戻って二週間しか経っていないというのに、その間における事業の進展ぶりには目を見張るものがある。今後、どのような形で青州を拠点とする乳酸菌事業が展開していくのか、今や想像もつかないほどだ。そうした中にあって、自分も何等かの形でお手伝いができればと思っている。

さて、今回は久しぶりに青州以外のテーマについて書きたい。それも身近な健康についてだ。当たり前の話だが、人間、健康でないと何もできない。その大切な健康を維持していく方法は、人それぞれだろうが、間違った健康管理を実践している人たちが、なぜか世の中には実に多い。

一週間ほど前に居酒屋で飲んだ知人、「何か寒気がする。今日は早く切り上げ、明日朝早く病院に行きたいので、これにて失礼する」と、途中で退席している。この知人のように、これから寒い季節を迎えて風邪を引く人が増えてくるとは思うが、何故か皆さんは風邪を引くのを嫌がっているようだ。むしろ風邪はジャンジャン引いた方が良い…、と亀さんが言っても、誰も耳を貸してくれないと思うんで、この機会に以下の本を紹介しておこう。

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風邪を引くと脳溢血にはならない。p.23

敏感な人が早く風邪を引く。だから細かく風邪をチョクチョク引く方が体は丈夫です。p.28

癌などでも風邪を引けば治ってくる。p.32

風邪を二晩も三晩も宵越ししたなどというのは相当鈍い体で、まあなるべくなら引いたその日のうちに良くなるような、早いうちに風邪を引けるような体になっているのがいい。三日も四日もかからなくては抜けないというほど鈍くなっていたのではいけないが、それでも風邪を引くうちはまだいい。p.33


それにしても、そもそも風邪を引いたくらいで、病院なんぞに行くのは間違っとるワイ(こんなこと書くと、阿呆かと思われそうだ…)。

ところで、今の亀さんの健康管理だが、朝起きるのか早いということもあり、極力仕事を午後3時前後までに終わらせ、晴れている日は30分間ほど太陽を直視している。本格的に太陽の直視を始めは中国から帰国してからで、青州で久しぶりに仕事から離れたものの、極端に視力が落ちているのに気づいたからだ。一方、青州に滞在中も欠かすことのなかったヨガ、こちらは相変わらず毎朝行うようにしている。さらに、仕事が捗り(早く終わり)、雨が降っていなければ、外に出ての散歩も極力やるように心がけている。特に、今週に入ってから暖かい日が続き、少し歩くだけで汗ばんでくる。このように、歩いて汗をかくことは身体に非常にE-のだ。

しかし、今から覚悟しておかなければならないのは、近未来に間違いなく大病を患うということである、だから、その日に備えて少しずつ備えるようにしている。これは青州で飯山さんから直に聞かされた話なのだが、人間、六十代や七十代になると、一度や二度、必ず生死を彷徨うほどの大病をするらしい。そう言えば、確か半年ほど前に飯山さんも、中国で大変な病を患ったことを思い出した。

ここで、読者にお知らせしたいのは、現在掲示板「放知技」で、素晴らしい話が展開されていることだ。特に以下のスレッドで展開されている、今村光臣先生の投稿に注目されたい。
気が向いた時に有益そうな健康法を語るスレ(2)

最後に、昨夜友人から電話があった。数日前、共通の友人の御母堂が亡くなったとのこと。すでに告別式も済ませた後の連絡であった。亀さんの実母も来年の2月には卒寿を迎える(「亀寿」という言い方もある)。流石に90歳近くになると、ADL機能も大分低下し、主食も半年前に米食から全粥に切り替わった。せめて曾孫の顔を見るまで頑張って欲しいと思うのだが、どうなるだろうか…。以下は数日前の東京新聞に載っていた漫画だが、漫画の母親に亀さんの実母を思うのだし、また子どもも昔の亀さんを見る思いだ。まぁ、今の亀さんは昔のマンマ、今でも子どもなのかもしれないが…(爆)。

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青州で思ふ(最終回)
■2016年10月6日
青州滞在四日目、いよいよ帰国である。出発の支度でまごまごしていると、飯山一郎さんの秘書の趙さんに、「早くロビーに降りてくるように」と、催促の電話が…。急ぎ支度を終え、ホテルをチェックアウトして外に出たところ、趙さんが車のクラクションを鳴らしてくれた。すでに乗車していた堺のおっさんの横に滑り込み、青州駅に向かう。

未だ早朝だというのに、ひっきりなしに走っている、アメリカを思い出させるような超大型トラックの群れ、そして群れ…。日本の狭い道路では目にすることのない超大型トラックで、これから発展していくであろう日の出の勢いの中国という印象を、改めて強くした。

青州駅に到着、趙さんにパスポートを渡して乗車券を購入してもらい、三人で青島行きの高速鉄道に乗った。想像していた以上に車内は混雑していた。また、日本と違って、アチコチで携帯をかけている中国の人たち…。日本だと電車の中で携帯電話をかけようものなら、周囲から迷惑そうな顔を向けられるのは間違いのないところだ。だが、車内の中国人は全く気にしていない様子。このあたりに、中国人の大らかさと日本人の神経質という、国民性の違いを見たように思う。

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車窓から見た、延々と続くビニールハウス…。「莫大な国家予算がつく仕事」となる!

青島駅からタクシーで空港へ向かい、20分ほどで到着。空港内で趙さんと堺のおっさんの三人で昼食を取りながら、四方山話に花が咲いた。やがて、いよいよお別れの時間となり、搭乗ゲートに向かいながら後ろを振り返ると、趙さんがいつまでも手を振って我々を見送ってくれていた。青州では趙さん、そして第二の秘書さんには、本当にお世話になった。ここに改めて感謝の意を表する次第である。

搭乗時間までに一時間ほどあったので、堺のおっさんと情報交換を精力的に行った。特に興味深かったのは、堺のおっさんの八王子での体験であった。再会した折にでもじっくりと聞いてみたいと思う。

搭乗時刻が迫ってきた。固い握手を交わし、再会を約束しつつ別れ、お互いに機上の人となった。わずか四日間だったが、さまざまな想い出が走馬燈のように、脳裏に浮かんでは消えていった。

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離陸直後の青島市

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日の沈む祖国に、あと数分で到着…

【追記1】
帰国してから十日以上が経過した。その間、東日本に住んでいる読者を中心に、私信で数通のメールが届いた。周囲にの字について理解している人が、一人もいないということで孤立している様が、手に取るように分かった。それだけに、悩みも深刻な読者が多かったように思う。一人一人の状況に合わせた返信を出したつもりだが、どこまで小生のメッセージが伝わったのかは心許ないものの、相談メールを送って「良かったです」という返信も一部にあり、少しはお役に立てたのかなと安堵した。

以上、「青州へ赴く(1)~(9)」および「青州で思ふ(1)~(最終回)」と続いた青州シリーズ、ここでひとまず終わりとしたい。次回からは以前のように、様々なジャンルを取り上げていくつもりだ。

【追記2】
ぎのご怪獣さんが知らせてくれた、野崎晃市博士のTVインタビュー。



青州で思ふ(9)
■2016年10月5日
青州滞在三日目は、青州の博物館に行くと前日聞かされていた。そして飯山邸に午前10時集合ということだったので、朝の貴重な時間を生かすべく、古街の散策を兼ねて飯山邸へ向かうことにした。同じホテルに泊まっている堺のおっさんと一緒にホテルを出て、待ち合わせを約束していた橋に到着、そこで川を挟んだ向こう岸のホテルに泊まった、パン食うべーさんと合流する。三人で朝の古街の散策を楽しみながら、途中で遭遇したパレードに目を奪われたり、道を行き交う人たちを眺めたりしながら、飯山邸へと向かった。

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飯山邸に到着すると、一人の若い日本人らしい男性がいた。飯山さんが彼を本名で紹介したため、最初は誰だかピンと来なかったのだが、飯山さんから「青州駅の一つ手前で降りた日本人…」と聞くに及んで、「あっ、あの酒豪の小ボンボンさんか!」と、本名とハンドル名が漸く一致した次第(笑)。そして飯山さんが、今日の博物館行きは取り止めて、小ボンボン夫妻と二人の幼児のビザ問題を含め、今後の日本国建国について徹底的に語り合いたいと提案してきたのであった。それは当然の話であり、また新日本建国について飯山さんと語り合うことこそ、今回中国を訪れた主目的だったので、一も二もなく飯山さんの提案に賛意を示した次第である。

さて、最初に解決しなければならない問題は、毛社長の招聘が出れば夫妻は問題なく長期ビザを取得できるものの、二人の子どもには長期ビザが下りないのでどうするべきかということであった。夫妻は線量の高い自宅(中部地方)を逃れて志布志に避難したわけだが、ここ二週間は志布志も線量が上がってきたため、一家で志布志から青州に避難して来たのだという。小ボンボン夫妻の志布志の現状についての話に耳を傾けつつ、飯山さんの口から漏れた以下の言葉は重い。

子は宝である。


そう、我々を生み育んでくれた日本を、未来に向かって引き継いでくれるのは、日本の子どもたちなのだし、その子どもたちにバトンを渡すことこそ、今ここにいる我々大人の役目なのだ。

その後、テーマは内部被曝の問題からマクロファージへと多岐にわたり、しばし時の流れるのを忘れて話が弾んだ。昼食の時間になったので、全員で近くの街のレストランへ繰り出した。そして、小ボンボン夫妻と二人の幼児のため、飯山さんに昼の宴会催していただく形となった。それにしても夫妻の幼児、特にお姉ちゃん(5歳)の食べっぷりが凄く、思わず目を見張ったほどだ。日本では放射能に汚染された食べ物が多かったため、二人の幼児が口に入れるモノを厳しく制限してきたとのことだったが、中国では放射能の心配が全くないことから、安心して子どもたちに好きなだけ食べさせている様子が微笑ましかった。食べ物だけではない。中国では泥んこ遊びでも放射能の心配は皆無だ。だから、一日でも早く、そして一人でも多くの日本の子どもたちに、そうした環境を提供していくのが、フクイチの現実を知った大人の使命であると、二人の幼児を眺めながらつくづく思ったことである。

飯山邸に戻り、さらに多岐にわたって夕方まで話が弾んだ。夕食は急遽、秘書の趙さん手作りの青州料理を食することになった。どれもこれも醤油味で祖国を思い出したのだし、大変美味しかった。青州を訪れる機会が再び巡ってきたら、是非もう一度味わってみたい青州の家庭料理だ。その後はアルコール度の高い酒を酌み交わしながら、歴史、天皇制、フクイチと話が大いに弾んだ。

三日間にわたり、国慶節に合わせて飯山邸に集結した中国人や日本人を、じっくり観察させていただき、一人一人が飯山邸に来た目的も大凡掴めたので、最後に飯山さんへの御礼という意味で、一仕事をさせていただいた。

帰りは飯山さんと再会の固い握手を交わし、秘書の趙さんの運転する車に、堺のおっさん、パン食うべーさん、そして小生の三人が乗り込み、ホテルまで送り届けていただいた。ホント、今日も充実した一日だった象!

青州で思ふ(8)
■2016年10月4日
青州滞在二日目は、二台の車に分乗して飯山邸を出発、青州花卉博覧会の会場に向かった。会場は大勢の来場者でごった返しており、ある通路の左側には見事な花が所狭しと並んでいたかと思うと、同じ通路の右側はゴミの山そして山という具合に、前稿「青州で思ふ(7)」にも書いた通り、「大らかというか大雑把というか」という印象を改めて強くした次第である。また、中国は何事もスケールが大きい。たとえば盆栽。日本で盆栽と言えば片手で持てるものを指すのが普通で、少し大きめでも両手で持ち上げられるものがほとんどだ。ところが中国の〝盆栽〟の場合、日本人がイメージしている盆栽のサイズを遙かに超えている。たとえば、会場の隅に聳え立つ数メートルはあると思われる大木、その根元を見ると、ナントそこには巨大な鉢が…。盆栽歴ン十年の母方の叔父がこれを見たら、おそらく腰を抜かすに違いない。

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美しいサボテンの花に見入る、飯山さん、堺のおっさん、亀さん

会場を一通り見終わって飯山邸に戻る途中、レストランで昼の宴会を飯山さんに開催していただく。素晴らしい中華料理が次々に運ばれてくるのに感動した亀さんであった。なかでも美味しかったのは、一帯一路さんが「〝茄子〟」と呼んでいた料理であった(爆)。昼であるのにも拘わらず、美味しい地元のビールも味わうことができた。10名ほどが円テーブルを囲んだのだが、これこそが人間関係を深めていく、中国ならではの方法なのだなと、この日は身体で分かったものである。また、連日のように接待が続く中国で一日一食を貫くことは、〝絶対に不可能〟であるという恐ろしい(嬉しい?)現実も、思い知らされた一日であった。

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飯山邸に戻り小休止した後、歩いて10分ほどの所にある青州市東夷文化公園へ皆で出かけた。同公園のシンボル的な存在である巨大なブロンズ像も見た。この像については以下の記事を参照のこと。
青州市東夷文化公園で日本誕生を語る

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その後、ブロンズ像から徒歩で5分の所にある飯山事務所に寄り、飯山さんを中心に楽しい団らんの一時を過ごした。その時の様子を示すのが以下の写真である。半日近く居たこともあり、話題は多岐にわたった。ただ、ほとんどのテーマがブログには書けないような内容だったので、ここでは割愛させていただく。

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そうこうしているうちに、パン食うべーからバンクーバーさんが…、ではなくて、バンクーバーからパン食うべーさんが、タクシーで無事に飯山事務所に到着した。その後は陽気なパン食うべーさんの口から、非常に興味深い話が機関銃のようにポンポンと飛び出し、亀さんが感心しながら横で聞いていると、「大人しいですねぇ~♪」と、ニコニコ顔で声をかけてくれるパン食うべーさんであった(爆)。

その後、同じ建物内にある食堂に移動し、パン食うべーさんの歓迎会を飯山さんに開催していただいた。帰りは夜景の美しい青州市東夷文化公園を散策、街に出たところで皆さんと別れた。飯山さんのグループは徒歩で飯山邸へ、パン食うべーさん、堺のおっさん、そして亀さんもは、秘書の趙さんの運転する車でホテルまで送っていただいた徒歩で古街を見学しながら、それぞれのホテルに戻ったのだった。それにしても、大変充実した一日であったことは間違いなし!

【追加1】パン食うべーからバンクーバーさんが…」で思い出した、「男はつらいよ」のワンシーン…。

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寅 うっせーな。なんでえ、たまに帰ってくりゃ どいつもこいつも 膨れっ面ばっかりしやがって。つぶれた工場行ってな、テメエの亭主の顔見てくるよ!……おいちゃん、これはおいちゃんに買ってきた孫の手だ。ホラ。……ったく

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おいちゃん ハアァ~~~ いやだやだ。

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おいちゃん 俺は横になるよ。オイまくら、さくらとってくれ!いや、違うな。さくら、枕とってくれ。アアアアァ~~~………

「男はつらいよ第8作 寅次郎恋歌」


【追加2】
てくのぱぱさん、シュメールとツランの関係は、てくのぱぱさんのブログの拍手コメントに投稿したので、よろしく!
ブログの管理ページを開き、左側の「ブログ拍手」をクリック。

【追加3】
考えてみたら、我々も帰りは徒歩でホテルに戻ったんだっけ…。このような記憶違いをするなんて、つくづく歳だなあと思った次第…。

青州で思ふ(7)
■2016年10月3日
東京の悪友が関東のチベットと呼ぶ、秩父連峰の麓にある飯能駅の始発に飛び乗り、8年ぶりに成田国際空港へ数時間かけて到着、チェックインを済ませて青島(中国)行きの便に搭乗した。飛行機は長野県の上空を飛んでいたかと思うと、いつの間にか日本海に抜け、朝鮮半島を目指して進路を西に変えていた。途中、スチュワーデスが飲み物の注文をとりにきた。本当は、ビール、ワイン、ウィスキーあたりを呑みたかったのだが、夕方は宴会があり、同志の〝酒豪〟もダウンするほどの強い酒を呑まされるようなので、宴会の席で酔いつぶれてはならぬと思っていたし、ましてや亀さんは主賓扱いだと、飯山さんから聞かされていたので尚更だった。だから、アルコールの代わりに日本茶をお願いした次第…。

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日本海から山陰地方を望む

左側の窓からは山陰地方の海岸が暫く続いていたが、やがて進路を変えて韓国の上空を横断、そのまま黄海に入った。すると、しばらくして視界に飛び込んできたのが青島の街並みで、その光景には度肝を抜かれた。建設中と思われる高層ビルの群れか、延々と続いていたのだ…。無限に続いているのではと、一瞬思ったほどである。

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間もなく、青島に到着

そうこうするうちに青島空港に到着、日本も蒸し暑かったが青島も暑かった! 通関手続きを終えて一ヶ所しかないという到着ゲートに向かった。昨日かかってきた飯山さんの電話で、到着ゲートで亀さんの名前を書いたプラカードを、同志が手に持って立っていると聞いていたので、到着ゲートの扉を開け、幾つかのグループが手に持つプラカードを注意深く見ていったところ、直ぐに自分の名前を書いたプラカードを見つけた。出迎えてくれたのは、堺のおっさん、一帯一路さん、飯山さんの秘書の趙さん、そして運転係である毛允明社長(汚泥処理会社)の部下であった。

車中では堺のおっさんと一帯一路さんに、中国の事情を色々と聞く。秘書の趙さんからも大麻の話から始まって、野菜といった農産物を運搬する車は、無免許でも捕まることはないという、大らかというか大雑把というか、日本ではとても考えられないような中国の現状を色々と耳にする。そうこうするうちに飯山邸に到着。飯山さんをはじめ、関係者の皆さん全員が温かく迎えてくれた。一段落すると、自然に飯山さんの歴史談話(飯山秘史)が始まった(「青州で思ふ(3)~(6)参照)。

時間はあっという間に過ぎ、宴会の時間が迫ってきたので、全員で車に分乗して会場に向かう。日本語が堪能な中国人の若者が出迎えてくれた。後で聞いたところ、毛允明社長の息子さんで、日本の大学院を卒業したのだという。道理で日本語が堪能なわけである。その日の毛社長は、相当身体の具合が悪かったらしく、宴会が始まる前に服用する漢方薬を、こっそり見せてくれたほどであった。体調が優れないのにもかかわらず、無理を押してかくも盛大な宴会を主催していただいたこと、感謝の言葉もなかった。

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総勢15名の大宴会

宴会で最初に目の前に運ばれてきたのがサソリと蝉であった。昆虫などが目の前に並ぶだろうと、あるていどは予想(覚悟?)していたので驚きはしなかったし、むしろどのような味なのかと早速食してみた。蝉もコリコリして美味かったが、サソリは一段と美味で、上等な川エビにも似た風味があった。

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我々の真っ正面に、異彩を放つ人物が座っていた。それが張苓明氏であることを、隣に通訳として座っていた、毛社長の息子さんに教えてもらった。この人物が毛社長と雒徳軍氏に加えて、飯山さんが人物として高く評価している張氏かと、改めて同氏を見つめた次第である。張氏が放つ存在感は凄いものがあり、宴会が盛り上がっている最中、わざわざ亀さんの座る席まで足を運んできてくれて、互いに挨拶を交わしたのだが、柔和な表情からは想像もつかぬ意志の強さが伝わってきたのだし、瞬時に肝の据わった漢であることが分かった。遠い昔、このような凄い人物に出会ったことがある。それは亀さんが尾瀬自然保護運動をしていた23歳の時、群馬県の藤原ダム近くの山村で、自然保護運動の会長宅に泊めていただいた時のことだ。神計らいで同じく会長宅を訪れていた老人と、深夜まで酒を酌み交わす機会を得たのだが、その小柄な老人の放つもの凄い存在感に圧倒された亀さんであった。張氏と会った瞬間、その時のことを思い出した次第だ。

宴会が終わった後は全員で古街を散策した。毛社長は依然として体調が優れないのにもかかわらず、我々と一緒に古街を散策してくれただけではなく、堺のおっさんと亀さんをホテルの部屋まで送り届けてくれた誠意には、頭が上がらなかった。今回初めての中国訪問だったが、今までに中国を訪問した人たちから、中国人の接待の凄さについて聞き及んでいたものの、これほどまでとは思ってもいなかっただけに、改めて中国人の懐の深さを垣間見ることができたように思う。そして、毛社長、張氏、雒氏の三人が、如何に飯山さんを高く評価しているかも、中国に来て肌で感じることができたのは収穫であった。ともあれ、三人の漢と会えただけでも、中国を訪問した価値はあった。

今回の青州行きに先立ち、『小室直樹の中国原論』(徳間書店)に目を通しているが、以下の小室直樹の記述、特に幇についての小室の見解の正しさが、今回の訪中で納得できた。

中国社会の経緯は、タテの共同体(Gemeinde)たる「宗族」と、ヨコの共同体たる「幇」である。
『小室直樹の中国原論』p.5



むろん、今回の訪問が最後ではない。今後も幾度か中国本土を訪れることになりそうだが、冥土の旅に発つまで、どこまで中国そして中国人の心に迫ることができるのか、残りの人生が楽しみになってきた。

【追記】
ここ一年間、特に青州から戻って以降、亀さん宛てに来る相談事のメールが増えてきた。一人一人の人たちに返信を認めているが、果たして何処まで分かっていただけたのかは心許ない。ともあれ、若者に限らず、亀さんのようにな者でも良いというのなら、老若男女を問わず遠慮なくメールしてくれて結構だ。基本的に一両日で返信しているが、仕事に追われている時は数日かかることもある。その点は予めご了解願いたい。
メールアドレス
dappan■gmail.com(■を半角の@と入れ替える)

青州で思ふ(6)
青州で思ふ(3)」では中国本土、「青州で思ふ(4)」では遼東半島と朝鮮半島、「青州で思ふ(5)」では日本列島を舞台に、青州で飯山一郎さんから聞き及んだ歴史秘話を簡素に述べてきた。特に「青州で思ふ(5)」で紹介した「金王朝の “深い深い謎”」に目を通した読者で、済州島(百済の一部)の御方であったさる人物が、身の危険が迫り、命がらがら九州へ亡命、その後大阪に入るに及んで天智天皇に仕え、やがて天武天皇になられた(西暦673年)という飯山説に接し、腰を抜かした人も多かったことだろう。
◆2008/12/23(火) 歴史発見! 天武天皇は志布志から大阪に向った!

無理もない。我々は学校の教科書で天武天皇は、「舒明天皇と皇極天皇(斉明天皇)の子として生まれ、中大兄皇子(天智天皇)にとっては両親を同じくする弟」と教わってきたのだから…。しかし、飯山説によれば天智天皇と天武天皇との間に血縁関係はないとのことであり(兄弟説の否定)、さらには天武天皇が済州島の御方だったと言うに及んでは、誰もが我が耳を疑ったはずだ。

大分前置きが長くなった。今回の「青州で思ふ(6)」では、青州で聞き及んだ飯山説の最終話として、天武天皇の即位から700年以上の時空を超えて、1392年の南北朝合一あたりに時計の針を進めてみよう。その当時、途方もない秘密が九州の下甑島(しもこしきじま)で発生しており、しかも、その秘密は皇室に深く関わるもので、現代の世においても脈々と生き続けているという。この下甑島については以下のスレッドで、熱い意見が交わされているので参照されたい。
飯山一郎へ伝言・密告・質問・短信etc -11-

また、以下は下甑島を巡る投稿を上記スレッドから拾ったもので、どのような意見交換が行われたのかが大凡分かるはずだ。

●「大化の改新」の前に、蘇我氏(仏教派)と物部氏(神教派)に分かれて争った。その舞台が九州だった!
●次に、時代が下って、南北朝の時代。南朝と北朝が激しく闘った舞台も南九州だった。その結果、南朝側が南九州でも敗退し…、下甑島(しもこしきじま)まで逃亡していった。
その下甑島(しもこしきじま)には…、今でも楠木正成の末裔を弔う豪商がいて、莫大な南朝の資金が、なんと今も!東京やアジアの某地で活用されている…という驚愕の秘密!
●和田家の当主は、皇室に関する秘密も握ってます。それを知られることを怖れてはいますが。
●とまれ、下甑島(しもこしきじま)には、皇室の秘密の歴史が隠されたままです。
●あと…、秘密結社「薩摩ワンワールド」と、甑島(こしきじま)の関係。
深追いすると、皇室と英国の関係が透けて見えてくる…。
●江戸中期。下甑島(しもこしきじま)で温存された南朝の「血脈」が、島を出る時が来た。島を出て、薩摩に上陸し、薩摩の地で力(ちから)を蓄えた。そこが、薩摩の「熊毛郡・田布施」だ。金峯山の麓(ふもと)の…。ここから長州の「熊毛郡・田布施」までは、一瀉千里だ。しかし、薩摩ワンワールドは、薩摩の「熊毛郡・田布施」の地名を、巧妙に隠している。
●なぜ? 何故に「熊毛郡・田布施」という地名を隠そうとするのか? 天皇家の秘密の…。
●じつは昨日…、「志布志の地で南朝軍と北朝軍が激突した!」という600年前の証拠(石碑)を見に行った。私は、その石碑の余りの迫力に腰が抜けて、現場にヘナヘナと座り込んだ…。
この激突で南朝軍は敗退し…、下甑島(しもこしきじま)に逃げ込んだワケだが…、このことを知らないまま、和田家の当主(数兆円規模のファンドをマカオで経営している)は、私に会いに志布志まで来ている。3回も。また今度ヤツが志布志に来たら…、この情報を、私は数百億円で売りつけようと思っている(爆)
だって…、ヤツは、今も政界の貧乏政治家たち(ほとんどが貧乏、かつ守銭奴だ!)に数百億円のカネを貸している(返済はアテにしてない)んだからな。
●下甑島の和田家は、楠木正成の弟、正季系(近畿系)ではなく、楠木正成(大楠公)の嫡男、正行(まさつら、小楠公)の直系を自認しているようだが、伝説!というのが通説。
しかし、下甑島(しもこしきじま)の和田家は、楠家の直系の子孫であることを(一切公言せずも)自認しており、今に至るも徹底して後醍醐天皇側。
300年近い北朝の天下では、南朝は逆賊。その逆賊の謗り(そしり)を耐えぬいてきた! という強い「誇り」を持っている。
600年前、北朝側が南朝側を「根絶やし」にすべく、南九州は志布志まで追討してきた「証拠」(石の板碑)を見ると、下甑島の和田家こそが楠木家の本流・直系であるとの「自認」が正しい! と、私は思っています。


すっかり失念していたが、拙ブログでも下甑島についての記事を書いている。
薩摩ワンワールドと皇室

以下は同記事の概要を示す行である。

(1)第一ステージ九州を舞台に、大化の改新に先行して蘇我氏(仏教派)と物部氏(神教派)が戦った。
(2)第二ステージ::同じく九州を舞台に南北朝の時代、南朝と北朝が志布志で激しく戦い、南朝が敗北、南朝の生き残りは下甑島(しもこしきじま)へ逃亡した。
(3)第三ステージ江戸中期、下甑島に逃亡していた南朝側の子孫が、薩摩に聳える金峯山の麓に移住、準備を整えた上で長州の熊毛郡・田布施へと向かった。


さらに突っ込んだお話を青州で飯山さんから聞き及んでいるが、とてもネットで公開できるような内容ではなく、このあたりで止めておこう。

以上、青州で飯山さんから聞き及んだ日中間の秘史について、「青州で思ふ」の(3)~(6)で述べてきたが、ここでひとまず歴史については終わりとしよう。今後だが、日中韓に跨がる歴史について個人としてどのように格闘していくか、考えていきたいと思っている。

最後になったが、青州において長い時間をかけ、歴史に纏わる貴重なお話をしていただいた飯山さんに、同席していた同志ともども厚く御礼申し上げる次第である。

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皇居外苑の楠木正成像

青州で思ふ(5)
青州で思ふ(4)」にも掲載した以下の版図は、旧『邪馬台国論争 終結宣言』(山形明郷著 星雲社発行)で〝正説〟としているものである。

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一方、以下は我々が学校で慣れ親しんできた版図であり、これを山形氏は〝誤図〟としている。残念ながら、日本では未だに〝誤図〟を頭から信じている人たち、特に歴史を専門とするアカデミックの世界の人たちに大変多く、この固定概念を捨てない限り、本当の歴史は見えてこないだろう。

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以下、山形説すなわち飯山史観について、十分に納得していただいたという前提で、「青州で思ふ(3)」で言及した中国大陸史、「青州で思ふ(4)」の遼東半島を含む朝鮮半島史に続いて、本稿「青州で思ふ(5)」では、舞台を日本列島に移して日本史を眺めていくことにするが、その場合も飯山史観シリーズを読むのが一番の早道だ。最初に、以下の記事を一読あれ。

白村江の戦いで敗北した百済が日本列島に逃避し…,
大阪・難波や奈良・大和の地に,巨大な王城都市をつくった.
これが「難波京」であり、「藤原京」であり、「平城京」でありました。
百済が北魏の平城京に通いつめ,学びに学んだ巨大都市の築造技術の結晶が,
広大な満州の地ではなく,日本列島の中央部で活かされた….
これにより,日本列島は,古墳時代が終焉し,一挙に“都市国家”の時代に突入!
これは,日本列島の歴史のなかで最大の激変でした.

◆2011/03/08(火) 金王朝の “深い深い謎” -95-


つまり、北魏・百済・日本の間は、目に見えぬ〝糸〟で綱がっているということだ。よって、少々骨が折れるかもしれないが、以下の飯山史観シリーズに目を通すことを、ここで強くお勧めしたい。なお、表題の〝金王朝〟とは今日の北朝鮮を指す。日中韓に跨がる古代史と、現在の〝金王朝〟との間に何の関係があるのかと、訝る読者がいるかもしれないが、シリーズに目を通すことによって、読者は日本の秘密、すなわち飯山史観の真髄に迫ることができるはずだ。なお、先を急ぐ読者の場合、「◆2011/01/07(木) 金王朝の “深い深い謎” -47-」から読み始めてもOKだろう。
「金王朝の “深い深い謎”」

本来であれば「金王朝の “深い深い謎”」シリーズは、まだまだ当分は続くはずであった。それが突然中断されたのは何故か…? 最終回「2011/03/11(金) 金王朝の “深い深い謎” -98-」の日付けに答えがある。そう、あの3月11日だ。その日は遠い昔に起きた〝日本列島の歴史のなかで最大の激変〟と同等、あるいはそれをも上回る、文字通り〝日本が終焉を迎えた〟日であった。

ここで再び原点である殷王朝に戻ろう。「青州で思ふ(3)」で取り上げた、殷王朝に関する記述の一部を再掲させて戴く。

実は四千年近くの時空を超えて、今日の世界にも神格シャーマンが存在する。今上陛下その人である。つまり、朝鮮族であった遙か太古の殷の祭祀王のDNAを、しっかりと引き継がれておられるのが今上陛下なのである。


このように、殷→箕子朝鮮→北魏→北燕→邪馬台国→馬韓→扶余→百済→日本という、歴史の大河を眺めていくうちに、〝新百済〟という新しい国の形が目の前に浮かんでくるはずだ。

青州で思ふ(4)
前稿「青州で思ふ(3)」では中国と日本の歴史上の繋がりについて、飯山一郎さんから聞き及んだ話を書いたが、基本的に青州市が発行している『青州史』(中国語)を、下敷きにしていることは飯山さんに確認済みであり、日本語のサイトでも「古代日本がモデルとした「北魏の都」 」など、北魏と日本のつながりを取り上げたサイトも幾つか存在している。

ここで、前稿「青州で思ふ(3)」で掲載した北魏の版図を以下に再掲する。今回は太赤丸を加えたが、その部位に注目していただきたい。朝鮮半島の三国時代(高句麗、新羅、百済)の版図は、学校の教科書で幾度か目にしているはずで、思い出した読者も多いことだろう。

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次に、以下の版図をじっくりと眺めて戴きたい。

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どうだろう? 我々が知識として持っている三国時代の版図と比べて、あまりにも懸け離れているので戸惑った読者も多かったのではないだろうか。実はコレ、旧『邪馬台国論争 終結宣言』(山形明郷著 星雲社発行)のp.195に掲載されている地図だ。なお、『邪馬台国論争 終結宣言』については旧稿で取り上げているので、関心のある読者は一読いただければと思う。ご参考までに、その旧稿から特に重要と思われる記述を引用しておこう。

同書(『邪馬台国論争 終結宣言』)の本文に目を通し、結論として山形氏の主張は本物であることが分かります。同書の白眉は何と云っても古代朝鮮の所在地を明白に解明してみせたという点にあり、それにより以下の◆印の結論に達するのですが、同書の冒頭から目を通した一読者としてどれもが納得できるものでした。以下の点について素直に納得できるということは、換言すれば過去の『魏志倭人伝』に対する解釈や卑弥呼像が全くの間違いであったことが分かるということに他ならないのです。

◆ 古代朝鮮・楽浪・前三韓の所在地は、旧満州であった(現在の朝鮮半島ではなかった)
◆ 卑弥呼の正体は、遼東侯公孫氏の係累であった(日本の卑弥呼ではなかった)
◆ 倭の所在地は、古代「韓」半島であった(日本ではなかった)

http://pro.cocolog-tcom.com/edu/2008/10/post-68d9.html


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この山形説を全面的に支援してきたのが飯山さんで、山形説を反映した「飯山一郎の古代史」というサイトを立ち上げておられる。そして、今回の青州訪問で飯山さんが強調しておられたことは、日本のルーツは百済であり、さらに百済のルーツが扶余であるという史実であった。以下のサイトを参照されたい。
◆2008/04/17(木) 歴史の謎が解けた.日本のルーツは,『扶余』!

とまれ、日本のルーツは百済であるという視点を持たない限り、堺のおっさんが言うところの「新百済」の意味は掴めない。この機会に歴史の見直しを行い、正しい百済観を身につけていただければ幸いである。

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【追伸】
最近に至り、若い人たちから人生相談のメールが増えてきた。そうした相談メールは、匿名でもE-ので遠慮なくメールしてくれ。仕事(翻訳)に追われていない限り、一両日に返信することをお約束する。お礼など無用。

青州で思ふ(3)
今回の青州滞在時に飯山さんが語り聞かせてくれた、日本と中国の深い繋がりを示す飯山秘史、その概要を以下に書いておこう。なお、本稿を執筆するにあたって裏付け調査を行ったが、その時に最も参考になったのが以下のHPであり、図表も同サイトから本稿に転載させていただいた。
古代日本がモデルとした「北魏の都」

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上記サイトの表題「古代日本がモデルとした北魏の都」にもあるように、北魏(386~534年)こそが日中秘史を解くキーワードであることが、飯山さんの話からよく理解できた。ちなみに北魏は南北朝時代、遊牧騎馬民族である鮮卑族の拓跋氏によって建てられた国であり、前秦崩壊後に独立し、華北を統一して五胡十六国時代を終焉させた国である(南燕や西燕も鮮卑族が建てた国で、鮮卑族はユーラシア大陸の放牧の民、すなわち我らが同胞ツランである)。

この北魏だが、奈良の平城京は北魏の平壌がモデルと、飯山さんは語っていた。その言葉を裏付けているのが上記HPで、該当箇所を同HPから以下に引用しておこう。

北魏と日本文化との間には数多くの関連があることが指摘されている。
法隆寺の仏像など、日本に残存する諸仏像は多く北魏様式である。(伊東忠太の説)
日本の源氏という氏族のおこりは、北魏の太武帝が同族に源氏を名乗らせたことに影響されたものではないか。(杉山正明の説)
北魏の国家体制は、日本古代の朝廷の模範とされた。このため、北魏の年号・皇帝諡号・制度と日本の年号・皇帝諡号・制度には多く共通したものが見られる。平城京・聖武天皇・嵯峨天皇・天平・神亀など、枚挙に暇がない。(福永光司の説)
北魏の日本への影響は、都城名「平城」、それに前身の前秦より高句麗への仏伝(372年)を経て高句麗僧・惠慈が来朝(595年)して聖徳太子の師となったことなどが考えられる。

古代日本がモデルとした「北魏の都」


それから約300年後、日本の高僧円仁が青州を訪れている。そのあたりはブログ【文殊菩薩】の以下の記事に詳しい。一読あれ。
円仁と青州の深い関係

【追記1】
日本では殷王朝が最古の王朝とされているが、河南省偃師市で発見された二里頭遺跡は、夏王朝の遺跡として有力視されている。また、中国の教科書で夏王朝は、「原始社会から奴隷制社会に移行に伴って紀元前21世紀に成立した中国史上最初の世襲制王朝である」と定義されている点に注目されたい。
世界史用語解説 授業と学習のヒント

さらに付言するなら、夏王朝より遡る尭や舜、もしかしたら実存の皇帝だったのではという見方が、最近は広まりつつあるようだ。

【追記2】

中国の殷王朝は朝鮮族が建国した国で、その後誕生した箕子朝鮮は殷王朝をルーツに持つ。そして、殷王朝の頂点に居たのが祭祀王(貞人=シャーマン)であった(以下のサイトを参照)。
前17C~前770年:殷~西周

ここで、殷の祭祀王はシャーマンだと上記サイトに書いてあるのだが、実は四千年近くの時空を超えて、今日の世界にも神格シャーマンが存在する。今上陛下その人である。つまり、朝鮮族であった遙か太古の殷の祭祀王のDNAを、しっかりと引き継がれておられるのが今上陛下なのである。

過日、飯山邸で青州に隠された日中秘史について、飯山さんの話に耳を傾けていた時、飯山さんは「雅子妃は一流のシャーマンである」と喝破した。過去三千枚近い雅子妃の写真を念入りにチェックし、雅子妃の目は間違いなくシャーマンの目つきだ、という結論に達したようだ。実は、そのように飯山さんが主張したのは今回が初めてではない。初めて飯山さんの口から雅子妃=シャーマン説が飛び出したのは、山梨で公演があった3年半前あたりであったことは間違いない。



そして、飯山さんの口から雅子妃=シャーマン説が飛び出す3年半よりも前に、雅子妃のことをシャーマンと喝破した人物に亀さんは会っている。栗原茂その人である。その話を今回の青州訪問を機会に伝えると、「本当?」と飯山さんも驚いたような表情を見せていた。なお、今のところ雅子妃=シャーマンを唱えているのは、栗原茂さんと飯山一郎さんだけのようだ。

昨日の拙稿「青州で思ふ(2)」にも書いたことだが、危険な野菜を日本に中国が輸入していると、未だに多くの日本人が思い込んでいるという具合に、日本の大手マスコミが精力的に流している雅子妃パッシング記事を、そのまま鵜呑みにしている人たちがほとんどのようで、そのあたりは以下のサイトからも容易に推察できよう。
教えてください! 皇太子妃雅子さまはなぜ多く…

【追記3】
中国について思いを致す場合、念頭に置いておかなければならないのが黄巾の乱であり、それが故に漢民族は歴史舞台から消され、今日見る中華文明が誕生したのだが、この黄巾の乱で思いを致すべきは青州兵であろう。

【追記4】
世界戦略情報誌『みち』の平成21年10月1日号に、「いよいよ大和へ、そして吉野へ 還都への動き」と題する巻頭言の記事がある。平城京を取り上げ、大極殿の写真も掲載されていたと記憶していたので、平城京のモデルとなった北魏のことも書いてあると記憶していたのだが、どうやら亀さんの記憶違いであった。

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【追記5】
昨日の拙稿「青州で思ふ(2)」で東日本の窓口案について書いたところ、早速louisx2さんから協力の申し出があった。誠に有り難い。また、拍手のコメント欄にも、やはり子どもを抱え、青州への移住を希望している、横浜の親御さんからの協力の申し出もあった。これも誠に有り難い。どのような窓口になるのか、今のところ皆目見当が付かないが、具体的になったら是非にお願いしたいと思っている。

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青州で思ふ(2)
■女性や子供や弱者を「ホ」から守れ!!
女性や子供や弱者を「ホ」から守れ!!」と、ブログ『文殊菩薩』で野崎晃市さんが吠えた。
東京アウシュビッツ

帰国前日、日本から避難してきたというKさん夫婦と、二人の幼児が飯山邸を訪ねてきた。Kさん夫妻の青州訪問は二回目らしく、前回は毛社長の汚泥処理会社で、乳酸菌培養の優れた技術を発揮、加えて全身から滲み出る誠実さから、中国人同僚の信頼を勝ち取ったという話も頷けるし、奥さんも二人の幼児を抱える身でありながら、異国の地でしっかりと夫を支える大和撫子であることが、言葉の端から分かるのだった。

二人の幼児が居た日本では食べ物が「」まみれのため、口に入れる物を厳しく制限していたというが、中国では食べ物を口にしても安全なことから、特に上のお姉ちゃん(5歳)は、朝昼晩と一日中食べまくっていた。その微笑ましい姿を眺めながら、未だに日本に残る一人でも多くの子どもたちを、放射能地獄から避難をさせなければならないと、心の中で強く思った次第である。それは、日本人のDNAを後世に残していきたいという、本能に近いものなのかもしれない。ともあれ、二人の幼い姉妹は飯山プロジェクトに絡んだ子どもの移住第一号となる。

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日本人の二人の幼児を膝に乗せる〝祖父〟飯山さん

ところが、ここに来てビザの問題が重く伸し掛かってきた。Kさん夫婦には毛社長の会社に雇用されれば、招請状という形で長期ビザが下りるだろうが、二人の幼児にはビザは下りないのだという。だから、現在は飯山さんと野崎さんを中心に、色々と知恵を絞っている最中だ。

ともあれ、無垢な二人の幼子を眺めながら、未だに日本に残る大勢の子どもたちが、中国で安心して暮らせるよう、自分なりに何等かのお手伝いをしていかねばと思い、そのあたりを飯山さんとも少し語り合った。結果、青州移住を希望する東日本の住民を対象に、窓口的な役割の一端を亀さんが担っていくことで、話が固まりつつある。尤も、東日本の窓口と言っても漠然としており、本業(翻訳)をやっていきながら、その合間にどのような形でお手伝いをしていくのかは、掲示板「放知技」で皆さんにアドバイスしてもらいながら、手探り状態で進めていきたいと思っている。

現在漠然と考えていることは、青州移住を希望する人たちを対象に、東京の中国大使館でのビザ取得のお手伝い、現地での銀行口座開設の仕方、食事、現地の習慣、その他を分かる範囲で、分からなければスカイプで飯山さんや秘書の方々に、確認しながら伝えていきたい(スカイプは近くデスクトップパソコンにインストール予定)。

【追伸】
日本では食べ物が「」まみれ…(中略)、中国では食べ物を口にしても安全」と書いたが、実情を知らない人たちは怪訝な顔をするかもしれない。なぜなら、中国野菜は危険というのが、日本の一般常識になっているからだ。たとえば以下の記事…
禁止農薬、病原体汚染…危険な中国野菜の使用状況、なぜ多数の外食チェーンは回答拒否?

しかし、本当のところはどうなのだろうか? 亀さんと一緒に中国野菜の実情を見てきた、堺のおっさんの以下の投稿に注目されたい。

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http://grnba.bbs.fc2.com/reply/15862681/371/

要するに、中国人の口に入る食べ物は野菜も含めて、安心できるということだ。では、なぜ日本に農薬まみれの中国野菜が入ってくるのか? それは、堺のおっさんが指摘しているように、日本の商社が現地の農家に指示し、大量の農薬を使用させるなどして、極力コストを抑えて野菜を作らせ、そうして作った農薬まみれの野菜を、日本に輸出して我々に食わせているというわけだ。すべては金儲けのためであり、同胞の健康など知ったことではないのだろう。

もう一度、写真を眺めていただきたい。飯山邸の前で近所の農家のおっさんたちが並べる野菜は、どれも新鮮で安心して食すことができるものばかりだ。農薬まみれの野菜を売ろうものなら、村八分にされるのは火を見るより明らかだ。

青州で思ふ(1)
10月3日から6日にかけて中国の青州市に滞在、その間は飯山一郎さんをはじめ、スタッフの皆さんには大変お世話になった。ここに改めて御礼を申し上げる次第である。

わずか4日間とは言え、青州で語り合い、体験したことは、とても一本のブログ記事で書き尽くせるものでない。よって、飯山さんのHP記事、堺のおっさんの掲示板「放知技」への投稿、野崎さん(本来は野崎博士と書くべきところ、青州で同じ釜の飯を食った事実に甘え、誠に失礼ながら〝野崎さん〟と、以降は書かせていただくことをお許し願いたい)のブログ『文殊菩薩』 などに対する、追記・補足という形で、「青州で思ふ」と題したシリーズを数回にわたって書かせていただく。

■最終段階を迎えた「」の字
飯山さんの10月7日の記事「これほど米国が辱められたことはない」で、スプートニク紙の「プーチン大統領の最後通告」と題する記事が紹介されている。これは青州でも飯山さんが語っていたことだが、記事にあるようにプーチンが最終通告ならぬ、宣戦布告をアメリカに叩きつけることができたのも、アメリカに対してロシアが〝フリーハンド〟を得たという〝事実〟にある。さらに、同記事で飯山さんは以下のように付言した。

しかし最も大きな理由は,かならぬ「あの問題」であろう.


この「」の字だが、青州の飯山邸で話題になったのは、大手マスコミによる洗脳(情報操作)はモノ凄いものがあり、そのため福島原発事故はすでに解決したものと、思い込まされている人たちが圧倒的多数を占め、未解決であると気づいている少数派の人たちですら、「」の字の深刻度を真に理解している人はほとんどいないという事実であった。そのため、「しかし最も大きな理由は,かならぬ「あの問題」であろう」という言葉に、ピンと来ない人たちがほとんどというのが現実だ。

そして、日本政府の福島原発事故対策が無策に等しいものであったため、過去5年以上に及んで死の放射能に晒され、日本列島の住民が深刻な内部被曝に陥っているのは紛れもない事実であることを、青州で改めて痛切した次第である。

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このように「」の字は深刻な状況下にあるものの、ここで諦めてしまってはいけないのだ。人体は3ヶ月で入れ替わるという事実(以下のHP参照)を思い出し、今後は積極的に乳酸菌ヨーグルトを摂取していこう。マクロファージが癌などの異物を食い尽くしてくれるからだ。
酸素と新陳代謝の密接な関係《3ヶ月で生まれ変わる人間のカラダ》

不幸にして癌になり、日々を思い悩んでいる人たちは、飯山さんの勧める以下の方法を実践し、体質改善に努めるとよいだろう。

現在の体質を変えるための最も簡便な方法
1.発汗運動で汗をかき,血行・血流を大きく促進させる.
2.発汗運動の直後に熱い緑茶を飲み,熱い風呂に入る.
3.熱い風呂で充分に汗をかいたら,すぐに布団に入り,寝る.
4.布団のなかでも猛烈に発汗する.発汗の暑さを耐え,眠る.
5.上のことを10日間続けると,必ず「体質」が変わります!


別の機会に書くが、飯山さんは「学校と病院を造らない」という基本姿勢で、青州あるいは周辺に日本人村(集団居住地=新百済)を造るという。同感である。このあたりについては別の機会に譲るとしたい。

ところで、青州から帰国して親しい友人らに、幹事として秋の飲み会を挙行する希望日時を確認したところ、一人の友人から奥さんが今夏に入って近くの大学病院で長期治療中、よって秋期の飲み会は欠席したい旨の連絡が届いた。その友人、はっきりと亀さんに語らなかったものの、直感的に「」の字を起因とする何等かの病と判断できた。多分、癌・脳梗塞・心筋梗塞あたりのはずだ。

一昨年あるいは昨年あたりまでは、亡くなるのは七十代以降の叔父らが中心だったが、ここにきて同年代、さらには亀さんよりも若い人たちが、「」の字が原因で亡くなるケースが増えてきている。亀さんは関東でも特に汚染の酷い、秩父山地の麓に住んでいることもあって、福島原発の爆発で日本が終わったという現実を理解したものの、それでも東日本に住み続けなければならぬ身として、今までに免疫力向上に向けた対策を講じてきた。だが、それでも完全に「」の字の影響を避けることは不可能であり、生きてせいぜい5~6年の命だろうと思っていたし、それなりの覚悟も出来ていた。

そのあたりを青州に到着した二日目に飯山さんに確認したところ、「昨日、今日と亀さんをじっくり観察させてもらったが、亀さんは今までキチンと放射性物質対策を講じ、免疫力を高めてきたこともあって、全く心配はない」というお墨付きをいただいた。亀さんは単純なので、取り敢えず素直に飯山さんの言葉を受け取ることにした次第である。

青州へ赴く(9)
更新が滞っていたブログ『文殊菩薩』に新しい動きがあった。野崎晃市博士がブログ『文殊菩薩』に加わることになったのだ。今後は「中国の事業の様子や進展ぶり」を、逐次報告してくれるとのことであり、楽しみだ。
新任のご挨拶

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『川島芳子 生死の謎』(李剛・何景方共著、野崎晃市訳)

ここで、野崎博士の以下の発言に注目していただきたい。

飯山一郎先生の中国における環境保護や汚泥処理の事業、さらに「ホ」の問題から日本人を一人でも救いたいという飯山先生のご活躍と理念に私は大変に感銘を受けました。


5年以上の長きにわたり福島原発からタダ漏れしている、死の水蒸気を国は何もせずに放置してきたため、何千万人という日本列島の住民が深刻な内部被曝を被ってしまった。そうした苛酷な現実のなかで唯一の希望の光が、飯山さんが中国で展開している事業だ。その飯山さんが、最新の『StarPeople』の連載記事、「新日本建国」で以下のように述べている。

日本人の道徳哲学は世界一!

さて、〝新日本国〟の国民になるには、心構えが必要です。その心構えとは「大胆細心」。大胆で柔軟な発想と、細やかな心づかいが絶対に必要であるということです。〝新日本国〟の国民には、キビキビと働き、話し、人には明るく礼儀正しく接することが求められます。優しい心と思いやり溢れる心が大切だということです。また、少食粗食など禁欲的で勤勉な生活を楽しく過ごす前向き思考も求められます。リーダーの指示には素直に従い、不平不満を口や顔に出さないことも肝に命じなければなりません。以上は、日本人の特長でもあり、そのまま「新日本人の条件」にもなります。郷に行ったら郷に従い、中国人の生活文化を深く理解しようとする氣持ちを忘れず、好き嫌いを言わず、まずはどんな食べ物でも食べてみる度胸も必要です。その度胸がない日本人が多いのですが、ヤルっきゃない! なぜなら、大切な日本の子どもたちに〝日本〟を引き継いでもらうためなのですから。

『StarPeople』秋号 p.79


拙稿「青州へ赴く(2)」で亀さんは以下のように書いたが、本稿を執筆するにあたり『StarPeople』秋号を再読、飯山さんも「大切な日本の子どもたちに〝日本〟を引き継いでもらうため」と、同じように考えているのを再確認した形となり、嬉しかった。

フクイチの実態を知り、どうしてよいか迷っている若者たちのため、間接的ではあるものの、飯山さんの新日本建国を伝えるといった形で、今後も応援を続けていく所存である。



当面の緊急課題は、「中国における環境保護や汚泥処理の事業、さらに「ホ」の問題から日本人を一人でも救いたい」とする、飯山さんの事業の完成であり、どのような形でお手伝いが出来るのか、今回の訪中で語り合ってくるつもりだ。

ところで、飯山さんの中国での事業が軌道に乗り、何万、何十万人という単位の日本人が小さなコミュニティを形成、新天地での生活を始めたとして、数十年、数百年に再び日本列島に戻ってきた時、我々の子孫はどのように変わっていることだろうか…。

昨年の11月28日、NHKのETV特集で「移民の国に咲いた花~日本ブラジル120年~」を見て、思うところがあったので拙稿「移民の国に咲いた花」をアップ、以下のようなことを亀さんは書いている。

日系ブラジル人の場合、一昔前までは日系同士で結婚していたようだが、今日では他国の出身者やその子孫と結婚する二世・三世が増えているという。だから、もし120年後に同じような番組の制作を考えたとしても、その頃には日系ブラジル人は多分存在していない…。


ブラジルの場合は個人あるいは家族単位での移住だったが、中国の場合は飯山さんの事業をベースにした集団移住なので、山東省あるいは近傍に、日本人のコミュニティが形成される可能性が高い。問題はその後であり、ブラジルの日系人のように、徐々に現地に溶け込んでいくのか、あるいは300万人の朝鮮系中国人が住んでいる、延辺朝鮮族自治州のように、日本人の自治州が形成されるのか、どちらになるのかは神のみぞ知るというところだろう。時間が許せば、このあたりも語り合ってきたい。

明日の早朝に青州へ向けて旅発つため、次回の更新は帰国する6日(木)以降の予定。では、行ってきます!

【追伸1】
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皇太子殿下に倣い、亀さんはアルピニスト・スタイルで、中国という巨大な〝山〟に挑んでくるつもりだ。

【追伸2】
外国に行く場合、必ず機内で入国書類を記入しなければならない。中国は初めてなので、どのような入国書類なのか知りたくネットで検索したところ、以下のわかりやすい説明動画を見つけた。流石にネット時代であり、亀さんの若い頃と違う…。

同動画を見ていて気づいたのだが、中国での滞在先を書く項目がある。そこで「Hotel Qingyun(<ホテル慶雲)」と書くことにした(笑)。
http://www.ana.co.jp/wws/de/j/asw_common/airinfo/guide/tao/video.html

【追伸3】
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http://toneri2672.blog.fc2.com/blog-entry-1241.html#comment

え~~っ、中国のトイレにはトイレットペーパーが無い…(唖然)

知らんかった。急ぎトイレットペーパーを一個バックに放り込んだ。「中国嫁日記」、一時は熱心に見ていたが、最近は見ていなかった。中国人の心を知る意味で、再び見ていきたい。

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http://blog.livedoor.jp/keumaya-china/archives/51103574.html


青州へ赴く(8)
青州への旅発ちが明後日に迫った。そんな折り、今日発行の世界戦略情報誌『みち』の校正を、昨日お手伝いしたのだが、興味深かったのが黄不動さんの以下の記述であった。

支那民族の底に流れる宗族、幇会の認識も忘れてはならない。蒋介石父子が最古最強の結社に属していた事実は案外知られていないが、これを正視することが東支那海の安定にも繋がると思われる。


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「栄三姉妹」および「蒋介石(左)と孫文(右)」

この行を目にした時、脳裏に浮かんだのが孫文、そして栄家三姉妹であった。次女の栄慶齢は孫文の妻となり、三女の栄美齢は蒋介石と結ばれている。つまり、孫文と蒋介石は義理の兄弟であった。ちなみに、長女の栄靄齢は、孔子の直系子孫の孔祥熙と結婚している。

「蒋介石父子が最強の結社に属していた」という黄不動さんの記述で、咄嗟に思い出したのが孫文であり、孫文の父も三合会(広東最大暴力団)のトップであった。人民網も孫文と結社の関係について言及している。
辛亥革命にかかわった歴史上の人物

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さて、黄不動さんが仰せの「支那民族の底に流れる宗族、幇会の認識も忘れてはならない」だが、初めての訪中を明後日に控え、現在精力的に読み進めているのが、『小室直樹の中国原論』(小室直樹 徳間書店)である。小室直樹も中国を解くキーワードとして、宗族と幇を同書の中で取り上げているのだ。

中国社会の経緯は、タテの共同体(Gemeinde - ゲマインデ)たる「宗族」と、ヨコの共同体たる「幇」である。
『小室直樹の中国原論』p.5


また、幇と『三国志』を結びつけ、小室直樹は以下のように語っている。

『三国志』こそ、中国的人間関係を理解するためには、まことにこよなき教科書かな。
毛沢東は『三国志』を熟読した故に人民革命に成功し、蒋介石は『三国志』を読まなかった故に大陸を失ったのだという説があるが、まことに宜なるかな。

『小室直樹の中国原論』p.21


そして、中国を理解するには幇の理解が不可欠と、小室直樹は結論づけた。

幇の理解は、日本人にとってもアメリカ人にとっても、困難に絶する。
しかし、幇の理解こそ中国理解の急所である。中国人とつきあう秘訣もここにある。

『小室直樹の中国原論』p.48


ご参考までに、小室直樹の『三国志』観を示す行を、『中国共産党帝国の崩壊』からも探し出し、拙稿「紅迷」で引用しているが、本稿でも再掲しておこう。

三国志に通暁したらたいしたもの。中国の革命とはこんなもんだ。それがわかってしまう。p.153

三国志を心して読むと、今の中国の行く末も予測できるというものだ。p.166


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亀さんは柴田錬三郎の訳した三国志、『英雄 生きるべきか 死すべきか』(上・中・下の各巻)を、若い頃に一度読んだっきりである。一方、現在青州を訪問中の堺のおっさんの場合、10回は三国志を読み返したと掲示板「放知技」に書いていた。だから、堺のおっさんの方が深く中国を理解できるはずだ。

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