明日からは10月だというのに、ここ数日はランニングシャツ一枚で、パソコンに向かって仕事ができるほど暖かい、というか蒸すほどだ(この異常気象の元凶はフクイチなのだが、今回は割愛)。だからなのだろう、亀さん家の乳酸菌は元気も元気、ペットボトルの頭をナデナデするだけで、今にも乳酸菌が勢いよく吹き出してきそうだ(爆)。この乳酸菌について、掲示板「放知技」に以下のような投稿があった。http://grnba.bbs.fc2.com/reply/15862681/259/ 乳酸菌は確かに〝生き物〟なので、愛情を注いで培養すれば、それなりに応えてくれるとする物の見方考え方は、日本人には違和感がないはずだ。ところが、日本列島から一歩外に出ると、ガラリと様相が変わるのであり、そのあたりを如実に物語っているのが以下の記述だ。生きている乳酸菌の培養には,繊細な気づかいが出来て,日本語の微妙な言い回しが分かる日本人が一番なのだ!汚水処理場の管理棟がホテルになった!
この「日本語の微妙な言い回し」こそ〝やまとことば(大和言葉)〟に他ならず、中国で乳酸菌を核に事業を展開中の飯山一郎さんに言わせれば、日本語に堪能なはずの中国人の通訳者ですら、的確に訳せないのが〝やまとことば〟なのだと言う。なるほどと思い、亀さんも掲示板「放知技」に以下のような投稿を行った。日本で生まれ育った人でないと、〝やまとことば〟を真底から理解できないはずです。そして、〝やまとことば〟を母語に持つということは、とりもなおさず母親から〝やまとことば〟の子守歌を聞きながら育ち、近所の同い年の子どもたちと、〝やまとことば〟を交わしながら日が暮れるまで遊び回り、進学してからは〝やまとことば〟で教育を受けてきたことを意味します。そのようにして身につけた〝やまとことば〟は、その人の分身、もう一人の自分に他なりません。そして、我々は普段空気を意識することないように、魚が水を意識することのないように、普段は〝やまとことば〟を意識することがないのも、当然と言えば当然です。 話を端折って結論を申せば、〝やまとことば〟の子守歌で育ったのでない限り、〝やまとことば〟を心の奥底で分かるということは不可能です。 http://grnba.bbs.fc2.com/reply/15862681/275/
だが、ここで思い出さなければならないのは、渡辺京一氏の著した『逝きし世の面影』である。拙稿「蘇るのか、逝きし世の面影 」で同書の一部を引用しているが、考えさせられた行だったので本稿でも再掲しておこう。われわれはまだ、近代以前の文明はただ変貌しただけで、おなじ日本という文明が時代の装いを替えて今日も続いていると信じているのではないだろうか。つまりすべては、日本文化という持続する実体の変容にすぎないと、おめでたくも錯覚して来たのではあるまいか。 『逝きし世の面影』p.10
以下の拙稿も併せて再読していただけたら幸いだ。エバレット・ブラウンの見た日本 【追伸1】 中国語の達人さんから、中国語のスパルタ教育第三弾が届いた。あいさつ中級編とのこと。大分上達したような気持ちになった…。「吃飯了嗎? (ご飯食べた?)」使用法は「もうかりまっか」「ボチボチでんな」的な感じです。初対面の人には使いませんが、友人知人やスーパーのおばちゃんなど、現地に住み始めて地元の人に声をかける時に有効です。
【追伸2】 海外で生活しているという読者から、以下のような切実な提言が届いたので、一部を訂正の上、公開する。乳酸菌に興味のある方は、思い切って飯山先生の所で新しい人生を歩んで欲しいと強く思います。今まで全く海外との接点が無い人が、こんなに良い条件で移住出来るのは飯山先生プランのみです。ご高齢の親御さんが心配な方が多いようなので、飯山先生にお願いして、ご両親と一緒に移住出来るプランが出来ると良いのですが。多分、部屋は沢山あるはず+乳酸菌を使った医療も出来るはず+毛社長の財力で乳酸菌医療研究所くらい出来るはず、と、飯山先生にお伝え下さいませ!
貴重な提言、大変有り難い。今回の短期の滞在で、飯山さんや毛社長と何処まで語り合えるのかは分からないが、親の問題さえクリアすれば、思い切って第一歩を踏み出せる人も多いことから、話の流れによっては語り合ってきたいと思う。また、今回の訪中の展開次第では、今後も青州に幾度か足を運ぶかもしれない。【追伸3】 その他にも数名の読者から、「道中お気をつけて」とか、「土産話を楽しみにしている」といったコメントが寄せられた。合点承知の助!
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