
昨日は仕事を早めに終えることができたので、小室直樹の『中国共産党帝国の崩壊』(光文社)を再読してみた。読み終えた上での同書に対する感想だが、相変わらず社会科学というメスさばきには目を見張るものがあり、中国という国の本質を物の見事に抉り出してみせるあたり、敬愛する碩学の本だとつくづく思った次第である。だが、一方で学者としての小室直樹の限界が、浮き彫りになった本でもあった。
『中国共産党帝国の崩壊』が発行されたのは1989年9月30日と、今から四半世紀ほど前である。その当時の小室は書名が示すように、中国が崩壊すると予言していたわけだが、今日に至ってみれば小室の予言が外れたことは明らかである。1988年3月に発行した『ソビエト帝国の崩壊』(光文社)では、ソ連の崩壊を当てているだけに、何故に小室は中国については予言を外したのか、関心のある読者も多いことだろう。このあたりは、『中国共産党帝国の崩壊』の冒頭の小節、「中国の崩壊は中華人民共和国成立の日から始まった」を一読すれば一目瞭然なので、少々長くなるものの、以下に同小節の全文を引用しておこう。
中国の崩壊は中華人民共和国成立の日から始まった 一九四九年十月一日午後三時。毛沢東は中華人民共和国の成立を宣言した。北京、天安門上。 奇蹟。 何人も想像を絶することである。 中国革命について、スターリンは最後まで危倶をいだいていた。まさか毛沢東が革命に成功しようとは。スターリンには信じられない思いであった。 アメリカにとってもそれはまさかである。 一九四五年八月、日本軍が降伏して、第二次世界大戦が終結したとき、蒋介石の国民党軍は、毛沢東の共産軍にくらべて、いや、くらべようがないほど圧倒的に優勢であった。 兵力は四百五十万に近かった。米軍装備をもつ兵団だけでも二百万以上。 共産軍は百万そこそこ。日本軍から接収した銃剣をもっていればいいほうで、それすらもっていない貧弱武装の兵隊も多かった。 蒋介石軍は大戦中、日本軍に最後まで連戦連敗であったので、アメリカの信用を失っていた。 蒋介石ってなんて弱いんだろう。また、蒋介石の軍人と官僚が腐敗していること。これもアメリカはよく知っていた。 しかし、それにしても共産軍に負けるとは、アメリカもスターリン同様信じられない思いであった。 陸軍の兵力と装備において、比較にもなんにもならないほど優勢であっただけではない。蒋介石には空軍……近代戦においては決定的た意味をもつ……があった。共産軍には皆無。 そのうえ、アメリカは蒋介石に二十億ドルも援助をした。まさかと思ったけど念のためか。 スターリンは毛沢東に援助といえるほどのものは与えなかった。 蒋介石は正規軍であった。これに対し、毛沢東の共産軍は百姓一撲に毛が生えた程度の農民軍。 一九四九年十月一日の天安門。 毛沢東にとっても中華人民共和国にとっても絶頂。 ここまでは栄光の歴史。これ以後は崩壊の歴史。 そして、かの天安門事件。 中国観が一変した。 欧米諸国の中国に対する評価もガラリと変わったが、日本の中国評価の変わりようといったらなかった。それまで、欧米の所謂中国専門家だけでなく、その他大勢の中国ウォッチャーたちは、おおむね、中国の自由化に期待をいだいていた。 ブレジンスキー・元アメリカ大統領補佐官など、中国経済の未来に関して、今となっては想像もできないほど楽観していた。彼はなんと、中国の経済成長のスピードは、NIES諸国に勝るとも劣らないとまで予測していたのだ。もしそうだとすれば、二十年後には中国の経済力は世界第三位にはなる。そうなれば、政治の自由化にだって希望がもてよう。 笑ってはいけない。 こんな妄想をいだいていたのは、ブレジンスキーのようなオッチョコチョイだけではなかった。偉大なる外交家キッシンジャーの意見も、これとそう隔たったものではなかった。キッシンジャーは、将来における中国の軍事的脅威にとくに注目していた。人民解放軍侮りがたし、と評価していたのだ。 あの人や、この人や。 彼らの意見を正確に引用すると、少しまわりくどくなる。読みにくくもなる。 が、一言で言い尽くせば、ソ連経済はほとんど絶望的である、が、中国経済には希望がある。 こう思い込んでいる人が多かった。 そしてさらに、中国経済に余裕ができてくれば、政治的自由化も得られるであろう。 こんな図式を、当然のごとく前提にして、中国を考えている人が多かった。 鄧小平の経済開放政策は、西側諸国に、かなり大きな好意を育んできていた。 アメリカは、まだ、中国を全面的には信用してはいなかった。が、巧妙な政策を施せば少しは手懐けることができるのではあるまいか。 アメリカの対中政策は、対ソ政策とは自ずから異なったものとなってきていた。 日本の中国に対する信用の程度は、アメリカよりもずっと大きかった。日本の対中経済援助は群を抜いて第一位。大方の世論も郵小平の開放政策を高く評価していた。中国は変わった。だから、中国のためにできるだけのことをしてあげなければ。 これらの意見や態度が、天安門事件の結果、一変した。 この意味においてだけでも、ソ連のアフガニスタソ侵略にも比すべきか。古い例も思い出しておけば、スターリン批判、ハンガリー事件、毛沢東批判など。いや、これら以上の画期的事件であろう。 人民軍が人民に発砲した。人びとはこう言って戦懐した。朝野は震憾した(全世界がブルブルブル)……後に敷衍(詳しい説明)するが、この認識は実は正しくない。 ソ連は、東ドイツ、ハンガリー、チェコスロバキアにおいて人民を虐殺した。天安門事件はソ連の暴挙にもまして天地ともに許さざるところである。自国の国民を虐殺したのだから。 中国に対する評価は泥に塗れた。血に塗れた。 『中国共産党帝国の崩壊』p.14~17
若い読者には奇異に映るかもしれないが、かつての日本人の中国に対する態度は、それはもう下へも置かぬもてなしぶりであった。だから、中国のことを批判しようものなら、当時は周囲から袋叩きにあったものである。ところが、小室も書いているように、天安門事件を堺に状況は大きく変わった。
まぁ、天安門事件が境目になったという〝事実〟はその通りなのだが、〝真実〟は違う。つまり、天安門事件の黒幕に思いを致さないことには、天安門事件の〝真実〟(本質)に迫ることはできないということなのだ。そして、天安門事件の黒幕は、イラン戦争(2003年、イラク)、バラ革命(2003年、グルジア)、オレンジ革命(2004年、ウクライナ)、チューリップ革命(2005年、キルギス)、リビア内戦(2011年)、クリミア・東部紛争(2014年)、シリア内戦(2015年)でも暗躍していたのである。おっと、もう少しで肝心なことを指摘するのを忘れるところだった。それは、ソ連を誕生させたのも、この黒幕であったという〝真実〟である。 http://www.nextftp.com/tamailab/etc/warring_factions.pdf
拙ブログでは「天安門事件とは何だったのか」と題した記事を書いており、その中で亀さんは以下のように書いた。
ロシアと組んで軍事力でアメリカを圧倒し、覇権が中露に移行してしまった今日を考えるに、天安門事件の時に中国共産党の息の根を止めておくべきだったと、今頃アメリカは後悔しているのてはないだろうか…。
ここで、上記の小節に引用した小室直樹の以下の記述を思い起こしていただきたい。
ブレジンスキー・元アメリカ大統領補佐官など、中国経済の未来に関して、今となっては想像もできないほど楽観していた。彼はなんと、中国の経済成長のスピードは、NIES諸国に勝るとも劣らないとまで予測していたのだ。もしそうだとすれば、二十年後には中国の経済力は世界第三位にはなる。そうなれば、政治の自由化にだって希望がもてよう。 笑ってはいけない。 こんな妄想をいだいていたのは、ブレジンスキーのようなオッチョコチョイだけではなかった。偉大なる外交家キッシンジャーの意見も、これとそう隔たったものではなかった。キッシンジャーは、将来における中国の軍事的脅威にとくに注目していた。人民解放軍侮りがたし、と評価していたのだ。
つまり、間違っていたのは小室直樹の方で、正しかったのはブレジンスキーやキッシンジャーの方であったことが、今にして分かるのだ。だからこそ亀さんは、「天安門事件の時に中国共産党の息の根を止めておくべきだったと、今頃アメリカは後悔しているのてはないだろうか」と書いたのである。
ところで、『中国共産党帝国の崩壊』の書評を書いた、「Ddogのプログレッシブな日々」というブログは、小室直樹の中国経済の予言が外れたことについて、以下のように述べている。
小室先生は中国崩壊を予言したのが、南巡講話前であったので、予言が外れたのではない。 http://blogs.yahoo.co.jp/ddogs38/39949389.html
しかし、小室直樹の予言で外れたのは、何も中国の経済だけではない。中国の軍事についても、予言が外れたのである(今日では中露がアメリカを軍事力で圧倒するようになり、今年に入って覇権がアメリカから中露に移行した)。
ここで瞠目すべき中国についての考察は、矢部宏治氏が『戦争をしない国』に見せた以下の記述である。少々長くなるものの、中国という国を知る上で重要なので、以下に全文を引用しておこう。矢部氏の文章に、小室直樹の予見が外れたもう一つの理由が、示されているのにお気づきだろうか…。
「中国というのは近い国ですね。日本人として、中国は非常に重要な国だと思います」 「歴史的に見てみると、日本の文化というのはずいぶん中国の恩恵を受けているわけですね。中国からあるものを受け入れて、日本の文化というものが形成されてきたわけです。そういう歴史的な過程というものを十分知っておくことが、(略)これからの中国との付き合いの基本になるんじゃないかと思います」 昭和53年(1978年)8月10日/明仁皇太子殿下による夏の定例会見
地政学という言葉があります。ある国の政治的・軍事的なポジションは、主にその国のもつ地理的な条件によって決定される。そういう視点から国際関係についての研究をする学問です。そうした見方からすると、現在の日本の地政学的特徴は非常に単純です。なぜならそれは、「アメリカと中国のあいだ」と、ひとことで表現することができるからです。 かつてローマ帝国が地中海を「われらが海」と表現したように、アメリカは第二次大戦の勝利によって日本を手に入れ、そこに基地をおくことで、太平洋を「アメリカの湖」とし、唯一の超大国の地位を確立することに成功しました。 しかしその状況は、いま、大きく変化しようとしています。 私が15年前に仕事をした世界的歴史学者、オックスフォード大学の故J・M・ロバーツ教授は、大著『世界の歴史・日本版』(全10巻創元社)のなかで、こんなことを書いています。 <中国の帝政を終わらせた「20世紀の中国革命」は、フランス革命よりもはるかに本質的な意味で、新しい時代の始まりをつげる出来事でした。(大9巻)> <世界の歴史全体から見ても、その重要性に匹敵する出来事は「7世紀のイスラム教の拡大」と「16世紀以降の近代ヨーロッパ文明の世界進出」以外には見当たりません。(第10巻)> 本当の学問がもつ方とはすごいものです。この原稿をもらった2001年、私はこの文章の意味がまったくわかっていませんでした。もしきちんと理解していたら、その後、株で大儲けすることができたでしょう(笑)。この直後から、中国の猛烈な経済成長が始まったからです。 つまりロバーツ教授は、人類の文明史全体を見わたしたうえで、現在の世界を「近代ヨーロッパ文明の時代から、新しいアジア文明の時代への転換期」と位置づけているのです。 ロバーツ教授によれば、その新しい時代の主役である中国のもっとも大きな地政学的特徴 は、西側の国境が険しい山脈によって外の世界と遮断されていることだそうです。(第5巻) だから16世紀に突如、世界に進出し始めた西洋文明が、世界最大の経済大国である中国にアクセスするためには、東側の太平洋側から上陸するしかなかった。そのとき決定的に重要な意味をもつことになったのが、中国の東の海上に浮かぶ、南からフィリピン、台湾、沖縄、日本という島国だった。この地政学的な関係は、500年前から変わっていないわけです。 たとえば1582年、日本での布教経験をもつイエズス会の宣教師ヴァリニャーノは、当時スペイン帝国領だったフィリピンの総督に対し次のような内容の手紙を書いています。 <日本は国土が貧しく、国民は勇敢で、つねに軍事訓練を積んでいるので征服には不向きです。しかし中国における皇帝陛下の希望(=植民地化)をかなえるには非常に役に立つでしょう>(一部要約) このように西洋文明の拡張主義者の中には、日本を使って中国を攻撃しようという勢力(軍産複合体)が昔からつねに存在する。その誘導にだけは、絶対にのってはならないのです。 中国と日本を分断し、対立させるために、これまでさまざまなトリックが考えだされてきました。その代表的なひとつがハンチントンの「8大文明説」という大ウソです。 よく考えてみてください。どうして西ヨーロッパやアメリ力、オーストラリアが全体で「西欧文明」というひとつの文明なのに、日本は一カ国だけで「日本文明」を形成しているのか。 文明とは、民族の垣根を越えて、多くの人びとが生命と社会を維持していくためのシステムのことです。はしで米を食べ、着物をオビでしめ、中国にまねて都を作った日本の、いったいどこが「独自文明」なのでしょう。 アメリカと軍事的に敵対することは、日本にとって破滅を意味します。それはすでに歴史的に証明された事実です。しかし、19世紀初頭まで、世界のGDPの50%以上はつねに中国とインドが占めていた。そして2050年のアジアのGDPも、世界の50%を占めるという推計があります。日本の未来がアジアとの経済的な融合にあることは、だれの目にもあきらかです。 だからアメリカを排除せず、彼らにも十分な利益をあたえる形で、平和的なアジアの経済発展をめざしていく。だれがどう考えても、それ以外に道はないのです。 『戦争をしない国』p.63~65
今回は小室直樹の限界という辛口の批評になってしまったが、一方で『中国共産党帝国の崩壊』は、中国の本質に肉薄できる良書でもある。よって、再来月に中国へ渡航する前に、再び同書を叩き台にした記事をアップしたいと考えている。
|