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人生は冥土までの暇潰し

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人生は冥土までの暇潰し
亀さんは政治や歴史を主テーマにしたブログを開設しているんだけど、面白くないのか読んでくれる地元の親戚や知人はゼロ。そこで、身近な話題を主テーマに、熊さん八っつぁん的なブログを開設してみた…。
玉井さん、お久しぶり…(2)
玉井禮一郎さんが住職を務める光寺は、神奈川県大和市にある。昨日、2年ぶりに同寺を訪れたが、玉井さん本人とは都内でも幾度かお会いしている。

さて、昨日は半日にわたり貴重なお話を伺ってきたので、以下に簡単に報告しておこう。

■八咫烏
仏教に関しては、天台宗から日蓮宗、さらには日蓮宗から派生した創価学会と顕正会に加えて、日蓮宗を深く信仰していた石原莞爾についても、あらゆる角度からお話を伺ってきた。

経典に関しては、主に法華経と般若心経について色々と尋ねてきた。今東光の仏教についての知識をついても尋ねてみたのだが、今東光は天台宗については確かな学識があると、玉井さんも認めていたものの、玉井さんのテリトリーでもある日蓮宗については、流石の今東光も理解が浅いと言わざるを得ない点があるとのことだ。また、法華経についての今東光の解釈についても、玉井さんの解釈と異なる点が数多くあると云う。

ここで、石原莞爾を取り上げたい。以下の写真に写るのは玉井さん本人と、エドガー・ケイシーの生まれ変わりと自他共に認めているウィルコックである。注目すべきは右上の額縁であり、実は石原莞爾の直筆だ。石原莞爾は色紙の類は滅多に書かなかったことで有名なだけに、非常に貴重なものと云えよう。そして、上側に大きな文字で書かれたのが「八咫烏」である。この八咫烏を巡って、神武天皇、石原莞爾、さらには日本サッカー協会にいたるまで、玉井さんの話は多岐にわたったのだった。石原莞爾が日蓮宗に深く傾倒していたことは知っていたが、玉井さんの話を聞きながら今後は八咫烏を絡めて石原莞爾を調べてみたいと思った次第である。そして、何か発見があれば本ブログで公開していくつもりである。

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なお、過日の「立正安世論II」と題する記事にも書いたとおり、玉井さんの著した『立正安世論II』の第二章は仏教の本質を衝いた貴重な章なので、玉井さんと話しあった結果、近く拙ブログで公開することにした。加えて、二章以外も公開しても構わないと言っていただいているので、時間が取れ次第順次公開していきたいと思う。

ちなみに、以下はコックの著した『The Reincarnation of Edgar Cayce?』である。

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■花と龍
数日前に親戚の法事に出た折り、青梅市に居を構える伯父の隣に座ったことから遠祖の話になった。聞くところによると、伯父の遠祖は北条氏の流れとのことだった。多分、落人として小田原から青梅に逃げ込み、住みついたのだろう。そうしたこともあり、玉井さんの遠祖について尋ねてみたところ、ナント源頼朝の弟の源範頼が遠祖にあたるのだという。さらに、近世では玉井さんと火野葦平が遠縁同士にあることを教えていただいた。因みに、火野葦平が著した『花と龍』は、火野の父親・玉井金五郎が実名で主人公として登場する長編小説である。ともあれ、玉井金五郎から見れば玉井さんは傍流とのことだ。なお、以下の写真は玉井金五郎で1936年頃の撮影である。

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玉井さん、住職でありながら任侠心を解する珍しいお坊さんだと思っていたが、玉井金五郎との結び付きを知り、なるほどと思った次第である。なお、『花と龍』は映画にもなっているとのことで、機会があれば見てみよう。

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■手許に置きたい良書
光寺を訪れるときは、重たいが必ず大量の本を持参し、それらの本を叩き台に語り合うのを常としている。語り合いを終えると、玉井さんが特に興味を示した本を後にプレゼントしている。昨日持っていた本で、玉井さんが是非手許に置いておきたいと言ったのは以下の三冊である。

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また、玉井さんに関して今までに拙ブログに書いてきたので、関連記事をプリントしてお渡ししたところ、そこからも話が色々と展開し、多くの情報を得た。機会があれば折に触れて取り上げていきたい。
小野田寛郎の実像に迫る
公明党の平和主義
正統天皇と日蓮
玉井さん、お久しぶり…

なお、以下は『ウクライナ危機の実相と日露関係』について語り合っていた時、話題になったテーマと関連するYouTubeである。



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医者に殺されない47の心得
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昨年の夏、『大学病院が患者を死なせるとき』と題する本を読み、著者・近藤誠博士の生き様に共鳴した亀さんは、「大学病院が患者を死なせるとき」という記事を書いたのだが、次のステップとして同氏の実際の治療方法や健康に対する考え方は、具体的にどのようなものなのか知りたいと思っていた。そんな折、数日前の法事の帰りに寄ったブックオフで、『医者に殺されない47の心得』を入手、昨日一時間ほどをかけて速読してみた。

読後感だが、飯山一郎さんの乳酸菌・あらびき茶を実践し、今村光臣先生のブログ「養生法の探求」に深く共鳴する身として、近藤氏の医学界に対する批判精神は高く評価できるものの、一方で同氏の健康についての考え方には西洋的な物の見方・考え方の影響が色濃く影を落としているのを知った。だから、『医者に殺されない47の心得』の目次にもある、「47の心得」の9割以上に賛同するものの、残り1割弱は賛同できなかった。そうした賛同できなかった「心得」を以下に簡単に羅列しておこう。

心得2 「老化現象ですよ」と言う医者は信用できる
この「心得2」そのものは賛成なのだが、説明にある以下の記述…、

コレステロールは細胞を丈夫にするので、「減らさない」ことが大切です。日本人はコレステロールが高い人ほど長生きです。お金が許す範囲でステーキ、トロ、イクラなど、好きなものを食べましょう。糖質も、とりわけ脳にとって大事なエネルギー源です。おいしいものを食べる喜びは生きる意欲につながり、長生きします。(p.29)


う~ん、飯山さんの乳酸菌ヨーグルト+あらびき茶と、近藤先生のステーキ・トロ・イクラの間で、亀さんの心が当分の間は揺れそうだな(爆)。

心得15 がんの9割は、治療するほど命を縮める。放置がいちばん
この「心得15」はその通りだと思うが、一方でブログ「養生法の探求」で言及している今までにないがんの考察について、近藤博士はどう思うのだろうか…。

心得28 ピンピン100歳への体づくりは「毎日タマゴと牛乳」から
近藤博士は、西洋的な食事法・健康法の考え方に囚われている。むしろ、タマゴや牛乳を極力避けるべきだ。

心得30 コンブやワカメを食べ過ぎるとがんになる
船瀬俊介氏の『やってみました! 1日1食』(三五館)について、「まるで行者…」と題した記事で書評を載せたことがある。そして、確か船瀬氏はコンブやワカメを大量に食べているといった、記述があったのを朧気に覚えている。亀さんも船瀬氏ほどコンブやワカメを食べているわけではないが、それでも週に二回前後は食べている。ともあれ、毎日食べても大丈夫という船瀬氏に対して、近藤博士は食べ過ぎはいけないと真逆の説を唱えている。果たして、船瀬氏と近藤博士のどちらが正しいのか…。

心得32 「高血圧に塩はダメ」はウソ。自然塩より精製塩のほうが安心
なぜ、近藤博士がこのような考え方をするのかは分からないが、むしろ精製塩より自然塩の方が安心なのだ。2週間前に都内で開催されたまほろば会で、安西正鷹さんが三月度の安西ファイルの解説を行ってくれたのだが、大麻同様に深く関心を寄せているのが塩であると安西さんは語っていた。そのあたりに安西さんが気づいたのは、伊勢神宮を訪れ、お土産屋で塩に接した時とのことであり、大麻同様の深い意味が塩にあると悟ったからだという。ご存じのように塩は神事に深く関与しており、古来から日本人は自然塩を使ってきた。

また、飯山一郎さんが推奨する乳酸菌をつくる場合も、精製塩では全くだめで自然塩でなければつくれない。本当かどうかは知らないが、飯山さんは自然塩だけをおかずに食事をすることがあると、ぽんぽこ笑店が送ってくれた自然塩のサンプルの袋に書いてあったんだが、ホンマかいな(爆)。また、川田薫先生が自著『生命の正体は何か』で、人体にミネラルは不可欠であり、生命の誕生に重要な役割を果たしてきたのがミネラルだったと喝破されているのだが、そのミネラルを豊富に含んでいるのが自然塩なのだ。

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心得44 100歳まで働き続ける人生設計をする
『医者に殺されない47の心得』が発行されたのは、2012年12月19日とあり、福島原発事故から2年近くが経っていることが分かる。だから、もし近藤博士が福島原発事故の実態を把握していれば、このような記述になるはずがないのだが…。人生百年どころか、これから日本の人口は一気に激減するはずだ。

死ぬと心はどうなるのか


上記のYouTubeの冒頭で、今東光和尚と若者との間で以下のような問答が交わされており、拙記事「人間死んだらどこ行くんですか?」でも紹介した。

若者:人間死んだらどこ行くんですか?
和尚:知らねぇよ俺も はり倒すぞ!
若者:じゃあ天国はあるんですか?
和尚:それも行った事ねぇから分かるかい…。


「知らねぇよ俺も」とトボける和尚だが、一方では「神仏といった人間を超越した存在を信じられない奴は、人として詰まらねぇ野郎が多い」と、確か極道辻説法シリーズだったと思うが、和尚が発言していたのを今でも覚えている。

そこで思い出したのが先週NHKで放送していた、「死ぬと心はどうなるか」と題するシリーズ(3回)だ。立花隆の最新の臨死体験観について取り上げたシリーズであり、同番組の詳細については以下の記事が最も詳しい。
立花隆氏が再び「臨死体験」の解明に挑む

同記事にも書いてあることだが、世界でもトップクラスの脳神経外科医であるアレキサンダー博士は、実際に臨死体験をしており、その時に「見知らぬ女性と出会い心から慰められた」と語るシーンがある。臨死体験の最中は女性が何者か全く見当の付かなかった博士だったが、死の淵から生還した後に調査したところ、それまでに存在していることすら知らなかった、すでに他界していた実の妹であることが判明したという。

博士が〝嘘〟を言っているのでもない限り、立花隆が番組で紹介していた数々の最新の科学研究を以てしても、アレキサンダー博士の臨死体験を解明できないことは容易に察しが付くし、だからこそアレキサンダー博士の臨死体験について、立花隆もNHKも深追いしなかったのだと推測できるのだ。その意味で、中途半端な番組となったのは残念である。

最後に、同番組で最も印象に残ったシーンが、死後の世界を信じるようになったムーディ博士と、立花隆との23年ぶりの再会のシーンであり、ムーディ博士と対話をしている立花隆を見て、今東光和尚だったら立花隆に対して、「お前は詰まんねぇ奴だなぁ」と罵倒していたのに違いないと思った。

迫り来るXデー
以下は、日本の近未来を的確に予測したブログ記事である。

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http://www.k2o.co.jp/blog2/2015/03/nhk93320.php

上記記事を書いたブログ主は新井信介氏といい、新井氏が自身の講演会である皆神塾に、乳酸菌を提唱している飯山一郎さんを数度招待していることから推測できるように、お互いに世界情勢について積極的に意見交換を行っている。だから、上記の「3月20日のフクシマ」という新井氏の記述については、飯山さんの「◆2015/03/22(日)  手に負えない状態になった!」で背景が明確に掴めるのだし、またドイツ航空機の墜落についても、飯山さんの「◆2015/03/26(木)  卑劣な行為しかできない戦争屋たち」といった記事を読めば、お二人ともかなり認識が一致していることが分かるのである。

さて、新井氏がブログで主張しているように、「冷静に現実をみれば、東京オリンピックどころではないです。列島の西に、生存拠点を持つべきでしょう」という記述の背景を、ここでしっかりと把握しておくべきだろう。つまり、福島原発の三号機にあった核燃料が、溶けた状態で今でも地下に沈下中であり、現在は柔らかい土壌を沈下中なので大きな問題は起きていないが、いずれは固い岩盤まで到達する。その時になって何が起きるか…、想定できる最悪のケースは、文字通り東日本の崩壊という大規模な核爆発だ。無論、そうはならないという別の予測も成り立つ。ともあれ、人類史上初めての体験になるので、何人も正確な予測ができない状態なのだ。以下は英文のサイトだが、東日本崩壊を連想させるサイトであり、辞書を傍らに置いて通読するだけの価値はある。
The Non-Battle of Fukushima …

寅さんのことば 第2部 49(最終回)

寅さんにお会いになったら、どうかよろしくお伝えくださいね。
第48作「寅次郎紅の花」


佐藤利明氏の「寅さんのことば」シリーズも今回で終わりという。残念だが仕方がない。その佐藤氏の結びのことばが胸を打つ。

寅さんが帰ってきたら、どうかよろしくお伝えくださいね。


一年間愉しませていただき、ありがとうございました。

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鬩ぎ合い
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今朝の東京新聞の第一面は、ある意味で対立する世界の二大勢力の〝代理戦争〟を示している。そのあたりの詳細は、拙稿「プーチンとオバマの〝人類益〟」でも紹介した、以下の飯山一郎さんの記述を再読していただきたい。

日本にとって不幸なのは、米国の戦争屋の大半が日本に逃げ込んできていることだ。

「グアム・ハワイまで前戦部隊をさせる!当然、沖縄からも撤退!」 これが米国政府の方針であるのに、米国の戦争屋たちは、日本に居残る作戦を展開中だ。

その一つが、辺野古での強引な「軍事作戦」だ。

辺野古だけではない。米国戦争屋は、種子島・馬毛島・奄美大島を巨大な軍事拠点にすべく…、強引な「軍事作戦」を進行させている。


◆2015/03/12(木)  スノーデンは世界を変え、日本も変えた。


ここで注意すべきは、アメリカは決して一枚岩ではなく、今や内戦状態にある国であるということだ。そして、反戦争屋のプーチンの流れを汲むオバマ大統領が徐々に戦争屋を追い詰めつつあり、その流れの一環として日本に逃げ込んできた戦争屋の一派、ビルゲイツによる軽井沢に建設中の〝別荘〟建設となった。ビル・ゲイツは、ジョージ・ソロスといった金融資本派、CIA、モサドといった戦争屋のお仲間である。

ところで、昨日紹介した『ウクライナ危機の実相と日露関係』に目を通し、以下の高野孟氏の発言に目が止まった。日本の大手マスコミにとって耳が痛いことだろう(尤も、もう痛さも感じなくなっているかも…)。

客観的に言って、僕は少なくともこういう言い方をしたい。プーチンの言うことにもう少し関心を振り向けて、注意深く聞くべきだと。要するに日本の新聞は、ありとあらゆる国際問題をアメリカ・ヨーロッパの視点で報道しますから、それで分かったつもりでいると、間違える。国民も間違えるわけだけれども、政府も聞違える。イラク戦争も、アフガン戦争も間違えた。ずっと間違えてきている。ウクライナでの制裁も間違えた。どうしてかと言うと、片方の言い分しか聞かないでそれが全てだと思い、反対の人はどう言っているのかを知ろうとしない。

この場合だどプーチンはどう言っているのかをクロスチェックすることが、自分の頭で考える出発点です。それが本当に、日本国民全般としてなかなか出来ない。必ず反対側からの視点をきちんと両方の材料を持って、そこから自分の頭で考え始めることを訓練して、習慣にしていかないといけないと思います。


ウクライナ危機の実相と日露関係
過日、一水会の木村三浩代表と交流の深い、民族派を代表するある識者にお会いし、主に日本を取り囲む世界情勢について、日本のマスコミやネットでは窺い知ることのできない、数々の貴重な情報を教えていただいた。その時、今日の日本で権力と真っ向から対峙しているのは、一水会の『レコンキスタ』、そして南丘喜八郎氏を発行人とする『月刊日本』の二誌のみだとその識者は語っていたが、亀さんもそのとおりだと思った。

その一水会の木村氏、過日の鳩山由紀夫元首相のクリミア行きに同行した一人だったのだが、同行については公にしてはいけない情報と思い、今日まで拙ブログでは取り上げることはしなかった。しかし、何のことはない、一水会で大胆に報告しているだけではなく、ブックレットまで出していた(笑)。この小冊の内容は同じく一水会のHPに案内が出ているので、関心のある読者は一読されると良いだろう(アマゾンは10~13日も待たされる。お急ぎの向きはジュンク堂が早い)。
ブックレット「ウクライナ危機の実相と日露関係」が発売されます

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それにしても、鳩山由紀夫が理事長を務める一般社団法人東アジア共同体研究所に所属する高野孟氏が、クリミアに同行したのは分かるにしても、今まで鳩山と木村を結び付けるものがなかっただけに、一水会の木村氏も同行したという話を耳にして、公にされていない、何等かの国益に結びつくミッションがあったのではと思っている。何故なら、ロシアは木村氏を高く評価しており、信頼を寄せている人物だからである。そのあたりについては、拙稿「ヴァルダイ会議でのプーチン演説」でも少し触れた。また、今年の『レコンキスタ』一月号で、駐日ロシア大使が新年の挨拶をのべていることからも、ロシアと一水会の繋がりは一目瞭然だ。

ここで、木村氏が鳩山元首相のクリミア行きに同行した日程をもとに振り返ってみるに、黒い貴族の構成メンバーの一人であるウィリアム王子、プーチン派であるオバマ大統領のミシェル夫人、同じくプーチン派のドイツのメルケル首相といった要人の来日に加えて、当初は中国が創設したアジアインフラ投資銀行(AIIB)への参加を否定していた安倍内閣が、ここへ来て“参加を検討する”という具合に態度を軟化させてきたこと、あのNHKに山本太郎氏が出演できたこと等、今回の鳩山・木村のクリミア訪問によって、何等かの地殻変動が起きつつあるのかもしれない。ともあれ当面にわたり、プーチン大統領と安倍首相の動きから目が離せなくなった。

ゆでガエル現象
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今朝の東京新聞の第一面である。安倍政権の太鼓持ちとなった産経新聞、権力の代弁者に成り下がった読売新聞と比較すれば、東京新聞は辛うじて権力と対峙する姿勢を残した、希有の存在と云えるかもしれない(『月刊日本』4月号の特集、「マスコミは安倍政権の走狗に成り下がった!」参照)。その東京新聞が連日のように戦争内閣への警鐘を鳴らし続けているのだが、世間は日本の軍国化にまるで無関心だ。そんな日本を見ていると、冷水の中に入れられたカエルの如く、水がゆっくりと温められているのにも気づかず、やがてゆでガエルになっていくといくのもやむを得ないと思えてくる。

さて、過日チュニジアのバルドー博物館で起きた襲撃事件、最も正鵠を射た情報を伝えていたのは、ブログ「櫻井ジャーナル」だった。
NATOとアルカイダが体制を崩壊させたリビアの隣国チュニジアでISの襲撃、その北にあるEUを脅す

襲撃事件の背景を明らかにしているだけでなく、イスラム国の正体も見事に炙り出している優れた記事なので必読だ。そして、同記事に納得できる読者であれば、過日紹介した東京新聞の記事「鳩山元首相 クリミア訪問 冷ややかロシアの待遇」(本稿の最後に再掲)も楽しめると思う。なぜなら、両事件の黒幕(戦争屋)が同根であるという察しがつくだけでなく、日本国内では〝ロシア専門家〟と思われている、二人の専門家の正体を見事に炙り出しているからだ。(御参考までに、ここで云う戦争屋の面々については、以下の記事で実名を挙げているので参照されたい)
情報筋:近いうちに米国でクーデターの可能性?!

一人は北野幸伯氏。同氏は地元ロシア紙は鳩山のクリミア訪問について、「こちらでは、全くと言っていいほど報じられていない。話題にもなっていない」と東京新聞に語っている。しかし、「ロシアの声」という地元のロシア紙で、鳩山元首相のクリミア訪問が大きく取り上げられているんだが…(爆)
モスクワで開かれた鳩山氏のブリーフィング

また、木村汎という北海道大学の名誉教授は、「(鳩山は)自己顕示欲を満たしたかっただけなんですかね」と語っているのだが、この発言は世界政治のダイナミズムを全く読み取れないという、同教授の視野狭窄ぶりをモノの見事に示している。

このように、〝ロシア専門家〟であるハズの北野幸伯氏や木村汎名誉教授の可笑しな発言の背景は、ブログ植草一秀の『知られざる真実』の以下の記事を読めば納得できよう。
鳩山元首相への激しい攻撃は巨大影響力の証し

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寅さんのことば 第2部 48

俺とこの女は生まれる前から、運命の不思議な赤い糸で結ばれているんだよ。
第48作「寅次郎紅の花」


渥美清の最後出演となった第48作「寅次郎紅の花」は、ろうそくの最後のゆらめきの如く、まさに燃え尽きようとする渥美清の命を映し出した作品だった。

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ところで、第48作「寅次郎紅の花」の上映は1995年12月23日だったが、そのほぼ4年前の1991年10月12日、同じ山田監督の手によって映画「息子」が公開されている。同映画を観ながら、永瀬正敏演じるバカ息子の浅野哲夫が、あまりにも亀さんの若い時にそっくりなので、初めて同映画を観たときは唖然としたものだった。

以下は東京は下町にある小さな鉄工所の休憩室のワンシーンで、その鉄工所にアルバイトとして雇用された哲夫が初日の仕事を終えて帰宅した後、残っていた同鉄工所の古参の社員3人が、「今日の兄ちゃん(哲夫)が明日出社するかどうか」を賭けているシーンだ。

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あの兄ちゃんが明日、出社するかどうかを賭ける三人…

なぜ、このシーンが印象に残ったかというと、亀さんも哲夫のように正規・バイトを含め、20職種ほどの仕事を転々としたことがあるからで、長期にわたるバイトをしていた時、一日来て翌日はもう来ないという人間を沢山見ているからだ。むろん、映画を見ている観衆は明日も間違いなく哲夫が出社することを知っている。何故なら哲夫はその日、鉄製品を納入する先の工場で、和久井映見演じる川島征子と運命の出会いをしているからだ。

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初めて会った征子を見て、口をあんぐりの哲夫

しかし、今では哲夫よりも三國連太郎演じる父親の浅野昭男に、寧ろ感情移入するようになった自分がおり、改めて映画「息子」の上映から四半世紀近くの時間が流れていることを思い知ったのである。

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安西ファイル 大麻編02
以下は、先月下旬に発表された「安西ファイル」の大麻編の【ポイント】である。

【ポイント】
・神々は物質文明から精神文明への移行を数千年前にプログラムしていた。前回の精神文明から今の物質文明への移行の際に、意図的に隠してきた(完全な抹殺・消滅に見せかけた秘匿・温存であることが重要)。いま、『約束の時」が到来し、言霊ラ行の作用によってアラハバキ神を発動させて世の中の表層を半ば強引に一掃することで、埋没していた前回の精神文明で築いた遺産を再び表舞台に浮上させることになっている。
・近年の遷宮ラッシュは、「約束の時」の到来を告げるために暦に組み込まれていたプログラムの一環である。新文明建設が本格化し、分化・対立から統合・融和への移行が進むだろう。また、表舞台で活躍していたものと、裏舞台で眠りについていたものとの間で入れ替わりが行われる。
・この世(人間界、三次元世界)だけでなく、あの世(霊界・神界、多次元世界)もその例に漏れない。最近、神界ではアラハバキ神やニギハヤヒが徐々に輪郭を顕し始めた。また、日本神話の天の岩戸開きは偽物であったが、それに伴い歪曲されてきた『古事記』の三貴子(アマテラス、ツクヨミ、スサノオ)の役割が是正される。これからいよいよ本物の天の岩戸開きが行われ、ニギハヤヒが正統な神として復活し、表舞台に鎮座する。
・抑圧され続けてきた大麻は、文字通り噴出するがごとく近年急速に脚光を浴びているが、これはアラハバキ神のはたらきを如実に表す象徴的存在である。
・いま、世界中で大麻をめぐって推進派と反対派が熾烈な戦いを繰り広げている。反対派は「約束の時」が到来したことに気付いていないか、気付いているとしても無視を決め込んでいる。彼らはいったん味わった居心地の良い支配者の座や既得権益を失うことを極度に恐れており、自らの意思で放棄することに相当の心理的抵抗と葛藤がある。
・大麻を冤罪に陥れた反対派最大の牙城である米国といえども、アラハバキ神のはたらきが発動してしまった以上、大麻解禁の潮流に抗うことはできない。ところが、オバマ政権とその背後の反対派勢力は、最後の悪あがきとばかりに、「ならば、あえてその流れに乗るが、ビジネスの道具や税源にしてひと儲けしてやろう」という邪心があるのかもしれない。そして、「無限」の可能性を秘めた大麻の生産・流通を自分たちの管理下に置くことで、石油や核と同様の「有限」エネルギーに貶め、大麻解禁の潮流を逆手にとって骨抜きにしようと画策している恐れもある。
・しかし、米国の大麻解禁の真意に邪心が有ろうと無かろうと、それは大した問題ではない。これは、悪役を演じる米国に自らの意思でそうしていると錯覚させて操縦している、神の壮大な御仕組みだと考えれば、感謝と畏怖こそすれ、その動機を詮索して云々する必要はない。
・悶われるべきは、われわれ日本人が神の意志を<み取り・この千載一遇のチヤンスを生かすのか。受け身で捉えるのではなく逆に能動的に利用して、いかにして大麻の冤罪を晴ら」来るべき新文明で有効活用していくのかどうか、ということ。つまり、引き続き、他人依存的な価値観で自覚無きまま奴隷の境遇に甘んじてニセモノの人間(魂のないゾンビのようなロボット)となって生涯を終えるのか、あるいは自主独立的な価値観で責任ある自由の身分を勝ち取りホンモノの人間(霊人)となって人生を謳歌するのか、という究極の選択を、いま日本人ひとり一人が迫られている。


その後、以下のような興味深い記事が「マスコミに載らない海外記事」に紹介された。
ロシアの経済的自立: 大麻は認めるが、GMOは認めない

大麻は認めるが、GMOは認めないとは流石と思ったが、一方で日本の場合、ロシアの逆を行っているのは残念だ。「マスコミに載らない海外記事」のオーナーさんも以下のようなことを書いている。

農相、献金疑惑で交代。「TPPの交渉への影響はどうでしょう」という馬鹿なやりとりがあった。ただ報じるだけなら、「はじめてのお使い」と変わらない。「はじめてのお使い」は誰も被害を受けない微笑ましい番組と思う。

TPPの中身に対する調査報道を完全に放棄しておいて、交代と、後継者の紹介。あれよあれよというまに、中学生殺人事件に話題は移る。

一人の中学生の殺人、ひどい犯罪だ。ずっと学校にいっていなかったというが、学校は何をしていたのだろう?一億人る国民が、そして末代まで、TPPによる売国行為の災いは続くのだ。

重大さの大きな問題と、そうでない問題を意図的に並列する大本営公報電気洗脳箱、みればみるほど阿呆になることだけは確実だろう。


大本営公報電気洗脳箱とは言い得て妙だが、今朝の東京新聞の以下の記事もそうした類の記事である。これについては大麻と関係ないので、別記事として後にアップしよう。

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安西ファイル 02
以下は先月下旬に刊行された、安西ファイルの【ポイント】である。【ポイント】をさらに絞って一言でいうとすれば、オバマ大統領ではないが〝変化〟だ。それも単なる変化ではなく、時代の大転換期とも云うべき〝大変化〟なので、「一寸先は闇のようなこの時代を乗り越えるには、薬と毒を見分ける智慧、冴えわたる鋭敏な直観、清廉で高貴な霊性、タブーに踏み込む勇気が求められる」ことになる。

【ポイント】

・最近の国際政治・経済の注目は欧州。今や黄昏となりつつある米国の覇権崩壊を食い止めたい勢力が、EC日(欧州中央銀行)にQE(量的緩和)を強要してスイスフランのペッグ廃止を誘発し、ウクライナ政変を煽ってEU内の結東を乱している。ドイツがQEを巧妙に骨抜きにしたとはいえ、日本に続いて欧州もQE実施という自殺行為に等しい愚かな選択をしたことで、世界に与えた心理的影響は小さくない。

・また、ギリシャ新政権が「ワシントンーコンセンサス」を拒否し、グローバル金融資本主義者ら世界寡頭権力に挑戦状を突きつけ、貧困層の不満と怨嵯を代弁している。ECBの対応次第では、EU内の南北対立を激化させ、欧州統合プロジェクトが破綻し、世界経済が大混乱に陥るリスクが高まっている。

・大方のエコノミストや経済学者は、政府当局が発表する粉飾された指標やマスメディアの偏向報道を鵜呑みにしたり、真相を知っていても口を閉ざして無難なコメントをお茶を濁すことで、世論をミスリードしている。

・一部のエコノミストや識者は、客観的に見ても明らかにそれとわかる危険な状況に警鐘を鳴らしているが、中には意図的に過度に悲観的な発言や観測を流す者たちもいる。彼らは金融大恐慌と世界大戦を是が非でも起こしたい者たちの代理人であり、大勢の人々を不安と恐怖に陥れ、そのネガティブなエネルギーを原動力にして彼らの目標を実現させようとしているので冷静な判断が必要。

・今年、世界寡頭権力は『エコノミスト』紙で彼らのアジェンダを堂々と公表した。「世界新秩序」の完成にメドをつけたという自信と自己顕示欲の表れだが、もはや誰の目にも彼らの「やり方」がはっきりと目に映る時代となった。彼らは隠されていたものを表出させるアラハバキ神のはたらきによって、無意識のうちに自らの正体を露呈させられているとは夢にも思っていない。

・目に見えない未来の動向を予測するために、われわれの祖先は世の中の動きや人間の心理や思考について探求してきた、自然や宇宙にも観察の対象を広げた。その過程で集めた膨大なデータから一定のパターンを見出し、多くの法則や定理を生み出してきた。それらの知識や智慧は政治学や経済学、哲学、歴史学、心理学などの学問として体系化された。

・天空や星々の運行を丹念に観察することによって得られた知識や経験則を集大成したのが、天文学と占星術である。また、死者や霊的存在が住むあの世(異次元世界)との交信によって得られた霊的知識や、直感や閃きによって斬新で画期的なアイデアがもたらされた。これらをうまく有効活用すれば、人類は一条の光を見出し、無明から脱することが可能である。

・一部の者たちは、これらの知的財産のうち特に貴重なものを自分たちだけで独占するために、わざとオカルト的知識という怪しげなイメージ操作で大衆を洗脳し、大衆が自発的に忌避するように仕向けてきた。だから、これらのオカルト知識の中には無実の罪を着せられてきたものが少なくない。しかし、別の見方をすれば、来るべき時に備えて鮮度の高い状態のまま「冷凍保存」されていたともいえよう。

・それがいまアラハバかれて、徐々に解凍されつつある。これまで抑圧され秘匿されていたものが情報開示されることを、いよいよ神が許容したことを意味している。つまり、善悪や優劣に関係なく、あらゆるものがありのままの姿で目の前に晒され始めているのである。

・現在、世界はこのような新しい時代への移行期の中で激しく揺動している。暴力と恐怖、虚偽と欺隔による支配が許される時代は間もなく終わりを告げる。これらを拠り所に権力の座に君臨してきた者たちは、これまで築いてきた財産や権力を手放すまいと必死の反撃を試みている。彼らが金融恐慌と戦争を引き起こそうとしているのは、長年にわたって彼らの繁栄をもたらした成功法則がまだ通用すると信じており、一発逆転の起死回生を狙っているからである。

・一寸先は闇のようなこの時代を乗り越えるには、薬と毒を見分ける「智慧」、冴えわたる鋭敏な「直観」、清廉で高貴な「霊性」、タブーに踏み込む「勇気」が求められる。また、高い位置から俯瞰して冷静に判断し、恐怖や不安に反応せず、すべてを受け入れて、新しい時代への流れを信じて身を任せることが何よりも重要だ。


なお、以下は【ポイント】とは何の関係もないものだが、文字通り〝高い位置から俯瞰〟する体験を、宇宙レベルで体験してみていただきたい。



最後に登場する宇宙最大の星、VY Canis Majoris(おおいぬ座VY星)の直径は、約2,800,000,000km…、時速900kmの飛行機で飛べば、一周するのに1100年もかかるのだという…。

十五歳 学校IV
過日、山田洋次監督の学校シリーズの一つ、「学校III」を取り上げたが、今日は「十五歳 学校IV」を取り上げてみよう。

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学校シリーズは山田監督が以前から撮りたかった映画のようで、その根底に現在の教育に対する疑問が山田監督にあったことが、映画「学校IV」に付いていた特典映像の「大船撮影所よ 永遠に」を見て知った。

同映画の粗筋は、横浜郊外に住む不登校の中学3年生・川島大介が家を飛び出し、九州の屋久島に向かってヒッチハイクを敢行、旅の途中で多くを体験し、逞しく成長して両親のもとに帰ってくるという物語だ。



亀さんは十代の時に日本を飛び出し、3年間ほど海外放浪の旅を体験しているので、若者が旅先で出会った人たちや自然から、多くを学ぶことを体験的に知っている。だから、二人の愚息の場合も、彼らが高校生だった時の夏休み、少しだけのお金を渡して国内放浪の体験をさせたものである。また、国内放浪の旅以外にも、高僧から任侠の徒にいたるまで、いろいろな世界の人間に会わせてきたことから、彼らなりに人間を見る眼力を養ってくれたように思う。

スクリーンの川島大介君という中学生を見て、今日の「中学生が日本を変える!」のではと思った。
◆2015/03/10(火)  中学生が日本を変える!

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立正安世論II
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過日の拙稿「小野田寛郎の実像に迫る」で紹介した、玉井禮一郎さんの『立正安世論II』を手にとって読んでみた。まだ、4分の1しか読み進んでいないが、同書の要と思える、第二章の「第一回霊山会講話」は読み終えることができた。

第二章を読み終えた時点で、小野寺某が著した新刊本『もうひとりの天皇』などは、もうどうでも良いと思うようになった。その理由の一つに、小野寺某についてなら、『立正安世論II』p.193~265の「阿部日顕(日蓮正宗法王)師に答える(1)-平成3年8月29日の講義への論駁- 玉井日禮」で、玉井さんが徹底的に小野寺某を論破しているので、今さら玉井さんにお聞きするまでもないと悟ったからだ。なお、「阿部日顕(日蓮正宗法王)師に答える(1)-平成3年8月29日の講義への論駁- 玉井日禮」の一部は、以下にPDFファイルで公開されているのでご確認いただきたい。また、『立正安世論II』そのものについては、亀さんの作成した「たまいらぼ出版」のこのページに簡単な紹介を載せている。
月刊ムー 自称南朝天皇特集 宗教デビュー失敗! 小野寺直

もう一つの理由、寧ろこちらの方が本音に近いのだが、第二章の「第一回霊山会講話」は僅か42ページに過ぎない小章とはいえ、宗教についてのエッセンスが集約されていると感じたのであり、小野寺某の話よりも、寧ろ宗教の本質に迫る話を聞き出すつもりで、今春の暖かい一日を選び、久方に玉井さんの光寺を訪れたいと思うようになった次第だ。だから、日蓮宗、さらには上次元である仏教、キリスト教、イスラム教について、欲張りだが半日ほどかけて徹底的に聞き出してきたいと思っている。

以下は、第二章で印象に残った行であるが、量的に多くなりそうなので、「石田次男」、「創価学会」、「本尊」という三つのキーワードに引っ掛かったもののみ羅列しておこう。なお、口語体になっているが、すべて玉井さんのことばである。

宗教で一番大切なことは何が本尊か?ということです。(p.45)

なんでも自分の所にあるものを本尊にしていいのかというと、日蓮聖人という人はそうはおっしゃっていない。本尊はこれ一つしかないんだよとおっしゃっている。(p.47)

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                      大本尊


石原次男さんといいまして創価学会の第三代会長になるはずだった人、この方がやはり大変な問題提起をされているわけですね。それは「現代諸学と仏法」という本……。これは全四巻になるはずです。いま一巻と二巻しかでておらんですけどね。
これは主に、日蓮正宗、いわゆる創価学会員にむけて書かれた本なんですけどね。つまり日蓮正宗というより、創価学会は昭和35年以来皆間違った仏法をやっていると。それは仏法ではなくて、仏法以前の外道だと。六師外道という、つまりインドですでにお釈迦様によって打ち破られた婆羅門哲学を仏教の装いをこらして説いているのにすぎないんだと。痛烈に批判しているわけですね。
具体的にいえば、池田大作の教学を批判しているわけです。あれは仏法ではないといっているわけです。それを延々と一巻から四巻までをそのために論証に費やしている本なんですね。
(p.52)

仏教の存在論、認識論はそれとはまったく別世界で自分というものは有るとも云えない、無いとも云えない。また有るとも云えるし、無いとも云える。実に、禅問答のような一見へりくつみたいな理論で成り立っている不思議な存在論であり認識論であります。

この四句分別が解らない以上仏教を論ずることはできないというのが石田さんの説なんですね。ところが池田大作が説いている仏法なんてものは全部存在論や認識論で説いている。西洋哲学の認識論で説いているから、あれは仏法ではない。あれはすでに釈尊の時代に打ち破られて、もうそれはとうの昔に弊履(へいり)の如く捨てられたものでしかない。

仏法っていうものはそんなもんじゃないんだというわけです。大変な苦労をしてお釈迦さまが発見された宇宙の、或るいは我々の存在と認識の真理であって、それを発展させるどころか、それをそれ以前の状態に引き戻そうとしているのがいまの創価仏教。具体的には池田大作が書いた論文だとか、聖教新聞だとかでだしている本などから文をひいてきて、メスを入れてますが、確かにそれはなるほどと思わせるところが沢山ありますね。

ですから、それが先程云ったもう一つのショックだったわけでね。といって私は石田さんを自分の先達にしようとは思わないんです。というのは.あの人はそうは云いながらこの本尊論ではまったく違うんです。この本尊論では、つまり創価学会が信仰している冨士大石寺の板漫陀羅が本尊だといってゆずらないわけですね。それぐらい漫陀羅の呪縛っていうのはきついんですね。あの人の一生を縛りつける大石寺の楠板に彫られたこういう曼荼羅があるわけですね。それが日蓮大聖人が大御本尊だよとおっしゃったというウソを創価学会の連中はいまだに信じているわけですね。そういう聡明な石田さんですらそれはそれで信じているわけです。だから私とまったく相容れないわけです。だけど仏教理念の面では非常に教わるところが多い。
(p70-72)

本尊がなくとも仏教は成立する。それが日蓮聖人が出現するまでは、法華系の仏教に共通した考え方だった。ところが日蓮聖人がでてはじめて境法なるものをたてたんです。境智の二法、つまり正しい対象がなければ、正しい智恵は湧いてこない。境智冥合ってことを云うんですがね。つまりいままでの智法、自分の内面というものだけにこだわり続けていた仏法というものを二遍ひっくり返して本来仏というものはこういうものだと目にみえる形であらわしたものが大本尊だったんです。そしてそういうものに題目を唱えれば境智が冥合して仏になれると。仏法というのは智法にかたよるものでも境法にかたよるものでもない。境智が冥合して、二つであって二つでないような、その境い目に仏界というのがある、というのが日蓮という人のたてた仏法の最大特色なんです。それはいままでの仏法に対する既成概念をいっぺんひっくり返すような大事件だったんですね。

ですから、なんでこんなものが現れたきゃいけなかったのか。なんでこんなものを拝まなきゃいけないのか。僕だって、十年ぐらいは抵抗を感じましたよ。だけど、とにかくこれに向かって題目を唱えればいいんだという結論だけは日蓮聖人という大智慧者によってはっきり出てるわけですから……。あとで理由づけというのは自分で勉強をしていく以外にはないんですね。私の場合勉強してきた結果、成る程という結論に到達しつつあるわけで、まだ到達しきったわけではないので、いまだに何でこれを拝まなきゃいけないんだという気は残っていますよ。それが完全になくなったときが、こっちが修行をある程度完成したときだというふうに、自分では思っていますけど。
(p.78-79)

大本尊と書いてあるのはこれ一幅なんです。あとは全部大漫陀羅なりと、大漫陀羅の場合は法華弘通の旗印として書き表したという文章があるんです。つまり旗印なんですよ。本尊ではないんです。その旗印をみな本尊だと思ってやってるから話がややこしくなってくる。しかし本尊というのはただ一体でなければならないということは一乗の法のみあって二もなく三もなしの大乗の仏法の当然の結論であって、幾つもあるわけないんです。大本尊はこれ一つしかないことは明々白々です。あとは全部この大本尊を弘めるための旗印なんです。旗印のほうを本尊だと云っているのが創価学会とかいろいろの教団なんです。(p.82)


ここまで羅列して思い出したのが、佐藤優氏の近著『創価学会と平和主義』(朝日新書)である。読むつもりで大分前に取り寄せたのだが、未だに完読していない。そこで久しぶりに目次を眺めてみたところ、第二章の「歴史的に見た創価学会、公明党、日蓮正宗」と題する、大変興味深い章があるのを見つけた。そこで、先に同書を玉井(禮一郎)さんに送り、どこまで正鵠を射た記述なのか教えを請うことにしたい。玉井さんの読後感はご本人の許可が得られた場合、拙ブログに公開したいと思う。なお、過去にも以下のようなことを書いている。
公明党の平和主義02


悪魔の手先イスラム国!
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行政調査新聞で「悪魔の手先イスラム国!」と題する、今月の記事がアップされた。そして、数時間前に書いた「プーチンとオバマの〝人類益〟」を裏付けてくれる行を目にし、嬉しく思った。

ところが昨年11月以降、この状況が少し変化しはじめた。オバマ大統領が、国防総省を通さずに直接中東の米軍司令官に軍事行動を命令しはじめたのだ。オバマは軍産複合体が嫌いで、その影響下にある国防総省も信用していない。オバマが最前線に指示を出すようになったためか、それとも別な事情によるためか、破竹の快進撃を続けていたイスラム国があちこちで敗走するようになっていった。さらにオバマ政権は、イスラム国と対峙するシリアのアサド政府軍やレバノンのヒズボラを側面支援し、イスラム国包囲網を構築しつつある。


プーチンとオバマの〝人類益〟
今朝(3月13日)の東京新聞に載った、「キャラで許していいの? 元首相、NHK会長…問題発言の常習者」を読んだ。クリミアの地で飛び出した鳩山の発言、「憲法に従い、クリミア住民の意思を反映していた」に対して、東京新聞は「日本政府の意向に反する言動は、日本の外交に影響を及ぼしかねない」と主張、続けて「鳩山は、そのとっぴな言動から〝宇宙人〟とからかわれてきた」としている。鳩山が〝宇宙人〟かどうかはともかく、少なくともクリミアについての鳩山発言は至極まともであり、正論である。そう思っていた矢先、あいば達也氏が自身のブログに、「●鳩山のクリミア訪問は快挙! 近未来、日露関係の需要布石」と題する記事を掲載、一読して我が意を得たりという思いだった。

ともあれ、鳩山元首相のクリミア訪問と発言について、どう思うかでその人が分かるという、ある種のリトマス紙になると思った。その伝でいけば、今朝の東京新聞の記事はあまりにもお粗末と言うより他はない。

そのあいば氏、アメリカのオバマ大統領への評価がかなり低い。たとえば以下の記事の「愚かなオバマ」という記述に同氏のオバマ観がよく出ている。
●愚かなオバマの中東・ウクライナ政策 妙な理想主義は破棄せよ

あいば氏だけではなく、他の国際政治を取り上げることの多いブログでも、押し並べてオバマに対する評価が低いものになっている。「ロスチャイルドとノーベル賞」と題する記事を書いた亀さんも、2009年当時、ノーベル平和賞を受賞したオバマに胡散臭さを感じたものである。しかし、その後の亀さんのオバマ観は徐々に変わっていった。きっかけは飯山一郎さんのオバマに関する一連の記事であった。

ここで国益だが、一国の大統領や首相といったトップは、自国の国益を最優先にしている。だから、「グアム・ハワイまで前戦部隊を撤退させる」という米政府の方針は、膨大な軍事費を削減し、自国民の福利厚生(幸せ)に回すという、正に国益に叶ったものと云えよう。

ここで考えていただきたいのは、この国益よりも上位次元、すなわち国家という人工的に引いた国境を乗り越え、この地球に住む全人類のことを考えるという、所謂「人類益」とでも呼ぶべき次元が存在するということである。その次元に立脚して世界の潮流を眺めれば、「人類益」のために活躍している人物こそが反戦争屋の筆頭プーチンであり、それに続くオバマということがよく分かるのである。そのあたりは、最近の飯山一郎さんの記事にも以下のような記述となって表れている。

スノーデンと、プーチンと、オバマ。

このトリオは、世界の政治の構造を大きく変える! そんな予感がする。


【重要資料につき再掲】 スノーデンは、NSAを暴露するために一流コンサル会社の仕事に就いた 『TECHCRUNCH JAPAN』


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最後に、「グアム・ハワイまで前戦部隊を撤退させる」というのが米政府の方針なのに、沖縄人の民意を無視してまで、日本政府が辺野古移設を強行しようとしている背景は、以下の飯山一郎さんの記事を読めば納得できよう。

日本にとって不幸なのは、米国の戦争屋の大半が日本に逃げ込んできていることだ。

「グアム・ハワイまで前戦部隊をさせる!当然、沖縄からも撤退!」 これが米国政府の方針であるのに、米国の戦争屋たちは、日本に居残る作戦を展開中だ。

その一つが、辺野古での強引な「軍事作戦」だ。

辺野古だけではない。米国戦争屋は、種子島・馬毛島・奄美大島を巨大な軍事拠点にすべく…、強引な「軍事作戦」を進行させている。


◆2015/03/12(木)  スノーデンは世界を変え、日本も変えた。


安倍首相は人類益はおろか国益すら念頭になく、他国のために日本の若者を戦場に送り込もうとしている悪魔のような人物である。これは人類益は無論のこと、国益にも反することであり、まさに安倍首相は〝日本に逃げ込んできた戦争屋〟のポチだ。

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あの日から4年目を迎えて
昨日の2時46分、仕事の手を休めて起立、1分間の黙祷を捧げた。同じ頃、国立劇場でも黙祷が行われ、天皇皇后両陛下の前で、宮城県の遺族を代表して菅原彩加さん(19歳)が言葉を述べている。

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2年前、亀さんは「チェルノブイリ超え」と題する記事を書いた。

まもなく、三年目を迎える東日本大震災だが、5年目を迎える2016年3月あたりにもなれば、目に見えて死んでいく人たちが激増していくであろうという予想は、上記のブログ記事や以下の亀さんのチェルノブイリ関連の記事でも、容易に察しがつくと思う。

ここで忘れてはならないのは、チェルノブイリの場合、石棺化作業が施されているので、現時点では大量の放射性物質がまき散らされているわけではない。一方、福島原発の場合、今でも休むことなく毎日大量の放射性物質がまき散らされているのだ。この違いは途方もなく大きい…。


爾来、2年の歳月が流れた。以下はチェルノブイリ事故のその後を示すグラフだが、チェルノブイリと同様、否それ以上に悲惨なことが東日本で起きるとすれば、5年目を迎える来年の3月までの1年間、特に内部被曝を避けて免疫力をつけることを怠ってきた人たちの場合、4年にわたり蓄積されてきた内部被曝による影響が一気に表面化し、精神・神経・身体を患う人たちが続出するはずだ(以下の1991年から1992年にかけての急カーブに注目)。

道友から数週間ほど前、周囲にインフルエンザに罹っている者が多いという旨のメールがあった。これは単にインフルエンザの流行にすぎないと捉えてはならず、内部被曝による免疫力の低下を疑うべきであろう。今からでも遅くはない。1日でも早く目覚め、手遅れにならないうちに、内部被曝を避けて免疫力を高めていく工夫をしていくべきだ。

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寅さんのことば 第2部 47

やっぱり二枚目はいいなあ、ちょっぴり妬けるぜ。
第30作「花も嵐も寅次郎」


最近TVで放送され、録画しておいた「キネマの天地」を昨日見た。「キネマの天地」は有森也実演じる田中絹代がモデルだが、その田中の父親役を演じた渥美清の演技が光っていた。その渥美清、さらには前田吟、倍賞千恵子といった、「男はつらいよ」のレギュラーメンバーが総動員された感の映画であり、あたかも「男はつらいよ」の別バージョンを見ているような錯覚に陥った。殊に、御前様こと笠智衆の元気な姿を見て、ある種の懐かしさを感じたものだった。

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渥美清・前田吟・倍賞千恵子

一方、平田満演じる小田切が思想犯として特高に追われ、捕らえられるシーンを見て、当時の暗い時代が再び到来しつつあるという予感が蘇ってきた。
言論統制から投獄拷問の時代へ

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小田切逮捕時に連行され、特高の拷問を受けた中井貴一演じる島田健二郎

映画「キネマの天地」の粗筋は、以下のブログ記事が良い。
山田洋次監督「キネマの天地」を久しぶりに見て

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学校III
NHKの「鶴瓶の家族に乾杯」を久しぶりに見る。ゲストは大竹しのぶ、宮城県亘理町が二人の旅の訪問地だった。震災からもうすぐ四年目迎えようとしているのに、現地の人たちの心の傷は未だに癒えていないことが、同番組を見てよくわかった。そんな折の鶴瓶と大竹の訪問、人々にとって当時の地獄を忘れさせてくれる一瞬だったに違いない。

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その番組がきっかけで、あの山田洋次が監督をした学校シリーズの一つに、大竹しのぶが主演していることを知り、早速取り寄せておいた。そして仕事が一段落した昨日の夕方になって鑑賞したのだが、「男はつらいよ」、「息子」、「遙かなる山の呼び声」といった、山田洋次監督の作品に共通して流れる、人間への温かい眼差しをこの作品でも感じ取ったのである。

大竹しのぶ主演の「学校III」、公開が1998年10月17日と知った。その半月前の9月30日、45歳だった亀さんはサラリーマンの世界から、独立開業の世界に飛び込んだばかりだったので、いつの間にか出演者を自分や自分の友人と重ね合わせ鑑賞していた。当時の時代を一言で言い表すとすれば、「黄昏」だろう。バルブが弾けて十年近くが経ち、あれだけ輝かしかった日本経済も、今まさに凋落しつつある時期だったのである。そんな時代の中で、大竹しのぶ演じる小島紗和子は都の職業訓練校に45歳の生徒として入学、他の中年男に混じって懸命にビル管理やボイラについて学ぶのだった。以下はボイラー二級を小島紗和子が受けているシーン…。

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そして数ヶ月後、一枚の速達が自宅に届く。見事に合格、その喜びを爆発させたのが以下のシーンである。亀さんも高校生の時、ボイラー二級合格の通知を受け取った時の喜びを思い出した。しかし亀さんの場合、せっかく取得した資格だというのに、未だに仕事に活かしたことはないんだが…(苦笑)。でも、翻訳者として失業したら使うかも…(爆)。

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ともあれ、日本経済の黄昏の時期はとっくに過ぎ、今や真っ暗闇の中にある。残念ながら、日本経済に再び陽が昇ることはない。なお、以下は大竹しのぶ関連の拙稿である。
大竹しのぶという女優

あっしにも関わりのあることでござんす
「現代ビジネス」に興味深い記事が2月27日に掲載、拙ブログでも取り上げるつもりで「お気に入り」に登録していた。
「空き家」を持っていると大損する!? 知らぬ間に法改正されていた

実は、福島原発事故の前までは、いずれ二人の息子のどちらかに家を継いでもらうつもりでいた。しかし、今月の11日に四年目を迎える東北沖大震災による福島原発事故で、東北関東圏という広域が放射性物質で汚染され(現在でも汚染は続いている)、さらに残る五十数基の原発も、火山の噴火や地震で第二の福島原発事故を引き起こすか、老朽化していくのが目に見えており、最早日本は育児に適した場所ではなくなっている。だから、子どもたちが結婚したら極力海外で育児をして欲しいと思っているが、仕事などの関係で日本に留まざるを得ない場合を想定し、徹底して内部被曝のリスクを低下させる術を伝えていくつもりだ。

亀さん自身については、老母が元気なうちは今の土地を離れるつもりはないが、老母が亡くなった後はどうしようかと時折思案している。十代の頃に3年間ほど海外放浪生活を送っている身として、海外で生活していく自信は十分にあるが、日本を出るとなれば今の家が空き家になるわけで、正に「あっしにも関わりのあることでござんす」ということになる。ただし、相続税といったことは全く心配していない。理由? 以下の記事を参照にして欲しい。
全国民必読 まもなく不動産(東京・大阪)大暴落へ あなたが思っているより早く来る!相続税の心配など、無用です

一方、このまま日本に留まって祖国の崩壊を目撃するという選択肢も残っている。さて、どうしようか…。

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ビートルズとイスラム国
毎日一回はチェックしている「ロシアの声」に、なかなか興味深い記事が載った。
本物のポール・マッカートニーは1966年に死亡 替え玉を使用?

この記事を読み、咄嗟に思い出したのが栗本慎一郎氏の『パンツを脱いだサル』である。同書では「第五章 政治陰謀としてのビートルズ」と、丸々一章を費やしており、なかなか読み応えのある一章であった。そして同章に目を通せば、ビートルズとイスラム国の誕生の背景がダブって見えてくるのである。以下は同章で特に印象に残った行だ。

ビートルズの登場と権力への登壇の時期は一九六〇年代半ばである。ちょうど若者たちが新たな社会変革運動を作り出そうとしていたときだった。彼らはマルクス主義では捉えきれない多様な現実に対して苦闘しつつ、システム変革の新たな思想を作り出そうとしている時期であった。その思想はまだぼんやりとしていただけだったが、現実のほうでは一九六五年にベトナム戦争が勃発し、反戦運動の波が盛り上がっていた。そんなあわただしい波にいやおうなくもまれながら、若者たちは「次に来るべき世界像」を構築しようとしていた。いや、そうせねばならない時期だった。

つまり反資本主義、反軍国主義だけでなく、反(既成)社会主義、反単純平和主義が必要になり、そのうえでの世界の未来像を作らなければいけない時期だったのだ。おそらくそこで、今日の反グローバリズム(反汎資金主義)に繋がる運動の基礎が据えられるべきだっただろう。一九六三年に米国のケネディ大統領が暗殺されて、それらの「犯行」の陰にイスラエルやそれに繋がる資金資本の影が暴かれそうになってもいた。

そのことに危機感を持つ勢力が若者たちの運動をなんとかして止めようとしていたのだと思う。実際、ビートルズの「利用」はケネディ暗殺と同じころから始まっていたし、ビートルズの大売り出しは学生運動の世界的拡大の時期に行なわれたのだった。

『パンツを脱いだサル』p.226


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歴史に「もし」はないのだが、もし、ビートルズが誕生していなければ、学生運動が本物となり、今日のような亡国という奈落の底に転がり落ちていく日本にはならなかったかもしれない…。そのあたりを念頭に、栗本氏の以下の言葉を噛みしめたいものだ。

六〇年安保またはその後世代である私たちは、すぐ後ろに続く後輩たちをビートルズに盗られた。俗に言うと、かっさられた。六〇年代の左翼だった我々は運動を大きくしていくための後続部隊の援護を絶たれてしまって「負けた」のである。
『パンツを脱いだサル』p.229


ビートルズを誕生させたのが、今日においてロシアのプーチン大統領を潰そうとし、イスラム国を誕生させた勢力と同じ勢力であることを知れば、朧気ながらも見えてくるものがあるはずだ。以下はイスラム国に関する最新の拙稿。
欧州で高まる「反ユダヤ気運」

寅さんのことば 第2部 46

思っているだけで、何もしないんじゃな、愛してないのと同じなんだよ。
第45作「寅次郎の青春」


今日の記事を読み、風吹ジュンが写っているのに気づいた。風吹ジュンと言えば水着姿しか思い浮かばないんだが、最近、NHKの「団塊スタイル」という番組で司会として活躍しているのを知った。一見若く見えたので亀さんより年下と思っていたが、同番組のHPで1952年生まれと知り、亀さんより年上だったので驚いた。

団塊スタイル」か…、まだ数年は現役で仕事に打ち込まなければならないので、あと数年したら見ることにしょう。

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あっしには関わりのねぇことでござんす
今朝の東京新聞に「医療保険法案 閣議決定」と題する記事が掲載された。詳しくは同記事に譲るとして、特に注目したのが以下の行だ。

高齢者では、75歳以上の低所得者ら向けに保険料を最大で9割軽減してきた特例を2017年度に原則廃止する。対象者は約865万人に達する。


実質的に年金が目減りしていくなかでの医療費の値上げであり、これでは金の無い年寄りは死ね、と言っているのに等しい。否、これが政府の本音であることは、ブログ「正次郎のNewsToday」の以下の記事を読めば納得できよう。
神などいない。自殺の薦め!!政府は「老人、痴ほう症、要介護者を殺したい」が本心!!

「75歳以上のあなた、一日も早く自殺することです」といった記述に接し、暗澹たる気持ちになった読者も多いことだろう。

だが、決して諦める必要はない。

一つは、医学についてコペルニクス的な発想の転換を行うことだ。実践面でお勧めしたいのは、飯山一郎さんの勧める健康法(あらびき茶と乳酸菌ヨーグルト)を実践することである。詳しくは「◆2014/09/21(日)  緑茶は放射能国家の国民飲料!」と題する記事を参照されたい。また、理論面でお勧めしたいのは、今村光臣先生のブログ「養生法の探求」を読み進めていくことだ。素直な心で同ブログを読み進めていけば、病気で苦しまずに生涯を終えられると思う。

数ヶ月前だが、何気なく見ていたあるTVニュース番組で、元気なお年寄りをテーマにしたニュースが流れていた。その中で、あるラーメン店の常連客である一人のお婆さんが、お昼にラーメンを食べているシーンがあったのだが、確か75歳過ぎの彼女、未だに現役で介護関係の仕事を続けているとのことだった。ところが、ほぼ毎日来ていたというそのお婆さん、撮影の翌日からピタリと来なくなったとラーメン屋の店主が語るのであった。その後、店に寄ったお婆さんの身内から、お婆さんは撮影のあった日の午後も仕事を終えて帰宅、いつものように夕食を済ませてから床に就き、翌朝眠るようにあの世に旅発っていたと、店主は話を聞かされたのであった。

このように、前日までは元気に畑仕事などをして、翌朝は眠るように一生を終えるのが理想だなと、その番組を見てつくづく思ったことである。そうなるためのポイントの一つとして、飯山一郎さんの唱える「医者にかかるな」がある。一見、暴論に聞こえるかもしれないが、その言葉の意味をじっくりと考えてみて欲しいのだ。以下の拙稿も参照していただきたい。
製薬メジャーの陰謀

結論として、医療費が高騰しようがしまいが、「あっしには関わりのねぇことでござんす」でいきたいものだ(笑)。

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NHKバージョンだな、これが…
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NHKで3月1日、「新世代が解く!ニッポンのジレンマ 資本主義のジレンマ大研究」と題する討論番組が放送された。そして番組の最後まで見たのだが、印象としては流石はNHK…というものだった。何を言いたいのかは、以下の記事を一読してもらえたら分かる。
◆2015/02/25(水)2  NHKが流すニュースは…

亀さんのように、どの組織にも属さない一匹狼(一匹カメ?)は遠慮なく真実を書けるが、NHKのような放送局に出演するパネリストは、仮に〝真実〟を知っていても言えない。言ったら最後、翌日から文字通り路頭に迷うことになるからだ。今の日本で貧富の差が大きくなったのは、小泉純一郎と竹中平蔵の新自由主義が原因であり、その竹中を再び登板させたのが安倍内閣、そのため一層格差が広がった…、などと発言したら、明日からは一切NHKから声がかからなくなるだろう。

亀井静香代議士が自著『晋三よ! 国滅ぼしたもうことなかれ』という本を著した。さらに、『月刊日本』3月号で「俺は平成の一揆を起こす」と亀井代議士は書いた。これが安倍がヘイトスピーチ批判を行ったり、自身のヤジ「ニッキョウソ」を訂正したりしたことに繋がったのかも…。なお、一部だが亀井代議士の発言は以下で読むことができる。
俺は平成の一揆を起こす 亀井静香

悪の遺産ヴェネツィア
先月下旬に届いた『月刊日本』3月号に、懐かしい大手町太郎さんの名前を見て、急ぎ記事「資本主義の延命は限界だ」に目を通した。印象に残った行を以下に引用しておこう。

もはや金融緩和以外の延命措置は存在しない。我々はもう永遠の経済成長、資本の無限自己増殖ということを諦めなければならないのかもしれない。元々、それらは世界と矛盾しているのだから。

ところが、この期に及んでも引き下がらない諦めの悪い連中がいる。米軍産複合体やウォール街の金融資本、そしてその元締めであるロックフェラーだ。彼らは「今度こそ資本主義は袋小路に追い込まれた。我々が直面しているのは、これ以上はどう足掻いても儲からないという状況だ。ならば、ひとまず現在の状況をぶち壊してしまえばいい。そうすれば、新しい状況が生まれるかもしれないし、ひとまず現状を打破すること自体がビジネスになる」と考え、創造的破壊に着手したようだ。

『月刊日本』3月号p.50


端的に言えば、「世界をメチャメチャにしよう(戦争を仕掛けよう)」と考えているのが戦争屋、そうはさせじと戦争屋の前に立ちはだかっているのが、プーチンを筆頭とする反戦争屋という構図である。

大手町さんの記事にロックフェラーが出てきた。ここで思い出して戴きたいのは、ロックフェラーやロスチャイルドは〝宮廷ユダヤ〟にすぎないという点だ。換言すれば、宮廷ユダヤは本当の〝世界権力〟の番頭にすぎない存在ということである。

その世界権力の正体は〝ヴェネツィア〟すなわち黒い貴族である。今回日本を訪問したイギリスのウィリアム王子も黒い貴族に名を連ねる一人だ。このヴェネツィア=黒い貴族については、旧ブログ「『悪の遺産ヴェネツィア』」という記事でも書いたが、そこで引用した『悪の遺産ヴェネツィア』の終章を最新版に合わせて訂正の上、拙記事でも以下に再引用しておこう。『悪の遺産ヴェネツィア』は400ページ以上にも及ぶ浩瀚なる書籍だが、以下を一読してヴェネツィア=黒い貴族に関心を持たれた読者がおられたら、価格は少々高いがそれだけの価値はあると思うので一読をお勧めする。以下は購入先だ。
刊行書籍

終章 世界権力の正体を明かす

●世界権力とは何か
 前回までウェルフ家の消長を追ってドイツの黒い森や地中海、はてはパレスティナまでさんざん彷徨ってきた。やたらカタカナ名前がいっぱい出てきて、しかも同じ名前で父子だったり敵同士だったり、読みづらくて仕方がないとの苦情をさんざん頂戴した。

 そして何よりのご批判は、こんな西洋中世史の些細な事柄をいまさら読まされて、いま国家存亡の危機にあるときに何の意味があるのかというお怒りだった。

 ごもっともである。そして、そのお怒りに対しては、わが筆力の不足をただただお詫びするしかない。ただ、なぜにいまさら西洋中世史をなぞり返して、ウェルフ家という一貴族の歴史をたどってきたのか、弁明をしておく必要は感じている。それが改めて、本稿の意図をご説明することにもなるからである。

 歴史を偶然の所産と観る見方もあれば、特定の勢力の意図に基づいた人為の所産と観る見方もある。

 われわれは後者、すなわち世に謂う「陰謀史観」にかならずしも与するものではない。ひとつの意図で貫かれていると見ると、その意図に反する事柄や逸脱・齟齬とも見るべき事件が歴史の随所に見られるからである。

 歴史はそれほど単純ではあるまい。大きくはこの地球の変動があり、ときどきにその牙を剥き出しにして人間を圧しつぶしてきた自然の猛威もある。また、敵対する強力な勢力が出現して彼らの前に立ちはだかることもあるだろう。ひとつの勢力の意図通りに歴史が作られたと見ることは、とてもできない。

 しかしまた一方、歴史をすべて偶然の所産と観るには、あまりにも暗合・符合するもの、出来すぎた事件が多いのも事実である。

 とくに「戦争の世紀」ともいわれ、戦争と殺戮に彩られた先の二〇世紀には、天然資源の独占を通して世界を支配しようという意図が数々の事件の背後に見え隠れする。そして、天然の膨大な資源に恵まれたアフリカ大陸がいま、数々の戦争と革命とクーデタと疫病とによる殺戮の果てに、荒涼たる死の大陸と化しつつあることを偶然と見るならば、それは知の怠慢であり精神の荒廃であると誹られても仕方あるまい。アフリカ大陸に住み着いていた人々は天然の富に恵まれていたがために、その富の纂奪・独占を狙う外来勢力の犠牲となって大量殺戮に処されたのである。

 二一世紀には彼らの邪悪なる意図の鉾先が、このアジアに向けられようとする徴候がある。すなわち、エネルギーをめぐっての血で血を洗う動乱が仕掛けられようとしているのだ。アフリカ大陸の悲劇はけっして他人事ではない。

 われわれは、世界の覇権的支配を意図するこの特定の勢力を、「世界権力」と呼んでいる。日本でも戦前からこの一派をユダヤ人と観て、「ユダヤの陰謀」なるものへの警戒を発した諸先輩があった。たしかにユダヤ人は世界権力の一翼を担う重要分子ではあるが、その本質はあくまで「宮廷ユダヤ人(ホーフユーデン)」に止まるというのが、現在の研究成果の教えるところである。すなわち、黒い貴族という主人に仕える従僕の地位にすぎない。

 それは、一介の運転手から米国国務長官へと成り上がりながらエリザベス女王に忠誠を貫いて爵位を得たヘンリー・キッシンジャーの役割に端的に見ることができる。また最近では、「金融の神様」ジョージ・ソロスもこうした「宮廷ユダヤ人」の典型的人物である。

 永年にわたって英国アリストテレス協会を牛耳った哲学者カール・ポッパーは、かつて一世を風靡したアダム・スミスやトーマス・ホッブス、ジョン・ロック、チャールズ・ダーウィンやハックスレー兄弟、さらにはバートランド・ラッセルなどと同じく、英国ヴェネツィア党による世界支配のための理論を提供する御用学者である。

 その主著『開かれた社会とその敵』は自由な市場原理による競争社会という理論を掲げつつ、実は社会秩序ないし国家存在を目の敵にしてその破壊を指示する戦闘指令書である。カール・ポッパーの忠実な弟子となり、恩師の過激な理論の祖述的実践者となったのが、ハンガリーに生まれたナチス協力ユダヤ人の息子であるソロスだった。

 ソロスは恩師の「開かれた社会」理論を実践する役割を与えられて、金融バブルを世界各国で仕掛けたが、ソロスの投資会社であるクォンタム・ファンドに原資を提供したのは誰あろう、英国女王その人である。

 英国女王の私有財産の運用を任されて実力を発揮したソロスは「金融の神様」などと畏怖され、またマレーシアのマハティール首相など各国指導者の怒りを買ったが、何のことはないインサイダー情報によるインサイダー取引の実行責任者だったにすぎない。

 注目すべきはソロスのもうひとつの活動である。彼は世界各国とりわけ東欧圏を中心に「開かれた社会基金」Open Society Fundを創設し、「慈善事業」にも精を出しているといわれたが、じつはこの「慈善事業」なるものが曲者で、ソロス基金こそソ連の崩壊を導き、東欧圏の社会主義からの離脱を促進した「トロイの木馬」であったのだ。

 中共の支那に対しても、ソロスの「開かれた社会」工作は仕掛けられていた。その支那側の協力者が趙紫陽である。一九八九年に起きたいわゆる「天安門事件」は、このソロスによる中共政権解体工作に対し、鄧小平など当時の中共指導部が断固たる粉砕措置に出た事件である。

 汚れ役はもっぱら「宮廷ユダヤ人」に任せみずからは超然としているのが、英国女王を表看板とする黒い貴族である。彼らが英国王室という表看板を掲げるに当たって、いかに永年の執拗な粒々辛苦があったか、その前端をつぶさに見るために縷々ウェルフ家の歴史を本稿でたどってきたのである。ゲルフ領袖とされたウェルフ家が現英国王室ウィンザー家となるには、永い永い紆余曲折の歴史がある。それこそ、「特定の勢力の意図通りには、歴史が進まない」という何よりの証拠である。

 そして、中世イタリアの都市国家の間あるいは貴族同士の争闘という矮小化された形で一般にも伝えられている教皇派(ゲルフ)と皇帝派(ギベリン)の争いは、ドイツないしイタリアをも巻きこんで一大地中海国家へと国家的統合を目指す勢力に対して、これを分断し宗教的・精神的呪縛の軛に縛りつけてみずから地上権力としても君臨しようとするローマ教皇と国家間の分裂抗争こそ商売の最大好機と見るヴェネツィアとが、結託して粉砕しようとした動きにほかならない。

 ダンテ・アリギエーリやニッコロ・マキアヴェッリが悲願としたイタリアの国家的統合を妨げた最大の障害は、ヴェネツィアという一都市国家とローマ教皇庁の存在であった。そしてさらに言えば、ローマ教会をして地上権力へと変質させたのは、ヴェネツィアの無神論的自由市場理論だった。

 この「市場経済理論」すなわち「自由交易理論」は、なにも英国ヴェネツィア党の御用学者たるアダム・スミスやカール・ポッパーらの発明ではない。もともとヴェネツィアの専売特許的主張なのである。

 キッシンジャーが唱えた「勢力均衡理論(バランスオブパワー)」とて、その地政学的粉飾を剥ぎ取ってみると、「自由にのびのびと商売ができるのが何よりいいのだ」というヴェネツィアの本音が聞こえてこよう。

 その本音はのんきに聞こえるかも知れないが、こと「自由交易」が犯されそうになるや、ヴェネツィアは手段を選ばず敵を叩き潰してきた。国家の存亡を賭けても、「自由交易」を犯す敵との戦いを敢然と挑んで止まなかったのだ。第四次十字軍を誑かして東ローマ帝国を一時的に中断しラテン帝国を樹立したのもトルコ帝国海軍との度重なる海戦に倦むことがなかったのも、「自由交易」という国家的悲願を守るためだった。

 寡頭勢力による巧妙な支配の機構によってみごとなまでに自国の国家的秩序を保ちつづけた(もちろん例外的な国家危機もあった)ヴェネツィアは、イタリアないしヨーロッパの各国に対してはさまざまな粉飾を凝らした「自由な競争こそ社会発展の原動力」などという御都合主義理論を撒き散らして徹底的な不安定化工作を発動しつづけた。これすべて、みずからが商売をやりやすい状態を保つためである。

 イグナティウス・ロヨラのイエズス会創設とマルティン・ルターによる宗教改革運動の両方とも、そのスポンサーはヴェネツィアだった。ゲルフとギベリンの抗争では味方同士であったローマ教会の強大化を牽制するためである。宗教改革は外から仕掛けた揺さぶりであり、イエズス会はローマ教会の内奥深く打ちこんだ楔に喩えることができる。

 そしてさらに、このヴェネツィアの主張はみずからいっさいの歴史記録を残さなかったフェニキア=カルタゴが黙々孜々として実践したところのものである。

 メソポタミア文明とエジプト文明の狭間にあって海洋交易により繁栄したフェニキアの存在は、いまではアルファベットの元になるフェニキア文字の発明によってわずかに記憶されるにすぎないが、もし彼らをして語らしめれば、「自由交易経済」こそが人類発展の原動力であると言いつのって、まるでソロスの口吻を彷彿とさせるに違いない。

 ユダヤ人の王ダヴィデが着想し、その息子ソロモンによって実現されたエルサレム神殿およびソロモン宮殿の建設は、設計から資材の調達、施工に至るまでことごとくテュロスの王ヒラムの協力なしには実現できなかったであろう。

 ソロモンの栄華をもたらした「タルシンの船」による交易もいわばヒラムの勧誘による投資事業だったのだ。強権による独占を主張しないかぎり、投資家は多いほどリスクが分散されるのは古今の真理である。交易品の調達から交易船の建造、そして実際の交易事業まで、すべてはテュロスの王ヒラムの意のままに運ばれたに相違ない。

 二大文明の間隙に位置し交易で栄えたフェニキア海岸都市群は一時期ペルシア帝国に従属させられ、最終的にアレキサンダー大王によって破壊されたが、そのひとつテュロスは地中海全域に交易中継のための植民都市を建設しており、それらの中心的役割を果たしたアフリカ大陸北岸のカルタゴに拠って生きのびた。

 そのカルタゴは数次のポエニ戦争によってローマ帝国に滅ぼされたとされるのが通説であるが、実はカルタゴは亡び去ってはなかったというのが本書の主張である。たしかに、アフリカ大陸北岸の植民都市そのものはローマによって徹底的に破壊されつくし、塩まで撒かれて地上から姿を消した。そしてカルタゴがスペインなどの各地に建設した交易拠点もローマに簒奪された。

 だが、カルタゴの遺民たちは秘かにローマや各地に潜入し、ジッと時の経つのを窺いつづけた。そして、ローマ帝国の分裂・衰退が必至と見るや、アドリア海のもっとも奥深く、瘴癘はびこる不毛の小島に忽然として姿を現わしたのである。

 フェニキア=カルタゴの遺民でなくして誰がこのような悪条件の重なる不毛の地に都市を建設しようなどと企てよう。テュロスしかり、カルタゴしかり、ニューヨークしかり、彼らが拠る「ポエニの風景」とそこに建設される海洋都市は「海に出るに便なる」ことが必要にして充分な条件であるらしい。彼らには、陸の民には窺い知れない嗅覚と美学とがある。その不毛の地に都市国家を建設するために注ぎこまれた途方もない富と努力を想像すると、気も遠くなるほどである。

 彼らを誰がヴェネツィアと呼びはじめたのか。自称か他称かは知らないが、VeneziaのVeni- は紛れもなくローマ人がフェニキア=カルタゴを呼ぶときの名称Poeniである。V音とP音ないしPH音は相互に容易に転訛しうるからである。いずれも古代世界において基調だった高貴なる染料の紫ないし赤に由来する。

ローマに破壊され尽くして地上から抹殺されたカルタゴの末裔ヴェネツィアがローマを再建しようとするあらゆる試みを粉砕してきたのも、無理からぬところではある。

 二〇世紀はフェニキア=カルタゴの末裔たちが自らの最終的勝利を宣言して繁栄を謳歌した世紀であった。一八世紀に呱々の声を挙げた革命の嬰児は一九世紀の一〇〇年をかけてじっくりと養育され逞しい闘士へと成長を遂げる。そして二〇世紀に入ると、最初に血祭りにされたのが「新たなるローマ」を標榜したロマノフ王家のロシア帝国であったのは革命勢力の本当の出自がどこにあるかを示して象徴的である。そして、「連合国」なる新たなる装いを纏った革命勢力は第一次の世界大戦によってハプスブルク帝国とトルコ・オスマン帝国を倒し、第二次世界大戦によって独第三帝国と日本帝国を解体させたのである。二〇世紀前半に各帝国に対する武力制覇を成し遂げた世界権力は執拗にも第三次世界大戦というべき金融戦争を各国に仕掛け、国家破綻を世界中に撒き散らかしてきた。そして二一世紀が到来する。「自由市場」「開かれた社会」「グローバリゼーション」を地球規模に蔓延させ、向かうところ敵無しとなったはずの彼らを自滅が襲ってくる。

 果たして、その運命や、如何に? そして、この文明の大転換期に際し、われわれ日本人の果たすべき使命は限りなく重い。


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