ブログ「ネットゲリラ」は、亀さんがお気に入りのブログの一つで、いつ読んでも小気味好い。2日にアップした記事、「ネトウヨ怒りの天皇在日認定」も痛快であった。

全く以てネットゲリラに同感だ。なお、ネトウヨの主張する「天皇在日認定」、これが如何に出鱈目かは、ブログ友の飯山一郎さんの以下の発言で一目瞭然だ。
天皇家と今の「韓国」は全く無関係です。ですから、強いていえば…、 天皇家の祖先は、バイカル湖から満州にかけて散在していた「古代中国人」です。 飯山一郎へ伝言・密告・質問・短信etc -3-
ところで、3日にアップされた飯山一郎さんの記事に注目していただきたい。 ◆2015/01/03(土)2 天皇陛下の警告! を…Dr.大愚は、読み誤った。
要は、Dr.大愚の「天皇陛下の新年の感想」の解釈が間違っていると、飯山さんは批判しているわけで、小生も一読してその通りと思う。
陛下の新年の感想で思い出したのだが、さる某皇統奉公衆が興味深い話をしてくれたことがあり、旧ブログでも「あけぼのすぎ」と題する記事を書いたことがある。関心ある読者に一読してもらえたら幸いだ。以下は同記事からの抜粋である。
昭和聖徳記念財団が毎年発行している、昭和天皇御製カレンダーには、昭和天皇の御製六首が掲載されているが、1月14日に皇居・宮殿「松の間」で行われた歌会始の儀で詠まれた、今上天皇陛下と皇后陛下の御製並びに御歌、皇太子と皇太子妃の詠進歌、皇族の詠進歌は、実は今年の昭和天皇御製カレンダーの御製六首と、根底でそれぞれ深く繋がっているのだ。しかも、今年の昭和天皇御製カレンダーの冒頭(1月および2月)の御製が、「わが国のたちなほり来し年々にあけぼのすぎの木はのびにけり」であったことに思いを致すなら、今年のキーワードこそが「あけぼのすぎ」に他ならず、このキーワードの深所を知れば、自ずと今年はどのような年になるのかが分かる。
ちなみに、今年の昭和天皇御製カレンダーの冒頭(1月および2月)の御製は以下のとおりである。
島人の帰りきたりて新玉の年をむかふるよろこびはいかに

『昭和天皇のおほみうた』より、この御製の解説を転載しておこう。
島人の帰りきたりて新玉の年をむかふるよろこびはいかに
これは陛下の御喜びの御製である。
島民は帰島して、溶岩流が凝固して累々と山のやうに重なつてゐるのに驚いたが、さらに驚いたことがあつた。それは、三原山の噴火口から直線で約三〇〇メートルの内輪山に鎮座する三原神社(通称御神火さま)の社殿が無事であつたことであつた。
鳥居は溶岩に呑み込まれて消滅、溶岩は拝殿前には直径一・五メートル、社殿の屋根よりも高く覆ひかぶさつてゐたが、不思議にも社殿のコンクリート壁の三〇センチの所でピタリと止まつてゐた。正に奇蹟と云ふ以外になかつた。
このことはたちまち全島内に伝り、神ましますの実感が全島を覆つたのであつた。そして避難に際して、町の中の大宮神社に遷されてゐた御霊代は三原山に御戻りになつたのであつた。
さて、陛下は毎日毎日報ぜられるこれらのニュースをわがこととして、噴火が始まつて以来、一喜一憂遊ばしてをられた。この二首の御製はそのことのにじみ出てゐる御作である。民の苦しみを苦しみとして、喜びを喜びとされる陛下の御心境が手に取るやうに感ぜられる御製である。
陛下は年が越えてからも度々、鈴木俊一東京都知事(当時)を召して島の被害状況や島民の様子につき説明を求めてをられたが、年初から「ぜひ一度島へ渡つて直接島民を励ましたい」と強く要望されてゐた。
この御希望がやつと実現したのは、噴火から七ヶ月後の六月二十二日であつた。この日、陛下は御静養遊ばされてゐた伊豆の下田から陸上自衛隊のヘリコプターに御搭乗になり、僅か十五分で大島上空に御到着になつた。ちなみに、陛下のヘリコプターへの御搭乗はこの時が初めてであられた。
陛下は先づ機上から、今も白い蒸気が噴き出る三原山の噴火の割れ目、溶岩流の跡などを御視察になり、大島空港着御。関係者の説明を御聴取の後、御神火茶屋にまで赴かれて溶岩流のすさまじい跡を御視察になり、また全島挙げての奉迎に対し御懇篤な御ねぎらひの御言葉を賜つたのであつた。
かくして、同日夕刻、高速船に御乗船、下田港へ御帰りになり、須崎御用邸へ御入りになつた。
ところで、昭和天皇の伊豆大島への御成りは、昭和三十五年に皇后陛下と御同列で渡島されてより二十七年ぶりであつたが、今にして思へばこの大島への御慰問の御旅が、昭和天皇の地方への行幸の最後となつた次第であつた。
大島 ヘリコプターに乗りて [昭和六十二年、御年八十七歳] うれはしき島のまがごとみ空よりまのあたりにもはじめて見たり 大島の人々の幸いのりつつ噴きいでし岩を見ておどろけり
高速船シーガルに乗りて ひさしぶりにかつをどりみて静かなるおほうなばらの船旅うれし
溶岩流が噴火した跡は、写真で見てもまことにすさまじいものである。これを親しく現場で御覧遊ばされての御感懐を、この御一首目、二首目の御製に拝する次第であるが、特に二首目の「噴きいでし岩を見ておどろけり」の結びには御臨場感が溢れてまします。
御三首目は御帰途の御作で、年来御心にかけてをられた大島への御慰問を終へられた御心の安らぎがにじみ出た大どかな御作で、これも天子御一人のおのづからな御心の流露で、天子以外には誰も作られない御作である。
「かつをどり」はペリカン目、カツヲドリ科に属し、飛翔力にすぐれ、空中でトビウヲをも捕へることが出来、全長八○センチ位。翼と首は黒、腹は白く、体形はスマートで、伊豆諸島、小笠原諸島、西南諸島に多く棲息する海鳥である。
平成二年に宮内庁侍従職編で『おほうなばら1昭和天皇御製集』が読売新聞社から刊行されたが、その「おほうなばら」はこの御製から採られたものである。
ちなみに、昭和三十五年行幸の折は左の二首の御製を御詠みになつてをられる。
伊豆大島の宿[昭和三十五年、御年六十歳] 夕庭に島の少女はをどるなり節に合はせて手振りもかろく 見渡せば白波立てる海づらをへだてて遠く富士の嶺そびゆ
『昭和天皇のおほみうた』p.308
ちなみに、今年の歌会始のお題は. 「本」であり、1月14日にNHKで放送される。
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