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人生は冥土までの暇潰し

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人生は冥土までの暇潰し
亀さんは政治や歴史を主テーマにしたブログを開設しているんだけど、面白くないのか読んでくれる地元の親戚や知人はゼロ。そこで、身近な話題を主テーマに、熊さん八っつぁん的なブログを開設してみた…。
高倉健となべおさみに見る任侠道
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■高倉健と任侠道
かつて、日本の役者が普通に暴力団と交流していた時代があった。今月の10日に逝去した高倉健もそうした例に漏れず、特に山口組の田岡一雄三代目組長との交友関係が実に深かったようで、田岡は高倉と江利チエミの結婚式に列席しているほどだ。そのあたりを簡素に述べているのが、以下のLITERAというサイトの記事である。
高倉健と山口組のディープな関係 健さんが田岡組長に奨学金提供を直談判!

そんな健さんも、次第に暴力団と距離を置くようになったと同記事は述べており、以下は同記事にあった、あるベテラン芸能ジャーナリストの発言だ。

「健さんの本質は読書や映画が好きなインテリで、もともとヤクザのような単純な『男の世界』にはあまりなじまないところがあった。任侠映画のスターということで、暴力団関係者との交友が増えていくことにも負担を感じていたんじゃないでしょうか。しかも、当時、東映のヤクザ映画が任侠シリーズから実録シリーズに移行して、ますます暴力団との関係が濃密になってきた。それに耐えられなくなって、独立へとさらに拍車がかかったような気がする。実際、80年代くらいからは、引退した信頼できる人をのぞいて、ほとんどの暴力団関係者とは縁をきっているはずです」


本当に健さんが「暴力団関係者との交友が増えていくことにも負担を感じていた」ため、暴力団関係者との縁を切ったのかどうか、本当のところは健さん聞くしかない。ただ、少なくとも上記の芸能ジャーナリストは、暴力団と任侠道との違いを明瞭に意識していないように思えるのだ。ここで云う任侠道については、2010年に発売された『月刊日本』8月号に詳しく、幸いにしてネットでも記事を読むことができる。
〝 特集 蘇れ!任侠道 〟 「任侠こそ日本自立の最後の砦」

上記サイトに転載されている月刊日本誌の編集部の「任侠-日本の共同体の原風景」を読み、任侠道というものについて納得いただけた読者は、以下の「なべおさみと任侠道」に目を通してもらえたら幸いだ。

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■なべおさみと任侠道
なべおさみと云うと、大勢いる日本の役者の一人くらいにしか、思っていない読者が多いのではないだろうか。ところがどっこい、なべおさみは任侠道を実に深く理解している役者なのだ。なべおさみが最近著した『やくざと芸能と』(なべおさみ著 イースト・プレス 2014年5月10日刊)を読むと、そのあたりが実によく分かる。

・人脈の凄さ
なべおさみが交わってきた人物は実に多彩であり、特に深い交流を持った人物だけに絞っただけでも、任侠界の花形敬と安藤昇、文学界の平林たい子と野坂昭如、歌謡界の水原弘、芸能界の渡辺晋(渡辺プロ)、森繁久弥、勝新太郎、石原裕次郎、美空ひばり、加賀まりこ、大原麗子、ビートたけし、経済界では盛田昭夫(ソニー)、松園尚巳(ヤクルト)、小針暦二(福島交通)、政界では安倍晋太郎と鈴木宗男いう具合だ。また、なべおさみにとって生涯忘れ得ぬ〝奇遇〟を述べた行があり、やや長文なるので本稿の最後に転載しておこう。

・独特のモノサシ
亀さんはフルベッキ写真など薬籠中の物にしたモノサシを数本手に入れており、その他にブログ友からモノサシを教えてもらったり(たとえば、今村光臣さんの「養生法」)、書籍からも色々なモノサシを知識として得たりしてきた(たとえば、過日の拙稿「地形・気象」というモノサシ)。なべおさみの場合も、独自のモノサシを〝ある人物〟から貰っている。

「一つ、本物。二つ、偽物。三つ……これは見分け難い物でね。似て非なる物と書いて似非物と言うんだ」

物にも人にも必ずこの三つがあるから、これを見分けられる人間に君はなりなさいと教えて下さった。そのためには、たくさんの本物に会う事だ、美術館や展覧会、博物館や本などを、出来る限り観なさいねと仰った。

『やくざと芸能と』p.46


このある人物とは白州次郎のことで、なべおさみ14歳の時の出逢いである。白州から教わったモノサシを、なべおさみは今でも忠実に実践しているようで、そのあたりは以下の行からも窺えるのだ。

以来、私は全ての物・人に対して、この説を当てはめて見ている。

本物か、偽物か、似非物かを。

影響は大だった。これは、私に一生の全ての尺度として植え付いた。以降、私の出会った人も、この考えでじっくり見て来たのだから。

やくざも、この三つに当てはめて見つめている。私が今、名前を出している人々は、それぞれ、その道の本物として私は見て来た。後になって、あの人は偽物だった等ということは断じて無い。

『やくざと芸能と』p.47


・付き人を通して得た人脈
なべおさみは水原弘や森繁久弥などの付き人を経験しているが、その修行期間中に大勢の芸能人の素顔を見てきている。亀さんが『やくざと芸能と』に目を通して、特に印象に残ったのが勝新太郎だ。詳しくは『やくざと芸能と』に譲るが、幸い、今週の水曜日に放送されるテレビ東京の「武田鉄矢の昭和は輝いていた」で、「希代の名優・勝新太郎」が放送される。多分、勝新太郎の光の部分を取り上げると思うが、勝新太郎の影の部分について知りたい読者は、『やくざと芸能と』を一読されるとよい。

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・選挙参謀として暗躍
なべおさみが真骨頂を発揮したのは、選挙参謀として暗躍した時だ。小泉純一郎をトップ当選させたのがなべおさみなら、中川一郎の秘書だった鈴木宗男を見事に初当選させたのもなべおさみだ(1983年12月の衆議院議員選挙)。鈴木宗男の場合、当選ラインまで六千票足りなかった。そこで、なべおさみはある手を打ったのだった。その手とは、創価学会票の囲い込みであった。その時になべおさみが使った人脈が、小針暦二と池田大作だったのである。なべおさみから相談を受けた小針は池田に電話を入れているが、以下はその時の会話内容である。

「小針です。今、サンフランシスコに電話入れといたんだけど、帯広から鈴木宗男ってのが出てんだが、六千票足りないらしいんだね。それでね先生、先生の暗黙の了解ってのが欲しいって、なべおさみって役者が今、俺んとこに来てんだよ。先生、野郎っこの作戦は、米三俵、蜜柑三十箱、先生の方から頂いたって事で飾りたいって……いゃ、それはこっちで揃えるから、一つこの話、納得しておいて……あっ、それはありがとうございます。ん、では……」

池田大作先生のお墨付きが出た。

『やくざと芸能と』p.255


・ユダヤ渡来説
なべおさみは、『やくざと芸能と』の第三章「本物のやくざを教えよう」で、ユダヤ渡来説唱えている。

イスラエルの民は、中国や朝鮮を経過し、その地の文化文明を吸収しながら、それを日本に持ち込んで住みつきました。
『やくざと芸能と』p.174


これは、巷でよく耳にする典型的な日ユ同祖論の一つであり、広く人口に膾炙している説だ。しかし、世界戦略情報誌『みち』の発行人・藤原源太郎さんに、栗本慎一郎氏の遊牧民に関する一連の著作を紹介していただき、さらには同誌の編集人・天童竺丸さんからツランの存在を教えていただき、加えて同誌の執筆者の一人・稲村公望さんから黒潮文明を教えていただいた身として、なべおさみの日ユ同祖論には賛同しかねる。もし、なべおさみが本稿を目にするようなことがあれば、栗本慎一郎氏の一連の著作、そして『みち』の一読を勧めたい。

最後になったが、冒頭で約束した通り、なべおさみにとって生涯忘れ得ぬ〝奇遇〟を述べた小節を、以下に転載しておこう。それにしても、皇居に出入りできるように取り計らってくれた人物の名を出さなかったあたり、流石である。

皇居にて
私みたいな者でも、天は不思議な暁光を下さいまして、ある時から皇居に出入りする機会を得ました。

約束がありますから公的に書けない部分は申しませんが、一般的に出入りの出来ない場所を見せて頂けました。私の言う嘘部の民としての渡辺党の歴史の中で、そうした特権に恵まれたのは、私が初めてではなかろうかと考えました。

ある時、桜を見に皇居内を歩いていた時です。警護の皇宮警察官が近寄って、小声で「今少しで両陛下が車でお通りになります。テニスに参りますので」と教えてくれました。私が度々出入りしていて、両陛下の身近に仕える方が一緒にいるという事もあっての好意でした。

私達は足を止め、写真など撮っている風情で、車を待ちました。すると、ゆっくり車が来るのが見えました。コースはかなり遠くを走りゆくと思われたその時、急にハンドルを切って私どもが一列に並ぶ目の前で停ったのです。

ゆっくりゆっくり、窓が開きました。美智子皇后ではありませんか。なんと窓を手回しで開けたのです。今時、手回しの車に乗られているのです。

ゆったりと一同に目を流し、私を見て目を留めました。その瞬間、私を何者かと認めた光が走ったのです。両陛下はテレビが大好きだとお聞きしておりました。同じ時代を生きてきた者だけが知る黙示を、私は電気が走る如く受け止めました。

「何をなさっていらっしゃるの?」

そう仰いました。私の側に立つお方にです。

「桜を案内しております」

天皇陛下も身を乗り出すように私達を見ました。全員が固くなって礼を致しました。

「桜は奥のも御案内してね」

皇后が側近の私の友人に仰って下さり、普通では参拝出来ない場所へ行く事が出来たのです。

「お健やかにお過ごし下さいます様に!」

私はそれだけ申し上げるのがやっとでした。

「ありがとう!」

お二人が同時に仰いました。そして、ホンダの古い古い小型車は動き出しました。天皇陛下の運転するマニュアル車が遠ざかりました。

頭を下げて見送りながら、涙が湧佗の如く流れました。見ると、妻も娘も涙です。

その日のゲストは山口組三代目の娘・田岡由伎さんでしたが、「何でこんなに涙が出るの!私達日本人なのよね!」と言いながら泣いていました。

天皇皇后両陛下のお許しを得て、案内されたのは、皇居内の二ヶ所だけに咲く「御衣黄」という桜の木です。何と、この桜の花は、「緑色」なのです。一本は「賢所」というところに咲きます。「かしこどころ」とも呼ばれる、宮中三殿の一つです。

もう一本は、私達も入れては頂けないところにあります。毎年五月初句、皇后様は生物研究所内の蚕室で、蚕の卵のついた紙きれを櫟の枝につける「山つけ」を、また、中旬には艀った蚕の幼虫に桑の葉を与える「給桑」をなさいます。

これは歴代の皇后に受け継がれているお仕事です。古からの蚕で、今の蚕とは違って非常に小さなものです。この絹で、古文書の修復や、古くから伝わる装束も繕われているのです。ですから、皇后様の蚕は、日本古来の伝統を今も守っている貴重な文化なのです。

そこは高い板塀で囲まれていました。板塀の内側の畑には、桑が植えられているのです。そこから伸びて外へ枝を伸ばしていた桜が、御衣黄でした。

養蚕は「機織り」と言うぐらいですから、秦氏のもたらしたハイテクです。この枝が、皇室内に伝承として残り、存続している事実を考えると、私は日本の国の中にある一本の糸を強く見つめてしまいます。日本史の中で八世紀は文明開化、産業革命の一大起点です。平安京を創造した秦氏の気は、今の世にもこうして発見出来るのです。

また、秦氏のハイテク、農耕の業は、この場所内にございました。歴代天皇は、この桑畑の下方にある水田で、春はお田植え、秋は稲刈りをなさいます。私は垣根越しに垣間見ながら、思わず祖先に感謝しました。私は秦氏の下に生きた嘘部の民の末裔ですから。

はっきり申し上げますが、日本におけるやくざの誰一人とっても、天皇を敬わない者はありません。

身がやくざなため、天皇に接見出来る機会など絶対ないと言えます。しかし、天皇の行幸に難事が起きないのは何故でしょう。

太古の昔から、こうした天皇の外出時には嘘部の民はもとより、各地の裏社会に生きる人々は陰ながら手を組み、警固の輪を張り巡らせて護り抜く努力を惜しまなかったからです。天皇・皇后両陛下はそれを御存知なのです。

私どもには知らされぬ事ですが、天皇は皇居内の賢所にて、深夜の二時十五分に、古式に則る祷りを行っているそうです。その祈願の中には、表に出ない民の幸せや安穏を慮る文言があると言われています。国家と国民の安寧を願って、連綿と続いている天皇としての職務だと聞きますが、これを週の内の定められた日々、密かに続けておられるのです。大変な事です。

午前二時十五分には意味があると、私は気が付きました。それは丑三つ時と言われた時間です。神が降臨する時間がこの時間だと言われています。陛下も、この時間に祷りを行っているのですから、奥が深い事と思えます。

私が心の底から田岡由伎さんを、皇居内にお連れしたかったのには訳があります。

それは遠い若き日、父上の田岡一雄さんにお世話になった一つの返礼を、娘さんにしたかったからです。

由伎さんは娘として、山口組三代目としての父親を見て来ました。どんなに三代目が天皇を崇めていたのかをも、見つめて育ったのです。

私は万感を籠めて、由伎さんをお連れしたのでした。

そして、天は予期せぬ天恵を与えて下さったのです。私達だけのために、目の前に、天皇・皇后両陛下を拝ませて下さったのです。

私は、三代目もきっとこれを見ていると思いながら泣きました。由伎さんの背中には、御両親と共に何万の人々が見守っており、共に頭を垂れ、そして涙していたと思っております。

春の陽の光の中で、私達はしばらく泣いていました。嬉しい涙でした。

『やくざと芸能と』p.236~240


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解散総選挙の最大目的は「集団的自衛権」運用にある!
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今日、行政調査新聞に「解散総選挙の最大目的は「集団的自衛権」運用にある!」と題する、興味深い記事が掲載された。

ご存じのように、今回の解散の〝大義〟が分からないという声が、街のアチコチから聞こえてくるのだが、そうした中で行政調査新聞が一つの見解を示してくれた。それは、今回の解散の黒幕は、小泉純一郎の『郵政解散』の策謀をした飯島勲ではないかというものだ。

策士・飯島勲は12月2日公示から14日の投票日までに、何かサプライズを引票日までに、何かサプライズを引き起こす可能性がある。それが何か、まったくわからない。日経平均が1万8000円を遥かに超えるのかもしれないし、対中、対韓で日本中が沸きあがる外交政策を見せるのかもしれない。拉致問題解決に向けての衝撃的展開があるのかもしれない。

この半月の間に、日本中が仰天するサプライズが起きる可能性は十分ある。何が起きるのか、期待を籠めて見守ろうではないか。


ちなみに、世界戦略情報誌『みち』の藤原源太郎さんは別の見方をしており、今回の解散の裏には、「日露交渉を成功させたい意向が秘められている可能性がある」と推察しているようだ。

松本健一氏逝く
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最初に、「なぜ、北一輝は処刑されたのか」と題した拙文を書いた折り、『月刊日本』11月号の対談記事に登場した松本健一氏を取り上げたが、その松本氏が3日前の11月27日に亡くなられた(享年68歳)。ここに心より哀悼の意を表したい。

松本氏が33年かけて完成させたという『評伝北一輝』(全5巻)、その他の二二六事件関連の書籍は、今後折りがあれば読んでみたいと思う。

今回、「いま 北一輝から何を学ぶか(下)」を読み、松本氏と対談を行った古賀暹氏の以下の発言に注目した。

古賀 昭和天皇は北の『日本改造法案』を読んでいたのではないかと思います。また、北の処刑とともに支那攻撃が一気に始まります。支那攻撃のために、北が邪魔だったという仮設も成り立ちます。
『月刊日本』12月号 p.55


加えて、同対談記事にある以下の松本氏の発言は意味深長だ。

松本 昭和天皇が生涯、口に出したくないと思った三人の人物がいます。それは出口王仁三郎北一輝三島由紀夫の三人です。三島事件が起きた日に侍従長の入江相政は天皇に報告しています。そして、翌日呼び出された入江は、「天皇は三島のことも仰せだった」と書き残しています。このことも実録に出てきません。(傍線亀さん)
『月刊日本』12月号 p.55


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『月刊日本』で思い出したことがもう一点ある。それは、同誌にも寄稿している内田樹氏だ(最近は同誌2月号に「日本の株式会社化を目論む自民改憲案」を寄稿)。その内田氏、最近素晴らしい記事を書いている。やや長文だが、日本の現状を正確に把握する意味で一読の価値はある。
内田樹の研究室「資本主義末期の国民国家のかたち」

亀さんが同記事で注目したのは以下の内田氏の発言だ。

僕はいつも自分がアメリカ国務省の小役人だったらという想定で物を考えるんですけれども、上司から「内田君、日本は特定秘密保護法といい、集団的自衛権行使容認といい、アメリカのためにいろいろしてくれているんだけれど、どちらも日本の国益に資する選択とは思われない。いったい日本政府は何でこんな不条理な決断を下したのか、君に説明できるかね」と問われたら、どう答えるか。


これは、以下の拙稿で紹介した、飯山一郎さんの「内在的観察」に繋がるのである。
「地形・気象」というモノサシ

思い起こせば、2年近く前に「ハウスボーイ」という拙稿を書いた折、内田氏の記事「“calling”他者の呼ぶ声から、本当の仕事が始まる」を取り上げたのだが、爾来同氏の発言に注目してきた。

寅さんのことば 第2部 33

別れる時は、どうしてこう心が通い合うんだろうねぇ。会う時は喧嘩ばっかりして。
第45作「寅次郎の青春」


最後に書いた記事が11月23日の「沖縄人の意地」だから、ナント1週間も経ってしまっている。今回も水曜日の東京新聞に載った佐藤利明氏の「寅さんのことば」を、直ぐにもスキャンしてアップするつもりでいたが、校正の仕事に思っていた以上に時間を取られてしまい、今朝になって漸くブログ記事を書いている有様だ。それにしても、最近のプロの翻訳者(翻訳でお金をもらっているの意)の和訳は、中学や高校の生徒が訳している、普通だったらあり得ない〝奇抜な日本語〟とほとんど変わらないのが多い。今回手がけた翻訳者の和訳も酷く、校正で真っ赤になった。これなら、自分で最初から翻訳した方が早い。

愚痴になったが、どうやら今週末は急ぎの仕事はない。急ぎ、幾本か記事をアップしよう。

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沖縄人の意地
11月21日付け東京新聞朝刊に載った、佐藤優氏の「本音のコラム」が素晴らしい。今回の沖縄選挙で新しい県知事翁長雄志氏が当選したことの意味は、佐藤氏の言葉を借りれば、「沖縄系日本人」から「日本系沖縄人」に変容しつつある何よりの証なのである。

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また、昨日届いた『月刊日本』12月号(p.143)に載っていた、以下の読者の声にも同感である。

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亀さんも姪を沖縄に持つ身として、今回の選挙で沖縄人が見せた姿勢を誇りに思う。しかし、同時に選挙の焦点となった辺野古移転について、正確に報道しているメディアが皆無であったのも気になっている。その意味で、以下の飯山一郎さんの記事は、沖縄人にとっても日本人にとっても必読の記事だ。
「辺野古移転うんぬん」、「沖縄県の知事選」などは、たんなる目くらましにすぎない。(飯山一郎)

健さんが逝った、そして日本も…
高倉健が逝った。渥美清同様、高倉健は私生活について多くを語ることはなかった俳優だっだ。その高倉健の素顔については、フランク永井を“兄貴”と呼び、弟のように可愛がってもらったという栗原茂さんから、多分フランク永井を通してだと思うが、高倉健の私生活について色々と聞いてきただけに、マスコミの語る高倉健像に違和感を覚えて仕方がない。それはさておき、我々がスクリーンを通して知る高倉健は、東京新聞の「筆先」が書いている内容に近いのも確かだ。

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スクリーンを通じてだが、我々に「侠」というものを背中で教えてくれた健さんが逝ったという訃報を耳にした時、これから逝こうとしている日本が重なって見えた。その亡国に向かって旗振り役を演じているのが、衆院解散に踏み切った安倍晋三首相である。以下は、上記の東京新聞の「筆先」と同じ一面に載っていた、自民党すなわち安倍首相の嘘を表に纏めていたものだが、両記事とも〝亡〟というキーワードで一致している。

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日に1回は必ずアクセスするブログ「カレイドスコープ」は、最新記事で見事に安倍首相の正体を抉り出しているが、一点だけ同意できないのは主題にもなっている同ブログ主の主張、「次の選挙で自民が過半数を取れば、いよいよ日本崩壊へ」だ。来月の選挙で自民党が過半数を取ろうが取るまいが、日本の運命は決まっていると、亀さんは思っている。そう思うのはムサシの存在だ。

目を外に転じると、世界的にも大転換期が訪れつつあるのがわかる。それは、資本主義の終焉だ。

数日前になるが、NHKで原発のまき散らす放射性物質で苦しむ福島を抜け出し、岡山の山村に移住した若夫婦が登場するNHKの番組を見た。お金、すなわち現行の資本主義が終焉したら、人はどのように生きていけるのかを示してくれた、優れた番組だったと思う。また、親しくなった近所の老婦人に、若妻が妊娠したことを告げるシーンがあったが、その時の老婦人の嬉しそうな顔が印象に残る。

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そうした微笑ましいシーンを見ながら、同時に生まれてくる新しい命に対して申し訳なくも思った。なぜなら、日本には55基もの原発があり、老朽化によって将来はすべて廃炉にしなければならず、その廃炉に莫大な費用がかかること、否、いくらかかっても廃炉に出来れば良い方で、大地震か多発し、また火山国でもある日本では、第二の福島原発事故が起こる方の可能性が高い。こうした将来的なツケは、危険な島国に生まれた我々の子孫が背負うのである。

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11月16日、3時間近くにわたって放送された故宇沢博士の番組を見たが、その折、「自然とデザイン」というブログの存在を知った。

欧州王家となった南朝皇統
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欧州王家となった南朝皇統』が12月3日に成甲書房より刊行される。アマゾンの内容紹介には以下のように記されている。

皇室偽史を覆す落合秘史
偽史を暴くにも程があるぞ、落合秘史よ!

日本の開国は在外皇統の強制指令
孝明帝も小栗も偽装死だった!

明治開国を外から推進したのは「海外南朝」である―
ナポレオン戦争終結後、「欧州王室連合」が開いたウィーン会議で日本の強制開国が決定されたことを欧州大塔宮から國體(国体)天皇に伝えてきます。
本書はこの「欧州大塔宮」の成り立ちと実態、さらには偽装死・米国亡命の小栗忠順を訪ねた岩倉使節団がフィラデルフィアに遺した痕跡等々、偽史で塗り固められた幕末維新史の真実を、世界史上初めて明らかにするものです。

皇室関係者も隠れ読む[薩長史観への再審請求]
I:「明治維新の極秘計画」
II:「国際ウラ天皇と数理系シャーマン」
III:「奇兵隊天皇と長州卒族の明治維新」
IV:「京都ウラ天皇と薩長新政府の暗闘」
特別篇:「南北朝こそ日本の機密」


「地形・気象」というモノサシ
半年以上も前から、電車に乗るたびに必ずバックに入れ、車内で目を通す本がある。竹村公太郎氏の『日本史の謎は「地形」で解ける』という三部作で、最近ようやく二部を読み終えた。と言うのも、電車に乗るのは月に1~2回程度のため、なかなか読了できず、やっと二部を読み終えたというワケだ。家で一気に読めばいいのだが、他にも読みたい本が机やベッドに山積みのため、そうもいかない…。

この竹村氏の三部作を読もうと思ったきっかけは、あいば達也氏のブログ記事、「●「縮み志向の日本人」韓国人学者の言葉 ネトウヨの血圧上昇だが、比較文化論」がきっかけだった。

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亀さんが同書で思わず膝を打ったのが、『日本史の謎は「地形」で解ける』の第2章、「なぜ信長は比叡山延暦寺を焼き討ちしたか」の小節、「地形から見た歴史」(p.51)だった。少々長くなるが、以下に同節を引用しておこう。

地形から見た歴史
信長の延暦寺焼き討ちの理由は、さまざまに語られている。

延暦寺の僧侶たちが浅井氏に味方したため。キリスト教を庇護するため。僧侶たちが仏道の戒めを破ったので懲らしめるため。寺社勢力の商業利益を我がものにするため。古い権力のシンボルを破壊するため。

などなど、これらはすべて人文社会の観点からの物語である。

人文社会の観点で人間を論じると限りがない。人は誰でも多面体の人格を持っていて、ある面に光を当てれば他の面は陰になる。光の当たった面だけを表現しても、その人物を表現したことにはならない。そのため、人文社会分野での議論のぶれ幅は大きく、果てしなく議論は続いていく。

しかし、人々と社会を支えている下部構造の地形と気象から見ると、思いのほか、ぶれは少なく単純となる。人文社会に任せていた複雑な歴史に、今までにない分かりやすい物語を提供していける。

特に、この比叡山焼き討ちに関しては、大きな疑間が残されたままだ。その疑問とは、なぜ、信長は徹底して僧侶たちを虐殺したのか?である。

人文社会の分野では、戦国時代は人々の力関係で説明される。しかし、権力の駆け引きや力バランスからは、あの比叡山僧侶の大虐殺は説明されない。力関係であれば信長と比叡山の妥協と和睦で済む。しかし、信長は徹底して僧侶を虐殺した。それを説明できないので、原因を信長の狂気に押しつけてしまう。

しかし、地形から比叡山焼き討ちを見ると、その疑問はあっという間に解けていく。

信長は、逢坂と比叡山の地形に心から怯えていた。

恐怖に駆られた信長は、僧侶たちを徹底的に抹殺せざるをえなかったのだ。


人々と社会を支えている下部構造の地形と気象から見る」というモノサシを、活用することの大切さを改めて竹村氏に教わった亀さんだが、思えば、ここ数年は幾本かモノサシを手に入れている。モノサシによっては、お陰様で自家薬籠中の物とすることができた。また、ブログ仲間から教えて貰ったモノサシも多い。例えば飯山一郎さんの「内在的観察」法、そして今村光臣さんの「養生法」といった具合である。

今回入手した「地形と気象」というモノサシだが、これを使いこなすためには、フィールド・ワークの体験を積んでおかないことには話にならない。亀さんの場合、今でこそ本業(翻訳)に追われて朝から晩までパソコンに向かっているため、なかなか近くの野山を歩き回る余裕がない状態なんだが、これでも十代の頃は3年間ほど世界を放浪するなど、地元ではフーテンの寅さん…、じゃなくてフーテンの亀さんで通っていたのだ(自慢するような話でもないんだが…)。だから、自然や旅に強い関心があり、テレビ番組も旅の番組をよく見る。特に気に入っている旅番組が、NHKの「新日本風土記」と「世界ふれあい街歩き」の2本だ。かつて行ったことのある土地が番組で取り上げられることが多く、その土地の風土、気象、人達を思い出すことができるのは強みだ。今後、「地形と気象」という新しいモノサシで新たな発見があったら、記事にしたいと思う。

それから、これは旅番組ではないが、同じくNHKの「猫のしっぽ カエルの手」は良い番組だ。京都・大原の自然の中に住む、英国人・ベニシアさんが織りなす地元の人々との温もりある交流が見ていて楽しい。また、彼女が自作の短詩をクィーンズイングリッシュで毎回朗読してくれており、これが心に響く素晴らしい英語なのである。

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寅さんのことば 第2部 32

ああ、とうとう今日も来なかったか。
第9作「柴又慕情」


毎回、寅さんとマドンナのやり取りを見ていると、本当に寅さんというのは恋愛に不器用だなぁと、つくづく思う。まぁ、そこが寅さんのイイところなんだが…。

寅さんのDVDマガジンでは、吉永小百合が登場した二作を以下のように紹介していた。

美しく純情可憐な魅力でファンを夢中にさせた人気女優・吉永小百合をマドンナに迎えた本作(第9作)は、当時シリーズ最高の観客動員記録(約189万人)を樹立。2年後の夏、再び歌子をマドンナにした第13作『寅次郎恋やつれ』が公開され、本作を超えるヒットを記録している。


第13作については、亀さんも拙ブログで二回取り上げた。
第13作「寅次郎恋やつれ」

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拉致問題を乗り越え日朝国交正常化交渉を進展させよ
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今月の10日、行政調査新聞に「拉致問題を乗り越え日朝国交正常化交渉を進展させよ」と題する新記事が掲載された。

同記事に目を通し、今回の記事のテーマの形で打ち出された、「拉致問題を乗り越え日朝国交正常化交渉を進展させよ」という同誌の主張、諸手を挙げて賛成だ。同時に、印象に残ったのが文中の「横田めぐみさんが本当に生存しているか否かは、正直なところわからない」という記述である。

同誌は、少なくとも4年前は、めぐみさんの生存を信じていた節がある。以下は2010年8月10日号の同紙からの抜粋…。

仮に横田めぐみさんが登場し、日本に向かってメッセージを流したらどうなるか――。先に述べたとおり、小沢一郎の代理人と北朝鮮高官が1年以上も定期的会合を持っていた事実は、横田めぐみさんをめぐる衝撃のプログラムが準備されている可能性を暗示している。


今号の記事を読み、仮にめぐみさんが生存していたとしても、我々の前に登場することはないだろうと、亀さんは改めて思った。なぜなら、めぐみさんは死去したと発表した金正日の言葉は、今号の同誌にも書かれているように、北では神の言葉とされているからだ。ともあれ、今号も必読の行政調査新聞である。

ヴァルダイ会議でのプーチン演説
プーチンがヴァルダイ会議で、歴史に名を残す素晴らしし演説を行った。

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上記はロシア語の記事だが、英語版もある。
Meeting of the Valdai International Discussion Club

また、ポール・クレイグ・ロバーツ氏がプーチン演説を記事にしており、幸い、ブログ「マスコミに載らない海外記事」が記事の一部を翻訳してくれている。
第11回ヴァルダイ会議プーチン演説での質疑応答一つと、2月21日協定

亀さんは、冒頭の訳文に注目した(括弧は亀さんの補足)。

これ(プーチンの発言)は人道主義の政治指導者の言葉であり、これ程のものに、これまで世界はお目にかかったことがあるまい。プーチンを、ホワイト・ハウスにいる背徳的な戦犯や、ドイツ、イギリス、フランス、日本、カナダ、オーストラリアのトップにいる彼の傀儡連中と比較願いたい。そうすれば、犯罪者集団と、全ての人々の利益が尊重される、人情のある、住みよい世界を実現する為に努力している指導者との違いがお分かり頂けよう。


プーチンは人道主義者という行を目にした読者は、どう思われただろうか。亀さんは目の前の相手がプーチンをどう捉えているかで、その人物を判断するモノサシにしている。また、このモノサシを使えば、人以外にも日本の大手マスコミがどういう立場にあるのか、立ち所に分かってしまうのである。結論から先に言えば、プーチンを「道徳世界の指導者」として捉え、記事にしている日本の大手マスコミはゼロだ。亀さんの購読している東京新聞にしても、プーチンの本当の姿を記事にしたことはない。ここ数ヶ月にわたり、東京新聞のロシア関連の記事に注意してきたが、ロバート氏のような格調高いプーチンの記事は、残念ながら一度も目にすることはなかった。無論、個人としてはプーチンの本当の姿を知っている記者も、一握りだが東京新聞をはじめ、大手マスコミにもいるはずである。しかし、上に握り潰されてしまうので記事にはできないのだろう。その東京新聞、今朝プーチンを取り上げていると思ったら、読んでいて恥ずかしくなるような記事だった(爆)。

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それでも、他の大手マスコミ(朝日・産経・日経・読売)と比較すれば、少しは読み応えのある記事(特に「こちら報道部」)が東京新聞には残っているのだが、それでも毎月ン千円を払う価値もなく、長年にわたり〝何となく〟続けてきた新聞購読も、そろそろ止める時期に来ているなと思った亀さんである。

朝日で思い出したが、二週間ほど前に女性から電話があり、「無料試し読みを行っているので読んでみませんか」という勧誘があった。今回の〝ダブル吉田事件〟(福島原発の故吉田昌郎氏と慰安婦狩りの吉田清治氏)で、朝日の紙面がどう変化したのか気になっていたので、試し読みを申し込んでみた。4日間にわたり届けてくれた紙面に一応は目を通してみたが、毒にも薬にもならぬ記事のオンパレードなのにはがっかりした。加えて、8日の「オピニオン」という欄で、ネオコンの元祖フランシス・フクヤマ氏のインタビューに、まるまる一面を割いていたのには呆れてしまった。今朝も作家のビクター・セベスチェン氏のインタビューが載っていたが、以下のようなプーチン観を語る作家先生のインタビュー記事を平気で載せているのだから、もぅ、朝日も終わりだね。(括弧は亀さんの追記)。

「ロシアに至っては、ゴルバチョフ時代のソ連の方が(今のプーチンのロシアより)まだましです。ソ連崩壊前後、ロシアは自由と民主化の時代を迎えました。彼らにもチャンスはあったのです。でも、それを逃した。ヘマをして、逆戻りを続けたあげく、プーチン政権の登場を許してしまいました」
インタビュー「ベルリンの壁崩壊25年」2014年11月11日付けの朝日新聞


昨夕、朝日新聞の販売店の勧誘員が景品を持って拙宅を訪問した。亀さんはズバリ、「悪いけど、朝日新聞は全く変わっていなかった。ほとんどの記事が毒にも薬にもならぬ記事ばかりで、ン千円も払って購読する価値はまったくないなぁ。特に、8日のフクヤマのインタビュー記事は何だい。あんなネオコンの元祖のインタビュー記事に、一面を割くとは呆れて物も言えねぇ。これじゃあ、朝日を購読する気にもなれないぜ」と言ってやった。その勧誘員は、「新聞(の姿勢)が変わりましたら、またお願いします」とだけ言って帰っていったんだが…。

しかし、大手マスコミ以外に目を転じれば、正確なプーチン像を打ち出している雑誌も一部にある。一例として、亀さんも定期購読している『月刊日本』を取り上げておこう。先月号(10月号)に載った木村三浩氏の「プーチン来日こそ対米自立の第一歩だ」、プーチンを正確に知り抜いている人物の記事であった。以下は同記事の一部抜粋だが、プーチンの人柄が滲み出ているではないか。

例えば、6月6日に開かれたノルマンディー上陸作戦七十周年記念式典で原爆投下の映像が流された際、各国の参加者たちは拍手をしながら喜び、オバマ大統領に至ってはガムを噛みながら、足を組み拍手をしていました。そうした中、プーチン大統領だけ静かに胸で十字を切り哀悼の意を表したのです。

私は彼の振る舞いに感動し、ロシア大使館を通じて手紙を送りました。それに対して、エフゲニー・アファナーシエフ駐日ロシア大使から公式に、プーチン大統領の返礼として「貴殿の手紙を受け取りました。よい指摘でした。貴殿にお礼と感謝の意を表します」と伝えられました。

日本のノデイアはこうした話を全く報じていません。このようなプーチン大統領の立居振舞いの事実を報じていけば、日本人の対ロシア観も好転すると思います。

『月刊日本』2014年10月号 p.42



一葉の古写真が語りかけてくるもの
昨日、近くに住む伯母が尋ねてきてくれた。そして、玄関に座った伯母が徐に数葉の写真を袋から出し、広げて見せてくれたのだが、ナント、その中に長年探し求めていた写真があった。亀さんの父方の祖父の写真である。伯母が自身の実父の写真を一葉だけ持っていると語ってくれたことがあるので、コピーさせて欲しいと頼んでいた写真だったが、伯母が一所懸命に探してくれたものの、なかなか見つからない写真だったのである。だから、最近は半ば諦めていただけに、昨日は長年探し求めていた写真を手に、年甲斐もなく興奮してしまった亀さんである。

写真に写る祖父は、明治28年12月生まれで、昭和14年6月に43歳で没している。写真は赤子だった父を抱いている祖父の写真だから、大正12年1月に生まれてから数ヶ月後の父を祖父が抱いている写真ということになり、91年も前の写真だ。それにしても、写真に写る26歳前後の祖父と誕生して間もない父を眺めていると、何とも不思議な気持ちになってくる。

さらに祖父の父、すなわち亀さんからみれば大祖父にあたる熊太郎は天保13年8月に生まれ、明治39年に没している。さらに、熊太郎の父、すなわち亀さんにとっては高祖父にあたる八兵衛の場合、生年月日は不明だが、明治4年2月に64歳で没したと墓誌に刻まれていた。ということは、逆算すれば文化4年(1807)年あたりの生まれとなる。さらにそれ以前も知りたかったのだが、残念ながら八兵衛までで、それ以上遡ることはできなかった。しかし、確実に言えることは、この地球上に生命が誕生してから亀さんが生まれるまで、何億年という時間をかけて流れてきた、命という名の大河の存在であり、綿々と命のバトンタッチが続いた末、漸く亀さんが誕生したという事実である。このあたりについては、「引き継がれていく命」と題した拙稿にも書いた。そろそろ、冥土までの暇潰しとしてルーツ探しといきたいところだが、当面は仕事(翻訳)に精を出さねばならない身なので諦めるしかない。

ところで、古写真と云えばベアトを思い出すのだが、そのベアトが撮った数多くの写真の中に、女優・名取裕子の母方の大祖父・甚吉の家が写っていることを、最近のNHKの「ファミリーヒストリー」で知った。「名取裕子~幕末の写真 母の形見の真実~」というテーマの番組である。

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右側の赤い丸で囲んだ家が甚吉の家とのことで、もしかしたら家の直ぐ前を歩く男が甚吉なのかもしれない。
西行法師の繋累
落合(莞爾)さんの著書、『月刊日本』および『みち』の記事は欠かさず目を通している。ところで、この落合秘史の世界を彷徨っていると、幾本かの目立つ樹木(キーワード)が目に付くようになる。そうしたキーワードの一つとして、気になっていたのが「西行法師」であった。そんな折、10月21日にNHKの「知恵泉」という番組で、「人脈力~西行 派閥を超えたネットワーク」を放送するというので、録画しておいた。仕事から解放された今日、漸く観ることができたのだが、残念ながら随所にNHKの限界を感じさせる番組であった。

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実は、この西行について落合さんが書いていた記憶が、朧気ながら残っていたので、『月刊日本』、『みち』、そして最新刊の『京都ウラ天皇と薩長新政府の暗闘』(成甲書房)と確認してみたが、西行の記述が何処にも見あたらない。やむを得ず、落合さんに直接尋ねてみたところ、以下のように丁寧に回答していただいた(括弧は亀さんの追記)。

(西行について)拙著では以前から書いています。内容は『奇兵隊天皇と長州卒族の明治維新』が最も詳しく、その他『国際ウラ天皇と薩長新政府の暗闘』にも少し書いたかな。

『奇兵隊の・・・』では、岸・佐藤兄弟の家を説明する際に、佐藤甚兵衛のところで、明らかにしました。

國體天皇の現形が三上皇で、北面を使って荘園管理のネットワークを作り、鳥羽天皇⇒美福門院領⇒八条院領になりそれが大覚寺党の財源になりました。

西行は佐藤氏の本家で、紀伊国那賀郡の鳥羽上皇領の預所となり、一門からは佐藤甚兵衛基治(湯ノ庄司)が出て奥州藤原氏の軍事部門となります。

この佐藤氏のネットワークが「甚べえ」なのです。


早速、久しぶりに『奇兵隊天皇と長州卒族の明治維新』を紐解き、直ぐに西行を取り上げている、「大室家を保護した佐藤甚兵衛とは」(p.66)という小節を見つけた。この小節を一読すればよく分かることだが、西行法師すなわち佐藤義清は、岸信介、佐藤栄作、安倍晋三の遠祖なのである。参考までに、以下に小節「「大室家を保護した佐藤甚兵衛とは」を転載しておくので、関心を持たれたら同書を直に紐解いて欲しい。西行法師の実像を本邦で初めて公開した貴重な小節だ。

大室家を保護した佐藤甚兵衛とは
興良親王が田布施に潜入したのは、この地に鎌倉初期から佐藤甚兵衛が入り、隠然と支配していたからです。甚兵衛については、拙著『国際ウラ天皇と数理系シャーマン』に述べましたが、その後もいろいろ歴史情報が集積したので、以下に要領だけを述べます。

佐藤義清(1118~1190)は上皇(院)に仕える北面の武士で、紀伊国那賀郡田仲荘の預 (上級荘官)だったのですが、鳥羽(1103~1156)と後白河(1127~1192)の二世にわたる上皇の命を受けて、1140年に出家します。佐藤義清が出家したのは、通説がいうような個人的ないし宗教的理由ではなく、院政を支えるための山林管理を主とする荘園管理人のネットワーク作りにあったのです。

法体に身をやつした義清が法号を西行と称し、歌詠みとして世間を韜晦しながら全国を周回して作り上げたのが、「甚兵衛」と称する荘園管理職で、今も全国に六十人ほどいると聞きます。

全国の「甚兵衛」の本家は、陸奥国信夫郡を領して「信夫庄司」と呼ばれ、飯坂温泉に住んでいたことから「湯の庄司」とも呼ばれた佐藤甚兵衛基治(1122~1180)と言われますが、家系からみて、西行こそ甚兵衛の本家筋で、「湯の庄司」は同族として他の甚兵衛と対等ではなかったか、と思います。

西行の同族で5歳年上の佐藤基治は、奥州平泉の王者藤原秀衡の参謀として知られ、子息の佐藤継信・忠信の兄弟が源義経(1159~1189?)に仕えて奮戦する忠誠に満ちた軍談は、『平家物語』によりよく知られております。

歴史学者角田文衛は、「当時としては珍しい佐藤一族の義経に対する熾烈とも見える忠節は、君臣の関係だけでは説明がつきにくく、義経が平泉時代に迎えた妻は、佐藤基治の娘でなかったか」とする説を唱えているそうです。

角田が「義経と佐藤甚兵衛にはただならぬ関係があるな」と洞察したのは、さすがと思いますが、わが国の一流史学者の洞察力がこの程度とは思いたくありません。わが国の史学者は、時として奥歯にものの挟まった言い回しをする癖があります。ここまで書いたからには、角田はもっと奥を知っていたはずとみたいものです。

わが国の史学者が、知見を小出しにしながら瀬踏みをする特有の姿勢は何とも不思議ですが、これは日本社会に蟠る巨大な黒い影を意識しているからでしょう。史学の泰斗喜田貞吉も、「私の研究には、まだ奥があるが、それを書くとコレだからね」と言いながら、両手を後ろに回すそぶりをしたと、たしか著書『特殊部落研究』のチラシに書いてありました。その黒い影の正体はずばり長州藩閥で、これを明らかにするのが本稿の目的です。

大室家の保護を頼まれた田布施の甚兵衛は佐藤姓で、昭和の御代にその家から日本国首相を二人出しました。佐藤栄作の夫人寛子は実家が佐藤甚兵衛基治の直系であると、回想録にハッキリ書いています。逆に言うと、岸信介・佐藤栄作の兄弟が揃って首相に就いたのは、佐藤甚兵衛の家門によるところもあり、単なる個人的能力ではないとも言えます。

例えば、佐藤栄作が国鉄に入った経緯を通説は、鉄道省へ入省を希望した栄作を叔父松岡洋右が世話したとしていますが、真相は後藤新平の方から栄作に鉄道省への入省を命じたので、後藤新平がここに出てくるところが秘史なのです。

また、岸信介が渡来朝鮮人系ともっぱら噂される岸要蔵家の養子になるのも、将来日本が採るべき朝鮮半島政策を見据えた必然の理由があったのです。昭和40(1965)年6月22日に締結した日韓基本条約の締結時の総理は池田勇人ですが、実際には前首相の岸信介が矢次一夫の国策研究会と、椎名悦三郎の日韓協力委員会を通じて行っていた前交渉が実を結んだものです。

岸信介が韓国大統領の朴正煕と協力して行った、ソウル市地下鉄をはじめとする韓国経済・社会の近代化は、佐藤信介が岸家に養子入りする時に、すでに端を発していることを知る人は何人いるでしょうか。

平成の世になって信介の外孫安倍晋三が首相となりました。晋三氏の父晋太郎氏の政治資金の一部を面倒みていた故高橋治則君と私は親友と言っても良い仲でしたから、父の義治氏に紹介されて親しくしていました。

「なぜ、あそこまで安倍さんを応援するのか?」と私が問うと、義治氏は、「高橋家の先祖は平戸松浦藩士である。松浦藩の松浦党は嵯峨源氏の渡辺党だが、その中に安倍晋太郎さんの先祖がいる。だから応援している」と教えてくれました。

調べてみると、筑前国宗像郡大島に流罪となった安倍宗任の三男季任が肥前国松浦に行き、松浦氏の女婿となって松浦実任と称し、子孫の松浦高俊が平清盛配下の平家水軍として活躍したため、治承寿永の乱後に長門国に流罪となり、安倍氏を名乗ったということです。これが安倍晋太郎・晋三父子の家系です。

地家康雅氏は、学生時代に郷里で選挙のアルバイトをした実父が、佐藤栄作事務所に就職の斡旋を依頼したところ、電話一本で久保田鉄工所(現クボタ)に入れてくれたと語っています。たまたま久保田鉄工の上層役員だった友人に問い合わせたら、「自分の部下の課長が確かにその人」とのことでした。


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寅さんのことば 第2部 31

いくら可愛くっても、妹じゃしょうがねえや。
第3作「フーテンの寅」


今朝の記事にも書いてあるが、写真に写る寅さんが実に〝若い〟…。第3作の公開が昭和45年1月15日というから、ナント今から45年も前の映画だ…。寅さんは昭和3年生まれなので、寅さん42歳の時の作品か…。

写真に写る宿の仲居は、あの樹木希林だ。撮影当時は26歳くらいだったというから、流石に若い。最近の彼女の映画で良かったのは、やはり「わが母の記」だ。

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男は任侠、女は〝愛侠〟
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先週火曜日の28日、映画「眉山」を鑑賞した。舞台は阿波踊りの徳島…、高校の修学旅行で本場の阿波踊りを初めて体験した亀さんにとって、踊りの原点は秩父音頭とこの阿波踊りだ。だから、同映画を見ながら無意識に身体を動かしていた亀さんであった(爆)。早速、ブログ記事にしたかったんだが、その直後に大量の仕事が入ってしまい、漸く今日にいたって記事を書く次第だ。さて…

この映画で最も感動したのは、松嶋菜々子演じる河野咲子が、母を亡くしてから2年後、母からのメッセージに初めて目を通すという、エンディングのシーンであった。これは、子を持つ親なら強く胸を打つシーンに違いない。どのようなメッセージが書かれていたのか……、これはネタバレなどといったみみっちい話ではない。是非、自身の目で確かめていただきたい。

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もう一点、印象に残ったのが、河野咲子の母を演じた宮本信子のお龍さん(河野龍子)であった。威勢のいいお龍姐さんの啖呵を耳にして、咄嗟に頭に浮かんだのが飯山一郎さんのブログ友きのこ姐さんだった。先日書いた「きのこ姉さんを応援しよう!」でもきのこ姐さんを紹介したが、どうやら片瀬女史に逆告訴という形で反撃することになったようだ。詳しくは飯山さんの記事「◆2014/10/25(土)2  きのこが書いた! 復活!」を参照してもらうとして、そこに書かれていた以下の一文を読み、きのこ姐さんは本物だと思った。

「福島と汚染地区の子供を日本人として守るため!」


これを別のことばで表すなら、「侠」だろう。この侠については、拙ブログ記事「寅さんのことば 83」でも書いた。

ここで、寅さんが飛び出してきたんだが、寅さんと侠で思い出すのが、第6作「男はつらいよ 純情篇」だ。同作品の宮本信子は赤子を背負う若い母親を演じていたが、その宮本信子が三十路の娘・河野咲子の母親役を演じているのを今回見て、歳月の流れを感じたものだった。そういえば、映画「阪急電車 片道」でも、宮本信子が実に素晴らしい婆さんを演じていたのを思い出した。この婆さんの啖呵も良かったなぁ…。

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ところで、近く寅さんこと渥美清の特別番組が、11月7日19:00~20:54にBS-TBSで放送される。寅さんファンは見逃す手はない象!

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昭和の巨星スペシャル 渥美清~泣いてたまるか・寅さんの原点~

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俺にもあんたと同じ位の妹がいるが、もしもだよ…その妹が行きずりの旅の男に…たかだか二千円くれぇの宿賃でよ…その男がもし…妹の体を何とかしてぇなんて気持ちを起こしたとしたら…俺ぁその男を殺すよ