
今月の1日、ほぼ1年ぶりに世界戦略情報誌『みち』発送のお手伝いに行った。帰り道、いただいた『みち』最新号に目を通し、注目したのが黄不動さんの「常夜燈」だった。最近のニュースを賑わせている「イスラム国」を取り上げていたのである。
英政府は五〇〇人程度の英国人がイスラム国に参加していると推察するが、英国に限らず独仏蘭米白等世界各国から二万人超が同勢力に結集している模様。カネに誘われた傭兵もいるが、多くは思想的傾倒に拠る。基督教徒が改宗しイスラム教スンニー派過激組織に飛び込む理由がいったい奈辺にあるのか。理解に苦しむのは当方が一神教世界とは別次元に立つ為であろう。
数日後、落合莞爾さんの新刊本『京都ウラ天皇と薩長新政府の暗闘』(成甲書房)が届いた。真っ先に目を通したのが、最終の第Ⅳ部「覇道一神教vs.日本教」だった。そして、刮目すべきは以下の行である。
あの粗暴野蛮な破壊行動にしか見えない廃仏毀釈が、神道の純化や腐敗仏教への懲罰ならまだしも、覇道一神教の侵入防止が目的で行われたと聞けば、俄には信じられないでしょう。 『京都ウラ天皇と薩長新政府の暗闘』p.253
今までしっくり来なかった事、すなわち廃仏毀釈は、誰が、何のために起こしたのか、幾つかの説に接してきたものの、どれも心から納得のいくものではなかった。そして今回、「覇道一神教の侵入防止」が廃仏毀釈の目的であったという落合説に接し、改めて廃仏毀釈について一神教の観点から見直してみたいと思うに至った。
同書では別の観点からも一神教の凄まじさについて述べているので、参考までに引用しておこう。
1600年の関ヶ原の合戦は、世上、徳川家と豊臣秀吉恩顧の大名の戦いと観られていますが、真相は唯一神道の吉田神道と神仏習合の山王一実神道の間の宗教戦争です。 『京都ウラ天皇と薩長新政府の暗闘』p.232
因みに、吉田神道は隠れキリシタンならぬ〝隠れ一神教〟であった。
そして今朝、目を通した行政調査新聞の最新記事は、世界を地獄に放り込む「イスラム国」の脅威である。一神教の観点から、特に注目したのが以下の行だ。
イスラム国の姿を一般論で表現するなら、「世界革命を目指す狂信的カルト集団」とでも言うしかない。イスラム教という一神教に則ったイスラム的正義に生きる思想集団なのだ。ユダヤ教やキリスト教といった、同じ位置に立つ一神教世界には、彼らを調伏できる者は存在し得ない。彼らを調伏できるのは、一神教とはまったく別次元の宗教観、哲学を持つ者だけだ。
世界が地獄の業火に包まれる前に、日本が立ち上がることができるだろうか。
多神教の世界に棲む一人の日本人として、独りあるいは道友と何が出来るのだろうか…。今後思うところがあれば書き連ねていくつもりだ。
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