
最近、ホームページ「飯山一郎のLittle HP」では、ガン治療の実態を暴く記事が連日のように流れ、ブログ「養生法の探求」では長期にわたりガン細胞についての記事が続いている。そんな折、まほろば会の道友が「近藤(誠)先生の本を未だ1冊も読んでいない? それなら、『大学病院が患者を死なせるとき』(講談社α文庫)を最初に読むと良い」と、アドバイスしてくれたので早速取り寄せ、漸く一昨日読み終えたところだ。
読了した瞬間、爽やかな秋風が身体を吹き抜けてゆくようだった。ガンで苦しんでいる人たちもは無論のこと、これからという若者への人生指南の書としても一読を勧めたい。以下、これはと思う行を羅列書きしておこう。
全て自分一人で発言・行動し、その結果を全て自分の責任として引き受けていく状況は、大変なように見えて、実は心が平静のままでいられる秘訣である。 『大学病院が患者を死なせるとき』p.50
亀さんは生き方として、「二十代は大企業で組織体を学び、三十代は中小企業でオールラウンドプレーヤーとして仕事に打ち込み、四十代で独立すべし」と若い人たちに説いているが、近藤氏の謂う独立と相通じるものがある、
学生の分際で改革運動をしても、どうせ大人たちにつぶされる。改革したいなら、社会人になってからのほうがいい。今は勉強して実力をつけるべきだ。 『大学病院が患者を死なせるとき』p.60
せっかく大学に進学したのに麻雀や遊びに現を抜かしたり、バイトに明け暮れたりする学生たち、あるいは大手企業に就職して安心してしまい、寄らば大樹の陰と言わんばかりに会社にしがみついている若者が多い。そうした若者たちは、近藤氏の云う「勉強して実力をつける」ことを忘れているのではないか。そんなことではお先真っ暗だ。
たとえ将来どんな目にあおうとも、患者のために行動するのが医者のつとめだろう。それが、目の前の患者に責任を持つということなのだ。 『大学病院が患者を死なせるとき』p.128
近藤氏は誠に任侠心に溢れた医者である。医者はこうでなくちゃいけないんだが、このような医者は残念ながら希有な存在だ。また、何も医者に限らない。今就いている仕事が何であれ、これから就く仕事がなんであれ、若者には近藤先生の仕事に対する姿勢を学んで欲しいと思った。
どんなに理由をつけようと、患者に十分説明したうえで同意を取ることをせず、治験や臨床試験に引っ張り込むことは許されるものではない。これは僕の人生の一大汚点だ。だから僕は、患者たちに対する償いのため、また若いドクターたちが前者の轍を踏まないよう、こうして告白し懺悔している。 『大学病院が患者を死なせるとき』p.292
亀さんがブログ「人生は冥土までの暇潰し」を書いている理由も、このあたりにある。要は亀さんのようにトンビで終わるな、タカになれということだ。
彼女は、細いかすれた声で、しかしはっきりと、 「私、もう疲れちゃった。眠りたい」と口に出した。 「お世話になりました。先生、私、先生に会えてよかった」 僕の胸は一杯になり、熱いものがこみあげてきた。 『大学病院が患者を死なせるとき』p.329
医者冥利に尽きると言うべきかもしれない。近藤氏の人としての素晴らしさが伝わってくる患者のことばである。
病人にとって不利益な状況を変えていくのは、患者や市民一人ひとりの熱慮と行動しかありません。 『大学病院が患者を死なせるとき』p.396
ガンに苦しんでいる人は、近藤氏のように熱慮と行動を実践している、飯山一郎さんの最近のホームページに注目していこう。 飯山一郎HP
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