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人生は冥土までの暇潰し

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人生は冥土までの暇潰し
亀さんは政治や歴史を主テーマにしたブログを開設しているんだけど、面白くないのか読んでくれる地元の親戚や知人はゼロ。そこで、身近な話題を主テーマに、熊さん八っつぁん的なブログを開設してみた…。
寅さんのことば 第2部 21

寅のような無欲な男と話をしていると、むしろほっといたします。
第40作「寅次郎サラダ記念日」


ここ2日ほどで大分涼しくなってきた。一昨日も仕事でパソコンに向かっている時、家の庭でセミが「カナカナ」と鳴いているのが耳に入ったのだが、数日前までのセミの声とは明らかに違う。そして昨日、東京新聞の「筆洗」を読んだ。

夏の暑さも一段落で、ずいぶん過ごしやすくなってきた。蝉の声は「ジージー」や「ミンミン」から「カナカナ」に代わった。


ところで、「男はつらいよ」シリーズの御前様こと笠智衆と云えば、やはり原節子と共演した数々の名作、そして小津安二郎監督を思う。そのあたりを拙記事「殉愛」でも書いた。

今朝の「寅さんのことば」で、「男はつらいよ」の第1作に登場した笠智衆は65歳だったことを知った。その笠智衆演じる御前様が、お寺の縁側でさくらと語り合うシーンが「男とはつらいよ」に数多く登場しているが、拙ブログでも「抱いてやりたいが、もう立たんのじゃ」と題する記事で、お寺の縁側の写真を載せている。

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明治天皇“すり替え”説の真相 2
今夏、和歌山市の落合(莞爾)宅で行われた対談の成果である、『明治天皇“すり替え”説の真相』が完成、拙宅に届いた。ちなみに、以下の写真左が落合(莞爾)さん、右が斎藤(充功)さんである。編集を担当された学研の小塩さん、お疲れ様でした。

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同書に目を通す前は、かなり広範にわたって熱い議論が交わされているものと思っていたが、実際に目を通してみると、フルベッキ写真に想像していた以上のページが割かれていた。だから、拙稿「日本人は何を考えてきたのか」で述べた、「出口王仁三郎の出自や大本教が日本近代史にもたらしたもの」について、今回の新刊本で多少は言及されているのではと密かに期待していたのだが、以下の言及のみに終わっているのを見るに、どうやら紙幅が尽きてしまったようで誠に残念である。次回を期待したい。

落合莞爾:どう思うもなにも、(堀川)辰吉郎は京都皇統の中核的人物として生を受けたわけですから、そうでなければ、実行部隊として玄洋社や後に大本教に発展する丹波の大江山霊媒衆が辰吉郎を護衛するはずがない。
『明治天皇“すり替え”説の真相』p.131


大江山霊媒衆という謎の集団については、『みち』を発行している文明地政学協会が出した、『真贋大江山系霊媒衆』(栗原茂著)に詳しい。参考までに、同書については旧ブログで読後感を書いた。関心のある読者に一読してもらえたら幸いだ。
『真贋大江山系霊媒衆』

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落合:歴史にはいろいろな見方がありますが、田布施から大室寅之祐が出たことはけっして偶然ではありません。これこそ大塔政略の一部です。だからこそ、田布施の佐藤甚兵衛に大室家を保護させていたんです。甚兵衛は西行法師こと佐藤義清が全国を行脚して作り上げた荘園管理職ですが、田布施の甚兵衛は佐藤姓で、この家から二人の首相が出ましたね。岸信介と佐藤栄作です。岸が後に朝鮮半島の開発で頭角を現すことはけっして偶然ではないんです。歴史の必然です。佐藤甚兵衛が田布施に入った段階で話は決まっていたとみるべきです。
『明治天皇“すり替え”説の真相』p.182


田布施だが、亀さんは旧ブログで田布施を取り上げており、『瀬島龍三と宅見勝「てんのうはん」の守り人』を著した、鬼塚英昭氏の田布施観を批判している。関心のある読者は一読いただきたい。
『瀬島龍三と宅見勝「てんのうはん」の守り人』

岸信介は、まさに昭和の妖怪と云うに相応しい人物だったと思う。そのあたりは太田尚樹の著した『満州裏史』に詳しく、岸信介の凄さの一面を窺い知ることができよう。それで思い出したのが、敬愛する今東光和尚と岸信介を巡るエピソードだ。

フジテレビから日曜対談のホストになってくれって言ってきたから「第一回目に岸信介さんを出すならひき受けるぜ」って言ったら、大砲撃たれたように驚きやがって帰ってった。でも「とにかく当ってみな」と言ってやって、とうとうTVにひっばりだすことに成功したんだ。人間、何でもやってみなけりゃあわからんもんだよ。

最初中ピ連の話なんかで気分ほぐしておいてから、「ひどい世相だ。特に自民党を見ると情けない。あなたは焼土の日本を見て、これをなんとかしなくては、と作ったのが自民党じゃないですか。その精神を忘れた自民党はぶっつぶす以外にない」と言ったら、なんと驚いたことに、乗りだしてきて腕まくりしちゃって大声になってね、こう言った。

「その通りだ。いまの自民党はご破算にして、やり直さにゃいかん!」

こりゃあ大変な発言なんだよ。知人の女のコなんか「なんで岸さんを……」と言ってたのが、TV見てから「私、岸さんをすっかり見直したわ」って言ってた。この大変なスクープを新聞杜の連中は誰もニュースにしやがらねえ。ぶったるんでるよ。

『極道辻説法』p.129


それに較べ、広島の崖崩れで大勢の人命が失われたというのに、ゴルフ三昧に明け暮れていた孫の安倍晋三、すっかり見損なったわい…。
安倍首相 「天皇静養取りやめ」で慌てて帰京のミエミエ本性

最後に、落合さんからメールをいただいている。そして、読者諸氏に伝えるよう依頼をされたので、以下に述べておきたい。

一点目だが、落合さんによれば「フルベッキ写真の例の青年は、践祚前の睦仁親王だと落合さんは推測しているが、それなら青年は12~3歳であるので信じがたい」と、斎藤さんが落合さんに対して語っている行があるという。つまり、「撮影時期が慶応元年」と落合さんが信じていると、斎藤さんが思っているのではと落合さんが心配しておられた。

しかし、同書のp.144でも、「撮影時期が慶応元年」と信じているのは、松重正氏であると斎藤さんは明確に述べており、落合説は「撮影時期は明治2年2~3月」と、斎藤さんは正しく理解されているので、落合さんの心配は無用のようだ。

二点目、落合さんが以下のように書いているので、読者も注意願いたい。

私は「フルベッキ写真の問題の一つはこの青年の正体が分からないことで、あるいは睦仁である可能性もある」と言っただけで、その可能性が大きいとまでは言っていませんから、お読みになるときに、誤解されぬようお願いします。


亀さんは長年にわたりフルベッキ写真の背景を追い求めてきた。途中、当時は慶応大学で教鞭を執っておられた高橋信一先生と、合流する形で旧ブログに「フルベッキ」と題するカテゴリを設け、主に高橋先生の論文を発表してきた。その高橋先生も件の青年が誰か分からないという。それは亀さんも同様だ。今のところ、写真に写る青年は定説通り、佐賀藩の藩校致遠館の学生の一人と亀さんは思っている。ただ、写真に写るは睦仁かもしれぬという落合さんの今回の推測に接し、本当であれば凄いことになると思った。斎藤さんが以下の写真を比較鑑定の依頼を行うと、同書の中で語っておられたが、どうなることやら今から結果が待ち遠しい。

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      『明治天皇“すり替え”説の真相』p.229           『明治天皇“すり替え”説の真相』p.273
あの深夜食堂が帰ってくる…!
本ブログでも時折取り上げたことのあるテレビドラマ、「深夜食堂」が今秋10月、3年ぶりに帰ってくる。また、来年の1月に映画化決定! 

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http://www.meshiya.tv/

ちなみに、以下は過去にアップした深夜食堂に関する記事…
訳者はヤクシャ
がんばれストリップ
息抜きに、深夜食堂…

アイヌ民族なんていない…?
8月20日の東京新聞朝刊に、札幌市議の金子快之氏が「アイヌ民族なんていない」と、ツイートしたことについて否定的な記事が載った。その時の亀さんは見出しだけに目を通して、困った議員さんがいるなぁ程度に思っただけだった。ところが今朝、ブログ「ネット des 新党」を見て、勘違いしていたことを知った。それを教えてくれたのが以下の記事である。
金子やすゆき・札幌市議会議員の「アイヌ発言」は一定の説得力を持っている【前編】

このブログの筆者・不破利晴氏は天木直人を共同代表とする、インターネット政党を立ち上げた中心人物のようだ。そして、「またもや暴言議員の登場かと最初は思ったが、よくチェックしてみると自分の思い違いであることを知った」と述べているあたり、人として誠実さを感じた。【前編】とあるから、続いて【後編】も出るのだろう、楽しみだ。

東京新聞は、読売、朝日、毎日、日経などと比較すれば、比較的まともな新聞であると思うが、今回のような勇み足的な記事を載せることもある。十分に注意しよう。

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ヒトにとっての「快楽」
過日の「パンツを脱ごう!」で紹介した、栗本慎一郎の以下の記述を思い出していただきたい。

2、それが大規模であり、組織的で効率的であればあるほどヒトは生き残れた。

3、組織的、効率的であるために、「快感」がセットされた。攻撃、戦闘、殺戮の快感である。

4、この快感が、建設、拡大の快感の起源である。


ヒト以外にも、たとえばライオはシマウマといった草食動物を殺すが、それは食うため=生きるためである。一方、ヒトは残忍な方法で、食うために殺すという以外の目的で、多くの動物、時には同じヒトを殺戮してきたし、現在も相も変わらず殺戮し続けている。それは、大勢のガザの老人、女性、子供たちを、イスラエル兵が連日殺戮しているのを見れば容易に頷けよう。この行為を栗本慎一郎氏のように、「快感」と呼んでいいのかどうかは分からないが、少なくともどうしようもないヒトの性と言えるのではないか。

そうしたヒトというものを考えると、以下の今東光の言葉も頷けるのではないだろうか。

人類が争いをやめ、一心同体になる日は?
何故、野心を持って人と人とが争うのだろう? 何故、闘争心が人と人とを戦わせるのだろう? 何故、人が人を苦しめるのだろう? すべての人類が一心同体となれるような世の中はこないのだろうか? 俺はもっと穏やかで、のんびりした平和な世の中になってもいいと思うんだが? (福岡市博多区 19歳 M.S)

バカこけ! そんな甘いこと考えているからダメなんだ。オレが「戦争は否定しない」などと言うと、すぐタカ派だの何だのと言うが、インドのシバという神様、魔神みたいなシバの神は、建設と破壊の両方を司るんだ。それくらい、建設と破壊というものは背中合わせになっているもんでね。

キリスト教の方でいうと、天使ガブリエルがそれだ。これはやはり戦争の神であると同時に産みの神なんだよ。処女マリアの前に受胎告知に現れたのがこの天使ガブリエル、それから戦場の上方で剣を握ってバッバッやっているのもガブリエルだ。ガブリエルが建設と破壊を司るんだ。だから、戦争があるたびに文明、文化が進んだんだ。

これはやむを得ざる人間の本能なんだけど、やっぱり神の意志であり、神の摂理なんだよ。戦争があるたびに文明、文化が進んできたというのに、それを「仲よく一心同体に」なんてふざけたこと、考えるな!

平和になりすぎたら、文明も文化も栄えやしない。人類の未来を支えてくれるかもしれない核エネルギーの利用法だって、ああいう戦争があって核兵器の研究が進んだからこそできるんであってな。何とぼけたこと言ってるんだ。世界は一つにとか何とか甘いこと考えるな。そんなふざけたバカなこと考えちゃいけない。常に破壊と建設、建設と破壊というものは、縄をなうようにしていって、そこに人間の生活が生まれ繁栄していき、入生を形づくっていくんだ。てめえみたいなこと考えちゃいけねえよ。

『最後の極道辻説法』p.143


※ 原発についての和尚の認識はピントがずれているが、30年以上前の発言なので仕方がないのカモ…。

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寅さんのことば 第2部 20

東京は葛飾柴又、江戸川のほとりよ。
第29作「寅次郎あじさいの恋」


今朝の「寅さんのことば」を読み、真っ先に頭に浮かんだのが室生犀星のことば、「ふるさとは遠きにありて思ふもの」だった。今や亀さん家は、関西や東北で生活する息子らの故郷である。先日帰省した下の息子は「ふるさとはいい、のんびりできる」と語っていたし、遅れた夏休みで近く帰省する上の息子も、同じようなことばを残していくのだろうな。

将来はアルゼンチンあたりで余生を過ごしたいと思っている亀さんだが、だんだんとふるさとで骨を埋めるのも、悪くないかもしれないと思うようになった。

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大学病院が患者を死なせるとき
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最近、ホームページ「飯山一郎のLittle HP」では、ガン治療の実態を暴く記事が連日のように流れ、ブログ「養生法の探求」では長期にわたりガン細胞についての記事が続いている。そんな折、まほろば会の道友が「近藤(誠)先生の本を未だ1冊も読んでいない? それなら、『大学病院が患者を死なせるとき』(講談社α文庫)を最初に読むと良い」と、アドバイスしてくれたので早速取り寄せ、漸く一昨日読み終えたところだ。

読了した瞬間、爽やかな秋風が身体を吹き抜けてゆくようだった。ガンで苦しんでいる人たちもは無論のこと、これからという若者への人生指南の書としても一読を勧めたい。以下、これはと思う行を羅列書きしておこう。

全て自分一人で発言・行動し、その結果を全て自分の責任として引き受けていく状況は、大変なように見えて、実は心が平静のままでいられる秘訣である。
『大学病院が患者を死なせるとき』p.50


亀さんは生き方として、「二十代は大企業で組織体を学び、三十代は中小企業でオールラウンドプレーヤーとして仕事に打ち込み、四十代で独立すべし」と若い人たちに説いているが、近藤氏の謂う独立と相通じるものがある、

学生の分際で改革運動をしても、どうせ大人たちにつぶされる。改革したいなら、社会人になってからのほうがいい。今は勉強して実力をつけるべきだ。
『大学病院が患者を死なせるとき』p.60


せっかく大学に進学したのに麻雀や遊びに現を抜かしたり、バイトに明け暮れたりする学生たち、あるいは大手企業に就職して安心してしまい、寄らば大樹の陰と言わんばかりに会社にしがみついている若者が多い。そうした若者たちは、近藤氏の云う「勉強して実力をつける」ことを忘れているのではないか。そんなことではお先真っ暗だ。

たとえ将来どんな目にあおうとも、患者のために行動するのが医者のつとめだろう。それが、目の前の患者に責任を持つということなのだ。
『大学病院が患者を死なせるとき』p.128


近藤氏は誠に任侠心に溢れた医者である。医者はこうでなくちゃいけないんだが、このような医者は残念ながら希有な存在だ。また、何も医者に限らない。今就いている仕事が何であれ、これから就く仕事がなんであれ、若者には近藤先生の仕事に対する姿勢を学んで欲しいと思った。

どんなに理由をつけようと、患者に十分説明したうえで同意を取ることをせず、治験や臨床試験に引っ張り込むことは許されるものではない。これは僕の人生の一大汚点だ。だから僕は、患者たちに対する償いのため、また若いドクターたちが前者の轍を踏まないよう、こうして告白し懺悔している。
『大学病院が患者を死なせるとき』p.292


亀さんがブログ「人生は冥土までの暇潰し」を書いている理由も、このあたりにある。要は亀さんのようにトンビで終わるな、タカになれということだ。

彼女は、細いかすれた声で、しかしはっきりと、
「私、もう疲れちゃった。眠りたい」と口に出した。
「お世話になりました。先生、私、先生に会えてよかった」
僕の胸は一杯になり、熱いものがこみあげてきた。

『大学病院が患者を死なせるとき』p.329


医者冥利に尽きると言うべきかもしれない。近藤氏の人としての素晴らしさが伝わってくる患者のことばである。

病人にとって不利益な状況を変えていくのは、患者や市民一人ひとりの熱慮と行動しかありません。
『大学病院が患者を死なせるとき』p.396


ガンに苦しんでいる人は、近藤氏のように熱慮と行動を実践している、飯山一郎さんの最近のホームページに注目していこう。
飯山一郎HP

ヒラリー、オバマ氏すきま風
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上の記事は、1週間前の8月14日付の東京新聞に掲載されたものである。本当は翌日の15日あたりにでも、真ん中下の「ヒラリー、オバマ氏すきま風」と題した記事を取り上げるつもりだったが、右側のプーチンとシシの並んだ写真の記事、および左側の「エジプト恐怖の国に」と題した記事の背景を確認しているうちに、記事のアップが今日になってしまった。

最初に、「ヒラリー、オバマ氏すきま風」についてだが、現在のアメリカは戦争屋と反戦争屋という具合に、大きく分けて二つの流れがある。この点を明確な形で公に指摘している識者は少なく、世界戦略情報誌『みち』の発行人の藤原源太郎さん、行政調査新聞の松本州弘氏(1年前の同紙記事「エジプト大混乱は中東大騒乱につながるか」参照)、グルンパの飯山一郎さんくらいのものではないだろうか。

最近はイラク爆撃再開、長期夏期休暇と評判の芳しくないオバマだったが、ヒラリーがオバマの外交を批判した記事、「ヒラリー、オバマ氏すきま風」を読み、オバマ健在なりと心の中で叫んだ亀さんである。「シリア反体制派への武器供与を提案したが、大統領に退けられた」と同記事にあるが、ヒラリーが不満を表明したのも彼女は軍産複合体の走狗だからなのだ。

1年前、モルシー派側について座り込みデモに、大勢の若者をけしかけたのはアメリカ、すなわち軍産複合体という戦争屋である。だから、亡くなった大勢の若者たちが、アメリカの戦争屋の意図を見抜けなかったのは、今から思えば残念だったとしか言いようがない。

なお、プーチンとシシが軍事・食糧面で関係を強化しているのも、アメリカの戦争屋に付け入る隙を見せない意味で歓迎すべきことだ。行政調査新聞の「エジプト大混乱は中東大騒乱につながるか」にある、以下の行に注目されたい。

ロシアのプーチン大統領は、モルシー政権が倒された結果、ムスリム同胞団を中心とするイスラム勢力と軍部が対立し、エジプトがシリアのような内戦状態に陥る可能性があると指摘している。まさにその通りで、その内戦状態こそ、両者に武器を供給する軍産複合体の願うところなのだ。


なお、エジプトを含め、中近東情勢を追っていくにあたり、見逃せないのが佐々木良昭氏のブログだ。一度アクセスしてみて欲しい。
ムバーラク体制のH.アドリー 元内相が革命の裏を暴露

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モーツァルトと寅さん
東京新聞のTV欄に毎週火曜日、「平原綾香と聴くクラシックの扉」という連載が載る。今朝の紙面は映画「ショーシャンクの空に」と、モーツァルトの「フィガロの結婚」だった。同映画は亀さんの好きな映画の1本であり、最後のどんでん返しも胸がスカッとしたが、主人公で服役中のアンディが刑務所の放送で流した、あのレコードも素晴らしかった。アンディが流したのは「フィガロの結婚」の「手紙の二重唱」で、改めて音楽の持つ力を思い知らされたのだった。亀さんはDVD版の「フィガロの結婚」を持っており、演出を手がけたのはジャン=ピエール・ポネルなのだが、久しぶりに鑑賞してみたいと思った。
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流石に同記事では、モーツァルトがフリーメイソンであったことまでは触れていない。亀さんは旧ブログで、メーソンとしての顔を持つモーツァルトについて書いているので、関心のある読者に一読してもらえたら幸いだ。
クラシックのすすめ

ところで、モーツァルトで思い出すのがウィーンでの寅さんだ。

寅:あの『もっつぁると』っていう人は、そんなに偉いんですか? 日本でいうと、偉さはどのぐらいなんだろうね? ま、銅像になってるくらいだから、西郷隆盛ぐらいだろうな。でも西郷隆盛は、寝巻着て犬連れてるからなぁ…


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寅さんの「西郷隆盛は、寝巻着て犬連れてるからなぁ…」という言葉を耳にして、必死に笑いを堪える久美子(竹下景子)…。

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しかし、さらに続く寅さんの話に我慢できず、爆笑寸前の久美子…。

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日本人は何を考えてきたのか
昨日は一日かけて、NHKスペシャルの「日本人は何を考えてきたのか」シリーズ、昭和編を計4本(第9~12回)鑑賞した。

第9回 ひろがる民衆宗教 ~出口なお・王仁三郎と大本教事件~
第10回 昭和維新の指導者たち ~北一輝・大川周明と2・26事件~
第11回 京都学派の哲学者と戦争 ~西田幾多郎から三木清まで~
第12回 女性解放運動はこうして始まった ~平塚らいてうから市川房枝へ


各々2時間近くに及ぶドキュメンタリーであり、感想はそれぞれ異なる。

第9回で取り上げていたのは、大本教の入門編といった感であった。同番組を見ながら、落合莞爾さんが『ニューリーダー』誌に連載中である、「吉薗周蔵の手記」を思い出した。「吉薗周蔵の手記」については、来週の19日に発売の『明治天皇“すり替え”説の真相: 近代史最大の謎にして、最大の禁忌』に、出口王仁三郎の出自や大本教が日本近代史にもたらしたものが、ある程度書かれているかもしれないと期待している。

第10回では北一輝と大川周明を取り上げているが、注目したのが二・二六事件と北一輝であった。同事件を考えるにあたり、常に参考にしているのが小室直樹の『昭和天皇の悲劇』だ。小室は以下のように書いた。

筆者(小室直樹)は、二・二六事件ほど天皇制の本質と、日本社会の構造的特色を如実に露呈した事件はないと思う。
『昭和天皇の悲劇』p.79


さらに、小室は「二・二六事件を貫くパラドックスこそ日本人の根本理念である。それを説明しうるのは、三島(由紀夫)哲学をおいてほかはない」と説くのであるが、それで思い出すのが今上陛下の次のお言葉である。

「僕はいろんな人から御進講を受けているけど、三島由紀夫さんのお話は聞かない。三島さんの思想は、八紘一宇、国民皆兵で、天皇は私的な一家の幸せを求めるものではないと考えているんじゃないかな」

三島さんの思想は、いわば皇室の人間否定で、殿下が思い描いていた幸せな家庭生活を否定する考えだと思われていたようです。
http://gendai.ismedia.jp/articles/-/37833?page=2


第11回の場合、改めて西田幾多郎の凄さを再認識し、現在世界で西田哲学が見直されつつあることを知った。同番組の水先案内人として、生物学者・福岡伸一氏が登場していたが、同氏の解説で西田の持つ生命観の凄さを知った次第である。以下は、西田の生命観について語る福岡氏の言葉…。

生命は多くの細胞と一つの身体が同時に存在するものと西田は説く。ある意味で矛盾した関係。たくさんのものが集まって一つのものができる機械的なものでもなく、一つのもののために沢山のものが奉仕しているのでもない。一つのものと沢山のものが同時にある状態。その同的な状態を生命という。


第12回では平塚らいてうと市川房枝が登場していたが、水先案内人の田中優子教授が、番組の最後の方で語った、「日本人は先の戦争を総括すべし」、この言葉が全4本のなかで最も重みを持つ発言であったと思う。以下の拙記事参照。
大東亜戦争の総括

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寅さんのことば 第2部 19

曲がりなりにも、俺はこの家の跡取りなんだよ。
第38作「知床慕情」


本来なら、寅さんは「とらや」の第七代目として店を継ぐはずだったのだが、テキ屋の世界に足を踏み入れてしまった寅さん、結局七代目を継ことはなかった。その辺りがよく分かるシーンが、第39作『寅次郎物語』に登場する。

働く? ふん、何言ってんだおめぇは。働くっていうのはなぁ、博みてえに、女房のため、子供のため、額に汗して、真っ黒な手ぇして、働く人たちのことを言うんだよ。俺たちは口から出まかせ、インチキくさい物売ってよぉ、客も承知でそれに金払う、そんなところで、おマンマ頂いてんだよ。


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パンツを脱ごう!
亀さんが気に入っているブログの一つ、「養生法の探求」で「ブラックパール」というシリーズが終わったのだが、その第19回に以下のような興味深い記述がある。

地球は原生代の23億年前と、7億年前と6億5000万年前の3回にわたり地球全土がマイナス40℃もの極寒環境に包まれてしまう全球凍結(スノーボールアース)を経て、またそれほど大規模ではなくとも小規模な氷河期を無数に経験しつつ、生命はこの過酷極まる地球で進化を遂げて現在に至っている。
http://kouhakudou.blog.fc2.com/blog-entry-754.html


スノーボールアースが世の中に知られるようになったのは、10年ほど前に放送されたNHKのシリーズ、「地球大進化」が最初だったのかもしれない(最近、NHKアーカイブズで再放送された)。地球で誕生した生命が三度にもわたって体験したスノーボールアースが引き金となり、当時の生物の95%が滅亡している。一方、生き残った一握りの生物は、直後に飛躍的な進化を遂げたのである。それも目の眩むようなもの凄い進化だった。そのあたりを図示化したのが、以下の「地球大進化」シリーズの一画面だ。

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いずれ生命についても書こうと思っていたが、ブログ「養生法の探求」を超えるような生命論は、とても亀さんには書けそうにないので、生命あるいは免疫について知りたい読者は、拙ブログをパスして迷うことなく「養生法の探求」にアクセスしていただきたい。

さて、今日の記事の見出しが「パンツを脱ごう!」なので、いつもの亀さんの下ネタの話が始まるのかと、勘違いする読者が続出するのではと心配なのだが、今回はいたって真面目な話だ。「パンツを脱ごう!」について書こうと思ったのは、ヒトは「戦争と殺戮に快感を覚える生き物」に他ならないことを証明したかったからだ。そのあたりは、拙記事「ドルとユーロを巡る覇権争い」でも約束していた。

ところで、北野氏は以下のようなことも書いている。

人間はなぜ、こんなバカげたこと(亀さん注:冷戦も含めた戦争)繰り返すのでしょうか? 仲よく暮らせばいいのに。私にはわかりません。
『プーチン最後の聖戦』p.268


北野氏の疑問に的確に答えているのが、栗本慎一郎氏の著作、殊に『パンツを脱いだサル』(現代書館)なのだ。『パンツを脱いだサル』を下敷きにして、戦争好きなヒトの本性を書くつもりで同書から抜粋したものがあるので、以下に転記しておこう。そして、折を見て亀さん流の解説を加えていくことにしたい。

ここで、急ぎの仕事が入った。再び本業に追われそうで、申し訳ないが数日は更新できそうにない… m(._.)m

1、ヒトは進化のプロセスにおいて「パンツ」をはくことを選び取った。そして同時にそれなしには生きていけない生命の形をも選び取った。
数百万年浅い海で生きたため、体毛を失い直立して、歩行(走行)速度の大変な退化と高血圧を生む心臓への大きな負担を得た。自由になった上肢を道具使用のために使うことはできるようになったが、木から木へと「腕渡り」をしていたときの腕力(筋力)は失われた。したがって、道具を使えるようになったといっても、かつての仲間であった類人猿と陸上であいまみえたとき(戦闘には)身体的に大変に不利であった。そこで道具と組織行動をもって対抗した。本当のところでは、「対抗」という言葉では済まされないほどの殺数と襲撃を行なった。

2、それが大規模であり、組織的で効率的であればあるほどヒトは生き残れた。

3、組織的、効率的であるために、「快感」がセットされた。攻撃、戦闘、殺戮の快感である。

4、この快感が、建設、拡大の快感の起源である。

5、攻撃されたのは、仲間の類人猿や他の動物たちであった。しかし、ひょっとしたら仲間のヒトであったかもしれない。

6、ヒトがアフリカ大地溝帯北部で類人猿や他の動物と出会ったのは、ダナキル地塁からの南下遠征の途中(初期)であった。その遠征は、新たに生きる地を見つけねばならぬ行動であったが、ヒトはその時期なりの「救世主」を必要としていた。

7、身体の不能を補う「道具」と言語から始まり、民族、宗教、国家という「制度」はみな、ヒトが生きるための「パンツ」であった。組織、攻撃、拡大、建設を快感とすることも同じである。それを統合するのが、救済思想だった。歴史を動かしてきた最終の力は、生産構造や資本や宗教ではなく、これである。

8、だが、市場社会という大制度を選び取ったことから、最終的には貨幣がその最上位にきてすべてを支配することになった。

9、貨幣はしだいにその力を増しただけでなく、ついには自らが生き延びるためには自己増殖が必要だという段階に入っている。冷戦終結以降の世界は明らかにそういう状態である。

10、しかし、鈍感な我々が気づいていなかっただけで、敏感な者は早くから気づきそれを悪用すらしていた可能性があるが、一八世紀後半以降の世界はすでにそういうことになっていた可能性(危険性?)がある。

11、そのことにいち早く気づいた者たちが今日のグローバルな資金資本家の基礎を作った。少なくとも、一八世紀後半以降の戦争や革命の(双方の)背後には資金資本があった。世界史の陰謀説の多くは、このことを側面的に主張しているものだ。

12、マルクス主義、レーニン主義は、この歴史の事実からむしろ目をそらさせる役を果たした。世界経済の具体的状況を理解せず、労働者が権力を取ればすべては変わるという「安易」なメシアニズムに人々を導いた。しかし、マルクスの時代においてさえ、国家経済内部の資本家はすでにとうの昔に見せかけの権力になっていたのだった。産業や生産から切断され、国民経済の枠から外れ、ときには金融からすら乖離した資金資本すなわち貨幣が実際の世界の権力者だったのだ。

!3、マルクスはともかくレーニンは、資金資本の役割や行動を十分理解していた。そのうえで、あえて「金融資本」と「帝国主義」という無効に近い概念を提出して真実から目をそらさせた可能性がある。ただし、帝国主義は当時の世界を説明するには便利な概念だった。問題は、そのエネルギー源である金融資本の概念である。レーニンは、マルクスの生産構造基本説を実質上無視しながら、正面からは批判しなかった。

!4、人類社会の現状を根本的に改革せねば、ヒトは生き延びられないであろう。もし我々が完全に貨幣に対し白旗を上げて屈服しても駄目だ。貨幣自身ももはや生き延びられるかどうか厳しい状態に入ってしまったからである。

15、こういう状態の中でヒト(人類)が生き延びうる道を探すなら、「パンツ」を脱ぐことしかない。だが、身体にすでに組み込まれた「パンツ」は、決意や哲学で捨てられるようなものではない。だから、それを無視するということではすみはしない。たとえば、食べることへの欲望や、性の快感や、遠征、攻撃・殺戮の快感を、ヒトは決意だけで捨てられない。だから本当にそうしたければ新たな作戦が必要である。それは何か。

16、そもそもヒトは他の生物(植物、動物)の命を奪うことなく生きることはできない。それらを意識して最小限にするにしても、欲望がたまりにたまって「過剰」になることを避けることはできない。ならば、それをある地点までは(ヒトが自らの身体の進化に積極的かつ有効に介入できるようになるまでは)逆手にとって生かすことである。

17、まずは、生きるために最小限の攻撃や建設を峻別して維持する。つましく安穏な生活を選び取ることが必要だ。ヒトは自らつましく自制心を持ち、他の生命を愛し、共存して生活することを決意し、断行せねばならない。

18、そのうえで貨幣の過剰な攻撃を廃するためにだけは、攻撃性、建設性を許すことにする。そのためにだけは発揮してよいこととする。ヒトの生命を無意味に(と言っても、貨幣のためには意味があるのだが)散らしつつ地球上いずくにも「遠征」する貨幣の個々の道を塞ぎ、抵抗し、非協力を貫き、最後には自分自身(貨幣それ自体)の存在こそ過剰の極致だと理解させ雲散霧消せねばならない。これは厳しい戦いである。

19、このことのためにだけ、ヒトは組織を作り、行動隊を作ることが許されるだろう。ただし、このとき、素直にして強靭な知性が絶対に必要である。何が真の敵かは真剣にかつ科学的に検討されねばならないし、資金資本家のグループとその仲間の学者に支配されるようではいけない。これも大変難しいことである。

20、言うまでもなく、『パンツをはいたサル』で述べた暗黙知、あるいは内知は「パンツ」ではない。それはヒトがヒトになる前から存在しているものである。だからそれはヒトが生きる道を探す資格を得れば、頼りにできるものだ。そのひとつがたとえば、自然や動物と言葉を使わずに交流できる感覚である。自然の声を聴くということでもある。動物たちはヒトよりはるかに大きくそれを持っている。かなりの個体差があるが、明らかにその力を保てているヒトがいる。個人の能力は、暗黙知、または内知を「磨く」ことによって発展させられると言ってもよい。これは諸存在の共存を助ける能力だ。もしもそれを生かす社会制度ができるなら、それは「パンツ」をかなり脱却できたものだといえるだろう。新たなあるべき社会制度についての議論はまだ早い。だが教育も、ヒトの暗黙知を意識的に発達させるものに変えられうる。

21、いずれも具体論はまだまだ先の課題だ。ただ言えることは、ヒトの個体が必ずある程度持っている「自然の声を聴く」能力を大切にしなければならず、集団においてもそれが生きる指針となるように変革していく必要があるということである。

さて、われわれヒトははたして、生きていけるだろうか。あるいは生きていく価値を自分たちに見い出せるのだろうか。


京都ウラ天皇と薩長新政府の暗闘
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明治天皇“すり替え”説の真相: 近代史最大の謎にして、最大の禁忌』と題する本が、落合莞爾・斎藤充功両氏の対談形式で学研から発売されるが、それに続いて『京都ウラ天皇と薩長新政府の暗闘』が、9月2日に成甲書房より刊行される。アマゾンの内容紹介には以下のように記されている。

皇室偽史を覆す落合秘史
ついに日本近代史の核心に迫る
「権力」「カネ」「宗教」をめぐる相克!

現在の公認史実の根底に「大ウソ」があるのはまぎれもない事実です。明治維新の根本計画となったのは存在そのものを極秘としてきた「堀川政略」だからです。これを覆すには、偽史当事者が必ず遺したはずの糸口を発見し、洞察によって偽史の動機と状況証拠を明らかにして世人の理性(総合判断力)に訴える以外にはありません。落合秘史、それは「歴史の再審請求」なのです。

偽史のケガレを禊祓う[落合秘史]シリーズ。皇室関係者も隠れ読む[薩長史観への再審請求]
(I)「明治維新の極秘計画」
(II)「国際ウラ天皇と数理系シャーマン」
(III)「奇兵隊天皇と長州卒族の明治維新」
(特別篇)「南北朝こそ日本の機密」


訳業の深い奥行き
毎週日曜日、東京新聞に読書欄が2ページにわたって掲載される。興味深い記事が多く、必ず目を通すようにしている亀さんだ。今朝の場合、エッセイストの酒井順子さんの記事が目に止まった。テーマは亀さんの生業である翻訳…。

(お金をもらっている)プロの翻訳者といっても、専門はさまざまである。ちょうど、プロの“スポーツ選手”といっても、サッカー選手もいれば、野球選手もいる。陸上選手もいれば、水泳選手もいるといった具合にである。

独断と偏見で言わせてもらえれば、スポーツの花形と言えば、やはり羽生結弦や浅田真央を頂点とするフィギュアスケートだろう。翻訳で言えば文学の分野に相当するかもしれない。無論、文学だけが翻訳ではなく、経済や科学といった、文学作品以外の多種多様な書籍や雑誌の翻訳もあるし、地味ではあるが企業のカタログ、マニュアル、会計報告書、その他の翻訳もある。亀さんが手がけているのは後者、すなわち業界では産業翻訳と呼ばれている分野だ。

酒井順子さんが翻訳論の書籍に夢中になっているのも、エッセイストである彼女が現在、古典の翻訳に取り組んでいるからに他にならない。文学面で日本最高の翻訳と言えば、森鴎外の『舞姫』であることに異論はないと思うが、現代日本に限定すれば、惜しくもこの世を去った故山岡洋一氏の訳した『国富論』だろう。その山岡氏との力量の差を思い知らされたのも、まそにその『国富論』であった。

実は、山岡氏の『国富論』が出る大分前、やはり山岡氏と交流のあった翻訳会社のS社長から依頼があり、数名の翻訳者とチームを組み、『国富論』を一部訳したことがある。最初に古い英語なので読解に苦労し、並行して行った当時の時代背景の調査でも一苦労、その上で読みやすい日本語に訳すという大変な作業だったと今にして思う。だから、山岡氏の『国富論』が発売されるや直ちに入手したが、彼我の力量の差に唖然とした亀さんだった。

その山岡氏が『翻訳とは何か』(日外アソシエーツ)という本を著しており、翻訳の仕事を考えている若い読者に一読をお薦めしたい。

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誰がために08 最終回
7月31日付けの東京新聞に載った、「誰がために」の最終回にあたる第八弾では、自衛隊が政治に翻弄され苦しむ姿を浮き彫りにしていた。また、昨日の拙稿「誰がために07」でも述べたが、貧困化に苦しむ若者が入隊する経緯も、同記事では明瞭に描かれていたと思う。

ところで、同記事で目を引いたのは以下の行である。

昭和40年代に採用を担当していた元陸将補の青山昌嗣(80)=愛知県尾張旭市=は、「分かってもらえないことばかりだった」と振り返る。日米交渉闘争のころ、高校に出向いて採用説明会を開かせてほしいと頼んでも、教師は「自衛隊は憲法違反だ」。生徒たちには「軍国主義の手先が来たぞ」とののしられた。


昨今の国民の自衛隊を見る好意的な視線を思うと、隔世の感がある。昭和40年代と言えば亀さんが高校生だった頃で、本多勝一といった左翼に感化されていたので、やはり自衛隊に対して軍国主義の手先的な捉え方をしていた時期だった。

ところで昨日、時間が久しぶりに取れたので映画「ホタル」を観た。高倉健主演の映画ということで期待していたのだが、見終えてどことなく違和感が残る映画であった。念のため確認してみたところ、監督が共産党を支持している降旗康男氏と知り、なるほどと納得した次第である。同映画に対する亀さんの感想を述べるとすれば、アマゾンのカスタマーレビューの以下の投稿が最も近い。

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もやもやした気分が抜けないまま、やはり最近録画しておいたNHKのハイビジョンスペシャル「最後の言葉 ~作家・重松清が見つめた戦争~」(2003年放送)を続けて観た。そうしたら、もやもやしていたものが一気に吹っ飛んだのである。このドキュメンタリーは後に、『最後の言葉 戦場に遺された二十四万字の届かなかった手紙』という本になって出版されている。

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アマゾンで同書のカスタマーレビューを読んだが、特に以下のレビューが気に入った。

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ここに来て漸く、重松清氏が「とんび」の作者だったこと思い出した。

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誰がために07
7月31日付け東京新聞の「誰がために」第七弾は、東日本大震災時の自衛隊の活動を取り上げている。そして、震災以降に国民の自衛隊に対する見方が変わったことが、同記事から読み取れるのである。

被災地での活動は自衛隊への信頼を高め、国による2012年1月の世論調査では、十人のうち九人が「よい印象を持っている」と答えた。被災前から一割増。入隊に関心を寄せる若者も増えている。


確かに、入隊に関心を寄せる若者が増えたことは確かだろう。ただ、別の角度から見ると、若者の貧困化が入隊を後押ししている一面も忘れてはならないのだ。そのあたりは、拙ブログ記事「暗黒時代を生きる若者」を参照されたい。自衛隊に入隊した若者たちの父兄に、家庭調査が送られてくるそうで、その中に「息子や娘が入隊したら実家に毎月×万円送って欲しいか」といった質問に答える箇所があるという。これが何を意味するかは、後にアップする「誰がために」08最終回で明らかになる。

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「集団的自衛権行使閣議決定」のウラに見えるもの
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今月号の行政調査新聞は、「集団的自衛権行使閣議決定」のウラに見えるものと、集団的自衛権を主テーマに取り上げている。一読して集団的自衛権を巡る一連の動きを、鳥瞰図的に把握できる優れた記事といえよう。神計らいか、ここ数日かけて読破した『日本の空を誰が守るのか』(佐藤守著 双葉新書)によって、改めて中国が東シナ海に固執して日本、ベトナム、フィリピンと争っている背景が明確に見えてきたが、今回の行政調査新聞の記事はそれを裏付けてくれるものであった。やはり、資源とは名ばかりで、中国の本当の狙いは核を巡る米国との拮抗だったのだ。詳細は同記事を参照されたい。
誰がために06
7月29日付けの東京新聞の「誰がために」の第六弾は、あの御巣鷹と自衛隊を取り上げていた。この墜落については色々と噂があるものの、今回は割愛させていただくとして、記事で特に印象に残ったのは最後の行であった。


「国民のために尽くす任務は変わっていないけれど、世の中は自衛隊を別の目で見てくれるようになった」。その思いを強くしたした現場が、2011年3月に派遣された東日本大震災の被災地だ。


東日本大震災…、あの日のことはまるで昨日のことのように憶えており、被災直後から大勢の自衛隊員をはじめ、地元の警察や消防の方々が懸命に救命活動をしていた姿が、今でも目に焼き付いている。そして、あの時ほど自衛隊に対して、国民から好意的な目が向けられたことは、未だかつて無かったのではないか…。

また、大津波が航空自衛隊松島基地を襲った模様のビデオも思い出す。その松島基地の司令官を務めた佐藤守氏の著書に、『日本の空を誰が守るのか』(双葉新書)があり、亀さんも一読してみた。なかでも、印象に残ったのが以下の行(p.184)である。

一つ目が、海上保安官と警察官と自衛官の育成、特に隊員の採用。4ヶ月で素晴らしい日本人に変身させる教育システムが陸海空自衛隊の教育部隊にはあります。目標を見失っている子供たちに希望を与えることができ、また雇用確保もできます。戦力拡張によって、敵に対して威圧もできます。


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4ヶ月の入隊訓練についての佐藤氏の言葉は本当である。亀さんも二十代前半、ある右派の会社社長の自宅に、友人と三人で遊びに行ったおり、「お前ら、自衛隊の入隊訓練を受けてみな。生まれ変わるぞ」と、その社長に言われたのを昨日のことのように思い出す。結局、亀さん自身は4ヶ月の入隊訓練を受けることなく終わった。だから、未だにトンビのままなのだろう(爆)。一方、身内に一人、実際に4ヶ月の入隊訓練を受けた者がいる。4ヶ月後、本人に直接聞いてみたところ、入隊訓練の4ヶ月間は、「今までの人生で最も密度の濃い体験」だったとのことだ。本物のタカに成長したことを確信した瞬間だった。

ともあれ、今の世界は何が起きるかわからないという、極めて不透明な時代にある。万一に備え、心の準備だけはしておきたいものだ。

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笹井芳樹博士の〝自殺〟
仕事に追われていた時、笹井博士自殺のニュースが飛び込んで来た。その時、真っ先に頭に浮かんだのが、「本当に自殺なのか?」という素朴な疑問だった。これは何も亀さんだけの思い込みではない。ブログ友の飯山一郎さんや飯山さんの〝娘〟きのこ嬢も、同様の疑念を抱いるのだ。特に、きのこ嬢のブログ記事は冴えていた。

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http://kinokokumi.blog13.fc2.com/blog-entry-6524.html

今日、仕事が一段落した後、録画しておいたテレビ番組で真っ先に見たのは、NHKスペシャルの「調査報告STAP細胞 不正の深層」だった。同番組のテーマからして明らかなように、故笹井博士や小保方博士が、あたかも不正をしたかのように印象付けようとする、偏見に満ちた番組であった。

それから、同番組で印象に残ったのが14分02秒あたりの以下のシーンである。

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生後一週間のマウスから細胞を取り出し、それをオレンジジュース程度の弱酸性の液体に25分漬すという説明のナレーションが流れたのだが、上の写真は件の液体を入れるワンシーンだ。

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25分後、上の写真のように細胞を別の容器に移し、さらに数日間培養すれば(STAP細胞が)できるという。

〝弱酸性の液体とは具体的にどのような液体か…、25分後に培養するために移した容器に入っていたのはピンク色の液体のようだが、本当にピンク色だったのか、その液体の正体は何だったのか、このあたりについてNHKは明確に伝えていない。熊本大学の太田准教授あたりに説明してもらえたら、液体の正体もスッキリするだろうに…。

それから遺書の件、飯山一郎さんが自身のブログ『文殊菩薩』で、小野寺光一氏のメルマガを紹介していた。数通の遺書の中には小保方博士宛があったこと、さらには「必ずSTAP細胞の再現に成功してください」、「あなたのせいではない」といった遺書の内容までが、いち早くマスコミからリークされたのは何故だったのか等、腑に落ちなかった亀さんだったが、小野寺氏のメルマガを読み漸く納得できた点が多い。
笹井芳樹博士の「死」は、どう考えても不自然です。 「自殺偽装」でしょう!

医療マフィアの闇は深い…。
寅さんのことば 第2部 17 & 18

さて、この寅さんの幸せが、果たしていつまで続くことでしょうか?
第6作「純情篇」


そういったようなことを信じて、生きて行こうじゃないか。
第19作「寅次郎と殿様」


最近の「寅さんのことば」をブログにアップする余裕もなかったが、今、一息ついたところだ。急ぎ、先週と今週の記事をアップしておこう。

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バカだねぇ…
最後に拙ブログを更新した7月29日から今朝に至るまで、14件の仕事をこなしてきたが、そのためにブログ更新が遅れたわけではない。偶然かどうかは知らないが、今回は翻訳よりも校正の仕事の方が多かったのだ。世の中いかに駄目な翻訳者が多いかを知る意味で、たまには校正の仕事もいいんだが、今回は酷い訳文のオンパレードだったため、ブログ更新どころではなかったのだ。

翻訳会社A:普通の日本人なら絶対に言ったり書いたりしないような、変な日本語の訳文を大量に同社の翻訳者が送ってきたので、その翻訳者に厳重に注意するよう会社に言っておいた。その翻訳者、同社で〝トップクラス〟の訳者として長年通っているとのことだったが、貴社の翻訳者に対する評価は甘いんじゃねぇのかと、ズバリ言っておいた。最終クライアントが亀さんの校正を大変気にいってくれていることもあり、このように強く出ることができるのだ。

翻訳会社B:ここの翻訳者も〝可笑しな〟日本語の訳文をよく書いてくる。まぁ、原文(英語)に引き摺られて直訳調になったのだろうと思うが、自然な日本語に訂正してファイルを送り返した。その訳者が女の子ということもあり、あまり強く言えない亀さんであった…(爆)。

翻訳会社C:ここの翻訳者は最悪最低である。普通の日本人なら絶対に言ったり書いたりしないような、どうしようもない日本語のオンパレードなのだ。徹底的に直してファイルを翻訳会社に送ったところ、それを訳者に転送したらしく、「この校正者(亀さんのこと)は必要もない箇所を訂正しているため、ファイルがメチャメチャになっている」と、あーでもないこーでもないとブツブツ文句を言ってきやがったという。

「男はつらいよ」のおっちゃん役を演じた森川信じゃないが、「バカだねぇ、この訳者は。ほんとにバカだ」と言ってやりたかった。しかし、このようなバカ訳者を相手にしても埒が明かないので、「翻訳文と小生の校正文お客様に渡して較べて貰え。お客様から何等かの回答があるまでは、俺は御社の校正の仕事は一切しないよ、そのつもりでいてくれ」と、その翻訳会社を突き放した亀さんであった。

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まぁ、こうしたバカな訳者には、今東光和尚の極道辻説法の「悔いのない人生を送るには…」を聞かせてやりたいよ、まったく…。


どんな場合でも百パーセント努力していたら、(つまり)自分の可能性のギリギリまでやっていたら、悔いなどありっこねえじゃねえか。


しかし世の中、このように酷い訳者ばかりではないので、まだ救いがある。

翻訳会社D:メインの翻訳者の訳文があまりにも酷く、大量の時間を費やしたので二度とこの訳者の校正はしないと、翻訳会社に対して啖呵を切った亀さんだった。そして次の翻訳者と組んで、29日に初めて校正の仕事をしたところ、素晴らしい訳文を送ってきた。簡単に「てにをは」を直した以外、ほとんど手を加える必要がなかった。仕事の後で私信を交わしたんだが、人としての誠実さを感じさせる訳者だった。まぁ、こういう訳者とこそ末永くお付き合いしたいよ。