〝daft prick〟はイギリスの俗語である。
昨日の日曜日は珍しく急ぎの仕事も入っていなかったので、録り溜めておいた映画を数本観た。どれもこれも初めて観た映画だったが、特に良かったのが「ノッティングヒルの恋人」という映画だった。アマゾンで確認してみたが、195名もの人たちがコメントを寄せていたところをみると、相当有名な映画なのだろう。

ところで、同映画の最後のシーンに来て、どうしても聞き取れないフレーズがあった。そこで、聞き取れないことばを確認したくなり、ネットで同映画のスクリプトを探してみたところ、以下のサイトに出会った。 http://www.awesomefilm.com/script/nothill.txt
WILLIAM: Thanks. I just wondered if Mr. Thacker realized he'd been a daft prick and got down on his knees and begged you to reconsider, whether you would...reconsider.
(キャメラの動き)We cut to Max, Bella, Bernie and Honey, all watching. Then back to Anna.
ANNA: Yes, I'm pretty sure I would.
ここへ来て、漸く〝daft prick〟の意味と使われた背景を、一致させることができた亀さんであった。この俗語は映画のようなシーンで使えば効果的なのだろうが、ネイティブでない限り使わない方が無難だ。(〝daft prick〟については、右を参照→ draft prickとは)
しかし、それでも〝daft prick〟ということばを、投げつけてやりたい対象がいる。
現在読み進めている本の一冊に、『原発大震災の超ヤバイ話』(安倍芳裕 ヒカルランド)という本があり、まだ三分の一を読み終えたのに過ぎないのだが、大筋で亀さんも同書の主張に同意する。そして、福島原発問題が未解決というのに、ノー天気に原発輸出を目論む政府、三年も経つというのに、未だに有効な手を打てないでいる東電こそ、〝daft prick〟と言ってやりたい対象なのである。

もう、日本という国も山河も終わっている。まったく将来に希望を見出せない今の状況にあって、ハッピーエンドで終わった「ノッティングヒルの恋人」を観て、一時だけだったが、原発事故前の幸せな日々を思い出すことができた。

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