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人生は冥土までの暇潰し

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人生は冥土までの暇潰し
亀さんは政治や歴史を主テーマにしたブログを開設しているんだけど、面白くないのか読んでくれる地元の親戚や知人はゼロ。そこで、身近な話題を主テーマに、熊さん八っつぁん的なブログを開設してみた…。
『国が亡びるということ』
佐藤優」、「半教養は無教養よりも悪い」と、『国が亡びるということ』(佐藤優 中央公論新社)を叩き台に、2本の記事を書いたが、もう少し同書について言及させていただきたい。

同書の性格を一言で言い表すとすれば、「レッテル剥がし」を試みた本と云えよう。つまり、〝外務省のラスプーチン〟というレッテルを貼られた佐藤優氏が、〝新自由主義者〟というレッテルを貼られた竹中平蔵氏のレッテルを剥がすという、一連の作業過程を示した本なのである。同書を読了後、竹中氏に貼られているレッテルを剥がせという佐藤氏の主張に、亀さんは全面的に同意するまでには至らなかったものの、じっくりと竹中平蔵という人物について見直す必要があると思った次第である。

以下は、赤と青の鉛筆を使って同書に引いた数多くの箇所の中でも、特に印象に残った箇所である。

・「人生には運もある。運が悪くて一時的に意に沿わない境遇に置かれることだってある。しかしそれぞれの立場で、少しでも高みを目指して自助努力するのは、言わずもがなのことでしょう」p.15(佐藤優氏の発言、以下佐藤)
・「資本論は、資本家見習い向けの書物ですよ」p.25(佐藤)
・結論から言えば、TPPは日本国家にとって極めて重要な意味を持つ協定(多国間条約)で、これは一日も早く加わって推進する以外にない。p.29(佐藤)
・アメリカが「環太平洋」という括りを提案してきた背景には、中国の動向があります」p.32(竹中平蔵氏の発言、以下竹中)
・アメリカと同様、ロシアにとっても「仮想敵」は中国なのです。p.35(佐藤)
・TPPは、中国に「世界のルール」を守らせ、国際秩序を保つための手段という意味でも、〝本命〟なのです。p.42(竹中)
・財政再建をするためには、消費税率を上げる前にやるべきことがあるんです。それは財政支出のカットです。p.47(竹中)
・日本の官僚社会は世界の中で見るとあきらかな「低学歴社会」です。p.64(竹中)
・「半教養は無教養よりも悪い」p.69(佐藤)
・「偏微分」がまったく分からないというのは、少なくとも外務官僚にとっては致命的です。p.72(佐藤)
・ハウツー的思考に凝り固まった人に話をするのは、なかなかしんどいものがあります。p.74(佐藤)
・ギリシアは、実は「ヨーロッパ」ではないんです。p.84(佐藤)
・今のヨーロッパの最大の問題は、多くの人が指摘しているように、「ユーロが暴落すること」ではないのです。まったく逆で、「ユーロが暴落しないこと」が問題なのです。p.93(竹中)
・相手に何か聞きたいことがある側、お願いしたいことがある側が、イニシアチブを発揮するわけです。p.105(佐藤)
・当然、アメリカはアメリカで一つの利害を持っています。ですから、冷徹な国際関係の中で、日本は日本の国益に沿った独自の判断を加えていかなくてはいけないのは当たり前です。p.116(竹中)
・「彼(亀さん注:後藤新平)のような人物がいない」というのが、今の日本の最大の悲劇です。p.167(竹中)
・日本は〝ショック療法〟でしか変わることができないのです。p.176(竹中)
・チャレンジする人間をつぶしてはいけない。チャレンジは国の活力になりますからね。「ハシズム」などというレッテルを貼って橋下さんを潰してはなりません。p.186(竹中)
・もし、経済成長させることを諦めて、「分配」の仕方でものごとを解決しようとするならば、これは熾烈な闘争になることを覚悟しなければなりません。人間という動物が常に成長を希求してきたのは、殺し合いをせずに生き残っていくための英知なのです。p.199(佐藤)


2~3項目だけ引用するつもりが、数多くの羅列書きになった(笑)。まぁ、忘れなければ一つ一つの項目について、今後折に触れて分析を試みるつもりだが、今回は、竹中氏の「彼のような人物がいないというのが、今の日本の最大の悲劇です」(p.167)という発言を取り上げておこう。

亀さんは「引き継がれていく命」と題する記事を3月14日に書いているが、その時に『日本史の謎は「地形」で解ける【文明・文化篇】』(竹村公太郎 PHP文庫)を取り上げている。この本を購入するきっかけになったのは、あいば達也氏の●「縮み志向の日本人」韓国人学者の言葉 ネトウヨの血圧上昇だが、比較文化論と題する記事で、同書が取り上げられていたことでピンと来るものがあったからだ。この後藤新平については、いずれ一度は取り上げなければならないのだが、今回は竹中氏が「彼のような人物がいないというのが、今の日本の最大の悲劇です」と述べた背景が分かるように、『国が亡びるということ』から一部を以下に引用するに留めておこう。一読すればお分かりのように、内容的には東日本大震災の復興構想会議の委員に対する、あの竹中氏の辛辣な批判となっている。

竹中平蔵 一つ確認しておきたい事実としては、実は大震災の直後から二ヵ月間、外国人投資家は日本の株を買い続けました。普通は震災などが起きれば投資家は離れていくと予想しますが、反対に彼らは日本株を買っていた。もちろん「日本株がすでに十分に下がっていたから」という側面はあります。けれども、ここで外国人投資家の投資心理をくすぐった大きなキーワードは、「フロム・スクラッチ」だと思うのです。言い換えれば、「ゼロベースからはじめることができる」という意味です。
例えば、広大なエコタウンをつくろうと思えば、まずは今ある街を壊さなくてはいけません。住民の方に移転してもらったり、すでに建っている建物を壊さなくてはならない。こういったことにかかるコストを、経済学用語では「サンク・コスト」と言います。日本語に訳せば「埋没費用」となります。でも、津波で被災した地域は、この「サンク・コスト」がゼロで、理想的な都市をつくることができるわけですね。農業に力を入れたいのであれば、これまでの細切れになっていた農地を一つに集めて、オーストラリアやカナダに匹敵するような広大で競争力のある農場をつくることも、少ないコストでできる状況にあるのです。
ぜひとも強い政治のリーダーシップの下で、このようなチャンスを生かして欲しかったのですが、復興計画がことごとく各省庁の権限の中に閉じこめられてしまい、小さくまとまったものになってしまった。そしてそれも遅れている。やはり“嘆き節”になってしまって申し訳ないのですけれども……。
「フロム・スクラッチ」だからこその“ビッグ・ピクチャー”がいるということです。

佐藤優 未来の日本はどうあるべきか、という「大きた絵」を描くということですよね。

竹中 そうです。本当はそれを描くことこそが、復興構想会議の役割だったんです。ところが、復興構想会議の委員が全員、役所に操られるかたちになったために、まるで絵を描けなかった。
後藤新平はまさに“ビッグ・ピクチャー”を描いたわけです。1923年の関東大震災の時に、「パリよりも立派な首都をここに作る」という目標を掲げて、40億円という予算の大プランを立てた。当時の40億円というのは、今の貨幣価値に換算すると約200兆円にものぼります。2011年11月22日に決まった復興のための補正予算が約10兆円でしょう。ものすごく大きな構想なのが分かると思います。当然のことながら批判もされました。時の大蔵卿の井上準之助も理解は示したのですが、「とてもそんな金はない」と首を縦には振らなかった。それで、結局200兆のプランは一〇分の一になったんですね。それでも、今回の補正予算よりもだいぶ大きい。
その“ビッグ・ピクチャー”があったからこそ、今の東京の骨格、例えば昭和通りが残っているわけです。ほかにも隅田川の橋というのは、構造物として、すごく立派です。これも後藤新平の立案です。

佐藤 大きな構想を持ち、お金をかけるべきところにかけたわけですね。

竹中 そうです。残念だけれども、「彼のような人物がいない」というのが、今の日本の最大の.悲劇です。
それにしても、今回の復興構想会議はひどい。まともな「絵」も描かずに、増税だけしろと言っているわけですから。“ビッグ・ピクチャー”を描く人の集まりどころか、ただの金庫番になってしまった。もう遅いのかもしれないけれど、どこかで思い切り方向転換をしないと、日本の将来に大きな傷を残す原因になりかねません。

『国が亡びるということ』p.165


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東京新聞朝刊(2014年3月16日)から
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済州島で起きた悲劇
昨日、渋谷のユーロスペースで映画「チスル」の上映が始まった。

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1948年4月3日、済州島で3万人ほどの人たちが、〝同じ韓国人〟によって虐殺されるという悲劇を描いたドキュメント風の映画だ。ここで、、亀さんは〝同じ韓国人〟と書いたのには理由がある。それは、半島の韓国人と済州島の韓国人とは気質が異なるからだ。事実、古代において済州島と日本との間には深い交流があった。そのあたりは、例えば「日本と済州島(オロモルフ)」といったネット記事を読めば、あるていどは察していただけよう。

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ここで、読者は亀さんが4ヶ月ほど前に書いた、「大海人皇子の正体」と題する記事を覚えているだろうか。同記事の中で、「天武天皇と済州島の関係は深い」と主張していた、飯山一郎さんの記事を紹介しているので、思い出す意味で再読してもらえたら幸いだ。

神計いか、今朝の東京新聞を読んでいたら、公益社団法人日本駆け込み寺代表理事・玄秀盛氏のインタビュー記事が目に入った。記事を読み進めていくうちに、玄氏の父親が済州島出身と知り、東京新聞が同氏のインタビュー記事を載せた〝訳〟が分かったものである。2日前の3月28日、同紙は夕刊に「チスル」を広告に出していたのだ。

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半教養は無教養よりも悪い
昨日紹介した『国が亡びるということ』(竹中平蔵・佐藤優共著 中央公論新社)で、印象に残った小節を以下に転載しておこう。文中にある、「高名な大使経験者」、読者は誰だとお思いだろうか…(笑)。尤も、亀さん場合は半教養どころか、無教養なんだが…(涙)。

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     ゲンナジー・ブルブリス

佐藤優 これは私も外交官時代によく経験したことですが、公使や参事官をロシア人のところに連れていくでしょう。最初の名刺交換の時はいいんです。ニコニコして握手すればいいんですから。ところが、教養が不可欠になる「杜交」となるとからっきしできない。そうすると、相手側も愛想を尽かして、そのうちに会ってもらえなくなるんです。これは国益にとって大変な損失ですよ。社交ができずに、腹を割った外交なんてできるはずがありません。

具体例を一つ披瀝しましょう。ゲンナジー・ブルブリスという人がいました。このブルブリスがソ連崩壊のシナリオを書いたんですね。彼らがさきほど話に出た“シカゴ・ボーイズ”と呼ばれたガイダル・チームを連れてきたんです。ブルブリスは弁証法的唯物論の哲学の先生だったのですが、私は彼に非常にかわいがられて、木戸御免でいつでも話を聞ける関係でした。

ある時、日本からある高名な大使経験者が文化交流という名目でロシアに来た。そして「ブルブリスと会いたい」と言うので、私がブルブリスのもとへ連れていったんです。すると、その大使経験者はいきなり、「私はドストエフスキーとトルストイから強い影響を受けました。ロシア文化を人生の糧にしたんです」と言うわけですよ。日本では「ロシアの文豪」でひと括りにされることが多いですが、ロシアではこの二人が、同じ土俵に上がることは絶対にありません。まずはそれで非常にまずい空気になったんですね。そもそもブルブリスは、「エリツィンを後ろで操っている『カラマーゾフの兄弟』に出てくる大審問官のような奴だ」と言われていた人ですよ。ブルブリスとしては、日本からやってきてわざわざそんな不自然な話をするのは、そういう自分への当てこすりだと受け取った。

竹中平蔵 なるほどね。(笑)

佐藤 さらに、そこで空気を察して黙ればいいのに、その方は「特に『カラマーゾフの兄弟』は良かった」と言ってしまったんですね。そうするとブルブリスとしても話を広げていかざるをえない。それで「じゃあイワンと、アリョーシャと、ドミトリーと、この三人の間の関係についてどう思いますか?」と質問した。すると、その高名な元大使の方は、下を向いて黙ってしまったんです。気まずい沈黙が流れた後、「読んだけれど、忘れました」と小声でつぶやきました。「人生の糧」と言っていたそばから「忘れてしまった」と。(笑)

竹中 それは、ひどいですね。

佐藤 この話にはまだ続きがあります。その元大使は「汚名返上をしないといけない」とでも思ったのか、今度は「先日、サミュエル・ハンティントンの論文を読みました」と言うわけです。ちょうどベストセラーになった『文明の衝突』が日本で出版された後でした。するとフルブリスは「読んだけど、忘れました」と言うわけです(笑)。そして、こう続けました。「日本でオスヴァルト・シュペングラーは訳されていますか?」。元大使はきょとんとしているんですね。さらに続けて、今度は私のほうを見て、「ニコライ・ミハイロフスキーの翻訳はあるのかね」と、そう聞くんですよ。つまり、ブルブリスは、「ハンティソトンの議論は、シュペングラーの『西洋の没落』や、ロシアの有名な地政学者であるミハイロフスキーの焼き直しだ」ということを、遠回しに言っていたんですけれど、元大使には、何のことだかさっぱり分からない。

結局、何ともいえない気まずい雰囲気のまま会談は終わったのですが、その元大使は大変満足したらしく、「ぜひまたお会いしたい」とブルブリスに笑顔を向けた。それに対してブルブリスは、「今度はロシア外務省を経由してアプローチしてください」と返したんですね。

ロシア外務省は、絶対にブルブリスとの面会を取りつけることをしません。

さらにこの話にはおまけがあって、帰りの車中で、元大使から私は説教をくらったんです。

「今日の会談は実によかった。しかし、ロシアもまだまだだな。ブルブリスはハンティントンをよく知らないようだし、いまひとつ教養に問題がある。君もロシアのことだけやっていないで、少しアメリカにも目を向けたらどうなんだ」と。(笑)

十九世紀ロシアの文芸評論家に、ディミトリー・ピーサレフという人がいるのですが、彼の言葉に「半教養は無教養よりも悪い」というものがあります。けだし名言ですが、日本の外交関係者には、そういう人たちが非常に多いんですよ。

『国が亡びるということ』p.66


佐藤優
新たに、「佐藤優」というカテゴリを立ち上げた。そのきっかけとなったのが、数日前に入手した『国が亡びるということ』(佐藤優 中央公論新社)という本である。同書は対談という形をとっており、対談相手はあの竹中平蔵氏だ。

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亀さんにとって佐藤氏は、三つの理由で大分前から気になっていた存在である。

一つは、佐藤氏は身近な存在であるからだ。

世界戦略情報誌『みち』の発行人・藤原源太郎さんや、その編集人・天童竺丸さんらは佐藤氏と交流があり、亀さんの上の息子も『月刊日本』誌が毎月開催している、佐藤氏による勉強会「太平記を読み解く」に数回出席していたからだ。亀さん自身は佐藤氏に会ったことはないが、2008年の『月刊日本』誌8月号以降、佐藤氏が連載している「太平記を読み解く」から刺激を受けていたし、ビッグコミック誌で連載されていた佐藤氏の獄中体験記の漫画版、『憂国のラスプーチン』を読んでいたことから、同氏の存在を身近に感じているのだ。

二つは、佐藤氏のリアリズム(複眼的思考法)に共鳴しているからだ。

確か『月刊日本』誌だったと記憶しているが、佐藤氏がTPP肯定論を書いていたことがあり、その時は異様に感じたものである。なぜなら、佐藤氏が「太平記を読み解く」を連載している『月刊日本』誌は、「特集 TPP参加は亡国への道だ」(2013年4月号)、「特集 TPP断固粉砕」(2013年5月号)、「特集 TPPで日本が消える!」(2013年8月号)で明かなように、一貫してTPP反対の立場を貫いている正統右翼の雑誌だからだ

そのTPP肯定派という佐藤氏の印象が薄れつつあった矢先、『国が亡びるということ』の小節「TPPは中国対策だ」で以下の佐藤氏の発言を読み、改めて佐藤氏がTPP肯定派であることを思い出したのである。

結論から言えば、TPPは日本国家にとって極めて重要な意味を持つ協定(多国間条約)で、これは一日も早く加わって推進する以外にない。
『国が亡びるということ』p.29


このTPPだが、『月刊日本』誌の「特集 TPP参加は亡国への道だ」(2013年4月号)で、亀井静香氏がTPP反対論を唱えている。一方で賛成論を唱えている佐藤優氏。両者の意見は大きく食い違っているように見えるかもしれないが、両者とも本物の国を憂う気持ちを持っているのが分かるのだ。唯一違うのは、亀井氏の場合は浪花節的な憂国の情であり、一方佐藤氏の場合はリアリストとしての憂国の情ということなのだ。

これは、どちらか良くて悪いという単純な話ではない。亀さんの場合、強いて言えば浪花節的な憂国の情に浸っていたのだが、リアリズムの権化とも言うべきプーチンの台頭で冷や水を浴びせられたというのが本当のところだ。それが、『六韜』を久しぶりに紐解くというきっかけになり、昨日の記事「プーチンと六韜」を書いたきっかけにもなった。

最後の三つは、佐藤氏とイスラエルの関係に強い関心があるからだ。

ビッグコミック誌で連載された『憂国のラスプーチン』で、ある日を境に東京拘置所の態度が急変したかと思うと、突然佐藤氏は自由の身となるシーンが登場する。漫画では以下のように佐藤氏の背後にイスラエルの存在があったことを明白に描いているのだが、『憂国のラスプーチン』が日本を代表するコミック誌に連載されたという背景に、佐藤優氏の背後にはイスラエルがついているというメッセージを伝えるという狙いがあったのではなかったか…。

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「憂国のラスプーチン」第5巻 何気ないと思っていた話題が、局面を変える。憂木の戦いは新たな舞台へ!

その佐藤氏をイスラエル寄りと考え、嫌悪感を抱く人たちもいる。例として、天木直人氏のブログ記事を以下に紹介しておこう。
イスラエルを公然と擁護する佐藤優の正体

しかし、亀さんはリアリストとしての佐藤氏の戦略が隠されているように思う。ここで、佐藤氏と深い繋がりを示すモサドのイスラエル(シオニズム)は、拙記事「パンツを脱いだサル 7」でも紹介したように、アメリカのネオコン、すなわち戦争屋と深く繋がっていることは周知の事実である。そのネオコンは戦争屋という立場にあるのだが、その戦争屋と真っ向から対峙しているのがプーチンだ。そのプーチンのロシアで活動したトロツキー派の国際共産主義組織から、アメリカのネオコンが誕生したのであるから、歴史とは皮肉なものである。

ともあれ、佐藤氏がイスラエルルートを〝利用した〟のは、佐藤氏が根っからのネオコンの支持者すなわち戦争屋だからだったからなのか、それともリアリストとしてモサドを〝利用した〟にすぎないのだろうか…。亀さんは後者であると思っている。このあたりは見極めが必要だが、以下の森元首相の推薦の辞がヒントになろう。ポイントは、「衰退していくアメリカ、台頭しつつある中国」だ。

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プーチンと六韜
ソチオリンピックの最中、ウクライナで勃発した出来事は記憶に生々しい。そのあたりの感想を亀さんは「ソチオリンピック以後」と題して記事にした。

その後、大手マスコミの報道を耳にし、新聞や雑誌に目を通したが、最も正鵠を射たウクライナ情勢についての記事を発表していたのは、飯山一郎翁、あいば達也氏、田中龍作氏の三者のブログ記事であった。月とスッポンではないが、少なくとも亀さんの目には他のネット記事を含め、テレビや新聞の記事はスッポンの部類に映った。あの東京新聞からして、何にも分かっちゃいねぇなぁと言わざるを得ない記事を連発している(苦笑)。そのあたりは、「プーチンは「悪」なのか?」を書いた天木直人氏の記事を読めば一目瞭然だ。

今後も正確なウクライナ情勢を追っていくためにも、飯山一郎翁あいば達也氏田中龍作氏のブログ記事は不可欠であることを念頭に置いておこう。

ところで、ソチオリンピック開催中に起きたウクライナ事変のニュースを耳にして、亀さんが本棚から取り出した一冊の本がある。中国の武経七書の一書『六韜』である。刻一刻と変化していくウクライナ情勢のニュースを追いながら、並行して亀さんは『六韜』を久しぶりに紐解いている。昨日、飯山一郎さんが以下の記事をホームページにアップしていた。
◆2014/03/22(土)2   『 プーチンの兵法 』

いま、我々が見ている『プーチンの兵法』は、『孫子の兵法』を凌ぐかも知れない。
『プーチンの戦争論』は、『クラウゼヴィッツの戦争論』にある「戦場の霧」を全て見透かした「軍事の天才」の「没我のリーダーシップ論」であろう。


『プーチンの兵法』が『孫子の兵法』を凌いでいるかどうかはさておき、孫子に匹敵するほどの兵法が我々の目の前で展開されていることだけは確かだ。よくぞプーチン兵法の目撃者として、凄い時代に生まれ合わせたものよと、天に感謝したい気持ちで一杯である。

なお、同記事に「名将は 戦わずして勝つ!」という文字が目に飛び込むが、亀さんもプーチンの動きを追いながら思い出した『六韜』の小節があった。以下に原典・読み下し文・現代訳を転載しておこう。

軍勢第二十六
武王問太公曰、攻伐之道奈何。太公曰、勢因敵家之動、變生於兩陳之間、奇正發於無窮之源。故至事不語、用兵不言。且事之至者、其言不足聽也。兵之用者、其状不足見也。倏而往、忽而來、能獨專而不制者兵也。聞則議、見則圖、知則困、辨則危。

故善戰者、不待張軍。善除患者、理於未生。善勝敵者、勝於無形。上戰無與戰。故爭勝於白刃之前者、非良將也。設備於已失之後者、非上聖也。智與衆同、非國師也、技與衆同、非國工也。

事莫大於必克、用莫大於玄黙、動莫大於不意、謀莫大於不識。夫先勝者、先見弱於敵而後戰者也。故士半而功倍焉。聖人徴於天地之動。孰知其紀。循陰陽之道、而從其候。當天地盈縮、因以爲常。物有死生、因天地之形。

故曰、未見形而戰、雖衆必敗。善戰者、居之不撓。見勝則起、不勝則止。故曰、無恐懼、無猶豫。用兵之害、猶豫最大。三軍之災、莫過狐疑。

善戰者、見利不失、遇時不疑。失利後時、反受其殃。故智者從之而不失、巧者一决而不猶豫。是以疾雷不及掩耳、迅電不及瞑目。赴之若驚、用之若狂。當之者破、近之者亡。孰能禦之。

夫將有所不言而守者神也。有所不見而視者明也。故知神明之道者、野無横敵、對無立國。武王曰、善哉。


第二十六 軍勢


武王、太公に問うて曰く、「攻伐の道、奈何」
太公曰く、「勢いは敵家の動くに因り、変は両陣の間に生じ、奇正は無窮の源に発す。
故に至事は語らず、用兵は言わず。且つ、事の至りは、其の言聴くに足らざるなり。兵の用は、其の状見るに定まらざるなり。條ちにして往き、忽ちにして来たる。能く独り専らにして制せられざるものは兵なり。
聞けば則ち議し、見れば則ち図り、知れば則ち困み、弁ずれば則ち危し。


故に善く戦う者は、軍を張るを待たず。善く患を除く者は、未だ生ぜざるに理む。敵に勝つ者は、形無きに勝つ。
上戦は与に戦う無し。故に勝を白刃の前に争う者は、良将に非ざるなり。備えを已に失えるの後に設くる者は、上聖に非ざるなり。智、衆と同じきは、国師に非ざるなり。技、衆と同じきは、国工に非ざるなり。
事は必克より大なるは莫く、用は玄黙より大なるは莫く、動は不意より大なるは莫く、謀は不識より大なるは莫し。夫れ先ず勝つ者は、先ず弱きを敵に見して、後に戦う者なり。
故に士は半ばにして功は倍す。


聖人は天地の動きに徴す、孰れか其の紀を知らん。陰陽の道に循いて、其の候に従う。天地の盈縮に当りて、因って以て常と為す。物に死生有るは、天地の形に因る。
故に曰く、未だ形を見ずして戦わば、衆と雖も必ず敗れん。善戦う者は、之に居りて撓れず、勝ちを見れば則ち起ち、勝たざれば則ち止む。
故に曰く、『恐懼する無かれ、猶予する無かれ。兵を用うるの害は、猶予、最も大なり。
三軍の災は、狐疑より過ぎたるは莫し』と。


善く戦う者は、利を見て失わず、時に遇いて疑わず。利を失い時に後るれば、反って其の殃を受く。故に智者は、之に従いて失わず、巧者は一決して猶予せず。是を以て疾雷、耳を掩うに及ばず、迅電、目を瞑するに及ばず、之に赴くこと驚くが若く、之を用うること狂うがごとし。之に当る者は破れ、之に近づく者は亡ぶ、敦れか能く之を禦がん。
夫れ将、言わざる所有りて守る者は、神なり。見ざる所有りて視る者は、明なり。故に神明の道を知る者は、野に横敵無く、対するに立国無し」
武王曰く、「善いかな」


■第三巻 竜韜

第二十六 軍勢(敵を破る勢い)


武王が太公望に尋ねた。
「敵を攻め伐つにはどうすべきだろう」
太公望は答えた。
「敵を攻め伐つときの勢いというものは、相手方の動きによって生じ、変化は両陣営の相対する間に起こり、奇襲と正攻とは見きわめがたい情勢の中から発生します。つまり戦はどう展開するかわからないのです。
それゆえ秘策も、用兵策もひとくちに言語で説明できるものではありません。用兵策も事態の進展に従って変化すべきで、きまった型があるわけではありません。すみやかに事を運び、間髪をいれないのが肝要です。臨機応変に敵から制せられないのが戦いの根本です。
いったい兵事は、敵の軍情を聞いては、いかに破ろうかと評議し、敵の軍形を見ては、いかにして撃破しようと図り、敵の方術を知っては、いかに困らせようかと考えます。その作戦を看破されては、たちまち軍は危地に陥るわけであります。


それゆえ、戦いに巧みな将は、戦陣を布かない前に、その智謀で敵を制圧しているわけです。よく国難を取り除く将軍は、まだ事が生じない前に処理してしまいます。善く敵に勝つものは、相手から攻撃される前に勝つのです。
理想的な戦いは、戦わずして勝つのです。白刃を接して勝敗を争うものは良将とはいえません。時機を失した後になって備えを設けるのは聖人とはいえません。智恵が凡人とおなじでは一国の師とはいえませんし、技術が凡人とおなじでは一国の名工とはいえません。
兵の事は必勝より大なるはなく、兵の用は玄妙沈黙より大なるものはなく、兵を動かすには敵の不意を襲うより効果的なものはなく、謀りごとは相手に知られないのが一番です。
勝利を得ようとするものは、まず自軍の弱体を敵に見せておいて後に戦うのです。そうすれば敵の半分の兵員で、敵の二倍の戦果をあげることができます。


聖人は天地自然の動きに順応して行動します。凡人はだれもその条理を知りません。聖人は陰陽の道に従い、その季候に従い、その変化の状況に従います。天地における満ち欠けの法則を把握して従うのを常法とします。万物に生と死とがあるのは、天地の満ち欠けの法則によるのです。
ですから『その形勢を見ないで戦えば、味方が多数であってもかならず敗北する。巧妙に戦うものは、どんな場合でも乱されることがなく、勝機とみれば兵を起こし、不利と思えばただちに戦いを止める』というのです。
また『恐れるな、猶予するな。兵を用いるとき、最大の害はぐずぐずと猶予することだ。軍には狐疑躊躇が最大の災禍である』ともいうのです。


戦いの上手な将軍は、利と見れば機会を逃さず、時機と思えばただちに決断します。有利な機会を失い、時機をはずすと災いを受けることになります。ですから智将は機会をのがさず、戦いに巧みな者は決断したらもう猶予しません。突然の雷音に耳をふさぐまもなく、稲光りに目をつぶるひまもない迅速さで敵陣になだれ込み、兵を用いるときは狂乱したかと思われるほどの威勢です。このような軍勢に当るものは打ち破られ、近づくものは滅び去り、だれ一人として、これに抵抗することはできません。
いったい将軍があれこれ口に出さないで、言語に表わせない機微で守るのを神業といいます。形に現れない敵の弱点を見破って勝つのを明智といいます。この神明の道を知る将帥には、野に横行闊歩する敵もなく、対立する国もないわけであります」
武王はうなずいた。
「まったくそうだ」


下の息子は「大学に進学するつもりはない」と、来週は親元を離れ、独り巣立っていく。その門出に亀さんが贈る予定の本が、中国の武経七書のうちの三冊、『孫子』、『六韜』、『三略』となった。

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失敗してもいい 僕はやるを選ぶ
3月16日付の東京新聞に掲載された「あの人に迫る」シリーズに、『岳』の作者石塚真一氏が登場している。彼は独学で漫画を学び、漫画家として成功した数少ない一人であることは、長年のビッグオリジナル誌の愛読者である亀さんは知っていた。最近も同じビッグコミックオリジナル誌に、『BLUE GIANT』という漫画を石塚氏は連載しているが、この漫画も亀さんは大変気に入っている。石塚氏の漫画については、拙ブログで「青春真っ只中」とか、「北狼」といった記事を書いているので、再読してもらえたら幸いだ。

ところで、石塚氏の漫画や亀さんの翻訳の場合、これといった資格は必要ないんだが、その資格に関連して東洋経済に興味深い記事が載っていた。かつて弁護士や公認会計士といった超一流の資格を持っていれば、一生安泰というイメージが亀さんにあったんだが、今や弁護士や公認会計士の資格を持っていても、おまんまを食っていくことが大変になっているらしい(若手弁護士で年収100万円というのはザラ…)。このように考えると、石塚氏の場合は漫画家としての腕だけではなく、〝運〟も大きく作用したのではないんだろうか。本当に運とは摩訶不思議なものだと、つくづく思う。
資格を取ると貧乏になる?驚愕の資格地獄

以下の石塚氏のインタビュー記事、就活中の学生や若いサラリーマンに参考になると思う。

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消された「西郷写真」の謎 02
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昨日、『消された「西郷写真」の謎』が、謹呈の形で斎藤充功さん本人から届き、一気に読了した。貴重な書籍を贈っていただいた斎藤さんに、この場を借りて厚く御礼申し上げる次第である。なお、同書はアマゾン等で来週の25日に発売されるとのことだ。「西郷写真」を通じて歴史の深淵を探ることのできる良書なので、幕末明治の歴史に関心のある、一人でも多くの読者に目を通してもらえたらと思う。

亀さんは今まで、西郷隆盛の写真が発見できなかった理由として、西郷の写真嫌いが主因だという俗説を信じていたのだが、今回の斎藤説に接し、考えを改めねばと思った次第である。では、何故に新政府は西郷写真を隠したのか…。斎藤さんは以下のように考えたのである。

だが、私は風野(真知雄)の仮説とは反対に(西郷隆盛の)「真正写真」が流布することを大久保(利通)は恐れたのではないかと推察している。
『消された「西郷写真」の謎』p.84


つまり、大久保をはじめとする時の権力が、さる事情で西郷写真を葬ったとする説である。詳細は同書を読み進めていくことで、その背景を読者は知ることが出来るはずだ。考えてもみられよ、以下のように木戸孝允、山口尚芳、岩倉具視、伊藤博文、大久保利通といった、明治という時代を切り拓いた錚々たる先達を撮った写真が、この世に数多く存在しているというのに、何故、今日の今までに西郷隆盛の写真を我々は目にすることができなかったのか…。

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そうした疑問を念頭に置きつつ、同書を紐解きながら西郷写真の真相が解明されていくプロセスを、興奮しながら読み進めていった亀さんだったが、やがて別の疑問が浮かび上がった。それは、以下の明治天皇パパラッチ写真である。この写真は5年前の2009年、東大総合研究博物館が本邦で初公開したものだ。(詳細は「明治天皇の“パパラッチ”写真も 東大で新出史料の日仏展」を参照)

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『消された「西郷写真」の謎』p.285

落合莞爾さんは、睦仁親王は孝明天皇と共に堀川御所(京都)に〝お隠れになった〟とする、〝すり替え説〟を主張している。一方、その落合さんと学研『ムー』で誌上対談を行った斎藤さんは、すり替え説に賛同するものの、明治天皇のパパラッチ写真を根拠に、「すり替えは即位前ではなく、即位後に行われたのではないか」(『消された「西郷写真」の謎』p.201)と疑問を投げかけた。どちらの説が正しいのか…。このあたりの判断は、落合さんと斎藤さんによる誌上バトルが『ムー』で予定されているので、いずれ事は明白になるだろう。

最後に、明治天皇と西郷隆盛に関連して、斎藤さんが以下のようなことを書いていたので紹介しておこう。

何故、西郷の写真が〝消された〟のか………それは前述した、横須賀行幸における、明治天皇のパパラッチ写真が関係していると私は考えている。
『消された「西郷写真」の謎』p.123


関連して、『消された「西郷写真」の謎』のp.176を引用して本稿を終えるとしよう。

大宅壮一の『実録・天皇記』(大和書房)には次のような記述がある。

明治の新政府が出来て間もなく、十六歳の少年天皇が、わがままをして〝元勲〟たちのいうことをきかないと、西郷隆盛は「そんなことではまた昔の身分にかえしますぞ」といって叱りつけた。すると天皇はたちまちおとなしくなったという話が伝えられている。


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『実録・天皇記』p.75

天皇家が語った「憲法」
3月10日、東京新聞に「天皇家が語った憲法」と題する記事が載ったが、今年に入ってからの同紙の記事の中で最も優れた記事だったと亀さんは思う。幸い、ウェブにも同記事が公開されているので、魚拓として以下に貼り付けておこう。

【私説・論説室から】
天皇家が語った「憲法」

 「今日の日本は戦後、日本国憲法を基礎として築き上げられ、平和と繁栄を享受しております」-。皇太子さまが五十四歳の誕生日を迎えられた際に語った言葉だ。

 「今後とも憲法を順守する立場に立って、(中略)事に当たっていくことが大切だと考えています」とも…。天皇は国事行為のみを行うとする憲法規定についての文脈だった。

 天皇陛下も昨年十二月に、八十歳になられた際に「今後とも憲法を順守する立場に立って、事に当たっていくつもりです」と話された。これは五輪招致活動で、皇室と政治の関わりが論議になったことへの文脈だった。さらに次のようにも述べた。

 「占領下にあった日本は、平和と民主主義を守るべき大切なものとして、日本国憲法をつくり、さまざまな改革を行って、今日の日本を築きました」

 皇后さまも誕生日に「憲法」を語られている。明治初期の「五日市憲法」のことだ。「世界でも珍しい文化遺産ではないかと思います」と感銘の気持ちを明かした。基本的人権や数々の自由など国民の権利保障を重視した、民衆がまとめた憲法案のことである。

 天皇陛下が政治について語ることはできない。さまざまな制約下において、「平和と民主主義を守るべき大切なもの」と表現した「お言葉」の中に、貴重な思いが潜んでいるように私には感じられる。 (桐山桂一)
http://www.tokyo-np.co.jp/article/column/ronsetu/CK2014031002000158.html


現憲法については、第九条に代表されるように、平和憲として捉えている護憲派は多い。その一方で、現憲法は〝GHQに〝押し付けられた憲法〟であり、見直すべきだとする改憲派もいる(ただし、「日本国憲法制定過程の真実」など、現憲法の草案は日本人の手によるとする説もある)。

斯様に現憲法について色々と意見があるのだが、少なくとも現憲法はGHQ。すなわちアメリカ製の憲法であることは紛れもない事実である。だから、亀さんは「明治憲法の真実」を書いたのだ。したがって、明治憲法の精神に立ち返ることが、日本の理想であるとすら亀さんは思っている。

ただし、亀さんのような民間人であれば、上記のような本音を言ったり書いたりしても許されようが、こと公の立場にある人たち、例えば日本の首相や閣僚などの場合、護憲派としての立場を貫くべきであり、それこそが国益に叶うことだと思う。

このあたりを分かりやすく解説しているのが、『プーチン最強講義』(北野幸伯 集英社インターナショナル)なので一読をお勧めしたい。北野氏の前著『プーチン最後の聖戦』は底が浅いと、「ドルとユーロを巡る覇権争い」で亀さんは酷評したが、一方で『プーチン最強講義』は優れている。なぜなら、プーチンを思わせるようなリアリストの視点が、『プーチン最強講義』では透徹されているからだ。特に、「憲法九条改正よりも集団的自衛権の行使容認を優先すべき」という『ワールド・ニュース・メール』の記事(2013年8月2日)を引用しているあたり、流石である。

〈ニューヨーク・タイムズ紙は同23日付社説で、「安倍氏は参院選の結果を右翼的な外交政策に対する支持と捉えるべきではない」と強調。
参院選の争点は経済であり、憲法9条改正への理解は得られていないとの見方を示すとともに、靖国神社参拝を見送るよう強く求めた。〉

〈また、保守系シンクタンク、ヘリテージ財団のブルース・クリングナー上級研究員らは、歴史間題をめぐる安倍氏の発言について「不必要に挑発的であり、逆効果だ。韓国との関係を冷却化させ、アジア安全保障に対する中国と北朝鮮の真の脅威から関心をそらせてしまった」と批判。
安倍氏に対し、河野・村山両談話の継承と靖国不参拝を明言するよう求めるとともに、
安保政策では憲法9条改正よりも集団的自衛権の行使容認を優先すべきだと主張した。

『プーチン最強講義』p.109


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ところで、北野氏は以下のようなことも書いている。

安倍総理は、「誇りある日本をつくるために憲法を変える」と仰っています。
しかし、憲法を変えて、尖閣・沖縄を取られたら、「誇りある日本」でいられるでしょうか?
総理の気持ちはよくわかりますが、ここは「リアリスト」であってほしいと思います。

『プーチン最強講義』p.111


その安倍首相、この一週間あたりから微妙に変化してきている。それは、時事通信社の以下の記事でも明白だ。

 安倍晋三首相が14日、従軍慰安婦制度への旧日本軍の関与を認めて謝罪した1993年の河野洋平官房長官談話の見直しを初めて明確に否定した。慰安婦問題で誠意を示すよう求める韓国の朴槿恵大統領に対し、関係改善に向けたメッセージを送った形で、首相は、24日からオランダ・ハーグで開かれる核安全保障サミットに合わせた日米韓3カ国首脳会談の実現につなげたい考えだ。

 「金曜の集中審議を見てもらいたい」。政府関係者によると、外務省の斎木昭隆事務次官は12日、ソウルでの韓国外務省の趙太庸第1次官との会談でこう語り、14日の参院予算委員会では、首相から踏み込んだ発言があることを事前通告した。

 実際、首相は同日、河野談話について「安倍内閣で見直すことは考えていない」と明言。「官房長官が答えるのが適当」などとはぐらかしてきた従来の姿勢を転じた。元慰安婦に対しても「筆舌に尽くし難いつらい思いをされたことを思い、非常に心が痛む」と語り、気遣いを見せた。

http://jp.wsj.com/article/SB10001424052702304730304579440402581922532.html


嬉しいニュースだが、その背後で安倍首相に何が起きたのだろうか…。幸い、今週末に世界戦略情報誌『みち』の藤原源太郎さんにお会いする。マレーシア航空370便消息不明事故と併せて、安倍首相の変化についてお聞きしてきたいと思う。

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引き継がれていく命
4日前、隣の町にある映画館で「小さいおうち」を見た。全編を通じて山田洋次監督の平和志向が滲み出た、素晴らしい映画だった。神計らいか、ブログ友の飯山一郎さんも同監督の「母べえ」を取り上げていた。

『母べえ』は,いまも進む戦争化の風潮に,いま,あらためて,力づよく,しかし,おだやかに,「No!」というメッセージを発信した映画である.昔風の言葉で言えば,「反戦平和」の映画である.
◆2014/03/14(金) 映画『母べえ』は 今を予言していた!


「小さいおうち」もまさに反戦平和の映画である。讀賣新聞に山田監督のインタビュー記事が載っているのだが、特に印象に残った同監督のことばは以下のとおりだ。

高度成長前の人々の暮らしを描く小津作品に「身の丈にあった日本人のもう一つのモデル」を感じると言う。「日本人は果てしなき欲望にとりつかれ、僕らは今、その果ての下り坂で立ちつくしている。その代償に、僕らは何を失ったのか。今作を作りながら、そんなことを考えていました」
「小さいおうち」山田洋次監督…3度目の赤い三角屋根


同映画では東京大空襲(1945年3月10日)のシーンが登場、大空襲でタキが女中奉公をしていた平井家の夫妻が死去する。そして、ラストシーンに向かって映画は一気に流れていった。

映画を見終わってつくづく思ったのは、「引き継がれていく命」である。父と母、祖父と祖母、大祖父と大祖母、高祖父と高祖母…、綿々と続く命の連鎖。亀さんの父を例に挙げれば、父は大正12年に東京市荒川区日暮里で生まれ、川越で思春期を送り、その後は飯能に移り、残りの人生を飯能で過ごした。亀さんは「人生は〝運〟だ」と題する記事を書いたことがあるが、父もある意味で運の強い方だった。

父は大正12年(1923年)生まれだが、もし、父が2~3年ほど早く生まれていたとしたら、今の亀さんはこの世にいなかったかもしれない。当時の日本は乳児の死亡率が異常に高かったからだ。その原因として様々なものがあったのだが、特に主因ともいえる一つが水道水であった。幸い、後藤新平東京市長による強力なバックアップもあり、大正10年に東京市で水道水を塩素殺菌するという事業が始まったお陰で、父は水道水の犠牲にならずに済んだ。むろん、仮に水道水の塩素殺菌が完成していなかったとしても、父は乳児期を無事に過ごせた可能性の方が高いが、それでも後藤新平のお陰で父をはじめとする大勢の乳幼児の生存率が高まったことは確かだろう。

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『日本史の謎は「地形」で解ける【文明・文化篇】』(竹村公太郎 PHP文庫)

もう一つの危機は、父が兵隊として満洲に渡った時である。運良く、シベリアに抑留されることもなく、父は生きて再び日本の土を踏むことができた。もし、戦場で父が命を落とすようなことがあったとしたら、やはり今の亀さんはない。

このように父一人の生涯を考えただけでも、運命というものを感じるのだ。亀さん家のルーツ探しも仕事に追われて挫折したままなのだが、優先順位として父の妹にあたる叔母に近く会い、いろいろと昔の事を聞き出しておきたいと思っている。

昨日、息子と一緒に母の入院している病院を一週間ぶりに訪問、母と息子の会話を傍らで聞きながら、「小さいおうち」で老いたタキ(倍賞千恵子)が、タキの妹の孫・健史(妻夫木聡)と交わしていた会話を思い出していた。

老いた親の捨て方
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月曜日(3月10日)、テレビ東京で放送していた映画「和ちゃんとオレ」を録画しておいた。アルツハイマーの老母を自宅で看護する息子の物語で、その息子の名を野田明宏という。彼がアルツハイマーになった母親の介護をしていたことは、2002年頃に本人のホームページ読んで知った。時折アクセスしていたのだが、いつの間にか更新されなくなったため、同ホームページにアクセスすることもなくなった(更新が途絶えたのはパソコンが故障したためであったことを後で知った)。そして数年が経過した先月の第四日曜日、拙ブログにも書いた東京新聞「お茶の間シアター」で、3月9日に「和ちゃんとオレ」という映画が放送されることを知った。「お茶の間シアター」の切り抜きアップした後、何となく気になったのでネットで確認したところ、やはり野田氏の介護の様子をドキュメント化した映画と知った。その時は、暫く会っていなかった友人に再会したような、懐かしい気持ちになったものである。同映画の詳細はテレビ東京の番組紹介を参照してもらうとして、兄弟もなく独身だったので妻子もいないため、独りで老母の面倒を見ている野田氏の後ろ姿を見て、言葉が出なかった亀さんであった。

「和ちゃんとオレ>」を見た翌日、数ヶ月ぶりにポッカリと仕事の無い日ができたので、急ぎ隣町まで電車で出かけ、山田洋次監督の「小さいおうち」を鑑賞した(この映画の感想は後日としたい)。

映画を見終わった帰り、東京新聞に載っていた週刊現代の広告に、大変興味深い記事があったのを思い出し、駅の売店で同誌を買い求めた。亀さんが関心を抱いた記事とは以下の記事である。

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「老いた親の捨て方」とは何とも非情なタイトルかと思うかもしれない。しかし、同特集にじっくりと目を通せば分かることだが、至極真っ当なことを書いているのだ。殊に、実際に老親の介護を体験した人であれば、同記事の内容に心から同意できるはずだ。一方、実際に介護を体験をしたことのない人たちの場合、たとえ同記事に目を通したとしても、非人情な記事と受け止めるだけで終わる可能性が高い。このように、実際に介護をしている者、そうでない者との間に横たわる溝は途方もなく深い。

以下はそのあたりを述べている同特集の行である。小柄で虚弱体質の娘(58歳)の話なのだが、彼女には痴呆症の父親がおり、悩んだ末に父親を施設に入れたところ、以下のような事が起きたのである。

(父親を施設に入れることが)最善の選択だと、悩み抜いた末の決断だった。
「ところが父を施設に入れたと知るや、他県に嫁いでいる妹や親族から、何度も避難の電話が入るようになったんです。妹は『姉さんは非情すぎる』と言い、親戚は『姥捨て山に捨てたも同然だ』と私を責めました。そんな日々が続き、やはり自分は間違っていたのかと、父の顔を見にいくのも苦痛になってきました」
 親を捨てることに関して依然として世間の風当たりは強く、その思いを口に出すことすらままならない。

『週刊現代』3月22日号 p.174


ネットで確認したところ、同記事を取り上げているブログが数本あったのだが、なかでも亀さんが共鳴したのが以下のブログ記事だった。
親を捨てるのは親不孝?自称「親孝行」の人生はそんなに美しいのか

読者は将来の老親の介護について、どのように考えているのだろうか?

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ドルとユーロを巡る覇権争い
引き続き前回の週刊ダイヤモンド(3月8日号)を取り上げたい。以下は同誌特集Part 2「消滅する職種 勝ち残る職種」(p.49)からの引用だ。


正社員は減り続け経営層だけが残る新たな働き方を模索
「現実は、あのリポートよりもっと早く進むかもしれない」
経営コンサルタントの長沼博之氏はこう指摘する。テクノロジーの進歩は、さらに指数関数的な勢いで進んでいるためだ。
そうなった場合、われわれはどういう働き方ができるのか。
一つのヒントは「クラウドソーシングにある」と長沼氏は話す。
クラウドソーシングは、企業がネットを通じて、不特定多数の個人に業務を委託するもの。個人のデザイナーやプログラマー、ライター、翻訳家らが、会社に出社しなくても世界中のさまざまな企業から仕事を受注することができる。
業界最大手のランサーズの秋好陽介社長は「日本では20年には正社員比率が50%を切るといわれている。そうなると、かなりの仕事はクラウドソーシングされたり、ロボット化され、会社組織には部長以上しかいなくなるのでは」と指摘。「その中で、時間や場所にかかわらず、どこでも働けるのが新たな生き方」と提唱する。
長沼氏によると、これからの仕事は単純作業や計算的なものがコンピユータ化、クラウドソーシングざれる」方、より創造的で、人との対面が必要な感情労働が従業員の仕事とじて残っていく。
こうした社会では「われわれの年収が200万円に落ちても、テクノロジーの恩恵で今の年収500万円以上の生活が送れる。決してネガティブではない」と長沼氏。
それは、われわれ人問にしかできない、人間らしい仕事にだけ集中すべきということかもしれない。


ご参考までに、英文だが長沼氏が語るレポートとは以下の論文を指している。
http://www.oxfordmartin.ox.ac.uk/downloads/academic/The_Future_of_Employment.pdf

ここで腑に落ちないのは年収についての長沼氏の話で、200万円では独身ならともかく、これでは結婚して家庭を持ち子どもを育てることもできない。

それから、「個人のデザイナーやプログラマー、ライター、翻訳家らが、会社に出社しなくても世界中のさまざまな企業から仕事を受注することができる」というクラウドソーシングとやらの世界は、すでに現実のものとなっているのだ。亀さんは翻訳を生業としているが、翻訳の仕事を始めた2000年の時点からメールで翻訳の仕事の打診を受け、訳し終えたものをメールに添付して翻訳会社に納品するというパターンで今日まで来ている。

亀さんの場合、インターネットのおかげで徐々に世界中の翻訳会社との取引が増えていった。ここで過去のデータを確認してみると、初めて海外の翻訳会社と取引を開始したのは、2006年4月18日とある。2006年当時の取引先のうち、国内の翻訳会社の仕事が全体の95%を占めていたのだが、2014年の今日では逆転して海外の翻訳会社の仕事が全体の95%を占めるまでになったこともわかる。

さらに、過去のデータをドルvs.ユーロの視点で眺めてみて、面白いことに気付いた。最初はドル、ユーロ、ポンド、クローネといった外貨で翻訳料の支払いを受けていたのだが、当初は比率から言えばドル対ユーロは5対1と、圧倒的にドルによる支払いが中心だったのだ。ところが、2011年にはほぼ1対1となり、2年が経過した昨年(2013年)に至っては1対3と逆にユーロで支払いを受ける方が多くなっている。

ついでに、ユーロと亀さんの面白い関係を述べておこう。翻訳者を目指した亀さんは1998年9月30日に前に勤めていた会社を希望退職したのだが、その3ヶ月後の1999年1月1日に欧州通貨統合か成立、すなわちユーロが誕生している。つまり、亀さんの翻訳者としての人生はユーロのそれと重なっているというわけだ。

ここで、ユーロか誕生した背景は大切なので、心に刻んでおく必要がある。このあたりを簡素にまとめているのが、『プーチン最後の聖戦』(北野幸伯著 集英社インターナショナル)だ。

欧州の、たとえばドイツ、フランス、イタリア、スペインなどが一国で覇権を取るというのは、あまりにも現実離れしています。では、どうするか?
そう、欧州を統合し、巨大な一つの国家にしてしまえば、アメリカから覇権をうばえるだろうと。
フランスの著名な経済学者で、一九八一年~一九九一年まで大統領補佐官をつとめたジャック・アタリはいいます。
「通貨統合・政治の統一・東欧やトルコヘのEC(欧州共同体)拡大。これらが実現できれば、欧州は二一世紀アメリ力をしのぐ大国になれるだろう
反対に、「アメリ力をしのぐ大国になるために、EU(欧州連合)を東欧に拡大し、共通通貨をつくるのだ」ともいえますね。
そして、一九九九年一月一日。欧州通貨統合がスタートしました。
ユーロの誕生です。
当時参加一一ヶ国の人口は二億九〇〇〇万人、GDPは六兆三〇〇〇億ドル。アメリカは二億七〇〇〇万人の七兆八OOO億ドル。
ついに、ドル体制を崩壊させる可能性のある通貨が登場したのです。

『プーチン最後の聖戦』p.110


ここでのポイントは、基軸通貨としてのドルの時代に終止符を打つということであり、まさに今のプーチンが狙っていることと重なるのだ。このあたりは説明すると長くなるので、北野氏の『プーチン最後の聖戦』を一読すると良いだろう。ただ惜しむらくは北野氏の場合、ツランという視点が欠けている。そのため、全体的に解説調で深みのない本で終わっているのが残念である。同書の深みを増すためにも、栗本慎一郎や天童竺丸の著作に目を通すことを勧めたい。

また、オバマ大統領に対する見方で、その人の持つ大凡の世界観が分かるというものだが、北野氏の場合は以下の行に全てが出ている。以下の行を北野氏が書いたのはオバマ再選前という点を割り引くとしても、北野氏のオバマに対する見方は底が浅いと言わざるを得ない。

さて、オバマ。
オバマは、自分の政策を「グリーン・ニューデイール」とよぶなど、ルーズベルトを研究していることはまちがいありません。
そして、ルーズベルトとまったくといっていいほど、同じ道を進んでいます。
大規模な景気対策で状況を安定させた。
しかし、財政均衡派から激しいバッシングを受け、苦しんでいる。
ルーズベルトはその後、「戦争」という選択をし、アメリカ経済を復活させました。
これは、アメリカの歴史でも(人道的な話を抜きにすれば)めったにない成功例でしょう。
ヒトラーという大悪党をやっつけたばかりでなく、景気もよくしたのですから。おかげで、ルーズベルトは、ワシントン、リンカーンとならび称される「偉大な大統領」とよばれています。
もしオバマが「偉大な大統領」になりたければ、「彼のやり方を真似よう」と考えても不思議ではありません。

そう、オバマは「戦争をしてアメリ力を復活させよう」とするのではないでしょうか?

ちなみに、「核なき世界」「イラクからの撤退」などを叫び、大統領に当選したオバマ。「ノーベル平和賞」も受賞しています。
ところが二〇一一年三月、ちゃっかり「リビア戦争」を開始しています。
アメリカ史上最悪の財政状態でも、戦争をする。
いや、史上最悪の財政状態だからこそ、戦争をするのでしょう。

『プーチン最後の聖戦』p.277


ところで、北野氏は以下のようなことも書いている。

人間はなぜ、こんなバカげたこと(亀さん注:冷戦も含めた戦争)繰り返すのでしょうか? 仲よく暮らせばいいのに。私にはわかりません。
『プーチン最後の聖戦』p.268


このあたりの回答は、亀さん流に近く記事にしたいと思っている。

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生き残る職種…
昨夜、フジテレビの「奇跡体験! アンビリバボー」を久しぶりに見た。拙稿「HIS誕生秘話」を書いて以来で、昨夜取り上げていたテーマは「老舗バス会社★全国初の奇跡とは?」。

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亀さんが同番組を見て特に印象に残ったのが、「社員を愛する」という言葉だった。同番組を見逃した読者で、上記のフジテレビの記事を読んで思うところがあった読者は、実際に十勝バスを取材した『黄色いバスの奇跡 十勝バスの再生物語』(吉田理宏著 総合法令出版)に目を通すといいだろう。

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神計らいか、放送のあった同日、用事で立ち寄った駅前のコンビニで週刊ダイヤモンドが目に止まった。今秋あたりから就活がスタートする京都の息子に、同誌の特集「社員の本音47万件で評価 本当にいい会社ランキング」を知らせていたので、同特集の大凡の内容は把握していたのだが、実際にコンビニで手に取ってみて、手許に置いておくだけの価値はあると判断したので迷わず購入した。特に、「社員を愛する会社」を評価している同誌の姿勢が気に入った。

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ところで、同記事のp.46~47に、「オックスフォード大学が示した 生き残る職種はこれだ!」と題した味深いグラフが載っている。以下はグラフの左半分のコピーだが、縦軸は生き残る職種を示し、上に行くほど将来的に生き残る可能性が高い職種ということになる。一方、下に行くほど生き残れない職種ということになるんだが、ナント亀さんの仕事(翻訳)の場合、グラフの「翻訳家」を赤い丸で囲み矢印で示したように、将来的に生き残っていくのがキビシー職種とある(笑)。確かに、亀さんも15年近い翻訳者としての体験から、文学作品の翻訳などはともかく、マニュアルや契約書といったタイプの翻訳は、機械翻訳でOKという時代になりつつあるので、「翻訳者」に関しての同グラフの評価に異存はない。

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ちなみに、横軸は年収を表している。翻訳家の場合、4.5(万ドル)とあるから、円に換算すると450万円(1ドル=100円)ということになるんだが、まぁ、平均を取ればこんなもんだろう。

しかし、オックスフォード大学のグラフはコンピュータ化社会を前提に予測したものであり、縦軸の「将来性」や横軸の「収入」以外に、「やりがい」という“第三の軸”に欠けている。たとえば、翻訳家のすぐ左に俳優、すぐ右に歴史家という文字が目に入るが、亀さんの仕事仲間の訳者に生きがいを見出している者が少なからずいるように、役者という仕事にやりがいを感じている俳優も多いはずだ。これは、歴史家についても言えることだと思う。

まとまらない話になってしまったが、今後も就活を控えた大学生や就職した若者を対象に、色々な記事を本カテゴリ「仕事の話」に書いていこう。乞うご期待!
山崎行太郎を応援する!
山崎行太郎氏は『月刊日本』の論客ということもあり、同氏のブログ「毒蛇山荘記」は毎日チェックしている。その山崎氏、最近はかなり良い記事を連発しているのだ。殊に、3月2日の記事は素晴らしい。その記事で山崎氏は、小室直樹と室谷克実を比較しており、二人の間の知的パワーに雲泥の差があると書いている。亀さんは室谷某の本は読んだこともないので何とも言えないのだが、小室直樹に関しては同氏の本を30冊以上読んでおり、今でも大切に保管している。無論、韓国関連の書籍も数冊読んでいるが、どの本も素晴らしい韓国論であった。その小室直樹を山崎氏が高く評価しているのを嬉しく思ったし、一方で室谷某の評価も山崎氏のそれで間違いないのだろうと推測できるのだ。

室谷克実と小室直樹の落差。韓国国民にとって「安重根」「李舜臣」とは何ものか? 室谷克実は、「安重根」を「伊藤博文」殺害の「テロリスト」と呼び、こんなテロリストを国民的英雄とみる韓国国民を、劣等国民と見なし 、嘲笑するが、果たして、室谷克実の評価は正しいのか? 室谷克実こそネット右翼以下の「居酒屋政論オヤジ」ではないのか。実は、小室直樹が、「安重根は偉大な人物だった」と、安重根を絶賛していることを知っているだろうか?
http://d.hatena.ne.jp/dokuhebiniki/20140302/1393707447


以下は一昨日の新聞広告だが、室谷某の著したという『呆韓論』が23万部も売れたとある。世も末だ…。

室谷克実の韓国論は、単なる無知蒙昧、且つ下卑た韓国蔑視論であり韓国差別論にすぎない。この程度の本が、書店の店頭にうず高く積み上げられていること、そしてそれを読む人が多数いること、これこそ日本の恥だろう。
http://d.hatena.ne.jp/dokuhebiniki/20140302/1393707447


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今日の日本と「小さいおうち」2
拙稿「今日の日本と「小さいおうち」」に書いたように、久しぶりに隣町の映画館に行き、「小さいおうち」を見に行こうと張り切っていたのだが、大雪で足止めを食い、大量の仕事に追われていたため、結局未だに行くことができないでいる。先ほどネットで確認してみたところ、今週の金曜日で上映が終わってしまうことを知ったのだが、この分だと行けるかどうかはビミョウになってきた。

それでも、以下の東京新聞の記事を改めて読み返すと、無性に行きたくなる自分がいる。最後に映画館に足を運んだのが、1986年12月6日に公開されたトム・クルーズ主演の「トップガン」以来だから、実に28年振りの〝快挙〟になるはずなんだが…。

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同映画を高く評価しているブログもある。特に、以下の言葉には思わず唸った。

 倍賞千恵子の泣きは、いい芝居だからとか、いい脚本だからとか、そういう頭で理解するレベルを超えていると思う。人間のむき出しの感情そのものであり、直接本能に訴えかけてくるものがある。黒木華も、松たか子も、吉岡秀隆も、存在感のあるいい芝居をしていたが(特に黒木華はよかった!)、倍賞千恵子のあの泣きには、やはりどうしたってかなわない。倍賞千恵子、万歳!である。
映画 『小さいおうち』 感想


生きなおす
東日本大震災から一ヶ月ほど過ぎたころ、高校に進学した下の息子の学校から、「わが子を語る」と題したプリントが配布された。冒頭には以下のようなことが書かれていた。

ご入学おめでとうございます。これからの指導の参考にさせていただければと思っておりますので、以下のことがらについてお書きいただけると幸いです。プライバシーについては守秘いたしますので、ご協力をお願いいたします。お書きになった後は、お手数ですが封筒に入れ、4月13日(水)までにお子さんを通じて担任まで提出の程、よろしくお願いいたします。


そこで亀さんは息子のこと以外に、わずか1ヶ月前に起きた東日本大震災について以下のように認めた。

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しかし、学校側が放射性物質の怖さについて、真剣に受け止めていなかったのは、一部の生徒達が夏休みに被災地を訪れ、ガレキ処理を手伝ったという学校ニュースからも明かであった。息子は部活の夏季合宿があったのでボランティア活動には参加していないが、もし参加しようとしたとしても親として絶対に行かせなかっただろう。驚いたことに、今でも似たような活動が続いていることを、昨日の飯山一郎さんのHP記事で知った。
◆2014/03/02(日) うつくしい言葉 うつくしい奉仕 うつくしい体験

息子が来週卒業する学校は、先月中旬にノロウィルスによって学校閉鎖に追い込まれた。3年以上にわたり内部被曝をしてきたことによる、免疫力の低下が主要な原因であるのは、ほぼ間違いのないところだ。

そんな折、BSジャパンで放送された「生きなおす」という番組を見た。放射能についての認識が甘いところがあるものの、その点を除けば素晴らしい番組であった。特に、南米からのボランティア獣医、伊東節郎氏のシーンが強く印象に残った。原発事故から2ヶ月後、政府は原発周辺の牛の殺処分を決定した。そして3000頭いた牛の半分が実際に殺処分され、残り半分のさらに半分、750頭は牛舎に繋がれたまま餓死、そして残った750頭が現在も生きている。これには、政府の殺処分を無視してでも牛と共に生きようとした、数少ない牧場主の存在があり、そうした牧場主の生き様に伊東氏は惹かれたのである…。

「牛をお金を生む経済家畜として見るのではなく、われわれ人間と同じ生き物として見るという視点を、今回の原発事故は我々に教えてくれた」という吉岡氏のことばからも、311以降の人々の物の見方考え方が大きく変わりつつあることが分かるのである。

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生きなおす 吉岡忍が歩いた被災地の3年間

ソチオリンピック以後
ソチオリンピック開催中はテロ事件が勃発するのではと危惧していたが、どうやら杞憂で終わりそうだと内心ホッとしていた矢先、ウクライナ情勢緊迫化というニュースが飛び込んで来た。そのニュースを耳にした途端、アンチ戦争屋の〝仕業〟だなと亀さんはピンと来たのだが、それに関連して、先月の下旬にお会いした世界戦略情報誌『みち』の発行人、藤原源太郎さんは以下のように語っている。

金融ハルマゲドン(世界恐慌)は時間の問題と、あのFT(Financial Times)すらが報道するまでに現実は進んでいる。しかし、私は金融ハルマゲドンには紛争も加わると思っており、その前触れがウクライナ暴走や『アンネの日記』事件だ。


アメリカは自らが抱えている天文学的な数字の負債を、いずれは解決しなければならないのだが、昔であれば戦争屋が台頭して、大きな戦争を引き起こせば負債をチャラにできた。しかし、今やプーチンを首領とする反戦争屋の世界になっており、戦争を引き起こしてチャラにしようとしても、そうは問屋が卸さないのが現在の世界だ。それでも、アメリカは他国に世界恐慌の震源地という尻ぬぐいさせようとしているのが分かるのであり、その意味で中国や日本のアジアも震源地候補だが、それに対して否定的な見解を藤原さんは示している。

ロシアが対北朝鮮の債務八割をチャラにしたのも、東アジアを金融ハルマゲドンの震源地にしたくないという意志の表れだ。


この藤原さんの発言を裏付けているのが、佐藤優氏の以下の記事だ。
ロシアが北朝鮮の債務110億米ドルを免除し、経済協力を本格化する

これに加えて、〝新フグ計画〟を藤原さんは仄めかしていたのだが、亀さんも同感である。ただ、そうした世界の動きから取り残されそうなのが、我が祖国日本だ。そのあたりは過日の「プーチンの肚」にも書いたので参照して欲しい。

杜甫は「春望』」で「國破れて山河あり」と詠んだが、日本という国が破れるだけではなく、山紫水明の地であった日本の山河も放射性物質まみれとなり、我々は国も山河も失うのである。


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消された「西郷写真」の謎
実は、数日前から斎藤充功さんの新刊本『消された「西郷写真」の謎: 写真がとらえた禁断の歴史』の予約販売が開始されている。しかし、本の写真が無いので斎藤さんに画像ファイルの送信を依頼したんだが、まだ返信がない。アマゾンには今月の25日発売とあるが、本当に間に合うのかと、人ごとながら心配になってきた(爆)。

その斎藤さんと先々週の週末に都内でお会いした時、亀さんが今までやってきたフルベッキ写真の努力は何だったのかと、愕然とさせるほどの内容だと自信ありげな顔で語っておられたのを思い出す。ともあれ、今回は存在していなかったとされていた西郷隆盛の写真が、海外に実存していたというだけで大スクープなのだが、欲を言えば、さらに一歩踏み込んで何故に西郷隆盛、大久保利通、西郷従道、大山巌、東郷平八郎、山本権兵衛等々、錚々たる明治維新の立役者が加治屋町という狭い一点から輩出したのか、このあたりを落合秘史と絡め合わせて是非解き明かして欲しいと思う。

その落合秘史は内容が内容だけに一般の人たちには確認のしようもないのだが、写真をベースにした独自の情報源を持つ斎藤さんは、落合秘史について腑に落ちない点が多少あるようで、近く『ムー』という場所を借りて誌上バトルを開始すると聞いている。また、その単行本化も計画しているようだ。どのような展開になるか、今から楽しみである。

ところで、西郷隆盛と言えば月照を思い出すが、世界戦略情報誌『みち』の「巻頭言」で、天童竺丸さんが以下のような興味深い記事を書いている。落合秘史に肉薄できる内容だけに、是非この機会に一読願えたらと思う。
伏見宮人脈探求に向けて

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               月照


自然こそ我が師
千島喜久男博士のことは知っていたが、「養生法の探求」というブログにシリーズとして連載された「千島学説リボーン祭り」を読み、徹底的に千島説を知りたいと思うにいたり、『血液と健康の知恵』(地湧社)を紀伊國屋に注文した。現在少しずつ通読中だが、医学だけではなく、言霊、古事記についての記述もあり、なかなか懐の深い本のようだ。

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ところで、千島説の一つ、「すべての体細胞や生殖細胞が赤血球へと逆分化」だが、これを山中伸弥博士のiPS細胞に結び付けて考えている、「みなみの香草屋」という面白いブログに出会った。

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iPS細胞と千島学説

千島博士の『血液と健康の知恵』を読み進めていくにつれ、かつて西原克成博士の『内臓が生みだす心』を読んだ時のような興奮が蘇ってきた。千島説とIPS細胞との関係といった話以外にも、新しい発見がいろいろとあるのは間違いなさそうで、今から楽しみだ。

なお、冒頭の「養生法の探求」というブログだが、現在「エンタングル」というシリーズを展開中で、こちらも目を離せない。

お茶の間シアター
今日から3月、東京新聞では最終日曜日のTV欄に、翌月放送される映画のリストを載せるのを恒例としている。亀さんは見たいと思う映画を赤鉛筆で囲んでおくのだが、仕事(翻訳)があるので殆ど見ることができないし、見ることができても一ヶ月先というのはザラだ。それでも、赤鉛筆で囲んだ映画を録画し、DVDに焼き、ラベルをプリント、最後にExcelで作成した個人用データベースに入力という、一連の作業を今でも続けている(段ボール2箱分)。ちなみに、最近焼いてプリントしたのが以下の映画だ。

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その他に本やCD(音楽・落語・ラジオ等)のデータベースも構築しているのだが(段ボール1箱)、これについては別の機会に書こう。

今月の映画で目を惹いたのは、11日に放送される「スティング」だ。今から40年ほど前、サンフランシスコで学生をやっていた頃、街の映画館で一度見たきりなのだが、何故かポール・ニューマンの鮮やかなカード捌きを今でも思い出す。たしか、その後は原書(英語)も入手した記憶があり、家の何処かにあるはずだ。

今春高校を卒業する下の息子が、先月の中旬から下旬にかけて京都・奈良を一人旅しているが、専らの寝泊まりは京都の大学に通う兄の寮だった。その寮には寮生の関係者が寝泊まりする客室があるのだが、図々しくも一週間ほどそこでお世話になったという。一昨日、下の息子が元気に帰宅したが、京都・奈良の体験は大変面白かったと語っていた。その土産話のなかで、ナント上の息子の部屋には「スティング」のポスターが貼ってあることを知った。上の息子と「スティング」の話をした記憶はない。しかし、亀さんが今の上の息子と同じ年齢(20歳)の頃に映画に夢中になっていたように、どうやら彼も映画病にかかったようだ。そして、何故か下の息子にも映画病が感染したようなんだが…(笑)。

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