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人生は冥土までの暇潰し

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人生は冥土までの暇潰し
亀さんは政治や歴史を主テーマにしたブログを開設しているんだけど、面白くないのか読んでくれる地元の親戚や知人はゼロ。そこで、身近な話題を主テーマに、熊さん八っつぁん的なブログを開設してみた…。
大転換期の前触れ
相変わらず仕事に追われながら、都知事選の細川小泉元首相の演説、そしてSTAP細胞の小保方晴子さんという、二つのニュースを中心に追っていた。両ニュースを追いながら脳裏に浮かんだのが、「プーチンの肚」で紹介したプーチンの言葉だ。


「もっと深く長期的な意味では、現在の問題(世界金融危機)は、一時的な性格のものではないということだ。今日直面している問題は深刻なシステム危機であり、グローバルな体制転換の地殻学的な(変化の)プロセスである。新しい文化、経済、技術、地政学的な時代への移行であり、世界は乱気流の発生している地域へと突入している。そして、疑いもなく、この時期は長期間続き、痛みを伴うことになる」
『ヴラジーミル・プーチン』p.180


上記の行を読み、間もなく新しい時代の兆候が、誰の目にも明らかになってくるのだろうという予感はあったが、こんなにも早く顕れるとは思ってもみなかった。吉川英治ではないが、まさに夜明け前が一番暗かったのだ。

まだ、じっくりと二人の元首の演説、殊に小泉元首相の演説を分析していないのだが、あの飯山一郎さんが自身のブログ『文殊菩薩』で、以下のように断言しているのを目の当たりにして、本当に小泉は変わったのかもしれないという気がしてきた。

「原発事故を体験した者なら福島の痛みを思い、原発なきに日本に日本を変えようと思わずにいられようか!」 と絶叫する小泉純一郎。彼の政治思想は変わった! (飯山一郎)
http://iiyama16.blog.fc2.com/blog-entry-7270.html


それにしても、何が小泉を変えさせたのだろうか…。ともあれ、暫くは小泉元首相の動きから目を離せそうにない。

次に、亀さんはiPS細胞の山中伸弥教授を、折あるごとに本ブログで紹介してきた。なぜなら、世紀の発見ともいうべきiPS細胞、西洋の科学者なら独占して大もうけするのが普通のパターンなのに、山中教授はそのようなことはせず、逆に「一部の多国籍企業が独占するのを防止」するため、iPS細胞関連の特許を山中教授は取得したのである。これが意味するところは、万人が特許を気にせずにiPS細胞の研究ができるということであり、まさに「公に根ざした特許」と云えよう。未確認ではあるが、STAP細胞の小保方晴子さんも、マスコミを通して言動を観察する限り、やはり山中教授のように「公に根ざした特許」を取得済みなのだろうと思いたい。

最後に、小泉元首相と小保方晴子さんに共通するものこそが任侠であり、これからも大勢の任侠を解する日本人が出現し、新しい時代の幕を開けてくれるのではと、ふと思った。

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落合さん、『ムー』に登場!
2月9日発売の『ムー』(三月号)に落合莞爾さんが登場する。記事の題名は「日本の正体 明治維新の南朝革命のカラクリ」とある。それ以外に、同号の総力特集「陰陽師・安倍晴明と裏天皇の謎」も面白そうだ。ちなみに、アマゾンでは予約販売を開始した。

また、あの飯山一郎さんが『スターピープル』(Vol.48)に登場している。

飯山一郎が“スターピープル”でも語っている。買って読もうネ!」と気が向いたら、いや気が向かなくても皆に知らせて下さい。m(__)m


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お二人に比べると大したことはないけど、亀さんも来月発売の翻訳関連の雑誌に登場の予定です (^^);

暗黒時代を生きる若者 2
半年ほど前、「暗黒時代を生きる若者」と題する記事を書いたが、今日はそのパートⅡである。

昨日、NHKのクローズアップ現代「あしたが見えない ~深刻化する“若年女性”の貧困~」を見た。一緒に同番組を観ていた下の息子に、「父の若い頃は、正社員で入社するのは当たり前の時代だった。そして、しっかりと人生設計を立てることもできた時代だった」と、明るい未来を誰もが描くことができた1970~80年代の話をしたところ、「どうして正社員になるのが困難な世の中になってしまったのか」と問うてきたので、現在都知事選で細川候補を応援している小泉純一郎が、日本に対して行った悪業の数々を簡単に説明した。現在、彼は島地勝彦関連の本や、、『ヴラジーミル・プーチン』(石郷岡建)といった本に目を通している最中だが、読み終えたら堤未果の著した『貧困大国アメリカ』(岩波書店)を手渡すことにしたい。

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それにしても、同番組に登場した19歳の女の子の悲痛な叫び、「未来に希望が持てない」に胸が痛む。残念ながら、今の日本は「将来に希望のもてる若者を育てている」とは到底言い難く、亡国に向けて驀地に突き進んでいるのが現実だ。

亀さんには就活を迎える息子もいることもあり、今後も折に触れてカテゴリ「仕事の話」への投稿を増やしていくつもりだ。また、就活についてアドバイスする上で役立つのが、「My News Japan」だろう。同サイトを支援する意味で、仕事が一段落したら会員登録(有償)するつもりでいる。

大室寅之祐と田布施
『奇兵隊天皇と長州卒族の明治維新』(落合莞爾 成甲書房)だが、第Ⅰ部「奇兵隊天皇と防長卒族」を漸く読み終えた。第Ⅰ部の内容は、大室寅之祐(明治天皇)の遠祖が大塔宮(護良親王)であること、さらには田布施の謎、すなわち卒族の存在を浮き彫りにしたもので、息を呑んだ読者も多かったことだろう。

現在通読中の第Ⅱ部は明治維新の原動力となった、薩長藩閥のもう一方の雄藩・薩摩を取り上げている。本業に追われているので、第Ⅱ部を読了するのは今週末になりそうだが、この後の展開が今から楽しみである。

ところで、通読中の第Ⅱ部に落合さんの著した『南北朝こそ日本の機密』(成甲書房)に対して、以下のような批判があったという。

「南北朝なんて、そんな下らないモノをテーマにせず、小栗上野介のような面白いモノを書け」『奇兵隊天皇と長州卒族の明治維新』p.133


京都の某大学で歴史を学ぶ上の息子が久しぶりに帰省した折、落合秘史が話題になったのだが、彼は『南北朝こそ日本の最高機密』を通読し、彼の通う大学の歴史の教授陣と落合さんとを比較するに、月とすっぽんだと語っていた。もしかしたら、卒論も南北朝にするやもしれず、その折りは数年前にお会いした落合さんと再会し、南北朝について色々と教えを乞うつもりだと語っていた。蛇足ながら、その落合さんを評して、現代日本人の最高の知識人と語っていたのは、皇室情報に詳しい栗原茂さんである。

最後に、3月に入ると斎藤充功さんが西郷写真の新刊本を上梓する。関連して、昨年暮れに斎藤さんが和歌山の落合宅を訪れているが、その時の対談内容が記事となって、来月発売の学研『ムー』に載るということで、これも今から楽しみである。

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ツランの源流を求めて…
ロシア NOW」というニュースサイトがある。シベリアの多様な民族の写真集や記事を掲載していることが多く、ツラン情報を追う亀さんが注目しているメディアの一つだ。そんな折、雲間から射す一条の光を思わせるような写真集が今朝載った。
エレーナ・シュミロワ:若い二児の母親の写真が大人気

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国と国民の捨て石になる覚悟
「国際派日本人養成講座」というメルマガがある。今日届いた同メルマガは、中野陸軍学校と小野田少尉を取り上げていた。小野田氏にインタビューを試みたことのある斎藤充功さんが、以下の記事を読んだとしたら、どのような読後感を述べてくれるだろうか…。

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■■ Japan On the Globe(833) ■■ 国際派日本人養成講座 ■■

Common Sense : 国と国民の捨て石になる覚悟
~ 陸軍中野学校

「地位も名誉も金もいらない。国と国民のために、捨て石となる覚悟」を持った男たちがいた。

■転送歓迎■ H26.01.26 ■ 45,258 Copies ■ 3,796,203,Views■
無料購読申込・取消: http://blog.jog-net.jp/


■1.「30年間もジャングルで生き抜いた強い意志は尊敬に値する」

 小野田寛郎(ひろお)さんが1月16日に亡くなった。昭和19年末、22歳にして、米軍上陸間近のフィリピンのルバング島に送られ、「離島残置諜者」として、米軍占領後のゲリラ戦指揮を命ぜられた。

 以後、30年間、ジャングルに立て籠もり、戦後のフィリピン警察軍による93回の討伐にも屈せずに戦い抜いた。その間、姉や兄弟による現地での呼びかけにも応じず、最後に元上官からの「命令」を受けて、ようやく投降した。

 投降後、小野田少尉はマルコス大統領に「30年間もジャングルで生き抜いた強い意志は尊敬に値する」と賞賛され、過去の行為はすべて赦された。[a]

 それから40年、小野田さんの逝去に、米紙ニューヨーク・タイムズは評伝を掲載し、小野田さんが任務への忠誠心と忍耐力を体現し、「戦後の繁栄と物質主義の広がりの中で、多くの日本人が失われたと感じていた誇りを呼び覚ました」と評している。[1]

 小野田さんは「軍国主義教育」で鍛えられた、と思い込みがちだが、事実は異なる。中学校を卒業すると、貿易商社に就職して中国の武漢に赴任し、英国製の背広を着て、米国車に乗り、夜のダンスホールに入り浸る生活をしていた。

 中国娘を口説けるほど中国語ができるのを買われて、陸軍の諜報員養成機関、中野学校に送られ、そこでわずか3ヶ月の特訓の後に、フィリピンに向かったのである。

 この若きプレイボーイを、マルコス大統領やニューヨークタイムス記者も賞賛する戦士に変身させた陸軍中野学校とは、どのような学校だったのだろうか。


■2.「本日から、いっさい軍服を着てはならぬ」

 陸軍中野学校(当初は「後方勤務要員養成所」)の第一期生が集められたのは、昭和13(1938)年春だった。陸軍大臣命令で、各部隊に「1名ないし数名の部隊最優秀者を要員候補として推薦するように」との指示が出され、その中から、家族関係、思想傾向などの審査、および面接の結果、20名が選ばれた。当時の日本における最優秀の若者たちと言ってよい。

 選ばれた20人は上京すると、「平服で靖国神社の第二鳥居の下に集合せよ」と命ぜられた。定刻に集まっていると、背広姿の紳士が迎えに来た。一人があわてて挙手の礼をすると、「平服で、敬礼する奴があるか」と小声でたしなめられた。

 その紳士に連れられて、小学校の分教場のような古い二階屋に辿り着いた。その中には、6つの部屋があり、教室が一つ、小使い室一つ、事務室が二つ、兵隊ベッドの並んだ寝室が二つあった。

 そんな薄汚い建物に連れ込まれて、「本日から、いっさい軍服を着てはならぬ」と申し渡されたので、誰もひどく情けない顔をした。


■3.「その地に骨を埋める覚悟で定住し」

 専任教官は3人いた。そのうち学校設立の中心人物の一人で、所長の秋草俊中佐が背広姿で、こう述べた。

__________
 諸君も知ってのとおり、戦争の形態は、野戦から国の総力を結集して戦う、総力戦態勢に移行しつつある。したがって軍情報も、従来の大公使館付き武官からの軍事情報だけでは十分ではない。

 政治、経済、思想、宗教等、広範囲の情報を必要とするのだが、武官は2年ないし5年で異動する。1ヵ所に定住するということがないから、その国の人物風俗にもうとく、また軍人は、なんといっても社会常識にとぼしい。・・・

 諸君は、この養成所で一年間の訓育をうけたのち、たぶん、ソ連、中国、あるいは英米と、世界各国に派遣されるだろう。そして、その地に骨を埋める覚悟で定住し、武官にさぐりえない情報をさぐるのである。[2,p135]
 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄

 中野学校は、期によって教育目的が多少違っていた。第一期生は、単独で各国に潜入し、一般市民として定住しながら、諜報勤務につかせることを目的に、訓練された。「いっさい軍服を着てはならぬ」とは、こういう意味だった。


■4.徹底した自由教育

 その日から始まった生活は、およそ軍隊とは縁遠い、自由なものだった。午前10時から午後5時までは学課があったが、それ以外は自由時間で、どこに遊びに行こうが勝手だった。門限もなく、翌朝の10時までに帰れば、外泊すら許された。

 ある時、2、3人で話をしている時に、秋草中佐が話の仲間に入った。何かの拍子に「天皇」の名が出たので、あわてて「気をつけ」の姿勢をとると、いきなり「バカ者っ」と怒鳴られた。

__________
 天皇の名をきいて、直立不動の姿勢をとるのは軍人だけだ。仮におまえたちが、セビロ服を着て地方人(弊誌注:民間人)になりすましていても、それではたちまち化けの皮がはがれてしまう。・・・
 第一番に天皇もわれわれと同じ人間だということを知っておけ。[1,p138]
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 かくいう秋草中佐は、かつては近衛師団に青年将校として勤務したエリートだったが、語学将校として外遊してからは、背広姿で特殊任務についている事が多かった。家に帰れば飯を食うとき以外は、軍歌を歌っているか、大イビキで寝ているだけ、という豪傑風で、見合い結婚した夫人が「この人はどうかしているのではないか」と新聞の身の上相談欄に手紙を出したこともあった。

 しかし、実際は緻密な頭脳の持ち主で、ロシア語はじめ数カ国語に通じ、陸軍では対ソ諜報の第一人者だった。終戦時には少将として満洲ハルピンの特務機関長をしていて、ソ連が攻め込んでくる際にも「オレが逃げれば、代わりに誰かがやられる」と言って、動かなかった。

 果たして侵入したソ連軍は第一番に秋草少将を捕まえ、ハバロフスクの収容所に送った。ソ連通の秋草少将が米国に連れ去られるのを恐れた、とも言う。その後の消息は知られていない。


■5.「国と国民のために、捨て石となる覚悟」

 こうした教官による、天皇に関する自由な言論すら許される徹底した自由教育が、中野学校の精神だった。なにゆえに、このような自由教育がなされたのか、副所長格の福本亀治中佐は、こう説明している。

__________
 集めたのが、全国選り抜きの秀才である。しかも彼らは、訓練を卒(お)えて外国にいけば、何十年、あるいは生涯、商人なり、会社員になっていつき、一般市民として生活するのである。誰も監視するものもなく、一人で行動するのだ。

 外部から強制の、しごきや一時的猛訓練で、つけ焼き刃的にきたえあげたところで、長い孤独や、筆舌につくせぬ労苦に堪えられるものではない。

 かつて気ままに行動させておいて、その自由におぼれ自己を見失うようでは、ものの役にたつはずがないから、「地位も名誉も金もいらない。国と国民のために、捨て石となる覚悟」だけをもたせるように指導して、あとは彼らの自由にまかせた。[2,p142]
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■6.「いやだったら遠慮なく申し出ろ」

 秋草中佐も、一期生たちにこう説いた。

__________
 諸君は、民間人として、外国にもぐりこむのである。検挙されることがあれば「スパイ」あるいは「間諜」という罪名で牢獄につながれ、戦時ならば当然銃殺または絞首刑をまぬがれまい。

現に日露戦争中、北京の青木大佐と結んで、敵中深く潜行して(弊誌注:兵員輸送阻止のためにシベリア)鉄道爆破を企てた民間志士、横川省三、沖禎助は、露軍の巡邏兵に捕らわれ、帝国の万歳を叫びながら銃殺されている。・・・

 諸君は、かがやかしい未来を持っている。諸君の才能をもって努力したならば、未来の大臣も、大学総長も、あるいは会社の社長にもなれるであろう。

しかし、いまの日本が、国民の安全を守り、そして国の発展を期するためにもっとも必要としているのは、大臣でも大学総長でも会社の社長でもない。名利を求めず、一身一家をすてて、日本民族発展の礎石となる人物、本官が諸君に求めるものはこれである。

しかし、陸軍といえども、これを諸君に強制することはできない。もし諸君のうちに、この任務が不適当だと思うもの、あるいは「イヤだ」と思うものがあったなら、いまからでもおそくない。遠慮なく申し出てほしい。[1,p175]
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 入所して3ヶ月ほどの間に、秋草中佐から2度、他の二人の教官からも、「世界のどこで、どんなふうにして果てるかもしれないのだ。もし、いやだったら遠慮なく申し出ろ」と言われた。


■7.「国家社会に尽くしたという誇り」の無形の勲章を

 この方針に関して、一期生の一人はこう語っている。

__________
 はじめは、われわれも深く考えなかった。ところが、3月か4月して、しだいに諜報の実態もわかってくる。将来のことなども考えるようになると、(これは、ぼやぼやしておれないぞ)という気がしてきた。つまり、やる気が自然に盛りあがってきたわけで、自分から進んで学び、くふうするようになった。

夜など、町へ遊びに出ても、はじめはただおもしろいだけで、深い考えもなく、麻雀や囲碁をやっていたが、それは将来、どこでどんなふうに役だち、あるいは身を守ることになるかもしれないぞと考えると、ダンスも撞球(弊誌注:どうきゅう、ビリヤード)も、単なる遊びではなくなり、しぜん、おどろくほど上達も早くなった。[2,p143]
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 一期生の間でも、自分たちの将来に関して議論し、こんな結論で皆が一致した。

__________
 陸軍、いや、日本の国がわれわれに望んでいるのは、骨を異境に埋めて、国と人民のために働くことである。われわれももちろん、栄進などは考えてもいない。

そうなれば、たとえ少尉、中尉の吹けば飛ぶような軽い身分でも、むしろ階級はじゃまであって、なんの役にもたたない。どうせ身をすてた奉公なら、このさい、すっ裸になって、やってやってやり抜き、自分の手で自分の心に「国家社会に尽くしたという誇り」の無形の勲章を飾ろうではないか。[2,p184]
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 その翌日、一期生はこぞって陸軍の軍籍をのぞいて欲しいと願い出た。教官たちは、そのあっぱれな覚悟に感激したが、軍籍のない民間人からの情報では、軍はとりあげない、と説いて、ようやく思いとどまらせた。


■8.「大事な仕事を全身でやったことを幸福に思います」

 諜報員、スパイと言うと、我々がすぐに思い浮かべるのは、映画の007、ジェームス・ボンドである。派手なアクションやスリルで観客を楽しませてくれるが、自分が現実世界で主人公となったら、どうだろう。

 映画とは違って、現実世界では使命を全うできず、途中で敵に殺されてしまうかも知れない。しかも、誰にも知られないうちに。もしジェームス・ボンドほどの能力・才能があったら、そんな危険な人生を歩むよりも、実業家にでもなって、富と名誉を得た方がよほど良い、と多くの人が思うだろう。

 そういう気持ちに背を向けて、現実の諜報員が、命を懸けて使命に向かうのは、ひとえに国家のためである。007シリーズのタイトルの一つに ”On Her Majesty's Secret Service”(女王陛下のための機密活動)とあるのも、そうした国家的使命感を表している。

 英国では、自分の名利を度外視して、国家のために働く諜報員は名誉な仕事と考えられている。ボーイ・スカウトの創設者であるロバート・ベーデン=パウエル卿は、もともと諜報官として活躍した人で、「諜報活動こそ、男子の一生を傾けるにたる愉快なスポーツである」と言っている。[2,p37]

 ちなみにボーイ・スカウトの「スカウト」とは、「偵察」とか「斥候」を意味するから、諜報活動ともつながっている。小野田さんが帰国後に自然の中で子供たちを鍛える「小野田自然塾」を始めた事も軌を一にしている。

 小野田さんは帰国後、30年のジャングル生活を振り返って、「若い、勢い盛んなときに大事な仕事を全身でやったことを幸福に思います」と語っている[a]。パウエル卿の言葉に通じている。

 これも、小野田さんが中野学校で「国と国民のために捨て石となる」覚悟を固めたからこそと知れば、この言葉は理解できよう。そうであればこそ、マルコス大統領やニューヨーク・タイムズ記者の賞賛を浴びたのである。

 我々、諜報活動には縁のない一般国民でも、私利私欲を離れて「国と国民のために捨て石」となる覚悟を持った名もなき先人たちの事を思い起こしてみることは大切だ。そういう人生を思い出させてくれた小野田さんに感謝しつつ、ご冥福をお祈りしたい。

(文責:伊勢雅臣)

■リンク■

a. JOG(437) 小野田寛郎の30年戦争
「いまの日本が失ったものを持っている戦前の日本人の生の声が聞けるかもしれない」
http://www2s.biglobe.ne.jp/~nippon/jogdb_h18/jog437.html

■参考■(お勧め度、★★★★:必読~★:専門家向け)
  →アドレスをクリックすると、本の紹介画面に飛びます。

1. MSN産経ニュース、H26.1.18「失われた『誇り』喚起 米紙が小野田さんの評伝」
http://t.co/K1jD9Lj1CR

2. 畠山清行『秘録・陸軍中野学校』★★、新潮文庫、H15
http://www.amazon.co.jp/o/ASIN/4101155216/japanontheg01-22/


迷った時効く名ぜりふ
昨日、佐藤利明氏の新刊『寅さんのことば』を取り上げたが、今朝の東京新聞に同氏のインタビュー記事が載っていたので以下に紹介したい。「生きていくのに大事なことが全部詰まっている。人生に迷った時に寅さんの言葉を聞くと『これでいいんだ』って思えるんですよね」と語る佐藤氏に、ナルホドと思った亀さんであった。

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『寅さんのことば』発売♪
東京新聞に連載されていた、佐藤利明氏の『寅さんのことば』が発売された。佐藤氏の連載は83回にも及んだこともあり、亀さんは寅さんというカテゴリを立ち上げている。

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同書は一昨日届いたので早速目を通してみたのだが、どのページも〝懐かしさ〟を感じさせてくれた。たとえば、以下のような記述だ。

 昭和四十年代半ばのことです。「男はつらいよ」封切りの映画館は、たくさんの人々であふれていました。寅さんの一挙手一投足に満員の観客たちが声を上げて笑い、劇場が揺れるというと、大げさに聞こえるかもしれませんが本当にそんなかんじでした。
『寅さんのことば』p.108



亀さんが初めて「男はつらいよ」を見たのは、昭和46年の4月頃、安芸の宮島の小さな映画館だった。そのあたりは「寅さんのことば 7」でも取り上げたのだが、今思い出しても、確かにあの当時の「寅さんの一挙手一投足に満員の観客たちが声を上げて笑い、劇場が揺れていた」という〝一体感〟を、亀さんも思い出すのだ。

『寅さんのことば』は、我々が忘れかけている何かを思い出させてくれる本であり、手元に置いておきたい本だ。

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都知事選と福島原発
最近、道友の一人とあるテーマを巡って語り合ったことがある。そのテーマとは福島原発で、その道友は飯山一郎さんがすすめる乳酸菌を自ら自家培養している上、もはや東日本は人の住む場所ではないという点で、亀さんと認識が一致していた。しかし、周囲を見渡して上記の道友のように考え行動している者は一握りであり、ほとんどの人たちは危機意識を抱いていないことが分かる。そうした中、都知事選が昨日火ぶたを切った(以下は昨日の東京新聞)。

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「原発政策は国で」と語る舛添候補の場合、一見まともなことを言っているように見えるが、放射性物質に汚染された東京の現実を無視した無責任な発言と云えよう。「電力供給に必要」と語る田母神候補に至っては論外で、「日本の基準は厳しすぎる。アメリカでは1200ベクレルだ。福島原発の汚染水は欧州では、コーヒーを入れるレベルの水」と語ったとのことで、呆れて物も言えない。


http://www.youtube.com/watch?v=vLDLQ4NnWBE

残る細川候補と宇都宮候補は反原発派なので、本来は両候補を応援するべきだろうが、宇都宮氏のバックは共産党なので、一歩距離を置いた方が良いだろう。よって、福島原発は完璧に「アンダーコントロール」されていると、世界に大嘘をついた安倍首相の化けの皮を剥ぐ意味で、細川候補に旋風を巻き起こして欲しいと切に思う。

都知事選を例に挙げたが、亀さんの主張する「東日本は最早、人の住む土地ではない」という考えに賛成するにせよ反対するにせよ、肝心なのは最悪の事態を想定した上で、日常の行動に反映させていくことだ。あと数年して、亀さんの危惧していたことが間違っていたということにでもなってくれたら、亀さんが恥をかくだけで済む話であり、これ以上嬉しいことはないだろう。しかし、(東京新聞など極一部の新聞を除き、日本のマスコミは国民をミスリードしているので)海外の報道を追っていると、日に日に暗澹たる気持ちになっていくんだが…。そのあたりは、飯山一郎さんのHP記事から借用した、以下のイラストを眺めて欲しい。

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◆2014/01/23(木)  日本は 世界最悪の 情報隠蔽 国家だが…

さて、昨日届いた『奇兵隊天皇と聴衆卒族の明治維新』(落合莞爾)と『寅さんのことば』(佐藤利明)、仕事の合間に目を通してみよう。

ヤンキース入りを決めたマー君


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The Yankees also tapped a living legend in Matsui, who taped a message for Tanaka during the regular season and also placed a telephone call to Tanaka. During their conversation, Matsui praised the value of playing for a storied organization and described the appeal of calling New York home.
Tanaka signs $155 million contract with Yankees


マー君がヤンキースと合意に達したということを、今朝のネットニュースで知った。ヤンキースと云えば、イチロー、そして黒田がいる、伝統あるチームだ。特に、同じピッチャーの黒田は真のサムライであり、そのサムライから多くをマー君に学んで欲しいと切に思う。その黒田博樹投手について、亀さんは2本ほど記事にしている。
決めて断つ
黒田博樹とクレイトン・カーショー

ところで、ある国際契約コンサルティング会社のウェブに、一年間にわたり掲載していだたいた連載記事がある。2003年から2004年にかけての連載で、その中の1本にヤンキーへの入団を決意した松井秀喜について書いた記事がある。関心のある読者、特にこれから世界を目指す若い日本の若者に読んでもらえたら嬉しい。

第一回 日本脱藩のすすめ(地理編)

 バブル崩壊後、10年以上の長期にわたる大型不況が続き、重苦しい閉塞感に日本は覆われている。そうした状況下で、「日本脱藩のすすめ」などと書こうものなら、「日本を捨て、海外に脱出しよう」という意味かと受け止められかねない。否、筆者の言う「日本脱藩のすすめ」は決してそのような後ろ向きの意味ではない。ここで言う「日本脱藩のすすめ」とは、経営思想家であるピーター・F・ドラッカー風に言うならば、「来る知識社会への準備のすすめ」ということに他ならない。すなわち、旧秩序がガラガラと音を立てて崩壊している今日、これから到来するであろう知識社会を生き抜くためには、国家も会社も個人も今までの古い殻を脱ぎ捨て、新しい時代に向かって脱皮していく準備が肝心だと言いたいのである。

無論、日本脱藩とは単に物理的に日本を飛び出すことだけを意味しているのではないが、若者であればそれも許されると思う。つまり、若いときの海外体験はなにものにも代え難いということだ。もし読者がまだ学生あるいは二十代の社会人であるなら、ここは思い切り武者修行に海外に出ることにより、後々の人生に大きなプラスになると思う。筆者自身、高校を卒業した後に一年間働いて資金を貯め、日本を飛び出して3年間にわたって世界を放浪してきた人間である。当初はイギリスで3ヶ月ほど英会話学校に通い、その後2~3ヶ月かけてヨーロッパを一周して帰国するつもりでいた。しかし、ロンドンでアルバイトをしていたイタリア料理店でアルゼンチンの女の子と友達になったことがきっかけで、彼女の故郷であるアルゼンチンを訪問したくなり、ヨーロッパ旅行を取り止めて南米大陸へ発ったのである。中南米を半年ほど放浪した頃、旅行資金も底をつきはじめたので、メキシコシティから一路ニューヨークへ飛んだ。ちょうどクリスマス前だったため、寒空の下でマンハッタンに点在する日本料理店を一軒一軒回って仕事を探したことになる。当時、一週間が過ぎてもなかなか仕事が見つからず大変焦ったものだが、今では懐かしい想い出だ。そして、確か8日目だっただろうか、その日も1日歩き回ったのに成果がなく、がっかりしてホテルに戻ろうとした帰り道、たまたま「江戸」という看板の日本レストランが目に入ったので寄ってみた。すると、メガネをかけたインテリ風の支配人が「あっ、ちょうどいい。在ニューヨークの日本人向けにおせち料理を作っているんだが、人手が足りない。早速頼むよ!」と言うではないか。その支配人の言葉を耳にした時は咄嗟に言葉が出ず、頷くのがやっとだった。結局、その日本レストランでは8ヶ月ほど働き、かなりの旅行資金を貯めた。その後、2ヶ月弱アメリカとカナダを長距離バスで一周し、続いてサンフランシスコで1年半ほど大学生活を送り、日本に帰国している。

筆者の場合は単なる放浪生活を送ってきたに過ぎず、人前で誇れるような体験ではない。しかし、筆者と異なり、海外に活躍の場を求めて成功した日本人も確実に存在する。そうした日本人の1人として、1987年にノーベル賞を受賞した利根川進博士を挙げたい。そして、利根川博士と言えば、立花隆との共著『精神と物質』(文春文庫)を思い出す人も多いのではなかろうか。同著の中で利根川博士は以下のように述べている。

「日本の大学院というのは、ちゃんとした教育機関になってないんですよ。工学系とか文学系とか、他の系統の大学院はしりませんよ。しかし理系の大学院はそうなんです。学生を教育しない。だいたい講義というものがないんです。はじめから、みんな自分はもう大学を出たんだからと、一人前の研究者のような顔をしているし、表面上は先生からもそう扱ってもらえる。だけど実際には、科学者として本格的に研究していくための基礎的訓練をきちんと系統的に受けていないわけです。一種の師弟制度で、教授、助教授の研究を手伝いながら、見よう見まねで覚えていく。この研究はどう大切なのかをじっくり自分で考えるとか、実験結果について徹底的にディスカスするとか、そういう訓練がない。だから科学研究の本当の基礎が欠けた研究者ができてしまう。日本の基礎科学が弱い原因はこのあたりにある」(『精神と物質』利根川進・立花隆共著 文春文庫 53ページ)

ここに、利根川博士が日本の大学院に進まずにカリフォルニア大学サンディエゴ校(UCSD)に留学し、海外での修行を始めた理由が明確に述べられている。利根川博士の述べている欠陥は、何も日本の理系の大学院に限ることではなく、日本という国家から企業・地域社会に至るまで、来る知識社会では時代遅れとなる制度・組織を未だに抱えてところが多いのである。

日本を飛び出していったのは何も科学者だけではない。野球を例に挙げれば、1995年に海を渡った野茂英雄を皮切りに、続々と日本人メジャーリーガーが誕生している。そして、現在最も注目を浴びているのがヤンキースの松井秀喜選手だろう。昨秋、巨人軍の主砲の松井秀喜選手がメジャー入りの決断を発表した時、日本のプロ野球界に大きな衝撃が走ったことは記憶に新しい。そして、その後の松井はヤンキースに入団し、今や日本でも連日のように松井の活躍が報道されている。それにしても、松井と言えば名実ともに巨人の、そして日本の四番バッターだったが、その松井が巨人を去り、ヤンキースに入団したのも、メジャーという一流の仕事場で己れを試したいという気持ちが強かったからに違いない。

一流の仕事、一流の人物を求め、海外武者修業を体験した日本人が他にも大勢いる。そうした海外武者修行を実践した日本人の中で第一級の人物と言えば、やはり真言宗の開祖空海をおいて他はあるまい。空海は最澄と共に804年に遣唐使として唐に渡っており、来年は空海の入唐千二百周年にあたる。空海の唐における修業の様子については、陳舜臣が著した『曼陀羅の人』という小説から、唐における空海の修業の一端を垣間見ることができると思う。日本に戻ってからの空海は八面六臂の活躍であり、後の日本の宗教界・思想界に大きな影響をもたらしたのは改めて述べるまでもない。

ここで日本の現状を振り返るに、このままでは日本は二流・三流の仕事場に成り下がり、二流・三流の日本人や外国人の吹き溜まりになってしまうのではと筆者は危惧している。そうならないようにするためにも、多くの海外の優れた企業・人材を積極的に受け入れ、国を挙げて精神的な開国を行うべきではないだろうか。海外から新しい血を入れることにより、国際競争力のない既存の企業は次々と潰れることになると思うが、それが世界の常識であり、経済の本来の姿のはずだ。そうした競争の中から、世界に通用し、真のマネージメントを身につけた雑草のように逞しい優良企業が誕生してくるのである。そのためには、多くの優秀な企業・人材を海の彼方から引きつけるだけの魅力ある国に日本を変えていかなければならない。明治維新当時の原動力となった先達に倣い、第2の「明治維新」に向け、現代の日本人も今こそ英知を結集すべき時期に来たのではないだろうか。


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今日の日本と「小さいおうち」
今朝の東京新聞に、25日に公開される山田洋次監督の「小さなおうち」の記事が載った。「いつの間にか分からないことに巻き込まれつつある感じが、今の時代と似ていると思うし、背景にあるものをきちんと見ていただきたい」と語る、倍賞千恵子ことばをそのまま記事にする東京新聞は流石だと思った。子どもたちを映画館に何度も連れて行った記憶はあるが、大人の映画を見に最後に劇場に足を運んだのは、確か池袋で上映された「トップガン」以来であり、久しぶりに隣の町にある映画館に足を運んでみようかと考える亀さんであった。

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青い海
先週の土曜日(1月18日)、世界戦略情報誌『みち』の執筆者と読者の集いである、「まほろば会」が開催された。その折りに話題に出たテーマの一つが、1月15日に行われた歌会始の儀で講ぜられた陛下の御製であった。

慰霊碑の先に広がる水俣の海青くして静かなりけ


ネットでは、御製についてどのように言及しているのか確認してみた、そして注目したのが、「ねずさんのひとりごと」というブログに掲載された、「陛下の年頭の御製について」という記事であった。これは歌会始の儀で講ぜられた御製についてではなく、新春の賀歌5首についてであるが、ねず氏は同記事の冒頭で以下のように述べている。

本来、陛下の御製は、我が国においてはもっとも尊重されるべきお歌です。しかもそれが今年一年の年頭の御製ともなれば、全メディアがその歌の意味を、国民に伝える、もしくはその伝える手がかりを報道すべきものです。


その通りだと思う。その上でねず氏は、「あくまでもみなさまが陛下が年頭の御製として発表された御歌を解釈する手がかりとしてお読みいただければと思います」という思いから、「陛下の年頭の御製について」を書いたことが納得できるのであり、この点でねず氏の同記事を高く評価したい。

ところで、亀さんが注目したキーワードの一つが、年頭の御製の一つに取り上げられた「水俣」だった。〝奇しくも〟歌会始の儀で講ぜられた陛下の御製にも、水俣が再登場している。因みに、水俣を取り上げられた年頭の御製は以下の通り。

患ひの元知れずして病みをりし人らの苦しみいかばかりなりし


ねず氏はこの御製について、水俣と公害を結び付けて捉えている。つまり、陛下が暗に中国の大気汚染について言及されているのだと、ねず氏は主張しているのだ。

陛下は、隣国という汚染への警戒を、この御製に込められているのかもしれません


亀さんが思うに、陛下が中国の大気汚染PM2.5を仄めかされているとは、到底思えないのである。『みち』の藤原源太郎さんも語っていたことだが、陛下は我が国の〝公害〟について語っておられるのだ。すなわち、水俣病事件は終わっているわけではなく、未だに苦しんでいる人たちが大勢いるのだし、さらには〝第二〟の水俣病ともいうべき恐ろしい内部被曝が、福島原発を中心とする東日本で大勢の人たちを蝕んでいるのだ。水俣と福島が根底で結びついていると、亀さんは思うのだが如何だろうか…。

また、水俣を取り上げた歌会始の儀で講ぜられた御製から、思い出したのが平成24年の御製であった。

津波来(こ)し時の岸辺は如何なりしと見下ろす海は青く静まる


栗原茂さんが陛下の御製の青はツランを意味していると語ってくれたことがあるが、ツランも上記の御製に深く関与していると確信している。

最後に以下のツイートを紹介して本稿を終えるとしよう。


還暦同窓会
土曜日(1月18日)は世界戦略情報誌『みち』の「まほろば会」、翌日の日曜日(1月19日)は狭山東武サロンで、母校の「第7期生 還暦同窓会」と続いた。亀さんは2月上旬あたりまで大量の仕事が入っていたのだが、連チャンで一部は間に合いそうもないと判断、やむを得ず2件ほど仕事をキャンセルして両方に出席したのだが、今では良かったと思っている。まほろば会で得た情報は追々記事にするとして、まずは昨日の同窓会の様子を書いておこう。

亀さんは昭和46年3月に第7期生として、埼玉県立狭山工業高等学校機械科を卒業している。昨日は当時の機械科3クラス、電気科3クラスの計6クラスが参加した。当時はどのクラスにも40名以上はいたものだったんだが、昨日は各クラスとも6~8名程度しか来ていない。だから、全クラスで集合写真を撮影したとき、漸く嘗ての一クラス分になったという次第だった。亀さんの在籍していた機械科3組も、42名のうち来たのは7名のみだったのは寂し限りだった。

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担任だった北田住夫先生は現在78歳、代表のスピーチをされていたが、実にしっかりとした話し振りであり、嬉しく思った。何でもボランティア活動に精を出しておられるとのことだった。同クラスだった大川君が代表して、北田先生に花束贈呈した時、写真が好きなI君が撮影していたので、コピーをくれと頼んだところ、今度オートバイで持ってきてくれるという。花束贈呈の様子は、北田先生と花束を贈呈する役目を仰せつかった大川君からも掲載OKをもらっているので、近く公開したい。

その他、3組のテーブルを囲んだクラスメートで、H君とは実に43年振りの再会だった。また、別のクラスだったO君は法曹界に身を置いており、亀さんが翻訳をしているのを渡した名刺で知り、法廷で発生する翻訳の仕事の打診をするかもしれないと言っていた。見事な応援部のエールを見せてくれたM君は株に関心があるようで、飯山一郎さんの株関係の記事の熱心な読者とのことだ。尤も、M君は他の飯山さんのHP記事やブログはあまり読んでいないことがわかる。なぜなら、「松岡、お前の同い年の息子は元気か?」と訊ねても、「同い年の息子ってナンのことや?」と、ポカンとした顔をしていたからだ…(爆)

中国が武力侵攻を開始する日
行政調査新聞の1月の記事が掲載された。「中国が武力侵攻を開始する日」と、先月に引き続き中国がテーマである。

1月6日、香港の『文匯報』紙が「中国が近隣諸国と戦争する」という、衝撃的な記事を掲載した。同紙は中国軍の意向を代弁している新聞紙であり、今回の記事も中国軍の〝本音〟を暗に仄めかしていると思って間違いなさそうだ。具体的な記事内容は行政調査新聞を参照してもらうとして、アメリカの国防総省が中国の〝脅威〟を必要としていることを、日本の公安と極左との関係に喩えているあたり、流石は行政調査新聞である。

また、以下の記事にもあるように、「刀の柄に手を掛けて“抜くぞ、抜くぞ”と脅し続けている」というのが、まさに現在の中国軍の姿という点も同感である。

仮に日本の自衛隊と短時間の局地戦を行ったとしても、おそらく瞬時に決着がついてしまうだろう。もちろん中国には核ミサイルがあり、本格的な全面戦争にでもなったら日本に勝ち目はないが、中国が核戦争を開始する可能性は限りなくゼロに近い。つまり中国軍は、刀の柄に手を掛けて「抜くぞ、抜くぞ」と脅し続けるしかないのだ。


ただ、同記事で一点だけ腑に落ちなかった行がある。

年末に安倍首相が靖国を参拝し、中国・韓国が滅茶苦茶な非難を行った。米国も駐日大使を通してやんわりと安倍の靖国参拝を批判したともとれる声明を出しているが、これをマスコミ報道通りに受け取るべきではない。当たり前の話だが、安倍は靖国に参拝することを事前に米政府に伝えていた。


確かに、中国を刺激することで日中間の緊張感がさらに高まり、アメリカの戦争屋は大喜びしたことだろう。ただ、アメリカには反戦争屋も存在しているのであり、その代表格がオバマ大統領だ。また、オバマの流れを汲むケネディ大使も、文字通り安倍首相の行為に「失望している」のだが、そのあたりにも筆を進めて欲しかったように思う。

追伸
現在、本業(翻訳)が多忙なため、従来のペースでブログを更新できるのは、2月5日以降になる見込みです。

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大人への仲間入り
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昨年行われた成人式の様子

京都の大学に通う息子が昨日帰省、今日の成人式に出席する。その後は中学時代の全クラスによる合同同窓会、引き続いてクラス別の同窓会が二次会で行われるという。多分、その後は三次会、四次会と久しぶりに同窓生と飲み明かすのだろう。

昨日、京都での学生生活の報告を受けたが、出雲、鳥取砂丘、沖縄へと旅し、大いに青春を謳歌しているようだ。特に鳥取砂丘と出雲の場合、料亭でのバイトを終えた後、深夜独りで車で出発、翌日は1日かけて中国地方を見て回り、その夜のうちに京都に舞い戻ったとのことだ。若いからこそできた、ハードスケジュールの旅である。

亀さんの場合、成人式はニューヨークで祝ってもらった。半年ほど中南米を放浪した後、ほぼ無一文の状態でメキシコシティからニューヨークに飛び、到着してから直ちに日本レストランの仕事を探し回り、運良く、ニューヨーク駐在の日本人向けのおせち料理を作っていた、「江戸」という日本レストランで仕事が見つかった。1ヶ月後、「亀さん、おめでとう!」と成人を祝ってくれたのは、そのレストランのマネージャー青野さんや板長の京極さんをはじめ、ウェイター、ウェイトレスといった同僚の皆さんで、思い出に残る〝成人式〟となった。

40年の歳月が流れた昨年の暮れ、同窓生の悪友と忘年会を開いたのだが、亀さんは今までに連中が市の成人式に出席しているものとばかり思っていた。ところが話によれば、出席したのはナント4名のうち1人だけ…。

成人式は人生の節目を祝う大切な行事だ。還暦を迎えた連中は、恐らく心の中で後悔しているのではないだろうか。このオッサンたちのように後になって後悔しないためにも、大勢の若者に今日の成人式に出席して欲しいと思う亀さんであった。

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淡路恵子逝く
今朝の東京新聞に黒澤明監督の「野良犬」の写真が目が止まった。志村喬、三船敏郎、淡路恵子の三人が写っていたので、何事かと思って読んでみたところ、淡路恵子逝去の記事であった。

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最近、「男はつらいよ」を通しで見たが、第38作「知床慕情」、そして第42作「寅次郎心の旅路」に淡路恵子が登場している。『寅さんDVDマガジン』でも、「酸いも甘いも噛み分けた気丈な女性像は、淡路の波乱に満ちた人生と重なる」と淡路恵子を評していたが、亀さんも正にそのとおりだと思った。

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一方、福島原発が原因で、若くして世を去った人たちも出始めるようになった。今からでも遅くはない、読者、殊に若い人たちに以下の記事を読んでもらえたらと思う。
人口激減! おそれていた事態が迫っている. 今,私たちが出来ることは,自分と家族の延命対策しかない!

戦争と平和 02
道友からもらった『新日本風土記』(NHK)のDVDが数十本溜まったので、1日に3本のペースで見ているのだが、どれもこれも素晴らしい内容なので時の経つのを忘れるほどだ。また、同番組で気に入っているのが冒頭の以下の画面だ。この春に高校を卒業する下の子の手を引いて、桜が満開の小学校の入学式に出席した在りし日を、同シーンを見るたびに思い出す…。あの頃はサラリーマンという社畜の生活から足を洗い、翻訳者というフリーランスの道に進み、漸く翻訳の世界に慣れてきた時期だけに懐かしい。

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翻訳と言えば、2月21日に発売される『通訳翻訳ジャーナル』という雑誌で、「一生役立つ!通訳翻訳スキル」(仮)という特集が載る。「通訳や翻訳のスキルがあると、こんなに役に立つ、素晴らしい」といったことを伝える内容のようで、いろんな通訳者や翻訳者のインタビューを載せるらしい。亀さんも1ページのみだがインタビューを受けることになりそうだ。昨年の春も同誌に2ページのインタビューに載せてもらったが、世の中の関心を集めたのか売り切れとなり、今や定価の3倍以上の値段で取引されている。前回は大前研一といった有名人のPR(「中高年の通訳者・翻訳者への道」)で売れたのだと思うが、今回も同様に完売することを願っている。

さて、本題の戦争と平和シリーズに筆を進めよう。亀さんは昨年の4月7日に「桜散る」という記事を書いた。これは、〝人間魚雷〟兵器だった回天についての記事なのだが、今でも同記事に載せた新聞記事を読み返すたびに胸が熱くなる。

そして、同時に思い出すのが特攻隊だ。特攻隊と言えば、映画「永遠の0」を大勢の人たちが見たという。(以下は1月10日付の東京新聞の広告)

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この映画の原作を書いたのがあの百田尚樹だ。同題名の本『永遠の0』は2006年8月23日に太田出版という所から単行本で発行され、さらに2009年7月15日、講談社から文庫で出版されている。のみならず、2010年7月28日に漫画版が双葉社から出たほどだ。

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この百田尚樹が出光佐三をモデルにした、『海賊とよばれた男』という小説を書き、本屋大賞を受賞したのは、新聞かネットの記事で読み微かに記憶に残っている。この出光佐三だが、満洲時代の出光の行動に関心を持ち、亀さんは二十代の頃に色々と調査をしたことがあった。それだけに、『海賊とよばれた男』を読みたかったが、仕事に追われ未だに読まずにいる。

本ブログに訪れてくれている読者は既にご存じのように、百田尚樹は安倍晋三との対談本『日本よ、世界の真ん中で咲き誇れ』(ワック)を出しており、さらには安倍色の濃くなったNHKの経営委員に選任されている。これだけで百田の思想傾向が分かろうというものだ。
NHK経営委員に仰天「安倍人事」 百田尚樹、長谷川三千子氏ら「保守派論客」メンバー

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ところで最近、「零戦」だの「特攻隊」だのといったことばが、目につくりようになったところへきて、今月の8日に自民党は2014年運動方針案を発表、原案にあった「不戦の誓いと平和国家の理念を貫く」を削除をしているが、これは日本が戦争に向かって歩みを進めていると、海外から〝誤解〟されてもやむを得ない所業だ。

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零戦といえば、宮崎駿のアニメ映画「風立ちぬ」にも零戦が登場するが、宮崎監督が百田を批判していることを知った。関心のある読者は以下の記事を参照されたい。
宮崎駿、『風立ちぬ』と同じ百田尚樹の零戦映画を酷評「嘘八百」「神話捏造」

戦争と平和 01
ここ数日にわたって数件の仕事が舞い込んだため、てんてこ舞いの毎日を送っていた。それでも、先ほど最後の仕事を納品し、漸く一息ついたところだ。

さて、今日は「戦争と平和」について少し書いてみよう。ただ、このテーマで書きたいことが数項目あるので、数回に分けたいと思う。

最初に、戦争と平和と言えばトルストイを思い出す人が多いことだろう。亀さんの家には、英語版の『WAR AND PEACE』(Penguin Classics)と、日本語版の『戦争と平和』(上下巻 河出書房)とがある。

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『WAR AND PEACE』(左)と『戦争と平和』(右)

英語版の場合は、31年前の1982年12月26日に購入したのが分かる。何故分かるかといえば、以下の書き込みがあったからだ。ちなみに、ICIはTOEICという英語の試験を開発した、国際コミュニケーションズの略称。そして、『WAR AND PEACE』はナント、1444ページもあった…

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年月が経ったこともあるが、同書は最低3回は読んでいるためボロボロである…、と言っても、亀さん自身は最初の数十ページを読んだだけで、『WAR AND PEACE』の通読をギブアップしている(苦笑)。

では、なぜ〝最低3回は読んでいる〟などと書いたのかなんだが、この本を読んだのはアイルランドの友人・ジョンの妹と、その友達の女の子たちなのである。亀さんが2ヶ月ほどかけてアメリカ・カナダ一周の旅をしていた時、やはり自転車でアメリカを横断していたジョンと出会ったというワケだ。それが縁で、後にジョンの妹と友達が亀さんを頼って来日したという次第だ。彼女たちは英会話学校の先生をしながら、確か一年近く滞在していたんだが、亀さんの方が彼女らより5歳ほど年上だったこともあり、日本の習慣を知らない御転婆娘に対して厳しく接したもんだよ。だから、彼女たちにとって五月蠅い兄貴だったのに違いない(爆)。そんな彼女たちは東京に共同で住んでいたのだが、秩父山地の麓にある拙宅にもよく遊びに来てくれたものだった。そんな折、家にある数百冊の英書を見て、彼女たちが読みたいというので喜んで貸してあげたという次第だ。その中の一冊が『WAR AND PEACE』だったワケで、ジョンの妹をはじめ、2~3人が熱心に回し読みしたという。

次に、日本語版の『戦争と平和』だが、発行が昭和41年2月15日(第4版)なので、もう半世紀近く(48年)経っていることになる…。これは上の息子が読破したはずだが、亀さん本人は未だに読んだことはない。だから、人生は冥土までの暇潰しということで、いずれは英語版ではなく日本語で、『戦争と平和』を読みたいと思っているんだ。訳者が中村白葉だから安心な上に、今は一日中英語に接する仕事をやっているので、仕事以外で英語に接したくないというのが本音だからだ。

ともあれ、英語版にせよ日本語版にせよ、未だに『戦争と平和』すら読んだことのないという、とんだ無教養ぶりを晒してしまったワイ…

プーチンの肚
飯山一郎さんの「◆2014/01/02(木)  正月はテレビ見ないで読書に運動」という記事に目を通したところ、『ヴラジーミル・プーチン』(石郷岡建)という本について以下のような短い書評を書いていた。

元旦は『ヴラジーミル・プーチン』(石郷岡建)を精読した.今後の世界はプーチンの長期戦略どおりに変わる!これが読後感.


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ピンと来るものがあったので取り寄せ、一気に読み終えた。読後感を一言で述べるとすれば、プーチンが辞任あるいは死亡しない限り、飯山さんの言うとおりになる可能性が極めて高いということだ。同書には沢山の書き込みや線を引いたが、特に立ち止まって思考を巡らせた行を中心に、解説を加える形で以下にメモとして残しておこう。

■スキタイ

ロシア民族主義国家、単一エスニック(単一人種民族)国家建設の思想を流布しようとする試みは、わが数千年の歴史に反すると、私は確信している。それどころか、それはロシア民族およびロシア国家撲滅の最短距離の道を導くことになるだろうp.38


これは、2012年1月にプーチンが『イズヴェスチヤ』紙に発表した論文、「ロシアの民族問題」からの引用だ。〝わが数千年の歴史〟という記述に注目していただきたい。この言葉の背景を理解するには、「世界の大動脈としてのスキタイ(アスカ)」について理解する必要がある。そのあたりを手っ取り早く把握するには、スキタイを念頭に以下のサイトの一読をお勧めしたい。スキタイの正体が分かれば、プーチンの〝わが数千年の歴史〟の意味も分かるはずだ。
栗本慎一郎の全世界史

■現実派のプーチン

プーチンによる、ソ連崩壊後の混乱収束と、社会の安定化に対して、国民の多くが支持した。プーチンは、自由、民主主義、人権などの西洋的価値観よりも、このユーラシア大陸の多民族国家においては、まず、何よりも国家の維持と社会の安定が必要と考え、人々はそれを受け入れたのである。もともと、この秩序と安定を望む生き方は、古くからロシア民族の伝統的な考え方でもあった。ロシア人の秩序・安定志向というのは、多分、チンギス・ハンのモンゴル帝国の襲来までさかのぼる、ユーラシア大陸で繰り広げられた、遊牧民族と農耕民族の死闘の歴史に由来すると思われる。p.62


基本的に筆者の石郷岡氏に同意するが、一点だけ反論を述べておきたい。それは、「チンギス・ハンのモンゴル帝国の襲来までさかのぼる」である。亀さんはわずか700年前ていどの話ではなく、プーチンが〝わが数千年の歴史〟と語るように、スキタイまでさかのぼらなければならないと考えている。

それはともかく、プーチンはリアリストであり、己れを生み育んでくれた祖国のため、そして同朋のために尽くす政事家だからこそ、人々がプーチンを受け入れていることがよく分かる行だ。

■時代の大転換期

もっと深く長期的な意味では、現在の問題(世界金融危機)は、一時的な性格のものではないということだ。今日直面している問題は深刻なシステム危機であり、グローバルな体制転換の地殻学的な(変化の)プロセスである。新しい文化、経済、技術、地政学的な時代への移行であり、世界は乱気流の発生している地域へと突入している。そして、疑いもなく、この時期は長期間続き、痛みを伴うことになるp.180


これは2012年1月、「イズヴェスチヤ」紙に載ったたプーチンの言葉である。リーマンショックを境に、英米型資本主義の構造的な欠陥が顕れたことをプーチンは語ってるのであり、それに伴い、とてつもなく大きな変動が地球全体に襲来しつつあるとプーチンは確信している。ただ、どのような新世界が出現するのかは誰も分からない現在、筆者の石郷岡氏は新世界の輪郭が見え始めるのは、「多分、21世紀後半」と述べている(p.181)。

■米国の凋落と中国の台頭

超大国への道を歩む中国の暴走や突出を抑え、世界の混乱や対立がロシアに波及することを防ぎたいと思っている。それが、多分、21世紀のロシアの最大の課題であり、最大の戦略となるはずである。そして、何度も書いているように、この戦略は一人では実現できない。多国間関係を通じて、パートナーを通じてのみ可能となる。

そして、ロシアのもっとも有力なパートナーになり得る国はどこか? その回答は、多分、日本で、日本はロシアの最も力強いなパートナーになりうる可能性を秘めている。というのがプーチンの結論ではないかと推測する。
p.256


宮崎正弘氏が「宮崎正弘の国際ニュース・早読み」というメルマガを精力的に発行しており、亀さんも同氏の語る中国事情に助けられている。そして、宮崎氏が述べているように、現在の中国は多くの問題を抱えていることは確かだろう。

では、中国はこのまま没落していくのだろうか。それに対して否と明確に答えているのがプーチンなのである。

プーチンは中国がアメリカを凌ぐ超大国になると睨んでおり、その中国と拮抗するための最良の手段が日本と組むことであると述べている点、亀さんも同感だ。ただ、今の安倍内閣にはそれだけの頭も肚も無い。では、他にプーチンの意を酌み、パートナーとなり得る政事家がいるかと問われれば、残念ながら今の日本にはいないとしか答えようがない。

それに加えて、今でも福島原発から毎日大量の放射性物質が、東北関東に巻き散らされており、拙稿「チェルノブイリ超え」にも書いたように、あと2年もすれば(福島原発から5年目を迎える2016年3月)、目に見えて心筋梗塞やガンを煩い亡くなっていく同朋が激増する。杜甫は「春望』」で「國破れて山河あり」と詠んだが、日本という国が破れるだけではなく、山紫水明の地であった日本の山河も放射性物質まみれとなり、我々は国も山河も失うのである。

では、どうするか? 飯山一郎さんの乳酸菌でじっと耐え、放射性物質にまみれた日本という国土で生き延びていく、あるいは日本を出て海外に移住する手もあろう。どのようにするかはさておき、「今後の世界はプーチンの長期戦略どおりに変わる」のだから、プーチンの肚を念頭に置きつつ、行動していくことが不可欠となろう。

人は分かりあえるか…
せっかくのお正月なのだから、肩の凝らないテーマをと思うんだが、物事をトコトン突き詰めないと気がすまないという性分なので、今回も肩の凝るようなテーマになってしまったなぁ…(笑)

昨日読了した『死ぬときに人はどうなる』(大津秀一著 致知出版社)に、「では、なぜ人は分かり合えないのでしょうか?」という小節がある。その小節で黒澤明監督の「羅生門」を取り上げていたので、久しぶりに「羅生門」を鑑賞してみた。同小節を本稿の最後に転載しておいたので、関心のある読者は後で目を通してもらうとして、同小節で亀さんが気になった行を取り上げよう。その行とは以下だ。

同様な事物についても、その人のかける色眼鏡(かけていない人はいない)で全く異なった印象を持ち得るのである。この眼鏡をかけていることに自覚的でなくてはいけないし、時折外そうとする努力が必要なのだと思う。


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         『死ぬときに人はどうなる』

この大津氏の記述に対して、亀さんはイエスでもありノーでもあるんだ。

最初にイエスからいこう。

大津氏の云う「(色眼鏡を)時折外そうとする努力が必要」という考えに、亀さんは全く以て賛成だね。これは身近な人間関係だけではなく、正しく世界の潮流を見極める意味でも大切な〝術〟だ。このあたりについて的確に述べているのが、飯山一郎さんの「◆2013/06/26(水)  内在的観察」という記事だ。この内在的観察力を身に付ければ、鬼に金棒どころか、鬼にダイヤモンド棒となる。

次にノーである。

大津氏は、人は色眼鏡を外しさえすれば〝分かり合える〟と思っている節がある。しかし、人間という生き物は、歳をとればとるほど頑固(色眼鏡をかけているのを忘れている、あるいは忘れていないまでも外そうとしない)になるものだ。尤も、色眼鏡を忘れていたり、忘れてはいないまでも外そうとしないのは、何も年寄りだけに限らない。老若男女問わず、誰にもある性行だと云えよう。換言すれば、内在的観察力を知らない人が大半であり、仮に知っていても自家薬籠中の物にできる人は、ホンの一握りだ。これは富士山に喩えることができるだろう。富士山に登るには色んなルートがあり、素直に登っていけば最後には山頂に着くはずだが、この山頂に到達できる人は正に百年に数名ではないのか…。無論、亀さんは未だに山頂に達しているワケではなく、お恥ずかしい話だが五合目あたりでウロウロしているありさまだ。

なんか話が脱線してしまったが、亀さんが言いたいのは、人間分かり合えるなんて変な期待を持たない方がよいということだ。このあたりの実例を挙げればキリがないんだが、以下に2例だけ挙げておくことで、本稿を終わるとしよう。

■今東光
今東光が以下のように語っているが、亀さんも諸手を揚げて賛成だ。


☆☆いやな奴とうまくやる法
 俺は現在十九歳の浪人生だが、人とうちとけられなくて非幣に悩んでいる。気の合った奴とは気楽に話ができるが、自分がいやだと思う奴とはどうしても話がうまくできないんだ。人間、これから生きていく上で、人とうまくつきあえなかったら人生まっ暗だと思う。このごろはそればかりが気にかかり、勉強も手につかない状態なんだ。和尚さん、どうしたら誰とでも気楽に話ができるようになるだろうか?
(静岡県榛原郡金谷町拶歳M・M)


おめえ、阿呆とちがうか!? なんで嫌いな野郎と口きかなくちゃあいけねえんだ。オレだって嫌いな奴とだったら一分間だって口きかんよ。電車に乗っても、虫の好かねえ奴見たら、降りしなにクツ踏んづけて降りるよ。誰だってそんなもんで、世界中の人がみんな好きになってつき合えると思ったら大間違いでな、好き嫌いがはっきりしているからいいんだ。何とぼけたことぬかしやがる。

オレ、それで失敗したことがあるんだ。ある時、カアちゃんと二人で大阪から京都まで電車に乗った。三条まで行く電単で何電車とかいってたな、あれ。そうしたら、オレの向かい側に、キザな帽子かぶって、ちりめんの被服着たいやらしい坊主がいるんだ。それで医者のはくような白足袋にスリッパみたいた靴はいていやがるんだが、一目見ただけで胸クソ悪くなってきてな。そのニヤケていること、キザなこと! だんだん我慢できなくなって、カアちゃんに「おい。オレあの野郎の足踏んづけてやる」「なんで、あんた。何もケンカしてるわけじゃなし」「だけどあのザマを見ろ! 気に入らねえ坊主だ」「向こうだってそう思っているわよ」「そう思ってるんならなおさらだ」「あんた、一体、何のために電車に乗ってるの?京都へ着けばいいんでしょ?」「おまえは大体よけいなことばかり言う」「よけいたことはあんたの方でしょう……」と二人で大きな声出しちゃったんだよ。そうしたら、その野郎がひょいと顔あげてこっちを向いたんだ。そうして「おお、これはこれは今先生!」と立ってこっちにきやがる。よく見たら、オレのよく知っている坊主だったんだよ、こいつが。踏まなくってよかったよ。よっぽど「いまあんたの足を踏む踏まないで議論してたんだ」と言おうと思ったがね。

ま、とにかく、このくらい徹底してもいいんだ。嫌な野郎とは一生口きかんでもいい。なにをねぼけて悩んでやがる。

『続 極道辻説法』p.25


■寅さん
以下は「男はつらいよ」の第17作「寅次郎夕焼け小焼け」に登場するワンシーンだが、「洒落の通じない連中とさ、明け暮れ一緒にいるオレの気苦労も分かるだろう」と語る寅さんに、うんうんと頷いてしまった亀さんだ。昨年も友人関係で同じような体験をしているだけに、なおさらだった。

さくら そりゃ、悪いわよお兄ちゃんがァー、誰だってビックリするわよねえ

おばちゃん 他の人ならいざ知らず、寅ちゃんが所帯持つなんて言い出すんだもん

おいちゃん オレなんかびっくりして心臓止まりそうになっちゃったよ

一同 ハハハ

ぼたん ごめんなさい、私があかんの、変な冗談言うたりして

寅 いや、謝ることなんかないんだよォ~。この洒落の通じない連中とさ、明け暮れ一緒にいるオレの気苦労も分かるだろう

さくら 洒落だなんて~

博 兄さん、言っていい冗談と、悪い冗談があるんですよ

さくら ねえ
http://www.yoshikawatakaaki.com/lang-jap/17saku.htm


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最後に、以下は『死ぬときに人はどうなる』の小節、「では、なぜ人は分かり合えないのでしょうか?」(p.224)である。

では、なぜ人はわかり合えないのでしょうか?
黒澤明の『羅生門』という名作がある。ご覧になったことがある方もいるだろう。ネタばらしになってしまうが、あらすじを書いてみよう。

舞台は平安時代である。折からの雨で羅生門の門前に雨宿りしている杣売りと旅法師が座っていた。そこに雨宿りのために下人が来る。二人は以下の話を下人に語るのである。

杣売りが山に薪を取りに行き、武士の刺殺された死体を発見し、検非違使に届け出る。山道で武士とすれ違った旅法師も検非違使に呼び出された。武士殺しの犯人として盗賊の多襄丸が捕縛された。

そして関係者の証言を聞いていくのだが、それが食い違う。

まず盗賊の多襄丸が証言する。武士と一緒の妻の美しさに心乱れ、二人を藪の中に引き込んで男を縛り上げ、妻をてごめにした。妻が「生き残ったほうのものとなる」と言ったため、武士と一対一の決闘をして勝利した。だがその間に妻は姿を消していたという。

次に武士の妻が証言する。盗賊は自分をてごめにすると、すぐ逃げて行った。辱められた自分は夫に短刀で殺してくれと頼んだが、夫は冷たい目で見つめるだけだった。混乱し気を失ってしまったが、気がついたときには夫の胸に短刀が突き刺さっていたという。

ここで二人の証言が異なっている。決闘して勝ったということも含め、自分がいかに男らしいかを強調する多襄丸に対し、武士の妻は己の貞淑さを強調、誰が武士を殺したかも二人の証言は異なる。

まだ話は続く。

巫女が殺された武士を降霊し、彼に証言させる。多襄丸は妻をてごめにすると彼女を連れ去ろうとした。妻はそれに応じたばかりか、夫である武士を殺してくれと多裏丸に頼んだ。多裏丸は妻を生かすか殺すか武士が決めていいと言ってきたが、それを聞いた妻は逃亡した。多襄丸も姿を消して、自分は無念のあまり自害したと証言した。そして誰かが自分の胸の短刀を引き抜いて去っていったという。

この証言も前二者とは異なる。武士は己に非はないことや、妻の冷たい行いを強調している。

真相を語っているのは三人のうちの誰か? すると今度は、杣売りが彼の見た真実を語り出す。杣売りは真相を目撃していたというのだ。

多襄丸が武士の妻をてごめにすると、多襄丸は彼女の前に手をついて妻になってくれと懇願したが、彼女は答えずに武士の縄を切って二人の男をそそのかし、「どちらか勝者のものになる」と二人にけしかけ、決闘させた。へっぴり腰な二人が斬り合いの末、ほうほうのていで多襄丸が武士をやみくもに斬ったというのが真相なのだという。そして妻は多襄丸の手を振り払って逃げ去ったと言うのである。

なるほど、当事者ではない杣売りが語っているのだから、いよいよ真相かと思う。

第三者の話だから正確だろうと。しかし話を聞いていた下人は言う。

そういう杣売りも短刀を盗んだのではないか。だから今話したような真実を検非違使に申告できないのだろう、と。

羅生門の裏側から捨て子の赤ん坊の泣き声が聞こえ、下人はその捨て子の衣類をはぎ、それを持って走り去る。杣売りはこの捨て子を育てることにした。旅法師はおぬしのおかげで人を信じることができそうだと言って、羅生門から去る杣売りを見送りラストシーンとなる。

つまり第三者であり、観察者である杣売りも嘘つきだったのである。彼もどろぽうをしたのである。しかし、一方で捨て子をそのままにしておけないという優しさも持っている。

ちなみにこの文章を書くのに、色々な「羅生門のあらすじ」を見てみた。するとどれも「少しずつ違う」、もちろん僕が見た『羅生門』とも少しずつ、いや時には大きく違うのである。

つまり、これが人間である。

人は自分に都合が良い事実で記憶を再構成する。「人は自らが見たいと思うものだけを見る生き物である」とローマのカエサルは言ったが、これは2000年経っても何も変わっていない。

同様な事物についても、その人のかける色眼鏡(かけていない人はいない)で全く異なった印象を持ち得るのである。この眼鏡をかけていることに自覚的でなくてはいけないし、時折外そうとする努力が必要なのだと思う。

人がわかり合えないのは、自分が見た世界と他人が見た世界が異なっているからである。


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日本精神文化の根底にあるもの
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「国を磨き、西洋近代を超える」と題したブログのオーナーは、『月刊日本』編集人の坪内隆彦氏である。同氏とは様々な会合で時折お会いしているが、昨日、以下のような(1月2日)ツイートを流していた。


早速アクセスしてみたが、これは有り難い文献のデータベースである。早速「お気に入り」に加え、「アジア的価値観」、「古神道」「アニミズム・汎神論」、「シャーマニズム」、「岡倉天心」、「田中正造」、「神風連」、「占領期の言論統制」といったページにアクセスしてみた。特に気に入ったのが、渡辺勝義氏の「日本精神文化の根底にあるもの(七)」と題する論文であった。同論文の内容については、以下の冒頭に集約されている。

本論はこれまで記紀などの古典を基として日本及び日本文化、神道の本質について数回に亘って書き及んできた「日本精神文化の根底にあるもの」シリーズのまとめとして、現代日本人がいつしか失ってしまった尊貴ともいうべき神道にとって最も大切な神霊との邂逅-「始原への回婦」の道について、幕末・明治に生きた神道学者・本田親徳が遺した霊学(鎮魂法・帰神術)を概観しながら考察してみたい。それは同時に、日本にとって明治維新とは、また近代とは一体どういう選択であったのかについて顧みることにもなろう。


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          『神道と日本文化』


ところで昨夜、布団の中で『死ぬときに人はどうなる』(大津秀一著 致知出版社)という本を読んでいた。すると、病(胃穿孔)のため間もなく逝くことを悟り、死装束を身に付けた山岡鉄舟の許に勝海舟が訪れるというシーンが描かれていた。

勝:いよいよご臨終と聞き及んだが、ご感懐はいかがかな。
山岡:現世での用事が済んだので、お先に参ることにいたす。
勝:さようか、ならば心静かに参られよ。


このやりとりは、二十代の頃に読んだ勝部真長の本に登場していたと記憶するが、その行を目にして思わず背筋を伸ばしたものである。そして今回、改めて山岡と勝の時代の死生観と現代人のそれとは、大きく異なっているのを再確認した次第である。つまり、昔は死はタブーではなかったのだが、現代は死をタブー扱いしているのだ。だから、『死ぬときに人はどうなる』を読み進めながら、改めて「日常に死を取り戻す」必要を感じた次第である。

亀さんの場合、余生は「本当の自分と出会う」ための暇潰しをやっていきたいと思う。ここで云う本当の自分との出会いについては、上記の「日本精神文化の根底にあるもの(七)」を参照されたい。

こいつぁ春から 縁起がいいわえ
今朝の東京新聞(Web版)を読み、アメリカのコロラド州で大麻販売が解禁となったことを知った。まさに、こいつぁ春から 縁起がいいわえ~。

米コロラド州、大麻販売を解禁 愛好家は歓迎

 【ロサンゼルス共同】大麻の規制を2012年11月の住民投票で大幅に緩和し、酒やたばこと同様に嗜好品として合法化することが決まった米西部コロラド州で1日、全米で初めて大麻の販売が解禁された。

 AP通信によると、デンバーなど州内の少なくとも8都市で計24の販売店が開店。解禁を歓迎する愛好家たちが開店前から長い列をつくった。

 大麻の合法化には、密輸や密売への取り締まりが追いつかないため、栽培から加工や流通、販売を許可制とし、業者に課税して州の財源とした方が現実的との判断がある。


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1日、米コロラド州デンバーの大麻販売店で、開店準備をする店員(ゲッティ=共同)
http://www.tokyo-np.co.jp/s/article/2014010201000682.html


なお、大麻の歴史については、安西正鷹さんの「文明大転換期に向けて」を参照のこと。初期の記事を読むことにより、何故大麻を復活させる必要があるのかが良く分かる。


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三人吉三廓初買
元旦の皇室記事
現在、過去に放送されたNHKの「新日本風土記」を、数本連続して見ている。その中の1本、「諏訪」は御柱祭のドキュメンタリー番組なのだが、何故か同番組を見ながら妙な〝懐かしさ〟を覚えた。これは、自分に縄文の血が流れているためなのだろうか…。

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ところで、「新日本風土記」の合間に読んだ元旦のネット記事で、2本の皇室関連記事があったので紹介したい。1本は、「明仁天皇と接した75年」である。この記事を読むことによって、「東日本大震災の被災地で一人ひとりの被災者に跪いて寄り添う両陛下」像に結びつくのであり、また、「(今上陛下がご自身の)級友の胸ぐらを摑み、部屋から追い出してしまった」という行には驚くに違いない。

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もう1本の記事は、「日本と世界の安全を願う天皇のご発言を噛みしめよう」である。これは、南北朝以来とさえ思えるほどの国体(天皇)と政体(安倍内閣)の亀裂が、手に取るように分かる優れた記事である。殊に、亀さんが感動したのは同記事の以下の結語だ。

日本で最も信用できるディプロマット、外交官という表現はあたりませんから、外交担当者と記しておきますが、そんな1人が間違いなくこの人(今上陛下)である、と改めて思った次第です。



改めて深く案じられます
年頭にあたり、天皇陛下が宮内庁を通じて感想を発表された。

感想は「東日本大震災から三度目の冬が巡ってきましたが」と始まり、放射能汚染のため故郷に戻れなかったり、仮設住宅で生活を続けたりしている被災者について「改めて深く案じられます」と思いが寄せられている。そして、新しい年にあたり、「国民皆が苦しい人々の荷を少しでも分かち持つ気持ちを失わず、世界の人々とも相携え、平和を求め、良き未来を築くために力を尽くしていくよう願っています」とつづられた。
天皇陛下「荷を分かち持つ年に」


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なお、昨年1年間に詠んだ天皇陛下の御製5首、皇后さまの御歌3首も発表されている。

天皇陛下
〈あんずの里〉赤き萼の反りつつ咲ける白き花のあんず愛でつつ妹と歩みぬ
〈大山ロイヤルホテルにて〉大山を果たてに望む窓近く体かはしつついはつばめ飛ぶ
〈水俣を訪れて〉患ひの元知れずして病みをりし人らの苦しみいかばかりなりし
〈皇居〉年毎に東京の空暖かく紅葉赤く暮れに残れり
〈皇居〉被災地の冬の暮らしはいかならむ陽の暖かき東京にゐて

皇后さま
〈打ち水〉花槐花なき枝葉そよぎいで水打ちし庭に風立ち来たる
〈遠野〉何処にか流れのあらむ尋ね来し遠野静かに水の音する
〈演奏会〉左手なるピアノの音色耳朶にありて灯ともしそめし町を帰りぬ

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アンズ農家の竹内和正さん(右)の案内をうけて園内を散策する天皇、皇后両陛下(2013年4月15日、長野県千曲市)

新年を迎えて
読者の皆様、あけましておめでとうございます。

今年も昨年同様、否、それ以上に波乱に満ちた一年になると思います。そうした世の中にあって、少しでもお役に立てる情報を発信していきたいと思いますので、この一年もよろしくお願いいたします。

それにしても、過去に幾度か日記を付け始めても、三日坊主で終わっていた亀さんが、昨年の元旦から書き始めたこのブログ、ナント1年間も書き続けることができたということは、今でも信じられないんだが…(笑)。

ともあれ、人生は冥土までの暇潰しというわけで、変な圧力が拙ブログにかからないことを祈りつつ、三が日ぐらいは家で一杯一杯復た一杯…(爆)。

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