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人生は冥土までの暇潰し

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人生は冥土までの暇潰し
亀さんは政治や歴史を主テーマにしたブログを開設しているんだけど、面白くないのか読んでくれる地元の親戚や知人はゼロ。そこで、身近な話題を主テーマに、熊さん八っつぁん的なブログを開設してみた…。
つむじ風 02
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今朝、拙ブログに新記事をアップしようとしたら、異常なほどまでにアクセスが伸びていたのに気付いた。なぜだろうと調べてみたところ、ナント飯山一郎さんが自身のブログに、過日の拙記事「つむじ風 01」を取り上げていた…。なるほど、凄まじい人気を誇るブログだけのことはあり、もの凄いアクセスになるわけだ…。
◆2013/11/29(金) 真実一路! 至誠のサムライ

まぁ、亀さん本人は秩父山地の山猿に過ぎないと思っているんで、飯山さん、買い被り蛇ないん蛇ないのぉ~。あっ「蛇」と書くと、横からクレームをつけてくるシトがいたっけなぁ、気をつけないと…(爆)。

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飯山爺の過去その②・・・ヒットマンを宣言?!

そうか、飯山さんがヒットマンなら、差し詰め小生は、秩父山地で恐怖のスナイパーとして恐れられている、秩父のゴルゴ13だ罠…。おっと、「罠」も禁句蛇ったのぉ…(笑)。

13113009.jpg ……→ 13113010.jpg
亀さんの場合、ゴルゴ13というよりは寅さん似鴨夜…

さて、飯山さんのせいで(?)、大勢の人たちが小生の過疎ブログを読んでくれていることだし、ここは少しサービスしておかねば…。まぁ、あと数日もすれば、元通りの殆ど誰も来ないブログに戻ることだろうし…。

今日は、何故飄平氏が小生を告訴すると言ってきたのかと思う読者も多いことだろう。無論、亀さんには疚しい点は何一つない。その証として告訴の元になったメールを以下に公開しよう。

Subject: さようなら、ブログ「つむじ風」の飄平殿

飄平殿

落合秘史について飄平殿の意見を、本MLで読めると思って期待していましたが、ご自身のブログに「相当、慌てているな!」と題する記事をアップし,自身の皇室に関する意見ではなく、単なる他人の記事のコピペで終わっていたのは残念です。
「相当、慌てているな!」
http://hyouhei03.blogzine.jp/tumuzikaze/2013/11/post_9159.html


それにしても、「天皇陛下」というカテゴリにあるような記事を書いていた飄平さんと

「天皇陛下」
http://hyouhei03.blogzine.jp/tumuzikaze/cat11965458/

最近になって、皇室を貶める記事を掲載するようになった飄平さん、たとえば……

「立ち上がれ人類!」
http://hyouhei03.blogzine.jp/tumuzikaze/2013/10/post_c080.html

「立ち上がれ人類!」では、「あなたの富を吸い上げる王族貴族と呼ばれる犯罪者達」と、日本の皇室や英国王室を写真を使って直接侮辱した記事のコピペを、平気で載せるようになった飄平さんの〝変節〟には驚かされます…。

ここで、是非昨日の飯山さんの記事を再読してください。
◆2013/11/25(月)2  心やさしい知性と、やさしさに欠ける蛮性
http://grnba.com/iiyama/more51.html#st11252

飯山さんの記事には以下のようなことが書いてあります。

---------------------------------------
飄(つむじ風)の飄平クンは、ズルい。

商品には適正価格があるのに…、コレを隠して法外な値段で売りつける ドロップシッピング という悪徳商法と、普通のアフィリエイト を故意に混同して誤魔化そうとしている。

だっから、きのこ女史などに、「さらに墓穴ほってる気がする」な~んて言われちゃうんだな~(爆)→ http://p.tl/noQm

あと、「明治天皇すり替え説」に関し、証拠と根拠がある!なんてカラ威張りしてるがー、検索して見つけた反落合説の文章をコピペしただけじゃん。 相当、慌てているな!(爆)
それよか、悪徳商法を批判した弱者・素人を「告訴する!」と恐喝した嫌疑の件、どーすんのかね?

---------------------------------------

飄平殿、「日本の皇室や英国王室を侮辱した他人の記事」を、平気で自分のブログに載せ、かつ飯山さんが仰せのように、悪徳商法に手を染めているような貴殿は、この場に相応しくありません。本メールを投稿した後、即脱会手続きをとらせていただきます。

最後に飄平殿、上記の飯山さんのメッセージの真意を読み取り、一日でも早く悪徳商法から足を洗うよう,心より祈念しております。


管理人拝


飄平殿、本当に貴殿のビジネスが飯山さんの言う「悪徳商法」でないことを、飯山さんや小生を含め、本ブログの読者が納得できるような記事を、是非是非お願いしたい(ペコリ)。それから、「呪い」という記事を書くとのこと、今から楽しみにしている。

それにしても、飄平殿の「立ち上がれ人類!」という記事中にある、以下の写真の解説文を読んで、皇室を大切に思っている『月刊日本』等の関係者が、どのような感想を亀さんに聞かせてくるだろうかと、ふと思った次第…。


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出典:「立ち上がれ人類!」
http://hyouhei03.blogzine.jp/tumuzikaze/2013/10/post_c080.html

備考:以下は飄平氏のお仲間で、元『文殊菩薩』編集長が書いた皇室記事の魚拓
http://iiyama16.blog.fc2.com/blog-entry-7042.html
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なぜ今、徳洲会事件なのか
今月発売された『月刊日本』12月号に、青木理氏による「なぜ今、徳洲会事件なのか」という優れた記事が掲載されている。

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さらに、同じく青木氏の著した『トラオ 徳田虎雄 不随の病院王』(小学館)を、あの『日刊サイゾー』が取り上げていた。
稀代の経営者? キワモノ政治家? 元自由連合代表・徳田虎雄の半生 (基礎資料)

そこへ、今朝の東京新聞の「こちら特報部」で、徳洲会事件を取り上げていたのである。そして、今や〝時の人〟となった猪瀬直樹都知事と、徳田虎雄氏との間をとりもった人物こそが、あの一水会代表の木村三浩氏であったことを知った。以下はそのインタビュー記事である。

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木村氏と言えば、確か『月刊日本』誌にも寄稿していたはずだ。同誌の論説委員であり、日本の保守を代表する一人でもある山浦嘉久さんからも、木村氏の人物を聞き及んでおり。機会があれば一度お会いしたいと思っている人物の一人だ。その木村氏が、徳田と猪瀬の間に立ったということを知るに及んで、徳洲会事件の背景が一層の信憑性を帯びてきた(以下の記事参照)。
◆2013/11/26(火)  世界権力バラバラ事件

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長屋紳士録
大分前に購入した「小津安二郎 大全集」の沢山のDVDを、昨日あたりから見始めている。昨日見たのは「長屋紳士録」であり、見終わってしんみりとさせてくれた映画だった。「「小津安二郎 大全集」では、以下のように「長屋紳士録」を簡単に紹介している。

戦後、焼け跡に家がボツボツと建ちはじめたころ、ひょんなことから一人の少年を育てることになった女。次第に彼女はその少年に亡くした我が子の面影を重ねはじめるが…


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いきなり子どもを押し付けられて困惑し、子どもを睨む女

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子どもがキリンを眺めているのを、嬉しそうに見守る女とその友達

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子どもの父親が現れ、子どもを引き取っていった後に涙する女

亀さんは昭和28年生まれなので、昭和22年に「長屋紳士録」が上映されてから6年も経っていない。しかし、物心がついた昭和30年代前半にもなると、同映画に出てくる貧しさは過去の話となりつつあったように思う。尤も、亀さんは野山を駆け回っていた野生児だったこともあり、今の子どもたちのようにゲーム機といった豪華な玩具が無くても、全く気にすることもなく遊んでいた。道ばたのヘビを捕まえて遊んだり、カブトムシやクワガタを捕りに行ったり、ザリガニを捕りにいったり、仲間とチャンバラをやったりと、今でも目を瞑ると当時の思い出があれこれ蘇ってくる。

同映画で印象に残るは、子どもの父親が現れ、子どもを連れて行った後の女の台詞だ。

考えてみりゃあ、私たちの気持ちなんて随分昔とは違っているよ。自分一人さえ良けりゃ良いじゃあ済まないよ。早い話が電車に乗るんだって、人を押しのけたりさ、人様はどうでも手前だけは腹一杯食おうという了見だろう。


さて、今日も仕事に取り掛かろう。仕事が順調に捗れば、もう一本記事を午後にでも書きたいと思っている。
パンツを捨てるサル
半年前から読み始めた、栗本慎一郎の『パンツを捨てるサル』を漸く読み終える。読了後、ふと思ったのは世界戦略情報誌『みち』に連載中である、落合莞爾さんの「洞察日本史」だ。殊に、最近の数号ではハンセン病を中心に取り上げておられる。そして、来月の1日に発売される『みち』で落合さんが、「この病気(ハンセン病)が社会に与えた影響を理解しないで古代史・中世史を論じても意味がない」、といった旨のことを書いていたのを読み、思わず唸った次第である。

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実は、昨夜読み終えた『パンツを捨てるサル』に、落合説「病気が社会に影響を及ぼす」を彷彿させる記述があったからだ。これは同書全体を流れている骨子であり、その骨子が同書のプロローグに、その1~11という興味深い項目となって並んでいる。

その1:ヒトの体は、つねに同じものではない
その2:ヒトの体が変わると歴史が変わる
その3:いま、ヒトの体は変化を開始した
その4:ウィルスは、ヒトの体を「支配」する
その5:病気がヒトを変化させる
その6:「快感」がヒトを支配する
その7:パンツの上に「大パンツ」がある
その8:ヒトを快感創出にも精神破壊にも追い込むもの
その9:ヒトの脳は「麻薬」を作っている
その10:ウィルスは、ヒトを「快感」の方向へ向かわせている
その11:私たちは、ヒトの「運命」にどう立ち向かえるのか


特に印象に残ったのが、「その5:病気がヒトを変化させる」だった。以下に一部を引用しておこう。

ウイルスとヒトの進化を説明するものとして、「ウイルス進化論」と呼ばれるものがある。これは、ひとつには「棲み分け」理論で知られている今西錦司氏の進化理論から派生してきた説で、ウイルスによって起きた病気とその克服の過程が、生物の形態上の大飛躍を作り出すというものである。
『パンツを捨てるサル』p,15


落合さんの説く細菌と栗本氏の説くウイルスという違いこそあれ、らい菌やウイルスによって罹る病気が、社会に影響を与えるという視座では共通している。このお二人の話を比較統合していくことで、今までにない新しい視座を獲得できるのかもしれないと、ふと思った。

つむじ風 01
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最近、飯山一郎さんとブログ「つむじ風」の飄平氏との間で、ネット上のバトルが展開されている。尤も、亀さんも昨日飄平氏から「老婆心ながら警告する」と題したメールを受信している。メールの主旨は、「一週間以内にご回答下さい。それがない場合、刑事訴訟法230条により、貴殿を刑法230条各号の罪状で高知地方検察庁に告訴致します」という〝恐喝〟だった。どうやら、亀さんも飯山さんの一派と認められたようで、大変名誉なことである。よって、今後は飄平氏が飯山さんや小生を含む関係者についての記事を書いた時は、必要に応じて当方も思うところを書かせていただこう。

その飄平氏の最新記事が以下である。
飯山爺の過去・・・恐喝の自白!

同記事の冒頭で、飄平氏は以下のように書いている。

天網恢々、疎にして漏らさず・・・
と言うが、
飯山爺は、過去、パソコン通信で、
『はったり事件』というものを起こしている・・・らしい!
そして、
恐喝の事実を自白している!
本当なの?!


いくら飯山さんでも人を恐喝するようではいけないのぉ~と、飯山さんが昔書いたという記事に目を通した(以下)。

そして一読し、改めて思ったことは、飯山さんは義の人であるということだった。飄平氏は松本州弘氏の『侠 墨子』(イプシロン出版企画)という本を読んだことがあるかな? 同書に「義 - 墨子思想の最高理念」という小節があり、「義」について解説した箇所があるので引用ししておこう。

「自分の利益を顧みず他者を助けて報酬を求めない考え方」「不当な権力を挫き、弱者を救う心と行動」「嘘をつかず、卑怯な行いをせず、自らの生き方でこれを実践すると同時に他者の卑怯も敵として、これを改めずに人の世の和を乱す者には独力でも闘う意思」
『侠 墨子』p.44


ブログ「つむじ風」に紹介されていた以下の飯山さんの過去記事を読み、まさに飯山さんは義の人だと改めて見直した次第である。貴重な資料を探し出してくれた飄平殿、どうもありがとう!

【転載開始】$6039/6164 フリーボード
★タイトル (SSE99524) 92/ 2/24 17:24 ( 77)
飯山一郎は恐喝屋か?            飯山一郎
★内容
 「なかなか人を脅すのがうまい」
 三鷹板吉さんに 私 ほめられてしまいました。

 白状します。
 私 パソ通をはじめてからまもなく7年 人様を罵倒したり オチョくったり
オモチャにしたり・・ということは ほとんどまったくといっていいほど した
ことがありません。
 ただし 罵倒よりも もっとタチの悪い「恐喝行為」を行ったことは 何回も
あります。恐喝よりも もっと悪質な「パソ通・オンライン・人間狩り」などと
いう非情な手法を実行したこともあります。
 なぜ?やったかと申しますと パソ通で傷つけられた人達のウラミや復讐心を
癒すための代理人をかってでたからです。
 すべて「成功」してきました。匿名の壁が厚くても ウォンテッド・マネーの
20万も出せば情報はすぐに手に入りました。罵倒はオンラインだけで行えます
が 「恐喝」にはオフライン・ミーティングが必要なので 250Kmも車を飛
ばしたこともありました。

 「なんでオトーちゃんは会社では何も言えないクセに 家ではパソコン使って
 可愛い大学生のお兄ちゃんをイジめたりするのよーーッ!」
 まるまる太った奥さんが貧相な30男を あまりに激しく怒鳴りまくるので
 「まあまあ ひとことだけ詫びの言葉を書いてくれればOKですから・・」
 などと 恐喝が 犬も食わない仲裁になってしまったことがありました。

 別の日は29才の公務員。
 「あれは 私がやろうと思ったわけではないのです・・」
 と真っ青な顔で必死に抗弁するので
 「俺達幾日でもこの町に泊まっていく覚悟で来てるから 詳しく話してよ」
 と詰めよると
 「じつは 彼女が どうしてもヤレッて言うものでぇ・・」
 ときやがった。
 「彼女を呼んでよ」と要請すると やってきたのがスッゴイ美女。
 893言葉を縦横に駆使したあの激しい罵倒が何とも信用できなかったが
 「こんな奴 徹底的にオドかしてやったらぁ」
 というのが発端で その後罵倒の快感が忘れられず エスカレートしてしまっ
 た というのがコトの成行きなのだが その裏には一生を托すフィアンセが
 <威勢のいいタンカのひとつもきれるような男になって欲しかった>
 という切ない女心があったのでした。

 ・・深夜 警察に「いま脅迫されてます!」って110番した男もいたっけ。
 翌日 一応事情を尋ねにやってきた警察官に 男はプリントアウトした私の
「脅迫ログ」を見せたそうなんだが パソ通をよく知らないらしくチグハグな
やりとりだったという。
 私の事務所を刑事が訪れたのは その翌日であったが その刑事というのが
パソコン大好き人間。 ・・・だから事情を理解するのが早いこと!
 そのあくる日 くだんの罵倒男が背中をまるめてやって来て 細い声で
 「逆に私の町の警察に怒られてしまうは 母親からはパソ通禁止になるわで」
 さんざんだったと頭を深々と下げるのでした。
 「26才にもなったセガレのパソ通を禁止するとは母親も悪い。僕が言って
 あげましょうか?」
 と言うと
 「母が買ったワープロですから・・」とモゾモゾしている。
 よく話をきくと その母親は社会教育委員でイジメ問題では町の権威なんだ
そうだ。だからパソ通でのイジメも警察に聞いたとたん 即理解したという。
 これ 親の心子知らず という格好の例でした。

 ・・・4年前 悪質な罵倒男をオンラインでみっちり脅しあげ 充分にシメ
ぬいてテキが恐怖のドン底に達した頃 電話番号が判明した。住所も分った。
 「飯山一郎だが 今から行くから 玄関の電気つけておいてくれや なぁ!」
 (玄関が消灯されていることは 先に行った偵察隊から報告済み。)
 数秒後 すさまじい幼児の泣き声が 受話器から流れてきた。
 その若い父親は 母親の入浴中 2才の子供を抱いたまま電話に出たのだが
驚きと恐怖のあまり 子供を板の間に落してしまったのだ。
 こんな可愛い いたいけな子供がいるなら パソ通やるのもいーけど他人様
を罵倒したりオチョくったりするなよ!
 罵倒しても構わないが シッペ返しを覚悟してからヤレよ なぁ!
 ・・・子供の怪我が軽いと見てとった私は多少声を荒げたが これは「恐喝」
が「深夜の見舞い」に変化した例としておいたほうがいいだろう。

 ---なんてことをゴチャゴチャ書くのは私の自由だが しかし この文章
全体としては 人をオチョくるような調子になっている。反省しなくっちゃ。

 ようするに 何を言いたいのかといえば 現在の私の文章のなかに 脅しと
見える部分があっても それは 絶対に違いますよ!ということ。

 なーんだぁ 2行で済むんだぁ

 皆さん 長い文章で すみませんでした  _o_     飯山一郎
【転載終了】


麥秋に観る〝無〟
小津安二郎の作品「麥秋」を観る。以前、一度観たことのある映画だとばかり思っていたのだが、実際に観て初めて接する映画だとわかった。

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それにしても、西村雄一郎氏の『殉愛 原節子と小津安二郎』(新潮社)を予め読んでいなかったとしたら、日常の光景を描いただけの映画に過ぎないと、勘違いしたまま終わっていたかもしれない。その意味で、西村氏には心から感謝したいと思う。

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さて、西村氏か書いているように、映画「麥秋」に一環として流れるテーマこそ、〝無〟であると亀さんも思う。小津監督の〝無〟ついて、以下に抜粋しておこう。


小津は、中国戦線で岩波文庫の『暗夜行路』を読み、激しい感動に襲われている。時任謙作の虚無的な性格は、中国で地獄を見た小津にとっては、以前にもまして、身近なものになっていた。

五月二〇日、小津は南京に着いた。翌日の夕方、古刹鶏鳴寺を訪れ、そこで、寺の僧に揮毫をしてもらった。その字は、

「無」

の一字であった。

それは、感動したばかりの時任謙作の虚無的な性格の「無」だったのかもしれない。あるいは、戦争を体験した果てに到達した、小津の生きる知恵だったのかもしれない。

即ち、小津はこの中国戦線において、自分を虚しゅうして、「無」の状態にする術を覚えたのではないだろうか。それは、自分を一且フリーズ状態にして、自分の心のリセット・ボタンを押すことである。つまり自分を自然体にして、善も悪も定めず、なすがままに、この世の現象を淡々と見つめていこうとする態度なのだ。後の小津映画の作風に通じる、その作為を労さない無意識の世界それが「無」だったのかもしれない。

あるいは、人問はたった一人で生まれ、たった一人で死んでいくという認識、そこから生まれる孤独、寂寥、枯淡、清澄……そうした小津の映画に通底する無常観を、「無」という一字で表現したかったのかもしれない。

どちらにしても、小津の人生に対するポリシーや、小津映画の端正な世界を象徴するこの「無」の一字は、小津の死後、小津の墓石に刻まれることになるのである。

『殉愛』p.122


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今後、数年おきに「麥秋」を観ることになると思う。小津監督の伝えたかった「無」を求める旅が、今始まったのだ。

『麥秋』は一見、大家族の日常生活を細かく描いたホーム・ドラマに見える。だが、「秘すれば花」なのだ。繰り返すが、『麥秋』は小津作品の中でも、最も隠喩を含んだ、精神性の高い、形而上的な映画である。

……中略……

『麥秋』は隠されたテーマを含んだ隠喩の映画だと書いたが、では、何の隠喩か? といえば、それは明らかに〝戦争〟である。特にこの作品は、小津が従軍した中国戦線の思いをさりげなく含ませ、死んでいった英霊たちに捧げる鎮魂歌ともいうべき〝慰霊〟の映画だったのだ。

『殉愛』p.114


八月の鯨
一週間ほど前に「和製“八月の鯨”」という記事を書いた。東京新聞に載った浅丘ルリ子のインタビュー記事で、浅丘が「八月の鯨」を高く評価しているのを知り、早速取り寄せたのである。本来は仕事の締め切りが来月上旬だったので、直ぐには鑑賞できないと思っていたが、幸い順調に仕事が捗ったお陰で意外と早く自由な時間を持つことができた。尤も、今晩あたりアメリカから別の仕事が入る予定なので、半日ほど空いた自由な時間を利用して、急ぎ「八月の鯨」を先ほど鑑賞したという次第である。

同映画の粗筋は、「過激な正論 ・ まっとうな暴論」というブログの記事「『八月の鯨』再見」を読んで戴くとして、この映画は正に大人の映画であると思う。70代を超えた両親を持つことで漸く分かりかけてくる映画であり、さらに自身が70代という人生の黄昏を迎える年代ともなれば、同映画の各シーンが我が事のように感じられるのではないだろうか。

以下は、「八月の鯨」で主演を努める姉妹で、左側の妹役がリリアン・ギッシュ(撮影時93歳)、右側で姉役を務めたのがベティ・デイビス(79歳)だ。

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リリアン・ギッシュ(左)とベティ・デイビス(右)

浅丘ルリ子がインタビューで語っていたが、和製版『八月の鯨』を浅丘ルリ子と倍賞千恵子の二人で演じたら、どのような映画になるのかと思うと、想像するだけでワクワクする。無論、姉役に浅丘ルリ子、そして妹役が倍賞千恵子だ。その理由は、同映画を見てもらえればわかる。

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リリアン・ギッシュ(左)とベティ・デイビス(右)

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倍賞千恵子(左)と浅丘ルリ子(右)

同志社大學設立ノ旨意
昨夜放送されたNHKの「八重の桜」は、実に胸を打つ内容だった。死期が迫る新島襄が大学(同社大学)設立のため上京、大隈重信の協力で財界から多額の募金を集めたものの、勝海舟は新島夫妻を前に以下のように語る。

せっかくの大学をヒモツキにする気かい、政府のために造るんじゃなく、人民の爲に造りたいのだろう。志を全国の人民に訴えて、国民の力を借りて造っちゃどうだい。


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そして、勝は「同志社大學設立ノ旨意」を全国何万人の国民に示し、国民から募金を募ってはどうかと考案する。財界人一人が出す千円も、国民千人が一円ずつ出した千円も、同じ千円だと勝は語るのだった。

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「同志社大学設立の旨意」(抜粋)
…(同志社の)目的とする所は、独り普通の英学を教授するのみならず、其徳性を涵養し、其品行を高尚ならしめ、其精神を正大ならしめんことを勉め、独り技芸才能ある人物を教育するに止まらず、所謂る良心を手腕に運用するの人物を出さん事を勉めたりき。而して斯くの如き教育は、決して一方に偏したる智育にて達し得可き者に非ず。唯だ上帝を信じ、真理を愛し、人情を敦くする基督教主義の道徳に存することを信じ、基督教主義を以て徳育の基本と為せり…

…人民の手に拠って設立する大学の、実に大なる感化を国民に及ぼすことを信ず、其生徒の独自一己の気象を発揮し、自治自立の人民を養成するに至っては、是れ私立大学特性の長所たるを信ぜずんば非ず…

一国を維持するは、決して二、三英雄の力に非ず。実に一国を組織する教育あり、智識あり、品行ある人民の力に拠らざる可からず。是等の人民は一国の良心とも謂ふ可き人々なり。而して吾人は即ち此の一国の良心とも謂ふ可き人々を養成せんと欲す。吾人が目的とする所実に斯くの如し。
明治二十一年十一月
同志社大学発起人 新島 襄

http://www.doshisha.ac.jp/information/history/policy.html


それにしても、我が国の安倍総理も新島襄のように、目先のことではなく子孫のことをもっと考えてくれたらと、今朝の東京新聞を読みながらつくづく思った亀さんだった(ため息)。

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陸軍中野学校秘史
斎藤充功さんの新しいムック本が発売された。

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来月お会いし、同ムックの執筆の経緯などについて、お聞きしてこようと思う。

諜報! 陰謀! 攪乱! 戦後68年目に明かされた新事実 CIA,KGB,MI-6、モサド…各国の諜報スパイ組織に決してひけをとらないスパイ組織が日本の陸軍中野学校だ! ただ、その実態、組織の全貌は戦前戦後を通じて極秘扱いでほとんど、表に出てくることはなかった。本企画はその信じられない実態と、戦後の歴史にまでその足跡を残した陸軍中野学校の全貌と歴史に与えた影響を豊富な資料に基づき解き明かそうとする試みである。メインライターであるノンフィクション作家の斎藤充功氏が長年にわたり収集した多数の未公開資料を初めて公開! また、発掘史料も多数!


創刊200号を迎えた『月刊日本』
過日、拙ブログに「創刊200号を迎える『月刊日本』」という記事を書いたが、「創刊200号・『月刊日本』を叱咤激励する会」が、さる11月21日(木)に行われている。そんな折、『月刊日本』12月号が届いた。そして目に入ったのが、「独立不羈の覚悟 日本国の自立と再生を目指して」と題した、同誌主幹・南丘喜八郎氏の「巻頭言」である。殊に、以下の言葉が心に染みた。

『月刊日本』は創刊から二百号を数えるが、最後に改めて言論誌としての覚悟を披瀝しておきたい。

『月刊日本』の題号は、明治二十二年に陸羯南が創刊した新聞『日本』の顰に倣ったものである。陸羯南は『日本』紙上に於いて、薩長藩閥政府の強権政治に対し「国民主義」を掲げ、筆鋒鋭く迫った。権力者に決して阿ることなく、独立不羈のジャーナリストとして、堂々の原論を展開した。口先では勇ましい言辞を弄する自由民権論者は少なくなかったが、彼等の大半は仇敵の如く罵っていた藩閥勢力と臆面もなく手を握った。

<眼中に国家を置き、自ら進んで其の犠牲となるの覚悟あらざれば不可なり。独立的記者の頭上に在るものは唯だ道理のみ、唯だ其の信じる所の道理のみ、唯だ国に対する広義心のみ。>(陸羯南「新聞記者論」)

陸羯南が創刊した『日本』は、連日、「条約改正問題」を論じ、政府から度重なる発行停止処分を受けた。無論、羯南は権力に怯むことなど決してなかった。硬骨漢羯南の率いる『日本』には三宅雪嶺、福本日南、国分青崖、中村不折、正岡子規、長谷川如是閑など数多くのジャーナリストが集った。

私たち『月刊日本』は、陸羯南の顰に倣い、権力に阿らず、毅然として正論を吐き続ける覚悟である。


『月刊日本』12月号 p.5


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ここのところ、飯山一郎翁のブログでは、優れたブロガーが己れのブログを閉鎖したという悲しい記事が相次いでいる。そうした風潮の中、上記の南丘喜八郎主幹、飯山一郎翁といった、まさに「正論を吐き続ける覚悟」を決めた人物が存在するということは、後に続く者として心強い。

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南北朝異聞
中丸祐昌氏の著した『南北朝異聞』を漸く読み終えた。落合莞爾さんが自著『南北朝こそ日本の機密』で、「その(『南北朝異聞』)内容を十分信ずべきものと判断する私は、その著の存在をここに紹介し、以て大塔宮生存説の一証とさせていただきます」と主張した訳がよく分かったものである。以下は、『南北朝こそ日本の機密』から抜粋した『南北朝異聞』に関する記述である。

中丸祐昌著『南北朝異聞』(東京経済刊)によれば、淵辺義博の旧領だった淵野辺の近郊の木曽に住む中丸氏は、昭和三(一九二八)年の生まれです。祖父も曽祖父も淵野辺から入婿した家系で、夫人も同地区の出身ですから、淵辺義博に関する伝承を幼時から聞いていました。

平成四(一九九二)年ころ、戦時中に相模陸軍造兵廠の技能者養成所で知り合った伊藤氏を訪ねて、千葉県白浜町に行った中丸氏は、意外なことを聞かされます。大凡下記のようなものでした。

養成所の教官から、「この地の領主は護良親王を奉殺した淵辺義弘という大悪人であった。諸君がこの地に来たのもきっと親王のお引き合わせだから、今日からは専心勉学に励んで親王の御心を安んずるよう努力せよ」と聞かされた伊藤氏は大きな衝撃を受けた。

というのも、伊藤氏の生家は代々白浜町に住む旧家淵辺家で、長男の伊藤氏は常々、父親から「わが家系は足利将軍家に仕えた侍大将淵辺義博の子孫であり、義博は、実は護良親王を害したのではなく、秘かに援け、六人の腹心と共に鎌倉から、夜陰に乗じて海路この地白浜に逃れ、そのまま土着したというのが真相である。わが家は古くから淵辺総本家と呼ばれる家である」と聞かされていたから、淵辺義博の直系の自分がこの地に来たのは、慥にそうした運命の引き合わせかもしれない、と思った。養成所では、淵辺義博なぞ聞いたこともないという顔をしていたので、伊藤氏がまさか淵辺義博の直系と知らなかった中丸氏が、五十年も経ってから、大塔宮の故地の房州白浜でそのことを知ったというのは、さすがに感じるものがあります。

中丸氏がこれを奇遇と感じて調査を始めたというのは頷けます。

その報告が前掲中丸著なので、その内容を十分信ずべきものと判断する私は、その著の存在をここに紹介し、以て大塔宮生存説の一証とさせていただきます。

『南北朝こそ日本の機密』p.184


『南北朝異聞』の筆者・中丸祐昌氏は、護良親王のその後を以下のように述べている。

摂津の湊川の戦いで知られる激戦のすえ、楠木正成を破ったのが延元元年(1336)五月、その翌六月には、尊氏は光厳上皇を奉じて入京する。八月には光明天皇の践祚があり、ここに南朝後醍醐、北朝光明の両統併立の事態が生じたのである。

こうなると、足利氏にとっては、護良親王の利用価値はまったくなくなってしまったわけで、それゆえ淵辺一行七人も白浜に放置状態にされたままになってしまったのである。

護良親王の逝去は、たぶんそれより四、五年後のことであろう。

『南北朝異聞』p.204


上記の中丸氏の文章には、落合秘史で云うところの「大塔政略」という視点が欠けているわけだが、落合さんと異なり、中丸氏の場合は〝さる筋〟という情報源に恵まれなかったのだから仕方の無い面はある。ともあれ、落合秘史シリーズの一冊、『南北朝こそ日本の機密』を今後も幾度か再読していく必要があると、心から思った次第である。

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13年「父は誇り」
以下は、今日の東京新聞(夕刊)に載ったレイテ島関連のニュース…。

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女子高校生の怒り
「ねずさんの ひとりごと」というブログに、素晴らしい動画が紹介されていた。


http://www.youtube.com/watch?v=gwF5qKp3b1Q

以下も再読いただけれぱ幸いだ。
和尚の自衛隊観 6

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震災3日後の14日に生後4ヶ月の赤ちゃんを救出した自衛隊
「依存症の独り言」より

生きる
過日、NHKのクローズアップ現代で「フィリピン巨大台風の衝撃」を放送していた。冒頭で中年の男性が拙い英語で、「ヘルプミー!」と泣き顔で訴えていた姿が頭から離れない。その後、昨日の東京新聞の記事等を読む限り、タクロバンというレイテ島の中心都市は、商店の食糧が略奪されるという無法地帯になっているのがよく分かる。

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そんな折り、息子が小学校時代にサッカーをやっていた時、同じチームにいた父兄の一人、Tさんと電話で語り合った。Tさんは比国の女性と結婚しているが、奥さんの出身がレイテ島なのである。今でも奥さんの両親が住む住宅は、タクロバンとオルモックというレイテ島の主要な都市の間にある街だと言っていたが、何て言う街なのかは失念した。その人口が千人にも満たない小さな街にある奥さんの家も、今回の台風で倒壊までには至らなかったものの、屋根が吹き飛ばされたという。

その家だけではない。レイテ島の大半が台風30号に巻き込まれ、鉄筋コンクリートの住宅も含め、殆どの家屋の屋根が吹き飛ばされたとのことだ。電気や水道といった生活に欠かせないインフラもズタズタにされ、レイテ島全体で復旧するまで早くて半年、最悪の場合は一年以上はかかる見込みだという。

また、レイテ島の農村の小山に群生しているココヤシの高木も軒並み倒れ、山が低木や草だけに様変わりしてしまったとも言っていた。亀さんは東南アジア各地でココヤシを見てきたが、あの大木が数本はともかく、殆どが倒木したとは今でも信じられない気持ちでいる。普通、農家は田圃(米)とココヤシ・バナナなどで生計を立てているとのことだが、ココヤシやバナナだけで生計を立てている人たちも大勢おり、そうした人たちは生きていく術を奪われたようなものだと云う。なぜなら、バナナなら植えてから実がなるまで5~6年、ココヤシにいたっては50年単位の時間が必要となるからだ。

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しかし、一つだけ救いはある。Tさんの話から、奥さんの田舎は嘗ての日本にあった共同体の風土が根付いていることが分かったからだ。たとえば、隣の家が何処からか5kgの米が手に入れると、親戚は無論のこと近所全員に配っているのだという。そして、お粥にして各々の家庭で食べているとのことだ(お粥なら同じ量の米でも一番腹が一杯になる)。このように、困ったときはお互い様という助け合いの精神が、今でも農村に根付いていることを知るにつれ、こちらまで嬉しくなった。

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和製「八月の鯨」
「男はつらいよ」シリーズでリリー役でマドンナを演じていた、浅丘ルリ子の記事が東京新聞(11月19日朝刊)に載っていた。ちなみに、浅丘ルリ子がリリー役で「男はつらいよ」に登場したは、第11作「寅次郎忘れな草」、第15作「寅次郎相合い傘」、第25作「寅次郎ハイビスカスの花」、第48作「寅次郎紅の花」の四作品だ。

その浅丘ルリ子が、その東京新聞の記事で「男はつらいよ」について言及していた。

今までこの役をやりたいと、自分で言ったことはなかったが、今ひそかな思いがあるという。ペティ・ディビスとリリアン・ギッシュが老いた姉妹を演じた映画「八月の鯨」。何げない日常の中に人生がにじむこの作品に女優魂がひかれるという。「(寅さんの妹)さくら(倍賞千恵子)とリリーで、山田監督に撮っていただけたら」と微笑んだ。


この一文を読み、無性に「八月の鯨」を見たくなったので早速発注したが、亀さんも浅丘ルリ子の云う〝和製〟「八月の鯨」の実現を山田監督にお願いしたいと思う。

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凋落か復活か?
最近、ある会合で以下のような会話が飛び交った。

田中宇が最近発行した国際ニュース解説記事「飢餓が広がる米国」にもあるように、〝先進国〟と思われていた米国の凋落は目を覆うものがある。1年前にニューヨークを訪れ、最近再び訪れた知人の話では、この僅か1年の間でニューヨークの落ち込みは酷かったとのことだ。ホテルはガラガラ、物乞いが急増しているという。これは現在の金融体制が最終段階に来ていることを意味しているのではないか。


実は、こうした話の流れになったのは、最近のアメリカの株価高騰が話題になった時だった。株価が上昇している一方で、田中宇の「飢餓が広がる米国」や、上記のニューヨークの話である。果たして、どちらが正しいのだろうか…。

そうした中で、株式市場の動きの方が正しいと主張する一人に飯山一郎さんがおり、さらに「貯蓄は株式と土地に振り向けよ」とすら主張する落合莞爾さんがいる。

飯山さんは以下のように語っている。


アメリカの先行きについても、ネットなどでは今にもアメリカの経済が崩壊するような「希望的観測」が多いが…、NY株式市場の「読み」は逆だ。
どちらが当たるか? 私は、株式市場の判断のほうを信じる…


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http://iiyama16.blog.fc2.com/blog-entry-7036.html

また、世界戦略情報誌『みち』の358号(平成24年04月15日)の巻頭言で、天童竺丸さんは「貯蓄は株式と土地に振り向けよ」という、落合さんの話を紹介している。ご参考までに、以下に全文を引用しておこう。

●落合莞爾著『金融ワンワールド──地球経済の管理者たち』(四月三〇日、成甲書房刊)という本がまもなく書店に並ぶ。成甲書房の田中亮介氏のご厚意で出来たての一冊を配本前に頂戴した。忝いことである。二六〇頁の一冊に凝縮されたこの本の内容をそれぞれのテーマ毎にさらに敷衍(ふえん)するとしたら、一〇冊を以てしてもなお足りないかも知れない。本書の随所に「本稿では立ち入りません」とか「本書では割愛します」と断り書きがあるのはこのためで、いわば本書はこれから展開されるであろう落合莞爾著作集の総論に相当する著作なのである。巻頭言の限られた紙幅でまとめて紹介するのはどだい無理な話である。そこで、本書第Ⅲ部「通貨経済の終焉」から抜き出して、その結論の部分だけを紹介しよう。
 第Ⅲ部の扉書き(一九四頁)には、こう書いてある。
 金融ワンワールドにとって、国家から金利をタダ取りするところに信用通貨システムの存在意義がある。したがって、これから到来するゼロ金利社会では、信用通貨システムは形は残してもその方向が変わる。企業・財団における経営無責任化の進行が、あらゆる経営行為に保険利用を要求し、それを受ける胴元業が金融資本の中心業務となる。バクチと保険は裏表だから金融市場はまさにカジノとなるのである。第Ⅲ部では、一般国民の貯蓄は株式と土地に振り向けられるべきことを明らかにする。
 一般国民はちょっとした土地を買えるくらいの貯金があるのが普通だから、落合氏の助言に素直に従った方が賢明だと思われる。一般国民ではあるが貯金がないという特殊事情にある私としては、せっかくの金言も活かしようのないのが残念だ。
●落合氏は本来ならば、あちら側、すなわち本書にいう「地球経済の管理者たち」の側に迎えられるはずの人だった。それがほんのちょっとしたはずみというか、きっかけというか、違和感というか、何らかの理由でこちら側、すなわち彼らに管理される一般大衆の側に止まった。栗原茂の引き合わせにより御厚誼を忝くするようになり何度か親しくお話を聞く機会に恵まれた私としては、それこそが落合氏の天命であると思われる。
 いま、落合完爾氏は『月刊日本』誌に「疑史」を『ニューリーダー』誌に「日本近代史の真相──陸軍の裏側を見た吉園周蔵の手記」を毎号連載しているが、ゆくゆくは野村證券の社長に予定されていたにも拘わらず、落合流に言えば、近代日本の在り方の中に「コスモポリタン」の匂いを嗅ぎとってその研究を以て自らの天命と自覚された節がある。その真摯な学究の姿勢は常日頃敬仰措く能わざるところである。
●あるとき、連載中の「吉園周蔵手記」をまとめた暁には、周蔵手記原本を公刊して欲しいとお願いしたところ、「もとよりそのつもりだが、原本校訂と刊行には金が掛る。公刊できれば、周蔵遺族に印税が行くようにしたい」と言われた。実に落合氏は公正の人でもあるのだ。本稿を読んで少しでも興味をもたれるならば、ぜひ書店で購入して頂きたいものである。
 最後に私事ながら、本書の八八頁に拙著『憎悪の呪縛──一神教とユダヤ人の起源』を紹介して頂いた。敬仰する落合氏の著書の中で採り上げられたことは大へん名誉なことであり、心から感謝する次第である。
 


ところで、飯山さんが「米国の株高は、オバマのアンチ戦争屋制作が功を奏し、米国の国家体質が良質になってきていることの反映だろう」と述べているように、現時点で反戦争屋がリードしていることが、ニューヨーク株式市場の株高に反映されているのである。しかし、この先の見通しは立てられない。なぜなら、いつ何時、戦争屋が盛り返すか分からないからだ。その意味で、瀬戸際に追い詰められたイスラエル(すなわち、アメリカのネオコン)が、年末から来年早々にかけて、もしイランを核攻撃するようなことにでもなれば、世界は大混乱に陥り、まさに戦争屋の思う壺になろう。無論、株は大暴落するはずだ。

戦争屋vs.反戦争屋については、以下の拙記事でも簡単に触れた。
池上彰のシリア観

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レイテ島の光と影
フィリピンのレイテ島を襲った台風30号が残した爪痕は凄まじく、本日のNHKの「クローズアップ現代」でも取り上げるようだ。

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ところで、台風30号により壊滅状態になったレイテ島に、日本は搭載護衛艦「いせ」を派遣したのだが、その意味するところを分かりやすく解説しているのが、ネイビーブルーに恋をしてというブログだと思う。

ある道友は、「フィリピンでは救援作業と共に帝国海軍の〝慰霊〟も行なってくれるだろう。〝いせ〟,〝ひゅうが〟、そして進水艤装作業中の〝いずも〟などの護衛艦の艦名を並べると、まさに古事記・日本書紀の世界だ」と語っていたが、まさにその通りだと思う。

亀さんは多くのアジア諸国を訪れているが、比国の場合は大岡昇平『レイテ戦記』を読み、さらに『踏みにじられた南の島』(NHK取材班 角川書店)と出会うに及んで、同書に登場する関係者から貴重な話を聞いている。また、近くにあった日本兵の集団墓地、そして日本兵が玉砕したというリモン峠近くの山麓も訪れた。その山麓には、未だに消息が分かっていない日本兵が大勢眠っているのである。




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大海人皇子の正体
昨日、飯山一郎さんが大海人皇子を取り上げていた。311さえなければ、今頃は天武天皇の謎について、さらに飯山さんが深く掘り下げ、我々のために公開してくれたであろうと思えるだけに、誠に残念でならない。

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  「宗像市に行き“古神道の森”の空気を吸った」

ところで、上記の記事で目を引くのは、「天武天皇と済州島の関係は深い」という飯山さんの主張である。その根拠として飯山さんは日本書紀を取り上げているのだが、亀さんも旧ブログで日本書紀をもとにして、数本の記事を書いたことがある。
『日本書紀』

『日本書紀』の記事で紹介した記事の一つが、「第二回・『覇王 不比等』全三巻(黒須紀一郎著 作品社)」 であり、同記事に登場する不比等と同時代の空気を吸っていたのが天武天皇その人である。関心のある方は一読戴ければと思う。ちなみに、黒須紀一郎は確か、「天武天皇は新羅系の支配者」という説を下敷きに、『覇王 不比等』を書いたと記憶している。

その他にも大海人皇子に関する諸説が世の中に数多あり、なかでも落合莞爾さんの『明治維新の極秘計画』に登場する大海人皇子像は興味深い。少々長くなるが、以下に転載しておこう。

海人熊野和田氏=橘氏
はるか縄文時代の昔から日本列島に住んでいた族種橘氏は、三世紀ころから陸続として渡来してきた騎馬族の攻撃目標になることを避けるために、橘姓を隠した時期が続いていました。

元明天皇が県犬養三千代に「以後は橘姓を称すべし」と勅諚したのは、実際には聖武天皇が葛城王(諸兄)に賜姓したのかも知れませんが、「もう大丈夫だから、橘氏にカミングアウトしなさい」との意味と視るべきです。カミングアウトの許可は、葛城王から申請したのでしょう。

因みに、三千代の父系の県犬養氏は伴造と呼ばれる大和政権の中下級貴族で、職能民の犬養部を統率した実務官僚です。職掌は屯倉(大蔵)の管理で、県犬養連・海犬養連・若犬養連・安曇犬養連の四氏が犬養部を統率していました。県とは朝廷直轄領で、県犬養氏は首都圏所在の屯倉の守衛を職掌として、旧は犬を使っていたから、この名称です。

守衛から警護役を経てしだいに軍事的職能を帯びた犬養部は、壬申の乱に際して大海人皇子(天武天皇)の近衛として活躍し、乱後に一族の県犬養輝儒が正三位の重臣となり、三千代の父の県犬養東人も従四位下に叙せられています。

大海人皇子を養育した凡海直は安曇系海人族です。また多大の軍事的支援をした尾張・美濃の尾張氏は丹波海部氏の末喬ですから、三千代が最初に仕えた天武天皇は、いみじくも大海人の名が示す通り、海人族の連合による天武王朝を開いたのです。

それまでの大和朝廷は、数代前から百済色の濃い王朝で、天智天皇まで続きましたが、百済は北方騎馬民の扶余族ですから、何時の頃にか来日して皇統に混入したのでしょう。

北家や清和源氏など大陸から朝鮮半島を通過して渡来した騎馬系族種は、軍事力で列島社会を制覇しましたが、以後は政治力で優勢に立ったため、他の族種に偽称されることはあっても、自ら姓を隠すことはいたしません。

しかしながら、橘氏や平氏などの海人族は、軍事的または政治的に劣勢の時期が長く、その時期には、優勢の他族種に潜入したり、他族種を偽称することが通例だったのです。

清和源氏を自称する小笠原氏は本来海人橘氏ですが、騎馬系の攻撃を逃れるため、敢えて騎馬家系の本家を偽称したのです。天正二十(一五九三)年に小笠原諸島を発見した小笠原貞頼は、『大日本人名辞書』によれば信濃国深志城主で、小笠原長時1↓長隆1↓長元⊥貞頼と相続したようです。かたや家康の側近で、御朱印船で知られる貿易商茶屋四郎次郎も信濃小笠原家の出で、本名を中島清延といい当初は家康に仕える武士でした。清延の父は小笠原豊後守明延、母は小笠原長隆の娘ですから清延は貞頼の従兄弟に当たり、深志城主小笠原家も茶屋中島家も共に深く海洋に関係しています。

元亀三(一五七二)年十一月三方原の合戦に際し、家康は清延の功を賞し「手づから橘を執り之を授けて曰く、橘は是れ祥瑞なり。宜敷く以て汝の家紋となすべしと。此の時三つ梶の葉の家紋を改めて橘となす」との伝承を『大日本人名辞書」は記載しています。県犬養三千代の場合と甚だ似ていますが、清延の戦功を賞した家康が、橘姓へのカミングアウトを認めたのでしょう。つまり、小笠原氏の本当の血統は橘氏なのです。

『明治維新の極秘計画』p.173~


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谷内初代局長
今朝の東京新聞「本音のコラム」に、いつもの佐藤優氏の記事が掲載され、内容が特定秘密保護法に触れていたので目を通してみた。

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特に注目したのは最終行の佐藤氏の発言だ。

谷内氏が初代局長に就任することによってこの組織が暴走する危険が極小化されたと筆者は認識している。


このあたり、佐藤優氏と交流のある、『月刊日本』誌や『みち』誌の先輩方の意見を聞きたいところだ。

文中で佐藤氏が述る、「軍機保護法や国防保安法に相当する特定秘密保護法が必要」という視点は亀さんも賛成である。何もかも国民に情報を公開せよというのは現実的ではない。その一方で亀さんが恐れているのは〝暴走〟なのだが、本日の東京新聞の同じ紙面でも同じように暴走を危惧している記事があった。
謎の写真
通説では、この世に西郷隆盛の写真は存在しないとされている。ところが、フルベッキ写真で西郷隆盛ではと騒がれた人物の写真がある。以下の写真だ(フルベッキ写真から切り抜き)。

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しかし、その後慶応大学の高橋信一先生などから、写真に写るのは西郷隆盛ではないと、明確に否定されている。亀さんも同意見であり、愚見を旧ブログで述べているので、関心のある読者は一読いただきたい。
フルベッキ写真(7)

ところが、ところがである、最近になってフルベッキ写真に写るのは、やはり西郷では…、という話が持ち上がってきた。その話を持ち出してきたのは、『フルベッキ群像写真と明治天皇すり替え説のトリック』(ミリオン出版)を著した斉藤充功さんだ。詳しくは『怖い噂』Vol.19のp.31~35を参照していただきたい。

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その斉藤さんとは今週末にお会いするが、高橋先生とフルベッキ写真を調べてきた身として、どのような話に展開するのか今から大変楽しみであり、何等かの“新しい発見”があったら本ブログで報告することとしたい。

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海外移住
我々日本人のルーツとツランとを結び付けている人物の一人に、日本ツラン同盟の会長である天童竺丸さんがいる。その天童さんが「ツラン源郷への日本民族大移住計画」という記事を書き、飯山一郎さんが自身のブログに紹介していた。

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ツラン源郷への日本民族大移住計画

尤も、日本人のルーツはツラン圏からだけではなく、黒潮の流れに乗って日本にたどり着いた、いわゆる黒潮圏の人たちも太古の昔に日本列島に流れて来ており、やはり日本人のルーツの一角をなしている。そして、今日では互いに混血を繰り返し、〝日本民族〟として成立しているわけだが、その我々の祖国日本は、悲しいことに旧ソ連のチェルノブイリ並みに汚染されてしまった。そのあたりは、「民のかまどはにぎはひにけり」というブログを開設している、抱き稲荷さんの最新の記事に詳しい。

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             『黒潮文明論』


どうするか? ツラン源郷への日本民族大移住計画にあるように、放射能で汚染された日本列島を捨て、自身の源郷を求めて海外移住を検討してみるのだ。ただ、若い人はともかく、ある程度年がいった人たちの海外移住には無理がある。年老いた人で今から海外移住するには、現地の日本人スタッフが経営する〝日本人村〟で生活するしかない。

ただし、日本人村の場合、セキュリティなどの面では申し分ないが、ある程度の資産(お金)がないと難しい。仮に物価の安い国の日本人村で生活するにしても、日本人村はお金がかかるのだ。尤も、年金ていどで生活できるところもあるようなので、インターネットで調べるとよいかもしれない(但し、自己責任でお願いしたい。また、年金制度はすでに崩壊状態にある点にも注意のこと。詳しくは岩瀬達哉氏の一連の著作を参照)。

一方、現地の人たちと同じような生活ができる日本人は、若い頃に海外生活を数年体験した人たちに限られると思う。そうした体験がない場合、海外移住は無謀というものだ。

ともあれ、大手マスコミは報道していないが、311後の日本人の死者の数は急増しており、あと数年もすれば目に見えて大勢の日本人が死んでいく。しかし、金もない、海外生活の体験もない場合は、後は日本で生き延びていくしか術がない。そういう場合に役に立つサイトが飯山さんのホームページだ。是非、今からでも乳酸菌ヨーグルトからスタートすることで、放射能地獄を生き抜いていって欲しいと切に思う。
放射能が降る街で生きる

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どぜう
東京は浅草に、「どぜう」という泥鰌屋があり、亀さんの場合、今までに2回ほど同店の泥鰌に舌鼓を打ったことがある。その「どぜう」が、「あんどーなつ」というテレビ番組に登場していたので、拙ブログでも紹介したことがある。
泥鰌屋

その「どぜう」が、ナント「男はつらいよ」にも登場していた…! それは、第42作「ぼくの伯父さん」で、マドンナは後藤久美子である。ストーリーは、寅さんが伯父貴として甥っ子の満男に、酒の飲み方から恋愛の仕方まで、「どぜう」で指南するというものなんだが、それを見て二年前の忘年会シーズンを思い出した。世界戦略情報誌『みち』の藤原源太郎さんと、今は京都にいる上の息子が酒を酌み交わしたのだが、源太郎さんが驚いたような表情をしていたのだ。無理もない、源太郎さんはアルコールは一滴も飲めない息子しか知らなかったからだ。今では、「秩父錦(秩父の地酒)が残り少ないので送れ」というメールを、思い出したように送信してくるまでになった。一昨日も蔵元からまとめて6本送ったところだ。息子の場合は、日本酒の飲み方を家で教えておいたので、「どぜう」では楽しい酒だったのではと思う。

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護良親王と淵辺義博
最近、何がきっかけか忘れたのだが、原田実氏が『トンデモニセ天皇の世界』(文芸社)という本を出しているのを知った。アマゾンで確認したところ、世の中に流布している天皇説についての様々な異説珍説を紹介した上で、徹底的に叩くという内容だった。そして、叩かれている人物の一人に、落合(莞爾)さんが入っていることを知るに及んで、早速取り寄せてみることにしたのである。
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落合さんを叩いているのは、同書「孝明天皇は暗殺されず、明治天皇と協力して公武合体・大政奉還を根回しした?}という小節だ(p.76)。原田氏は落合さんの秘史シリーズについて、「根拠となる吉薗周蔵の手記の実在が疑わしいので、落合氏の説はホラ話の域を出ない」と切り捨てている。しかし、そうした原田氏の主張を逆に完膚なまでに叩きのめしたのが、落合さんが自身のHPに載せた「急告  チタン白に関する裁判上の偽証について」という記事である。これで、原田氏の主張は完全に崩れた。同記事で落合さんは反論を本にして著すというので、同書発行後に原田氏らがどのような反論をしてくるか、今から非常に楽しみである。

ところで、『トンデモニセ天皇の世界』のp.130に、「護良親王には子孫がいた?」という興味深い小節がある。数ページの同小節に目を通すと、「護良親王は非業の最期を遂げた皇子である。彼の最期の最も悲惨な点、それは彼を事実上死に追いやったのは父皇たる後醍醐だったということだ」(p.134)と原田氏は主張しており、通説となっている建武2年7月、尊氏の弟・直義は配下の淵辺義博に命じ、護良を殺害を、原田氏はそのまま信じていることがよくわかる。そうであれば、何故落合さんの『南北朝こそ日本の機密』(成甲書房)について言及しなかったのか理解に苦しむ。もしかしたら、同書を丹念に読んでいなかったのではないか。そう思うのは、読んでいれば、「なお、護良のなはかつては「もりなが」という読み癖で呼ばれることが多かったが、最近の歴史学会では「もりよし」という読み方が主流となっている」(p.137)というようなことは書かなかったか、少なくとも『南北朝こそ日本の機密』の小節「良子の「良(なが)」は護良の「良」である(p.49)に何等かの形で言及していたはずだと思うからだ。このあたりに、日本歴史学会といった所謂〝学校歴史〟派というか、正統派という原田氏の一面が窺えよう。

落合さんの『南北朝こそ日本の機密』の代わりに、小節「護良親王には子孫がいた?」で紹介していたのは、中丸祐昌著『南北朝異聞 護良親王と淵辺義博』(MBC21)であった。同書について、アマゾンに以下のような書評が載っている。

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同書の「序」は、以下の行で始まっている。

いつの時代でも、大なり小なり時の権力によって、国民の思想誘導や意識統一は行われてきた


今の日本が置かれた状況を考えれば、まさに身につまされる思いだ。なお、中丸氏は同書を執筆した動機を以下のように書いている。

 本書の主人公、淵辺義博は、そうした偏重した国家政策によって、『太平記』のわずかな記述をもとに、護良親王殺害した逆賊と決めつけられ、親王を悲劇のヒーローに、そして楠木正成を大忠臣に仕立てるため、敵役として歴史に登場させられた人物である。

 こう考えると、むしろ真の被害者は淵辺であって、身の栄達を投げ抛って親王を守り、僻地に土着して生涯を終えたこの人物の汚名を雪ぐのが、本書出版の目的にほかならないのである。

『南北朝異聞』p.8


同書にサーッと目を通してみたが、なかなか刺激的な本のようだ。殊に、p.206にある「淵辺家の家紋は抱き稲荷」という家紋に関する記述を読み、あれこれ想像を逞しくした。同書と落合さんの『南北朝こそ日本の機密』を再読したら、改めて護良親王と淵辺義博について、拙ブログに取り上げてみたいと思う。

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緊急招集
すでに、ネットに精通した読者はご存じのように、昨日の午後2時頃、自衛隊に緊急招集が発令された。内容は明らかにされていないが、亀さんは尖閣諸島絡みのものであると推測している。

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http://blog.shadowcity.jp/my/2013/11/2215.html

ご参考までに、以下の飯山一郎翁のツイートを参照されたい。





神計らいか、ネットゲリラの「自衛隊に緊急招集!」を目にする前に、息子と尖閣諸島を巡る日中開戦の話をしていた。それだけ、日中の間には緊迫した空気が流れているのだ。

上記に示す「ネットゲリラ」や「飯山一郎HP」は、真実を知りたいと思う読者にとって大切な情報源であるが、いずれ閉鎖に追い込まれる可能性が高い。拙ブログも例外ではないだろう。その理由は、「暗黒夜考~崩壊しつつある日本を考える~」に載った以下の記事を読めば、亀さんの言わんとするところがわかってもらえるはずだ。
「日本版NSC設置法案」が今国会成立へ ~「秘密保全法」、更にその先にある”漆黒の闇”~

暗黒時代を生きる若者
今から8年近く前、あるコンサルタント会社のホームページに1年間にわたり、3年間近くに及んだ世界放浪記を掲載させてもらったことがある。全部で12章からなるのだが、今回そのうちのパナマ編を本稿の最後に転載しておこう。

8年前、亀さんは「10年後には日本国民の9割が下流化する」と書いたが、今日の日本を見ればお分かりのように、〝9割が下流化〟はすでに現実のものとなった。特にしわ寄せがいっているのは若者なのだが、そのあたりを理解する意味で、堤未果の著した『貧困大国アメリカ』(岩波書店)を一読いただきたい。特に、第4章の「出口をふさがれる若者たち」は必読である。同章でアメリカの帰還兵センター(Vet Center)のスタッフ、ティム・レイバン氏は以下のように語っている(傍線は亀さん)。

「仕事の意味とは、ただ生活費を稼ぐ手段だけではないのです」とティムは言う。
「若者たちが誇りをもって、社会の役に立っているという充実感を感じながら自己承認を得て堂々と生きられる。それが働くことの意味であり、「教育」とはそのために国が与えられる最高の宝ではないでしょうか? 将来に希望のもてる若者を育ててゆくことで、国は初めて豊かになっていくのです。学びたいという純粋な欲求が、戦争に行くことと引きかえにされているのは、間違いないのです」

『貧困大国アメリカ』p.141


アメリカの若者についての章なのだが、同書が発行されたから6年経った今日、日本の若者についても当てはまるようになりつつある。そして、傍線の記述と全く逆の道を、今日の日本は歩んでいるのだ。

今後も折あるごとに、日本の若者へのメッセージを書き連ねていこう。

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第八章 パナマ運河と日の丸
エクアドルのキトから無事にコロンビアのボゴタに到着。本来であればキトからパナマまで一気に飛んでも良かったのだが、ボゴタに寄ったのには訳があった。それは、南米を放浪している間に複数の放浪者から情報を収集したところ、「ボゴタのアメリカ大使館が一番ビザを取りやすい」という情報を得たので、アメリカのビザを取るべくボゴタで勝負を賭けることにしたのである。ボゴタの安宿にチェックインした後、早速リックの底からヨレヨレになった背広を取り出し、ネクタイをしてアメリカ大使館を訪問した。今でこそ日本人の場合はアメリカのビザは免除されているが、当時(1972年)はビザを取らねばアメリカに入国出来なかった時代であった。受付でビザ申請を申し込むと、面接を受けるようにと言われた。

黒人女性の担当官:(いかにもアメリカ人らしい気さくな態度で)アメリカを旅行されるのですか。素晴らしいですね。アメリカは何処を訪問の予定ですか?
私:(正直に)I want to travel around the States, ma'am.(アメリカを一周したいと思います)
担当官: Around!(アメリカを一周するのですか!)

 驚いた表情の面接官見て、私は内心しまったと思った。何故なら、当時持っていた旅行資金は15万円もなかったはずであり、それでアメリカやカナダを一周すると言うのだから担当官が驚くのも無理もない。この担当官に「この日本の若者は、違法で働き、お金を貯めてアメリカを旅する気なのかもしれない」と思われても仕方がなかっただろう。(事実、私はアメリカで働き、それで得た旅行資金でアメリカ・カナダを一周するつもりでいた)幸いなことに、担当官はそれ以上追求せず、ポンと三ヶ月の入国ビザを押してくれたのはラッキーだった。

本来であればコロンビア各地を訪れたかったのだが、旅行資金が限られていたこともあり、コロンビアの旅は諦めて急ぎボゴタからパナマ運河へと飛んだ。

 パナマに到着した私は早速パナマ運河の見学に出かけた。観光用の展望台に到着して目を見張ったのが、ズラリと並ぶコーラーやジュースの自動販売機であった。当時の私は南米放浪の旅も半年になろうとしていただけに、自動販売機の存在を忘れかけていた頃だったのである。それだけに、パナマという地で、自動販売機という未だ見ぬ“アメリカ”と遭遇したのは新鮮な驚きであった。自動販売機を横目に展望台に登ると、眼下にパナマ運河が一望できた。私は中学・高校時代は地理が好きだっただけに、夢にまで見たパナマ運河を目の前にして感無量であった。

 展望台でパナマ運河を眺めているうち、遠方から近づいてくる貨物船に気づいた。そして近づいて来る船の船首に掲げていた日の丸を目にした途端、父そして母のいる遠い故郷を思い出し、不覚にも涙がこぼれてしまった。

 現在、当時の筆者と同じ十代の二人の息子を見て、よく一人で地球の裏側まで行き、半年間も中南米を放浪ができたものだと思う。同時に、私の両親、殊に母親にとっては無鉄砲な息子の旅先での安否を気遣っていた3年間だったと思う。幸い、当時は元気だった父が、「心配するな」と母に言い聞かせてくれたと後で聞かされ、父に対して有り難く思ったものだった。そして、今度は私が息子たちの海外武者修行を応援する番である。

 ここで、若者の海外武者修行と関連して最近印象に残った本の中に、『這い上がれない未来 9割が下流化する新・階級社会』(藤井厳喜著 光文社ペーパーバックス)があるが、若者、殊に十代の子供を持つ世の父親・母親に目を通して欲しいと思う。ちなみに、同書は自分の子供を下流階級にしない方法として以下のようなことを書いている。(p.261)


1. 海外の名門一流大学に留学せよ。
2. 公務員になってはいけない(日本の公務員は今後もリストラ必至。中央官庁のキャリアもよしたほうがいい)。
3. 日本企業に就職するなら、グローバル展開をしている企業に絞れ。
4. 最低限、英語は話せようにしろ。できるなら、もう1つ外国語を話せ(第2外国語はカタコトでもよし)。
5. 専門職に就けるように、世界共通の資格を取れ。サラリーマンではなく、ビジネスマンになれ。
6. PC(パソコン)の知識、技術を身につけろ。
7. 国内ニュースより海外ニュースに注目せよ。
8. 金融・経済の知識を身につけよ。
9. 自分探しをするな(「オンリーワン」を否定せよ)。
10.日本に対する「愛国心」を持て。


 品のない藤井氏のアドバイスではあるが、10年後には日本国民の9割が下流化するという点は本当であり、そのようなことになろうとは夢にも思っていない人たちには大変参考になるはずである。しかし、若者が海外武者修行で身につけるべきは、何を差し置いても“誠実さ”のはずである。

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2006年2月吉日


父と娘
韓国の朴槿恵が大統領に就任したのは2013年2月25日だから、間もなく1年になる。親日派の朴正熙の娘ということで、険悪だった日韓関係の改善に繋がるのではと淡い期待を抱いていたのだが、その期待は見事に裏切られた。

朴槿恵を高く評価していたのはネットゲリラも同じだったらしく、以下のような記事をブログに書いている。

そうした韓国の反日政策が大きく変わったのは、朴正熙大統領の時代で、朴正熙というのは「高木正雄」という日本名を持つ日本陸軍士官学校卒業の元満州国中尉です。この人は、日本の学校を出ているくらいなので、親日政策を採った。日本との国交を回復して、日本との協力体制の中で、漢江の奇跡と呼ばれる驚異的な経済成長を遂げる。

と、まぁ、こうして見ると、韓国における「反日」というのが、日韓離反を画策するアメリカの工作だというのがよく判るわけだが、次の大統領はこの朴正熙の娘だという話もある。朴正熙の娘、朴槿恵は、朴正熙の晩年にはファーストレディ役を勤めていて、1979年に父親がKCIAの長官に暗殺された時の第一声は「38度線は大丈夫か?」だったというから、素晴らしい女傑です。

というわけで、ここで大きく日韓対立に向かった関係は、次の朴正熙の娘、朴槿恵大統領時代において、ふたたび大きく親日に揺り戻されることになると思う。

http://blog.shadowcity.jp/my/2012/08/post-895.html


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しかし、その後の朴槿恵は見ての通り。朴槿恵が青春を送っていた時期は、反日教育が盛んになった時期と一致しており、それが朴槿恵の対日観を植え付けたと言えなくもないが、本当の理由はそれだけではなさそうだ。

韓国情報に精通している国際ジャーナリストによれば、朴槿恵が結婚していない理由が父親にあるらしい。つまり、朴正熙は日本で云う部落民の出と云う(一方、朴槿恵の母親は両班の出)。だから、そうした出自の朴正熙を朴槿恵は否定し、その父親の血が流れているという理由で、今日まで独身を貫いているとのことだ。事の真偽を確認する術はないが、もし本当の話であれば、改めて朴槿恵像を見直す必要に迫られよう。
寅さんと翻訳
『男はつらいよ』の第24作「寅次郎春の夢」は、1979年12月28日に公開された映画だが、そこに圭子(香川京子)が翻訳家として登場する。昨日紹介した小津安二郎監督の『東京物語』にも、次女京子役で香川京子(当時21歳)が登場しており、「寅次郎春の夢」に登場する香川は48歳なのだが、とても48歳には見えないほど美しい。

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「寅次郎春の夢」では寅さんが。甥の満男の英語塾の先生であるめぐみの母親、圭子の家を訪れるシーンがある。

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圭子が手にしているのは辞書だが、その左にタイプライターがあるのが分かる。当時(1979年)はインターネットなどというものは無かったし、パソコンにしても同年の8月にNECのPC-8001が漸く発売された年だった。やがてNECのパソコン黄金期を迎えるのだが、当時はまだまだタイプライターが主流だったのである。
パソコンの歴史1947~79年

それはともかく、第24作「寅次郎春の夢」を見て、翻訳をしている人間をイメージした人たちは、亀さんが翻訳をしている姿を見たら (゜◇゜)ガーン だろうな…(笑)。

亀さんの仕事も考えてみると、毎日、時には日に何度も役回りが変わるようなもんだよ。今日やっていた仕事は、若手のファッションデザイナーの翻訳だったんだが、先ほど終わって納品(メールに添付して送信)したよ。普段はフーテンの寅さんのように腹巻き姿の亀さんが、華やかなファッション業界の翻訳をやるんだから、ホント世の中狂っているよ。
翻訳者はヤクシャ


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さらば、『怖い噂』
『怖い噂』が廃刊になるというニュースは、最終号のVol.19発売日に出版元のツイートで知っていた。慶応大学の高橋信一先生や斉藤(充功)さんの記事が、頻繁に載る雑誌だっただけに本当に残念である。



ツイートを読み、直ぐにでも最終号を買うつもりでいたのだが、仕事(翻訳)に追われていたこともあり、すっかり失念していたところ、昨日近所のコンビニへ『ビッグコミックオリジナル』を買いに行った時、〝神計らい〟で入手することができた。まるで、亀さんのために1ヶ月近く待っていてくれたかのようだ…。多分、斉藤さんの記事が載っているだろうなと思っていたが、ナント2本も載っていた。そのうちの1本、「陸軍中野学校の肖像」については、まほろば会でも話題になったテーマなので、斉藤さんを含め、まほろば会のメンバーにコピーを送信した。

一方、「西郷隆盛、写真のミステリー」も斉藤さんの記事だが、慶応大学の高橋信一先生と一緒に長年フルベッキ写真を追いかけてきた身として、非常に興味深い記事であった。特に息を呑んだのが、フルベッキ写真で西郷隆盛とされる人物と、拙ブログで紹介した写真の真ん中の人物とが、同一人物の可能性が高いということが、科学分析の結果判明したのを知った時だ。
西郷隆盛の写真は実存する…?

フルベッキ写真に写る西郷隆盛と噂されている人物が、本物の西郷かどうか間もなく判明するかもしれない。続編を是非読みたいと思うのだが、『怖い噂』が廃刊になった今、斉藤さんは何処で発表するのだろうか…。

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殉愛
一日の仕事を終えて床に入ると、晩酌をしながら数冊の本や雑誌に、目を通すのを習慣としている亀さんだが、そうした本や雑誌の中で現在読み進めている一冊が、西村雄一郎著『殉愛 原節子と小津安二郎』(新潮社)だ。『ビッグコミック』誌で粗筋を知った上で読み始めた本だったが、期待以上であった。
小津安二郎と原節子

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小津安二郎と黒澤明の二人の巨匠比較論も思わず唸ったし、その他数多くのエピソードに息を呑んだ。未だ、三分の二しか読了していないので、同書の後半部分は分からないのだが、第四章「永遠の契り」などは下手な哲学書を遙かに凌駕している。

たとえば、古典とは年輪を重ねれば重ねるだけ見えてくるものがあるのだが、筆者の西村は小津映画も古典の一つに数えているのがわかる。

静かに流れていく時間のなかで、今、自分が生きている世界から、ものが少しずつ消えていくことの寂しさ、虚しさ、無常観を心から感じたのである。その意味で小津映画は、年をとればとるほど分かってくる映画の典型といえる。
『殉愛 原節子と小津安二郎』p.155


そして、小津が一貫としてモチーフとしてきたものこそ家庭なのだが、それが上記の西村の云う無常観に繋がってくるのである。

(小津監督は)生涯ただ一つのものしか描かなかった。その唯一のものとは〝家〟である。さらに詳しく言えば〝家の崩壊〟である。
『殉愛 原節子と小津安二郎』p.155


来年の春には下の息子も九州あたりで生活を始める可能性が高い。だからこそ、以下の西村の言葉に重みを感じるのだ。

血のつながりというものは、一時のはかない絆でしかない。いつかは、どこかでバラバラに崩れていくものなのだ。それ故に、人間同士の真のつながりとは、本当に人を思いやる気持ちと、それに対しての感謝の気持ちだという、ごく当たり前のことを、この周吉の台詞は語っている。だからこそ、笠智衆が言う最後の「ありがとう」に込められた心根は、万感の思いとなって、見る者の胸を揺さぶるのである。
『殉愛 原節子と小津安二郎』p.172


以下は、第四章の最後にあった西村の言葉だ。

『東京物語』は、小津が原節子に宛てたラブレターだ。
原節子は人生を賭けてそれに答えた。

『殉愛 原節子と小津安二郎』p.174


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桜田淳子の今昔
昨日の東京新聞に、桜田淳子の「復帰」について取り上げた記事が掲載されていたが、一読して宇津木員夫氏の発言に同意する次第だ。

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亀さんの場合は統一協会について、有田芳生氏の『神の国の崩壊』(教育資料出版会)などから基本情報は得ており、また舎人学校で統一協会の裏表を知る栗原(茂)さんからも、ネットでは公開できない貴重な数々のお話を伺っている。

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この桜田淳子だが、実は「男はつらいよ」の葛飾立志篇」に登場している。以下は、当時の桜田淳子について渥美清が語る貴重な資料だ。



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桜田淳子が芸能界に復帰するつもりであれば、けじめをつけるのが先のはずだ。

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