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人生は冥土までの暇潰し

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人生は冥土までの暇潰し
亀さんは政治や歴史を主テーマにしたブログを開設しているんだけど、面白くないのか読んでくれる地元の親戚や知人はゼロ。そこで、身近な話題を主テーマに、熊さん八っつぁん的なブログを開設してみた…。
国体と政体
ここ1~2週間というものは本業(翻訳)に追われていたが、昨日漸く近所のコンビニで25日に発売された『ビッグコミック』を手にすることができた。

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亀さんが同誌で注目しているのが、「兵馬の旗」(かわぐちかいじ)と「そばもん」(山本おさむ)だ。前々回までの「そばもん」がきっかけで、『殉愛』(西村雄一郎)という原節子と小津安二郎の忍ぶ恋についての本を入手、現在少しずつ読み進めている。読了したら、簡単な書評をブログに書くかもしれない。

さて、もう一方の「兵馬の旗」、今号もなかなか良かった。特に印象に残るのは、鶴ケ城において主人公の兵馬と妻アンナが言葉を交わすシーンである。

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かわぐち氏はフランス革命を持ち上げている節があるが、それは兎も角、漫画にある「帝のもとでの〝万民平等〟」という台詞は、日本の国体が今日に至るまで目指してきた理念とでも云えるのではないか…。そのあたりを如実に示す言葉が、仁徳天皇の「高き屋にのぼりて見れば煙立つ民のかまどはにぎはひにけり」であると思う。

残念ながら、一方の政体は『月刊日本』11月号の特集、「貧困大国ニッポンへの道」に目を通せばおわかりのように、その暴政は目に余るものがある。こうした中で唯一の救いは、昔も今も変わらず民のことを思ふ〝国体〟ではないのか。

ブログ友の飯山一郎翁の以下の記事を一読いただきたい。『月刊日本』の読者であれば、南丘主幹の巻頭言「斯くばかり 術なきものか 世間の道」も並行して一読戴ければと思う。
天皇皇后両陛下の御心は…

落合(莞爾)さんと時折私信を交わすが、堀川政略と絡めて知り得た松平容保像について、時間的な余裕ができたら筆を進めてみたい。
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メタボの暴走
ここ一週間は連日の締め切りに追われ、青息吐息だったのだが、漸く今日あたりからブログ記事を書けるまでのペースに戻せた。だから、久しぶりに自由な時間が取れた昨日の午後は、長期入院している実母を見舞いに行ってきた。

病院と言えば、確か今月の初めだったと思うのだが、年1回の健診(定期健康診断)を受けるようにと、市役所から催促の電話が来たのを思い出した。

亀さんの場合、ヨガを毎朝欠かさずに30分ほどやっている上、飯山一郎さんの影響もあり、昼食を抜いての一日二食を実践している。来年には一日一食に移行するつもりだ。最終的には豆乳ヨーグルトを摂取するだけで、後は何も食べない・飲まないというライフスタイルを目指したいと思っている。その他、散歩をしたり日光浴をしたりすれば良いのだろうが、仕事の締め切りに連日追われている身のため、とてもその余裕がない。そろそろ仕事の受注数を減らそうと思うのだが、愚息が大学を卒業するまでは、頑張らなければならないのが辛いところだ。

ところで、健診について読者にお薦めしたい本がある。それは船瀬俊介氏の『メタボの暴走』という本だ。同書は健診のいい加減さをズバリ述べている本なので、一読の価値はある。

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芸は人なり
平成7年に落語会初の人間国宝となった、柳家小さんが常に心していた言葉がある。

芸は人なり

これはもう人間性 人物

だから やっぱり心が汚れていると 出てくるものが みんな汚くなっちまう

ずるいやつは ずるい噺(はなし)になる

生意気なやつは 生意気な噺になる

卑しいやつは卑しい 芯のない噺になってくる

だから 全部噺の上に出てくるんだから 心は清廉潔白でなくちゃいけない


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ちなみに、柳家小さんは「男はつらいよ」第7作(奮闘篇)に登場している。

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「男はつらいよ」といえば、最近まで佐藤利明氏が東京新聞に「寅さんのことば」を連載していたのだが、その佐藤氏のツイートに最近目が止まったのである。



上記のツイートを含め、ここ数日の佐藤氏の一連のツイートを読み、柳家小さんの「芸は人なり」を思い出し、同時に佐藤氏の心の清廉潔白さを知った思いだった。

これは何も柳家小さんや佐藤利明氏に限らず、個人ブログを書いている人にも当てはまることのはずだ。清廉潔白なブログの一つが、「遙かなるツラン」であることは間違いない。

亀さんのブログ…? どうだかなぁ…。「昔の馬車」のような記事を書いているあたり、人間性が実に良く出ているような気もしないでもないんだが…(爆)

以下は東京新聞の記事(2本)だ。最初は10月14日の記事。もっと早くアップしようと思っていたのだが、仕事に追われて今日になってしまった。

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もう一本が、上記のツイートで佐藤氏が紹介している一昨日の社説である。
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プーチンと柔道 2
過日アップした「プーチンと柔道」の続きである。今回は、プーチンの柔道の師であったラフリン氏のインタビューだ。プーチンの動きから目が離せぬ今日、多くの示唆に富む記事と云えよう。

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少年時代のプーチン 文/インタビュー・小林和男

プーチン大統領(当時)は「もし柔道と出会っていなかったらどうなっていたかわからない」と言う。それでは、街で喧嘩ばかりしていたウラジミール少年を立ち直らせ、結果として大統領をつくった柔道のセンセイとはいったいどんな人物なのだろう。大統領とのインタビューを終えてから次に会わなければならないのはこの人物だと考えたのだった。

そのセンセイはアナトーリー・ラフリンさんといい、サンクトペテルブルクの道場で少年少女たちに指導しているほか、ロシア女子ナショナルチ「ムのコーチもしている。プーチン大統領と共著者であるワシーリー・シェスタコフ氏を通して連絡を取り合ったが、お互いのスケジュールが合わずインタビューはなかなか実現しなかった。二〇〇四年一〇月初めにラフリンさんがモスクワ近郊でロシア女子チームの合宿をすることがわかり、私がモスクワに飛んでようやく話を聞くことができた。

モスクワから北西へ車で一時間半、林に囲まれた草原の中に合宿所はあった。ソビエト時代、スポーツは国威発揚の道具として奨励優遇され、スポーツ施設には国の金がふんだんに使われた。素質のある若者たちが全国から集められ、スポーツエリートとして教育された。

ところがソビエトが崩壊して国家アマチュアの養成の仕組みはなくなり、施設も民営化されオリンピック施設が力ジノに変わってしまったという例もないではない。しかし、ラフリンさんが合宿をしていた施設は民営化され、一部は旅行者のための保養施設となったものの、スポーツ選手養成のための施設としての機能はしっかりと守られていた。

インタビューは粗末なベッドに机が一つの合宿所のコーチの部屋で行われた。

■ アナトーリー・ラフリン先生インタビュー[二〇〇四年一〇月五日]

小林:ようやくお会いできました。今日の狙いはプーチン大統領と柔道の関係について伺うことです。ラフリンさんは、どうして柔道を始められたのですか。

ラフリン:私はもともとロシアの伝統的な格闘技であるサンボをやっていました。初めて柔道について知ったのは友人からです。彼は一九六四年の東京オリンピックにソビエトの柔道選手として参加した人物です。

彼とは子供の頃からの仲間で、もとは私と同じくサンボをやっていましたが、柔道に転向し、その後何回もソビエトチャンピオンになり、ヨーロッパ選手権でもロシア代表になり、オリンピック種目になった東京大会に派遣されたというわけです。

戦後、私はもうサンボのコーチの資格も持っていましたが、彼から柔道の手ほどきを受けて気に入りました。柔道は動きがおもしろく、何よりもサンボが力ずくの傾向が強いのに対して、柔道は技の余地が大きいのに惹かれました。

それから私はソビエトのいろいろな柔道大会に参加するようになりました。一九七二年にはソビエト柔道連盟が公式に結成されました。それまでは連盟はサンボと一緒で、その中でサンボをやる者もいたし柔道に主力を置く者もいたのです。連盟が独立してからアンドレーエフ監督のもとにソビエトの柔道が本格的になりました。

小林:日本人の柔道家から教わったのではないのですか。

ラブリン:日本人からは習っていません。柔道のことについてはその心得などについて習い、講道館についても聞いていたので、その頃から講道館には一度行ってみたいと夢を持っていましたが、当時は外国に行くことなど本当に夢でした。講道館を訪れることができたのはソビエトがなくなって、一九九四年になってからです。

小林:プーチンさんとは、どういう出会いだったのでしょう。

ラフリン:その頃サンクトペテルブルクのクラブで教えていたのですが、一九六五年に彼が入門したいと私のところに来ました。その頃は一二歳以下の者や年をとりすぎた者は断わっていたのですが、プーチンは一三歳で、面接の結果仲間と共に入門し、稽古を始めました。私はそのとき二七歳でした。

小林:ブーチン大統領は「その頃不良で、通りで喧嘩ばかりしていた。ラフリン先生に会って変わった」と言っていますが。

ラフリン:コバヤシさんもおわかりだと思いますが、大戦後しばらくの世の中では、若者は多かれ少なかれ不良のようなものでした。不良というのは何も強盗をしたり、殺人事件のような大きな犯罪を起こすということではなく、家で少し荒れたり、仲間同士で喧嘩したり、女の子をからかったりする連中ということです。

小林:プーチンさんはどの程度の悪だったのでしょう。

ラフリン:正直に言って、道場ではそんなに不良だとはわかりませんでした。道場では厳格な規律がありましたから。喧嘩をする者がいなかったわけではありませんが、その連中には道場のマットの上で力を見せろといつも言っていました。他のところで争うな、道場で力を見せれば判定をしてやるとね。

通りでのことは見えませんでした。しかし稽古を続けるうちに彼に自信がつき、自分の力を明らかに確信するようになりました。そのことは彼の目つきが変わってきたことではっきりわかりました。内面の力が生まれる過渡期だったと思います。

小林:プーチン少年は他の少年たちと比べて特に強い印象を与えましたか。

ラフリン:五、六〇人の子供たちの中で始めは特段に目立つことはありませんでした。顔つきも体つきも、育ちの背景も違いますが、道場に入ると皆同じようなものですから。道場以外のところでヴァロージャ(ウラジミール)は目立って勇敢でした。サッカーなどをやっているとき小柄な者は大きい者を恐れるのが普通ですが、ヴァロージャはそんなことは少しも見せず、果敢にボールを取りに行きました。この点は際立っていました。

クラブ(道場)で激しい稽古をしながらレニングラード国立大学の法学部に合格してからは、特に目立ってきました。合格の後も稽古を続けていましたが、それ以来仲間の指導者のようになりました。何しろ法学部の学生だからみんなからいろいろな相談に来る。ヴァロージャは仲間の話を聞き助言をしていたようです。

小林:教え子が国の最高指導者になるなどと思いましたか。

ラフリン:日本でもアメリ力でも、自分の教え子が将来首相や大統領になるなんて予想はできないでしょう(笑)。

小林:柔道の激しい訓練を続けている者が、最高学府の、しかも一番難しい法学部のようなところに入ったのは意外だったのではないですか。

ラフリン:いや、そんなことはありません。私はスポーツが強いだけの者を育てることには興味はありません。コーチはスポーツのコーチにとどまらず、教育者でなければならないというのが私の考えです。スポーツに秀でるとともに、人格的にも社会的な活動でも有益な人物を育てるのが役目です。スポーツの技術を向上させ、健康な身体を作り、正直で勤勉で、何よりも困難に直面することを恐れない人物を養成することが、コーチとしての私の役目だと心得てきました。だから、ある意味では宗教的な精神が道場にはあります。まず人間を養成し、スポーツはその後についてきます。まあヴァロージャの場合はそれがある意味で成功したということかも知れません。

小林:ラフリンさんのそういう信念はどこから生まれたのですか。

ラフリン:両親や社会の影響でしょうか。子供は一定の年齢に達するまでは親や社会に対する信頼は強い。しかしその年齢を過ぎると周囲を批判的な目で見るようになる。そして旗を持って街頭に出てわめく者、武器を取る者といろいろ出てきます。そのときに私は社会に役に立つ方向に若者を仕向けるよう努めてきました。柔道の技だけではなく、社会の良き一員になれと教えました。一言で言えば、他の人たちとどう接したらよいのかということです。

小林:プーチン大統領は、もし若いときにあなたに会っていなかったらどんな人生になっていたかわからないと言っています。

ラフリン:私にはわかりませんが、大統領がそう言っているのなら大変嬉しいことです。彼にとって私と会ったことが喜びだというなら、私も彼に出会えたことが嬉しい。

小林:プーチン大統領はあなたをたいへん高く評価していて、あなたが柔道の先生や教育者でなくても、どんな分野に携わっていたとしても、大きな業績を上げる人だと言っています。

ラフリン:私も他の仕事についていたらと考えることがあります。しかし私はこの仕事が大好きです。柔道を教え、人を教えること以外にほかのポストを想像することはできません。でも、スポーツにすごく秀でていても頭が空っぽである者には興味がありません(笑)。スポーツにも優れ頭も聡明であれば興味が湧きます。

チームは強くなければなりません。チームの中で一番強い者が人間としては満足できないこともあります。そのとき私はもちろんコーチとして一緒に働きますが、その人物の悪い行動が少しでも少なくなるように影響を与えるというのが私のプリンシブルです。

小林:どうやって影響を与えるのですか。

ラフリン:行動で示すことも言葉で教えることもあります。みんな私の行動を注視しています。私が人をだましたり、喧嘩をしたりすれば門下生の私に対する態度はまったく別のものになったでしょう。彼らの話に耳を傾け、彼らを欺かず、彼らを助けるようにしました。

小林:世界中で今、若者の行動が問題になっています。プーチン大統領はあなたの教育者としての仕事のいい成果の現れということができますか。

ラフリン:大統領として評価するのには時間が必要です。大統領が下した決定について今いろいろ言うことはできます。しかし、それが本当に正しかったのか正しくなかったのか判断できるのは後世のことだと思います。人間の資質としては、以前も今も高いところにあると思います。それは、彼が人々のことを心配していることからわかります。だが…(沈黙)。

小林:何でしよう。

ラフリン:いや、人間としては高い資質を持っていることは間違いありません。ロシアではみんなが台所でいろいろな論議をします。政治も経済も暮らしも、あらゆることを腹蔵なく話すのが台所です。だから台所には一番知恵があります。でも、クレムリンに入るとそうはいきません。大統領は自分で難問について決断をしなければなりません。とてもつらい立場だと思います。決定したことについては議論の余地があるものもあるのは当然です。

大統領について嬉しいのは、われわれの模範になる人物だということです。それはなにも人々を率い、演説し行動をする人ということではなく、彼自身が普通の健康な人のモデルになるということです。でっぷりと太りパイプをくゆらせ、どっかりとソファに体を沈めてまるで別世界の人物のような政治家もかつてはいましたが、スポーツをやり健康でわれわれ普通の市民の模範になるという意味なのです。その姿を見れば国民は大統領が自分の側にいて働いてくれていると感じるものでしょう。私もスポーツを通じて若者たちに貢献できるのを嬉しく思っています。

小林:プーチン氏は若者たちにもっとスポーツを楽しむよう、ことあるごとに勧めていますね。若者たちは変わってきていますか。

ラフリン:スポーツを奨励するだけではなく具体的にスポーツ支援の措置をとっています。若者が変わってきたかって? ロシアの若者たちにいろいろ問題があることを指していると思いますが、それについてこの間おもしろいものを読みました。大人、ことに年配者が若者の行動や考え方を批判するのは、ローマ帝国の時代でも古代ギリシャでもまったく同じだということです。若者はだらしがないという言い方は、中世でも現在でも変わりません。大人は古今東西常に若者への不満を口にして生きてきました。しかし、その若者が大統領になり学者になり良い仕事をする。私も若者への不満は持っています。しかしきっと彼らは立ち直るでしょう。

小林:いつも楽観的に見ているということですね。

ラフリン:そのとおり。大人の責任は若者に助言を与えることです。その意味で私は、日本の子供に対する厳しい朕をすばらしいと思います。

小林:それは変わってきていますよ。

ラフリン:講道館で見たことですが、小さな少年少女が親に連れられてやって来て自由な雰囲気で稽古していました。それがもう少し年長になるとコーチが厳しくなり、もっと年長になると竹の棒を持った先生が非常に厳しく指導していました。つまり、年を重ねるごとに責任が大きくなるということを教え込んでいました。この教育の仕方はとても気に入りました。つまり、責任を教え込むということなのです。

小林:柔道に戻りますが、ラフリンさんはプーチン大統領の柔道をどう評価しますか。大統領は危機に直面したときどう対処したらいいかを柔道から学んだと言っていました。

ラフリン:彼の性質ですが、彼はどんなことにもまじめに取り組む。柔道についても同様です。みんなが柔道の哲学性について言いますが、柔道に限らず、バレーボールにもテコンドーにもそれぞれの考え方があります。哲学というのは世界のいろいろな地域で、独自の歴史と環境、伝統と宗教などあらゆるものを受け継いででき上がるものです。

だから柔道の哲学といっても、ロシアと日本で同じということはあり得ません。プーチン大統領の柔道がどんなものか言うことは難しいですが、彼が子供の頃どういう柔道を学んだかといえば、正直で弱い者に思いやりをという教えです。

日本に行ったときのお土産に柔道の形をやっている小さな人形を買ってきて、誕生日にプレゼントしてこんな話をしました。「ヴァロージャ、この闘っている人形には哲学がある。二人は敵ではなく競争相手だ。いずれもが勝ちたいと思っているが殺そうとしているのではない。勝負が決まれば別れる。彼らが見せるのはどちらが技術的に勝っているかということで、争うことではない。われわれの生活も同じようなものだ。だれがより良い車を作り、航空機を製造するかという競争で、人の命をかけて戦うべきではない。この人形は闘ってはいるが、争ってはいない」。彼が習った柔道というのはそういう考え方の柔道です。

小林:プーチン大統領はあなたから「柔道は礼で、相手に対する敬意だ」と教わった、始めは何のことかわからなかったが、練習するうちに意味がわかってきて、もう通りで喧嘩をして力を示す必要はない、畳の上で練習の成果を見せれば力を示すことができると考えるようになったと言っています。

ラフリン:柔道は内面で人の自信を作り出します。彼が柔道を始めて数年で行動が目に見えて変わったことは前に話したとおりです。

小林:ブーチン氏は今でもできる限り練習をしたいと話していました。

ラフリン:モスクワにはサンクトペテルブルクの柔道仲間が、大統領と一緒に稽古するために行っています。柔道だけではなく、水泳や乗馬をやっていて、冬にはスキーにも出かける。彼は山スキーが大好きだから。

小林:誕生日以外にプーチン氏と会いますか。

ラフリン:大統領といつでも会えるということを見せびらかすために会う必要はありません。大統領も私も自分の仕事で忙しい。必要なときには彼から声がかかります。実際にはよく会います。競技会には顔を出すし、大統領が設立に尽力してくれた「ヤワラ・ニワ」のクラブにも時々やって来ます。だから大統領のところに出かけなくても彼には会えます。このクラブで私も指導していますが、男女ともにヨーロッパ選手権で勝った選手がいるいい道場です。

小林:プーチン氏が仲間二人と柔道の本を書きました。あなたが書くことを勧めたのですか。

ラフリン:この本に限らず柔道の本は、このスポーツとその精神を広めるのにとても有益です。出版が多ければ多いほど柔道を知る者が多くなり、その中から実際に柔道をやる者が出てくるでしょう。この柔道本そのものについて言えば、たいへんいい入門書です。柔道の歴史や精神から技の紹介もあって、柔道の人気を高める役割をしています。選手を引き連れて外国での競技会に行くと、ロシアは大統領が柔道を支援していると羨ましがられます。そして、柔道だけではなくスポーツ全体の振興に貢献しています。

小林:柔道人口は増えているのですか。

ラフリン:間違いなく増えています。具体的な数字はありませんが、昇段証明書の発行数が格段に増えていることで柔道人口の増加がわかります。大統領が柔道をやることで地方の行政府も柔道に注意を払うようになっています。世界的に見ても柔道への関心は高まっています。アテネ・オリンピックの開会式で柔道選手が旗手を務めた国は一五ヵ国にも上りました。オリンピックは世界選手権と違って、単にスポーツの競技会というだけではなく、多分に政治的な催しです。そこで柔道がこれだけ注目されたのはすばらしいことです。ロシア大統領のいい影響もあったと感じています。

小林:日本の柔道をどう評価していますか。

ラフリン:柔道を始めた国として素晴らしい成果を上げていると思います。しかし日本がいつでも勝つということでは柔道の進歩はないでしょう。アーサー・ヘイリーの小説に『エアポート』というおもしろいのがありますが、その中に「飛行機は離陸したとたんにもう古いモデルになっている」という下りがあります。常に前へ前へと技術の進歩、開発が進んでいるということです。柔道についても同じで、日本も頂点を極め、そこから落ちてまた遣い上がるという体験をしています。これはどんなスポーツにも共通します。そこで学校が重要になります。学校があれば、頂点にいるときも不調のときもその原因を分析し、次の進歩につなげることができます。

日本の柔道は最上だと思います。学ぶ組織を持っているために常に向上のシステムができていると思います。韓国の柔道は急速に進歩していますが、日本のやり方を徹底的に学びました。ロシアもフランスも強いが、私は、フランスの柔道はおもしろいが好きではありません。なぜなら、フランスの柔道は勝つための柔道で、立つ位置も姿勢も奇襲攻撃的で気まぐれで予想がつかない。日本の選手は堂々と形を踏まえて勇敢に闘おうとします。日本の柔道はより男性的です。国民性ですね。

われわれはこんな言い方をします。「ルールには勝ったがスポーツには負けた」とね。いい柔道家を育てるには良い柔道の指導者が必要です。その点で日本の柔道は伝統を継承していて貴重です。それを失わないでほしい。それが世界の柔道にいい刺激になり、進歩の促進に必ず役立ちます。

小林:ロシアは柔道を育てるためにどんな措置をとっているのでしょうか。

ラフリン:私はロシア女子チームの監督も務めていて責任がありますが、まずロシアの柔道の教育のシステムを作らなければなりません。第一に指導者を養成することです。指導者を養成するシステムがないために、ロシアで柔道を教える者は野生の草のように、たまたま出てきたものです。これを組織的にしなければなりません。

二〇年も前に浜田初幸さんが教えに来たことがありました。そのとき八○キロ級のチャ
ンピオンだったマルーキンとデモンストレーションをやりました。もう結構な年でしたが何をしなければならないか、とても勉強になりました。今、山下さんを始め日本の柔道家との関係を強めて交流を多くするよう努めています。筑波大の中村良三さんも私たちのチームを招いてくれています。いずれもロシアの柔道の発展に役立っています。だが、まずやらなければならないのは柔道の学校を作ることです。私も関わって今やっているところです。

小林:財政的な支援はあるのですか。

ラフリン:正直に言うともっと欲しい(笑)。大統領が柔道をやるからといっても、すぐに金が出てくるわけではありません。大金持ちはさまざまです。大統領に対してある者は皮肉に構え、ある者は冷笑し、ある者は不満を言う。しかし、その中に心から大統領に賛同している者もいて、そういう人たちが資金的な支援をしてくれています。

小林:プーチン氏の前には問題がいっぱいあります。大統領に助言することはありますか。

ラフリン:助言はしません。会ったときの私の仕事は、彼がほっとして心が休まる時間を作ってあげることです。大統領は途方もなく難しい職務です。私たちと会ったとき彼は休養を求めています。あれこれの問題を議論するためではないでしょう。一仕事終わって次の問題に取りかかる前の気分転換か、問題を解決する途中の一瞬の骨休めかも知れません。彼が好きな柔道を理由に、一瞬でも仕事から離れることができる、それが会う意味です。

大統領が質問をすれば応えることもありますが、話の中身は普通のなんでもないことです。中には大統領に会ったらこれこれのことを伝え、こんなことをお願いしてくれなどと言う人もいますが、それは私の役目ではありません。

小林:お話を伺って、どうしてプーチン少年がラフリンさんから大きな影響を受けたのか納得ができました。ありがとうございました。

ラフリン:大統領は一九六五年、一三歳のときに道場にやって来ました。以来一緒に柔道をやった仲間と今も変わらず同じように付き合っています。喧嘩をした相手、闘った相手と四〇年近くも変わらない友情が続いているというのは、ヴァロージャの人柄をよく物語っていると思います。

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語尾を独特に延ばして上げるラフリン先生の誰は、バルト三国の一つラトビアの友人だった映画監督の話し方と同じだった。おそらくラフリン先生はこの地方の出身だろうと思いながら話を聞いた。

とにかく飾らない人だ。この人のそばで暮らしていたら、知らず知らず身の処し方について影響を受けるだろうと思わせるような人だ。一人の素行の定まらない少年に影響を与えたラフリン先生はもちろん偉大だが、話を聞きながら、ラフリン先生の徳に触れ、それを感じ取る感性を持った少年も大したものだと思う。教育は双方向である。

ラフリン先生はロシアで大統領を作った人としてつとに有名だ。だから会う前には多分大統領の先生であったことを、多少なりとも自慢するだろうと予測していた。しかし結果はまったく違っていた。インタビューでおわかりのように、自慢話ができるように仕向けても、結局私の思惑は外れた。

自分が模範となることで影響を与えるという、教育者の原点をしっかりと身に付けた方と思い知った。

インタビューの中でラフリン先生が一回言いよどんだところがある。大統領の評価を尋ねたとき、言葉を発しかけて沈黙した。その沈黙はかなり長く続いた。私はこの部分はインタビューの直前に起こった北オセチアの学校占拠事件のことであったと推測する。

二〇〇四年九月一日の入学式の日、コーカサス山脈の麓の地方、北オセチアのベスランでチェチェンのテロリストが入学式に集まった児童と父母一〇〇〇人近くを体育館に閉じ込めた事件である。テロリストは三日間にわたって児童たちに水も与えず脅し続けた。

プーチン政権はテロリストとの交渉を拒否し、丸三日経った昼に武装部隊を突入させた。世界のテレビが中継する中で撃ち合いと爆発音が響き、裸の子供たちが裸足で逃げ出して来た。しかし多くは逃げ出すことができず、三〇〇人以LLもの児童と父母が犠牲になった。

テロリストに対するこの対応はロシアで論議を巻き起こしたが、多くは子供の命を救えなかったプーチン大統領への批判となった。

不良少年プーチンを変えた教育者であるラフリン先生は、この事件の処理について何か言いたいことがあったのではないかというのが、沈黙についての私の推測である。

この事件は教育の重みについて考えさせる出来事だった。裸で逃げ出して来た子供たちが真っ先に掴んだのはペットボトルの水だった。いかに非道な扱いを受けていたかがこの事でわかったが、私が驚いたのは、逃げ出して来た子供たちが、いきなりマイクを突き出され質問を浴びせかけられたのに対して、冷静に理路整然と答えたことだ。犯人たちの言動、体育館の中の様子を、まだ銃声が響いている中で、日本の中学生に当たる子供たちが話しているのだ。私はこの子供たちの態度に始めは驚き次に納得した。それはこの地域の子供への教育の仕方を知っていたからだ。

北オセチアは日本の四国ほどの広さだが、氷河をいただく五〇〇〇メートル級のコー力サス山脈の麓の貧しい地域だ。この地方で育ち、今世界的に名前が知れわたっているのが指揮者のワレーリー・ゲルギエフだ。ソビエト崩壊の直前にサンクトペテルブルクの芸術の殿堂「マリインスキー劇場」の芸術監督になり、がたがたになりかけていたロシアのオペラ.バレエ・音楽の伝統を見事に守り抜いた。危機に強い男だ。

彼の危機を乗り切ったやり方に感動し、八年前に彼のドキュメンタリーを作ったとき、彼は子供の頃の遊び場だった深い谷川の奥に私を案内し、てんなことを言った。

「私はこんなところで育った。山の天気は急変する。突然嵐になり、谷川は溢れ、何もかも押し流す。そんなときうろたえてはいられない。とっさに判断し行動しなければ生き残ることはできない。僕の性格はこの故郷の自然で養われたのだ」

銃声の聞こえる中で冷静にテレビのマイクに向かって話す北オセチアの子供たちを見て、彼らはゲルギエフと同じ育ち方をしているのだろうと納得した。少なくとものほほんと育ってはいない。

優れた教育者であるラフリン先生が、悲劇的な事件の処理を指揮したかつての教え子に何を言おうとしたのか。自然が人の性格を作るといってもひどく時間のかかることだろうし、柔道を教えることによって人間を作るというのも気の長い話だ。ラフリン先生の気持
むちはわからないが、時間をかけて聞いてみたい話だ。

『プーチンと柔道の心』p.217~


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プーチンの柔道の師・ラフリン先生

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プーチンと山下泰裕
まほろば会 2673/10/19
まほろば会という、世界戦略情報誌『みち』の執筆者と読者の交流会が、定期的に毎月第三土曜日に東京で開催されている。その第三土曜日にあたる今月19日、亀さんは久しぶりに上京してまほろば会に出席、その時の様子をレポートにまとめ、関係者に私信で配布している。

今回、特に印象に残ったのが藤原源太郎さんの講話だったので、以下に報告書から一部抜粋する。

いずれ世界大恐慌は起きる。共産主義も資本主義も駄目だったので、今後は日本型の〝共同体〟社会が実現するのではないか? 

つまり、来る時代には日本人も自分の頭を使って、困難を乗り越えていかねばならず、これは戦後から70年近くにわたる対米従属の姿勢からの脱却を意味する。困難ではあるが日本人には新時代への適応能力があるものと信じる。ともあれ、日本古来の叡智を蘇らせることだ。日本人の魂は廃れていないのだ。


ここで亀さんが注目したのが、『月刊日本』11月号に載った「里山資本主義が日本社会を救う」(藻谷浩介)だ。里山資本主義の詳細は同誌を参照していただくか、『里山資本主義』を紐解いていただきたい。

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亀さんが『月刊日本』11月号を読み進めながら脳裏に浮かんだのが、以下の光景だった。藻谷氏の里山資本主義論に共鳴する読者であれば、里山資本主義と「男はつらいよ」が繋がっているのに気付くはずだ。

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土曜日は寅さん 1
10月12日(土)に放送された、BSジャパンの「土曜日は寅さん!」を漸く見ることができた。光本幸子がマドンナとして登場する、第1作の「男はつらいよ」が放送されたのかと思っていたら、良い意味で裏切られた。柴又題経寺の寺男を演じていた源公こと佐藤蛾次郎を囲んで、武田鉄矢と佐藤利明が語り合い、そしてバーテンダーに扮した須黒清華が司会を務めるという形の番組であった。

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タイトルが「昭和は輝いていた」とあるように、「男はつらいよ」が上映された昭和という時代を背景に、今なぜ寅さんなのかと視聴者に問いかける、心温まる番組だったと思う。

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和尚の自衛隊観 6
今日紹介するのは、今東光和尚から自衛官を父親に持つ女の子への言葉だ。和尚の人としての優しさが滲み出ている。

自衛官の娘から一書
和尚のおっしゃる通り、自衛隊がなけれぱ日本の平和はありえないのです。私は幼い時からそう思っていただけに、和尚の意見をとても嬉しく思います。

自分の父が自衛官だったから言うのではないのですが、あまりにも身勝手な意見とか、直接友だちから言われる――力が弱いとか(国防費が少ないのにどうしようもないじゃないですか)税金のむだづかいだとか――自衛隊なんか必要でないなんて言葉を聞くたびに胸がつまる思いでした。

少なくとも私の父などは日本の国と本土の人々を守るために、男の一生を自衛隊に捧げてきました。ただ単なる国家公務員というのに甘えてはいないのです。自衛隊の基礎となる警察予備隊、その前の軍隊の時から、日本を守るという目的をずーっと維持しているんです。皆さんは知っているでしょうか? 外国から日本を守るだけでなく、災害や台風の時、またデモなどがある時、私の家に父はいません。民衆を救うために出動する隊員の指揮をしたリ、連絡をしたりなどいろんなことをしているのです。私の家は男手がなく、弟と母と私とで守るのです。それがどんなに心細いか、わかってもらえるでしょうか。

和尚さまの意見をもっとたくさんの人々に、そして私の気持ち-自衛隊の家族の気持ちも知って欲しいと思います。和尚さま、いつまでもお元気で素晴らしい意見を聞かせて下さい。(徳島市 PBの愛読者 YOKO)


可愛いい女の子だね。お手紙を見て大変胸を打たれました。民族と国家のために身を挺してやっておられる方のご家族は、どんなに心細く、そういう嫌味な話を聞いてどんなに心を痛められるか十分にお察しします。しかし、あなたのお父様のような方がいなかったら、日本という国はもっと早く堕落し、もっと早く危い目に遭っていたに違いない。本当にお父様のご健康を祈るとともに、お嬢さんたちの一層の覚悟を促してやまないわけです。

オレの非常に親しい人の息子、それは大実業家で何十という会社を持っている人の長男なんだけれど、うちの仕事をしないで今度海幕へ入っちゃった。そして海上自衛隊の爆撃機の操縦をやっているんだ。ミサイルを運んで戦うという大変な仕事なんだよ。もう、親父はどうすることもできない。お母さんはイライラ心配している。

こういう男も日本にはいるんだ。自衛隊は憲法違反だとか、税金の何だのとバカなことぬかしている奴らこそ、オレらの税金の中でのたのたと暮らしているのかと思うと、もう腹が立って「くたばれ!」と言いたくなるんだ。無駄飯食いは死んでもらいたいよ。
人間、理屈はなんとでも言えるんでね。しかし現実の問題で、いま世界がどうなっているか、と。この間ある経済学者と話していたら、「景気は二十一世紀まで回復しないでしょう」と。いくら福田が逆立ちしようとね。その間に何か動きがある可能性といえば、もうこれは世界戦争しかないよ。それが怖いんだ。ロシアはいま世界中の方々に戦争の種を蒔いている。南アのアパルトヘイト問題とか、ウクライナ分離という問題とか、発火点はいくらでもあるんだ。そんなこと考えたら、今更憲法改正がどうのと言っている段階じゃねえだろうが。まったく日本人のバカさ加減には愛想がつきるよ。

『最後の極道辻説法』p.42


和尚の自衛隊観 5
今日紹介する『最後の極道辻説法』の和尚の言葉が、週刊『プレイボーイ』誌に載ったのは1975年あたりで、今から40年近く前だ。「ロシアは世界最強の軍隊を持っている(当時)」と和尚は書いているが、その後のソ連は崩壊している。改めて、『ソビエト帝国の崩壊』という予言の書を著した小室直樹の凄さを再認識した次第である。

その後、亀さんがロシアに対する見方を大幅に変えたのは、栗本慎一郎が著した『シルクロードの経済人類学』である。同書の簡単な書評は旧ブログに載せたので、関心のある読者に一読してもらえたら幸いだ。この本を薦めてくれたのは、『みち』の藤原源太郎さんであり、お陰様でツランについて開眼できたことから大変感謝している。


和尚の自衛隊論への反響
俺にいわせリや、今氏の自衛隊論(続極道辻説法九四頁参照 http://toneri2672.blog.fc2.com/blog-entry-390.html)なんて阿呆のこんこんちきでね。今氏みたいなのがいるから右翼の連中が俺達をしめつけるんだ。俺は自衛隊は憲法第九条に違反すると思っている。法に照らして明らかじゃないか。そいつを今氏は認めるというのかい。もし自衛隊が必要なら、ちゃんと憲法改正の手続きをとればいいんだ。それをしないで、既成事実化する力こそ怖いと思わないのかな。もちろん俺だって何らかの軍隊力は必要だと思っている。それには国民皆兵、民兵制度が一番いいのは確かだ。しかし今の自衛隊制度を改革もしないで単に軍事力の必要性を説くなんてどこかの代議士と同じだ。俺だって国を守る気持ちは人一倍あるんだが。
(福岡市東区箱崎 24歳学生 中尾哲郎)


いま足元から必要なことは、憲法九条でも糞でもねえんだよ。すでにロシアが世界最強の軍隊を持って、いろんな国々に武器の援助をしてだな、いわゆるゲリラ活動させているっていうのに、それに対抗するに憲法九条もへったくれもあるかい。国を守る気があるなんてぬかしやがるが、それでどうして守るつもりなんだい、この糞ったれ野郎が。握り金玉で何ができるっていうんだ、この馬鹿野郎! オレの言っているのはそのことでね。憲法九条であろうと一〇〇条であろうと、大体日本の憲法なんてヤワなものをやかましく言ってる暇があったら、木刀でも振っとれ、この馬鹿野郎!

『最後の極道辻説法』p.41


和尚の自衛隊観 4
亀さんは二十代の頃、イスラエルとパレスチナ解放軍の対立に関心を持ち、実際にイスラエル人の学者(名前失念)の話に耳を傾けたり、ユダヤ関連の書籍を読んできたりした。一方、パレスチナ解放軍に関しても芝生瑞和氏とパレスチナ解放軍の在日事務所の関係者の話に耳を傾けたことがある。

このように、亀さんが中近東問題に関心を持つに至った原点は、1972年5月30日に発生したテルアビブ空港乱射事件にある。当時ロンドンで英会話学校とバイトの生活を送っていた亀さんは、事件後にバイト先の同僚のイスラエル人に、どのような言葉をかけてよいのかわからず、顔を合わせて咄嗟に出た言葉が「アイアムソーリー(ごめんなさい)」だった。自分が実際に銃を乱射したわけでもないのに謝る日本人に対して、そのイスラエル人の同僚は驚きの表情を示すとともに、「気にするな、お前のせいじゃない」と言葉をかけてくれた。

自分が関与したわけでもなく、単に同じ国籍の日本人が(ロンドンから見て)近くのテルアビブで銃を乱射して、26名もの尊い人命を奪った事件に対して、何故自身に非があるような言葉を吐いたのか、当時は未だ十代だった亀さんはわからなかったのだが、今ならわかる。それは、大御心と深く結びついていたのだ。

自衛隊と関係のない話になってしまったが、以下は『続極道辻説法』に載った今東光和尚の自衛隊観である。

☆☆自衛隊こそ日本の守リ

自衛隊の存在がなければ日本の平和はありえないのです。和尚の意見に問違いはありません。それで私は感激しました。質問は別にありません。私の祖母は和尚のファンです。いつまでも元気でいて、祖母を楽しませて下さい。(東京都杉並区高円寺南2~53~12K.B)

おめえみたいなまともな奴もいるから、日本も救われるってもんだ。お祖母さんにもよろしく言っといてくれよ。

『続極道辻説法』p.146


和尚の自衛隊観 3
今日紹介する今東光和尚の自衛隊についての話だが、亀さんは概ね正しいと思っている。ただし、一点だけ例外があり、それは北朝鮮についてだ。和尚の北朝鮮についての考え方に賛同できないのは、亀さんは『月刊日本』の山浦(嘉久)さん、グルンパの飯山(一郎)さん、『金正日は日本人だった』を著した佐藤守氏といった人たちの北鮮論に接するようになって、北鮮が実は単なる共産主義の国ではなく残置国家であるという事実を知り、さらに朝鮮戦争で結果的に最も得をしたのが何故日本だったのかという背景を掴むに及んで、ここ5年間で亀さんの北鮮観はガラリと変わったからだ。ただ、北朝鮮=共産主義の国という和尚の見方は、当時(あるいは今でも)が冷戦時代だったことを考えれば、やむを得なかったのだが…。

それから和尚のスイス観だが、落合(莞爾)さんの云うワンワールドという視点がスッポリと抜け墜ちているので、全面的に支持することはできない。このあたりの詳細については、落合さんの著した『金融ワンワールド』(成甲書房)を参照されたい。

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その他にも和尚の国際情報についての見方に納得できない点はあるものの、和尚の憲法九条論は普通に頭を働かせれば当然の話であり、諸手を揚げて賛成だ。ただ、同じように憲法九条の改正を唱えている安倍(晋三)ちゃんの場合、その動機が不純だ。つまり、安倍ちゃんが改正したいという背景に、ネオコンの影がちらついていることを見逃してはならないのだ。

ともあれ、亀さんが和尚の九条論に賛成するのも、十代の頃に3年間にわたった世界を放浪し、ポケットに入れた貴重な旅行資金やカメラを盗まれたり、ライフルで殺られそうになったりといった体験が幾つかあるからだと言っておこう。

☆☆自衛隊を増やせ

俺は去年自衛隊採用試験を受けたが視力不十分のために採用されなかった者だ。それを恨んでいるのではないが、現在の自衛隊ではあまりにも頼りないのではないか。国家は国防費を増大させ、他国の軍事援助がなくとも自国の力で国を守っていけるだけの軍事力をつける必要があると思うのだが、和尚の意見は?(山口県徳山市丁・M)

もちろん大いに賛成だね。賛成ではあるが具体的には、そんなこといくらここで言っても、野党の連中は反対するだろうし、政府がすぐに軍事力増強というわけにはいかないのが現状だ。

しかし、非常に肝心なことは、今度カーターが大統領になった。カーターは公約で、「外国の戦争に兵は送らない。武器は削減する」というような、アメリカの民主党派の、いままでの共和党とはちがう一つの政策を出した。いまのところ直接に対ソ、対中、対日という政策は、カーターでは変わらないと思うけども、オレにはどうもこれから漸次変わってくるように思える。

万一、彼が言っているように朝鮮半島から兵を引き揚げることにでもなると、北鮮が出てきて戦争になる。その時に、もうベトナムの二の舞いは沢山だ。外国には軍隊を送らないというようたことを言ってたら、あっさり負けちゃうよ。いまの韓国は共産主義の国になる。日本はそうなったら、まさに累卵の危うさを感ずるんだ。

そういう時に、いまの自衛隊で一体何ができる? 向こうは、どんどんロシア製の武器を送ってくるし、えらいことになるぜ。そんな時にたって、日本の馬鹿インテリだの、バカ野党がな、「こんなはずじゃなかった。我我は戦争放棄して平和に暮らしているのに」なんて寝言ぬかしても遅いわな。こっちが戦争放棄したって、相手は戦争放棄してないんだから。

バカた話だぜ、おい、考えてみろってんだ。オレの方は猿股外してな、揮外して、「いつでもよござんす」と言ったって、彼女がパンティ外さなかったら、これは話にならねえじゃねえか。どっちも外してこそ平和に睦み交合えるってもんだが、片方ががっちり防備してたらどうしょうもねえよ。日本は憲法九条により揮外しました。でも彼女は、私の方は男に襲われる危険があるから二重三重にもはいて、絶対にとらないと言うのと同じでね。いくら憲法九条云々と言ったところで相手にはそんな憲法ないんだから「生意気言うな1」って、ポンと撃たれたらそれっきりじゃねえか。

そんなこと言ってるのは、理論左翼の馬鹿野郎が言う夢みたいな話でね。何を言ってんだか、世界の平和なんてあるもんじゃないよ。

よく平和のシンボルみたいに言われているスイス。あそこのスイス銀行には世界中のお偉方の隠し財産があるから、世界のどの国も絶対に手出しできない仕組になっている。また地理的条件からいっても、亡命するのに一番都合のいい場所にあるので、どこも手出しはしないんだ。だからあれだけ長い間の平和が保たれているんでね。そのスイスですら、国民皆兵だぜ。成人男子は老人といえども一人残らず銃を持っていて、週に一度だったかの射撃訓練が義務づけられているという厳しさだってこと、知らないのかね、日本の若い連中は? スイス銀行という絶対安全と思えるお守りをもっていてすらこの有様だ。

それを憲法第九条などという外国には全く効果のないお札にすがって、戦争放棄だから軍備反対だ、なんてほざいているんだから、バカな国だぜ、日本も。ちっとはスイスに見習えばいいんだ。

『続極道辻説法』p.145


稲村公望が優しく吼える 61
主催者からは「郵政問題」に関しても大いに語って欲しいとの希望が出ていたそうだが、立場上、公の場での発言は控えたいと説明。代わりにエンディング部分で今注目の書籍『市場と権力』(佐々木実著:講談社)の第7章(郵政民営化)を読んで欲しいと紹介。



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浪花の恋の寅次郎
昨夜、BSジャパンで「ヨーロッパ水風景」が放送され、そこには南フランスを旅する松坂慶子の姿があった。最近、「男はつらいよ」の第27作「浪花の恋の寅次郎」で、若い頃の松坂を見たばかりであり、32年が経過した今の松坂を見て時が確実に流れたのを知った.



東京海外旅行研究会というのがあり、そのメンバーの一人に中野文博さんというバーテンのマスターがいたのだが、その中野さんが山梨県は勝沼のメルシャンワイン工場で主催した、ワインとブドウ狩りの会に幾度か参加したことがある。確か1970年代後半か1980年代前半だっだと思うが、同工場を松坂慶子が訪れたことがあった。ワインを飲みながら遠方から見た松坂慶子は、息をのむほど美しく、同年代の知り合いの女性たちが亀さんの脇で、「綺麗ねぇ~」と呟いていたのを今でも思い出す。時期的にも「浪花の恋の寅次郎」が上映(1981年8月8日)された頃と重なる。

「浪花の恋の寅次郎」では、大阪の芸者「ふみ」を松坂が演じていた。芸者だった女性と結婚した人生の先輩を知っているが、その奥さんと話を交わした体験から、そうした世界に居た女性の男を見る目は確かなものがある。その意味で、難しい芸者役を演じた松坂は流石である。



「浪花の恋の寅次郎」が上映されていたのは1981年8月とあるから、本田技研に勤めていたころだ。今では懐かしい。
和尚の自衛隊観 2
以下は、昨日と同じく『続極道辻説法』に載った今東光和尚の自衛隊観だ。ミグ25事件(昭和51年 1976年)と云っても若い人はピンと来ないと思うが、当時は米ソが冷戦状態にあった時代であり、1970年代はじめにヨーロッパを訪れる途中、一時だけ立ち寄ったソ連の重苦しい空気を肌で感じただけに、ソ連は大嫌いな国の一つであった。そのソ連の正体を知るには、角田儒郎氏の著した『日本の残光 大東亜戦争の意義と満洲帝国』(文明地政学協会)を一読されると良いだろう。同書は日本郵政グループの副会長を務められた稲村(公望)さんが、貴重な歴史的証言だということで立ち上がり、天童(竺丸)さんを中心に刊行した書籍である。少しだけだが、亀さんも校正のお手伝いをしている。

その後は小室直樹博士の予言が的中してソ連の崩壊に至り、ツランの流れを汲むプーチンが登場したのだが、この意味するところは大きい。

思えば、三年近く世界を放浪していた時分は、常に緊張を強いられる毎日であった。だから、久しぶりに祖国の土を踏んでからというもの、全く身の危険を感じることもなく過ごせるようになって、暫くは呆気にとられていたものだ。このあたりが、最近までの日本の良さでもあったのだが、その一方で平和ボケした日本人を大量に発生させてしまった。

☆☆自衛隊についての質問

和尚、自衛隊は必要ないのでは?

「自衛隊は憲法違反」とする、徳島のM・Kとオレも同じ意見だ。今度のミグ25の事件を見てもわかるように、日本の自衛隊の力は弱いのだ。その弱い自衛隊に使っている税金は莫大な額であり、それを強くするには我々の税金の額はもっとふえるであろう。そんな金を使うなら、今の日本、その金で、公害、老人福祉問題に使ってほしいものである。軍事力は相手がより良い物を作れば、またそれ以上のものを作らねば負けてしまう。そんなことではキリがないではないか、和尚よ!(愛知県岡崎市K)


そんなことしか考えられねえてめえは、亡国の民になってな、どっかの国の奴隷になるよりしょうがねえ。ミグ25が入ってきても気がつかないほど、日本の防衛力が弱いということはだね、要するに設備も悪ければ努力も足らねえってことだ。だからといって、あんなものに金を使うのは意義ないからやめろと言って、何にも無くなっちまったら、アジアのどんな小さな国から攻められても日本はもう防ぐことはできやしねえ。そうしたら、途端に占領されてだな、奴隷の境涯だよ。そんなバカなことを望んでるバカはないぜ。

日本だけが軍備もろくにしないでノホホンとして「私は戦争を放棄しました」と言えば、世界は「そりゃあ結構でございます次」と言うよ。

だけど、だんだん後進国が強くなったら、この国を欲しくなるんじゃねえか。日本の工業力、日本の知力、いろんな点から見たらこれくらい挺の出るほど欲しい国はない。アメリカにしても、ロシアにしても、中国にしても、日本の高度の工業や、文化、いろんな面で欲しいものだらけだ。先進国からみてもそうだから、まして後進国においてをや、だぜ。

その上、てめえみてえな低能ばかりがふえて軍事力を減らしたいだけ減らし、福祉にばかり金を注ぎこんで全く無防備状態になったら、ええ、女のコがよ、素裸でニューヨークの黒人街へ出たようなもんで、何されたって防ぎようがないよ。アッという間に強姦されて輪姦されて、ざまあみやがれってことになるんだ。この大馬鹿野郎!

それくれえのことぐらい、ちょっと考えてみりゃあバカだってわかりそうなもんじゃねえか。何もかも無防備だ、平和だなんて、そんなバカな夢みたいなこといつまでも考えているな、この糞ったれ野郎!

『続極道辻説法』p.143


小津安二郎と原節子
最近、ビッグコミック誌に連載中の『そばもん』(山本おさむ)で、「麦青」という興味深いストーリーがあった。

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上の画像を見てピンと来るように、小津安二郎と原節子の忍ぶ恋を描いたものだが、ネタ本は『殉愛: 原節子と小津安二郎』(西村雄一郎著 新潮社)だろう。数名の読者がアマゾンでカスタマービューを書いていたが、亀さんから見て最も印象に残ったのは以下のレビューだった。

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思えば、本ブログの表紙が映画向けのものであることに気付いたのは、ブログを開始してから数ヶ月経ってからだった。不思議なことに、それに気付いて以来、「男はつらいよ」をはじめ、映画に関する記事が大幅に増えたのは面白いところだ。(以下の〝映画〟マークに全く気が付かなかった ^^; 「男はつらいよ」のおいちゃんに、〝バカだねぇ〟と言われそうだ…)

名称未設定 2

時間がとれたら『殉愛: 原節子と小津安二郎』に目を通し、久しぶりに「東京物語」をはじめとする、小津安二郎監督の作品を鑑賞してみるか…。以前と違った角度から、小津監督の作品を鑑賞できそうだ。
和尚の自衛隊観 1
ここ1ヶ月ほど、「男はつらいよ」にのめり込んでいたので、今東光和尚のことを書く余裕がなかったのだが、一段落した今、和尚を巡るエピソードについて再び語っていきたいと思う。

最近亀さんが心配しているのは、相も変わらず他力本願的な日本人の国防観だ。このあたりで、自衛隊についての和尚の意見に耳を傾けてみよう。

☆☆自衛隊をどう思うか

最近の北海道の長沼ナイキ基地裁判の二審では原告側の敗訴に終わったが和尚は自衛隊をどう思われるか。平和維持のためなら、自衛隊のようないわば軍隊が必要と思うか? 私は、この裁判の一審で出た「自衛隊は憲法違反」という判決に感銘している者だ。
(徳島市南田富M・K)

おめえみたいなバカがいるから、ますます日本が弱くなるんでね。自衛隊を、「保安隊」と言ったり「自衛隊」と言ってみたりしている政府が、そもそも意気地がないんだ。堂々と「国軍」と言ったらいいじゃねえか、国軍と。

我々の祖国や民族を守るために軍隊が必要なのは当り前のことだ。そんなの板門店を見てもわかるし、今度のミグ25の事件を見たってわかる。いつどんなことが突発するかわからない時勢に、自衛隊が憲法違反だのなんだのと、バカな裁判官が言うとみんな喝采するけど、現実を全然無視した憲法論だとか何とかいうのには、オレは耳かす気ないよ。憲法論ふり回して、日本の近海にウヨウヨといるソ連の潜水艦を追っ払えるとでも思っているのかね。

だから、おめえみたいなバカは自衛隊に行かなきゃあいいんだし、行って国を守りたいという堅実た青年だけが国軍に入りゃあいいとオレは思っている。てめえみたいな野郎は家にいて、スカ屍でもこいて、音も立てずにひっそりしてりゃあいいんだ、こん畜生め!

『続 極道辻説法』p.94


最近は、プーチンが〝日本を護ってくれている〟と主張する、リチャード・コシミズ氏のような御仁も出ているが、それが本当の話かどうかはともかく、自分の国は自分で護るというのが本来の姿のはずだ。

さらに数回にわたり、和尚の辛辣な国防論の引用を続けたい。
鶴瓶の家族に乾杯 秩父篇
来週月曜日(10月14日)の「鶴瓶の家族に乾杯」は秩父だ。秩父山地の麓に居を構える亀さんとしては、今から楽しみだ。一人でも大勢の読者に見て欲しい。

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下の息子が来年には沖縄か九州か沖縄で生活することになりそうなので、12月3日にクライマックスを迎える日本三大祭りの一つ、秩父夜祭りに行くようにアドバイスしておいた。

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民を親にするに在り
昨日、まほろば会の林(廣)さんが焼いてくれたDVD「ドライエイジ - 三世代の挑戦 - 第三回 杉山家三代の物語」を観た。これは、『グリーン・ファーザー』(ひくまの出版)を著した杉山満丸氏の曾祖父・祖父・父についての本である。「MARC」データベースに同書の紹介文があるので、以下にそのまま引用する。

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杉山龍丸の長男の満丸さんが、父のインドでの緑化事業の軌跡を訪ねたドキュメント。福岡の郊外に四万坪の杉山農園を明治の時代にアジアの農業開発の実験場としてつくりあげた曽祖父・茂丸、その志を文学の領域で開花させようとした祖父・泰道(夢野久作)、そして、戦後、杉山農園をなげうってインドの荒廃した地に緑の木を植えつづけた父・龍丸。これは、その杉山三代にわたる壮大な夢の叙事詩である。


昨日、時間が取れたので街の眼科に行った折り、宮脇昭翁の著した『森の力』(講談社現代新書)を紐解いたのだが、最初のページからグイグイと引き込まれた。未だ最初の20ページも読んでいないのだが、読了したら簡単な感想文を拙ブログに載せたい。なお、宮脇氏については、道友の天童(竺丸)さんが世界戦略情報誌『みち』に書いておられた以下の記事で知った。
宮原昭「その土地本来の森を」 1
宮脇昭「その土地本来の森を」 2

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実は、その宮脇氏の先輩格にあたる人物が存在していたのを、昨夕観たDVD「ドライエイジ - 三世代の挑戦 - 第三回 杉山家三代の物語」で知った。樹木の持つ凄さをインド亜大陸で実証してみせた杉山龍丸は、あの杉山茂丸の孫であり、杉山泰道(夢野久作)の子であった。以下のブログにおいて、杉山龍丸がインド亜大陸に遺した行跡を簡単に示しているので、関心のある読者は一読いただきたい。
高木研究室

さて、杉山龍丸の祖父であった杉山茂丸については、上記DVDで簡単に紹介していたが、流石に落合(莞爾)さんが落合秘史シリーズ本で述べている杉山茂丸像は描かれていない。よって、いずれ拙ブログでも落合史観に基づいた杉山茂丸について書きたいと思う。以下は、落合さんが自身のホームページで杉山茂丸について言及した論文である。
http://www.kishu-bunka.org/yoshizono/yoshizono2.htm
目頭を熱くさせた大和撫子の義挙
過日、横浜市のJR横浜線の踏切で線路に横たわっていた男性を助けようとして、自らの命を絶った村田奈津恵さんのことが未だに頭から離れない。

それにしても、最愛の娘が電車に跳ねられるのを目の前にした父親の心情は、同じ人の親として察するにあまりある。ここに心より村田奈津恵さんのご冥福をお祈り申し上げる次第である。

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http://www.gyouseinews.com/pdf/2013100401.pdf


モラルなき日本学生支援機構
「寅さんのことば 82」で、「1980年代末から1990年代頭にかけてのバブル景気で、日本人の金銭感覚は完全に狂ってしまっている」と書いたが、そうした時代に誕生した泡沫のような組織の一つが、独立行政法人・日本学生支援機構である。

その日本学生支援機構について、My News Japanが〝「奨学金」という名の悪質公的学生ローン 施行規則も何のその、「支払い能力」無視して一括繰上げ請求しまくり〟という記事を書いているので、奨学金について検討している学生や親御さんは是非一読して欲しい。

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2年ほど前に上の息子か京都に進学することが決まり、奨学金を借りるかどうかで亀さんは色々と考えた。翻訳者仲間の勉強会に久しぶりに顔を出した折り、子ども達を大学に送った先輩達の話を聞き、奨学金を借りることに決めたのだった。その後、都銀や郵便局の教育ローン、国が関与する学生ローンなどを比較検討してみた。最初、日本学生支援機構も候補に入れていたのだが、調べていくうちに街のサラ金とほとんど変わらない組織だということを突き止めたので、候補から外した。そして最終的に残ったのは公庫と郵便局の教育ローンだったのだが、結局前者を選んだ次第である。

その後しばらくして、2012年5月13非付けの東京新聞の「こちら特報部」で、日本学生支援機構について取り上げていたのに目が止まった。そして、同記事を読みながら亀さんの判断が正しかったと知ったのだった。来春以降に大学に進学する学生や親御さんは、是非東京新聞とMy News Japanの記事に目を通していただきたい。

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ただ、日本学生支援機構を独立法人化させ、街のサラ金業者のようにした主犯は、小泉純一郎と竹中平蔵の国賊コンビであったことを努々忘れるべきではない。以下の記事を参照。

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若者つぶす奨学金

極道辻説法と男はつらいよ
「男はつらいよ 寅さんDVDマガジン」(全50巻)を漸く見終わった。

かつて息子たちには、今東光和尚の『極道辻説法』シリーズを読ませたのだが、ある意味で『極道辻説法』の映画版が「男はつらいよ」と言えるので、是非見るようにと勧めた。幸い、BSジャパンで今月12日から1年間かけて、「男はつらいよ」全作品を放送するという。以下は昨日の東京新聞に載った記事である。

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今後、折に触れて今東光とともに、「男はつらいよ」を見て思ったことを書き連ねていこう。

寅さんのことば 83

苦労したんだなぁ、本当に皆さんご苦労様でした。


第48作「寅次郎紅の花」にある寅さんのことばだ。そして、第48作は「男はつらいよ」シリーズの最終作でもある。

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佐藤利明氏が連続83回にわたって連載してきた「寅さんのことば」も、今回が最終回となった。東京新聞で長い間にわたり、寅さんについてさまざまな角度で語っていただいた佐藤氏には、心より「ご苦労様でした」と感謝の意を述べておきたい。

それにしても、「男はつらいよ」とは私たちにとって何だったのか…。ここで、亀さんなら迷わず「任侠」と答えるだろう。

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任侠というと、直ちに暴力団を連想する人たちが多い。確かに、嘗ての暴力団と呼ばれていた人たちの中には、任侠の徒が大勢居たのは確かだ。ただ、ここで注意しなければならないのは、暴力団と任侠の徒を混同してはならないということだ(尤も、今日では真の任侠の徒は希有な存在だから、やむを得ない面もあるのだが…)。亀さんは旧ブログに違いを詳しく書いているので、関心のある読者に一度目を通してもらえたら幸いだ。
『侠-墨子』

『侠-墨子』を著したのは松本州弘という、地方紙(『行政調査新聞』の社主だが、その松本氏と親交のある数名の人たちと亀さんは交流があることから、彼等を通じて松本氏の思想はあるていど理解しているつもりだ。

ところで、佐藤氏の最終記事を読み、阪神淡路大震災に遭った神戸市長田区を、寅さんが訪れるシーンが登場することを知った。その行を読んで咄嗟に思い出したのは、自衛隊が到着するよりも早く地域社会に救援の手を差し伸べた、山口組の任侠の徒である。

寅さんこと渥美清はテキ屋稼業を体験し、一時は入れ墨をする寸前までいったことがある。その渥美清が演じる寅さんが被災地を訪れるシーンがあることを知り、寅さんの持つ任侠心を垣間見た思いだった。また、被災地のシーンが登場するのが、「男はつらいよ」の最終回となった第48回「寅次郎紅の花」だったのは印象深い。

今後も折に触れ、「男はつらいよ」シリーズを見て思ったことを、色々と書き連ねて行きたいと思う。
寅さん

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【追伸】
東京新聞主催で11月4日、東京は神田で佐藤利明氏の講演会がある。亀さんは仕事が入る可能性が高いため出席はできないが、拙ブログを読んだ読者の中から、多くの人たちが応募してくれたらと思う。

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寅さんのことば 82

じゃ、また夢の続きでも見るとするか。


第41作「寅次郎心の旅路」からだ。昨夕の佐藤利明氏の記事にあった、「寅さんの人生は夢のようなもの」という写真のキャプションが目を引く。同時に、人生の儚(はかな)さを感じずにはいられなかった。

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現在仕事の合間に「男はつらいよ」を上映された順に見ているが、寅さんや妹のさくら、おいちゃん、おばちゃんらが、確実に年輪を重ねていくのが手に取るようにわかる。特に、第1作で生まれた満男が成長していく様子を見るにつれ、一層その感が強い。

〝夢〟以外にも様々なメッセージを、人は山田洋次監督から受け取ることができよう。たとえば、第17作「 寅次郎夕焼け小焼け」で、男に二百万円をだまし取られた芸者のぼたん(太地喜和子)に同情した寅さんは、知り合った池ノ内青観(宇野重吉)という画伯に二百万円の絵を描いてくれと頼むのだが、画伯に断られる。しかし、その後ぼたんと再会した寅さんは、画伯がぼたんに絵を送ってくれたことを知る。売れば確実に二百万円が手に入るのに、「一千万円でも売らない」と、絵を売って大金を手にするよりは、画伯の心意気の方をとったぼたんに胸を打つ。

1980年代末から1990年代頭にかけてのバブル景気で、日本人の金銭感覚は完全に狂ってしまっている。それでも、まだ寅さんやぼたんのような、〝常識ある〟日本人が残っているのだと信じたい。

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寅さんのことば 81

お天道様は見ているぜ。


第11作「寅次郎忘れな草」の股旅物のパロディーからだという。別の作品(どの作品か失念)で、豪華なお屋敷にすててこ姿で寝ていた寅さんの前に、とらや一家が上流階級の衣装で登場するシーンがあるが、博やさくらは下町夫婦というイメージが強すぎるのか、なんかちぐはぐな感じだった。正直に言えばチンドン屋(爆)。

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それはともかく、今回の佐藤利明氏の記事で心に残るのは、最後の行だ。

「お天道様に恥じない」生き方をしたい、というのが寅さんの行動原理の根本にあるのです。だから、今の日本を見たら、寅さんはきっと云うと思います。「お天道様は見ているぜ」と。


二年半前の東日本大震災は、未だに人々の暗い影を落としている。そうした閉塞感に包まれている日本で生きていく上でのよすがとなるのが、寅さんのことばにあると思う。「お天道様は見ているぜ」も、そんな寅さんことばの一つだ。

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寅さんのことば 80

風の吹くまま、気の向くままよ。


昨日の東京新聞で佐藤利明氏が語っていたように、「男はつらいよ」で耳にすることの多い寅さんのことばだ。第31作「旅と女と寅次郎」でも、寅さんは京はるみ(都はるみ)という演歌歌手に、以下のように語っている。

京はるみ:寅さん、いつもこんな風に旅してんの?

寅さん:おぅ、風の吹くまま、気の向くまま、好きな所へ旅をしてんのよ。まぁ、銭になんねぇのは玉に瑕だけどな。

京はるみ:そんな人生もあんのね。あしたは何をするか、あすになんなきゃ決まらないなんて…。いいだろうな…


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亀さんも国内海外合わせて5年近く放浪しているので、寅さんの云う「風の吹くまま、気の向くまま」は当たり前と思ってたけど、京はるみが「いいだろうな…」と羨ましがっているシーンを見て、「あれ、そんなもんかいな」と思った。

寅さんや亀さんだけではない、南米で知り合った本郷(七郎)さんは10年近く世界を放浪していた人で、後に亀さんの結婚式の仲人になってくれた人だ。その本郷さんがペルーの首都リマのある喫茶店で以下のように語ってくれたのを思い出す。

あの流れる雲のように、風任せの旅をしているのさ


考えてみれば、人生も旅そのものだよ…。

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「娯楽映画の昭和」
人気シリーズで読み解く、昭和の日本人



中高年の通訳者・翻訳者への道
『通訳翻訳ジャーナル』2013年夏号で、「年齢不問!頑張れ中高年!40代から始める通訳・翻訳」という特集があった。その特集に亀さんのインタビュー記事が載ったことについては、拙ブログ記事「通訳翻訳ジャーナル 7月号」で紹介しているが、「実践ビジネス英語講座」というブログで、通訳翻訳ジャーナのインタビュー記事を紹介しているのを、最近になって知ったので以下に紹介したい。
【Vol.67】中高年の通訳者・翻訳者への道

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寅さんのことば 79

ああ、やっぱり家(うち)がいちばんいいや


第12作「私の寅さん」からだ。昨夕の東京新聞で佐藤利明氏が以下のように語っているが、その通りだと思う。


寅さんの「我が家」は、故郷の柴又で自分を案じているさくらたち「家族」そのものです。「男はつらいよ」が愛されているのは、誰しも大切にしている「家族」と「故郷」を想う物語だからなのです。


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仕事に追われていた数ヶ月が一段落し、過日の「寅さんのことば 73」にも書いたように、講談社の『寅さんDVDマガジン』を見ている。尤も、亀さんは『寅さんDVDマガジン』の刊行順に見るようなことはしない。同誌の第1号は「男はつらいよ」シリーズの第1作だからいいんだが、同誌の第2号はいきなり、『男はつらいよ』の第17作「寅次郎夕焼け小焼け」を収録している。第1作は1969年8月27日の公開、第17作は1976年7月24日の公開だから、7年もの開きがあるじゃねぇか…。そのあたりが納得できない亀さんは、『寅さんDVDマガジン』の発行順を無視して、『男はつらいよ』の公開順に見ているところだ。亀さんは律義な男だからなぁ…。

まぁ、本当のことを言うと、第1作→第17作→第15作→第9作…と、頭の悪い亀さんなので脳みそが目を回してしまう。だから、公開順に見ているのさ(爆)。

で、漸く第17作「寅次郎夕焼け小焼け」を見た。う~ん、実に味のある映画だったし、太地喜和子も素晴らしかった。

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その「寅次郎夕焼け小焼け」のDVDに、ナント佐藤利明氏が倍賞千恵子にインタビューしているスペシャル撮影が収録されていた。これは百聞…、じゃなかった一見の価値はある。気になる読者は、『寅さんDVDマガジン』Vol.2の「男はつらいよ 寅次郎夕焼け小焼け」を手に取ってみるといいだろう。

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