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人生は冥土までの暇潰し

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人生は冥土までの暇潰し
亀さんは政治や歴史を主テーマにしたブログを開設しているんだけど、面白くないのか読んでくれる地元の親戚や知人はゼロ。そこで、身近な話題を主テーマに、熊さん八っつぁん的なブログを開設してみた…。
今東光と東京裁判
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今東光和尚のゼスイット観以外に印象に残った『南米耳袋』の行は、極東裁判に関するものである。以下の行を目にしたとき、思わず喝采した。

アングロ・サクソン族は世界を股にして至るところを侵略した。その不信が彼等を対立させているのだ。あれほどの侵略者どもが戦争裁判といういかさま芝居で、日本に侵略国と烙印を捺したのだから、これほどの世紀の猿芝居があるだろうか。『南米耳袋』p.239


角田儒郎氏が東京裁判を裁いた内容の『日本の継戦』を読み、さらに田辺敏雄氏の『検証 旧日本軍の「悪行」』の第一章・「東京裁判史観への道」に目を通した直後だけに、思わず喝采したのだった。それにしても、猿芝居とはよくぞ言ったものだ(笑)。

ところで、東京新聞の夕刊で「水軍遙かなり」という連載小説があるが、昨日アップした記事「今東光とゼスイット」と深く関連してくる。いずれ単行本になると思うが、何処まで豊臣秀吉の正体を明らかにできるか、楽しみである。

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今東光とゼスイット
今東光の『南米耳袋』を読み、ますます南米大陸を再び訪れたいという気持ちが強まった。また、60代といった孫の子守が似合う世代の和尚(当時)が、南米の若い娘っ子に大変もてたという行を読み、それなら亀さんももてるだろうと思うのは、勝手な思い込みか…(爆)。


ブラジル人は人種的偏見がない点では世界一だが、もっと敬服して好いことは年齢的偏見がないことだ。五十だろうが、六十だろうが、七十だろうが、腰の曲ろうが、頭が禿げて居ようが、少しも苦にしないのだ。男としてうまれてこんな幸福な国はちょっとないだろうと思う。
『南米耳袋』p.195


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さて、『南米耳袋』を読み終えたんだが、亀さんが同書で最も注目したのが、和尚のゼスイットに対する高い評価である。以下の行に注目されたい。

南米を旅して、はじめてカトリックがいかに生きているかという姿を目にした。しかもそのカトリックの底流に、禁止されたゼスイットの精神が耿々(こうこう)として脈うちながら生きているの発見したのは僕の大きな悦びだった。
『南米耳袋』p.32

ひとたび僧侶となって身に袈裟をかける以上、このゼスイットのひそみにならおうと心がけずにはいられない。外のために涙を流し、人のために汗を流すごとく、正義のためには血を流すことを惜しまない僧侶になりたいと思う。
『南米耳袋』p.103


ゼスイットと言えば、2月16日に『みち』の藤原源太郎さんにお会いした時、マラキの預言について色々と語ってくれたのだが、なかでも亀さんは藤原さんの以下の発言に注目した。

カトリック、ロシア正教、プロテスタントのうち、プロテスタントはユダヤの支配下にある宗派である。残りの宗派で今まで中心となっていたカトリックの力が衰え、今後はロシア正教が中心になるのではないか。


そして、半月後にアルゼンチン出身のホルヘ・ベルゴリオ枢機卿が、第266代のローマ法王に選ばれたのだが、なんと初のイエズス会出身である。このあたりは意味深長で、フランシスコ一世こそは今東光がならおうとしていたゼスイットではないか。

以上から、以下の記事は眉唾物だと分かる。
キリシタンが日本の娘を50万人も海外に奴隷として売った事

特に、記事中の以下の行に注目されたい。

ザビエルはポルトガル系の改宗ユダヤ人(マラーノ)


ユダヤ人という言葉を使うからには、天童竺丸氏の著した『憎悪の呪縛』と『悪の遺産ヴェネツィア』に目を通していない限り、従来のユダヤ人観から抜け出すことはできない。『悪の遺産ヴェネツィア』に関しては、旧ブログで取り上げたので参照されたい。
『悪の遺産ヴェネツィア』
以下の拙記事も併読してもらえればと思う。
一神教の正体

「キリシタンが日本の娘を50万人も海外に奴隷として売った事」という記事では、何故かザビエルをユダヤ人と書き、ザビエルがバスク人であった点に一言も触れていない…。(※ このバスク人は謎の民族とされており、バスク人については、さらなる考察が必要)

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ともあれ、どう読んでも今東光和尚が目標としていた、ゼスイット像と結びつかないのが以下の行だ。

しかし、アルメイダが行ったのは、善事ばかりではなく、悪事もありました。それは奴隷売買を仲介したことです。わた〕まここで、鬼塚英昭著「天皇のロザリオ」P249~257から、部分的に引用したいと思います。

「徳富蘇峰の『近世日本国民史』の初版に、秀吉の朝鮮出兵従軍記者の見聞録がのっている。『キリシタン大名、小名、豪族たちが、火薬がほしいぱかりに女たちを南蛮船に運び、獣のごとく縛って船内に押し込むゆえに、女たちが泣き叫ぴ、わめくさま地獄のごとし』。ザヴィエルは日本をヨーロッパの帝国主義に売り渡す役割を演じ、ユダヤ人でマラーノ(改宗ユダヤ人)のアルメイダは、日本に火薬を売り込み、交換に日本女性を奴隷船に連れこんで海外で売りさばいたボスの中のボスであつた。


亀さんは鬼塚英昭著『天皇のロザリオ』には未だに目を通していないが、同氏の『天皇のロザリオ』を読むにあたって注意が必要かと思う。そのあたりの理由は、同じ鬼塚氏の『瀬島龍三と宅見勝「てんのうはん」の守り人』について亀さんは書評を書いるので、目を通してもらえれば分かってもらえるはずだ。
『瀬島龍三と宅見勝「てんのうはん」の守り人』
ナイスピープルHONDAに乗る♪
ホンダも、なかなか粋なことをやる…

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スーパーカブ ビーチ・ボーイズ リトルホンダ 縁再び
朋あり遠方より来たる
昨日、久しぶりに翻訳者同士の勉強会に顔を出してきた。出席者は現役の翻訳者4名、翻訳会社のマネージャー1名の計5名であった。翻訳者同士の翻訳技術に関する意見交換、翻訳会社に勤めるKさんの翻訳業界の裏話、そして勉強会のリーダーであるYさんによる、荻生徂徠の『訓譯筌蹄』を叩き台にしての「300年前の翻訳論」であった。出席者の一人Oさんを指して、「Oさんは平成の荻生徂徠」というのがYさんの結びの言葉だった。その後、銭湯で一風呂浴び、駅前の居酒屋で酒を酌み交わしながら、懇親会。次回は秋頃に開催と決まった。

帰宅し、国際コミュニケーションズの同僚だった先輩のOさんからのメールを読む。今週の7日(日)、池袋で数十年ぶりの再会を互いに約束していたが、Oさんは身内の介護でヘルニアが悪化したようで、とても外出どころではなくなったとのこと。Oさんは確か70歳近いはずだが、昔は空手で鳴らした猛者も流石に寄る年波には勝てないということか…。Oさんの腰の具合が良くなったら、再びスケジュールを再調整して会いたいと思う。

ところで、昨日東京に向かう電車の中で、今東光の『南米耳袋』(講談社)を読んだ。同書のp.86に、「南米に一度きたことのある人は必ず二度三度と来るそうだ。南米の魅力に惹かれるとそこから容易にぬけ切れないからだろう」とあるが、まさに亀さんもそんな一人で、ニューヨークでアルバイトをしていた1973年当時、カリブ海経由でベネズエラに入国、再び南米大陸の大地を踏み、友人知人に会いに行こうと思っていた(実際、行くつもりでカリブ海諸国のビザも取得済みだった)。しかし、結局サンフランシスコでの生活を選んだため、南米の友人知人にしていた再訪の約束を未だに果たせずにいる。亀さんを娘さんのゴッドファーザーにしてくれた友人夫婦、その他大勢の友人知人との再会を実現したいものだ。

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ヨガをやってきて、ヨガった…
昨日、『通訳翻訳・ジャーナル』の編集者とカメラマンの人が拙宅を訪問した。本当に来たんでエイプリルフールでなかったもんだから、亀さんはびっくりしたよ(爆)。どのようにインタビューが進行したかは、実際に5月21日発売の『通訳・翻訳ジャーナル』夏号で確認してもらうとして、話題になったことの一つは健康管理だ。

以前、「ヨガのすすめ」という記事を書いたことがある。「健康管理のため、長年ヨガをやってきました」とでも言えば格好いいんだろうけど、既に「ヨガのすすめ」を書いてしまっているので誤魔化しもきかない、ということで正直に「健康管理のためではなく、綺麗なヨガのインストラクターの女の子に惹かれ、ヨガを始めました」と答えておいた。しかし、これがそのまんまインタビュー記事に載ったら恥ずかしいぜ、オィ…。

意外なところで、長年ヨガをやってきたということを、相手に納得してもらえたのが、仕事用の椅子について話が及んだときだっだ。亀さんが使っているのはダイニング用の安い椅子だが、普通に座った(両足を床につけた)状態での仕事、片足を椅子の上にかけた状態での仕事、そして胡座をかいた状態での仕事という具合に、3通りの座り方をしている。大抵は胡座をかいて仕事をしている。胡座をかいて仕事をしている様子を実際にやってみせたら、二人とも「身体が柔らかい」と驚いていた。

健康法には色々あるが、一番良いのは山人さんのように週末テクテクと歩くことだ。秩父山地が目の前に迫る関東平野の〝チベット〟に住んでいるのだから、自然の中を歩くというチャンスはいつでも転がっている。その他にヨガとかスイミングなど、色々とあるだろう。とにかく何でもEーから、持続してやることだ。持続は力なりって言うけど、本当だなぁ…。亀さんには取り柄は何もないが、この「持続してやる」ちゅうのが、取り柄と言えば唯一の取り柄かもしれない…。

話があちこち飛んで申し訳ないけど、やはり健康の話となったら、西原克成先生のことを取り上げないわけにはいかない。旧ブログにも数本先生についての記事を書いているので、健康に関心のある読者は一度目を通して戴けたら幸いだ。先生には幾度かお会いしているけど、なかなか気さくな紳士だ。栗原(茂)さんから、西原先生の凄いところを色々と聞いているので、忘れなければおいおいと書いていこう。
『免疫力を高める生活』
『内臓が生みだす心』
『究極の免疫力』

それから、医学以外として、文学についても西原先生は言及されている。
“明治の大文豪”森鴎外の隠された真実

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ヨガをやってきて、ヨガった…か。下手なオヤジギャグだねぇ(爆)。
今日は何の日、アレの日…
毎年の今日、東京新聞の朝刊で真っ先に目を通すのが「特報」だ。いつもの通り記事は2本立てで,1本は花粉症に抜群の効果を示す新薬が発明されたという話。鼻毛の生長を促進させて花粉をカットするのだという。ナルホド…! しかし、油断すると鼻の穴に束子が付いているように見えるとのことで、かなり注意が必要のようだ。もう1本の記事は、野球のルーツは米国ではなく日本だったという目から鱗の記事だった(爆)。

ところで、通訳翻訳ジャーナルさんで今日、わざわざ秩父山地の麓にある拙宅までインタビューに来るという。そこで昨日、インタビューに備えて質問を想定し、以下のように回答を簡単に纏めてみた。まぁ、今日はエープリルフールということで、幻のインタビューで終わる鴨寝…(笑)。

■経歴・動機・学習法・最初の仕事の獲得法?
1971年に埼玉県立狭山工業高校・機械科を卒業、椿本チェインに入社、1年後に退職し、3ヶ月の予定でヨーロッパに旅発った(旅発つ前に、田崎清忠の英会話レコードを、半年ほど熱心に勉強した)。ヨーロッパを一周して数ヶ月で帰国の予定が、3年間近くに延びた。4ヶ月ロンドンのイタリアレストランで皿洗いの仕事をした後、南米に飛び半年ほど中南米放浪の旅をする。メキシコシティから飛行機でニューヨークに飛び、8ヶ月間ほど日本レストランで板前見習の仕事を経験、貯めた資金で45日間のアメリカ・カナダ一周バスの旅。途中立ち寄ったサンフランシスコの美しい町並みが気に入り、ニューヨークからとんぼ返りでサンフランシスコに戻り、住み着く。最初はアダルトスクールに通っていたが、サンフランシスコ大学の今村茂男教授の勧めで同大に転校。1年後に帰国した。1年間東京スクールオブビジネスで貿易を学び、貿易の他、トミー植松の授業を受けた。中途退学して半年ほど尾瀬の自然保護運動に加わったり、沼田市の友人と八百屋の行商も体験した後、本田技研に入社。現場の仕事が中心だったが、海外からのお客様の通訳を務めた他、当時立ち上げたばかりの本田技研のオハイオ工場の研修生の通訳・案内・翻訳等を担当した。その後立ち上げたばかりのTOEICの国際コミュニケーションズに入社。その頃、英語道の松本道弘を知り、英語道にのめり込み、己れの英語に磨きをかけた。松本道弘編集の本の手伝いもしたことがある(『困ったときのビジネス現場の英語ハンドブック』講談社刊)。また、東京海外旅行研究会のメンバーだったので、新声社から『アクション英会話』と『アクション会話 20カ国語』も出した。国際コミュニケーションズを辞めた後は、武蔵工業という半導体洗浄装置のベンチャーメーカーに入社した。自社製品の半導体洗浄装置を購入した、シンガポールの会社からクレームが出たため、下請けのSEと一緒に3週間現地で缶詰になった体験をした他、イギリスや台湾にも出張した。その後サンケン電気に入社、11年が経った1998年秋に希望退職に応募し、退職。その頃、起業家の集う「和僑」というメーリングリスト主体のサークルに参加していたが、仲間の一人にNHK関係の仕事をしていた者がいて、それが縁でBS1「日曜スペシャル」の「知ってますか あなたの値段」(1998年12月6日 22:00~22:59放送)に、翻訳者を目指す〝起業家〟として出演した。エイブス技術翻訳スクールの英日翻訳を1年間通学して無事に修了した。パストラル実務会という翻訳サークルに当時入っていたが、その会のリーダーであり現役の翻訳者だったFさんに、「W」という翻訳会社を紹介してもらい、トライアル受けたところ合格、Adobeの製品マニュアルの翻訳が翻訳者人生で初の仕事となった(無事に2000年7月18日初納品)。その頃、JTF(日本翻訳連盟)にも積極的に関与し、翻訳セミナーの書記を1年間ほど務めた。このあたりは前の専務理事だった高崎栄一郎さんが証言者だ。一時はJTFの理事に推薦されたことがあるが、諸事情があって結局断った。現在は、『みち』の天童竺丸氏が中心となって開催している「まほろば会」のメンバーである。翻訳関連では「F」という年に1~2回集う翻訳者のサークルに参加しているが、それ以外で翻訳者との交流はない。

■今のライフスタイル?
朝4時前後に起床、夕方の5時頃に1日の仕事を終了というのがお決まりパターンだ。仕事が入っている時は土日も働く。ただし、第三土曜日の「まほろば会」だけは極力出席することにしている。上の息子は京都の大学に進学、今春二年生になる。下の息子は埼玉県立の某高校の三年生にこの4月進級。本人は大学や専門学校に行くつもりはないようで、自衛隊に2年近く身を置き、それから己れの進路を決めたいとのことだ。だから、2年後に彼が大学に進学する可能性もあり、その頃の私は63歳、さらに4年間大学で学ぶのであれば、67歳まで現役の翻訳者を続けなければならないが、子どもたちのためだからこそ、頑張れるだろうと思っている。
翻訳会社からの受注が100%だが、そのうちの90%が海外の翻訳会社だ。かつ、95%以上が英日翻訳だ。相手の翻訳会社は主に欧州と北米で、一部に台湾・香港・シンガポールもある。基本的に英語の原文1 wordあたり$0.10 USD以下は引き承らないことにしている。最近は、日本人の英日翻訳者のチェッカーの仕事も増えた。ほとんどの翻訳者は学校英語の影響が強いのか、直訳調の翻訳がほとんどだ。あれで良く翻訳の仕事をやっていけるものだと、つくづく感心している。こうした日本語力のない日本人の翻訳者は、いずれ淘汰されていくと思う。私の場合、日本語力の維持向上は、インプットでは普段の日本語の読書、アウトプットでは個人ブログ([人生は冥土までの暇潰し])等である。日本語の本は好きな本を読むことを信条としており、これから読む予定の本が山積みにしてある。ブログにしても同様好きなことを書いているので,普段は「図のように、3本のステンレス製ボルトをそれぞれ締め付けて、所定の位置で固定してください」といった訳文ばかり書いている身として、仕事の合間の読書やブログはストレス発散にもなって本当に良い。また、内容的にも少しは世の中の為にもなっていると自負している。

■年齢をハンディにしないためのコツ?
・「翻訳技術」について、右も左も分からない場合、資金的に余裕があれば1年間ほど翻訳学校に通いつつ、翻訳者になる準備をすると良い。ただし、翻訳学校で教える翻訳技術はプールでの泳ぎ方にすぎず、実際に大海で泳ぐ術(実際に経験する翻訳の仕事)は自身で試行錯誤を繰り返し、先輩の翻訳者に相談したり、翻訳技術の本を読んだりして、ステップバイステップで身につけていくしかない。
・年齢的に一番ハンディになると思われるのが、英語力でもなければ、専門知識でもなく、日本語力でもない。PCスキルである。最低限マイクロソフトのWordとExcelを使いこなせ、ファイルをメールに添付するといったメールの使い方を習得している必要がある。理想的には、翻訳支援ツール、特にSDL Trados 2011の基本的な機能を使いこなせるレベルに達していると、かなり有利になる。日本の場合、IT分野でTraodsが使われているだけだと、翻訳センターのK氏が語っていた。しかし、海外の場合は分野を問わず、Trados、Transitといった翻訳支援ツールを使いこなせないと、仕事を得る上で大変不利だ。
・PCスキル以外は、長い人生を歩んでこられたので、そこそこの日本語力はあると思うし、専門知識にしても今まで会社で得たものを生かせばよい(たとえば、金融関係の仕事をしてきた方は金融英語の翻訳を目指していけば良いし、メーカーの人は持てる技術知識が生かせる翻訳の仕事が沢山ある)。英語力にしても、海外の一般の新聞を辞書無しで読める程度の英語力があれば十分事足りる。

■これから勉強しようと思っている中高年層へのアドバイス?
・中高年で一番の問題はPCスキルだが、マイクロソフトのWordやExcelを使ったことのない人は、今日からでもパソコン教室に通うこと。WordやExcelをそこそこ使いこなせるのであれば、Tradosの基本操作ができるレベルに達しておくと良いと思う。前述したように、日本の翻訳会社だけなら、基本的にIT以外の分野ではTradosは不要だが、海外の翻訳会社も取引先に含める場合、IT以外の分野でもTradosを中心に翻訳支援ツールが必須になるので、マスターしておいて損はない。
・翻訳者のサークルに参加すること。小人数でやっている翻訳サークルがあったら、是非参加して欲しい。先輩の翻訳者を通じて仕事を斡旋してもらったり、翻訳技術を教えてもらったりすることができるからだ。私は、上記の「パストラル実務会」に参加したお陰で、米国のForbes誌の記事翻訳を、同誌の日本語版が廃刊になるまでの10年以上続けた。さらに、翻訳団体としてJTFやJAT、海外に目を向けると世界最大のProZなどがあり、いずれかに参加することをお勧めする。私はProZに参加しているが、ProZで私の存在を知り仕事の打診をしてくる会社は多い。ちなみに、ProZ経由の仕事は年収の80%前後を占めている。ただし、海外との翻訳会社との取引をしたいという人たちにのみ勧めたい。
・年齢とともに、一番の問題が健康だ。普段の健康管理に気を配ること。ヨガをやったり、散歩をしたりすると良い。また、パソコンを使う仕事なので目を酷使する。その場合、黒酢を飲むと良い。また、ディスプレイにフィルターを貼るのも手である。ヨガで目の疲れを取る方法もある。
・最後に、サラリーマン時代は社内の人間関係にかなりのエネルギーを使っていたと思うが、翻訳者は一国一城の主だ。嫌な相手(翻訳会社等)は遠慮なく〝首。にしよう。また、フーテンの寅さんではないが、翻訳者は片手にトランクならぬノートパソコンが一台あれば、世界何処でも仕事ができる。放浪の旅を続けながら、気に入った避暑地で数ヶ月仕事に集中し、また旅に出るという余生を過ごすのも悪くない。私は十代の頃に放浪した中南米を再び訪れ、再会したいと思っている友人・知人が多いし、またアルゼンチンのパンパ、インカ帝国の遺跡、アンデス山脈、アマゾン川、情熱の街リオ(ブラジル)、南米のパリことブエノスアイレスなどの観光地の再訪も、体力的に可能なうちに実現したいと思っている。これが、今の私の〝ささやかな夢〟だ。

平成25年3月31日(日) 記す 亀さん



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