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人生は冥土までの暇潰し

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人生は冥土までの暇潰し
亀さんは政治や歴史を主テーマにしたブログを開設しているんだけど、面白くないのか読んでくれる地元の親戚や知人はゼロ。そこで、身近な話題を主テーマに、熊さん八っつぁん的なブログを開設してみた…。
アフラック保険の正体
過日、『文殊菩薩(ブログ版)』で「アフラック保険の評判が悪い 保険金不払いがダントツ」という記事を取り上げていた。こうした外資系の保険会社は、昔から大量のTVコマーシャルを流しているが、亀さんは正体がハゲタカ(ユダ金)と分かっていたので、未だかつて加入したことは一度もない。亀さんの場合、病気・怪我に県民共済、貯蓄+保険に簡保保険、火災に全労済といった具合で、あとは車の整備で世話になっている近所の店の紹介で、国内保険会社の自動車任意保険に入っている程度だ。

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ハゲタカが関係しているのは、何も外資系保険会社だけではない。地元の足とも言える西武鉄道の一部路線を廃線にしろと主張する、サーベラスというハゲタカもいる。このハゲタカ vs.西武だが、「対立は泥沼化。サーベラスは強硬手段で打開図る」ところまで行っているようだ。

これで、TPPが具体的に実行の段階に入ったら、どうなるかは大凡察しがつく。明日発行される『みち』に連載中の「深層潮流」にも書いてあるとおり、“TPPは表向き「貿易協定されるが、その実体は関税を撤廃した「企業による世界統治」である”、ということなのだ。

まぁ、このまま国民がもっと声を大にしてTPPに反対しなければ、「泥棒に追い銭与えるようなもの」どころか、「泥棒の奴隷になりさがる」道を突き進むしかないだろう…。

さらに、『お金の秘密』(成甲書房)を著した安西(正鷹)さんが、やはり明日発行の『みち』の「お金の本質」シリーズで、ハゲタカの親分であるスイス銀行を取り上げており、『文殊菩薩(ブログ版)』の「「ロスチャイルドを奴隷として扱う一族」がいたとは」という記事でも、スイス銀行を取り上げているので、関心のある読者は一読するといいだろう。

それから、日本では〝思想家〟として人気のある、ピーター・ドラッカーもハゲタカの手先だったと喝破した、安西さんの『お金の秘密』、示唆に富む本なので一度手にとってもらえたら幸いだ。あの落合(莞爾)さんも賞賛している。
安西氏は信用創造に関するわが国有数の権威です。紀州文化振興会代表幹事落合莞爾の推薦文

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間もなく、核戦争が勃発する…
飯山(一郎)さんがHPに書いているとおり、北朝鮮がアメリカとの戦争に突入する恐れが高まってきた。
◆2013/03/29(金)2 金正恩(30才)、戦争準備完了!

世の中大勢は大手マスコミの流す北朝鮮観に染まっているので、同国のことを悪の枢軸国と頭から信じている人がほとんどだ。だから、飯山さんの記事で以下の行を読み、腰を抜かした人が多いはずだ。

金正恩! 死ぬなよ! 負けるなよ! そして、できうるならば、
アメリカを叩き潰してくれ! 旧宗主国=日本の代わりに!


はっきり言おう。亀さんも全く以て同感だ。ポイントは「日本は北朝鮮の旧宗主国」に集約されており、〝旧宗主国〟の真の意味を何処まで理解しているかにかかっている。ともあれ、『月刊日本』の山浦(嘉久)さんや飯山さんといった、日本でも五指に入る〝北鮮通〟から直に情報を得ている身として、正に今回の飯山さんの情報は正鵠を射た情報だとわかる。

なお、〝旧宗主国〟の意味を真に理解するために、以下の書籍を推薦したい。

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また、このテーマは〝草〟についての理解も必要なので、天童竺丸氏の以下の記事は必読だ。
http://michi01.com/tendoh/273ktg_26680601.html

〝草〟については、いずれ書きたいと思う。

本当は、以下の記事を下敷きに保険についての記事を書く予定だったけど、明日にしよう。
アフラック保険の評判が悪い 保険金不払いがダントツ
尖閣諸島問題―中国古文献で証明する中国の主張の虚構
道友が撮影し、一般公開したという動画についてメールで知らせてくれた。台湾研究フォーラムの第160回定例会で行われた講演で、講師は長崎純心大学准教授・石井望氏、演題は「尖閣諸島問題―中国古文献で証明する中国の主張の虚構」だったという。









それから、過日拙ブログで取り上げた田辺敏雄氏から、2冊(『平頂山事件』『旧日本軍の「悪行」』)の著作も届いた。以下のような心温まる同氏のメッセージが同封されており、嬉しかった。お陰様で、学校教育や本などを通じて染みついた自虐史観、ここ数年で大分払拭することができたようだ。その意味で、上記の道友や田辺敏雄氏をはじめ、諸先輩方には感謝の気持ちで一杯である。

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「立川断層確認」誤り
今夕の東京新聞の記事によれぱ、「立川断層のずれ誤認 コンクリ風化 東大地震研が訂正」ということらしいが、立川断層の存在が否定されたわけではないようだ。

ともあれ、「東京都青梅市から府中市まで延びる長さ約20キロの活断層。埼玉県飯能市の名栗断層とともに全長約33キロの立川断層帯を形づくり、マグニチュード(M)7・4程度の地震を起こす可能性がある」とのことで、改めて地震保険の加入を再検討した。

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朝鮮総連本部を落札した目的…(2)
『文殊菩薩(ブログ版)』に、「朝鮮マイノリティー裏社会さんが、早速、「池口恵観」と「安倍晋三」の関係の隠蔽に乗り出した模様です」と題する引用記事が掲載された。やはり、今回のキーワードは、「総連」、「北朝鮮」、「安倍晋三」のようだ。

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ここで、改めて思い出すのは『歴史の闇を禊祓う』(栗原茂著 文明地政学協会)である。今回の総連関連ニュースに何故に安倍晋三首相が絡むのか、そのあたりのヒントとして少々長くなるが重要な情報を含むことから、同書の「第13章 佐藤・岸・安倍家伝をめぐって」を以下に転載しておこう。亀さんも以下の史料に基づき一連の総連関連ニュースを眺めているので、読者も思うところがあったらコメントに投稿して戴ければ幸いである。因みに、『歴史の闇を禊祓う』(栗原茂著 文明地政学協会)の主要テーマの一つが、〝総連〟である。

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●第13章 佐藤・岸・安倍家伝をめぐって
 佐藤秀助の二男(岸信介)は山口県吉敷郡山口町で出生のとき曾祖父(佐藤信寛)が居合わせ名付親として自らの一字を当てたという。秀助7番目の子が佐藤栄作(三男)であり先ず系譜筋目を釈かないと大戦後の日本が何ゆえこの兄弟を首相に据える必要を生じたのか安倍が首相として何ゆえ朝鮮と向き合う巡り合わせになるのか判明しまい。如何なる家系だろうと凡そ偽造と隠蔽を含むのが系図の設計思想であり遺伝子だけでは解けないのが政体を担う立場で宿命/運命の絡み合いも含まれる。

 公開済の佐藤家伝は市郎右衛門信久に始まり萩藩士(1662)2人扶持で米2石4斗の俸禄とも伝わるが米1石は1人あたりの年間消費量として勘定した時代である。当時の萩藩財政を調べ名目に対する実高ほか公民割合や重出米(かさねしゆつまい)などの算出せず米2石4斗を評価できないが特別手当が付与されていることに疑いはあるまい。即ち信久の素姓を絞り込む事例1つで歴代の職能を時間と空間に絡ませながら具(つぶさ)に追えば基本的な筋目は見極められる。歴代の当主が市郎右衛門か源右衛門を名乗るという佐藤家伝は信介/栄作の曾祖父(信寛/寛作)の代には長州藩士として御蔵元本締役/大検使役など歴任し長沼流兵学を修め維新後は島根県令など任ぜられている。もう1つ信寛に加えておくべき情報は明倫館入学と江戸遊学であり長州藩の藩校に学び江戸への遊学が許された背景は相応の情報を引き出す手掛かりとなる。どうあれ岸信介も佐藤栄作も自らの伝記をはぐらかしても佐藤家伝については余計な手を加えない現実を識れば系譜の重みは心得ていたようである。信介の出生地は前記の通りであるが本籍登記は栄作の出生地と同じ熊毛郡田布施この情報が何を意味するか史家なら見逃せまい。

 遠祖を佐藤忠信(源義経の忠臣)という口伝は作り話でも萩藩士としての信久は確認できる筋があり前記1662年の伝承は疑う必要もない。信寛の幼名は三郎のち寛作とも名乗り藩校に学ぶが明倫館は弘道館(徳川水戸藩)また閑谷黌(しずたにこう)(岡山藩)と並び日本三大学府の1つであり萩6代目藩主(毛利吉元)が三の丸の近くに創設(1718)している。毛利敬親14代目が行う藩政改革は藩校の規模を16倍超に広げるため城下に移転さらに県庁が山口へ移転(1863)すると明倫館は萩と山口に並立することになる。

 信寛は緒方洪庵より年少6歳また吉敷郡の医家に生まれる大村益次郎より年長8歳であり本籍は山口県熊毛郡田布施である。

 大内氏の重臣(陶晴賢(すえはるかた)1521-55)が毛利元就(もうりもとなり)(1497-1571)と厳島で戦い敗れ自刃35歳という物語から生じるのが岸家の祖とは信介らの言である。毛利に荷担する村上水軍は通説3家あり能島(伊予大島)/因島/来島のうち早くから毛利を支持したのは因島家であるが厳島戦での勝利を決したのは元より大内を支持してきた能島家が毛利に寝返るため成立する。戦の前に因島家だけでは戦力不足と睨んでいた毛利は敵(大内)方の能島家を取り込むことで勝利を掴もうと目論んでいた。決戦前の毛利は村上水軍へ約束手形を振り出し周防の屋久島を成功報酬に決済することで両者の取引は成立していた。毛利軍の勝利を決定付けた村上水軍中に朝鮮系帰化で通称「ガン」と呼ばれる男がおり居留地を与えられた。後に田布施周辺の代官を任ぜられ岸(ガン)の姓を許されたが能島家の頭領(武吉)の嫡子が元吉(ガン)と呼ばれたと云う伝承もあり単なる洒落では済まされない根拠も潜ませている。

 安倍寛(かん)は山口県大津郡日置村(現:長門市)の彪助とタメの長男として生まれる。彪助(父)は郡内に旧い椋木(むくのき)家に生まれ安倍タメ(母)と結婚し婿養子となるがタメの生家は江戸時代から続く大庄屋で酒と醤油の醸造を営んでいた。兄(慎太郎)は安倍の家督を継ぐも32歳没という早世で生前は県議会議員(維新1期生)を務め思いを継ぐ寛(甥)は東京帝大法学部政治科を出ると総選挙(1928)を戦うが落選する。再出発は村長/県会議員/総選挙(1937)と順に従い衆議院議員2期の間は金権腐敗と軍閥主義の批判を貫くが戦後1回目となる総選挙準備中に急逝する。因みに議員仲間の赤城宗徳とは公私を超え親交したというが孫らの不甲斐なさと子(晋太郎)の運命に如何なる因果が巡るのか。三木武夫も安倍寛の親友であるが生命図は決して遺伝子だけでは描くことが出来ないことを次の岸/佐藤らを含め証が立てられる。

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 上の系図は最小限のみ表記し他の系譜と個人情報は省略している。信介は5番目の子で二男3歳のとき家族全員が田布施へ帰郷その事由は秀助が県庁官吏を退き田布施で造酒を営むためで信介は中学3年のとき父の生家へ養子入りする。つまり帰郷は信寛に死期が訪れ佐藤家の潮目が変わるときであり信介が養子になるのも本家の松介(伯父)が急逝したとき浮上する問題であり全ては時空の操作に従うほかない話だ。岡山中学2年のとき松介重篤の報せで帰郷する信介は山口中学に転入そして父の生家(岸)へ養子入りする。旧制1高を経て東大法学部法律学科(独法)を卒業/農商務省に就職/北一輝の門下(1930)にも出入りしたと自らいう。農商務省は前記しており商工省時代(1936)の岸は部下の椎名悦三郎を使い自身が満洲国(1932-45)へ赴く前の準備に当たらせている。国務院の実業部総務司長に就任すると産業振興5ヶ年計画の実施に当たるが東条英機/星野直樹/鮎川義介/松岡洋右/岸信介らは総じて2キ3スケと呼ばれ主導的地位を占める。商工次官(1939)/総務庁次長と進み近衛2次組閣(1940)で入閣を打診されるが辞退し小林一三(1873-1957)が商工大臣を務める。同大臣就任は東条内閣(1941)のときで戦時下の経済を扱う元締めに座り翼賛選挙(1942)に際して初の衆議院議員となる。戦況の劣勢(1943)が本格化してくると商工省は軍需省と看板を書き換え東条は軍需大臣を兼務し岸は軍需次官(無任所国務相兼任)に就任する。

 秀助7番目の子(三男)栄作は田布施で生まれ山口中の学友と2人で旧制5高(熊本県)受験へ向け名古屋に泊まるとき同じ目的の忠海中(広島)3人と同宿する。目的を同じくする1宿1飯の袖を触れ合う仲間5人は受験を済ませたあと酒を酌み交わし再会を胸に秘め別れた。これが広島メンバーの中にいた池田勇人(1899-1965)との初対面で通説は奇しき縁というが筆者の辞書にはない後付の理屈である。

 少し学制に触れておきたい。

 1高(東京大学)/2高(東北大学)/3高(京都大学)/4高(金沢大学)/5高(熊本大学)/6高(岡山大学)/7高(鹿児島大学)/8高(名古屋大学)これら旧制高校ナンバースクールと呼ぶ時代があり括弧内は新制改称の際に使う地名つまり学校所在地を示すだけの意味で記した。

 即ち兄(信介)は1高から東京帝大へ進学し弟(栄作)は5高から兄と同じ大学コースを歩み就職は日本郵船を志望したが合格せず松岡洋右(義理の伯父)の口利きで鉄道省に就職した。以後の栄作は終戦まで鉄道畑のみ歩む人生ゆえ戦後パージは免れ上席が公職追放されることで運輸省鉄道総局長官(1946)/運輸次官(1947)の箔を付け民主自由党山口県連合会支部長/第2次吉田内閣の官房長官1年間の在任中に行われる総選挙で初めて衆議院議員(1949-75)に路線変更する。

 田布施は少し前までインターネット上を騒々しく掻き回す明治天皇大室説の発祥地で本来は安倍晋三らが処理すべきところである。古くより「触らぬ神(情報)に祟りなし」という喩えあり岸/佐藤/安倍に限らず神の正体が情報であることを知らない生ける屍は何らの手立てをも講じないまま私利私欲に溺れている。神格(天皇)を人格に落とし込めて恥じない生ける屍の事例一端を示しておくが個人の問題ではなく社会全体が不敬の罪に当たる。先帝両陛下とも宝寿を重ねられ金婚の慶賀を迎えたとき時の首相は黒松の盆栽を贈る法律違反を犯し暗愚重罰の不敬を反省しない。皇室経済法は皇室財産の譲渡も取得も国会で議決されない限りは如何なるプレゼントも受領できない条を定めている。神格天皇は競わず争わず首相を上手く諭す措置で盆栽を返却させたが佐藤無策は再び同様の過ちを繰り返している。後継の田中を案じた天皇は今度は事前に養い/教え/禁じる措置を講じたが生ける屍は未だ跳梁する。

 大室説については張本人の地家康雅(じけやすまさ)が筆者を訪ねてきたので直接たしなめる処方で措置を講じたが独り歩きする情知まで手を及ぼすことは出来ない。仕方なく本稿の筆先なるがまま指摘しておくが筆者も同罪は免れず自ら禊祓を要することは云うまでもない。即ち如何なる個人だろうと政治に独裁という実態は存在しないのであり人は五十歩百歩のなかで競わず争わず常に自ら禊祓を休まず励行しない限り平和は現実とならないのである。


翻訳料金の回収方法
亀さんは翻訳という仕事をしているので、毎年確定申告を作成しなければならない。その時は準備が色々とあり、その一つに取引相手(主に海外の翻訳会社)ごとの売上金の合計を出す作業がある。昨年度の場合は6~7社から、未だ支払いを受けていなかったことが判明したのでメールを送ったところ、2社を除き残りの会社は即座に支払ってくれた。未だに支払いがない1社はアメリカの翻訳会社だが、一緒に仕事をしたPM(プロジェクトマネージャーといい、日本の翻訳会社ではコーディネーターと言う。翻訳者と翻訳を依頼した顧客の仲介を担当する、翻訳会社の社員のこと)から昨秋仕事の依頼があり承った。

ちなみに、その会社のPO(注文書)には以下のように明記してある。

Invoices will be paid 30-45 days from receipt of invoice


当方の請求金額は日本円にして20万円ほどで、実際に請求書をメールで送付したのは、昨年の12月7日であった。しかし、その後支払は行われず、すでに45日以上が過ぎた3月4日、支払いを催促するメールを送信したところ、直ちに処理するという返信メールが同PMから届いた。しかし、それから3週間過ぎても何の動きが無いので、3月25日に再び催促のメールを送ったが、今度は返信がなかった。そこで、同社のCEO(社長)に直接メールを送り支払いを請求したところ、直ちに事が進んだのである。米国時間の遅くとも木曜日中(3月28日)までに支払うという言質を取ったので、後は実際の振込みを待つだけである。PMとでは埒が明かない場合、その会社の社長に直接メールを送るという手段があるので、頭に入れておいて欲しい。

万一、それでも支払いがなかった場合、今度はProZ.comおよびTranslation Directory.Comに報告書を提出する段階に移る。

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ProZ.comの有償会員になると、各々の翻訳会社に対する翻訳者の評価を載せた、「Blue Board」にアクセスできるのだが、亀さんは新規に取引するか否かの判断にBlue Boardを活用している。万一、上記の会社が支払わなかった場合、遠慮なくBlue Boardに会社名と社長名を出し、支払いの約束を破った旨のコメントを書いてProZ.comに一般公開する予定でいる。ProZ.Comは世界で最大規模の翻訳者を対象にしたサイトなので、そこで悪評を書かれると相手の翻訳会社も大きなダメージを受けるというワケだ。

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次の順序として、Translation Directory.Comにも当然報告書を提出する。ここは世界中の翻訳者の駆け込み寺的な存在のサイトである。同サイトの存在は大分前から知っていたのだが、過去13年間にわたり、相手の翻訳会社を時には説得したり、時には脅したりして、結果的には支払は1社を除き無事に行われている。その1社は日本の翻訳会社だが、金額的に大したことがないので放置している(ただし、いずれ時間が取れたら徹底的に叩くつもりだ)。しかし、上記のアメリカの会社以外に、昨年取引のあった翻訳会社で支払が滞っているドイツの翻訳会社だが、ここも金額的に大したことはないので、そのまま放置しても良いのだが、今後続く他の翻訳者のことを考えれば、ここは金額に関係なく近く叩いておこうと思っている。

以上、相手の翻訳会社と支払いを巡って何等かのトラブルが発生した場合、上記のように亀さんは行動しているわけだが、ただし、当然ながら以下をクリアしていることが条件だ。

・相手の指定した納期に間に合わせたか?
・自分の訳文に対して、相手はクレームを付けてきたか否か?(翻訳品質に問題はなかったか?)
・注文書に照らして、相手の支払いが遅れているのが明白か?
・相手が支払いについての明確な回答をしてきたか否か?

朝鮮総連本部を落札した目的…
昨夕テレビを見ていたら、最福寺の池口恵観法王が朝鮮総連本部を、45億円で落札したというニュースが飛び込んできた。多少なりとも、ニュースの深層を物語っているのが以下の記事だろう。
朝鮮総連本部を落札、池口恵観氏の目的は

その中で、以下の行に目が止まった。

朝鮮にとっては、総連を競売で失うということは、在日朝鮮人の活動の重要拠点を失うことを意味します。


しかし、亀さんが複数の国際ジャーナリストから得た情報は逆で、「総連は北(朝鮮)に見放された」というものだ。果たしてどちらが真実なのか、『月刊日本』の常連である池口恵観氏が絡むだけに、色々と情報を収集していきたいと思う。

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『みち』に対する批判
亀さんは一昨年の秋頃、ある山師とネット上で〝口論〟になったことがある。その山師には、ありもしない個人攻撃を色々と受けたが、亀さん自身のことは何を言われても構わない。世の中は目明き千人盲千人であり、分かる人が分かればいいことだからだ。しかし、『みち』に対する侮辱だけは、やはり見逃すわけにはいかないと思うので、敢えて書いておこう。

山師は以下のように書いている。

+++++++++++++
>この「知」と「意」の違いを知りたければ、世界情報誌『みち』の発行人である藤原源太郎氏、同誌の編集人である天童竺丸氏のお二人に教えを乞うと良い。
+++++++++++++
こんな訳のわからない外部勢力の雑誌や人名を突然持ち込み、誰それが犬猿の仲だとわめいたり、これまで一度も登場したこともない栗原氏の名前を引っ張り出 し、何か疑惑がありそうに思わせぶりな発言をすることは、「宇宙巡礼」の使命と何の関係がないとことだ。『道』という名からして宗教かカルト雑誌を予想させる。そんな得体の知れない雑誌を出している人の教えを乞えとは、何という驕慢で狂信に満ちた発言か考えても見よ。「知」や「意」はカルトではなくギリシア哲学が総本家だと知らないのか。カルトの道に踏み迷う者は腐るほどいて、モルモン教の小冊子や『政教新聞』を持ち込み、布教されたケースを体験したので、われわれのミッションに関係ないので中止させたものだ。未だ若かったころは責任者に排除を訴えたし、私が責任を負う立場になった時は、活動を阻害するので追放したものだ。ミッションに無関係な外部の活動は仲間にとって迷惑だし、熱心であるほど分裂活動の原因になりかねないのだ。人はそれを外部勢力の浸 透と言うし、時にはスパイ活動や撹乱工作と名付けている。


いやはや、なんとも手厳しいことを仰る(笑)。

山師がオカルト誌だと思い込んでいる『みち』であるが、そのあたりの真偽は実際に「みち」のホームページで確認すれば済む話だ。それでも山師は、「みち」が〝モルモン教の小冊子や『〝政教〟新聞』〟の類だと、未だに思い続けているのだろうか…?
ホームページ『みち』

いわしげ孝氏、逝く
仕事の息抜きにコンビニに行き、最新号の『ビッグコミック』を買う。家に戻り読み進めていくうち、漫画家のいわしげ孝氏の訃報記事に目が止まった。

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亀さんは同氏の作品が好きで、『ビッグコミック』に連載中だった「上京花火」も毎号楽しみにしていた。しかし、最近は休筆が続き、数ヶ月前に久しぶりに再開されたかと思ったら、直ぐにまた休載…。多分、身体の具合が悪いのだろうと案じていた。だから、今回の訃報に接しても驚きはしなかったが、いわしげ氏とは同世代なだけに、同氏の逝去に一抹の寂しさを感じた。

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ところで、亀さんが『ビッグコミック』で最も注目している連載は、かわぐちかいじの「兵馬の旗」だ。数ヶ月前、徳川昭武が同漫画に登場しており、慶喜公の聡明な弟君として描かれていたので嬉しく思った。近く発行されるであろう、落合(莞爾)さんの〝堀川政略〟第二弾が、これで一層楽しみになってきた。

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南北朝こそ日本の機密
落合(莞爾)さんから連絡があり、いよいよ『南北朝こそ日本の機密』の予約が開始されたという。

腰巻きを見ると、「天皇家700年の秘事、ついに解禁!」とあり、さらに表紙の「現皇室は南朝の末裔だ」が目に飛び込む…。「あれ…? 現皇室は北朝だったはずだが…」と、戸惑いを隠せない読者も大勢いることだろう。ただし、『月刊日本』や『ニューリーダー』を購読し、熱心に落合さんの記事を追っている読者であれば、即座に頷ける話ではないだろうか。

亀さんは同書の草稿を一部拝読したが、その中に以下の記述がある。その中にあるように、新著『南北朝こそ日本の機密』の中で語られている落合説を信じられるかどうかは、偏にシャーマニズムに何処まで迫っているかにかかっていると言っても過言ではない。


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孝明天皇と側近の討議は、わが国が欧州列強に交わり近代国家として国際舞台に立つためには、政体の新しい装いとして立憲君主制の樹立が必要になることで一致します。そこで、これを前提に、古代より続くわが國體を護持しつつ皇室を国際化するには、畢竟(ひっきょう)皇室を表裏に分けて二元化するほかないとの結論に至りました。

なぜなら、國體天皇の本質は、国民国土の安全を祈念する至上の国家シャーマンだからです。シャーマンを今日(きょう)びの民俗学教科書のレヴェルで理解し、拝み屋の一種と看做す(みなす)輩が多いこの頃ですが、國體天皇は本来カミが憑依(ひょうい)するヨリマシ(ヨリシロ・憑代)で、平たく言えばイキガミですから、これに仕えてカミとヒトの言葉を中継する神官すなわち拝み屋のことではありません。

これが「オホキミはカミにゐませば」と詠われてきた本義で、社会科学用語では、宗教的権威と国家権力の分離と謂うのでしょうが、「永遠不動の権威は万世一系たるべく、時宜に応変する覇権は有為転変なるべし」とする國體観念の根底なのです。

大政奉還の結果、政権が京都に戻ることになれば、徳川幕府の本拠だった江戸は廃れて旧(もと)の武蔵野になる虞(おそれ)があります。孝明天皇はこのことを最も憂慮されました。国土均衡の観点からも新政体の帝都は是非とも東京に定めねばならず、また国家元首として政府と皇軍に君臨する政体天皇は、すべからく東京城を皇居としなければなりません。

しかしながら、これでは國體天皇の国家シャーマンとしての霊力に陰りが生じます。山岳信仰の修験シャーマンたちが仰ぐのはわが国の諸名山ですが、その首座は謂うまでもなく富嶽(ふがく)であります。その富嶽の山頂に昇る旭日を大峰山から拝せんとすれば、國體天皇が東京城に動座することは適(かな)いません。これにより、政体天皇が東京城に、國體天皇は西京に座すべきことが必須と認識されたのです。
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関心を持った読者は、この機会に是非、落合秘史シリーズを手にとってみていただきたい。

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ウソ話で固めた昭和の歴史
ブログ[山岸教授の日英語サロン]の「田辺敏雄著『検証 旧日本軍の「悪行」 歪められた歴史像を見直す』を読んだ」という記事で、山岸教授が田辺敏雄氏の著作を絶賛しているのが目に入った。その中に、「朝日新聞、とりわけ本多勝一という記者が戦後の我が国に及ぼした“罪業”の大きさ・深さは計り知れない」と書いてあるのに目が止まったが、昨日亀さんが本多勝一の著作を取り上げたばかりだったので、この偶然の一致には苦笑した。なお、十代の頃の亀さんは本多勝一の著作に影響を受け、20歳の時に実践した45日間・アメリカ・カナダ一周の旅の途中、本多勝一の『アメリカ合州国』にあった、人種差別が根強く残る深南部の本当の姿を知りたく、同地を訪れたことがある。1973年の夏頃だったと記憶しており、今から40年前の話だ。以下は亀さんの当時の旅の記録帳から抜粋。

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しかし、その後は本多勝一、さらには朝日新聞の嘘が少しずつ分かるようになり、次第に本多勝一の著作から遠のいていった。また、拙宅では朝日新聞を長年購読していたものだが、あのサンゴ礁事件あたりから同紙の欺瞞に満ちた記事が目につくようになり、嫌気が差して同紙の購読を止めてから久しい。尤も、亀さんは本多勝一の著作全てを否定しているわけではなく、同氏の『日本語の作文技術』などは、今でも手許に置いて翻訳の仕事に活用しているほどだ。また、朝日新聞の刊行本の中には優れた書籍も多いことは言うまでもない。

さて、山岸教授のブログから田辺敏雄氏のホームページに飛び、サーッと目を通して信用するに足りるホームページだろうと直感的に思ったのも、稲村(公望)さんの音頭を取りで、角田儒郎氏の三部作の発行に向けた校正のお手伝いをした経験が大きい。当時は校正作業を行いながら、目から鱗が落ちる毎日を体験している。そのあたりは、『みち』の掲示板で少し触れているので参照していただきたい。
角田儒郎の著作集

ところで、田辺氏のホームページ[検証 ウソ話で固めた昭和の歴史]から、『検証 旧日本軍の「悪行」 歪められた歴史像を見直す』および『 追跡 平頂山事件 』の2冊を申し込んだところ、打てば響くようにご本人から丁寧なメールが届いたのには驚いた。なんとなくだが、角田儒郎氏の三部作の時に味わった時のような、あの感動を再び味わえそうな予感がしてきた。本の到着が楽しみである。
翻訳で飯を食っていくには…
昨日紹介した亀さんの翻訳関連のツイート、読んでもらえたかな? 翻訳で飯を食っていこうとするシトたちには、必読のツイートなのだ…(バカポンのおやじ風)。
http://twilog.org/fibonacci2010/search?word=%E3%80%90%E7%BF%BB%E8%A8%B3&ao=a

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本当に困ったNHK
ブログ友の飯山(一郎)さんや飄平さんが最近、NHKに向かって吠えている。

飯山さんのブログ[文殊菩薩]では、[神州の泉]というブログ記事を紹介していた。
新しい皮袋を求める堀潤アナウンサー

飄平さんのブログでも…
NHKは市民ではなく、原子力マフィアに肩入れしている!!

と思っていたら、ナント山岸先生もNHKを取り上げていた。
困ったNHK?

亀さんは一時期、所沢市(埼玉県)に住んでいたことがある。当時、本多勝一の著した『NHK受信料拒否の論理』(朝日文庫)の影響を受けていたこともあり、マンションの玄関ドアに「受信費支払拒否」と印刷されたステッカーを貼っていたことがある。そのため、NHKの集金人とは幾度か論争になったし、勝手にステッカーを破られたこともある。現在は自宅に戻っており、実母が世間体がどうのこうのと言うので、仕方なく支払っている。このあたりは、確か同じようなことが『NHK受信料拒否の論理』にも書いてあったと記憶している。本多氏の田舎は信州なので、同氏の御母堂が近所の目を気にするため、仕方ない受信料を払っていたという…。

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過日、「〝敵〟の攻撃」という記事を亀さんは書いたが(以下)、福島原発事故で責任を取らないどころか、原発再開を言い出している原子力村の〝手先〟を、NHKが今後も続けるであろうことは、今日に至るまでのNHKの姿勢を見てきた者として容易に想像がつく。

敵は福島原発で日本の消滅を試みており(「日本の人口の1/3が消える…」参照)、そのあたりの成果が近く出ると思うが、ある意味でTPPは駄目押し的な性格を持つ。


「〝敵〟の攻撃」のコメントでも書いたが、改めて飯山さんの「◆2013/03/12(火) フセイン、カダフィ。次は誰?」という記事を一部引用しておこう。

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  白人支配の凄まじさは、まさに地獄絵図である。

  アフリカは虐殺と戦争で不毛の大地になってしまい…、
  アメリカ・インディアンは絶滅寸前まで追い込まれ…、
  中国は街中にアヘン中毒患者が溢れ…、国家解体。
  日本などは、国中に50基以上の原発をつくられてしまい、
  その原発が大爆発して放射能を撒き散らしても、放置。
  反抗すると、イラクのフセインやリビアのカダフィのように
  抹殺される。豊かだった国は戦乱で疲弊のドン底。
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一方、NHKは海外向けの放送、特に自然・遺産関連では優れたドキュメントを残しており、この点だけはNHKを高く評価したい。

追伸1
ブログ友が、NHKに関する新記事をアップした。
日本の救国に貴重な反骨の若手日本人・堀潤アナを退職に追い込んだNHKはなぜ、これほど堕落したのか
亀さんのデビュー…?
亀さんは「つーほんメール]というメルマガに登録しているんだが、今月の5日に発行された第253号で、「40代以上で勉強中の方、仕事を始めた方、ご協力ください!」という記事に目が止まり、読んでみた。どうやら亀さんもアンケートの対象に入るようなので、まぁ新人の翻訳者の参考になるんならということで、アンケートに協力しても良いという旨のメールを送っておいた。すると忘れた頃にアンケート用紙が送られてきたので、回答を記入して送り返したところ、数日して今度はインタビューされることになった(笑)。まぁ、本当に掲載されるかどうかは分からんのだけど、載るとすれば『通訳・翻訳ジャーナル』2013年夏号(5月21日発売)らしい。

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考えてみるに、アンケートに亀さんは以下のような〝夢〟を書いたので、相手もインタビューする気になったのかもしれないなぁ…(笑)
あと数年で大学生と高校生の息子たちが巣立つので、フーテンの寅さんよろしく、トランクならぬノートパソコンを片手に、再び世界を旅しながら仕事を続けられること(十代のころ、3年間ほど世界放浪生活を送った)。以下の拙記事を参照。  
http://toneri2672.blog.fc2.com/blog-entry-8.html       

それから、亀さんは別ブログで翻訳関連の記事を数本書いている。関心のある人たちは読んで欲しい。
http://pro.cocolog-tcom.com/edu/cat3631693/index.html

また、翻訳関連の話もツイートしている。これも関心があれば一読してもらえれば幸いだ。
http://twilog.org/fibonacci2010/search?word=%E3%80%90%E7%BF%BB%E8%A8%B3&ao=a

ところで、亀さんは日々ブログの更新に努めているんだが、その最大の理由は亀さん家に流れる「反骨精神」という名のDNAによるものだ。だから、亀さん同様に反骨精神が旺盛な、豆乳ヨーグルトの伝道師・飯山一郎さんや、ブログ[つむじ風]の飄平さんらとブログ友になっているわけ。その飄平さんが最近小生の拙記事を紹介してくれた。感謝感激雨嵐~♪
あの【飯山一郎】先生が甲府で吼えた!!

と思っていたら、飯山さんも亀さんのことを書いていた…。まぁ、あれは『月刊日本』の山浦(嘉久)さんに頼まれて、亀さんが飯山さんの尻を叩いたというのが本当のところなんだけどネ…(爆)。
◆2013/03/21(木) ウナギがくれた知恵 (3)

なお、本ブログ以外の場所では、亀さんは「サムライ」で通している。亀さんとサムライというのは結びつかないし、なんとも可笑しな組み合わせなんだが仕方がない。

忘れるところだったが、ブログを書いている理由があと二つある。亀さんの息子(亀さんと同い年の息子のことではない)や同年代の若者への、〝遺言〟のつもりで書いているというのが一つだ。もう一つは、日々ブログを更新していくことで、己れの日本語力を維持・向上させていくところにあるんだ…。
所沢西高の吹奏楽部が応援
東京新聞の夕刊で読んだ。所沢西高校、あっぱれ! 同校の父兄の一人として誇りに思う。

センバツ初出場 いわき海星 所沢西高の吹奏楽部が応援
2013年3月21日 13時53分

 第八十五回選抜高校野球大会に初出場する福島県立いわき海星高校(いわき市)を応援するため、埼玉県立所沢西高校(所沢市)の生徒約百人が甲子園球場に駆けつける。東日本大震災の津波でいわき海星の校舎が被災し、所沢西の生徒がボランティアに訪れたのが縁で交流を深めてきた。初戦の二十三日、所沢西の吹奏楽部員たちはアルプススタンドで友情の音色を響かせる。 (上田融)

 「いわき海星は校舎が津波に遭い、授業ができないままだ」。二〇一一年の夏、所沢西の倉川博教諭(53)はいわき市の地元ボランティアからこんな話を聞いた。生徒にボランティアを呼び掛けると約四十人が集まり、現地でがれきの撤去作業を手伝った。昨夏も約五十人が訪問し、生徒同士の親交を深めた。

 いわき海星から「演奏で支援を」と持ち掛けられたのは、困難な状況の克服などを加味して選出する二十一世紀枠での出場が決まった今年一月末だった。

 いわき海星はもともと水産高校で、音楽の授業もなければ、吹奏楽部もピアノもなく、音楽教師すらいなかった。

 まず、所沢西は甲子園で流すいわき海星の校歌を録音したCDを高野連に届けなければならなかったが、録音済みのCDも譜面も津波で流失していた。OBらが持っていた譜面の一部や、古い録音テープを探し出して、所沢西の音楽教諭が大急ぎで譜面を書き起こした。

 二月十一日から、吹奏楽部六十人以上が演奏の練習を始め、野球部員四十人が合唱に加わった。十四日にCDへの録音を済ませ、高野連に無事届けることができた。倉川教諭は「まさかボランティアから始まった交流で、自分たちがいわき海星の甲子園大会出場に関わることになるとは」と感慨深そうに話す。

 試合当日のアルプススタンドでは、大会行進曲の「花は咲く」や、福島出身のミュージシャンで結成している「猪苗代湖ズ」の「I love you&I need youふくしま」など復興ソングを演奏する予定だ。

 吹奏楽部の玉田尚子部長(17)は「私たちの演奏が選手のみんなに元気を与えられればうれしい」。本番に向け、部員たちも懸命に練習を重ねている。

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いわき海星高校の応援曲を練習する所沢西高校の吹奏楽部員たち=埼玉県所沢市で(上田融撮影)
写真

(東京新聞)

http://www.tokyo-np.co.jp/s/article/2013032190135321.html

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東光ばさら対談 平岩弓枝
今日の「東光ばさら対談」は、平岩弓枝だ。

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近衛直麿の〝ご学友〟に
今 あなたは神主さんの娘さんだね。
平岩 うちの神社(代々木八幡)も神仏混淆だったんですよ。年に一回の大祭、つまり秋祭りですネ、このとき、お坊さんは別当職で参列するんですよ。ああいうふうにすればいいですね。
今 そうです。昔と同じで、別当でいいじゃない。昔は別当職のいる寺を神宮寺というんです。大佛次郎が実朝を書いたんです。それが本になった頃、ぽくがちょうど比叡山から下りて日出海のところに行ったら、ぼくがいるというのがわかって、大佛がぜひ来てくれというんだよ。で、でかけて行って、ご飯ご馳走になっていろんな話をしたとき、大佛が……ま、死んじゃったから言えるんだけども、「僕はどうしてフランス語たんかやったんだろう。なぜ仏教をやらなかったんだろう」と。というのは、実朝を書いたら「別当公暁に殺される」という、その別当がわからないんですよ。それでおれが、それは鶴岡八幡営の別当で、神宮寺があったところは〝神宮寺〟という地字が残っているんだということを教えたんだ。ところで、別当公暁は三井寺系なんです。同じ天台でも園城寺です。そこの阿閣梨になりまして、それで別当職になった。ですから、非常に位が高く、実朝参拝のときにあそこにいようとかまわない……だから首を刎ねることができた……てなことも話したら、「いや、そういうことはわからなかった」と、もう非常にガッカリしちゃって、実朝は書き直したいなんて言っていましたがね。文壇の人は、わりあい神社のこととか、お寺さんのこと知らないですよ。
平岩 そうですネ、特殊世界ですからね。
今 ぼくは神社の人と仲いいし、戦後すぐは原稿を書くわけじゃなし、ヒマだから春日大杜に行ってみんなに易の講義をしたんだ。それが始まりで、三輪さん、橿原神宮、稲荷さん、みんなしゃべりに歩きまわって、お寺は加寺で行くということにしてた。春日大杜の宮司は水谷川忠麿という貴族院議員の男爵で、近衛(文麿)公の実弟なんですよ。ところでナ、秀麿とこの忠麿の間に、死にましたけれども直麿というのがいたの。これを近衛文麿公がたいへん可愛がったんだよ。「あいつはしようがない野郎だけれども、天才みたいな奴だ」って、非常に可愛がった。
そのうちに、私の旧藩主の津軽家と近衛家は古い親戚なもんだから直麿を養子に貰うということになったんです。津軽英麿という人が近衛篤麿公の弟さんでして、そこへ貰われてきた。ところが貰われると、「直ちゃんが文学好きだから東光さんに預ける」って、おれに預けたんだ。その頃、おれも津軽家に預けられていたんでね。
平岩 ひどい人に預けた……… (笑い)。
今 それだもんだから、これが騒ぎでナ、吉原へ連れて行く、ね。そうすると、牡丹の丸の縫い紋の御召しの羽織に、御召しのゾロッとした袴で白タビね。おれは、なるべく素姓をバラさないようにしてましたけど、なにしろ牡丹の……。
平岩 わかりますね。
今 そうすると、おカミさんだの亭主が出てきて、米つきバッタみたいにお辞儀して、おれまでご学友になっちゃって、おれ、モテちゃうんだよ、オイ。だから、つい連れ出すというようなもんだ。津軽家と近衛家が親戚になったってのは、その昔、びっこでめっかちという近衛の娘が津軽へ貰われてからなんだ。
だからおれは直麿に、「そういう悪いのをおまえンとこでおらアのところの殿さまにくれて、おれら家来はひどい目にあったんだ」と言うと、「だって、しかたがないでしょう」なんて言いながら、おれの行くとこ、どこでもついてくるんだよ。
だけど、歌もうまかったし、文章もちょっと面白かったんですよ、永井荷風が好きで。だから、近衛家ではこの人が一番面白かったですよ。文麿、秀麿、直麿、忠麿となるんですけども、直麿は無位無官ですよ。直麿は行くとこがないから兄貴の秀麿のオーケストラに入りましてフレンチホルンを吹いていたんだよ。「文学どうしたい?」といったら、「荷風のような小説、書けない」、「おめえみたいた若いのが荷風みたいなの、無理だよ」といったけれど、荷風のような題材じゃないと意欲が起こらないっていうんだ。
とにかく直魔はそんなわけで、オーケストラの稽古をしていて、昼どきになると、今の銀座の小松ストアーの前身の小松食堂にカレーライスなんか食いに行くんだ。そのうちに、そこのエプロン掛けた女給を好きになっちゃったのよ。で、おれのところに「どうすべえ?」って相談に来たんだ。「どうすべえって、これはもう、やっちゃうよりしようがねえじゃねえか、好きなら」、「やっていいでしょうか」―――
平岩 ウフフフ。
今 それはもう堅気だけど、やっていいだろうと言ったら喜んじゃってネ、おれの許しが出たというんでね(笑い)。おれの娘じゃねえけど、ともかくやっちゃったのよ。ところがナ、シロウトの娘だから、やられたらなおさらへばりつくというようなもんだ。どうせ浮気で、悪くても金で解決がつくだろうから「やっちゃえ、やっちゃえ」って言ったのよ。
平岩 先生、悪いんですね。
今いや、悪くないんだよ。結果はいいんだから、まあ、聞いてよ。平岩さんに聞かせると、「あら、それひとつ、芝居にしましょうか」なんて言うかも知れたいけども……。結婚する気になっちゃったんだ。だけど、やっばり宮内省の許可を受けなけりゃいけないんだよ、いくら無官の大夫敦盛といっても…。でもナ、さすがに文麿さんだ。「直が好きならいいだろう」といったよ。それで、女のコの親に直麿が会う段になったんだ。「それじゃあ、話すべえ。親父、何してんだい?」と訊いたらネ、本所の横網河岸の車屋の娘だったんだよ。
平岩 ほーっ。親方の?
今 いや、親方から借り賃払って借りてる車引きで、貧民窟みたいた長屋に住んでんだ。それで、「貰いたい」といったら、「こんな阿魔はどうでもいいんだ。口べらしになっていいから、おまえさんが貰ってくれれば結構」だと……。「近衛直麿です」というと、「ああそうかい。何麿でも何でもいいよ」と(笑い)。文盲の江戸っ子のひどい奴だから、親父はなにもピンとこないんだよ。直麿も、気さくな親父だといって喜んじゃって、それで二人は付き合っていたんだ。
平岩 へーえ!

平岩好みのラストシーン
今 横網河岸をしょっちゅう巡邏するお巡りがある日、親父に会ったわけだ。「親父、働いているか」、「へい、相変わらずでさあ。ま、呑みしろが足りないけど」、「娘どうしたい」、「やっばり勤めていますよ、銀座に」、「バカだなあ。早いとこナニしないと悪い虫がつくぞ」、「いや、もう心配ないんで……。もう嫁に行くことになりました」、「ああ、それは結構だ、どんな野郎だい?」、「その野郎はこういう顔付きで、こんな野郎だい」、「職業は何だい」、「なんだかね、外国のラッパかなんか吹いてんですよ」、「こういう、真っ直なラッパか?」、「いや、丸いやつで……」とかなんとかね……ま、お巡りと車屋の話でしょう、フレンチホルンなんていったってわかりゃしねえんだから(笑い)。で、「その野郎、なんていう名前だい?」、「近衛直麿」、「なにッ?コノエ? その野郎は、インチキ野郎だぞ。これはおまえの娘、タラしているんだ。華族さんだぞ、それは」、「いや、華族のようなカッコしていないよ」、「それはえらいことになっちゃった、おまえとこの娘、傷モノになっちゃったぞ。今度、おれに教えろ。しょっ引いてやる」というわけで、親父と二人で相談になっちゃった。―――そんなことを知らずに、直麿はノタリノタリと行ったわけだ。
それでカァちゃんが「来たよ」てなことを親父にいうと,「ああ、そうかい」というなり裏から飛んで行ってお巡りに「ダンナ、来たぞ」、「ヨーシ」というんでやってきて、「おまえ、誰だ」、「婚約者です」、「ウソつけ、この女たらし野郎。何て名だ?」、「近衛直麿です」、「いよいよ怪しい。問答無用だ、ちょっと来い」と、署に引っ張っていっちゃったのよ。
そして司法主任に、「この野郎、華族の名前で娘をたらしてる。ほうぼうに被害があると思うんです」、「いっぺん、ブチこめ」というんで、留置場行きさ。
そうしたら直はビックリしちゃった。司法主任に面会だといって、「おれは目白の近衛家のものだから、ここへ電話して直麿というのがいるか、家族を呼び出して確かめて下さい」と言った……お巡りよりも司法主任の方がチイとはましだから、そう言われると確かめなきゃいけないと思ったんだ。それで司法主任自身が目白に電話かけた。「おたくに近衛直麿という若君がおられますでしょうか」、「おられます」、「おいくつで、お顔や、お召し物は?」、「髪はこういうふうにして、面長で、ちょびヒゲをはやして眼鏡をおかけになって羽織はこうで、牡丹の丸の縫い紋で……」といっているうちに司法主任、ブルッてきた。これはえらいことになってきたと(笑い)。
平岩 今だってギョッとしますけど、その時分だとたいへんなことですね。
今 それで、「さようでございますか。おたくの若君のお名前を名乗ったような怪しい奴をちょっと耳に聞いたものですから……」とか何とかごまかして電話を切って、そのお巡りを呼ぶなり、「なんだ、パカヤロー! あれはほんとの若様だ、すぐ出せ!」って。
それで娘の親父が急いで車持ってきて、それにわが婿を乗せにきたよ(笑い)。
平岩 (笑いながら)芝居になりますね、ほんとうに。
今 初期の新派だよ。それで家へ帰って、娘に「ああ、よく生け捕った。てめえ、大したものを生け捕った」って喜んでるんだ(笑い)。それが奥さんになったんです。
平岩 きちんとハッピーエンド!
今 えらいもんだよ。自分はその後、満州国で死にましてね。妻君には宮内省で雅楽を勉強させて、キチγと教育しました。
平岩 事実は小説より奇なり、ですね。
今 おれが言うと作り話みたいだけれど、歴史の中の面白い一コマだよ、オイ。場所が隅田川を背景にして、本所の横網河岸に車が何台か並んでいる。親父が「へい、いらっしゃい、どこまで?」というようなことで走っている。留置場から出てきた婿乗せて(笑い)。
平岩 ラスト・シーンとしては、まことにいいですね。花道、それで引っ込んじゃっていいんですもの。
今 平岩さんじゃなくて、井上ひさしに聞かせりゃあ、すぐ使っちゃう-…。ところで、平岩さんのところというのは、平岩さんで何代目なの?

とんだ喜劇に始まる文学修行
平岩 平岩というのはとても古いけれども、変なんですよ。両養子、両養子みたいですね。私はひとりっ子ですけど……。平岩家はもともと、平岩七之助が徳川の家来でしょう。それから父が育ったのは矢島という家でして、これはやはり徳川の乳母さんで、「矢島の局」というのがいますが、あれの家なんです。
今 それじゃあ、みんな三河やな。
平岩 ええ。それでまったく偶然に矢島家から平岩家に養子に来たんです。
今 それで神主さんだったの?
平岩 矢島の家は神主になっちゃったんですよ。結局、御一新で。ですから父のおばあさんという人は、屋敷が桜田門のそばにあった関係で、乳母さんにだっこして窓から眺めていたら、井伊(直弼)さんが殺されて、みんな雪の中を逃げてきたんですね。その話を父は、よく聞いたと言っていました。矢島家というのは、それこそ三太夫みたいな家老に「何でも、よいようにいたせ」みたいなことを言っていた、結局、典型的なパカ殿さまなんですよ。だから御一新でみんなとられちゃって、それで鳩の森神社がありますね、あそこの神主になっちゃったんですよ。父はそこの長男に生まれたんですけれども、親父が早く死んじゃって、姉が結局養子をとって跡を継ぎまして、長男としてはまことに困りまして平岩家に養子に来たんです。私はそこで生まれたというわけです。
今 あんたんとこ、代々木八幡だろ。
平岩 ええ、なんというんですか、お宮というのは世襲なんですね。それでどうしても神主のとこの娘が神主のとこに行くということになりますね。ですから、あの辺一帯、全部親戚なんです。十二社の熊野神社というのがありますね。あれは父の姉が嫁にいったところたんです。それから北沢にある北沢八幡というのは父の弟のところなんです。そういうふうに、みんななんとなく……。
今 神主というのはね、簡単になれるもんだから、ことに戦後、華族がみんな神主になったんだよ。ところで、あんた、いつごろから小説書き出したの? 誰かについて習ったのかい。
平岩 私は文学少女じゃないんですよ。それがどうしたわけか、長谷川伸先生の門下になっちゃって
今 あれっ!あんた、長谷川伸門下かい。
平岩 そうなんです。
今 それじゃあ、村上元三なんかとは兄弟弟子か。
平岩 兄弟予になります。
今 するてえと、南京虫みたいなツラをした山岡荘八も兄弟子かい(笑い)。
平岩 山岡先生は私の親父とおない年なんです。村上先生は私の姑とおない年。戸川幸夫先生と私の母親とおない年。ですから先生方は、私の前では年を隠せないんです。小説書いたのは二十五歳のときで、直木賞は三つ目なんです。だから、どうにもならないの。そのときは、長谷川伸先生にいて一年半目でした。
私の親友に勧業銀行頭取だった中村一策さんのお嬢さんで〝お神酒どっくり〟というあだなのザックパランな、さばけた人がいるんですが、彼女といっしょに私は西川流の踊りを赤坂で習っていたんです。踊りの師匠になるつもりでネ。続けていたら、こんなに太らないですんだでしょうけど…-(笑い)。でも、私(手先なんか無器用でしょう。「あんた、女子大で何してたの?」って訊かれたから「演劇の脚本やってました」って答えたんですけれども、今先生、実際は何をやっていたと思われますか?―――脚本のカットなんです。「修禅寺物語」を上演するときに、頼家が桂といっしょに歩いてはいけないんです。あの河原のくだりはラプシーンですから。そこでお年寄りの先生が、「あそこは遠慮なさいませ」たどと注意して、「ハイ」(笑い)、それが私の役なんです。それを、カッコ悪いから「脚本やってた」と言ったんです。
私の親友は、ものすごく早呑みこみの娘でして、お父さんに「何でもいいから、作家を彼女に紹介して」と頼みこみ、そのお父さんというのが銀行屋さんですから文学のブの字もわからなくて、作詩家の先生ぐらいしかご存じなかったので、まわりまわって、戸川先生に紹介されたんです。
今 めずらしいケースだな。
平岩 まだ先生は毎日新聞にいらした頃で、親友と私が訪ねて行ったらコーヒーを飲みに連れていってくれたわけです。彼女は紺のスーツを着てちゃんとしていたんですが、私はフレーヤーのいっぱいあるスカートはいて、この辺(胸)にリボンをつけて……。私が黙っていると、彼女は子供のときからの親友ですから、私になり代わって何でもしゃべってくれるんです。彼女はコーヒー飲んで、私はソフトクリームをペチャペチャ食べてました。
戸川先生が、「とにかく当分、何か書いたら持ってらっしゃい」と彼女に言ったの。そうしたら彼女が私に「ネ、わかった。書いたら持っていくのよ」って。戸川先生、びっくりして「ちょっと待ってくれ。どちらが中村さんのお嬢さんなんだ」と言われたんで、彼女が「私です」と答えると、「それじゃ、文学やりたいというのはおまえさんか」と、そのときの戸川先生の顔、忘れられないの(笑い)。ほんとにガックリして、嫌になっちゃったらしくて……。
でも、私はクソ真面目で、あきらめもしないで行ったんですね。それで、最初は先生の原稿の清書をしていたんですが、だんだん門前の小僧で書き出したんです。
今 ふーん。

世界の偉人になりそこねた
平岩 直木賞を貰ったときも、彼女と私は同じようた現象おこしたんです。文芸春秋へ行きまして、私はカッとして何もわからないから黙って坐っていて、彼女がみなさんの質問にスラスラ答えてくれていたんですが……。あとで、私が平岩弓枝とわかって、「写真が無駄にたった」って怒られてネ(笑い)。
今 それは痛快だ。戸川さんのところに行ったのは何年頃?
平岩 昭和三十年。お目にかかってガックリされてから四年目に直木賞です。私、文学少女じゃなくて、人の書いたのはいまも一生懸命みますが、自分で書くのは嫌い。賞をもらっても、実際にちょっと信じられない感じがしますね。
それからなんというんでしょうね、いまだに実感がないんです。だからとてもだめですね。私はどうしてこうだめたんだと思うぐらいだめです。素人なんです。戸川先生は昭和二十九年の受賞だったと思います。
今 おれはたいへん遅くて三十一年か。売れ残りの賞をくれやがって、おれ、行かないんだ。かわりに弟が行った。そんなことじゃないかというんで(佐佐木)茂索だの、川端(康成)だのがみんなで仲間だけで祝いをしようといってやってくれたんだ。
そのときに、議論してまで一生懸命おれを直木賞に推薦してくれた吉川英治がやってきて、おれ、初めて会ったんだよ。祝いの席で何を言うかと思ったら、「今東光さんという人は賞をとってもとらなくても同じようなもんだ、騒ぐことにおいては。ほんとうは、このへんな男につれ添ってきた奥さんを表彰すべきだというんです。そのときまでは吉川英治に会ったこともなかったし、長谷川伸も知らないんだ。あんた、長谷川伸のところでは何やってたの?
平岩 月に一回、先生の家に門下生が集まるときに行って坐ってお茶番しましてね。なにしろ、お宮のひとり娘で、世間知らなくて、可愛かったんでしょうね。やせていましたよ。でもネ、太り出して、もう踊れなくなっちゃうからって〝鷺娘〟を踊ったんですよ。西川の〝鷺娘〟って、瀕死の白鳥みたいな振りがついていて、最後に死んじゃうんですよ。でもネ、踊り終わって挨拶に行ったら、家元が「瀕死の白ブタ」だって(笑い)言うんです。口が悪いんですよ。
先生、私がお嫁にいく前に、ごいっしょに大阪に講演に行ったときのこと、覚えていらっしゃる?
今 そうだったかな。
平岩 あのとき、伊丹からいっしょに車に乗ったらデモで動かなくなって……。そうしたら先生が大音声で、「このバカども、やめろッ」って怒鳴るの。学生がのぞきに来て、「あ、今東光だ。坊主が乗ってる」と大騒ぎしたけれど、先生、少しもあわてずに「バカども、やめろッ」って。やはり、〝格〟というものを感じました。でも、こういう人に連れ添ってきた奥様、ほんとうに偉いと思うわ。
今 うちのカアちゃんは、もう、たいへんた平岩ファンなんだ。平岩さんのものは逃さず見てますよ。
平岩 目から火が出るからやめて下さい。
今 うちの家内に言わせると、あんたとか、有吉(佐和子)だとか、瀬戸内(晴美)とかいうと、「同じ人種かいな」とビックリするんだナ、才能があるんで。おれは音楽好きなんで、ヘタでもいいから歌えるヤツ貰いたかったんだけど、おれんとこのは〝おしゼミ〟で、君が代ひとつ聞いたことねえんだ。まあ理想としてはピアノなんか弾けて歌えるの貰いたかったけど、オイ、おしゼミだよ。おれんとこのパパァというのは歌舞音曲に縁のないクソパパァでね……。
平岩 あんないい奥さんにそんなこと……。
今 いや、おふくろだよ。このババアが八十八まで生きやがって、おれを苦しめやがったバパァで、あんな悪いバパアはあとにも先にも見たことないよ(笑い)。
平岩 先生のは毒舌でも愛情あるから……。
今 いや、愛情なんてねえんだ。おふくろと闘うためにこうなっちゃった(笑い)。うちの親父というのはオシじゃないかと思うほどモノを言わない人で、おふくろがうだうだ言っても何も言えないんだ。酒も呑まない、煙草も吸わない、肉食もしないっていう、聖者みたいな人でしたよ。今船長というと、インドでもバラモンの人とかタゴールと付き合いのある聖者ということで尊敬されてましたよ。このタゴールがノーベル賞貰った金でベンガルに学校こしらえたんだ。親父が「うちに、しようがない小僧がいる」と話したら、「じゃ、ペンガルの学校に入れろ。預かるから」と言うんでうちに帰って、そのことを話した。おれ、もう喜んじゃってね。そしたらババアが、「虎を千里の野に放つごとく、何をやるかわからないから絶対にだめ」だと。
平岩 うまいことおっしゃるわね。いらしてたら、先生どうなってたでしょうねえ。
今 世界的に偉くなってたかも知れねえ。惜しいことをした(笑い)。

興味つきない謎の水軍史
平岩 ところで先生、私、「新・平家物語」の脚本書いてて、後白河法皇のところなんて、フッと今先生を連想するんですよ。別に先生が権謀術数に富んでいるっていうわけじゃないですが(笑い)。あんなずるい人いないと思いますが、とても魅力ありますね。
今 義経と頼朝を喧嘩さしたのもあの人だ。本来なら頼朝が貰うべき伊予の荘園なのに、義経を伊予守にしちゃって。もっとも、弁慶はそのとき、諌止してますがね。畠山にしても、梶原にしても、和田にしても、みんな義経がいかんということになったのは、この伊予の問題なんです。
平岩 相手が上手だったんですね。大人と子供ほどの違いじゃないかと思うほど。先生、義経が奥州に逃げるとき、水軍を使っていますね。私、水軍の歴史がとても好きで、そこから「鎌倉三国志」(平岩さんの小説)も思いついたんですが。
今 北上にまで水軍が逆上った船着き場の跡があるんだよ。だから、遠く西国の水軍とも連絡があったんだ。義経があんな遠風りをして北陸を通ったというのは嘘ですね。淡路から熊野、熊野から新宮、新宮から遠州灘を通って坂東、そして香取へとくると、もう平泉の水軍と交通路が拓けている、といった具合にね。
平岩 私は八幡神杜というのは八幡からきて水軍の関係があるんじゃないか、基地になっていたんじゃないかと思ったんです。例えば熊野の杜領というのは九州の日向のあたりにすごく多い……。
今 それと宗像な。
平岩 宗像も行ってきたんですけれど、ほんとに面白いですよ。沖島ですか、女人禁制で入れてくれないけれども、奈良朝廷があそこに対して、すごく気をつかっていますね。そういうふうに調べていくと、日本史のイメージを動かしているのは、もうほとんど水軍の力で、すごかったなあという気がします。
今 もうチイと「鎌倉三国志」の話をしておくれよ。
平岩 あれはうちのお宮の話なんですよ。公暁の話になりますが、実朝が公暁に殺される前に、頼家が修善寺で殺されますね。そんな関係で、近習十三士の墓が修善寺にあるんです。その中の一人に近藤三郎是茂という人がいたんです。そのまた家来に荒井外記智明という人がいまして、後年、智明法師と名乗るんですが、私もなんかいいかげんな調べ方ですけれども、頼家があそこに逼塞している間に、結局その側近たちは三浦氏を動かして、なんとか頼家をもとに戻そうと、だいぶ画策したらしいんです。そのために、その荒井外記という人物は三浦氏のほうに使いに行ったらしいんですね。その留守に、近藤三郎以下、全部殺されちゃったんです。
残った人たちは鶴岡の坊さんたちと連絡をとりまして、それがこんど公暁を盛り立ててたんとかやろうということになったらしいんですね。ところが、その公暁が、自分たちの忠実な手じゃなくて、ついに北条氏にうまくあやつられちゃって、実朝を殺してしまったんですね。
あの時点で、もう彼らの考えていたことは全部画餅に帰しちゃったものですから、荒井外記はガッカリして出家しまして、鎌倉を逃げて武蔵野へ来たわけです。代々木野というところは、昔、鎌倉と地形がとても似ていたらしいんです、そこへ来て庵を結んで坊さんになったわけですが、ここから先がお宮の縁起になり、私の親父の専門分野になるんですよ。
私は代々木野に来たというところまでがちょっと面白かったものですから、それをヒントに……。それと、私はどうも鎌倉と京都の争いで後ろにからんでいたのは水軍だというふうに判断して、それを織りこんでこしらえた、ま、歴史小説の端くれなんです。
今 それは面白いや。とにかくその水軍は日本の歴史の中で大きな比重をもっているんだけども、どういうわけか歴史家は見ないんですよ。
平岩 見ませんね。歴史家の書いたものがないんです。ですから、私が当たったのも全部、神社仏閣の、いわゆる御神宝になっている古文書です。
今 おれ、船乗りの伜だろ。だから、水軍のことなんか、すごく興味あるんだよ。日本はね、帆掛け船というのしか発達しねえんだ。徳川時代まで一枚の帆でやってきて、西洋のようにいくつも帆をたてるという発達をせずじまいだったんだ。映画に出てくる四本マストのはクリッパー・スクーナーっていうんだよ。ついでに、ちょっと学のあるところを教えとくがね、イギリスなんかまだ沢山のスクーナーが残っていて、それに金持ちが人間のかわりにウィスキーを何百樽も積んで世界一周させるんだ。そうすると、波で揺れるからよく練れた最高のウィスキーになるんだ。
平岩 ほんとですかあ。
今 いや、白洲次郎に訊いてごらんなさい。あいつのとこにその酒があるって自慢するんだ。
平岩 やることのスケールが違いますね。

テレビをやってよかった…
今 平岩さん、あんた、テレビの脚本やっているのにちゃんと小説書いてえらいね。いつごろからテレビに関係するようになったの?
平岩 石井ふく子さんという、伊志井寛さんのお嬢さんがいますね。あの方に、十一年ぐらい前に目をつけられちゃったんです。私なんか、中途半ばでダメたんですけれども、いろんな意味で、私、テレビやってよかったと思います。
今 視聴率っての、気にするかい?
平岩 「ありがとう」にしても、「肝っ玉かあさん」にしても、私は数字がわかんない人間だから、まわりで「いいのよ」っていっても、「フーン」というぐあい。私、ほんとは去年、「ありがとう」を終わった時点で、テレビやめるつもりでいたんですけれども、やっばり理想と現実は違いますね。
今 NHKというのはバカだな(笑い)。あれはパカだよ、おれは愛想つかしているんだ。あんた、NHKの悪口言うと、何かさしさわりあるの?
平岩 いえ、私は何を言っても平気ですけども、民放と違うとこは、やっばりお役所だっていうことです。それから、これはテレビ局全体にいえることなんですが、どんなに有能なディレクターがいたとしても、ある年齢がくると管理職にされちゃって判コ押してなければならないの……可哀相ですよ。それよりも先生、仕箏といえば、これからの先生のお仕事として、どんなものをお書きになるんですか?
今 ことしでもう三年、「蒼き蝦夷の血」を『歴史読本』に連載しているんだけど、人が残していない東北の歴史1なかんずく藤原三代に材をとったものを書きたいんだよ。
平岩 さきほど先生は、神杜の人と仲がいいとおっしゃいましたが……。
今 ウン、ぼくは深川八幡の宮司の富岡さん、それから神戸の湊川神社の宮司、みんな仲がいいんだから。だからおれ、こんどはひとつ神主になろうと思うんだよ。むずかしい試験は嫌いだけど、おれに祝詞を書かせろと。
平岩 先生がお書きになったら、すごい祝詞ができますよ。
今 いま神主さんで京都でも祝詞書けるといったら八坂神杜の高原さんか……東京にも十人くらいか。
平岩 いないですね。うちの親父の祝詞は優秀ですけれども、これは一匹狼的祝詞ですから通用しませんけれども、祝詞書ける人、ほんとにいなくなりましたね。
今 祝詞をぼくらの仲間で書けるのは、ぼくを除いては京都の保田与重郎だ。おれに「先生、祝詞書けるの~」って訊くやつがいるんだよ。「バカいえ、おれは春日大社の水谷川の代理で書いていたんだぜ」って言うんだ(笑い)。
平岩 先生の祝詞は、ほんとにすごいと思うわ。
今 とにかく、おれを神主にしてくれたら日光に乗りこむ。それで、おれと東照宮と仲良くなれるでしょう。東照宮と輪王寺の百年訴訟といったらな、幕あきは家康のタヌキ親父からきてんだから、それを喧嘩することないだろうって、おれはいままで両方に言ってきたんだよ。だから、ほんとは両方兼ねるといいのよ。
平岩 そうですね、昔みたいに別当職……。
今 ぼくが東照宮の宮司になって、輪王寺の門跡になりゃあな、もう。

平岩 先生、ぜひおやりになっていただきたいですわ。いまからだっておそくないですよ。
今 いま七十五じゃ、もうおそいよ、オイ(笑い)。


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美輪明宏の「肝っ玉」
このブログでも幾度か取り上げたことのある、美輪(明宏)氏の勇ましい記事が紹介されていた。
中曽根康弘の「海軍魂」に「竹槍」一本で立ち向かった美輪明宏の「肝っ玉」

筆者は佐高信氏で、亀さんの好きな評論家の一人だ。同氏は左翼の代表誌である、『週刊金曜日』のコラムを担当しているのだが、その『週刊金曜日』は右翼の代表誌とも言える『月刊日本』と、2009年4月8日に共同で講演会を開催している。「貧困とテロ、クーデター」というテーマであり、道友がビデオに撮って一般公開している。



話を戻して、佐高氏の記事を読み、丸山氏の中曽根元首相に対する、以下の言葉が印象に残った。

 「自分の同僚を見殺しにして、おめおめと帰って来て、腹も切らないでのうのうとしている。そういう面汚しの厚かましいのが海軍魂なら、私は知らなくて結構です」


昨日、家の墓参りに行ってきたが、新しい碑が路傍に建っているのに気付いた。昭和20年9月に自刃を遂げた飯能市の軍人某とあった。それだけに、上記の丸山氏の啖呵が、亀さんの心に響いたのだ。

後に、丸山氏は以下のような止めの言葉を吐いた…

 「男の風上にも置けない。てめぇ、キンタマついてんのかですよ。たかが芸能人風情に対してね」


ウ~ン、全く以て同感だね。


鳶が鷹を生んだぁ~♪
以前、NHKの「とんび」というドラマ番組を見たことがあって、簡単な内容を下の息子に話したことがある。

そんなことも忘れていた今年のはじめ、何処かで見たことのあるようなシーンの番組を下の息子が見ていた。録画しておいたのだという。何となく惹かれる番組だったので、小生も一緒に見ているうちに、それがTBSの「とんび」だと気がついた。

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下の息子は未だ高二なのに、「とんび」のような大人びた番組を見るのも、藤原(源太郎)さんの影響があるんだろうなと思った。毎月開催されている「まほろば会」で、藤原さんが参加者に必ずかける言葉がある。参加者Aさんに対しては、「おぃ、第二子はまだか、早く作れ…」、参加者Bさんには「おぅ、天才!」、そして亀さんには「鳶が鷹を生んだぁ~♪」である。

二人の息子を時折「まほろば会」に時々連れて行ったことがあるが、ドラマ「とんび」の父親「ヤス」という、「天下無敵のバカな男。学歴がないのはもちろんのこと、不器用でカッとすればすぐ手が出るという絵に描いたようなバカ」が、亀さんのイメージと重なるのだろうし、一方で真っ直ぐに育ち大学に進学した息子役の「アキラ」が、亀さんの息子を藤原さんに連想させたのかもしれない。ともあれ、ヤス役を演じた内野聖陽が以下に述べているように、TBSの「とんび」もNHK同様に良いドラマだった。

「今作は、昭和に生きた父親像が、平成の時代にどれだけ力強く何かを投げかけられるかが、勝負だと思っています。今の時代の雰囲気に擦り寄らず、徹底的に本気度丸出しで演じてゆこうと思っております」



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81歳の卒業式
今夕の東京新聞に心温まる記事が載った。若い頃、事情で中学校を卒業できなっかた81歳のお婆ちゃんが、ナント中学校を卒業したのだという。さらに、これから高校に進学するというのだから本当に頭が下がる。
夜間中学 81歳卒業の春 川口-荒川2時間かけ登校

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以下は、オマケ。卒業式のシーズンだけど、マンガのように亀さんも親としてそうだったよ…。

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真言立川流と今東光
最近、今東光と会ったことがあるというジャーナリストが、「今東光は、立川流だったのではないか…」と、亀さんに語ってくれたことがある。亀さんの立川流に関する知識は、黒須紀一郎の著した『婆娑羅太平記』(作品社 全六巻)に限定されているのだが、「非常に艶めかしい宗教」という印象を当時は受けた。常識的に考えれば、天台宗の大僧正であった今東光が、実は真言立川流だったなどと言えば、「お前、アホか!」と言われるのがオチだ。

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しかし、他例を挙げれば孝明天皇の死亡原因説のように、痘瘡に罹り慶応2年12月25日に崩御されたという通の他、毒殺説だの刺殺説だのといった説もあり喧しい。確か、明治天皇の玄孫である竹田恒泰氏は毒殺説を採っていると、落合(莞爾)さんに聞いたことがある。ちなみに、亀さんの場合は痘瘡説、毒殺説、刺殺説のいずれも支持しておらず、落合さんの主張する〝御隠れ説〟が最も真実に近いと思っている(ここで言う〝御隠れ説〟とは、実際に貴人が逝去したという意味ではない)。このあたりの詳細は、『月刊日本』に連載中の落合さんの筆による「疑史」を参照されたい。

ともあれ、今東光=立川流説は、言われてみればなるほどと合点のいくことが多い。これで、今東光研究のテーマが一つ増えた…。なお、ご参考までに以下は「Yahoo! 智恵袋」にあった、立川流に関する質問の回答である。

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http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1427326789

以下は、チベットのヤブユム像。

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沖縄の心 2
2月25日に紹介した拙記事「沖縄の心」であるが、先週末に沖縄対策本部の運動に関わっている道友に会い、同本部の運動理念についての説明を受けた。以下は、運動理念の骨格を示した同本部の資料である。

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より詳しくは、直接以下の三本の記事を参照していただきたい。
沖縄祖国復帰を実現に導いた昭和天皇の「潜在主権方式」のご提案(前編)
沖縄祖国復帰を実現に導いた昭和天皇の「潜在主権方式」のご提案(中編)
沖縄祖国復帰を実現に導いた昭和天皇の「潜在主権方式」のご提案(後編)

70年安保で左翼運動をやっていた人たちが大量に流れ込んだことから、現在の沖縄は左翼的な雰囲気が強くなっている。だから、「昭和無責任男=天皇裕仁の遺産としての沖縄問題」といったことを臆面無く書く、「社会科学者の時評」と称するブログ等が、今日に至っても大手を振ってまかり通っているのだ。
昭和無責任男=天皇裕仁の遺産としての沖縄問題

こうした左翼(より正確に言えば、似非愛国者。左翼の中にも立派な人物が大勢居る)の影響で、戦艦大和が沖縄に向かったのは〝沖縄を攻撃するためであった〟と頭から信じている人たちが出てくるまでになった。そこで、このままではいけないということで、漸く一部の人たちが立ち上がり、活動を開始した。現時点で活動している保守派のグループは2~3を数えるのみだが、本当の沖縄の心を伝えていると思って良い。どうか、再度以下のビデオをご覧戴き、本当の沖縄の心を知って欲しいと、心より願っている。


【沖縄対策本部】沖縄に現れた若き愛国ヒロインのスッキリする名 スピーチ

ところで、上の動画の我那覇真子さんだが、きたる5月12日14:00p.m.、文京区民センターに登場する(会費1000円)。事前連絡不要とのことであり、この機会に顔を出してみては如何だろうか。

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〝敵〟の攻撃
亀さんは過日の拙記事「皇太子殿下の祈り」で、以下のようなことを書いた。

宗教学者の山折氏ですら上記のような記事を書くように至ったのだから、本当に〝敵〟の工作は見事としか言いようがない。

実は昨日、世界戦略情報誌『みち』の読者の集いが開催され、亀さんも顔を出してきた。そして、印象に残ったのが『みち』の発行人である藤原(源太郎)さんの話であり、世界はまさに〝大転換期(人類の大きな曲がり角)〟を迎えつつあり、日本もその真価が問われつつある、というものだった。

冒頭の引用で亀さんの述べた〝敵〟のソフト面での攻撃は、皇室の〝乗っ取り(TOB)〟若しくは〝崩壊〟であり、山折哲雄氏のような真面目な学者を〝利用〟して、あのような記事を書かせた手腕は流石である。そして、同記事を掲載した『新潮45』三月号への抗議も皆無に近く、猛烈な抗議の嵐を予想していた『新潮45』編集部も拍子抜けしたらしい。〝敵〟も、前回デヴィ夫人で失敗したことに、懲りたのだろう(笑)。

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一方、〝敵〟のハード面での攻撃は、以下の東京新聞の紙面が示すTPPであり、日本という国家そのものの消滅が究極の目標だ。敵は福島原発で日本の消滅を試みており(「日本の人口の1/3が消える…」参照)、そのあたりの成果が近く出ると思うが、ある意味でTPPは駄目押し的な性格を持つ。

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それでも、「世界の趨勢から、日本だけがTPPを拒絶することは無理である。むしろ、これを〝逆手〟に取るべきだ」と、藤原さんは語る。問題は、ではどのような逆手を取るべきかだろう。ともあれ、政府によるTPPの情報開示は不十分なものがあり、ある意味で第二の〝日米和親条約〟とも言うべき、不平等条約であるTPPの正体を隠そうとしているのではないか。
IBDの石上社長
昨日、道友からのメールがあり、IBDの石上進社長が話題に出た。

IBDとは、国際事業開発株式会社のことで、国際契約を専門とするコンサルティング会社だ。石上社長と亀さんは、かれこれ13年以上のお付き合いになるが、ここ数年は実母の介護のため、東京は麹町にあるIBDから足が遠のいていたのだが、昨年、上記の道友がサラリーマン生活から足を洗い、会社の先輩と一緒に新しい会社を立ち上げたのを機に、石上社長に挨拶に行きたいので、亀さんアレンジしてくれないかということになった。そこで、昨年の10月12日に久しぶりに道友とIBDを訪問した。当日の話し合いで、IBDと道友の新会社とで新規に事業を進めることになり、もしかしたら翻訳関連で、亀さんも一枚噛むことになるかもしれない。

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ここで、国際契約と言うからには、①国際契約の専門知識、②契約英語力、③国際交渉力の三つが必要になるのだが、残念ながら三拍子揃った国際契約のコンサルタントは,日本には数えるほどしか存在せず、そんな数少ないプロフェッショナルの一人が石上社長だ。

だから、たとえば翻訳学校で契約英語を教えている所が多いと思うが、石上社長に言わせれば、そうした所で学んだところで殆どが役に立たないという。要するに、相撲評論家と力士の関係のようなもので、例えば相撲評論家が「白鵬の今日の相撲はなっとらん。あの時に素早く上手を取り云々…」と五月蠅いことを言ったところで、「じゃ、お前が相撲をとってみろよ」と言われればおしまいだ。この実戦に相当するのが国際契約の場合、③国際交渉力ということになり、実際に幾度も契約の絡む国際交渉という修羅場、つまり現場をくぐり抜けないと、本物の国際交渉力は身につかないというわけだ。

亀さんの場合、石上社長というプロフェッショナルと知己だというのに、今まで契約英語に身を入れて来なかったのは、技術分野の翻訳業だけで十分な量の仕事が回ってきたからだ。しかし、子どもたちの手がかからなくなる数年後、IBDに再び関与するかもしれない。それには、それまで国際契約の専門知識の他、契約英語力を磨いていかねばならないので、頑張ろう。

本日は都内でまほろば会があるのだが、昨夜ヨーロッパから大量の仕事(翻訳)が入ったため、行けるかどうかは微妙なところ…(泣)。
朝彦親王と川路聖謨
幕末、川路 聖謨(かわじ としあきら)という名官吏がいた。

明徳3(1392)年の「明徳の和約」による南北朝合一以来、現皇室に至るまで北朝の男系子孫が連綿と続いている、というのが世の中の常識になっている。しかし、弘化4(1851)年10月11日、当時24歳だった奈良興福寺の塔頭一乗院の門主朝彦親王(当時は尊応入道親王)から伺った話を、奈良奉行川路聖謨が『寧府紀事』に書き遺していた。

わが実家は吉野の皇居の血筋なる故か、ことに盛にして、当時は禁裏も後醍醐帝の御血筋、近衛も鷹司も皆、わが実家のもの共が継ぎたり。不思議なることよと御意也

川路の書いた「吉野の皇居の血筋」とは南朝に他ならず、北朝系であるはずの伏見宮皇子である朝彦親王から、正反対のことを直に聞いた川路聖謨は、不思議なことに親王発言を聞き咎めなかったという。何故だったのだろうか…。

このあたりの解釈を巡って、『朝彦親王伝』を著した徳田武氏、『伏見宮─もうひとつの天皇家』を著した浅見雅男氏、そして『月刊日本』に「疑史」を連載中の落合莞爾氏と、それぞれ解釈が異なっている。詳しくは徳田氏および浅見氏の著書、ならびに『月刊日本の』に載っている落合氏の連載記事を読み比べて欲しい。

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川路聖謨の人物については、落合(莞爾)さんの堀川政略第二弾が発売されたら、朝彦親王と絡めて本ブログで取り上げたいと思う。

なお、昨日以下のようなツイートがあった。

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同ツイートで紹介している川路聖謨の記事は以下のとおり。
人物探訪: 川路聖謨とプチャーチン

この記事を読みつつ、道友が掲示板「みち」で鈴木宗男氏の発言を紹介していたのを思い出した。

なるほど、「競わず、争わず」の世界そのものだなと思います。そういう視点を持つと、先の大手町氏が「…つまり、アメリカは日本の円安を容認する代わりに米国債を購入させ、金利の上昇を押えようとしているのだ。……これはEUとの関係においても言えることである。麻生財務大臣は先日、欧州安定化メカニズム(ESM)が発行を始める債券について購入する意向を表明した」というのも、別の見方が出来るのですが、『月刊日本』の3月号の「運・命・に・挑・む」で鈴木宗男氏が以下のように書かれているのを見ると、暗澹な気持ちになります。

***********************************
 特定地域の専門家が現れ、その人物が特定の政治家と密接になって正しい情報を得るようになると、外務省がウソをついたときに、それが見破られてしまう。それこそが省益を害す、このように外務省は判断し、二つの決断をした。一つは、「専門家は育成しない」。もう一つは「情報(インテリジェンス)からは手を引く」という判断である。
***********************************

 このように、政官ともに「吾(あ)減(へ)る」ということにおいては、優秀な仕事をしているのでしょうが、これで国が成り立っていくのかと暗澹な気持ちにもなります。これでもし国が成り立っていくとすれば、だれかが別のところで和する方の「あへる」ということを行なっているに違いないので、そうなると皇統奉公衆という存在を仮定するしか他はないのではないわけです。その一つの現れが、落合氏の明治維新における朝彦親王ということになるのでしょう。

http://michi2672.bbs.fc2.com/?act=reply&tid=4085988


川路聖謨が遺した辞世の句

天津神に 背くもよかり 蕨つみ 飢えにし人の 昔思へは


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「みち」掲示板
亀さんが管理している掲示板に「みち」というのがある。
掲示板「みち」

この掲示板は、『みち』という月二回発行の機関誌の編集長を務める、天童(竺丸)さんと立ち上げた掲示板で、そのあたりの経緯は以下の天童さんの「挨拶」を一読いただきたい。

挨拶
サムライさんと飯山一郎さんのお蔭でこの掲示板ができました。厚くお礼を申し上げます。元気旺盛なお二人に倣って小生も横着の身に鞭打って参加したいと思います。とくに、本掲示板では「世界戦略情報誌みち」などで提起した問題を高い見識をお持ちの皆さまとともに、よりいっそう深めていくことができればと願っています。

そこで、まずお願いしたのは、建築家渡辺豊和氏と経済人類学者栗本慎一郎氏の両氏が提案している「太陽崇拝の縄文ネットワーク・三輪山ネットワーク」と「ミトラ崇拝シリウスネットワーク」とツラン文明の関係を皆さまに考えて戴きたいと言うことです。

渡辺・栗本両氏の考えは渡辺豊和『扶桑王国蘇我一族の真実──飛鳥ゾロアスター教伝来史』(親人物往来社)、栗本慎一郎『シリウスの都飛鳥』(たちばな出版)『シルクロード経済人類学』(東京農大出版会)などに書かれています。これらには「ツラン」という単語はひとつも出てきませんが、カスピ海と日本とをほぼ一ヶ月で結ぶ草原の道に着目している点で、まさにツランと日本との関わり探る論考と言えます。

さらに、ミトラ信仰はもともと「太陽崇拝」と「公正」とを旨とするツラン起源の古い信仰ではないかと栗本氏は示唆しているように小生は感じています。つまり、この信仰のペルシア的展開がアフラ-・マズダーを主神として悪神アーリマンを斥けてしまったゾロアスター教であり、それは本来の善悪共にそのところを得しめていた天神信仰からすれば、一種の堕落であり、矮小化であったのだと、栗本氏は指摘しているように思います。善悪を分離したゾロアスター教の影響下にユダヤ教の痩せ細った一神教信仰がまとめられたのは、ユダヤ教神学が整備されたのがバビロン捕囚時代であることを考えると、説得力があります。さらに、栗本氏は、スキタイ、突厥、ハザールに共通の文明制度として「双分制」を挙げています。これはわが国では統治権が「国権」と「政権」に分離されたかのように継承されてきたことを言います。一般的には政治権力が「祭祀権」と「統治権」に分離されることを言います。栗本氏はこれがツラン系諸民族の大きな特徴だと指摘しています。

東日本大震災は私たちに文明論的な発想の転換を迫っっているものと思います。市場原理とお金万能のフェニキア=カルタゴ=ヴェネツィア流の寄生的文明原理からの脱却です。それには、長い間わが国は何を拠り所として社会を営んできたのか、改めて自覚する必要があるように思います。

他人にお金を渡すとき、「これは不浄のものではあるが……」という気持ちを込めて熨斗袋に入れて渡したのは、お金で決済される以上のもっと重大な関係が人々を律していたことの顕れであると小生は考えています。

お互いが違うことを非難するのではなく、それぞれの違いに意味があること、その違いを「公」のために役立てること、それこそが深い喜びを齎してくれるものと信じます。本欄がお互いの切磋琢磨と研鑽の場になることを祈っています。

みち編集長天童竺丸


亀さんは、「サムライ」というハンドル名で掲示板「みち」で色々と投稿している。そして、今朝「コーヒーブレイク」というスレッド(板)に投稿したが、漸く天童さんの「挨拶」にある掲示板の〝原点〟にたどり着くことができたような気がする。以下に本日投稿した拙記事を、そのまま転載しておこう。
コーヒーブレイク

118 名前: サムライ
2013/03/14 (Thu) 04:19:03

馬之助さん、おはようございます。ふと気がつくと、この掲示板のカウンターも3万を超えています。母屋(「みち」ホームページ)が6万なので、下手するとカウンター数で庇(本掲示板)が母屋を近々超えてしまいそうです(笑)。しかし、「みち」ホームページでは、天童さんに過去の「みち」の記事のデータベース化で頑張っていますので、ホームページの方にも注目してください。特に、最近更新された藤原(源太郎)さんの「深層潮流」、過去記事のほとんどをカバーしており、注目です。
http://michi01.com/hujiwara/shinsou/shinsou_index.html

そして、深層潮流の上記目次を見てお気づきのように、北鮮に関する記事が多くを占めています。今週土曜日、仕事の都合が付けば「まほろば会」で、藤原さんの最新の「北鮮情報」が聞けるを楽しみにしております。飯山(一郎)さんも、ここ数日にわたり金正恩を取り上げてますね。
http://grnba.com/iiyama/index.html#st03112

> 『古事記』の序にも、「二氣の正しきに乗じ、五行の序を齊(ゆ)へたまふ」とありますから、「五行」は古い日本の文化に間違いはないのでしょう。

特に、最近再読した『陰陽道』(長原芳郎著 雄鶏社)は、陰陽道を中心テーマに、五行と古事記の深い結び付きを取り上げており、当面は数年間にわたり、一年に一回は再読しなければならない本だと思っています。陰陽道・五行と古事記との深い結び付きは、いずれ新ブログに書きたいと思っています。なお、同書については古いブログにも書きました。
http://pro.cocolog-tcom.com/edu/2005/09/post_dbee.html

五行、陰陽道、易経、古事記、神道、九星…と、関連書を沢山入手しましたが、本格的に読み始めるのは、現在は本業に追われていることもあって、当面先の話になりそうです。易経と言えば、『東光ばさら対談』で今東光和尚と田中小実昌の対談があり、今東光も田中小実昌も易の大家であることを知り、驚きました。いずれ、同対談はOCRで読み取って新ブログにアップしたいと思います。

> 聖徳太子のいう和は、本来の日本の和とは、少し違うようですね。あれは、仏教から来ていますから本来の日本のものとは云えないのです…

「みち」の藤原さんや天童さんが注目している書籍に、渡辺豊和氏が著した『扶桑国王蘇我一族の真実』があります。残念ながら絶版本ですが、一読をお勧めします。それと、栗本慎一郎の『シリウスの都 飛鳥』も併読すれば、当時の時代背景が確実に読めてくると思います。ともあれ、当時は仏教もそうなのかもしれませんが、ゾロアスター教、ミトラ教も当時を解くキーワードだと思います。視点は違いますが、聖徳太子については旧ブログにも書きました。また、本掲示板の冒頭にある、天童さんの「挨拶」も再読してもらえると幸いです。本掲示板を立ち上げた理由が、まさにそこにあります。
http://pro.cocolog-tcom.com/edu/2007/04/post_3af9.html

> これでもし国が成り立っていくとすれば、だれかが別のところで和する方の「あへる」ということを行なっているに違いないので、そうなると皇統奉公衆という存在を仮定するしか他はないのではないわけです。その一つの現れが、落合氏の明治維新における朝彦親王ということになるのでしょう。

2673年も続いてきたのですから、間違いなく神格シャーマンとしての存在が感じ取れますね。落合(莞爾)さんのいう堀川政略を例に挙げれば、平成版堀川政略が密かに進められているのではないでしょうか。そのあたりは、以下の飯山さんの記事や、甲府で行われた「飯山一郎が吠える」のビデオでも、ヒントが随所に出ていたように、御高齢の天皇皇后陛下に代わり、若い皇太子殿下と雅子様が神事(=シャーマン)を執り行っているというのは、本当の話です。
http://grnba.com/iiyama/index.html#st03013


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旧ブログ「舎人学校」は堅苦しかったので、ここの新ブログ「人生は冥土までの暇潰し」では肩の力を抜いてきたつもりだが、抜きすぎて〝野良犬〟の本性が現れてきた(爆)。そんな野良犬同士の対談集、『東光ばさら対談』は、おいおい転載していこう。1本だけだが、すでに転載を終えたものもある。お時間のある方は、一読を…(笑)。
東光ばさら対談 瀬戸内寂聴
金正恩がアジアのリーダーになる…?
今週の月曜日(3/11)、『行政調査新聞』の最新号が発行された。亀さんが同紙に注目しているのは、同紙が提供する国際情勢についての確かな視点にある。最新号は「雄叫びをあげる北朝鮮と経済混迷で動けぬ中国」と題した、北朝鮮を中心に据えて眺めた国際情勢についてだが、なかでも目を引いたのが以下の段落だ。

中国人民解放軍陸軍は7軍区から構成されているが、首都を守る北京軍区、チベットや四川、雲南、貴州、重慶を守る成都軍区と並んで、瀋陽軍区は中国最強と呼ばれている。以前から北京中央とはそりが合わず、中央政府の思い通りに動かない軍区でもある。北朝鮮に対して圧力を高めるためには瀋陽軍区の力が必要だが、瀋陽軍区は幹部以下かなりの者が北朝鮮と密接な関係を持っているため、中央政府の思惑通りに動かない。それどころか瀋陽軍区は、中央の目を北朝鮮に向けさせず、尖閣に集中させようとしている。
『行政調査新聞』2013年3月号 p.5

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瀋陽が出てきた。上の地図は瀋陽を省都に持つ遼寧省だが、真っ先に目に入るのが遼東半島だ。この半島の持つ地理的かつ歴史的な重みについて亀さんに教えてくれたのが、山形明郷氏の著した『邪馬台国論争 終結宣言』である。同書については別ブログでも書評を載せているが、同書の主張を一言で言い表せば、「卑弥呼は遼東王公孫氏の繋累」ということになる。、このあたりの真偽のほどは同書を紐解いてもらうか、別の拙ブログ『邪馬台国論争 終結宣言』で確認してもらうとして、ここで一気に時間軸を古代から現代に移してみよう。

昨年の2012年、習近平が総書記に就任したのだが、習近平について『行政調査新聞』の最新号で以下のように書いている点に注目したい。

中国の習近平体制に関しマスコミがどう分析するかはともかく、現実には未だ習近平は正体を明らかにしていない。いったい保守派なのか、それとも改革派なのか、それすら見えてこない。

ここで、前任の胡錦濤の場合、金正恩とは固い絆で結ばれていたことを示す興味深い記事がある。

私と金虎(GT)氏は、『金正恩がアジアのリーダーになる!』 と考えています。
今回、私が飯山さんに報告したことは、
『金正恩と胡錦濤は太い絆(きずな)で結ばれている!』
という “驚きの証拠” でした。そして、この “証拠” が理解できれば…、
胡錦濤の突然・唐突な長春訪問の意味も理解できる…。

◆2010/11/11(木) 金王朝の “深い深い謎” -8-

このあたりを理解するには、時間のあるときに以下のページに目を通すことをお勧めする。
★ 金王朝の “深い謎” ★

ところで、習近平は中国を何処に連れて行こうとするのか、また金正恩とはどのように接していくのか…。習近平体制に移行してから、このあたりが微妙に変化していることが、以下の記事でも一目瞭然だ。

人、物資、資金の流れを徹底的に締め付ける内容で、これに
全世界の国連加盟国が法的に拘束され、北朝鮮関連の船の
貨物検査も義務づけられた。
ロシアと中国も、「必要で適切な対応」と国連決議に賛成した。

ようするに、全世界が北朝鮮を制裁する! と決めたのでR。
つまり、金正恩の北朝鮮は、全世界を敵に回したワケだ。

◆2013/03/11(月)2 弱冠30才が全世界を敵に回して闘う劇場

今東光と三島由紀夫
昨日、ネットで検索していたところ、今東光和尚の『極道辻説法』を取り上げている記事を見つけた。「行政書士ふじまるの趣味のページ」というブログだが、その中で以下の記述が目を引いた。

正直言って、これまでの人生の中で、最も影響を受けた本と言ってもいいかもしれません。

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亀さんは、二人の息子が中学生の頃から、全部で三巻ある極道辻説法を読ませてきた。その一人、京都に居る上の息子と昨日電話で話をした後、思うところがあって和尚の説法関連の書籍を入手することにした。オンラインの古本屋で発注したのは以下の五冊だ。

『おれも浮世がいやになったよ』
『東光辻説法』
『南米耳袋―和尚ラテンアメリカを行く』
『はだか説法』
『和尚の舌』

届き次第、これはと思う和尚の話があったら、おいおい紹介していこう。

ところで、今東光は万巻の仏典や関連書を読破しているといっても決して過言ではなく、そのあたりは、「ライシャワー大使と大いに仏典を論ず」という記事を読めば自ずと納得できるだろう。

そして、三島由紀夫も仏教について造詣が深かったとされている。以下は、『三島由紀夫と天皇』(天山文庫)にあった、小室直樹の三島由紀夫論である。

三島の唯識哲学講義
さて、以上を準備とすれば、三島由紀夫の唯識哲学講義は、容易に理解されえよう。『暁の寺』のこの個所は、敬遠されて読まれないことが多い。しかし、唯識哲学の理解なしに三島を理解することは不可能である。左の引用を熟読玩味されたい。


世界を存在せしめるために、かくて阿頼耶識は永遠に流れている。

世界はどうあっても存在しなければならないからだ!

しかし、なぜ?
なぜなら、迷界としての世界が存在することによって、はじめて悟りへの機縁が齎らされるからである。

世界が存在しなければならぬ、ということは、かくて、究極の道徳的要請であったのだ。それが、なぜ世界は存在する必要があるのだ、という問に対する、阿頼耶識の側からの最終の答である。

もし迷界としての世界の実有が、究極の道徳的要請であるならば、一切諸法を生ずる阿頼耶識こそ、その道徳的要請の源なのであるが、そのとき、阿頼耶識と世界は、すなわち、阿頼耶識と染汚法の形づくる迷界は、相互に依拠していると云わなければならない。なぜなら、阿頼耶識がなければ世界は存在しないが、世界が存在しなければ阿頼耶識は自ら主体となって輪廻転生をするべき場を持たず、従って悟達への道は永久に閉ざされることになるからである。

最高の道徳的要請によって、阿頼耶識と世界は相互に依為し、世界の存在の必要性に、阿頼耶識も亦、依拠しているのであった。

しかも現在の一刹那だけが実有であり、一刹那の実有を保証する最終の根拠が阿頼耶識であるならば、同時に、世界の一切を顕現させている阿頼耶識は、時間の軸と空間の軸の交わる一点に存在するのである。

ここに、唯識論独特の同時更互因果の理が生ずる、と本多は幸うじて理解した。

(新潮文庫『暁の寺』)


唯識学入門として、これほど簡にして要を得たものを知らない。難解なことで有名な仏教哲学の最高峰が、われわれの足下に横たわっているのだ。(引用文は割愛せざるを得ないので、くわしくは作品を読んでほしい)

仏教を研究しようとする学徒のあいだでは、よく、倶舎三年、唯識八年、といわれる。『倶舎論』を理解するのには三年かかり、唯識論を理解するのには八年はたっぷりとかかるというのだ。それが僅か三島由紀夫の作品では十二頁にまとめられている。エッセンスは、ここにつきている。くりかえし精読する価値は十分にある。
『三島由紀夫と天皇』p.94

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う~ん、難しそうだ…。残念ながら、亀さんていどの頭では仏教の奥義は分からない。だから、小室直樹が高く評価している三島由紀夫の仏教論も、本物かどうかは判断がつかないのだが、少なくとも今東光は三島由紀夫をあまり評価していなかった、というのが本当のところだ。このあたりは、『極道辻説法』など幾冊かの和尚の本に書いてあるのだが、今度目にしたら紹介しよう。
終わりの始まり
間もなく、3度目の3月11日午後2時46分を迎える。ここで改めて思い起こすは、安西(正鷹)さんが『みち』に連載中の「文明大転換に向けて」である。この連載は311事件を契機に開始されたものであり、連載の趣旨は第1回 「終わりの始まり」に集約されている。
第1回 「終わりの始まり」

 いま目の前で繰り広げられる危機的状況は、われわれにある種の決断を迫っている。

 文明を築く人間の活動の源泉は思想とエネルギーである。

 分裂と対立をもたらす金権万能主義と民主主義を礼賛し、地殻と渾然一体となって眠る石油を分離して採掘し、原子核が自壊する熱で動力を得る原子力を崇める。これらの思想とエネルギーを材料に築き上げられたのが現代文明である。

 今回の震災は、神々が現代に生きる人々すべてに発した警告と勧告である。すなわち、現代文明の「建築材料」がこうした性格を有するがゆえに、現代文明は分裂と対立、自壊を免れずやがて滅亡する。よって早急に新文明へと大転換せよ、ということだ。


ブログ「民のかまどはにぎはひにけり」でも311を取り上げており、その中で黒澤明監督の「夢」を取り上げていた。文中、Youtubeにあった「夢」が軒並み削除されているという行があったが、アマゾンの「夢」へのカスタマーレビューでも、以下のようなコメントがあった。
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また、同じ黒澤監督の作品に「生きものの記録」があり、これも見応えがある。同映画についてはブログ「NY金魚」の一連の記事に目を通して欲しい。
「生きものの記録」は記録されたか(上)
「生きものの記録」は記録されたか(中)
「生きものの記録」は記録されたか(下)

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今東光とアルゼンチン
今朝、仕事を始めようとした時、パソコンの前に置いといた『東光雑記』(今東光著 桃源社)を何気なく捲ってみたところ、和尚がアルゼンチンについて書いている行に目が止まった。和尚も亀さんと同じ18歳の時、リオやブエノスに行きたいと思っていたそうだが、「母親の猛烈な反対に会って十八歳の希望は潰えた」と書いてある。亀さんも同じように母親が猛反対だったんだけど、それを押し切って日本を飛び出したんだ。それを思うと、明治の母は強かったんだろうねぇ…。以下の文中にもあるように、ブエノスアイレスは本当に南米のパリというに相応しい街だったし、リオはリオでエキゾチックな街だった。リオには一週間ほど居たが、毎日コパカバーナビーチまで行って甲羅干ししていたもんだよ。尤も、亀だから、甲羅干ししていても別に不思議ではないんだけどね…。また、やはり文中にある「アンデス越え…」、亀さんはアルゼンチンのスイスと言われていたバリローチェから、バスト…、じゃなかったバスと船を乗り継いでチリに入ったんだが、雄大なアンデスの山々が目の前に迫り、圧倒されたのを今でも覚えているよ。船中、可愛いウルグアイ人の女の子とも淡い恋を体験したし、本当に南米は想い出に残る土地だよ。

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アルゼンチン

僕の父は古い郵船会社の船長だった。父の行ったところを僕の舎弟日出海が跡をふんだ。今度南米に行って、はじめて今家で誰もまだ行ったことのない土地を踏んだわけだ。

僕は中学生の頃にアルゼンチンに憧れた。何が動機でこの南米の一つの国に憧れたか想い出せない。しかしながらアンデス山脈を越えてみたい夢に駆られたのかもしれない。船乗りの父は当然のように世界を歩いてみたいと言っていた。父の希望はスエズ運河を通るようにパナマ運河を通ってみたいと語っていた。第一次世界大戦が起って父の船はパナマ運河を通過したし、南アフリカの希望峰をも見ることが出来た。しかしながら終生南米には行く折がなかった。船乗り仲間からアルゼンチンのブエノス・アイレスの街や、ブラジルのリオ・デ・ジャネロという美しい港のことを聞いたので尚更ら行きたいと思っていたらしい。そういう父の話が僕をリオやブエノスに惹きつけたのかもしれない。しかも母親の猛烈な反対に会って十八歳の希望は潰えたのだ。

二つの中学校をしくじり、一層のこと日本を去ってアルゼンチンかブラジルに渡航したいと思うのは当然だろう。その夢が無残に破れたので、自暴自棄みたいになって東京へ迷い出た。十八歳の暮だったと思う。

その僕が今回はからずも電通の吉田社長の肝煎りと産経新聞の水野社長の後援で、憧れの南米に行けたのだから、まったくこんな嬉しいことはなかった。まして産経の川島キャメラマンと電通の石川君の二人を随行させて下されたので旅に不安はなかった。水間寺の訴訟も、密蔵院の普請も、わが家の修理も何も放ったらかして飛び出した。

ブラジルで半月ほど過して待望のアルゼンチンに行った。この国の印象は一口に言うと古きスペインとパリーとが混合している。古きスペインというのは祖国スペインが今ではヨーロッパ的存在でなくなったのにアルゼンチンには依然としてエスパニヤが残存しているのだ。パリーが年々歳々パリー的でなくなっていくのに、却ってブエノス・アイレスにパリーの匂いが立ちこめているとフランス人達が懐しがるのだ。五十年に近い歳月を閲して漸く少年の日の夢を実現することが出来たのだから僕の嬉しさは想像のほかだった。

沢田大使の御紹介で有名な画家のキンキラ・マルチンと知合いとなった。その翌日、彼の招待を受け、彼の画室に通されて、製作中の沢山の作品を見せてもらった。大変たのしい一日だった。

彼の画室の前、直ぐ目と鼻の距離にメンドーサ港が見える。昔パードレ・メンドーサが神の使命を帯びて上陸したところだから彼の名を冠した港とたっているのだ。そのメンドーサ港のほとりにカミニートという街がある。キンキラ・マルチンは其所に生れ、孤児として育った。この孤児はひょっとすると捨て児だったかもしれないのだ。キンキラ夫妻に拾われ、入籍してキンキラ家の一員となった。僕は自分が家庭らしい家庭に入ることを拒否され、神戸の港町をさまよい、人の温い情を慕いながら育ったのと比べると、彼は境遇の似ているのさえ心が通うと言って悦んだ。僕はマルチン画伯に会って、本当の意味での生粋のポルテニアを見た気がした。キンキラ・マルチンはブエノス子の誇りに生きていると思った。

日本人が、とかく祖国を見喪いつつあるような気がして心もとないと思っていた僕は、彼によって何か慰めを得たのだ。僕は誇るべき何ものもないが、少くとも日本人だということを誇りと思う。
『東光雑記』p.168
ハンバーガーよりゴーヤーチャンプル!
2月28日に厚生労働省の発表があり、2010年の都道府県別の平均寿命で、沖縄の男性が25位から30位、女性がトップから3位に下がったという。このあたりはNHKが「クローズアップ現代」で取り上げ、東京新聞も昨日(3月8日)記事にしていた。
沖縄 長寿崩壊の危機 ~日本に迫る“短命化社会”~

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ところで、戦後の沖縄の人たちはファーストフードを多く摂るようになったため、「脳卒中や心筋梗塞を発症しやすくなった」と、東京新聞もNHKも報道しているが、ここで注意しなければならないのは、今後(あるいはすでに)起こるであろう脳卒中や心筋梗塞の急増は、なにもファーストフードといった高脂肪の食べ物がだけが原因ではなく、福島原発から今でも日々大量にまき散らされている、放射性物質も脳卒中や心筋梗塞の主要な要因になりつつあるという点だ。

しかし、スーパーで売っている米を例に挙げれば、放射性物質で汚染された米をブレンドしている可能性が高く、安心できない。一番良いのは、多少は高くても生産者が特定できる米を買うことだ。究極的にはなるべく少食に徹し、仙人のように霞だけ食べていけば長生きできる…。このようなことを書くと、また亀さんの法螺吹きが始まったと言う人が多いと思うけど…。

亀さんが食事に注目するようになったのは、玉井(禮一郎)さんの影響が大きい。玉井さんは宗教家であると同時に、「たまいらぼ」という出版社の社長でもある。以下の『食は運命を左右する』は、同社のロングセラーとなっており、亀さんが玉井さんから食事に関して教わったことは多い。以下は亀さんが作成した『食は運命を左右する』のページだ。
食は運命を左右する
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また、同社では健康関連の本として『身土不二』という本も出している。同書も読み応えがあった。
『身土不二』
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それから、5年ほど前、玉井さんから紹介して戴いた衝撃的な本がある。この本から亀さんも仙人になる修行を意識するようになった。ただし、亀仙人のようなスケベーな仙人を目指しているわけではないので、誤解しないでくれたまえ(爆)。

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