落合(莞爾)さんから連絡があり、いよいよ『南北朝こそ日本の機密』の予約が開始されたという。
腰巻きを見ると、「天皇家700年の秘事、ついに解禁!」とあり、さらに表紙の「現皇室は南朝の末裔だ」が目に飛び込む…。「あれ…? 現皇室は北朝だったはずだが…」と、戸惑いを隠せない読者も大勢いることだろう。ただし、『月刊日本』や『ニューリーダー』を購読し、熱心に落合さんの記事を追っている読者であれば、即座に頷ける話ではないだろうか。
亀さんは同書の草稿を一部拝読したが、その中に以下の記述がある。その中にあるように、新著『南北朝こそ日本の機密』の中で語られている落合説を信じられるかどうかは、偏にシャーマニズムに何処まで迫っているかにかかっていると言っても過言ではない。
-------- 孝明天皇と側近の討議は、わが国が欧州列強に交わり近代国家として国際舞台に立つためには、政体の新しい装いとして立憲君主制の樹立が必要になることで一致します。そこで、これを前提に、古代より続くわが國體を護持しつつ皇室を国際化するには、畢竟(ひっきょう)皇室を表裏に分けて二元化するほかないとの結論に至りました。
なぜなら、國體天皇の本質は、国民国土の安全を祈念する至上の国家シャーマンだからです。シャーマンを今日(きょう)びの民俗学教科書のレヴェルで理解し、拝み屋の一種と看做す(みなす)輩が多いこの頃ですが、國體天皇は本来カミが憑依(ひょうい)するヨリマシ(ヨリシロ・憑代)で、平たく言えばイキガミですから、これに仕えてカミとヒトの言葉を中継する神官すなわち拝み屋のことではありません。
これが「オホキミはカミにゐませば」と詠われてきた本義で、社会科学用語では、宗教的権威と国家権力の分離と謂うのでしょうが、「永遠不動の権威は万世一系たるべく、時宜に応変する覇権は有為転変なるべし」とする國體観念の根底なのです。
大政奉還の結果、政権が京都に戻ることになれば、徳川幕府の本拠だった江戸は廃れて旧(もと)の武蔵野になる虞(おそれ)があります。孝明天皇はこのことを最も憂慮されました。国土均衡の観点からも新政体の帝都は是非とも東京に定めねばならず、また国家元首として政府と皇軍に君臨する政体天皇は、すべからく東京城を皇居としなければなりません。
しかしながら、これでは國體天皇の国家シャーマンとしての霊力に陰りが生じます。山岳信仰の修験シャーマンたちが仰ぐのはわが国の諸名山ですが、その首座は謂うまでもなく富嶽(ふがく)であります。その富嶽の山頂に昇る旭日を大峰山から拝せんとすれば、國體天皇が東京城に動座することは適(かな)いません。これにより、政体天皇が東京城に、國體天皇は西京に座すべきことが必須と認識されたのです。 --------
関心を持った読者は、この機会に是非、落合秘史シリーズを手にとってみていただきたい。

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