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人生は冥土までの暇潰し

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人生は冥土までの暇潰し
亀さんは政治や歴史を主テーマにしたブログを開設しているんだけど、面白くないのか読んでくれる地元の親戚や知人はゼロ。そこで、身近な話題を主テーマに、熊さん八っつぁん的なブログを開設してみた…。
東光ばさら対談 瀬戸内寂聴
夕べ、寝酒を飲んでいたら、枕元に『東光ばさら対談』があったので読み始めた。ン十年ぶりに読んでみると、面白いのなんのって……。この本は絶版になっているが、このまま埋もれさせるには惜しい本だなぁ…。そこで、OCRソフトに読み込ませてみた。念入りにチェックしているわけではないので、OCRミスがあったらゴメン!

今後、気が向いたら今東光和尚を中心とする、野良犬会の対談を紹介したいと思う。今回は和尚と過日紹介した瀬戸内寂聴さんの対談だ。寂聴さんが得度する前の対談なので、非常に興味深い対談になっている。反原発運動に余生を懸けるという寂聴さんの姿勢に共鳴している亀さんにとって、昨夜は宝物を発見したような気分になった。

ところで、『最後の極道辻説法』では、自殺なんか考えたことはないと和尚は語っていたが、この対談を読むと本当は一時自殺を考えたこともあったと語っている。その行を読み、今まで以上に和尚に親近感を持った。

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里見弴の書がある芸者の長襦袢
瀬戸内 今夜、先生にお会いするといったら、円地(文子)さんがくれぐれもよろしくとのことでした。好きなのかな?
今 だれが……?
瀬戸内 円地さんが先生を。
今 円地さんは片岡鉄兵じゃないの。
瀬戸内 だって先生、こないだ円地さんを口説いたってお話じゃありませんか。
今 いや、口説かない。あれはいい子だから。彼女の兄貴がバカな野郎でな、おれは面と向かってそういってんだから。文部省にいたんだが、もう定年で辞めたそうだ。上田万年の息子にしちゃ頼りねえヤツだ。慶応の文科にいてな、友達が小説書くといったらまねして「おれも書く」というんだ。
「ドイツ語と角帯」なんて題で書いてね。南部修太郎さんが「なんだ、これは」ってな、読んでもくれなかった。その話をしたら、上田女史(円地文子氏)がゲラゲラ笑っちゃってね。
瀬戸内 上田女史っておっしゃるんだから(笑い)。
今 「この子、この子」なんだから、おれは。
瀬戸内 その「この子この子」のころの先生のお写真、すてきですね。ヒゲなんか生やして。どうして昔の美男子がこんなに変わるのかしら(笑い)。
今 いやすてきじゃないよ。ちょっとにやけてるだろう。あのにやけてるとこが、おれの手でな、あの野郎、にやけてるから女たらしに違いねえって、ケンカ吹っかけられる。そこでおれが相手をはり倒しちゃうんだよ。そうすッと、向こうはびっくりする。
瀬戸内 高知でやったじゃないですか、キャバレーで。どうなることかと思った。
今 ああ、あれか。相手が二人いてな。「瀬戸内さん!!」ていったら、向こうの席にいた女が来たんだよな。そしたらその女の客の野郎がヤキモチやきゃアがってね、「ここは河内とちがう」とかなんとかいうから「ナニいってやがンだ、バカヤロウ! てめえの片目潰してやろうか」ってんでケンカおっばじめた。そうしたらね、面白いね、最近の裁判でケンカして片目潰したのが、罰金五百万円ですんじゃったの。だからおれは、これから「五百万円払ってやるから、片目潰してやろか」っていおうと思うの(笑い)。安いもんじゃないか。五百万円ならね。
瀬戸内 その晩でしたね、先生がヒスっておられてどうしようもないから、神経をなだめるためにね、私が長襦袢に字を書いてもらったの、「恋の重荷」と。それは、うちの宝ですよ。染め屋に出して蒸すと、その字が定着するんです。それを着て、里見弴先生が見えたときに、上七軒へ遊びに行きました。そのとき、私が着物の裾をパッとめくってそれを見せたら、芸者さんがみんな、ずらりと並んでその場に寝ましてね、「先生、うちにも書いてえな」って。もう里見先生が喜んでおしまいになって。
今 里見さんは字が達者だからね。
瀬戸内 ええ、みんな書いてしまわれました。
今 里見さんはいくつになったんだ。
瀬戸内 もう八十いくつ……とてもお元気ですよ。そのあと上七軒へ、今度は(水上)勉さんが、森雅之さんと遊びに行ったんですって。それで芸者さんが里見先生から書いてもらった長襦袢をまくって見せたら、勉さんが十万円で譲ってくれ。その芸者さんが、十万円もするのかと思ってびっくりして「いやだ」といったら、「二十万円で売ってくれ」、「いやだ」1だんだん値上げして五十万円」、「いやだ」。そんなに高いものたらますます売らない(笑い)。
今 それは下手だよね。
瀬戸内 また里見先生と行ったら、芸者さんがもう夢中になって「ここも書いてちょうだい。ここにもお願い」って、新しい紬の着物の袖に書いてもらったんです。おかみさんが、使えなくなるって心配するので、私が「大丈夫、その上に羽織を着て出なさい。それをパッと脱げば、里見先生の字が出るから」といったんです。こんどは六十万、七十万とせりあがって、百万になるかもしれない。
今 里見弴と、バカに仲がいいんだね。いまも京都のあなたの所へよく行くの?
瀬戸内 京都へいらしたら、電話かけてくださる。
今 アレッ。
瀬戸内 先生とおンなじ。すぐ私の手を握って歩くの。
今 恋がたきができた(笑い)。
瀬戸内 年寄りに好かれちゃうんだなあ。先生、このごろ、どのへんでお遊びですか?
今 いやいや、遊ばないの。
瀬戸内 カワイコちゃんは?
今 カワイコちゃんはもう遠ざけてね。
瀬戸内 そんな情けないことを! きょう先生とお目にかかってもう三十分ぐらいになるでしょう。それでちっともカワイコちゃんの話が出ないというのは、先生とお目にかかった気がしないわ。どうしたのかしら。
だって、一緒に旅行した、汽車の中で「ちょっと、ちょっと」たんておっしゃって、ゆうべの話を全部話してくださるんですからね。忘れないわ、私。

いじめられっ子
今 それよりナ、あんたに会ったら思い出した、生田花世さんね。
瀬戸内 ええ、亡くなった……。生田春月の奥さん。
今 あれは阿波の女だってね。
瀬戸内 そうですよ。女学校の先輩です。亡くなる前に会いました、岡本かの子を書くときに。なぜ会ったかといいますと、岡本かの子が『青踏』で一緒だったわけですよ。生田花世が「貞操論」なんかを書いて、すごくいろんな意見を出していたころです。かの子は春月と花世が住んでいた所へ、恋愛間題で悩んで訪ねて行くんですよ。花世さんが、いろいろ相談に乗ってやるんですが、彼女は堅い、堅い人で、およそヤボな、ヤボな人で……(笑い)。春月はなぜ惚れたんでしょう、あんなみっともない人に(笑い)。
今 いや、花世が春月に惚れたんじゃない。
瀬戸内 春月に惚れたって、春月が相手にしたわけでしょう。結婚したんだから。
今 だけど、春月だって、おなごのほうから好きにたるようなタイプじゃないよ。
瀬戸内 ああ、そうですか。
今 春月という人はね、一つも評判にならない詩人だったんだよ。ドイツ語を勉強して、ゲーテの詩集なんか読んでましたがね。苦学力行だから、ゼニはなし……ぼくがどうして春月を知っているかというと、佐藤春夫さんと同時に知ったんです。春月は、生田長江の書生をしていたのよ。
瀬戸内 それで生田春月というんですか?
今 生田は生田だけれども、同郷なんだ。鳥取県に生田という名前があるんじゃないですか。
瀬戸内 なるほどね、親類でもなんでもない。
今 生田春月は米子の人で、長江先生はちょっと離れた所です。金がないから長江先生を頼って行った。じゃあうちの書生をしろ、というんで書生をした。ところが佐藤春夫は書生じゃないんだ。和歌山新宮の学校でね、軟派の文学少年でまア注目されていた。ところが、佐藤さんのおやじは困っていた。そこへ生田長江先生が講演に来たんです。おやじは伜のことを相談に行く。長江先生が「いや、しようがなくない。おれに預けろ」と答える。佐藤さんのおやじは懸泉堂というお医者様なの。
瀬戸内 ハイ、ハイ、私は行きました。
今 あすこを汽車が通るようになって、庭が切られちゃった。それまでは非常によかったそうです。
瀬戸内 「わんぱく時代」に書かれてますね。
今 だから春夫のほうは学費は豊富だし、長江先生の所にいても、居候じゃない。そして書生をし玄関番をしてるのが春月です。佐藤さんはああいう人だから、小遣いやったり、焼きイモ食うときは一緒に食うとかね(笑い)。そんなことしながら、書いたものを発表することは発表したんですね。ところが、何一つ、ダメたんだ。
ところがね、「霊魂の秋」を刊行し「感傷の春」を出し「象徴の鳥賊」を出したんだ。春月の詩は、ご承知のとおり、ちょっとセンチメンタルで、それが文学少年にウケたのよ。それで売れ出したんだ。そうしたら詩人がヤキモチ焼いてね(笑い)。だからおれは佐藤春夫に話したけれども、学校時代にだね、いじめっ子ってあるだろう。
瀬戸内 ええ、あります、あります。
今 おれがそれだからね。必ず一人は、いじめっ子で、しようのないヤツがいるもんだ。そうかと思うと、なんとなくいじめたくなるヤツがいるもんだ。
瀬戸内 いじめたくなるのがありますよ。
今 それは金持ちの息子とか、貧乏たれの娘とかいうんじゃねえんだ。なんとなく、入ってくるとね、ツラをポンと叩いたりね。それがあったのが春月たんだよ。非常に不幸な人だから、みんなで庇護してやればいいのに、あいつを見ているとね…あなた、会ってないでしょう。
瀬戸内 会ってないです。
今 毛が濃くてね、首をこう曲げてね(下を向く。笑い)みんなのいる所で「春月さん、こっちへいらっしゃいよ」。(うつむいて)「ええ、ええ」はきはきしねえんだな、オイ。そうすると、こっちは「なにさらしてんだ!!」っていいたくたるんだ。なんかさからってる……いや、ひがんでるんだ。それほどひがんでるんなら、いじめてやろうか、というんで、みんながいじめちゃうのよ。それで詩の本も売れねえときは、みんないい気持ちになっていたのに、詩が売れ出したら、みんなアタマに来ちゃったんだよ(笑い)。
瀬戸内 それで花世さんまで貰っちゃった。

やはりセックスしないとダメ
今 なんというの、そんなセンチメソタルな、女の子、泣かせるようないやらしいものを書いて、あいつは正統詩人ではないんだと、なにか傍系に、傍系に扱われるんですよ。詩人の集まりというと招ばれなかったり。あれは詩人じゃねえよ、ってわけだ。それが非常に彼を苦しめたんじゃないんですか。
かといって、おれみたいに、すぐファイトをわかして「ヨシ、そんならみんなを相手にケンカしてやろか」という元気もない。そういう時に花世があらわれた。花世ってのは、ホラ、あんたも知っているように、シチ堅い。
瀬戸内 そうです。みっともないし、堅いし。
今 それが春月の詩を見て、感激したんだ。彼女にはそんな恋愛感情なんてもの、子供のときからありゃアしないよ。腹出てきたときから、未亡人みてえた顔して出てきたんだ。
瀬戸内 ほんとにそうです。ほんと、そんな顔してる。
今 常にお通夜みたいな顔してる。
瀬戸内 どうしてあの人と一緒にたったかと思って。
今 それが詩を見たら、ほのかなる愛をうたい、ね、なんかもうたまらないんだな。
瀬戸内 びっくりしました、私もあの結びつきには。
今 そんたら春月を訪ねようというんで、来たんだた。春月もいまだかつて柔肌に触れたことないから、目をつぶりゃアすむことだから(笑い)……。
瀬戸内 それで、やっばり彼女だって阿波おんなだから、情熱家でしょう、一生懸命、尽くすんです。とても尽くすのよね、それは。彼女は徳島高女の第一回卒業生で、インテリでしょうね、昔の。「貞操論」なんか書いて、大変でした。あのころは貞操は命より大事といわれていたのに、生きるためには貞操を売ってもいい、というようなことを書いたんです。だけれども、だれも貞操を買いにくるような顔をしてないのよ(笑い)。
今 田舎のボタ餅を、朴歯の下駄で踏んづけたような顔してた。それでギュッと泣いたのが春月ときてるんだ。二人ともペソかいてる。
瀬戸内 春月が死んでから、ひとりでいたんですけどね、とにかく汚くてね。着るものなんかも汚くて、お金持ちの同窓生が、みんな花世さんに着物を贈って着せるんです。も少しきれいにして下さいって。
私が会ったときは、婦人サークルに「源氏物語」を教えていました。中野の駅前で会いましょうということになり、買い物カゴぶらさげて行った。お互いに会ったことがないけど、すぐわかったんですよ。とてもいい人でしたよ。きさくで親切で。
岡本かの子のことをいろいろ教えてくれましてね。堀切重雄という早稲田の学生に惚れて夢中になったときに、その相談を生田花世さんにしたんですって。「わたしは、一平とは一緒にいるけども、一平はセックスは全然しない。わたしは人よりも情熱家だから、とてもたまらない。堀切重雄さんはとてもいいんだ」と、洗い髪でやってきて、朝から晩まで話したそうです。
それで生田花世は、かの子の大恋愛を聞かされたために、自分は春月しかしらない。世の中にはこういう恋もあるということを知った。「そのために、わたしはいま『源氏物語』の講義ができます」っていいましたよ。
今 へえ……。とにかくあれはね、思想的にはね、春月より上なんだ。春月は、佐藤春夫の輝かしさの陰で、とぼとぼついて歩いてるんだから、みんなが、あいつがくると、うっとうしいねと、困ったくらいなもんだ。
瀬戸内 それで自殺は瀬戸内海の船の上からでしたね。
今 あれは心中だという話もある。そんな女がいたというのは、佐藤春夫に聞いたんだな。だれも知らねえんじゃないか。伝記にもない。
瀬戸内 花世さんも知らなかったのかもしれませんね。
今 いや、知って悩んでいたんじゃないかな。春月はその女にラブレターをせっせと書いていたんだからね。のちには、うちにいてもセックスもしないでね。こんなになって、首を曲げてうつむいていたんじゃないか。
瀬戸内 セックスしないとダメですか、先生。
今 ときどきやらたいといけないよ。

宇野千代さんとの赤門のデート
瀬戸内 そっちのお話きょうはできませんね、高尚な上品の話ばかりで。先生、いまストーブじゃないでしょう? いつかおっしゃっていた。川端先生に、女はそばへ寄ったらヤケドするから、ただ、そばであたるようにしていればいいんだって教えたと。そうすればヤケドしないで、エネルギ―だけ貰えるって。そして川端先生に「おれなんかはヤケドしない、おまえなんかはストーブでよろしい」って教えた。
今 ……(ニヤニヤ笑っている)。
瀬戸内 あのね、先生、あれ覚えていらっしゃる? 宇和島で、ホラ、かわいい芸者だったけれども、三里のお灸をすえていた。
今 忘れちゃった(笑い)。
瀬戸内 ずるい。それで先生、一晩中聞かれたの、ご存じですか? 私は隣の部屋で寝てたの。そしたら、岡部(冬彦)ちゃんと、もう一人悪い人がいて、私の部屋へ忍びこんで来てね、先生が三里のお灸の彼女と何するか、一晩中聞いていたんですよ。十二時から朝の四時まで。
今 眠ってた(笑い)。
瀬戸内 ジョウダンおっしゃる。「お祭りへ行ってなア」とか「椎の山があってなア」とか「おれはな、子供のときから坊主になった。手にアカギレができて、たいへんな山で……」なんて、苦労話を前戯でおやりになるということでございました。
今 前戯? ソレ。ははア……(笑い)。おれがホストの対談なのに、なんでおれを責めんならん(笑い)。
瀬戸内 それで翌日汽車に乗るでしょう。そうすると「ゆうべねえ」なんて逐一話してくださった。三里のお灸の子は腋の下が感じたっていったわよ、先生。
今 そんなことないんだよ。
瀬戸内 みんな現実に見てるんですから。
今 そんなこと、おまえ……(笑い)。
瀬戸内 それから、黒岩(重吾)さんがね、あの人、足がおわるいでしょう、それで政府がタダで補聴器をくれるんですって。ヘンですね。それでその補聴器を持ってさ。先生がホテルヘお泊まりになった、黒岩さんと岡部ちゃんとが隣の部屋から、補聴器で全部聞いたんですって。そしたらイビキばっかり。
今 オール、イビキ。なんでだろうと思ったら、目盛りを十八という強烈なヤツで聞いてたんだって。バカなヤツだね。バカなヤツ(笑い)。
瀬戸内 宇野千代さんとの昔の恋物語なんてすてきですね。淡い恋だったんですか。
今 何もないんだ。
瀬戸内 不思議ですね。二人の大猛者がね。信じられない。キスぐらい……?
今 ウン、ウン。大震災直後ぐらいじゃないかな。こないだ彼女に会ったとき、五十何年ぶりだって勘定してた。
瀬戸内 どこヘキスなさったの、先生(笑い)。
今 パカ!!(笑い)本にはいろんなの書いてるが、そのころはそんなの、はやらねえから。
瀬戸内 先生はどんな顔してキスしたんだろう。きっと、目つぶった?
今 いまみたいにやりゃアしないよ。いまはつぶるなったって、つぶりたいよ。いくらお千代さんでも、縦、横、十文字にシワになってるもの(笑い)。だけど、きれいな子だった。
瀬戸内 ほんとにきれいだったでしょうね。
今 着物の着こなしはいいし、それで黒い、ふさふさした髪でね、銀杏返し。そりゃア得意でね。
瀬戸内 それはよかったでしょうね。先生、いいお気持ちね。宇野さんが働いていらした店、本郷の燕楽軒――でしたね。
今 そう、久米(正雄)さんが夢中で惚れてね。そらア惚れて、口説いてね。それをおれと東郷(青児)が、憎たらしいわけだ。おれは飲めないから、みんなビール飲んでるのに、ぼくとか東郷は紅茶飲んでる。持ってくるとニッコリ笑って行くんだな。東郷があの通りノッタラしたことばで「トコチやーん、あの子、脈があるよ。どこの席へ行ったって笑やしないのに、トコちゃんみるとニッコリするだろ。もう一ぺん用をいいつけてみよう。お砂糖、足らないの」
いろんなものとると金がないから砂糖だけ(笑い)。そうすると、ニッコリ、また持ってきてくれる。とにかくこれは脈がある。といって、「つきあってくれ」とはおれから言い難い。そこで、翌日の昼間、あいつが乗りこんだんだ。
瀬戸内 先生の小説読むと、下宿でなんかしたって書いてある。
今 それはのちなんだ。つき合ってから。それで東郷がお千代さんに会って「ゆうべまた今ちゃんがね、おつき合いしたいっていってるけど、どう」、「いいわよ」ということになって、「今夜、ハネてから、大学の赤門のとこで待ってます」、「じゃ、行きます」――それがそもそも二人で歩き始めた最初。

ただ一回のプラトニック・ラブ
瀬戸内 どうして先生、手を出さなかったんです。
今 いやそれがね、つきあってるうちに、宇野さんが、おれとの結婚を考えていたんだ。ところがおれは結婚に、興味ねえんだよ。それに、うちのパバァのような古いヤツが、女給を「よろしい」というわけはない。おれにはちゃんと見えてたからね。それをしなかったというのは、騎士的感情だた。やりたかったんだよ。やりたかったけども、やったらこの子を不幸にすると、おれ、そう思ったよ。
そういうところがあるから、宇野千代がなおぼくを好きになったろうね。
瀬戸内 宇野千代さんのプラトニック・ラブなんて、先生だけじゃないんですか~
今 うん、あとにも先にもおれだけ。だからやっぱりあの子も、いい思い出を持っている。
瀬戸内 そして、さっきの道でキス、ですね。
今 ホラ、大学へ入って行くんだ。池の端を歩いたり、人影のない所、ない所を歩きながら、木立の所へ立ちどまってはキスし、しばらく歩いて池の端ではキスし……。
瀬戸内 おオ、おオ。
今 しまいに唇がはれたみたい。ふくらんじゃったみたい(笑い)。これ以上進んだら、必ず君を不幸にするといっているうちに、従兄の藤村というのが現れてね、それと一緒になって、札幌へ行っちゃったんです。
いい女でね。みイんな、往来の人が振り返ったよ。こいつ、何べんやろうかと思ったけれども…
瀬戸内 不思議ですね。信じられたいですね。
今 そういうことが一生に一度ぐらいある。
瀬戸内 あるんですね。唯一のプラトニック・ラブですね、先生にとっても。
今 そのあと、東京へ出てきて、尾崎士郎と一緒になったんだ。
瀬戸内そ ういう場合にね、先生、尾崎さんとか、東郷青児さんとか、それから北原武夫さんとか、宇野さんの男たちに対して、どんな感情を抱かれます?
今 いや、なんでもありゃアしない。あの子も、おれに平気でね「士郎さんていい人だからね、今さんもご存じのように」っていいますよ。
瀬戸内 東郷さんの話が出ましたけれども、東郷さんというのは、先生、竹久夢二の奥さんともあったのね。
今 よく知ってるね。東郷が夢二の港屋にいたんだ。
瀬戸内 短刀を持って、どうとかって……。
今 上野で出刃庖丁で夢二に追い廻されたって。東郷青児が。
瀬戸内 そこにね。そのころ、神近市子さんがやっぱり夢二のところにいたわけです。港屋に。神近市子さんとは何もなかったんですか?
今 ないよ。あれは、おれのいとこでおない年の女がいて、それが神近の教え子なんだ。その女学校の後輩が、石坂洋次郎のオカァチャン。弘前の女学校だった。
瀬戸内 弘前で思い出した。弘前の芸者が、先生に馬のようなキスマークをつけましたね。あんな大きなキスマーク見たことない。この灰皿ぐらい大きかった(笑い)。それで岡山で、私と松本清張さんが待ってて、今先生が弘前から来られて合流したの。夏でしたね。
今 ………。
瀬戸内 それで「おォ、暑い、暑い」なんて「ゆうべ弘前の芸者がね……まア見てくれ」――私たち四日間の講演旅行でしょう。その間に消さなければいけない。カアちゃんはいいけど、彼女にみつかると困るから。
そしたら松本清張さんが、いい方法がある、大根おろしをここへのっけたら消えるというの。そこで先生が宿の女中さんに大根おろしを持ってこさせて、おとなアしく座敷の真ン中にジッと寝ていて、私にやってくれとおっしゃるから、つけてさしあげた。すると、清張さんが、私を物陰へ呼んで「ザマア見ろ、あの和尚さん、キスマークが大根おろしで消えるわけはない。インクなら消える」(笑い)。それなのに今先生、おとなアしく寝て、まだ載っけてくれ、っていってるの(笑い)。
今 ……。
瀬戸内 もう一つ面白い話をね、汽車の中で教えてくださった。アソコのね、雑草をね、ハート形に、きれいに線香でカットするって話。かわいらしいから、私にしろっておっしゃるのよ。毎晩、毎晩、お風呂場で、銀のクシを使ってお線香で焼くんだって。それは自分でやらなかったけど、小説で使ったの。そしたら坂本スミ子がそれを読んでね、栗原玲児と一緒にいるころで、私がテレビで栗原さんにあったら「困るよ、あんたでたらめ書いたら。銀のクシと線香買ってこい、買ってこいってきかないんだ」って。
今 おスミがやったの?
瀬戸内 やったんですよ。とてもいいって。あるよその奥さんがまたすごく先生に惚れてて、ハート形にしたんですって。そしたら且那がびっくりしたんだって。そりゃあびっくりしますよね。先生、いるんでしょ、そういう人。
今 知らないねえ(笑い)。

おやじがモテすぎたために……
瀬戸内 宇野千代さんのあとには、プラトニック守ラブはいないんですか? 先生。
今 プラトニック・ラブの相手は、ここにもいる,し、戸川(昌子)もいるし、まあ円地さんもそうだろうし、数えりゃアいろいろいる。
瀬戸内 実行に及んだのはいないんですか?
今 ウン。それよりも里見さんなんかどうだ。もうだめか。
瀬戸内 そんなことないと思うわ。つやつやしてらっしゃる。でも、先生、長もちしていらっしゃるわ。七十四でまだ……。
今 おまえ、わかりゃアしないじゃないか。よけいなことをいうない(笑い)。川端はね、「もう二十年このかた、ないよ」っていってた。大宅壮一は「もう十年このかた、ないよ」
瀬戸内  鍛錬法があるんでしょう?
今 そんなこと、ないよ。
瀬戸内 これは生まれつきですか?
今 そう。
瀬戸内 お父さん譲りなのかしら。船長さんですごくモテタそうですね。
今 おやじは全然ダメよ。
瀬戸内 宮田文子がね、武林無想庵の奥さん、あの人が、今先生のお父さんに、もう夢中。
今 だけど、あれ、してないよ。だってうちのおやじは大変なピューリタンでね。
瀬戸内 あんなすてきた人はないって、私、宮田さんからじかに聞いてますよ。宮田文子が惚れちゃったんですね。彼女きれいだったでしょう。
今 とにかくうちのおふくろがアタマにくるのは、神戸へ行って待ってると、宮田文子は上海まで迎えに行って、ちゃんとおやじと一緒の船に乗って帰ってくるんだ。それでいて、やっていない。だって、おれにいうんだもの。「パパはどうしてもダメなのよ」って。
瀬戸内 じゃ、先生でもいいと思ったんじゃないんですか。
今 そうはいかない(笑い)。そのころ、おれは下宿ずまいだった。彼女は人力車で芝公園から谷中の下宿までやってくるんだ。それであれが玄関に立つとね、下宿の主人夫婦始め女中までみんなびっくりした。きれいだしね。「パパやママに苦労かけなさんなよ」って。おれは「ババアを追い出して、おまえさんが坐るたら、おれは賛成するよ」なんて冗談いってた。そんな仲だ。「しようのない息子ねえ」なんて帰っていくだろう。座布団を片づけると、ちゃんと下に、そのころで半年もつぐらいのカネがある。これは偉い女だなと思った。おれが、下手な絵や詩を書いてる時代でね。
瀬戸内 きれいな方ですね。まだ若かったし……。
今 撫で肩で、黒ちりめんの羽織で。
瀬戸内 私はどういうわけだか、晩年の、死ぬ直前の文子さんに好かれましてね、とてもかわいがられたんですよ。帝国ホテルの旧館にいらしたでしょう。ぜひこい、というんで行くと、あの自殺したイボンヌというお嬢さんが私と同い年なんですね。イボンヌのご主人というのが、辻潤と伊藤野枝のあいだにできた辻まことさんという画家ですよね。
今 イボソヌは自殺したの?
瀬戸内 自殺したのよ、先生。それで、私が行くと、ホテルのトイレの中でピフテキを作ってくれるんです。それが何ともおいしいの。
今 なぜトイレの中で……?
瀬戸内 帝国ホテルの中じゃ、料理作っちゃいけないでしょう。だからトイレに電気コンロを入れてあるんですよ。それが突然倒れられて、私は報せを受けてかけつけましたが、死に顔は、お化粧して、浴衣を着てとてもきれいでした。そんなわけで、私は文子さんから、今さんのお父さんがどんなにすばらしい方か聞かされたんですよ。そのとき、いってましたわよ、「あの今東光の親とは思えないくらい」って。
今 ひでえもんだナ(笑い)。まあ、もてたことは間違いたいな。三浦環、荷風夫人のころの藤蔭静枝、天勝、川上貞奴、みんなおやじのファγだった。
瀬戸内 じゃ、お母さんがあまりよくなかったーーというわけですか。
今 よくねえんだ、あのババア。おれがよくねえのは、みんな、あのおふくろのせいですよ(笑い)。

休和尚は一段も二段も上
今 しかし、おれも長く生きたもんだな。芥川さんが死んだとき、おれも実は死にたかったんだ。いろんな意味でね、思想的にも悩み家庭的にも悩み……そうしたら、ちょうど芥川さんが死んじゃったでしょう。それで、のちに菊池寛とも話したんだけど、芥川の女問題でね、知ったかぶりして書き立てたりするだろう。そういうの見たらね、まるで死者に鞭打ってるみたいで、これは芥川さんでそのくらいだから、おれたんか死んだらどんなことになるかわからん、これは死ねないぞと、思いなおした。それで得度したわけですがね。
瀬戸内 でも、得度するのは、すぐはできないんでしょう。修行しなければいけないんでしょう?
今 阿閣梨さんが見て、これは本気かどうか、根性から試すけれども、ぼくの場合は、必死でしたからね。死ぬ気でいたんだ。
瀬戸内 私がいま得度したいといったら、先生、やってくださる?
今 そりゃあ、やりますよ。
瀬戸内 ほんとのところ、私はその気があるんです。このあいだ、円覚寺で講演したときに、朝比奈(宗源)さんが私の話がとてもおもしろいとおっしゃってくださった。ですから、得度するなら、朝比奈さんにお願いしようかな、と思ったんですけれど、やはり、先生にお頼みしようと思って……。先生、得度してくださいます?
今 やるよ。おれは、戸川(昌子)にも、本気で得度しろといってるくらいなんだよ。
瀬戸内 でも、戸川さんはまだ若いし……。
今 戸川はお寺持ってるんだよ。
瀬戸内 彼女には、そんな気ないでしょう。
今 だからバカだって、おれはおこるんだよ(笑い)。
瀬戸内 私はやる気あるんですよ。したいことをさんざんしたから、もう尼さんになろうと思って……。先生、お元気なあいだに、得度してくださいね。得度の話、だれにも話しちゃだめですよ。
今 ………。
瀬戸内 川端さんもしておられれば、また違っておられたでしょうか。
今 一休さえ自殺をはかった、自殺はいけないとね。ところが、一休はぼくの日本で五人の好きな坊さんの一人ですね。あれはおれぐらいの年、晩年にお森という女がいた。目が見えないの。絶世の美人。
瀬戸内 ワアー、素敵。
今 それでな、メンスになってて悲しんでな、足をさすったりする詩があるんだよ。お森のイズミの香りがとてもかぐわしいとかさ。
瀬戸内 アラア、素敵ね。一休って、素敵ですね。
今 一休ぐらいすばらしい坊主ありませんよ。
瀬戸内 岡本一平さんが一休伝を書いているけれど、大してよくない。どうして先生、お書きにならないんです。
今 おれよりも一段も二段も上、第一、あの字を見たらね、とても書けたいよ。
瀬戸内 私なんか、なお書けない。でも、盲、蛇に怯じずっていいますからね。
今 ぜひ書きなさい。応援しますよ。


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皇位継承
平成17年10月16日に発行されたメルマガ「国際派日本人養成講座」、を、筆者の伊勢雅臣氏が再ツイートしていた。
国柄探訪: 万世一系のY染色体~「女性天皇問題」は歴史の知恵に学べ13030702.jpg

それを読んで思い出したのが、やはり同年の平成17年5月1日に発行された、中川八洋氏の『皇統断絶』(ビジネス社)だ。同書は〝激しい〟書であるが、諸手を挙げて賛成できる行もある。以下の3点だ。

血統は女系では必ず消える。男系のみが血統を継承していく。これは、人間の(生物学的な)自然の感覚であって、人為でつくられたものではない。(p.29)

〝碩学の中の碩学〟井上毅の皇位継承の理論は、今でも強力な権威がある。そのため、戦後の左翼憲法学者などは一様に、井上毅を持ち出されるのを怖がる。だから井上毅をいかに貶めるかは、あの古色蒼然とした「コミンテルン三二年テーゼ」を今も信奉する天皇制廃止論者にとっての、最優先仕事の一つになっている。(p.75)

皇室典範とは、皇統二千年の伝統・慣習が凝集し結晶化したもの…(p.137)

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以下の内容は反対はしないものの、あまりにも〝激しい〟。亀さんも多少は激しいところがあるが、中川氏の〝激しさ〟には負ける。

中野正志の著『女性天皇論』は、共産主義者と朝鮮人が完全支配している朝日新聞社が刊行しているから読まなくても明らかな「天皇制廃止論」である。(p.117)

小堀桂一郎は、森鴎外の研究を除けば、過去三十年に及ぶ著作の多くは「盗作」か「他人の研究の代理執筆」であるように、自分で研究する能力と知見がほとんどない。(p.156)

ルソーを高邁な哲学者として崇めているのは、十九世紀からの、日本とドイツだけに限られた珍しい現象である。(p.205)

「夫婦」や「家族」あるいは男女の正常な関係を破壊し粉砕するのが、フェミニズム運動の正体である。(p.206)

「無国籍放浪の朝鮮人」的な福田和也らしい、祖国をもつ由緒正しき日本人への憎悪感情である。
(p.238)

しかし、賛同できかねぬ行もある。以下の二点だ。

スターリンの命令に従って、昭和天皇断罪の〝証人〟として出廷した、KGB高級工作員である瀬島龍三の天皇告発は不発に終わった。(p.53)

昭和天皇も吉田茂も、近衛が共産主義者で「ソ連の工作員」でもあったことに、生涯、気付くことはなかった。(p.57)

反対理由は別ブログで多少触れているので、参考の意味で一読戴ければと思う。
『瀬島龍三と宅見勝「てんのうはん」の守り人』
東日本大震災とツラン

伊勢氏や中川氏が皇室継承の心配をしていた翌年の平成18年9月6日、秋篠宮ご夫妻に悠仁親王が誕生した。これこそ正に〝神計らい〟と言えよう。

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なお、栗原茂著『アッシリア文明史論』にも、〝男系因子〟について言及した、以下のような記述があるので、参照して戴きたい。『アッシリア文明史論』の一部は「みち」のホームページでも一部を読むことができる。

●皇室外交の歴史的素地 
外つ国が確実に信を抱く至誠外交は皇室モデルとされ、今や歴然たる型示しに見られる光景と成り得ているが、その歴史的契機は一般に大正後期のち昭和天皇となられる皇太子殿下の訪欧が始まりとされている。それを公式と認識させる必要があったのは、外つ国が抱える宿痾とともに、日本政府が鼓吹する皇国史観の演じるところであり、その作為性を鵜呑みにするようでは史家とはいえまい。つまり、覇権先進国が日本を富国強兵と認める必要に迫られた顛末は、日清・日露の戦役を機に始まり、その元首たる天皇が万世一系の神と崇められるミステリアスに惑わされ、列強諸国が対日関係を如何に取り扱うか、外交戦略上のアクション・プランへ組み込まざるを得なくなったわけだ。

 それは光格天皇の御代すでに起こりえており、初期アメリカ合衆国のデビューと重なる写し絵でもあり、アイスランドで爆発した噴煙が陽光をさえぎり、ヨーロッパ大陸の食糧危機は新星アメリカをも脅かし、ナポレオン旋風は台風の目の如く強まり、ユーラシアに忍び寄る赤い思想は帝国ロシアに浸透していき、アジア大陸に漂う暗雲は重く垂れ込めて広がり、わが祖國も東北活火山の爆発で疫病と米騒動が政体を揺るがしている。その歴史認識に狂いを生じる作為性はコスモポリタンにあり、それは何度も繰り返すフェニキアの流れを汲むミトコンドリアの如きネットワークで成る働きを指すため、わが祖國では隠れキリシタンに始まるとも見られるが、古事記編纂期すでに来日シャーマンのロビー活動は盛んと診る意が筆者の史観を支えてやまない。天武天皇の勅に鑑みれば、来日シャーマン対策は國體および政体にとり、懈怠は許容できない責務となり、その負託に応える対策が万全を講じたのは、後継天皇の接合構造に神通力を加えれば明らかに透けてくる。しかし、國體の負託で政体強化が進む平安期に緩みが生じると、政体ロビーストの暗躍を赦す役人天国がはびこり、逆に國體を慮る奉公衆は安保対策の強化を施していた。

 天武天皇の勅に始まる古事記編纂は、持統天皇(女帝)が空位三年と一一四日後に引き継いでおり、次は文武天皇への譲位で在位九年と三一八日、次の元明天皇(女帝)は空位三二日で在位八年と四七日とされ、古事記三巻は元明天皇の和銅五(西紀七一二)年一月二八日に謹上されたという。元明天皇が和銅八年九月二日に崩御されると、同日その次も女帝の元正天皇が即位され在位八年一五五日とされている。万世一系の所以たるは、歴代天皇中に女帝八人そのうち重祚二人とされるが、いずれの女性天皇も男系因子へ譲位する重役を全うしており、正確な帝記と旧辞を記す古事記編纂時の危機管理を誠実に果たした痕跡が十分に満たされているのだ。つまり、富士山を西に仰ぐ江戸幕府が明正天皇という秀忠の娘を女帝にしても、明正天皇は万世一系の男系因子を心得ており、現時点で最後の女帝たる後桜町天皇におかれても、後桃園天皇へ譲位さらに光格天皇を支える上皇として男系因子の意を継がれ、皇室外交の歴史的素地を築いた証が透けるのである。

 日本人の源流を手繰るのは旧辞の登竜門、その手本が古事記であり、日本文明の底流を支える姓すなわち職能としての伝統的系譜が刻まれ、神武天皇即位とともに、それら姓は制度的に整えられたのではなかろうか。先住土着民といえども、人の移動は当たり前ゆえ、情報に係る活動が姓となれば、その移動が海外に及んでも不思議ではない。また移動先が遠くなるほど人は望郷や愛国の念に駆られるが、その身分が克己自立を求められ、海外の移動が常の姓となれば、もはや超克の念を鍛えるしか法はあるまい。官奴婢の流れを汲む外交官に望むべくもない現実ではあるが、この伝統的系譜を筆者は皇統奉公衆と称え仮に述べるのであり、皇室外交の歴史的素地としては、伏見宮親王家の創設を契機に本格的な海外ネットワークが構築され、現在さらに未来へ通ずると確信しているのである。単なる表層事象を伝えジャーナリズムと自称しても、電脳ロボットに劣る人脳サイボーグの如きクローンが徘徊するだけ、もはやジャーナリズムを信じる現実など存在しまい。 

フルベッキ写真に写るは…
亀さんは、「フルベッキ写真」という簡単なサイトを立ち上げている。

謎のフルベッキ写真」をクリックしてみると、中央の外国人親子を取り囲むようにして、大勢の侍が写っている写真が最初に目に飛び込む。そして、写っている人物の名前らしい一覧が、下に表示されているので読んでみると、ナント! そこには明治天皇、西郷隆盛、坂本竜馬、大久保利通、勝海舟、伊藤博文…、その他大勢の超有名な幕末明治の志士の名前があるではないか…!

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実は、数日前に話に出した亀さんの〝ものさし〟の一つが、フルベッキ写真なんだ。つまり、世の中でフルベッキ写真について語る人の話に耳を傾ければ、その人物が山師かどうか簡単に見分けがつくというワケだ。それで思い出したんだが、No.34の人物は額の広さからして、正に大村益次郎と言いたげだった山師もいたなぁ…(笑)。

慶応大学の高橋信一先生と一緒に、亀さんはフルベッキ写真に関するブログを公開しているので、関心があればサーッと〝眺めて〟もらえたら幸いだ。なにせボリュームがあるので、全文を読むのは大変だからね…。
http://pro.cocolog-tcom.com/edu/cat4229856/
日本の人口の1/3が消える…
亀さんは、福島原発事故に無関心な友人知人に対して、チェルノブイリ原発事故に学べと、今までに幾度も口酸っぱく言ってきた。しかし、ほとんどの人たちは、暢気にバラエティ番組を見て、ゲラゲラ笑っているだけ…、というのが現実だ。

本日紹介した飯山(一郎)さんの講演ビデオを観て知ったんだが、「技術屋!BOPPOのブログ」というブログで、お猿さんにも亀さんにも分かる、衝撃的な記事がある。以下をクリックして欲しい。
日本が避けて通れないであろう厳しい現実

福島原発事故から間もなく2年が経とうとしているが、チェルノブイリ原発事故を下敷きに試算したところ、以下のような予想になったという。

一番酷い2026年には、1年間で約270万人が犠牲となります。
また、今から6年後の2018年から急変する事も分かります。


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また、以下の記述も重要である。

現在ロシアでは、0.28μSv/h以上の地域を居住不適として、半径180km圏を廃村にしています。

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ピンク色の円内が半径180km圏に相当する。あなたの所は、大丈夫……?
あの【飯山一郎】先生が甲府で吼えた!
3月2日、甲府市の甲府商工会議所で、『乳酸菌との共生セミナー』が開催された。以下は飯山さんの講演ビデオで、1時間強と長いが観るだけの価値はある。甲府まで出かけ、貴重な映像を撮影してくれた道友に、感謝感激雨嵐…♪


中川宮の登場
先週の日曜日、NHKの「八重の櫻」を見ていたら、昨今気になっていた中川宮こと、久邇宮朝彦親王が登場していた。

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亀さんが「八重の櫻」で注目している人物は、主人公の新島襄と山本覚馬・八重の兄妹を除けば、孝明天皇、朝彦親王、そして未だ番組に登場していない岩倉具視だ。これは「堀川政略」に深く関与した話であり、以下に堀川政略という言葉を編み出した落合(莞爾)さんの説明を少し引用しておこう。

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「堀川政略」とは私の造語で、あくまでも仮称です。成立の過程は当然ながら霧に包まれていてハッキリしませんが、孝明天皇の勅諚を下された青蓮院宮尊融入道親王(のち中川宮・尹宮・賀陽宮または久邇宮朝彦親王と称す)と侍従岩倉具視の両人が、嘉永六(一八五三)年ころに立案したものと推定されます。

勅諚の動機はアメリカ合衆国水師提督マシュー・ペリーの浦賀来航と開港の要求で、これを契機として将来の開国を見据えられた孝明天皇が、国家・皇室が国際化に対応するための根本的戦略として、青蓮院宮と岩倉具視に諮ったものと考えられます。

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和宮の降嫁で象徴される、公武合体の武の立場で堀川政略に参画していたのが、徳川家茂と徳川慶喜だった。このあたりは、今まで繰り返し述べてきたように、落合さんの『明治維新の極秘計画』や今後続刊が予定されている同シリーズを追いかけてもらえれば、自ずと納得していただけると思う。亀さんがアマゾンに投稿した同書のカスタマーレビューは、どういうワケか削除されてしまったが、原文は以下のように別ブログに残してあるので、一読してもらえたら幸いだ。
『明治維新の極秘計画』

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………!
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本田宗一郎の教え
あれは確か38年も前の話になる。当時の亀さんは、某専門学校で貿易を学んでいた。新聞配達をしながら学校に通っていた苦学生だったので、当時の想い出は山ほどあるのだが、別の機会においおいと書いていこう。

さて、当時(今も?)無鉄砲だった亀さんは、どういう経緯か忘れたが本田宗一郎に会おうと思い、東京は銀座の小さなビルの一角にあった、本田事務所に数度足を運んだことがある。そこは、本田宗一郎の秘書を務めていた原田(一男)さんと、部下の若い女性数名だけのこじんまりしたオフィスだった。

足を運ぶうちに、次第に本田宗一郎に会うことはどうでもよくなり、原田さんの人物に惹かれていく自分がいた。原田さんは、行くたびに一時間以上もいろいろな話を聞かせてくれた。ある日、某大手企業の重役が話の途中に来社されたので、恐縮して席を立とうとしたら、原田さんは部下の女性に「待たせておくように」と指示し、さらに半時間ほど続けて話を聞かせてくれたのである。

その原田さんの本田宗一郎観だが、そのあたりを本に著しておられるので、一読してもらえたら幸いだ。

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その後の亀さんは専門学校を退学し、尾瀬の自然保護運動に参加したり、群馬県沼田市の友人がやっていた野菜の行商を手伝ったり、本を乱読したりという日を過ごしていた。その友人とはニューヨークのバイト先で知り合っている。当時の亀さんは自分の生き方に迷い、苦しんでいた時期だったんだが、その亀さんを救ってくれたのが、未だ雪深い尾瀬ヶ原の雄大な自然、そして原田さんがくれた1通の手紙だった。そこまで赤の他人であった亀さんのことを思い、本田宗一郎の秘書という重職にありながら、長文の手紙を認めてくれた原田さんには今でも感謝している。

その後、銀座の本田事務所から足が遠のいた頃、新聞の募集欄を見て本田技研に入社した。原田さんにも簡単に手紙で入社したことを報告しておいたが、どう思われただろうか…。それから数年が経過したある日、誰かが亀さんの仕事ぶりをジーッと見ているのに気づいた。ひげの殿下こと三笠宮寛仁様、そして本田宗一郎だった。

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ヨガのすすめ
亀さんは、かれこれ30年近くヨガをやっている。きっかけは健康のため…、ではなくてヨガのインストラクターの女の子と知り合い、彼女のヨガ教室に通い始めたのが、そもそものきっかけだったんだ。お陰様で、特に大きな病気もなく今日まで来た。あとは、山人さんの後ろについて、ウォーキングを始めれば言うことがないんだけど、当面は仕事に追われて外出もままならない(泣)…


皇太子殿下の祈り
『新潮45』3月号に載った山折哲雄氏の「皇太子殿下、ご退位なさいませ」という記事が、世の中で物議を醸している。元木昌彦の深読み週刊誌が、山折記事の一部を引用していたので、本稿でも再引用の形で以下に転載させていただこう。
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「率直に申しあげることにしよう。皇太子さまと雅子さまは愛子さまとともに、いわば第二の人生を選ばれてもいい時期に際会しているのではないだろうか。
皇太子さまによる『退位宣言』である。象徴家族としての重荷から解放され、新たな近代家族への道を選択して歩まれる『第二の人間宣言』といってもいい。その人生の道はおそらく芸術と文化の広々とした森に開かれているにちがいない。敗戦直後の昭和天皇による『人間宣言』、平成時代に入ってご自分の葬儀にふれられた現天皇の第二の『人間宣言』、そしてもしも皇太子さまが退位のご決意を表明されれば、それは第三の『人間宣言』として国民のこころにひびき、暖かな共感の波をよびおこすのではないだろうか。
そして、そのように選びとられた第二の人生の生活の場として、一○○○年の都であった京都の地ほどふさわしいところはないのではないかと私は思う。天皇家のまさに父祖の地であった京都は、御所の森を中心に数々の寺社をその奥深いふところに抱え、緑したたるなだらかな山々に囲まれた美しい都であった。その地に居を移すだけで、雅子さまの病状もゆっくりと回復にむかうであろう。豊かな自然の環境に包まれ、自然な歩みのなかで快癒の実りを手にされるはずである。

いま、皇天子さまの『退位宣言』ということをいったけれども、これは具体的には弟君、秋篠宮殿下への『譲位宣言』を意味するだろう。それがはたして、国民のあいだに、どのような反響を呼びおこすか、いまの私にははかりがたい」

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以上、記事の一部だけではあるが、宗教学者の山折氏ですら上記のような記事を書くように至ったのだから、本当に〝敵〟の工作は見事としか言いようがない。しかし、「世の中は目明き千人盲千人」とはよく言ったもので、この問題の本質を正確に読み取っている御仁がいる。昨日取り上げた飯山(一郎)さんその人だ。以下の記事を一読いただきたい。
◆2013/03/01(金)3 浩宮退位のデマを流す勢力

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さらに、皇太子殿下の本当の姿を把握しているのが、「国際派日本人養成講座」というメールマガジンの伊勢雅臣氏だ。以下の同氏の記事を是非一読いただきたい。
皇太子殿下の祈り

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皇太子妃雅子様へのバッシングはさらに酷い。しかし、雅子妃の本当の姿が分かるかどうかは、偏にシャーマニズムというものに何処まで迫っているかにかかっている。亀さんが皇室を取り上げた本、雑誌、新聞、ネットなどを読み、内容の真偽を判断する〝ものさし〟の一つにしているのがシャーマニズムで、その執筆者がどこまでシャーマニズムの本質を掴んでいるかどうかで記事が本物かどうかが分かるのだ。

だから、亀さんが落合莞爾氏の『明治維新の極秘計画』の主張を支持しているのは、シャーマニズムという〝ものさし〟で同書を読めば本物と分かるからだ。

落合説を信じられるかどうかは、偏に「日本天皇の本質が国民国土の安全を祈念する国家シャーマンだからです」(p.10)という、落合さんの言葉の意味するところを何処まで理解し得るかにかかっているように筆者は思う。

『明治維新の極秘計画』に登場する〝ある筋〟や〝さる筋〟に言わせれば、世の中は皇太子ご夫妻の問題で喧しいが、「大きなお世話」とのことだ。
傷寒論と吉田寅二
『スターピープル』誌(春期号)が届いた。早速開いてみると、飯山(一郎)さんの写真が目に飛び込んできた。今まで見た写真のなかでは、一番良く撮れている写真だと思う(笑)。夏季号でも再登場するというので楽しみだ。

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さて、インタビューの中で飯山さんが、「上海で『傷寒論』の原本を見つけた」と語っている行がある。曰く、「同書を紐解き、蓬の頁を読んで閃くものがあり、それが乳酸菌の誕生に繋がった」とのことで、これは初耳である。

この傷寒論だが、今から15年ほど前に亀さんが発行していた「日本脱藩のすすめ」というメルマガで、傷寒論について執筆するつもりで準備をしていたところ、傷寒論関連の書籍を数冊出版している東明社の故吉田寅二社長から貴重なメッセージを戴き、転載許可を得た上でメルマガに載せたことがある。今日読むに、亀さんの文章の拙さや粗さばかりが目立つので恥ずかしいのだが、吉田社長の寄稿には重要なメッセージが含まれていると思うので、この機会に公開しておこう。

日本脱藩のすすめ「中国古典(傷寒論)」1999/05/03

 今回の中国古典シリーズは、『傷寒論』です。

 『傷寒論』については書名は知っていたものの、数多くある中国古典の一冊に過ぎないと思っていました。

 そうした認識を改めるようになったのは、東明社(出版社)の吉田寅二社長の知己を得てからしばらくのことでした。

 吉田社長は易経と漢方について造詣が深く、自著も出されています。(下記の参考文献を参照)そして、会う都度、いろいろと貴重な話を聞かせて戴いたものです。

 さて、今回取りあげる『傷寒論』とは、そもそもどのような内容の本なのでしょうか

 最初に、傷寒とは腸チフス及びその類いの急性熱病のことをいいます。編著者の張仲景は後漢末期の人でして、仕官して長沙太守になった人物です。巻頭の自序には、傷寒が流行して一族のうち多数か斃れたので、そうした際に有効な医書(医方書)の編撰を思いたち、古医書や民間療法から広く撰んで『傷寒論』ができたと書かれています。(尤も、自序は本当に張仲景の手によるものかどうかは専門家の間で意見が分かれるところです。)

 次に、『傷寒論』はどのような評価を得ているのでしょうか。

『傷寒論』はひとたび世に出ると高度の実用性の故に重宝され、臨床医などから「衆方の祖」と親しまれた。世間は仲景を「医中の亜聖」と呼んだ。当時の名医としてよく知られている華佗もこの書を賞めて、「これこそ真に人を活かす書だ」と言った。現在でも、今に残る中国臨床医学書としては最古最高のものと認められ、その評価は革命後の現代中国に於ても不動である。
『中国の古典名著 総解説』(自由国民社)

東洋医学の古典の中で一番始めに学ばなければならないのは傷寒論である。[傷寒論は聖人の作であって万巻の医書有りと云えどもその右に出る医書なし]といって、名医達がほめたたいえている。
『傷寒論・金匱要略総説』(劔持久講述 東明社)
 
東洋医学、殊にその湯液療法の基礎をなすものは「傷寒論」であり、その重要性は儒教における「論語」、キリスト教における「聖書」にも相当するものであり、それ故に古来より、一角の漢方医家たるものは、すべてこの書を深く研究し、この書によって済生の業を実践し、この書について独自の見識を持つことにより、各自それぞれの独自性を確立してきたものとされています。
  『傷寒論再発掘』(遠田裕政著 東明社)

 書評の文を読み、『傷寒論』とはどのような書物なのかを大体察して戴けたかと思います。いずれにせよ、簡単に言ってしまえば、『傷寒論』は腸チフスなどにかかった場合の診断治療に役立つようにという点に徹して書かれたものであるといえそうです。そして、東洋医学の“聖書”とまで高く評価されているのが『傷寒論』なのです。


 『傷寒論』が張仲景の手によって完成(西暦219年頃)して以来、1800年もの時が流れています。その間に書かれた『傷寒論』の解説書や注釈書は、日本だけでも優に五百書をこえているといわれています。

 ちなみに、一般の書では、『傷寒論』は次のように紹介されています。

『傷寒論』では、病状に従って太陽病・陽明病・少陽病の三陽と、太陰病・少陰病・厥陰病の三陰とに分けている。症候が現われる身体の部分から言えば、三陽は身体の表面及びそれに近いところで、三陰は裏、すなわち身体の内部に病状が現われる。外部から侵入する邪気は身体の表面より次第に内部に進み、太陽病より進んで厥陰病に至って重態となる。こうした病気の進行状態を示す言葉であると同時に、体質に応じて異なった病状を生ずる言葉であった。

以上のように、『傷寒論』はもっぱら陰陽説ですべての事象を説明するのが特徴である。

  『中国の古典名著 総解説』(自由国民社)
 
 このことから、世間では三陰三陽説をベースに『傷寒論』を解釈しているということが分ります。しかし、単純に『傷寒論』は三陰三陽説で成り立っていると片付けるわけにもいかないようです。例えば、『傷寒論』の衍文には五行説なども混じっており、いろいろと問題があるのですが、それについてさらに追求するとなると専門的な話になってしまいますので、ここでは立ち入らないことにします。

 ただ、今回のメールマガジンを読み、『傷寒論』を読んでみたいという気になった読者に勧めたいのが、下記の3冊の本です。


★『傷寒論・金匱要略 総説』(劔持久講述 東明社)
 漢方の奥に横たわる中国思想の変遷にまでさかのぼり、また近代科学思想との仲立ちをする広い立場から『金匱要略』を解析した書。一読をお勧めします


★『傷寒論再発掘』(遠田裕政著 東明社)
 遠田さんの研究の核心は『康治本傷寒論』にあります。同じ『傷寒論』といっても、『金匱要略』、『注解傷寒論』、『栄板傷寒論』などいろいろあるのですが、今までの研究者は、『康治本傷寒論』については偽書ていどの認識しか持っていませんでした。しかし、遠田さんは、『康治本傷寒論』こそ『傷寒論』本来の書、すなわち“原始傷寒論”と信じるに至ったようです。そして、「これまでの諸先達の傷寒論研究は、たとえどんなにエネルギーを投入した立派なものであったとしても、『康治本傷寒論』なしの研究では、大きな根本的な見落としが、共通して存在している可能性がある」と断言しています。

 遠田さんの説に同意するしないは別にして、一読の価値はありそうです。

★『救急漢方の考え方』(吉田寅二著 東明社)
 題名から察することができるように、万人向けに書かれた漢方の書です。いちど漢方の良さを見直し、家庭の救急箱に漢方薬を常備されたらいかがでしょうか。


 これから高齢化社会を迎えるにあたり、健康への関心が年々高まっていくようです。脱藩修行も健康体であってこそ、続行出来るのです。志半ばで倒れては悔やんでも悔やみきれません。お互いに健康に気をつけ、それぞれが信じる道を歩んでいきたいものです。そうした意味で東洋医学の至宝とまでいわれている『傷寒論』を読み、ひいては漢方についての本を読みすすめていくと得るものがありそうです。


[追記]

 実は、上記の本文を東明社の吉田社長にチェックをお願いしたところ、下記のような返事を戴いております。かなり重要な指摘が含まれていますので、添付致します。

◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇
亀さんへ

 E・メールにて『傷寒論』という漢方古典を取り上げられて解説された勇断にまず敬意を表します。

 中国古典にはいずれも学ぶところが多いと思いますが、漢文であるところから、なかなか現代人には近寄りがたいと思われがちです。また漢文には「白髪三千丈」式のオーバーな表現や五行説に代表される、もって回った説明も多く、ともすると現実離れの架空論に引き込まれる恐れがあります。『論語』読みの『論語』知らずに陥る危険が漢文にはつきまとっています。

 それを避ける最も危険の少ない漢文接近の方法として、私は『傷寒論』に親しむことを多くの方にお薦めしたいと思っています。理由は簡単です。『傷寒論』は私たち誰でも関心を持たざるを得ない病気直しの「聖典」であるからです。しかも他の漢文にあるような「持って回ったような」余計な文章がなく、しかも非常に短文で、ズバリと要点を指摘してくれるので、本を一応読んでコツを知れば、誰でも、明日からでもこれを活用でき、しかもそれを読むこと自体が漢文習得になり、生命に関しての学問ですから役に立つことばかりです。

 しかも『傷寒論』の本文は六十四条(実際は六十五条)しかなく、本気で取り組めば暗記できるくらいのものです。『傷寒論再発掘』の著者・遠田裕政教授は、本当にそれを漢方研究者に要請しています。

 なぜそれを要請されるのかといいますと、それを脳に暗記しておけば、そのとおりの病者が現れ、その指示のとおりに漢方処方をおこなえば病気が治るようになっているからであり、そこには、近代人が失ってしまった知識の活用のエッセンスがこめられているからです。現代人はパソコンの活用によって、実はその醍醐味を味わいつつあります。

 ありていに言えば『傷寒論』では人間の病気のあらゆる形を六十四に圧縮整理する方法を確立したわけです。四百四病という病気を、簡単化する見方を確立したのです。

 何病に係わらず初期症状としては、熱がでたり、寒む気がしたり、汗ばんだり、元気がなかったり、という具合にです。

 そして病気の進行に従い色々な症状を取り上げ、それに対する適切な生薬の研究は想像を絶するほどの完成に達したと断定できます。これを現実の病にどう適応させるかに人間の英知の活用法があったわけです。

 とうとう『傷寒論』が現れ、人間のあらゆる症状とそれに対応する処方を六十四の型に完成したわけです。その実現がきわめて困難であったとは想像に難くありませんが、これが完成した意義は計り知れない大きなものがあったはずです。

 なぜなら、治療者は病気が現れた場合は、『傷寒論』のどの条が適合するかを直ちに判断できることになるからです。もしこのような指針なくして診断しようとすると、容易に結論に達することができません。そういう点から考えると『傷寒論』医学というものには先端的意義が感得できるのです。

 型の習得によって、実行を得る方法としてはいろいろあります。剣道、柔道、茶の湯、華道、南画の修行などの例を見ればその合理性は納得できると思います。『傷寒論』には僅か六十四の症例が出ているだけですが、どんなに大きな恵沢が得られるか計り知れないものと私は確信すると共に学習されることをお薦めします。

 『傷寒論』がどんなものであるかその一条を紹介してみましょう。

 第12条 太陽病、項背強几几、無汗、悪風者、葛根湯主之。

 (読み方) たいようびょう、こうはいこわばること、きき、むかん、おふうしゃ、かっこんとう、これをつかさどる。
 (解釈) 発病初期で、首筋が強ばり、鳥が羽をひろげて飛び立つような形をし、汗が出ていないで、寒むけのするものには、葛根湯が良い。

というもので、持って回ったような表現がなく、実に解り良く、むしろ、日本語表現よりも明快といえるくらいです。

 『傷寒論再発掘』ではこの調子で、六十四条を懇切に解説してあるほか、処方を構成する生薬の性質とか組合わせの特徴とかを詳細に紹介して余すところがありません。また『原始傷寒論』のあとに著された『栄版・傷寒論』についてもふれて『原始傷寒論』との比較研究なども行なっており参考になるものが多いといえます。

 『傷寒論』に記載されている症例は人間の病気エッセンスともいうべき例であり、これを十分会得しておきますと、自在に応用範囲を広げることができるほか、六十四は圧縮すれば八になり、さらに四に凝縮することができます。私はこれをさらに二にまで圧縮して通用することを試み、見事な手応えを得た体験があります。

 それは上記の『傷寒論』第十二条を応用して、近代病院で、余命三ヶ月、いつ急変するかもしれないと絶望視されていた、「肺癌」が脳に転移した「脳腫瘍」患者を主治医の許可を得て漢方治療を施し、二ヶ月半にて退院させたことがあります。この時用いた処方が上記の「葛根湯」でした。

 この例は私が『傷寒論』を研究していたところへ、たまたま格好の患者があらわれたので実現した奇跡というようなものですが、反面からすれば必然ともいえるものです。

 『傷寒論』は病気に対する一つの考え方ですが、これには「易」の基礎認識の陰陽哲学と共通です。自然や社会現象や運命の洞察に「易学」の効果がとかれて勉強を始める人がおりますが、『易経』から始めると、とかく漢文の壮大な表現に攪乱されて、ミイラ取りがミイラになってしまう例がすくなからず見受けられます。同じ思想体系にあっても『傷寒論』からはじめると、対象が生命であり、病気なのでその罠にかからないですむと思います。

 『傷寒論』といっても中国をはじめ日本にも多くの本が出版されています。そして、時代を経る間に論には論を重ね、屋上屋となり、説明は微にいり細を穿つようになったが、結論がはっきりしないようなものもできて、現代医学との混淆のようなものとなり、ついには『原始傷寒論』偽もの説まで横行するようになりました。遠田裕政教授の『傷寒論再発掘』が多くの紙数を用いざるを得なかったのも、それらの虚妄をいちいち解明しなければならなかったからです。ともかくこの本は、漢方ばかりでなく多くの示唆を含んだ名著であると推薦いたします。本書のほか東明社では次のような『傷寒論』に関する本を出版しています。

 ・『傷寒論孝述』 劔持久 (品切れ)
 ・『傷寒論・金匱要略 総説』 劔持久  8,500円
 ・『漢方医学の原点』 劔持久 4,500円
 ・『易と漢法・経世済民の思想』 吉田寅二 1,500円
 ・『救急漢方の考え方』 吉田寅二 1,000円

吉田寅二
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東京は文京区の湯島に、「洋」(うなばら)というショットバーがある。その洋のマスター中野(文博)さんからバーテン歴50年を祝って、3月24日にパーティを開くので出席しませんかという、お誘いの手紙を一ヶ月ほど前に戴いた。3月は毎年仕事(翻訳)で超多忙なので、返事は暫く保留にしておいたのだが、今日に至ってやはり無理ということで、泣く泣く欠席のハガキを出すことにした。ちなみに、中野さんとの初めての出逢いは本ブログに書いており、かれこれ35年のお付き合いだ。
フーテンの亀さん

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亀さんが中野さんのカクテルで、一番好きなのが「白梅」だ。洋に行った時は、これを飲まずには帰れない。

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中野さん、近く湯島に行くことがあったら、洋に寄らせていただきます。

洋に行ってみたいと思った方、以下のページ参照
「ワイン洋(うなばら)」

〝冤罪の冤罪〟事件
『月刊日本』が主催する講演会には幾度か参加しているが、二年ほど前に参加したとき(確か、亀井静香氏だったと記憶している)、「袴田事件」のDVDを同誌主幹の南丘(喜八郎)氏が紹介していたことがある。その後に同ビデオを入手して観たが、改めて冤罪の罪深さを教えてくれた映画であった。

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また、例の神戸事件であるが、同事件は冤罪であると亀さんは思っており、そのあたりを別ブログに書いている。
『神戸事件を読む』

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同書の筆者である熊谷英彦氏とメールを交わしたこともあり、熊谷氏からは上記の記事に投稿していただいている。熊谷氏の著書を読むことにより、亀さんは神戸事件は冤罪であると確信するに至った。

また、亀さんの住む飯能市周辺で起きた宮崎勤事件だが、多分冤罪であろうと思っていたところ、以下のような記事に出会った。これで、宮崎勤はシロであった可能性が高まった。
宮崎勤の死刑執行…断言するが、あれは「冤罪」だ!

さらに、最近起きたパソコン遠隔操作事件の容疑者とされている片山祐輔氏だが、確証はないものの、本人が無罪を主張している上に、警察側も決定的な証拠を掴んでいないことから、どうも〝冤罪の冤罪事件〟に発展しかねない模様だ。今後の成り行きを注目していきたい。
翻訳版・野良犬会
昨日、今東光の野良犬会の話をしたけど、亀さんも幾つかの野良犬会に入っている。一つは、世界情報戦略誌の発行・執筆を手がけている仲間たちの野良犬会、通称は「まほろば会」という。もう一つ、年に1~2度程度集うだけなのだけど、翻訳者同士の〝野良犬会〟にも入っている。新しいメンバーが最近参加したので、先ほど以下のようなメールを書いた。少しは、翻訳者の野良犬会の雰囲気が伝わるだろうか…。(固有名詞など、一部は伏せ字または削除した)

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○○ 様

本MLに参加している亀さんと申します。1998年に一部上場の電子部品メーカーを希望退職して、2000年から翻訳の仕事を本格的に始めました。

電子部品メーカーですので、ICの海外営業も体験しました。その他、もう倒産しましたが、半導体洗浄装置のベンチャー企業にも勤めたことがあります。シンガポール、英国、台湾へ商談、交渉事などで行ったことがあり、特にシンガポールでは、会社を潰すかどうかの地獄の三週間を体験しました。

通訳ですが、某自動車メーカーにいた時は社内通訳を体験したことがありますが、その時に自分は通訳の才能ゼロと悟りました。

日本語と英語以外にスペイン語を少々嗜みます。その他はすべて片言です。中国語はニイハオとか、ウォーアイニー程度しか言えません。一時、中国語をマスターしようと思い、発音練習を熱心にやったことがありますが、結局続きませんでした。中国の古典が好きで、主な古典は一通り読破しました。

現在は海外からの仕事が主で、ここ一ヶ月は缶詰状態です。息抜きに下手なブログ記事を書くのが、唯一の楽しみになりました。
人生は冥土までの暇潰し

今後ともよろしくお願い申し上げます。