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人生は冥土までの暇潰し
亀さんは政治や歴史を主テーマにしたブログを開設しているんだけど、面白くないのか読んでくれる地元の親戚や知人はゼロ。そこで、身近な話題を主テーマに、熊さん八っつぁん的なブログを開設してみた…。
福島・飯舘村ドキュメンタリー映画に
今日、東京新聞の夕刊の第一面に、四ノ宮監督の映画が紹介された。四ノ宮監督の映画を報道するとは、流石は東京新聞である。記事をコピーしたので以下にアップしておこう。

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オマケ…

やはり、今日の東京新聞の夕刊に載ったマンガだが、これって、小学生の時の亀さんじゃん…

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東京新聞のウェブ版にも、上記の記事が掲載されている。
全村避難 ドキュメンタリー映画に 飯舘 怒りの実録

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野良犬会
かつて、〝野良犬会〟という集いがあった。今東光の呼びかけで集まった作家の会で、名の由来を以下のページで紹介している。
柴田錬三郎事典

鎖に繋がれていない犬、首輪のない犬、つまり野良犬たち (=どこの出版社にも鎖で繋がれることなく、巷を彷徨している物書きたち)が集う会。会長=今東光。副会長=柴田錬三郎。事務長=梶山季之。その他メンバーは、黒岩重吾、吉行淳之介、陳舜臣、田中小実昌、野坂昭如、戸川昌子、長部日出雄、 井上ひさし、藤本義一、等

その野良犬会の作家と今東光による対談本、『東光ばさら対談』(今東光 講談社)も出ている。

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亀さんも若い頃から、野良犬会の作家の本はよく読んできた。特に、柴田錬三郎と陳舜臣の作品は好きだった。また、野良犬会の作家が推薦している本も気になって読んだことが多い。たとえば、今東光が坂口安吾を高く評価していたのを知り、坂口安吾の『青春論』を読んでいくうちに、安吾が勝海舟の父・勝小吉を高く評価している行を見つけたのだが、そのあたりの経緯を他のブログにも書いたことがある。
勝海舟

そして、安吾の『青春論』で勝小吉が『夢酔独言』を著したのを知り、直ちに入手して貪るように読んだものだ。以下は、上記の「勝海舟」からの一部抜粋である。

 筆者が二十代前半に目を通した勝海舟に関する本には、『氷川清話』(勝海舟著 講談社文庫)、『海舟語録』(勝海舟著 講談社文庫)、『夢酔独言』(勝小吉著 角川文庫)等がある。筆者は十代後半に日本を〝脱藩〟し、3年間ほど世界放浪の旅を体験したことがあるせいだろうか、二十代前半の頃に坂口安吾・檀一雄・今東光・柴田錬三郎といった無頼派に惹かれていた一時期があり、それが勝海舟に惹かれた理由の一つであった。そうした無頼派の一人であった坂口安吾が、『青春論』の中で海舟の父親である小吉について述べているくだりがある。この親にしてこの子ありではないが、勝小吉を通じて勝海舟像が見事に炙り出されている文章なので、少々長文になるものの以下に引用しておこう。

続いて、和尚による野良犬会の紹介記事…

☆☆ 読むべき日本現代小説は

和尚はよく「本を読め」と言われるが、和尚が気に入っている日本の現代作家の小説があったらできるだけたくさん教えてもらいたい。僕も本が好きなので読んでない本があったら読んでみようと思うんだ。
(東京都杉並区阿佐谷 学生20歳 匿名希望)

現代作家は、オレがつき合うに足る人物の作品以外は見ないね。だからごくごく少数だ。もの書きで、オレがつき合っていて、さあこれは本物だ、という人のだと、これはもう本当の作品だけど。たとえば柴錬みたいなのね。

オレはよく言うんだが、小林秀雄をはじめ評論家なんか、いろんな連中のことを、「これは芸術小説じゃない」と言うけど、そんなこと言う奴に「てめえら、逆立ちしてもそんな小説ですら書けねえじゃねえか」って言ってやるんだ。柴錬のものにしても、山本周五郎にしても、山手樹一郎の類に至るまで、あれだけのものを書けるかって言うんだ。てめえで書けもしねえで、通俗小説だの、大衆小説だのというのは愚劣な話でね。作家である限りはどんなものでもいいんだ、書くということが勝負なんだよ。漫才書いてもいいんだ。それでなくちゃあ駄目だよ。だからオレがおすすめできるのは〝野良犬会〟の連中の作品ぐらいだね。
『続 極道辻説法』p.165

司馬遼太郎
今東光の『続 極道辻説法』p.88に、以下のような記述がある。

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和尚独白

オレはずいぶんいろんなことやってきたが、昔、新聞社の杜長もやったことがあるんだ。仏教関係の小さな新聞社でね、つぶれそうになって頼まれてさ。広告っていうのが、墓石だとかお線香だとか。これじゃ金にならねえからつぶれるわけだ。そこでまず第一にやったことが、編集長をはじめ社員全員に広告取りをさせてね。編集の野郎ども、大騒ぎしやがった。

それから、オレが目をつけていた新聞記者に長編小説を連載させた。「今先生、とても無埋です。まだ短編しか書いたことないんですから」と尻ごみする奴を、「長編だって短編だって変わりゃあしねえよ。ただし原稿料はオレのポケットマネーから出すからたいしてやれない。その代り、好きなこと書いていい。また何年続いてもかまわない」

その小説が終わった時、オレは講談社に頼みこんで本にしてもらった。それが直木賞に選ばれてな。それが司馬遼太郎よ。

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かつて、「近代日本とフルベッキ」というシリーズを一年間にわたり執筆、某国際コンサルティング会社のHPに公開されたことがある。幕末明治の志士を一人一人取り上げるスタイルだったが、取り上げた志士の一人に坂本龍馬がいた。それを別の掲示板に一部公開したところ、副島隆彦氏が一読して簡単な感想を書いてきたことがある(以下にリンクを張っておく)。ちなみに、「野田隼人」とは亀さんが一時使用していたハンドル名である。
[341] 「阿修羅」というサイトの中の、野田隼人という人の文章を転載します。

実は、副島氏が引用しているのは、龍馬関連の記事の一部にすぎない。よって、この機会に全文を掲載しておこう。和尚には悪いが、亀さんは司馬遼太郎を評価していない。その理由は以下を読めば分かってもらえるはずだ。


第二章 坂本龍馬


1.龍馬に関する最良の書・『坂本龍馬と明治維新』
 本シリーズの連載を開始するきっかけとなった『ニューリーダー』誌の対談記事、「近代日本の基盤としてのフルベッキ山脈」が『賢者のネジ』に収録され、6月30日に発行されてから早四ヶ月が経った。偶然にも、出版元のたまいらぼ出版の玉井禮一郎社長と知己の間柄であったことから、同書の編集の一部を手伝う形になったのであるが、そのお陰で本の企画から出版に至るまでの一連の流れの大凡を知ることが出来たのは貴重な体験であった。結局、たまいらぼ出版には月に2回程度のペースで編集のお手伝いに行ったことになるが、そうした編集作業の合間に玉井社長との何気ない雑談もあり、今から思うに大変有意義な雑談であった。そんなある日、たまたま坂本龍馬のことが話題になり、「幕末から明治を描いたもので、一番優れた本は何だと思う?」と玉井社長が尋ねてきたので、即座に「『坂本龍馬と明治維新』(マリアス・ジャンセン 時事通信社刊)だと思います」と筆者は答えている。『坂本龍馬と明治維新』には未だ一度しか目を通していないが、龍馬の手紙を活用して見事に龍馬像を描き出しており、同書が高い評価を得ている理由がよく分かったものである。果して、『賢者のネジ』の「近代日本の基盤としてのフルベッキ山脈」でも以下のように『坂本龍馬と明治維新』を高く評価していた。

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藤原肇:徳富蘇峰は変節漢だけでなくインチキ男です。権力に懐柔されて御用言論人になってしまい、政府のプロパガンダの旗振り役でした。だから、弟の徳富蘆花からも変節を理由に義絶されており、行き着いたところはファシストの権化でした。三宅雪嶺が歴史の資料に手紙を活用したように、マリアス・ジャンセンも『坂本龍馬と明治維新』(時事通信社刊)の中で、手紙を使って心理分析と状況判断をしており、幕末から明治維新にかけての時期を描いたものでは最高です。続いて大仏次郎の『天皇の世紀』(朝日新聞社刊)があり、その次には奈良本辰也が書いた各種の歴史評論がある。その後に、萩原延寿の『遠い崖』(朝日新聞社刊)や村松剛の『醒めた炎』(中央公論社刊)になる。しかし、小説は10位以下というのが私の判定です。
小島直記:小説はフィクションとして読者に迎合するから、どうしても面白くしなければならないので無理がある。あれだけ国民に人気のある司馬遼太郎でも、かなり嘘を書いているのに、読者はそれに気がつかないで、小説を歴史と取り違えている。小説を書くときの悩みはそれをどう克服するかであり、そこに小説や文学の限界を感じた。そのために、私は同じ小説でも伝記を書くことに人生の路線を改めました。そして、人間を描くことを通じて彼が生きた時代に迫り、歴史の空白部を埋めることができないかと思って、これまでなんとか仕事を続けてきたが、雪嶺の『同時代史』を読んだ時には衝撃を受けました。
『賢者のネジ』(藤原肇ほか たまいらぼ出版)P.142

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2.司馬遼太郎の国民文学・『竜馬がゆく』
 伝記作家の小島直記氏の「司馬遼太郎でも、かなり嘘を書いている」という上記の発言を目にして驚いた読者もおられると思う。筆者の場合、司馬遼太郎の著した『竜馬がゆく』には過ぎ去った青春の思い出が詰まっているのであり、あれは確か20代前半の頃だったと思うが、筆者は司馬遼太郎の『竜馬がゆく』を旅行鞄に詰め、萩の松陰神社をはじめとして山陰地方を旅した思い出がある。数日間の小旅行だったが、車中、あるいは旅館で、時間があればむさぼるように『竜馬がゆく』を読んでいたのが今では懐かしい。今日に至っても司馬遼太郎の『竜馬がゆく』は依然として若者に根強い人気があるようで、ネットサーフィンをしていると以下のような『竜馬がゆく』の書評を目にすることが多い。

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僕が最初に「竜馬が行く」を読んだのは高校生のときでした。何気なく本屋で手にとって読み始めたのですが、これがもう止まらない。日本史の時間に「これは明治維新の勉強だ」と自分に言い訳しながら、教科書に隠して夢中で読んだものでした。読み終えたあとは、体が震えたことを今でも覚えています。その後、何度も読みましたが、そのたびに感動してます。とにかく司馬遼太郎の竜馬はかっこよすぎます。スケールがでかい。優しい。「竜馬に明治維新を成し遂げさせるために、天が彼に生を与えたとしか思えない」と司馬氏が言っていることは、まさにその通りだと思います。僕の人生感に多大な影響を与えた本書は、激動の日本の今に必読です。
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 山陰地方を一人旅していた当時の自分であれば上記の書評に大いに共鳴したであろうが、その後人生体験を積み重ねてきた今日では、小島直記氏のように筆者も司馬遼太郎氏の言葉の嘘を見抜けるようになっていた。そして、その司馬遼太郎氏を小島直記氏以上に痛烈に批判した講演会が、さる9月20日に東京都内で開かれたのである。講師は前シリーズ『日本脱藩のすすめ』の「第11回 国際経済のすすめ(経済編)」に登場した副島隆彦氏である。講演会の正式なタイトルは「「司馬遼太郎をぶった斬る!」という過激なタイトルだが、大勢の人たちが集まったという。

3.副島隆彦の代表作・『属国・日本』
講演会の目的は、新たに出版された副島氏の『思想劇画 属国日本史 幕末編』(早月堂書房刊)というマンガ本の出版記念にあった。これは、副島氏が以前著した『属国・日本論』(五月書房)の一節(幕末・明治期編)を抜粋してマンガ本にしたものである。マンガの中に登場する副島隆彦氏らしい人物の吐く言葉に品性が感じられず、読者に推薦するには躊躇するものの、その元となった『属国・日本論』(五月書房)はなかなかの良書であり、一読に値すると思う。殊に同書の場合、「アメリカと日本は対等のパートナーではない。日本はペリー提督によって無理矢理に開国させられて以来、一時期を除いて今日に至るまでアメリカの属国であった」ということを徹底的に納得させてくれる本でもある。

この『属国・日本論』(五月書房)について、筆者自身が副管理人を務める掲示板[藤原肇の宇宙巡礼]の「若き日の修験者・空海のコスモロジーと錬金術」というスレッドに、以下のような書評を先月投稿した(一部訂正)。

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名前: 野田隼人 投稿日: 2004/09/12(日) 05:06

エンセンさん、『思想劇画 属国日本史 幕末編』のご紹介ありがとうございました。その後、副島隆彦氏のホームページ[学問道場]を訪ねてみたところ、須藤よしなおさんという学問道場のメンバーの方も『思想劇画 属国日本史 幕末編』の一部を紹介していました。
http://snsi-j.jp/boyakif/diary.cgi

ただ、エンセンさんの紹介してくれた『思想劇画 属国日本史 幕末編』の一部を拝見したものの、副島氏の「バカヤロー! ふざけたことをぬかすな!」といった台詞に代表されるように、品のない副島氏の言葉のオンパレードといった感があり、故手塚治虫の作品を知る一人として、『思想劇画 属国日本史 幕末編』は手にする気が起こりません。内容的には良いものだけに大変残念だと思ったのですが、『思想劇画 属国日本史 幕末編』は同じ副島氏が著した『属国・日本論』(五月書房)の「幕末・明治期編」を劇画化したものと後に知り、取り敢えず『属国・日本論』をオンライン書店を通して取り寄せて一読したところ、予想に反してなかなかの良書でした。特に深く共鳴したのは以下のくだりです。機会があれば拙稿「近代日本とフルベッキ」で紹介させていただく予定です。
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政治の流れを大きく背後で動かしているのは、軍事力とそのための資金である。このリアルな事実を抜きにしてあれこれ見てきたようなことを書いてある本は駄本だ。現実の政治を知らない学者たちの、厳密な文献考証だけでも駄目である。どれだけの軍事援助をどのような勢力が行ったのかを見きわめようとするリアルな眼を持たなければ、幕末維新期の謎を解明することはできない。 『属国・日本論』P.200
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このくだりを読んでピンと来たので、同書を最初から最後まで目を通してみました。そうした中で思わず息を呑んだのは、「なぜ佐藤栄作元首相はノーベル平和賞を受賞したのか」という題名の章でした。佐藤栄作元首相のノーベル平和賞受賞した理由と、それが20年後のソビエト連邦崩壊に結びつくまでのプロセスを、ものの見事なまでの副島氏のインテリジェンスで以て炙り出している箇所を読み、思わず唸った次第です。

ただ、二カ所惜しいところがありました。

一つは、「甘粕正彦(大杉栄と伊藤野枝を殺害した軍人でもある)」(P.233)とある点です。確かに通説ではそうなのですが、大杉栄と伊藤野枝を殺害した真の犯人は甘粕正彦ではないという説もあるのです。そのあたりの詳細は『賢者のネジ』(藤原肇著 たまいらぼ出版)の「第八章 大杉栄と甘粕正彦を巡る不思議な因縁」に書かれていますので参照願います。

二つは、米国のシンクタンクを分類するのに、〝リバータリアン保守派〟(P.120)という表現を副島氏が用いている点です。しかし、欧米の識者であれば、個人であれシンクタンクのような組織であれ、自らをリバータリアンと名乗るような危ないことはしないはずです。「本当のリバータリアンというのは、自身がリバータリアンであることを徹底的に隠すのが本来の姿であり、自分がリバータリアンであることを公にすれば、命が幾つあっても足りない」というのがリバータリアンという存在であると、知人の在米の某識者が語ってくれたのを思い出します。

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4.龍馬の背後に見え隠れするイギリスの影

 上記にもある通り、「政治の流れを大きく背後で動かしているのは、軍事力とそのための資金である」という副島氏の考察は正鵠を射ており、筆者も前シリーズ『日本脱藩のすすめ』の「第六回 国際政治のすすめ(政治編)」に、「金融ヘゲモニーとの軍事ヘゲモニーこそは、パクス・アメリカーナを推進していく両輪に相当する」旨のことと書いていて、副島氏同様に軍事力とその資金が世界を動かしていると考える一人である。時間があれば、会員の方は前シリーズ『日本脱藩のすすめ』の「第六回 国際政治のすすめ(政治編)」に再度目を通していただければ有り難い。

また、副島氏のいう「政治の流れを大きく背後で動かしているもの」を捉えるには、前シリーズ『日本脱藩のすすめ』の「最終回 再び日本脱藩のすすめ((総編)」にも述べたように、「上次元より観察して物事を的確に判断すること。例として、日本の経済・政治の現状を正しく把握するには、次元を一つ上げてアジア全体の経済・政治の流れを掴むようにし、アジアの経済・政治の現状を正しく把握するには、さらに次元を一つ上げて世界全体の経済・政治の流れを掴むようにすること」が出来るように修行を積むことが肝心なのである。

 オンラインで公開している『竜馬がゆく』の「BOOK」データベースによれば、「薩長連合、大政奉還、あれァ、ぜんぶ龍馬一人がやったことさ」と勝海舟が語ったと書いてある。果たして勝の言っていたことは本当なのだろうか。『属国・日本論』では以下のように述べている。

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 坂本(龍馬)は、薩長同盟=薩長密約(1866年1月21日、京都の薩摩藩邸で、西郷隆盛と木戸孝允が合意した攻守同盟六ヶ条)を仲介した幕末史上の重要人物とされる。しかし一介の脱藩浪士が何のうしろだても無しに、このような政治力を持てるだろうか。背後にはやはり、ジャーディン・マセソンとその日本対策班であったグラバーと、イギリスの外交官たちがひかえていたと考えるべきだ。
『属国・日本論』(副島隆彦著 五月書房)P.176

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 一般に、明治維新は下級武士を中心に日本人だけの力で成し遂げたものであるというのが日本での通説になっているようだが、『属国・日本論』はそうした通説に対して否と答えているのであり、筆者も『属国・日本論』に全く同感である。論より証拠、グラバー自身が薩長の仲を取り持ったと述べた記録が残っており、それにより龍馬の背後にはグラバー、さらにはジャーディン・マセソン商会がいたことが明らかである。

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 グラバーはのちに薩長同盟、鹿児島訪問、倒幕という文脈のなかで自分を位置づけ、「つまり自分の一番役に立ったのは、ハーリー・パークスと、それから薩長の間にあって壁をこわしたことで、これが自分の一番手柄だったと思います」と自負している。(『史談会雑誌』)(杉山伸也著『明治維新とイギリス商人』岩波新書、1993年)

 グラバー自身もこれぐらいの白状は、どこかでやっているものである。いったいこのグラバーの背後に日本を属国にして管理してゆくためのどれほどの策略がめぐらしてあったのか、今のところこれ以上は分からない。
 まるで日本人だけで、それも情熱に燃えた下級武士たちの力で明治維新ができたと考えるのは底の浅い歴史認識である。
『属国・日本論』(副島隆彦著 五月書房)P.200

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5.秘密結社・フリーメーソン
 以上、龍馬を表に立てて資金面の援助を行い、薩長に武器を売り込むように指図をしていたのがグラバー商会、ジャーディン・マセソン商会であり、さらにグラバー自身が告白しているように、日本の青写真を設計していたのもグラバー商会、ジャーディン・マセソン商会であったことがお分かりいただけたと思う。では、龍馬の背後にいたグラバー、ジャーディン・マセソン商会とは、そもそも何者だったのだろうか。

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上海にあったのは(今でも香港にある)ジャーディン・マセソンという大商社である。このジャーディン・マセソンは現在でもイギリスで四番目ぐらいの大企業であり中国の利権を握りしめてきた商社である。このジャーディン・マセソンの日本支社とでも言うべき商社がジョン・グラバー商会である。おそらく、彼らは全て秘密結社フリー・メイソンの会員たちであろう。私は陰謀理論(コンスピラシー・セオリー)をことさら煽りたてる人間ではないが、この事実は、日本史学者たちでも認めている。この上海のジャーディン・マセソンが日本を開国に向かわせ、日本を自分たちの意思に従って動かした組織だと私は、判定したい。
『属国・日本論』(副島隆彦著 五月書房)P.170

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 上記のように、副島氏はジャーディン・マセソン商会およびグラバー商会を「フリーメーソンの会員たち」といった簡単な記述で済ませているが、幕末明治にかけての日本、さらには今日に至るまでの日本にフリーメーソンが大きな影響を及ぼしてきたのであり、そのあたりをテーマに取り上げた『石の扉』(加治将一著 新潮社)という題名の本が最近発売されている。中でも本シリーズ「近代日本とフルベッキ」と関連して注目すべきは同書の「第五章 解き明かされる明治維新の裏」であるが、内容的には副島氏が『属国・日本論』の中で説いている幕末維新期の域を出ていない。しかし、フリーメーソンの全体像を把握するには格好の書であるので、『属国・日本論』同様に一読をお薦めする所以である。

最後に、「船中八策」と「龍馬暗殺」にも触れておこう。船中八策が作成されたのは1867年6月であり、長崎から京都に向っていた船「夕顔」の中で坂本龍馬が書いたとされているが、実際は長岡謙吉が書き上げたものらしい。そして確認すれば分かることだが、船中八策は英国君主制度そのものといえるのである。さらに、未だに謎とされている龍馬暗殺についても、公武合体を最後まで推し進めようとしていた龍馬は、最早イギリスにとって不要な存在になったことを考えるに、ここでもグラバー商会とジャーディン・マセソン商会、すなわちイギリスの影が見え隠れするのであり、朧気ながらも今までに見えなかったものが見えてきたのではないだろうか。

 ところで、龍馬の思想的師匠であった横井小楠は尭舜を理想としつつも、同時に西洋文明への理解も優れていた、幕末・明治を代表する開国派の思想家であった。その横井とフルベッキとの間ではどのような知的交流があったのだろうか、次号ではそのあたりを含めて筆を進めようと思う。

スケベ仙人
飯山さんのホームページにアクセスしてみたら、面白い写真が載っていた。

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また、あのキノコ組の姐さんの悪戯らしい。亀仙人というのは確か、「ドラゴンボール」に出ていた、変な爺さんという記憶があったので、ウィキペディアで確認してみたが、やはり小生の記憶に間違いはなかったようだ。ついでにサーッと目を通してみると、飯山さん…、いや亀仙人の性格を以下のように説明しているので、妙に納得…

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非常にスケベで、好みはむっちりとした若い娘。エアロビクスの番組を食い入るように見ている場面もあり、「ぴちぴちギャル」のブルマには「ぱいぱいをつつかせてくれんか」、「ぱふぱふ(顔を相手の乳房で挟む)をしてくれんか」などと発言している。ブルマの胸や尻を触った結果としてビンタやげんこつを食らうのがお決まりで、時にはハンマーで殴られたことも。そのスケベぶりは幼稚園時代に先生のパンツを盗んで退園となったウーロンからも「オレ以上のスケベ」と言わしめ、悟空とクリリンに亀仙流の修行をつける際には「ピチピチギャルを連れてくること」を条件にしている。この条件で悟空とクリリンが連れてきたランチをスケベな目で狙っていたほか、悟空が連れてきた人魚に胸をつつかせてもらおうとしたことも。天下一武道会の会場に飛行機で移動する際はスチュワーデスの尻を触り、また、悟空が入院していた病院の看護師に同様の行為を働いた際にはアニメにおいて医師に「お触りじいちゃん」とあだ名されていたほどの好色家である。
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亀さんも仙人になるための修行をしているが、考えてみると、亀さんが仙人になるちゅうことは、亀仙人になることだったY…(爆)
ファミリーヒストリー
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ここ数年にわたって家のルーツを探っている亀さんは、毎週月曜日の夜10時から放送される、NHKの「ファミリーヒストリー」を必ず録画しておき、翌日あるいは数日中に必ず見ることにしている。

先ほど見た「ファミリーヒストリー」の録画は、大手コンビニエンスストア・ローソンの社長である新浪剛史(たけし)氏、心臓外科医で弟の博(ひろし)氏の兄弟二人のルーツを探る番組であった。兄の剛史が語っていたのだが、「今の自分があるのは祖先のお陰…」という言葉を耳にして、正にその通りだと思った。己れのルーツに関心を持つようになった人に、「ファミリーヒストリー」を薦めたい。なお、来週のゲストはマギー審司のようで、かつ「ファミリーヒストリー」の最終回だ。

ところで、新浪剛史氏と言えば、政府の産業競争力会議のメンバーであり、安倍首相が掲げる経済再生策の一つである賃金アップ要請に応え、年収を3%引き上げると発表して話題になった。このタイミングでNHKが新浪剛史氏にスポットを当てた、その裏の狙いを詮索するような野暮なことは今回は止めておこう。

安倍首相で思い出したが、安倍首相のTPP発言に関して優れブログ記事がある。三橋貴明氏のブログ「新世紀のビッグブラザーへ」だ。ここでも事実を報道しない、あるいは事実を歪曲する、大手マスコミの姿勢が浮き彫りになっている。
【歪められる安倍総理のTPP発言】

かおり シャーマン・アート・セラピスト
現在、注目しているツイッターの一つが、 「かおり シャーマン・アート・セラピスト」だ。数日前、秩父山地の三峯山に入り、三峯神社の近くにある滝で滝行を行ったとのことだ。公開されている写真も素晴らしい。

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沖縄の心
昨日、道友が沖縄のビデオを紹介してくれた。我那覇真子さんという沖縄女性のビデオで、普天間問題について講演したものである。彼女は沖縄に住む姪と同世代だと思うが、若いのに堂々とした講演内容であり、深い感銘を受けた。特に、このビデオを本物だと思ったのは、講演の最後で彼女の口から出た、「我が日本国」という言葉である。



【沖縄対策本部】沖縄に現れた若き愛国ヒロインのスッキリする名 スピーチ

前後して、偶然にも朝日のニュースステーションを見た。ニュースの内容はすでに忘れてしまったが、ニュースキャスターの古舘伊知郎が、「この国」と言っているのを耳にして、我那覇真子さんとのあまりの違いに唖然となった。

いつ頃から日本人は、己れを生み育んでくれた祖国のことを、「この国」などと傍観者的な呼び方をするようになったのか…。恐らくは司馬遼太郎の影響が大きいと思うが、この似非作家については後日にでも言及することにしたい。

ところで、貴方は日本のことを普段、どのように呼んでいるのだろうか、「わが国」だろうか、それとも「この国」だろうか…。
福島原発の〝惨状〟
ブログ友の一人に、「旋風(つむじ風)」というブログを開設している飄平さんがいる。毎日必ず一度は彼のブログにアクセスして、彼の記事やコメントに目を通しているが、今日アクセスしたところ、「相当に状況が良くない。火葬場は10~20日待ちが続いている・・」という記事が掲載されていた。数日前、拙ブログの「北朝鮮の核実験」という記事で、亀さんは「(東北関東では)今やどこの斎場もフル操業中で、しかもかなり待たされる」と書いた。それを裏付けてくれたのが、本日の飄平さんの記事だ。飄平さんの記事を読めば、大手マスコミが事実を隠蔽し、事実を歪曲するプロバイダ紙だということが、良く分かるというものだ。

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なお、以下はチェルノブイリ関連の記事だが、それを読めば今後の東日本がどうなるか、大凡の察しがつく。その他にも事実を語っている記事が数多くあるので、自身で検索していただきたい。
チェルノブイリの経験から、30年の間に5000万人が死亡すると推測される
チェルノブイリの衝撃データから見る20年後のニッポン「がん、奇形、奇病、知能低下」
『最高裁の罠』出版記念イベント
さる2月20日、阿佐ヶ谷ロフトにおいて『最高裁の罠』出版記念イベントが開催され、最高裁を巡る識者の報告が行われた。当日の報告者は以下のとおり。

鈴木宗男 新党大地代表
石川知裕 衆議院議員(新党大地)
平野貞夫 元参議院議員・政治評論家
山崎行太郎 文藝評論家・『最高裁の罠』共著者
姫井由美子 元参議院議員
橋本久美 豊島区議会議員
司会:尾崎秀英 月刊日本副編集長

道友が討論会の模様をビデオに撮ってくれたので、急ぎ以下に紹介する。





併せて、実際に撮影した道友からのメッセージを以下にお知らせする。

非常に重要な内容を含んでいます、時間のない方も第一部②の最後の約15分間(聴衆との質疑応答)だけは是非聴いていただきたいと思います。

また、第二部の「選挙制度の模様」(合計93分)もあるとのことで、明日以降に道友による編集が完了次第、本ブログでもお知らせする。

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マディソン郡の橋
昨夜、仕事を終えてから夕食を済ませ、何気なくテレビのチャンネルを回したところ、BS朝日で洋画が始まるところだった。どのような映画だろうと見ていたら、どうやら単なるハッピーエンドものではなく、人間の心の綾を描き出そうとする映画だと分かった。それで見始めたわけだが、コマーシャルが流れていた時に新聞のTV蘭で確認してみたところ、「マディソン郡の橋」とあった。20年以上前に大ヒットした、ロバート・ジェームズ・ウォラーの小説を下敷きにした映画だ。亀さんはその小説は読んだことがなかったが、色々と噂になっていたので「マディソン郡の橋」の名は良く知っていた。だから、昨夜映画を見ながら、「そうか、これがあの小説の映画か」と知ってテレビに釘付けになり、最後まで観たわけである。テレビで放送される映画を最後まで観たのは最近では記憶にない。

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そういえば、最後に映画館に行ったのは大分前で、観たのはトム・クルーズ主演の「トップガン」だった。1986年に制作された映画とあるから、かれこれ25年間も映画館に足を運んでいない計算になる(尤も、息子たちが小さい頃、隣の町にある映画館まで電車で行き、子供向けの映画を何度か見たことはある)。

やがて、日本酒を飲みながら脳裏に浮かんだのが、「深夜食堂」の最終回だった。店の常連であるオダギリジョーと餃子屋の女房役の黒谷友香とのすれ違いの恋は、もしかしたら「マディソン郡の橋」が下敷きになっているのかもしれない…。

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なお、同じBS朝日で来週の土曜日に「陰陽師」を放送するという。安倍晴明の生涯を描いた作品らしく、楽しみだ。安倍晴明を研究していた故宍戸幸輔翁とは何度かお会いしているが、安倍晴明の他に翁が晩年に取り組んでいたものに、〝シシド式振り子占い〟がある。亀さんが作成した翁のホームページが未だ残っているので、関心のある方はアクセスしていただきたい。
エンマの会

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あんどーなつ 2
テレビで放映された「あんどーなつ」のビデオが、ネットで鑑賞できる。以下に第1話「お菓子な出逢い」から第12話「のれんを懸けた決勝戦」(最終回)までのURLが紹介されているので、関心のある人はアクセスしてみてほしい。
http://kimamaniyoutube.blog78.fc2.com/blog-entry-2963.html

時間のある時に(1本あたり45分間)、以下の第1話を鑑賞してみて、面白かったら残りを見ると良いと思う。




「深夜食堂」など、下町風のドラマが好きな人には堪らないはずだ。職人の世界とは、どういう世界かを覗いてみるだけでも面白い。

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北朝鮮の核実験
まぐまぐだが、15年前は亀さん自身もメルマガを発行していたし、毎日のように大量のメルマガが届いていたものだ。しかし、最近にいたっては30誌以上ものメルマガを登録しているのに、ほとんど届かない。

今朝も1通届いただけだが、この発行者は在オーストラリアで、現在は日本に里帰りしているらしい。以下のような文章を書いていた。

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で、いまは日本にいる。
寒いし、中国からP2.5は飛んでくるし、北朝鮮も危ないしろくなことはない。
デフレ、デフレと言うものの生活費は結構高い。とりあえずの日本生活なんで
外食ばかりで出費がかさむ。これで給与が上がらない日本で働くサラリーマンは
どうやって生活出来るのか?

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発行人の言うとおり、確かに日本のサラリーマンは、爪に火をともすような生活を送っているんだけど、他についてはもう少し深読みする必要がある…

最初に中国のP2.5だが、昔は光化学スモッグのため、庭の盆栽が枯れるという環境で生きてきた亀さんにとって、マスコミが騒いでいるP2.5なんぞに脅威を感じない。むしろ、それよりも心配しなければならないのは、毎日のように福島原発から大量にまき散らされてる放射性物質だ。日本に里帰りしている機会に、東北関東の知人に周囲の斎場について聞いてみるといいだろう。今やどこの斎場もフル操業中で、しかもかなり待たされるという話だ。こうした放射能時代を生きぬいていくには、とにかく免疫力を高めるということに尽きる。それ以外に乳酸菌風呂というのがあるので、こうした環境下でも何とか生きぬいていけるんだ。とにかく、今のチェルノブイリの惨状は、明日の東日本の惨状だということを、ユメユメ忘れないようにしよう。

次に、「北朝鮮が危ないのろくなことはしない」などと書いているけど、本当は全く逆で、過日の北朝鮮の核実験で日本は救われたんだ。嘘だと思うなら、今週発売された『月刊日本』三月号のp.49を是非一読して欲しい。

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実は、北朝鮮の核実験は、国際政治上、日本にとっては非常に幸運な事件だったのである。
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このあたりを詳細に解説しているのが、以下のページだ。
金王朝の“深い謎”

なぜ、庶民の生活は苦しいのか。そのあたりはアベノミクスを解剖することが必要なんだけど、今月号の『月刊日本』で、大手町さんが非常に鋭い指摘をしている(p.44)。

アメリカが円安を黙認する理由
大企業だけが儲かる円安政策
アベノミクスは小泉政権の焼き直しに過ぎない


また、同誌の植草一秀氏の「アベノリスクと日本の将来」という記事も必読だ。東京新聞や月刊日本といった一部の新聞雑誌を除き、他はディスインフォメーションに満ちたプロパガンダ紙だから避けた方が無難だ。金をドブに捨てるようなもんだからね。
主夫失格
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まるで、亀さんみたいじゃん…
わすれない ふくしま 2
過日、「わすれない ふくしま」という映画を撮影した、四ノ宮浩監督のことを本ブログで紹介した。
わすれない ふくしま

カンパを送金したところ、四ノ宮監督のoffice 4から、支援に対する御礼ということで、拙宅に映画「わすれない ふくしま」の無料招待券が3枚郵送されてきた。

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その後、日常の仕事に追われていたところ、「原発事故苦に自死 酪農家の妻が東電に乗り込む」という記事が、田中龍作氏のブログにアップされたことを知った。

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そして、同記事にアクセスしたところ、二人の男の子とその母親の写真が目に飛び込んできたのだった…。

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田中氏の記事に目を通し、四ノ宮監督の映画を鑑賞することで、一人でも多くの人たちに、福島の子供たちが直面している現実を知ってもらえれば幸いだ。
赤ダルマと赤っ恥
亀さんのツイッターや別のブログには、ダルマの写真が載っているのを知っている人は多いと思うけど、あれは15年ほど前、着物に家紋を入れるのを生業としている叔父がダルマを彫り、亀さんがダルマをネットで販売しようと思って撮った写真なんだ。売れたかって? 売れたよ、1個だけだったけどね…。その当時、ダルマを販売するんだから少しはダルマの由来を知っておこうと思い、手にした本の一冊が『ダルマの民俗学』(吉野裕子著 岩波新書)という本だったんだ。今、陰陽道について多角的に調べていることもあり、同書を久しぶりにサーッと再読したんだが,改めて吉野先生の凄さを知ったなぁ…。なぜ、ダルマは赤いのかという、今まで疑問にも思わなかったことも、吉野先生の五行の〝火〟と絡めた説明を読み、ナルホドと納得した次第。

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ところで、仕事を終えた昨夕、日本酒を飲みながら何気なく同書の「六十花甲子表」を眺めているうちに、自分でとんでもない勘違いをしているのに気づいたんだ。それは以下の行…

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十干十二支の組み合わせは甲子にはじまって、癸亥に終わるが、この組み合わせを「六十花甲子」と呼び、生まれてから六十年を経て、生年の干支を迎えるのを還暦とする。

六十の文字の組み合わせを一巡することは、一つの人生を生き切ったことを意味し、新たに次の人生に誕生するというわけで、赤児と同様に赤い頭巾、現代では赤いジャケットなどが祝い品として送られるのである。
『ダルマの民俗学』(p.13)
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亀さんは還暦というのは60歳で祝うものだとばかり思っていたんだが、そうではなくて61歳に達した時に祝う儀礼だった…。まいったなぁ…。とんだ赤っ恥をかいたょ。今度、『みち』の藤原(源太郎)さんと顔を合わせたら、「トンビがタカを生んだなぁ~」に加えて、「おぃ、還暦だろ、祝ってやろぉかぁ~」と言われそうだなァ。藤原さん、赤ジャケットは来年でエーからね…
翻訳者はヤクシャ
息抜きに、たまには亀さんの仕事の話でもしよう。亀さんのやっている翻訳という仕事なんだけど、つくづくこの仕事は〝ヤクシャ〟だなと思うョ。ここで言うヤクシャとは、〝訳者〟のことではない、〝役者〟のことだ。

たとえば、亀さんの好きなドラマに『深夜食堂』というのがある。この食堂は新宿界隈にある食堂を指しているんだが、ナント営業時間が深夜の零時から夜明けまでと、文字通り深夜に開いている食堂だ。その食堂のオヤジを小林薫が演じているワケだ。

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当たり前の話だけど、小林薫は何も食堂のオヤジだけではなく、いろいろな役を演じている。『新ナニワ金融道』では、客に貸した金を取り立てる追い込みをやっていたし(亀さんも追い込みを生業とする知人がいるので、多少はその世界を知っている)、仲代達矢と徳永えりが主演をしていた『春との旅』では、一升瓶を地べたに置いて、なにやら仕事をしている労働者風の男を演じていた。その他にも、いろんな役を小林薫は演じている。

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亀さんの仕事も考えてみると、毎日、時には日に何度も役回りが変わるようなもんだよ。今日やっていた仕事は、若手のファッションデザイナーの翻訳だったんだが、先ほど終わって納品(メールに添付して送信)したよ。普段はフーテンの寅さんのように腹巻き姿の亀さんが、華やかなファッション業界の翻訳をやるんだから、ホント世の中狂っているよ。昨日は何を訳したんだっけな…、あっ、そうか、ある大手IT企業のアンケート調査の翻訳をやったんだっけ…。

亀さんがやっている翻訳の仕事は、何も華やかなファッションやビジネスばかりではない。泥臭いブルドーザーやクレーン、最先端を行く半導体装置、自動車・オートバイ、自転車等、いろいろだよ。一度くらい、エロサイトの翻訳もやってみたいんだけど、なかなか世の中うまくいかないもんでね、一度もエロサイトの翻訳の依頼が来たことがない…。

さて、そろそろ次の仕事に取りかかるか…。
我家の植物図鑑
光琳社の『草木の本』(文 湯浅浩史 写真 木原浩)という、今や絶版となった本がある。全ページがコート紙という贅沢な本で(値段も3200円と高価)、それぞれのページに美しい植物の写真が載っている。ご先祖様の調査に欠かせない研究対象の一つが家紋だが、その家紋のベースとなっているのが実は植物なのだ。その点、『草木の本』は一種の植物図鑑となっているだけではなく、各々の植物が関係する、伝統、神事、古典などが、いつの間にか頭の中に入っているという魔法の本で、今や亀さんのご先祖様の調査に欠かせない本となっている。晩酌をしながら、毎年その時点で該当する月のページを眺めるのを習慣としていたが、二年ほど前に中断している。しかし、またそろそろ再開したくなった…。

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また、『御所のお庭』(宮内庁 扶桑社)も素晴らしい。都心にこれだけの自然が残っているのが、俄に信じられない思いである。書店に寄る機会があったら、一度ページを捲ってみることをお薦めしたい。アマゾンでも写真の一部を公開している。
『御所のお庭』

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あんどーなつ
『ビッグコミックオリジナル』に連載中だった「あんどーなつ」だが、原作者の西ゆうじ氏の死去に伴い休載となった。和菓子と翻訳と道こそ違え、同じ職人同士として親方の梅吉の含蓄ある言葉に感銘を受けたことも幾度かあり、若いあんどーなつが、ひたむきに仕事に取り組む姿に胸を打たれたことが幾度もあった。だから、別ブログでも「あんどーなつ」について、「職人のすすめ」という記事で書いたほどだ。

ここで、これから就活を迎えようとする若い人たちに、一度手にして欲しい本がある。『10年後に食える仕事、食えない仕事』(渡邉正裕著 東洋経済新報社)だ。

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蛇足ながら、著者の渡邉氏のブログは面白い。一度アクセスすることをお薦めする。
http://www.mynewsjapan.com/blog/masa

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大波小波

「あんどーなつ」の原作者

作家で漫画原作者の西ゆうじが亡くなった。『蔵の宿』『あんどーなつ』のドラマでご存じの方も多いだろう。前者のヒロインは一流ホテルに勤めていたが、父の死を機に福井に帰郷。実家の造り酒屋を旅館に変えて奮闘。後者のヒロインは洋菓子専門学校を優秀な成績で修了、パティシエを目指していたが、後継者不足に悩む浅草の老舗和菓子店「満月堂」で修業することになり…というもの。

両者とも、一度は現代的な分野で最先端の技能を習得しながら、それを伝統技法と融合、さまざまな問題を乗り越えていく。通読すると、いかに「食」が伝統文化と結びついているのかがよく分かる。とくに『あんどーなつ」には、四季の美しさを愛で、入生の節目を祝う集いが盛んに描かれる。そう。和菓子は本来、人が集う「和」の中で楽しむものだったのだ。

満月堂の親方、安田梅吉のセリフは、仕事論としても含蓄がある。「プロの職人になろうって人間なら、世の中のありとあらゆるところに、仕事につながる知恵があって…そいつらを耳にしたり目にしたら、しっかり頭ん中に焼き付けるもんだ」とは、かつて放送作家として一万本以上の台本を手掛けたという西の実感か。享年五十九。早すぎる死を悼む。(和二盆)
『東京新聞』2月20日付夕刊
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干支九星鑑定術
昨日、『陰陽道』(長原芳郎 雄鶏社)の再読が終わり、改めて古事記と陰陽道との深い繋がりを知った。そこで、さらに長原芳郎のことを調べてみたところ、以下の興味深いページに出会った。
鴨書店 おすすめ本

このページは、鴨書店という書店で推薦している本を一覧表にしたものであるが、その中に長原芳郎の『陰陽道』も紹介されていたのである。念のため、『陰陽道』以外の書籍も一通り目を通してみたところ、『 干支九星鑑定術』(沙門慶仁著 月恩会藏版)という本を、同店で推薦していることを知った。そこで、早速に沙門慶仁氏のブログホームページを訪問したところ、直感的に閃いたものがあったので、『 干支九星鑑定術』を発注した。同氏のブログにあった、以下のご先祖を語る人という記事に惹かれたのである。短いものなので、全文を以下に引用しておこう。

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ご先祖を語る人
2012-03-30

 ご先祖のことを調べる人、ご先祖のことを語る人には、ご先祖が導いていることが多いようです。

 不思議なことに、次から次へといろいろなことがわかってくるようです。

 ご先祖が自分たちのことを知ってもらいたいのか、あるいは祀ってもらいないのか、よくわかりませんが、不思議が起こるようです。

 人間が生きるということの意味も考えることが必要ですが、もしかしたら、子孫に自分たちの生き方を知ってもらいたいという気持ちもその一かもしれません。

 それを知るきっかけとなるのが、石碑であり、家系図であり、言い伝えです。そういうものを探す中で、いろいろなものが見えてくるようです。

 また、現地に行くというのも、大切な要素の一つでもあるようです。

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ここ数年、ご先祖様のことに関心を持つようになったのも、ご先祖様のお導きだったのだろうか…。
佐藤優の教育論
先週上京したおり、立ち寄った本屋で佐藤優氏の著した『同志社大学神学部』(光文社)を手にとってみた。帰宅後、アマゾンで確認すると、同書の前書きの一部が紹介されていた。

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私にとって同志社大学神学部は、小宇宙だった。神学部と大学院の6年間で経験したことの中に、その後の人生でわたしが経験することになる出来事の原型が、文字通りすべて埋め込まれていた。書物だけから神学を学ぶことはできない。また、教会に通い信者として生活すると神学の勉強は、まったく位相を異にする。同時に純粋な学問としての神学も存在しない。虚学であるが故に、危機的な状況で人間の役に立つ神学という不思議な知を、わたしは、同志社大学神学部で、全人格を賭して教育に従事するすぐれた神学教師たちと、他者を自己よりも大切にする友人たちから学んだ。現下の日本は危機的状況にある。この危機から脱するために、虚学である神学が役に立つと思いを込めて本書を上梓する。 (まえがきより)
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佐藤氏は「太平記を読み解く」という勉強会を開催しており、現在は京都の大学に通う上の息子が高校生だった頃、何度か同勉強会に出席している。テキストが必須ということで、小学館の日本古典文学全集『太平記』を全巻揃えてやったことがある。佐藤氏の太平記の話もさることながら、佐藤氏をはじめとする勉強会に出席した人生の先輩たちとの交流からも、息子は多くを学んだに違いない。その意味で、「学校以外の世界を体験させることも重要」と説く、以下の佐藤氏の対談記事は興味深い。
佐藤優の教育論「偏差値を追うと人格が歪む」

タイムスリップ
先週の12日に還暦を迎えた亀さんは、年金の手続きに所沢にある年金事務所を昨日訪れた。開館間もない9時少し過ぎに到着したのだが、館内で年金相談で待機していた人は数名だけ、直ぐに順番がきた。そして手続きもあっという間に終わった。午後から雨になるということで、そのまま所沢駅に戻って帰るつもりでいたが、ふと思いついて、新婚当時住んでいたマンションを訪ね、鞄に入っている確定申告の書類を、所沢税務署に直接提出することにした。所沢に住んでいた当時は、上の息子が未だ一歳なるかならないかの頃だったから、マンションを訪れるのもほぼ20年ぶりだ。マンションに向かう途中、昔あったスーパーが無くなっているのに気づいた。あの頃は活気のあった街路も、どことなく寂しげだったが、所沢市は東京への通勤圏にありながら、数年前から人口が減少してることから無理もない。こんなところにも少子化の影響が読み取れる。

しばらくして、昔住んでいたマンションに着く。かつて住んでいた部屋は空き室になっていた。暫くマンションを眺めた後、マンションの目の前にある航空公園に入る。上の息子を連れて、公園内の至る処に連れて行った在りし日が懐かしい…。公園の隣にある税務署に到着、確定申告書を入れた封筒を提出する。申告のシーズンなので大勢の人たちでごった返していた。最寄りの航空公園駅から電車で帰宅したが、タイムスリップしたような錯覚に陥った一日だった。
大正天皇
先日、世界戦略情報誌『みち』の会合で、同誌の主幹・藤原(源太郎)さんが語ってくれたのだけど、ナント小生のブログを読んでおられるとのこと。本ブログで『みち』のことを時々書いているので、読んでいただいているのかもしれないけど、今後は余り下手なことは書けないなぁ(笑)…。

その日、昭和天皇のことが話題に出た。そして思ったんだが、五年近く月一回のペースで『みち』の会合に顔を出しているけど、不思議と明治天皇と昭和天皇の話は頻繁に話題に出てくるのに、未だかつて一度として大正天皇が話題になったことがない。亀さんは『続 極道辻説法』で、世の中にあまり知られていない大正天皇のエピソードを、今東光が語っているのを時々思い出すので、この機会に全文を転載しておくことにした。


☆☆小説に大正天皇が登場しないわけ
最近、小説などを読んでいて疑問に思うのだが、明治天皇やいまの天皇のことはよく出てくるのに、大正天皇のことがちっとも出てこない。どうしてなのか、和尚、知っていたら教えてもらいたい。(群馬県太田市 21歳 丹野弘蔵)

これはいい質問だ。

大正天皇は生まれて間もなく何歳かの頃、脳膜炎をわずらったんだ。お医者がみんな手放したくらいの重病でね。明治大帝はたったひとりの男の子だから、非常に惜しんで、京都の妙法院の門跡で、村田寂純という大僧正に頼んだんだ。この妙法院は天台宗の門跡寺院では一等の寺で、明治大帝は京都にいらしたから、それで覚えていたんだな。妙法院には聖天様がお祭りしてある。この聖天様というのは、桓武天皇が信仰なさっていて、お冠の、まげを入れる巾子(こじ)にお守りとしていれておいた。それがお祭りしてあるのを思い出されたんだ。というのも、聖天というのは無理なお願いを聞いてくれるという神様なんだ、仏法の方では。それで、これは無理なお願いだからというんで、村田大僧正に勅使を立てて、聖天供の行をしてくれと頼んだわけだ。

村田大僧正はお受けすると、まず弟子どもをみんな呼んだ。「オレはこれから3721日間聖天供をする。命を張ってやるから多分オレは助からんだろう。それだからおまえたちには……」と、みんな形見分けをして、本山、比叡山に寄付するものはして、金を全部始末し、身辺をきれいにした。そして今度は行に入る前の前行七日という、七日間水を浴びた。そしていよいよ聖天堂に入った。

「扉は密閉して誰も近寄ってはいかん。行中に五鈷鈴(ごこれい)を鳴らし続けるから、その音が途絶えたら開けよ。ひょっとするとどうなっているかわからんから」と言って聖天堂に飛びこんだわけだ。五鈷鈴というのは爪が五つある真言密教の行に使う鈴だ。そうしてやっていたんだが、何日目かに五鈷鈴の音がしなくなった。「大変だ!」というんで、行って外から鍵をかけたやつを開けてみると、大僧正は密壇という壇から落ちてぶっ倒れているんだ。それで水をぶっかけたりなんかすると息を吹き返した。それをまた壇の上にあげて行を始める。みんな扉を閉めて出る。昼夜ぶっ通しだからみんな寝ずに聞き澄ましていると「リーン、リーン」という鈴の音が聞こえてくる。「まだお達者だな」と思っていると、そのうちバタッと聞こえなくなる。「それっ!」と行くと、またぶっ倒れている。

これを何回もくり返すんだ。食べ物はその間におかゆをちょっちょっととるだけ。それで聖天を攻め伏せたわけだ。二十一日済んで出てきた時にはかつがれて出てきた。

「ずいぶんお倒れになりましたが……」と言ったら、「ウーン、聖天さんが現われてオレを蹴とばしたんだ、無理を言うな、と。そのたびに密壇から蹴落とされたのを、おまえたちが救いあげてくれたんで、とうとう二十一日やれた」

そうしたら、二十一日過ぎたら宮内省から電報で「お命をとりとめた」と。それから間もなく村田さんは寝ちゃって、余命旦夕(たんせき)に迫った。

「お命をとりとめたことはまことに目出度い。しかし、おまえらに言っとくが、聖天様には無理な願いは絶対にするな。これは国家のことだからやったけど、無理な願いはするでないぞ」と遺言して亡くなった。そうしたら明治大帝が菊の紋章つきの、馬つきの馬車をくれたんだよ。そのお馬車にお棺が乗った。生きては乗れなかったんだ。

その人のお弟子が、おレが世話になった木下寂善という大僧正でね。形見分けされた人から聞いているんだから、現実の本当の話だ。密教の世界とはそういうものでね。これをやれる阿闇梨にならないと大阿闇梨とは言われないんだ。オレは叡山でそれをやってるんだよ。

そういう方だから、大正天皇はあまりよくないし、たいした働きはできなかったけれど、家来たちがいいのがいたから全部できたんだ。ただ、字のうまいことは抜群だった。大正天皇の書をあんまり人が言わないし見ていないから、これを知っている人は少ないよ。オレは数点拝見したが、たいしたもんだった。

嵯峨天皇は、弘法大師と橘逸勢と並んで三筆と言われたほど書がうまかったが、歴代天皇のうちでは大正天皇は上位五指に屈するんじゃないかな。それはもう大変なもんで、小野道風にも三筆にも負けないもんだよ。

明治時代の人で最高にうまかった副島種臣(蒼海)ですら、大正天皇の字を見ると「恐れ入りました」と拝んだくらいでね。こういうことをあんまり人が言わないというのは、オレは大変残念だといままで思っていた。それに明治、大正、昭和と三代並べてみると、大正時代が一番良かった時代じゃないかな。エロ、グロ、ナンセンスがはやったり、のん気でいい時代だった。オレが一番好きた時代だよ。
『続 極道辻説法』p.71
遠祖を求めて
亀さん家のルーツは、埼玉県飯能市の観音寺(真言宗智山派)で見出すことができる。平成元年9月、本家の従兄弟(実際には叔父甥ほどの年齢の開きがあるが、血縁上は従兄弟)が墓石を新しくするということで、取り壊す前に墓石から「推定系譜」なる一覧表を遺してくれている。それを見るに、最も古い年代で「眞了浄言禅譲尼が宝永五年(1708年)没、施主久三郎」という記述が目にとまった。そして、残念ながら宝永五年以前を遡ることはできなかったようだ(過去帳も同様)。

そこで2012年8月20日、京都の大学で学業とアルバイトに追われている、上の息子の陣中見舞いに京都を久しぶりに訪れる。その数日前、他用で〝さる筋〟と電話で語り合っていた時、中世のころの亀さん家のルーツは京都にあるという話を、昔日さる筋がしていたのを思い出し、「京都でルーツを求める旅をしたいので、何かヒントになることを教えていただきたい」と問うと、「伏見宮家縁の土地および八坂神社」を訪ねると良いとのアドバイスであった。さらに、中世における亀さん家直接のルーツは綾部市にあるとのこと。残念ながら、時間的に無理なので今回は諦めざるを得なかった。その代わり、旧堀川御所に足を運んでみると良いというアドバイスがあった。仕事に追われていたので、「伏見宮」および「八坂神社」のデータをインターネットで調べてプリントし、行きの新幹線の中で目を通した。

8月20日午前9時過ぎに京都着。その足で西本願寺に向かう。目指すは、西本願寺と京都東急ホテルに挟まれた場所にある、旧堀川御所だ。到着後、今ではコンクリートで敷き詰められて駐車場になっている跡地の休息所に腰を下ろし、『月刊日本』に連載中の落合莞爾著「擬史」の一節を暫し思い浮かべていた。

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堀川辰吉郎は明治十三年、孝明帝の血統を享けて京都の堀川御所に生まれた。明治二年、西郷・吉井・大久保の薩摩三傑が宮中改革を図り、孝明帝の女官を京都に留めたことは周知であるが、その女官たちは、維新後も京都堀川御所に住した京都皇統に仕えたのである。堀川御所は明治天皇の行在所を名目に設けられた施設で、堀川通り六条の日蓮宗本圀寺旧境内にあった。足利尊氏の叔父・日静上人が鎌倉本勝寺をこの地に移し、皇室鎮護の霊場として本国寺と称したが、水戸光圀により本圀寺と改めたこの名刹は昭和四十六年に山科区に移転したが、旧境内は実に広大で、現在の西本願寺もその一部を割譲されたものである。堀川御所は昭和三年に廃止されたと聞くが、皇統の本拠としての意義を果たし終えたからであろう。(『月刊日本』「疑史 第68回」落合莞爾著)
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芭蕉の「夏草や兵どもが夢の跡」ではないが、慶応2年12月25日に孝明帝が崩御、以降睦仁親王と共に旧堀川御所にお隠れになり、10年後の明治13年、睦仁親王を父として堀川辰吉郎が誕生したのが、此処であったことを思うと感慨深いものがあった。

 その後、息子と待ち合わせを約束していた、今出川駅まで炎天下の古都の道を歩く。一緒に昼食をとった後、近くにある二ヶ所の伏見宮邸宅を訪問した。

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伏見宮御所北部の邸宅跡?(左)と伏見宮御所東部近傍の妙音弁財天(右)

【伏見宮家邸宅】
江戸時代の伏見宮家は京都御所周辺に2ヶ所の邸宅を有しており、その時の当主の都合で、どちらかを本邸として使用していた。御所東部と御所北部に、その邸宅は存在した。御所北部の邸宅は現在、同志社女子大学の敷地の一部となっている。周囲には桂宮家と五摂家の二条家と近衛家の邸宅があった。

御所東部(出町北鴨口)の邸宅跡地付近には、「妙音弁財天」を祀る伏見宮家の鎮守社が今も残る。


訪れた同志社女子大学の守衛所で確認したが、御所北部の邸宅らしき場所は上左の写真の狭い場所しかないとのことだった。守衛さんは墓地と言っていたが、それにしては珍しい形をした“墓石”だ。近くに行き確認してみたかったが、周囲を塀で囲まれていたため諦めた。次に行った「妙音弁財天」は御所東部の邸宅跡地付近にあり、境内に以下のような案内板があった。

本殿の本尊は、青龍妙音弁財天画像で西園寺寧子(やすこ)(大光明院殿・広儀門院)が、 第九十三代後伏見天皇の女后に輿入れされた折に、西園寺家第二伝の念持仏として持参さ れて以来、伏見離宮に祀られ、光巌(こうげん)、光明(こうみょう)、崇光(すいこう)天皇と伝承されてきた霊像である。

その後、享保年間、伏見宮家第14代貞建(さだたけ)親王に至って伏見邸が河原町今出川下がる出町北鴨口に移転され、同時に本尊も奉遷され、更に明治初年に東京へ遷座の後、 京洛の旧信徒のよる再三の請願によって、再び現在の地に堂宇を建てて奉安された。

世に伏見御所の弁財天と称され、「京都七福神」の一つとして、特に技芸上達、福徳円満の勝益(しょうえき)をもたらすものである。


 翌日は八坂神社を訪れ、神主さんに素戔嗚尊および牛頭天王について色々と問い合わせてみた。以前、さる筋から聞いた、亀さん家のルーツは鈴鹿市にあり、素戔嗚尊が深く関与するという話を思い出した。そこで、皇大神宮に皇祖神である天照大神を奉る伊勢神宮と、伊弉諾尊を奉る八坂神社とは、何か関係があるのかと神主さんに尋ねてみると、「天照大神(姉)と素戔嗚尊(弟)という、姉弟神社だ」という回答であったが、どうもピンと来ない。

ともあれ、亀さん家の遠祖が従事していた先が伏見宮家か同家に関係していた“組織”であると思われ、かつ亀さん家の直接の祖先が祭っていたのが素戔嗚尊であるとさる筋は言いたかったのだろう。

なお、直接の祖先が居たという綾部市は大江山に近く、あの大本(長生殿)がある。同市には綾部市資料館があり、戦国・室町の中世から江戸初期あたりまで(宝永年間以前)を調べる時には、貴重な情報源になりそうだ。

さらに遠祖を遡っていくと、最後は鈴鹿市の亀さん一族にたどり着き、そこから枝分かれした一派が隣の亀山市に移り、やがて綾部市に移動したのだろうと大雑把に推測している。その意味では、取り寄せた『鈴鹿市史』の第一巻(室町・戦国時代あたりまで記述)に十分に目を通した後、亀山市の『亀山地方郷土史』に進み、最終的には綾部市の『綾部市史』へと進んでみたいと思う。その間、さる筋が著した『家紋講座』と『古事記』は幾度か目を通す必要がありそうだ。

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八坂神社       

牛頭天王で思い出したが、先週の土曜日に用事があって上京した折り、久しぶりに本屋に寄って以下の本を入手した。

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『牛頭天王と蘇民将来伝説の真相』 長井博著

蘇民という言葉に接すると咄嗟に脳裏に浮かぶのが、丹波篠山で起きた未曽有の飢饉と酷税に蜂起する義民たちを描いた、黒須紀一郎の著した『天保蘇民伝』であるが、『牛頭天王と蘇民将来伝説の真相』と結びつくものがあるだろうか…。もし、何か感じるものがあったら、読後感を簡単に述べてみたいと思う。
神秘的人間像
『続 極道辻説法』のp.256に「和尚独白」と題して、以下のような珠玉のコラム記事がある。

いまオレがコツコツ翻訳している名著がある。リードビーターの『ザ・マン・ビジブル・アンド・インビジブル』という本で、オレが大正時代から愛読しているものだ。

オレの邦題は『神秘的人間像』と決めた。

ちょうどいま訳出している部分を少し紹介すると、生物にはもちろん皆、ソウル(魂)がある。ところが鰯やメダカは、グループ・ソウルというのを持っていて、たとえ鮫に追っかけられても、いつかはまた群をなすというのは、そのグループ・ソウルに依存するものだと、リードビーターは説いている。

これは民族にもいえることだと、オレは思うんだ。たとえば大和民族の運命を見るに、グループ・ソウル(群魂)がなきにしもあらずだ。

欧州の民族大移動なんてえのも、まさに群魂のなせるわざであろう。なにか命令しなくても、民族がどうしようもなく、その方向に流れて行くということは、世界史を紐解けば、枚挙のいとまがないほどだ。

こういう論理をセオソフィといって日本語で霊智学というんだ。オレは仏門に入り、体験的に霊智学を信ずる徒である。

オレはいわゆるインテリという徒に会って、こいつは本物かどうかを測る試金石として、そいつが、神秘的なことをどこまで信ずるかによって判断することにしている。

所詮、唯物史観なんてえのは、奥行のないものなのよ。


和尚が翻訳に取り組もうとした唯一の書・『ザ・マン・ビジブル・アンド・インビジブル』は今でもアマゾンで入手できる。

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そして、英文だが読者のカスタマーレビューが31件投稿されており、どの書評も興味深い。以下、一例を挙げておこう。

★★★★★ Great overview of the invisible side 1998/8/28

A very helpful overview of the system we live in. Needs to be read 2-3 times for full understanding. Of all the books I've read, this seems to answer the most of my questions about who we are, what we are and why we are here. It brought together many concepts that, until I read the book, I had not understood.


蛇足ながら、カスタマーレビューで思い出したんだが、落合莞爾著『明治維新の極秘計画』に載せた亀さんの投稿が、アマゾンから何の連絡も無しに突然削除されていた。多分、、ブログに書いた同書の書評をそのままカスタマーレビューに載せたため、アマゾンのルールに触れたのだと想像するのだが、如何にも外資系のアマゾンらしいやり方である。落合さんにもメールでこの件は通知済みだが、亀さんのカスタマーレビューが確かに載っていた証拠が以下のサイトにあるので、URLを紹介しておこう。
社会科学者の時評
神風連の遺志
136年前(明治十年、1877年)の今日、薩軍の一番大隊が鹿児島から熊本方面へ先発した。西南の役の勃発である。この西南の役の呼び水となったのが、前年(明治九年、1876年)熊本で起きた明治政府に対する反乱、神風連の役であった。『月刊日本』2月号で三浦小太郎氏は、「神風連 反近代の極北」という記事を執筆、神風連の背景について以下のように述べている。

神風連のメンバーは俗説とは違い、神官の家ではなく、熊本の下級武士出身者がほとんどであるが、彼らは林櫻園の思想的影響から、明治政府の言う「和魂洋才」などという概念の欺瞞を無意識のうちに見抜いていたのだ。

西洋近代化の技術や科学を無批判に取り入れ、しかも日本の伝統精神、伝統信仰を維持できるなどということは、神風連にとっては西欧の近代文明が決定的にこの日本を変質化させること、日本人の精神を替えてしまうことを全く見抜けない輩の妄言に他ならなかった。仮に、日本の精神を守りつつ近代を受け入れるのならば、それは攘夷を貫徹し、まず徹底的に西欧近代化を拒否したうえでしかできないはずなのである。しかし、事態は、彼らにとっても抜き差しならぬところにまで進もうとしていた。『月刊日本』2月号p.56

そして、明治九年10月24日、旧肥後藩の士族太田黒伴雄ら、約170名によって結成された「敬神党」が、廃刀令に反対して反乱を起こしたのである。神風連を取り上げた三浦氏の記事で感動したのは、「神風連自決者たち…家族と志士、その深い精神的交流」と題した小節である。たとえば、「24歳で自決した米村勝太郎の母は、不幸をわびる息子に“お国のためにやったことじゃないか、志はよく分かっているから安心して死になさい”と慰めた」という行を目にした読者は、どのように思われたことだろうか。恐らく、今の時代の空気を吸う我々には、到底理解できない世界ではないのか。そのあたりを三浦氏は以下のように書いた。

このようなエピソードの本質を近代人は理解できず、ここに偽善や蒙昧、場合によっては自分の家から卑怯者を出してはならないという前近代的なエゴイズム、そして封建道徳の生命軽視の誤った精神の表れを観ようとする。

しかし勘違いしないでほしい。神風連は明治新政府の為に死んだのではなく、また旧士族の利得のために死んだのでもない。自らの信仰に殉じたのであり、家族はその信仰を貫徹するための自決を迷うことなく受け入れたのである。これは封建道徳などという次元のものではなく、ある信仰や理想を持った人間と、彼らを支える家庭のありかたとしては最善のものではないだろうか。
『月刊日本』2月号 p.59
天草四郎と白拍子
美輪明宏氏の『霊ナァンテコワクナイヨー』は、大変面白い本だった。同書では輪廻転生の話が出てくるが、美輪氏本人は自身の前世が天草四郎だったと語る。その美輪氏と親しい瀬戸内寂聴さんの前世を美輪氏が観たところ、南北朝時代に長慶天皇に仕えた白拍子だったとのこと!

本ブログは今東光のファンやアンチファンもいると思うので、同書に登場した今東光の行を簡単に引用しておこう。

 瀬戸内さんに、あなたが『源氏物語』を書き始めたのは天台寺へ行ってからではないですかと訊くと、指折り数えて「そうだ」と驚いていらっしゃいました。

「そうでしょうね。あなたが行くまでは、どなたが住職としていらしても、いられなくなるか、長生きできずにすぐ命をとられたりしているはずですよ」と言うと、今東光さんもそうだし、その前の方もそうだったとおっしゃるのです。

そして、『源氏物語』を書いたら、私が言っていた「いい意味での凄いことが起こる」ということがその通りになったのです。大寂聴ブームが起きて、瀬戸内さんの書いた『源氏物語』は大ベストセラーになり、売れに売れたのですから。
p.308

果たしてこれは〝神計らい〟だったのか、あるいは〝たまたま(偶然)〟だったのかは兎も角、人智を超えた世界の存在を何となく感じさせるに十分な行だ。

同書で印象に残った、もう一つの箇所は以下の行…。

地球(この世)は人間でいえば、ちょうど幼稚園から小学校くらいのレベルです。
p.52

この行を読み、過日紹介した川田薫先生のビデオを咄嗟に思い出した。
人間死んだらどこに行くんですか?
陰陽道とツラン
亀さんは、世界戦略情報誌『みち』という機関誌の校正のお手伝いをしている。同誌のシリーズの一つに、「みょうがの旅」と題した家紋に関する記事があり、筆者の中村(みつぞう)さんとは幾度かお会いしたことがある。中村さんの家紋が抱き茗荷なので、シリーズの題が「みょうがの旅」となっているわけだが、その中村さんに今朝、以下のようなメールを書いた。

来週の十八日の月曜日の「鶴瓶の家族に乾杯」は、笑福亭鶴瓶が女優の戸田恵梨香と、中村さんが訪問したという福岡県宗像市を旅する番組だそうです。楽しみです。

実は、今日発売の『みち』の中村さんの記事に、宗像市が登場していたのを目にしてのメールだったが、記事自体も大変興味深い内容であった。なお、中村さんの「みょうがの旅」はネットで公開されているので、関心のある方はアクセスしてみていただきたい。
みょうがの旅

ところで、『霊ナァンテコワクナイヨー』を読み終えた。そこで、「みち」の掲示板に以下のような感想を簡単にかいた。

『霊ナァンンテコワクナイヨー』を読んで、二つのことを感じました。一つは〝磁気〟であり、古事記と電磁気を結びつけた栗原茂氏の説を思い起こします。もう一つは、美輪氏は九星で見ると二黒土星、そしてナント小生も二黒土星なのです。同書のp139に、「二黒土星は、若いうちはいくら努力して勉強しても、教養知識いろんなものを身につけても、何の効力もなく花も咲きません。お金も右から左に出ていき、貧乏で、惨めな思いをして、何の報いもないのです。だけど、晩年になればなるほどあらゆる面で良くなってゆきます」とあります。それが本当なら、小生は未だ未だ長生きするなと思った次第(苦笑)。とにかく、九星について、もう少し詳しく調べてみようと思います。


現在、8年振りに長原芳郎の著した『陰陽道』を再読中だ。再読しながら改めて思ったのは、古事記も占いすなわち陰陽道の暗号で書かれていたということだ。たとえば、「なぜ左目からアマテラスが、右目からツクヨミが、鼻からスサノオが生まれたか」、という理由も同書を読むことで理解できた。

また、ツランという言葉こそ使っていないものの、明らかにツランを指していると思われるも行あり、新鮮な発見だった。

シャアマニズムというのは、シベリヤ、北アジア、東北アジア、中央アジアなどの諸民族に特有な呪術的宗教で、はるかハンガリーからシベリア、モンゴリア、満洲、韓国を経てわが国にまでひろがっている。

シャーマニズム、古事記と、己れのルーツ追究の作業とは一見かけ離れていて遠回りかと思っていたが,陰陽道とツランの関連性を知り、今の進め方が案外近道なのかもしれないと思った。

なお、ツランという耳慣れない言葉が出てきたが、詳細は以下のページで一部公開されている、ツラン関連の記事を参照して欲しい。
巻頭言
午後の読書三昧
今日は午前中に仕事を終わらせることができた上、昨夜イギリスから入ってくるはずの仕事がメールで届いていなかったので、急ぎ道友に教えてもらって取り寄せてあった、佐藤守氏の『大東亞戦争は昭和50年4月30日に終結した』を読み始めた。読み進めながら、稲村(公望)さんが中心となり、亀さんも校正のお手伝いをした角田(儒郎)さんの三部作を思い出した。『日本の宿痾』、『日本の残光』,『日本の継戦』と、どれも魂を揺さぶられた本であった。大学生と高校生の息子らにも是非目を通して欲しい本だ。ご参考までに、小生の関係する掲示板で「角田儒郎の著作集」と題したスレッドがある。関心のある方はアクセスして戴ければ幸いだ。
角田儒郎の著作集

すると、宅急便が届いた。過日発注した美輪明宏氏の『霊ナァンテコワクナイヨー』という本だった。同書をパラパラと捲ってから、急ぎ『大東亞戦争は昭和50年4月30日に終結した』に戻ろうと思っていたところ、『霊ナァンテコワクナイヨー』のあまりの面白さに引き込まれてしまった。同氏の斬れ味鋭い文章が心地よい。例えば以下の行…。

私もずいぶん武者修行をしてよく知っていますが、世の中の霊能者や易者と呼ばれている人の99パーセントはニセ者です。(『霊ナァンテコワクナイヨー』p.147)

同書を読み進めていくうちに、次は長原芳郎の『陰陽道』を再読したくなった。同書については別ブログで簡単に書評を書いたことがある。

明日も一日中にわたって読書三昧といきたいところだが、こういうときに限って大量の仕事が海外から入った来ることが多い、トホホホ…。
エコツーリズムのまち 飯能
今日、ツイートで「エコツーリズムのまち 飯能」というサイトの存在を知った。行ってみたい所も多いので、機会があれば参加してみよう。それにしても…

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少し山奥に入ると、野生の動物がたくさんいるのはいいのだけど、熊とだけは鉢合わせしたくない…。

その点、ブログ友の奥むさしの山人(やまびと)さんのブログ[好日 奥武蔵]は本格的だ。腰の重い小生から見れば羨ましい健脚だ…。地元で最も難所と言われる〝飯能アルプス〟も、恰も天狗のように縦走してしまうんだから恐れ入る。毎回の美しい写真も楽しみにしているので、今後とも4649!
松平容保、京都守護職拝命
NHKの大河ドラマ「八重の桜」を日曜日(2月10日)に見た。主な流れは、最初は京都守護職に就任することを、頑なまでに拒んでいた会津藩主の松平容保であったが、松平春嶽に(『会津家訓十五箇条』の第一条「会津藩たるは将軍家を守護すべき存在である」を引き合いに出され)押し切られるというものであった。

あるホームページでは、容保のことを「誠実で、まじめで、忠誠心厚く、まさに、主君に対する忠誠心を何よりも重視した当時の【武士道】の具現者」と表現していたが、亀さんも全くその通りだったと思う。そのあたりを今回の「八重の桜」は物の見事に描いていた。

さて、おさらいの意味で容保についてウィキペディアで確認したところ、以下の3箇所の記述に目がとまった。

・(容保は)血統的には水戸藩主・徳川治保の子孫
・容保は禁門の変での働きを孝明天皇から認められその際、宸翰と御製を賜ったが、それらを小さな竹筒に入れて首にかけ、死ぬまで手放すことはなかったという。
・細面の貴公子然とした風貌で、京都守護職の容保が宮中に参内すると女官たちがそわそわした、という逸話も残っている。


水戸…、孝明天皇…、容保…、ここで亀さんの頭の中で閃くものがあった。このあたりはもう少し確証を得たら本ブログで発表したいと思うが、ヒントは渋澤栄一翁が監修した『徳川慶喜公伝』、および落合(莞爾)さんが著した『明治維新の極秘計画』の2冊にある。現在の落合さんは『明治維新の極秘計画』の続編に取り組んでいるのだが、数日前の連絡では出版が大分遅れる見込みとのことだっだ。なんでも、その前に南北朝を取り上げた本を出すというのだ。同書は近々発行の運びとなると思うが、「南北朝の真相を、日本史学上初めて明らかにしたものです」と、落合さんが冒頭で述べている本だけに、歴史学界で〝常識〟になっている、南北朝史観しか知らない人たちは腰を抜かすことだろう。

ともあれ、容保に話を戻せば、落合さんの言う、〝堀川政略〟で容保はどういう位置づけであったのか、気になるところだ。なぜなら、会津藩の流した血は、あまりにもおびただしかったからである。

そのあたり、容保本人が心情を述べた記述があったので、ウィキペディアから以下に引用しておこう。

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明治の世になってからも、容保の人柄と才を惜しみ「政治に参加してはどうか」と誘ったり、容保自身を華族として認めるよう働きかけたいと申し出た人がいたが、「余のために死んでいった者達は数千人は下らないだろう。そして、その家族は数万人にもなるだろう。彼らを差し置いて、余だけが富貴な身分を楽しむことなどとてもできることではない」と、その全てを断ったと言われている。
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「全てを断った」…、ここに徳川慶喜、そして渋澤栄一と相通じるものを見る。

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