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人生は冥土までの暇潰し

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人生は冥土までの暇潰し
亀さんは政治や歴史を主テーマにしたブログを開設しているんだけど、面白くないのか読んでくれる地元の親戚や知人はゼロ。そこで、身近な話題を主テーマに、熊さん八っつぁん的なブログを開設してみた…。
坂村健の“教育論”
島地勝彦氏は、今東光和尚には孫のように可愛がられた人だ。その島地氏のインタビュー記事が、[現代ビジネス]にシリーズとして掲載されてるので、欠かさず毎回注目しているわけだが、今日読んだ坂村健氏との対談記事、 「いまの時代、『教養がなければ生きている資格がない』が、『タフでなければ生きていけない』」、あれは酷かった。島地氏のことではない、坂村氏がである。

かつてはトロンOSを開発した日本人として、亀さんは密かに坂村氏のことを応援していたのだが、飯山一郎さんの乳酸菌を批判した毎日新聞を読み、あまりにも人間として視野の狭い男だったことを知り、このような人間を応援していた自分が恥ずかしくなったものだ。ここで、板村氏を完膚無きまでに叩きのめした、優れた記事を見つけたので以下に紹介しておこう(因みに、亀さんも豆乳ヨーグルトを欠かさずに毎日摂っている)。
乳酸菌について 東大 坂村教授に反論する

さて、[現代ビジネス]記事だが、読めば板村氏の狭量さが分かる。写真家の立木義浩氏も、「なんでも時代ってあるんじゃないの。むかしは子供にピアノを習わせるのと同じように漢籍を習わせたんだろう。今ならそれはコンピュータかもしれないね」と、古典もピアノも一緒だと臆面無く言うあたり、呆れ返ってしまった。

なを、このインタビュー記事では鴎外と漱石が出てくるが、このあたりは本ブログでも和尚の言葉として少し紹介したので再読戴ければ幸いだ。
幸田家の人びと

最後に、本物の教養人とはどのような人物かを示す意味で、今東光和尚の芥川龍之介観を転載しておこう。


☆☆芥川龍之介はどんな人?
私は小説の中でも芥川龍之介先生が書かれた作品が大好きだ。優れた短編を残された尊敬すべき芥川先生は、どのような人物だったのか? 今和尚、お聞かせ願いたい。
(東京都西多摩郡羽村町 都職訓生 22歳 加藤進〕

芥川さんは「新思潮」の先輩に当るし、谷崎潤一郎、佐藤春夫とも親しかったので、そこに出入りするオレともよく知っていたんだ。佐爆春夫は芥川さんをライバル視していたけど、学の力というものは、比較にならないほど芥川さんの方が上だった。とにかくもう芥川さんという人は大変によくできる人で、抜群だったね。字もうまいし、絵も描くしね。歌、俳譜、何でも一つとして不可なきものはない人で、フランスで言うと、ちょうどアナトール・フランスに似ているんじゃないかな。

学問でも一流の学者だし、幅広い趣味人でもあって、フランスで言う「ディレッタント」という言葉があの人くらいぴったり合っているのも少ない。非常に幅広く、しかも奥深い。何でも書くし、何にでも理解を示す才能をもっている。まさに本物のディレッタントだった。衒学いうディレッタントは低い低いディレッタントのことを言うんで、要するに学識を衒ってね、いかにもおれは物知りだというのは今の日本にも沢山いるが、芥川さんのはそんな次元の低いもんじゃなかった。


和漢洋にも通じていてね。漢文もよく読めるし、俳諧一つとってみても国文学者が言ってるどころじゃなく、芭蕉なんかにでも一家言もっていた上、実際に句をどんどん作る。あり余って歌になると、アララギ派に近い歌も詠めた人だった。学者級の知識に一流の芸術家としての才能を併せもっていたんだから、とても大学の教授でもかなうもんじゃなかった。特に絵も文人画描いたんで、そういう点でオレたんか好きだった。しょっ中、芥川さんの家に遊びに行ってたもんでね。オレみたいな若いもんが集まるもんで、谷崎なんか芥川さんをつかまえて、「君は何だな、中学生を集めていばってるそうだな」なんて言っていたくらいだ。谷崎という人はなにしろ人間嫌いでね。

和漢がそれくらい優れていた上に、洋も凄かった。いつか芥川さんの家へ行った時、「君のお父さんは単なるキャプテンでなくて変わっているんだね」って言うんだ。オレは一度もオヤジの話なんかしてないんで驚いたが「そうですか、変わっていますか。なにしろうちのオヤジはtheosophist(見神論者)ですよ」って言ったら、「じゃあブラヴァッキーのThe Secret Doctrineなんか読んでいるんだな」。これ聞いて、オレ、腰ぬかしたよ。ブラヴァッキーと言っても知らんだろうが、これはエレーナ・ペトローヴナ・ブラヴァッキーというロシア生まれの婦人
で、一九世紀最大のオカルティストなんだ。彼女が書いた『ザ・シークレット・ドクトリン』という一八八八年に出版された本を読んでオヤジはセオソフィストになったんだから。どうしてこんな本まで読んでいらっしゃるのかって、もうびっくりしたもんだ。

よく夏目漱石の弟子の一人のように思われているが、ちょっと違うんだな。漱石には久米正雄や松岡譲ほど接近はしていなかった。『羅生門』を読んだ夏目さんが、「芥川を連れて来い、連れて来い」と言ったんで行っただけで、あんまり接近はしなかった。いつも一定の距離を置いてたな。テンペラメントがひとつ違うんだ、二人は。相容れないんだ、漱石と芥川さんとは。

芥川さんの人となりを小島政二郎がよく書いているし、また今度書き始めるらしいが、奴は友達でもなんでもありゃあしないんだ。芥川さんの前に出ると、もう米つきバッタでね。嘘っ八もいいとこで、奴は嘘ばかり書いてやがる。小島の政なんて、いまでもブラヴァッキーのブの字も知りゃあしねえ無学な野郎でな。あん畜生が死んだら、オレ、奴のことを洗いざらい書いてやろうと思ってるんだ。とにかく嘘つきでな。奴に芥川さんなんかを書けるわけがねえよ。
『続 極道辻説法』p.100
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戦争中より悪い時代 瀬戸内寂聴
「戦争中より悪い時代」と発言したのは、かの有名な瀬戸内寂聴さんだ。以下のYoutubをごらん戴きたい。



しかし、上記のYoutubeを観て、今は「戦争中より悪い時代」と言われても、大手マスコミ(テレビ・新聞)しか見ていない人たちにはピンと来ないだろう。1986年4月26日チに起きたチェルノブイリ原子力発電所事故から30年近くが経とうとしているが、事故による後遺症は収まりつつあるどころか、さらに深刻化しているのが本当のところだ。残念ながら日本、より具体的には東北・関東地方もチェルノブイリと同じ運命を辿りつつあり、事故から2年近く経った今日、徐々に原発事故が起因の免疫力低下による症状が表面化してきた。ブログの世界で有名な「きのこ組 組長」の姐さんも以下のようなツイートを流している。

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なお、上記ツイートの記事は以下のとおりだが、大手マスコミ(NHK)の報道だけに、表面的なことしか書いていないので注意のこと。とにかく、東北・関東に住んでいる人たちは、あらゆる手段を講じて免疫力を付けるしかない。
妊娠中の風疹感染 赤ちゃんに障害6例報告

それにしても、齢90才を超えた寂聴さんの生きる姿勢には圧倒される。その寂聴さんが我が師と思っていたのが今東光であり、和尚による瀬戸内寂聴評の記事もあるので、この機会に紹介しておこう。


☆☆ 和尚から見た瀬戸内晴美とは
毎週このコーナーを楽しみにしています。先生はますますお元気のようでうれしく思います。私、現在二十九歳になる女性。小さいながらも喫茶店を経営しています。私は子供の頃から本が好きで、現在でも一週、二冊のペースで本を読んでいます。

最近瀬戸内晴美さんの本を読むと息苦しくなってしまいます。それは多分に自分の心境に近いからだと思います。瀬戸内さんが得度された時、先生は賛成され、それを手伝われたと何かで読みました。先生はどのような理由で賛成されたのですか? それと先生から見た瀬戸内晴美さんはどのような女性ですか? 是非お聴かせ下さいませ。
(茨城県日立市久慈町 匿名希望)

瀬戸内君は、大分前から宗教したいという気持ちが潜在していたらしいんだね。それで彼女がオレに言うには、「自分は女に生まれて可愛い娘時代があった。それから恋愛したり結婚したり、子供も生んで、娘から母になった。今度その娘が嫁に行くことになった。私としてはできるだけのことはしたつもりだ。いずれは孫ができて、私はおばあちゃんになるだろう。そう考えてくると、私は女としてすることはもう何も残っていない。これからは、私は余生を仏法に生きていきたい。そのためには姿も変えて、徹底的にやってみたいと思う」

あの娘(こ)は、そういう点で非常に徹底主義だし、真面目だから、オレは、「その気持ちはよくわかる。大変論理的にも立派な話だし。おやんなさい」と言って、手続き上、オレのお弟子にしたわけだ。別にオレの所で修業したわけでも何でもない。ちゃんと叡山で修業したんだ。

でも、彼女がオレを師と思うなら勝手に思ってりゃあいい。弟子として薫陶したわけじゃないから、こっちは弟子とは思ってないけど、そこはごく自由でな。彼女はオレの気持ちもわかり、オレも彼女の気持ちがわかって、つき合っているわけだ。彼女は非常に聡明だから、間違いなく歩くだろう。

しかし、人問の因縁というのは面白いものでね。同じ文学をやっていて、講演に何回か一緒に行ってるうちに、彼女が何かオレをお父さんみたいに頼りたくなったんじゃないかな。オレのことを「お父さん」「お父さん」って言ってる。オレは「お兄さんって言え」って言ってるんだが、アハハハ……。そう言えば戸川昌子も「お父様」だ。柴錬は「おやじ」だったか。

だから、オレは瀬戸内との因縁を重んじて、「彼女のために常に良かれかし」と考えてたし、尼になるのを、「よせ、よせ」とは言わなかった。

だけど可愛いとこあるのはね、「私は頭を剃れって先生に言われて、一番気になったことは、剃った青々した頭の格好が悪かったらどうしようか」と言うんだ。そこがやっばり女だね。会った時なんか、オレにはとてもよく仕えてくれているよ。

それよりおまえさん、喫茶店やってるのか。店名もハガキにはちゃんと書いてあるし。今度そっちのほうへ行ったら寄ってみるよ。それまで店をつぶさないように頑張っていてくれよな、おい。
『続 極道辻説法』p.231
自衛隊員という道
世界戦略情報誌『みち』の関係者が集う忘年会が昨年あった。残念ながら亀さんは仕事に追われて行けなかったが、代わりに高二の下の息子が出席した。その席で、『月刊日本』の山浦(嘉久)さんや『みち』の天童(竺丸)さんらに、色々と己れの進路相談をしたのだろう、海上自衛隊に心が傾いたようだ。昨夜渡した、「“calling”他者の呼ぶ声から、本当の仕事が始まる」を貪るように読み、「俺の考えを支持してくれる記事だ」と語った息子を見て、かなり仕事の本質に迫ってくれたことが分かり嬉しかった。仮に自衛隊に入隊した場合、勤務の傍ら色々と考えた上で自衛隊に残るもよし、さらに大学や専門学校に進学するのも良いだろう。現在京都で大学生活を送っている彼の兄の寮の先輩に、自衛隊に3年間ほど在籍していた者がおり、そのあたりの兄の話にも影響を受けているのは間違いないようだ。ともあれ、「人生は片道切符だ。悔いのないように使え」とだけは親として言っておいた。

ここで、一昨年の平成23年4月27日、東北地方へお見舞いに行かれた天皇・皇后両陛下の御前で、君塚栄治災統合任務部隊指揮官(東北方面総監)が挙手の敬礼をしたことは記憶に新しい(以下の写真)。識者の話によれば、自衛官が両陛下に正対して敬礼報告したのは,その時が初めてだったとのことだ。また、同年の3月16日、天皇陛下が東日本大災害に際して国民へのお言葉を発せられたのを耳にしながら思い出したのが、本稿の最後に転載した今東光の言葉だったのだが、参考までに本稿の最後に転載しておこう。





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天皇皇后両陛下を御迎えする村井嘉浩宮城県知事(後方左から二人目)と敬礼する君塚栄治統合任務部隊指揮官(陸上自衛隊東北方面総監)[4月27日、航空自衛隊松島基地、写真=宮城県広報課提供]

====自衛隊をどう思うか=====
最近の北海道の長沼ナイキ基地裁判の二審では原告側の敗訴に終わったが和尚は自衛隊をどう思われるか。平和維持のためなら、自衛隊のようないわば軍隊が必要と思うか? 私は、この裁判の一審で出た「自衛隊は憲法違反」という判決に感銘している者だ。
(徳島市南田宮 M・K)

おめえみたいなバカがいるから、ますます日本が弱くなるんでね。自衛隊を、「保安隊」と言ったり「自衛隊」と言ってみたりしている政府が、そもそも意気地がないんだ。堂々と「国軍」と言ったらいいじゃねえか、国軍と。

我々の祖国や民族を守るために軍隊が必要なのは当り前のことだ。そんなの板門店を見てもわかるし、今度のミグ25の事件を見たってわかる。いつどんなことが突発するかわからない時勢に、自衛隊が憲法違反だのなんだのと、パカな裁判官が言うとみんな喝采するけど、現実を全然無視した憲法論だとか何とかいうのには、オレは耳かす気ないよ。憲法論ふり回して、日本の近海にウヨウヨといるソ連の潜水艦を追っ払えるとでも思っているのかね。

だから、おめえみたいなバカは自衛隊に行かなきゃあいいんだし、行って国を守りたいという堅実な青年だけが国軍に入りゃあいいとオレは思っている。てめえみたいた野郎は家にいて、スカ庇でもこいて、音も立てずにひっそりしてりゃあいいんだ、こん畜生め!
 『続 極道辻説法』p.94

朝鮮戦争は、アーリア系韓国人が起こした?
文殊菩薩』で「タマちゃんの暇つぶし」に昨年の暮れに公開された、「朝鮮半島が乗っ取られて大韓民国が建国された」という記事が紹介されていた。亀さんの場合、つい数日前に太田尚樹著『満洲裏史』を読了したばかりなだけに、興味深く同記事に目を通した。以下、「タマちゃんの暇つぶし」の記事に沿って追記しておきたい。
★朝鮮半島が乗っ取られて大韓民国が建国された

■ 新国家建設にどうしても欠かせない「和の精神」
『満洲裏史』に登場する人物で、五族協和の実現に向け、全力を傾けて動いていたのが甘粕正彦と言えよう。たとえば、p.321に以下のような行がある。
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甘粕(正彦)の場合は、はじめのうちこそは「満洲国のための関東軍」だったが、その満州国はあくまでも「五族が協和した国」の姿勢を貫いた。のちの協和会時代も満洲人たちへの差別を嫌い、最後の満映理事長時代にも、日本人と満洲人の給与格差を撤廃した。そして、敗戦で満州国が崩壊したときにも、満映に残された金をすべて従業員に病棟に分け与えている。金離れのいいアーさんの、もう一つの顔であるが、甘粕の日満一体論は、単なる言葉の表現上の問題ではなかったのである。(p.321)
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「タマちゃんの暇つぶし」には、「欧米列強の植民地政策というのは、基本的には支配地 から資源や労働力を吸い上げるだけですが、日本の統治は現地の産業を興し、近代化させ、文化や文明を通じて現地の人の暮らしを向上させるという点におい て、欧米のやり方とはまったく異質のものです」とあるが、甘粕の思想・行動を知れば自ずと頷けると思う。


■ 危機にある韓国と日本の関係
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松下氏に近い人物からの情報によると松下氏は、人権侵害 救済法案、在日外国人参政権法案、人権委員会設置法案のすべてに反対しており、亡くなる数日前もその件で政府筋と激しくやり合っていたことが判明しまし た。
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亀さんも故松下氏に近かった人物を知っているので、タマちゃんの情報は正しいことが分かる。ここで、タマちゃんの以下の発言…。
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野田政権が必死になってやっていたこと、それは今、この国が大変な時に国民には増税と赤字国債を覆いかぶせ、震災被害者を放ったらかしにして韓国を利するための法案を通すことだったのです。
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これは、野田前首相のルーツに関係がある。野田の祖父は在日朝鮮人であり、そのあたりに「韓国を利するための法案を通すこと」に躍起になっていた理由があった。

なお、タマちゃんの今回の記事の白眉は以下の行だろう。
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東洋人には普通、蒙古斑(もうこはん)があります。

    モンゴル人はもちろんのこと、朝鮮人や日本人にもあります。しかし韓国人にはありません。ちなみに中国人にもありません。韓国人は朝鮮族ではなく、 アーリア系ではないかと言われています。アーリア人は漢民族の祖でもあり、どちらかというと、韓国人は漢民族に近い種族のようです。
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ここからタマちゃんの記事から離れて、さらに金正日の父は日本人の畑中理であり、正日の子・正恩の母親は横田めぐみさんだ…と書くと、頭が混乱する読者が出るかもしれない。しかし、亀さんはこれは事実と思っている。それは、北朝鮮事情について最も詳しい二人のジャーナリストとの交流があり、そうした情報を彼らから直に仕入れているからだ。一人は『月刊日本』の山浦嘉久さん、もう一人は飯山一郎さんだ。山浦さんは過去に北朝鮮に関する多くの記事を『月刊日本』に書いているし、飯山一郎さんに至っては『横田めぐみさんと金正恩』(三五館)という本すら出している(ちなみに、同書のp.177に登場する“サムライ氏”とは、亀さんのことだ)。関心のある人は、同書を手にして目を通して戴ければ幸いである。
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それにしても、山浦さんが『月刊日本』などで盛んに主張している新河豚計画(ネオ満州国)のことを知っているタマちゃん、只者ではなさそうだ…。
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ネオ満州国においても、満州人、日本人、朝鮮人、モンゴル人、そして漢人に代わってユダヤ人が加わっ た五族協和の国家になります。
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ハウスボーイ
先週末、『満洲裏史』(太田尚樹著 講談社)という本を読んでいたら、岸信介の叔父にあたる松岡洋右がアメリカに留学し、寄宿先の家でハウスボーイ(下男)として薪割りなどの仕事をしながら、1900年(明治33)にオレゴン大学法学部を苦労して卒業したという行があった。その時、咄嗟に思い出したのが高橋是清だった。是清は1867年(慶応3年)に藩命によりアメリカへ留学したものの、だまされて年季奉公、すなわちハウスボーイの契約書にサインしてしまったため、牧童や葡萄園で奴隷同然の生活を強いられたという苦労を体験している。

この二人の先達と比較するのも烏滸がましいが、亀さんも十代の頃に日本を飛び出し、3年間近い世界放浪の旅をしている間、ハウスボーイをしながらサンフランシスコ大学で学ぶという体験をした。今振り返ると、この時期は亀さんの英語力、特にヒアリングとスピーキング能力が飛躍的に伸びた時期だったと思う。帰国後はTOEICという英語の試験を立ち上げた北岡靖男の国際コミュニケーションズで、誕生して間もないTOEICの営業部門で仕事をしたり、あるいはメーカーの貿易部門で働いたりした後、1998年に独立して翻訳業の世界に入り、今日に至っている。

亀さんの若い頃と異なって現在は就職難であり、正規社員のポジションを獲得するのが大変な時代になっている。ネットゲリラが最近、「25歳以下の失業率が60%以上」という、ショッキングな記事を掲載していたのも目を引く。しかし、それでも10代後半から20代前半という時期に、海外武者修行など数年の空白期間を体験しておくということは、後々の人生で必ず物を言うはずだと亀さんは信じている。

以上を念頭に、高校生あるいは大学生で就活に苦労している若者に、ここで一度立ち止まって自分のやっている就活について考えてもらう(就活の正体を知ってもらう)意味で、目を通して欲しい記事がある。関心のある若者は一読してみて欲しい。
“calling”他者の呼ぶ声から、本当の仕事が始まる

追記
部活(剣道)を終えて帰宅した下の息子(高二)に、「“calling”他者の呼ぶ声から、本当の仕事が始まる」のコピーを手渡したところ、「お父さん、俺もそう思う。自分の考えていることを支持してくれる記事の存在は有り難い」と語っていた。彼は京都の大学に進学した上の兄(大一)と異なり、高校を卒業したら自衛隊の世界に飛び込むつもりのようだ。『月刊日本』の山浦さんに、昨年の忘年会で直接アドバイスを受けたのが効いたのかもしれない…。このあたりの詳細は、明日書こう。
寝たきりになったら…
先週の日曜日(1月20日)、同窓生に声をかけたところ、小生を入れて4名の〝暇人〟が飯能市の徳樹庵に集まった。二時間を超えて酒を酌み交わしながら、互いに色々と話が弾んだ。そのうち、いつものように互いの老親に話題が及んだ時、自分たちが寝たきりになったらどうする、という話に展開した。小生は「寝たきりになったら、即座にあの世に行きたい。家の者に迷惑をかけたくないからなぁ…」と発言した。月に最低一回はお会いしている天童(竺丸)さんも、何かの折りに「(寝たきりになったら)国家の世話になりたくない」と語っていたのを思い出す。

翌日1月21日の社会保障制度改革国民会議で、、麻生太郎副総理が高齢者など終末期の高額医療費の話に及んで、「死にたいと思っても生きられる。政府の金で(高額医療を)やってもらっていると思うと寝覚めが悪い。さっさと死ねるようにしてもらわないとかなわない」と述べ、後に取り消したというが、何も取り消すことはないと思ったし、麻生さんらしい発言だったと思う。

ここで、例によって今東光自ら語った〝老人観〟の記事があるので、以下に引用しておこう。

ここまで書いたら、飯山一郎さんから電話があった。安西正鷹さんの『お金の本質』を自身のホームページで紹介してくれるという。どのような反響があるか今から楽しみだ。
http://grnba.com/iiyama/


老人ホームに勤務しているが、老人が好きになれない


毎週、痛快でかつ愛情あふれる和尚のお答えを拝見、心から楽しんでいる。現在、私はある老人ホームに勤めているが、どうも老人が好きになれなくて困っている。

最初は「気の毒。かわいそう」で入ったこの道だが、一緒に暮らしていると「醜さ、頑固さ」が目についてしまうのだ。自分が失禁しながら歩き、誰かが汚したと騒ぐ者、仮病を使って職貫の注意をひこうとする者、明日結婚すると三年間言い続ける者。こんな老人達にふり回されていると、自分はこの道で本当にやっていけるのかと不安になってくる。

和尚のような立派な人は別として、老いた肉体しか持っていない老人には敬意をもって接することができないのだ。心の底には「花も咲かない枯木を愛する者はいない」という気持ちがあるのを否めないのである。お叱リの言葉と、よきアドバイスをお願いしたい。

(東京都品川区 23歳 匿名希望)

お叱りなんかしないよ。年寄りというものは、年寄れば寄るほど意地悪くなって、頑固になって、箸にも棒にもかからなくなる。だからオレは昔から「福祉なんて必要ないんだ」と言っているんだ。くたばるならくたばらした方がいい。大体オレは、年寄りなんか早く殺したいんだよ、男女ともに。

というのは、年寄りは何にも人類に貢献することがないからだ。社会の邪魔者でゴミみたいた奴を、高い金を出して大事にする必要なんか全くありゃあしねえんだ。余生を楽しみたかったら、己みずから何処かの山の高原に行って、いい天気にでも甲羅干しをしてりゃあいいんでね。オレは福祉なんていうのには根本的に反対だ。尊敬できる老人なんてごく少数で、あとはみんな邪魔者だよ。だから福祉国家というものはみんな亡国の一歩手前だろうが。イギリスでも、他のヨーロッパの国でも。それでスウェーデンなんか、老人の自殺が世界一高い。生きていたって張合いがないから死ぬんだ。やはり世の中に突き出して、よその家の軒先はいたり、いろいろなことして働いてこそ、生き甲斐も生まれるし、人の役にも立つんだ。それを年寄りを大事にしようなんて考えほどバカな話はないよ。

オレなんざいま八十歳だけど、ちっとも大事になんかしてもらいたくねえな。大事にせざるを得ないようにしているんでね。その力もないようたら、さっさとくたばった方がいいんだ。おめえが老人ホームの奴らを尊敬できねえのは当り前だ。でも、せっかくそんな所にいるんだから、そのチャソスを活用してだな、大いに老人をいびったらいい。けつまずいたふりして、背中なんかに頭突きくれて縁側から落すとか、腹にすえかねる爺いや婆あがあったら、目に見えないように廊下に綱つけておいてひっくり返すとか、夜中に小便に行く時に足がからんでひっくり返ったら急いで行って助け起こすふりして、もう一遍突き倒すとかした。そうすりゃあ、老人ホームの仕事だって満更じゃあないぜ。明日はどいつをやっつけてやろうかと考えたりしてな……。

老人ホームでなくったって、家にいる爺いや婆あで持てあまされてたいのなんて殆どいやしないよ。百のうち九十九の家庭がみんた年寄りは早く死んでくれたらいいと思ってるはずだ。それなのに施設をどうするとか、養老院こしらえるとか、たわけたことをして金を使っているのは、本当の暇つぶしのバカな話だと思ってるんだ。
『最後の極道辻説法』p.29


朝鮮戦争は誰が起こしたのか?
先週の土曜日(1月19日)、東京池袋にある世界戦略情報誌『みち』の編集室で、まほろば会という会合が開催され、『みち』の主幹である藤原源太郎さんの講話を聞きたく参加してきた。また、安西正鷹さんの「お金」や「大麻」の話も聞けるのも有り難い。

さて、当日は10名程度の集いだったが、そのうちの一人から「朝鮮戦争は誰が起こした戦争だったのか」という問いかけがあった。その時、「朝鮮動乱で唯一得をした国がある。何処か? 日本だ」という一つの意見が出た。この意見の意味するところは大きい。

当事の朝鮮半島は南北に分断され、南側は大韓民国の軍隊の他、国連軍(アメリカ・イギリス・フィリピン、オーストラリア、ベルギー、タイ王国,その他)であったのに対して、北側は北朝鮮軍と中国人民義勇軍であり(ソ連は武器支援を行った)、この両サイドで戦火を交えている。こうしてみると、最も得をした国は、朝鮮戦争に参戦はせず、寧ろ朝鮮戦争を経済復興に結びつけた日本だろう(ただし、国連軍の指示により、8,000人以上の規模で特別掃海艇を派遣、死者も出している)。これが意味するところを考えるところから、朝鮮戦争の正体が浮き彫りになってくる…。
『飯能文化』
拙宅に、昭和22年8月1日に創刊されたという『飯能文化』(昭和23年1月1日発行分から『武蔵文化』と改題)の一年分ほどの復刻本がある。数ヶ月前に初めて同書を紐解いたとき、ところどころに紙切れが挟んであるので何かと思ったら、孤月という俳号で投稿した親父の俳句が数句載っていた。昭和23年というから親父が24歳のころであり、まだ小生はこの世に生まれていない。それにしても、思わぬところて亡き親父と“再会”したものだ。

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その親父同様に俳句が好きだった、埼玉の某県立高校で国語の教師をやっていた親父の従兄弟と親父本人が、俳句を巡る見解の相違で桑原武夫と大激論になったことがある。その桑原武夫のいう“第二芸術論”について、今東光も独自の意見を語っているので以下に引用しておこう。


俳句は果して第二芸術か?

俺は、俳句を人生道楽としてやっていきたいと思っている。しかし桑原武夫ごときは、俳句を第二芸術だという。俺は俳句が小説や詩に劣るとは思わない。そこでだ、文学者としての今東光に俳句を論じてもらいたい。(もし俳句を知らなけれぱ返答は無用)
(栃木県宇都宮市 20歳 俳句狂)

生意気なことぬかすな、この馬鹿野郎! 俳句を〝道楽〟にやるとは何事だ! てめえのそういう態度だけでも、もうオレは許せねえ!

俳人は皆、命がけで作っているよ。命がけと言っては語弊があるけど、命がけで俳句の世界に入っていることはたしかだ。ある意味で俳禅一如みたいなもので、俳句の句と禅の妙機と接する所まで奥深く探究して行ってるんでね。それを道楽にやるとか、趣味でやるなんていうようなふざけた奴に答えるのは嫌だよ。

でもオレは、俳句は作らないし、大体散文的な男だから言うけど、日本の文学は外国に比べてスケールが小さい。世界の大文学に比べるとずうっとスケールが小さい。それは何故かというと、俳句十七文字、歌三十一文字の世界に全宇宙をたたき込もうということばかり考えているために、それがある種の制約になって、ああいうスケールの大きな文学は生まれないんだ。オレのように俳句も歌も作らない男でも、俳句の境地、歌の世界というものが、教科書やいろんなもので沁みこんでいる。それで、それが大文学を作らせない非常た障害になっているということがわかるんだ。

フランスにもベルレーヌみたいな短い詩を書いている人もいるが、そういうのは近代にそういう試みがたされているだけで、ミルトンでも、ダンテでも、ゲーテでも、詩でありながら小説であり、大文学になっている。ああいうものは芭蕉でもできなければ本居宣長にもできないし、業平にもできない。それは歌や俳句という一つの制限された世界を錬磨、彫琢、いろいろなことをしているために大文学が生まれないんでね。

そういう点で、オレは日本という国はたいへん島国的であり、小人文化だという風に思う。やっばりこれからの人は、そういう世界でなく、もっと大文学へ遊ぶという風にならなければ、エラいものはできないんじゃないかな。

桑原みたいにフラソス文学をやり、バルザックやモリエールなんかいろんなものを見ていると、俳句はもの足りないだろうね。でもジャンルが違うんだ。ひとつの土俵で相撲をとらすことはできないよ。わかったかい、この生意気野郎! てめえみたいた奴にかかわりあってると胸糞が悪くなるから、もうやめだ。

答えられなかったら返事は要らねえなぞと、張り倒すぞ、この野郎! てめえみたいたヤクザな野郎は殺されねえだけましだと思え。
『最後の極道辻説法』p.130



和尚の言う「土俵が違う」という意見には、諸手を揚げて賛成だ。そのようなニュアンスで小生も最近コメントしてる。
http://toneri2672.blog.fc2.com/blog-entry-11.html#comment4

ただ、皇后陛下の『祈りの御歌』(竹本忠雄著 扶桑社)に目を通した身としては、和尚の言う「俳句十七文字、歌三十一文字の世界に全宇宙をたたき込もうということばかり考えているために、それがある種の制約になって、ああいうスケールの大きな文学は生まれないんだ」というあたり、少々和尚の考え方は底が浅いような気がする。と言うのも、俳句ではないが天皇の御製や皇后の御歌には言霊が籠もっており、ある意味では西洋文学よりもスケールが大きい世界を描いていると言えるからだ。また、御製と御歌には隠されたメッセージが込められていると小生は信じており、そのあたりは別ブログで書いておいたので,関心のある方は一読して戴きたい。
あけぼのすぎ
和尚の肉声
このブログは気ままに書こうと思っているんだけど、ここのところ何か今東光和尚の記事の紹介ばかりになってしもうたなぁ…、まあ、タイトルが和尚の発言である「人生は冥土までの暇潰し」だから、無理もないか…。これからも時折和尚に関する記事を書くこともあると思うけど、どうかお付き合い願いたい。

ところで、和尚はレコードを出している。それもお経のレコードではなく、極道辻説法そのものだ。関心のある人は楽しんで欲しい。



平成の今東光こと、飯山一郎
今東光は大変博識な和尚であると同時に、ユーモアを解する和尚でもあった。そのあたりを如実に示す和尚の記事があるので、本稿の最後に転載しておこう。

さて、現在の世の中に平成版の〝今東光〟はいるんだろうか…、と思っていたら、いたいた、飯山一郎さんがいた。

飯山さんは東アジアの古代史など歴史について造詣が深く、また乳酸菌というユニークなビジネスも展開している。また、何よりもユーモアがあり、堅物の亀さんと違って山師とも付き合えるという、実に懐が深い人だ。そのあたりは論より証拠、以下のページにアクセスしてみるとよい。
http://grnba.com/iiyama/

osho01_.jpg  iiyama16_070929.jpg
左が今東光で、右が飯山一郎。二人とも〝ムスコ〟の話が大の得意だ。


ライシャワー大使と大いに仏典を論ず

オレの所属する天台宗は、伝教大師が始めたものだが、初めて山を開き、最初にとった弟子の中から優秀な若いのを十人選び、天台座主観という哲学的なむずかしい仏教学を勉強させた。それが一人脱落し、二人脱落し、九人脱落し、最後に一人だけ残った。それが後の円仁という人で、慈覚大師といわれた大変な人なんだ。

前の駐日大使のライシャワーは、その慈覚大師の研究で、オックスフォードの博士になった。面白かったのは、オレとライシャワーさんが、どういうわけか一緒に講演しなくちゃならなくなって、新宿で時間合わせて汽車に乗りこみ、数人のお伴と一緒に汽車旅をしたんだ。その時、ライシャワーはオレに紹介されて非常に喜んで、

「一度あなたにお会いしたかった。あなたが天台の大僧正だというんで、大変お話したかった」

と言うんだ。あの人は大使というよりも、もともとプロフェッサーだから、日本語もうまいし、漢文も読むんだ。

「いや、私もお会いしたかった。先生がドクターコースでおやりになったのは天台教学でしたから、私はアメリカにも大変偉い人がいるものだと感心していたんです」

「とんでもございません」

なんて謙遜して、慈覚大師の旅行記がございましたね、とライシャワーが言うんだ。

「ええ、存じております。私も読みました」

というのは、オレは若い頃、心臓弁膜症を患ったことがあるんだよ。いまは手術なんかで治るが、昔は不治の病といわれたくらい始末の悪い病気でね。この病気は刺激が一番いけない。その間中、新聞もラジオもいかんというので、仏書ばかり読んでいた。その中にその本もあったんだ。

「慈覚の入唐、入学の旅行記ですね」

と言ったらびっくりしてね。

「私はずいぶん天台宗の人に会いましたが、いくら聞いても誰も読んでいませんでした」

「あれはシナ人が書いた文章でなく、日本の僧侶が書いた漢文なので読みいいんです。ただそれだけですよ」

「いやいや、あれまで読んでいらっしゃるとは驚いた。大変偉いことです」

それで、こういう所、ああいう所と話をするんで、「ええ、そうです。覚えてます」と返事をした。なにしろ、オレの悪い噂ばかり聞いてるだろう? ケンカするばかりのしょうがない坊主だとばかり思っていたもんだから、ライシャワーはすっかりびっくりしちゃった。

晩飯になって、芸者が来てワーワーやった時、ライシャワーと一等書記官…この人は後に香港の公使かなんかしている人だけど、そのまん中に入ってぽくら話をしていた。そうしたら何かの話からエロがかった話になって、チンポが話題に出た。そこでオレが、

「あそこにいる若い人たちのはいいけど、私のコレは全学連なんですよ」

「ゼンガクレン?」

「そう。親の言うことを聞かないセガレだから」

そうしたら「ワーッ!」とライシャワーさん、腹をかかえて笑いだした。それを一等書記官に通訳しているんだ。そうしたら一等書記官がオレの背中をポンポン叩いて、

「オー、ゼンガクレン! ゼンガクレン」

って笑いころげた。あいつらもユーモアを解するんだよ。でも、いま慈覚大師を論じていたかと思うと、その次にはこんな話だろう。オレはいつでも、このように硬軟両刀巧みに使いわけられるんだぞ。エロ話しかできないと思ったら大間違いだ。でも、その時は大変楽しかったよ。
『最後の極道辻説法』p.219
高松宮様と今東光
昨日書いた記事(榎本武揚)で、『徳川慶喜公伝』について少し触れたが、現在『みち』という情報誌で天童(竺丸)さんが慶喜公を連載中なので、関心のある読者は購読して戴ければ幸いである。

さて、慶喜公と関連して、慶喜公の孫・故高松宮妃喜久子妃殿下の『菊と葵のものがたり』を思い出すが、同書は中央公論社で出版された本で、例の『高松宮日記』(全八巻)も同社から出版されている。

ここで、亀さんの祖母の弟だった熊太郎翁は、川越市笠幡の霞ヶ関カンツリー倶楽部に一時勤務していた時があり、書道の達人であった翁は賞状書きなどをしていたという。その翁の書を見た高松宮宣仁殿下から、翁は直接お褒めの言葉を戴いたことがあるとのことだ。

その高松宮家と今東光は多少の交流があったようで、以下にそのあたりに触れた和尚の記事を転載しておこう。




升田名人も舌をまいた禅僧

今先生、あなたは三島竜沢寺にいた山本玄峰という禅僧を知っているだろうか。彼をどう思うか聞きたいのだ。

というのは、将棋四百年の歴史の中で最強といわれる大天才井田幸三九段が、こういうことをいっていたからだ。

「なかにひとり、衣にクツをはいてヒョロヒョロしよる坊さんがいる。わたしは、妙な恰好の坊さんやなと思うてね。しばらくうしろ姿を見ておると、何か魅きつけられるものがある。この妙な坊さんが、だんだんとぼくには大きくみえてくる。そのうちにだな、この坊さんが動くと、まるで岩が動くようにみえてきだした。わたしゃ、世の中にはえらい人間がおるもんだとびっくりした……」

それが静岡県に住む山本玄峰という人だと教えてもらったが、その人がどういう人なのかは知らないが、とにかくこんな人物に会ったのはこの老師ひとりきりだ、と言っていたからだ。(山形県新庄市 田宮俊一)


親しくおつき合いしたことはないけど、何回かはお目にかかっている。ずいぶんな年でおられましたがね。この方は臨済禅で、道場は非常に厳しくて、勤まらずに逃げ出すのが多かったというくらい辛辣無比なる老師だった。しかし、非常に愛情の深い人で、富士山の下の三島の竜沢寺という寺で教えていられたが、もう亡くなった方でね。

この人のところで修行した人のひとりに、ダダの詩人で高橋新吉という有名な人がいる。これはもう手のつけられない奴でな。ダダで無法でアウトローや。それが年とってから何を感じたのか竜沢寺へ飛び込んで、坊主にはならなかったが居士としてだいぶ玄峰老師にどつかれてね。そこで相当修行してからダダから脱却して、禅宗がかったまともな詩を書き始めたが、やがて気違いになったという噂があるくらい、無茶苦茶な奴だった。それが玄峰老師のおかげで人間らしくなってきたじゃないか。佐藤春夫のところへも出入りして破門くったり、もう無茶苦茶だったんだ。

また晩年まで非常に老師に可愛がられ、老師に教えられ、叱られもしたし褒められもしたし、老師にもまた非常によくしたのが田中清玄なんだ。ああいう人たちに、ひとつのバックボーンを作ったのがこの人でね。大変た人だった。

ある時、ある会議に出て玄峰老師にお目にかかった。そうしたら、もう耳が遠くって何言ってっかわからない。と、「今さん、もう私はダメだよ。耳も聞こえんし、何だか生きてるんだか死んでるんだか……もうダメだよ」って。「だけどお声聞いていると、まだ若い奴など怒鳴られるようなお声してますね」と言ったら、「うん。怒鳴ることは怒鳴る」って。やっばりその時なんか、ギロッとした声を出してね。

その時、ちょうど高松宮妃殿下がおいでになって、それでみんなで式が済んで席を立ったんだ。それで老師が、背が小さくて、もう縮んじゃって、それでこうやってお辞儀したんで、オレもしょうがないから老師と並んでこうやって、それで妃殿下をお通ししようと思った。そうしたら、スースースーッと妃殿下がおいでになったと思ったらスーッと立ちどまって、「老師、どうぞ」と言ったね。老師が遠慮して躊曙していると、「どうぞ老師。どうぞ老師」って。それでオレは老師のけつ突っついたんだ。「お行きたさい、さあー」。そうしたら老師が「さようでございますか。ごめん」と言って行ったね。そこでオレも一緒に行こうと思ったら、妃殿下が「あなたは悪者だから後」って言うんだよ、オレに。旦那様の高松宮様が大津においでになった時、オレがそばに行って「お、これは殿下」と言ってお辞儀したら、「うふん、悪い奴が来たな」と言うくらい、オレはあそこのうちでは悪者になっているんだ。

とにかく、その妃殿下がご会釈するくらいの老僧だったんだ。だからオレはその時に、この老師くらい貫禄が出て、妃殿下が「お先にどうぞ」と言われるくらいまでならんと人間あかんなと思ってつくづく眺めていたがね。そういう人だよ、山本玄峰という方は。
『最後の極道辻説法』p.137

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慶喜公の膝に抱かれる喜久子姫(大正2年2月)

榎本武揚と〝八百長戦争〟
亀さんが榎本武揚に関心を持つようになったのは、昨年の暮れに成甲書房から発行された、『明治維新の極秘計画』の著者・落合莞爾さんに、安部公房の著した『榎本武揚』(中公文庫)を薦められてからだ。落合さんは小生宛ての私信(2012年5月18日)で、以下のように書いている。

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榎本武揚に関しては、安部公房の小説『榎本武揚』が優れている。
榎本と勝がわざと幕府軍を敗けに導いた過程が適示されている。

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ここで注目して戴きたいのは、2行目の「榎本と勝がわざと幕府軍を敗けに導いた過程が適示されている」という行だ。まさかと思い、至急安部公房の『榎本武揚』(中公文庫)を入手した小生は、同書から以下の驚愕の行を見出したのである。

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奥州戦争にはじまり、五稜郭戦争に終わる、この一大叙事詩が、じつは内戦の早期終結を目指した計画的負走であり、世界の歴史にも類を見ない、大胆不敵な……俗な言いまわしを許していただければ、……八百長戦争であったという、この瞠目すべき事実を、錚々たる世の史家諸氏が、なにゆえ指摘し解明しなかったのか、その点すこぶる奇異の念を禁じ得ないのであります。『榎本武揚』p.256
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恐らく、上記の安部公房の記述を初めて目にした読者は大変驚いたことだろう。

世の中では榎本武揚に対する評価は大きく分かれる。しかし、好意的に榎本武揚を評価しているブログでも、榎本武揚と勝海舟が演じた〝八百長戦争〟が何を意味しているのか書いていない。それ以前に、〝八百長戦争〟があったという〝事実〟すら見落としているのだ。例として以下のブログを挙げておこう。
榎本武揚の人物像

上記のブログは札幌市の西野神社に務める職員によるブログのようで、なかなか読み応えがありるブログと言えるだろう。特に、福沢諭吉の『痩我慢の説』を一刀両断にした行は痛快だ。

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福沢諭吉の「痩我慢の説」については、私はあまり評価していません。太平の江戸時代の世に流行った、儒教の影響を強く受けた“武士道”の観点から見ると、二君に仕えた榎本や勝を非難する福沢の主張には確かに一理あります(戦国時代以前は、二君以上に仕える事が不道徳・不忠という価値観はありませんでしたが)。しかし、同時代を生きていながら戦乱の渦中にはいなかった福沢が後になってから何を言っても、所詮は「そんなの後だしジャンケンと同じ」という冷めた印象を受けてしまうからです。
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それだけに、榎本武揚と勝海舟が演じた〝八百長戦争〟という視点が欠けていたのは誠に残念だったが、小生もここ半年で知った事実だけに大きなことは言えないなぁ…。

ともあれ、榎本武揚や勝海舟は何故に〝八百長戦争〟に絡んだのか…、その背後には徳川慶喜、孝明天皇、岩倉具視、久邇宮朝彦親王らが深く関与しているのだが、そのあたりは現在落合さんが誠意筆を進めており、今年の春辺りには新著が成甲書房から新刊本として発行されるものと思う。また、すでに発行された本もあり、それが『明治維新の極秘計画』だ。関心のある読者は一度目を通すことをお勧めしたい。

最後に、別の角度から亀さんが榎本武揚に関心を持つのは、榎本武揚が東京農大を創立した人物であり、かつ植物学の権威だったという点にある。そして、小生は家紋研究の一環として植物学を個人的に学んでおり、その点からも榎本武揚に親しみを感じている。なお、亀さんの道友の中村みつぞうさんが、「みょうがの旅」という興味深い家紋と植物の記事を、『みち』という機関誌に連載しており、ウェブでも記事が公開されているので、関心のある方は是非目を通していただきたい。必ず得るものがあるはずだ。
http://michi01.com/nakamura/myouga_index.html

 政治・経済・文化といった堅苦しい話は、別ブログに書こうと思っていたのだけど、却って面倒なので本ブログで「裏史」を新たに立ち上げ、堅苦しい内容も書いていこうと思う。尤も、亀さんは天の邪鬼なので、大学や高校で教えているような歴史観に立たずに、自由に書かせて戴く。
幸田家の人びと
2003年1月28日にNHKで放映されたという、「幸田家の人びと~江戸・平成 四代の物語~」を観た。明治という時代が生んだ最高の文学者と言えば森鴎外であり、その森鴎外と並ぶ人物と言えば、文学というジャンルとは少し外れるが幸田露伴だろう。露伴と言えば、岩波書店で全44冊の『露伴全集』が出ており、前々から欲しいと思っている全集だ。あと数年で子供たちが巣立つので、その頃に入手して『露伴全集』を心ゆくまで紐解きたいと思っており、今から楽しみだ。

ここで、今東光の〝文学論〟があるので以下に転載しておこう。


鵬外と漱石について

和尚は鴎外と漱石についてどう思うか? 和尚はその二人に会ったことがあるか? また日本の文学史上で最も尊敬しているのは誰か? (大阪市西区南堀江 匿名希望)

一番尊敬しているのはやっばり鴎外だね。それから泉鏡花、永井荷風という流れがオレは好きだ。

やっばり偉大だと思うよ。でも、いま鴎外を本当に読める人っていないんじゃないか。鴎外と並ぶといったら、ちょっと文学者としての概念から外れるけど幸田露伴だろうな。この人は学者としても偉いからね。それくらい中国の本を読んでいる人は少ないから。偉いもんだよ。

鵬外に比べると漱石はちょっと落ちる。鴎外の方が次元がぐっと高い。二人並べたら何といっても鴎外だ。漱石は女子供も読めて通俗的だけど、鴎外は苦しんで読むんだ。「渋江抽斎」は津軽だから、ああいうのを書く時、鴎外はちゃんとオレの伯父と文通して資料を集めてたよ。

この伯父というのが、例の津軽で医者をやっていた伯父でね。その息子がケン力がべら棒に強い、ヤクザの指をへし折った例の従兄だ。その伯父と、鴎外、後藤新平、北里柴三郎なんていう連中はみんた大学予備門で一緒だったんだよ、いまの東大だな。オレが中学を放校されて東京に出てきたばかりの頃、その伯父の使いで鴎外の家へ行ったことがあるんだ。

千駄木の〝観潮楼〟と称している家で、二階から昔は品川の海が見えたんだ。そのころとしてはいい家でね。当時、作家で自分の家を持っているなんていうのはいねえんだよ。五指を屈するぐらいだろうな。玄関で家の人に伯父の手紙を渡したら、ひげを生やした先生が出てらしてね。

「君はどういう……」と言うから、「私は伊東重の妹の伜でございます。あれは伯父に当ります」と言ったら、「おう、そうか。何て言うんだ?」と言うので、「今東光と言うんです」。覚えてやしないけどね。「確かに受け取った。返事はいますぐ書かなくていいんだろう?」「とにかく、お手渡しするようにとのことでございましたから」「ああ、そう」

オレが絵を描きに谷中の画塾へ行くのに、絵の道具を担いで歩いていくと、先生がね、団子坂の上から肴町ぐらいまでをお歩きになるんだ。その先にお迎えが来てるんだ、なにしろ軍医総監だから。そこまで先生は軍帽をかぶって軍服を着て、ズラーッと長いマントを着て、勲一等の勲章をつけてね。とてもカッコがよかった。それでオレと会うと、オレがお辞儀するんだ。すると、「こいつ、何処かで見たな」というような顔をなさってね。そしてちゃんと敬礼をしてくれるんだよ。それが、カッコよくてね。みんたが見ている中で、サッとこうやるんだ。

漱石には一度、武者小路に紹介されたな。いまの帝国ホテルの隣に華族会館というのがあってね。そこで小さな音楽会があった時、武者小路に連れていかれたんだが、そうしたら廊下で武者小路が「ハーッ」とお辞儀してしばらく話している。「アッ、夏目さんだな」と思ってオレは見てたんだよ。

武者小路は何もオレを紹介してくれなくてもいいのに、やはり、華族の杜交性なんだろうな、そこにオレがヒョッと立ってたら、「これ、今東光君」と言って紹介してくれたんだ。そうしたら夏目さん、「ああ」と。なに、こっちはまだガキだし、東京に出てきたばかりの18の年だから。「ああ」と言ったきり眼中歯牙にもかけず、なんだろうというようた顔をしていた。

そこで黙ってりゃあよかったのに、オレがよけいなこと、言っちゃった。「胃はこの頃いかがですか?」って。お世辞のつもりで。そうしたら、ニヤッと笑って、「相変らずだ」と言ったんだ。やっはりよくなかったんだろうな。ま、それだけの話でね。それっきり会ったことはない。

鴎外の作品と比べれば、漱石の小説は、まあ、落語みたいたものだよ。だから大衆性があって、いまでも読まれているんだ。

『最後の極道辻説法』p.123
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幸田露伴と娘の文(あや)

翻訳という仕事の10年後…
今月の9日(水)、少人数の翻訳者仲間が都内に集い、新年の交流会を持った。小生も参加する予定でいたが、直前に風邪を引いてしまったため已むを得ず欠席したが、なかなか有意義な会合だったらしい。次回は桜の咲く頃にやろうよという話も持ち上がっているとのことで、今から楽しみである。小生と同じく今年還暦を迎えるYさんが、今後も中心となって集いの幹事役をやっていただけるようで、翻訳者の集いの名ばかりのリーダー(村長)であり、翻訳以外の交流会に首を突っ込んでいる身として、Yさんの存在は有り難い。

ご参考までに、もし小生が9日に参加していたとすれば、以下のような翻訳の未来について、他の翻訳者の皆さんがどう思っているのか、意見を引き出したいと思っていた。

■翻訳環境の変遷

(1)翻訳の世界に入った2000年当時は、マイクロソフトのWord・Excel・PowerPointのみを使った翻訳が,仕事の100%近くを占めていた。その後、2006年にTradosを導入、現在では仕事の90%以上がTradosをはじめとする、CAT(コンピュータを利用した翻訳ツール)を駆使した翻訳の仕事が中心となっている。そのCATツールも、徐々にクラウドコンピューティングを意識したツールに代わられつつあるようだ。筆者も昨年はMemSourceというCATで昨年仕事をしたことがある。また、昨年の暮れに短期間だったが外資系IT企業に〝就職〟した祭、あのTradosの「SDL TMS」というクラウドコンピューティング機能を駆使した、オンライン翻訳も体験している。

(2)もう一つ、昨今の仕事内容に見逃せない変化がある。それは、「校正」の仕事が増えたことだ。なかには、明らかに機械翻訳した成果物の校正の仕事もあった。そして、機械翻訳の成果物校正を依頼してきたのは同じ翻訳会社であり、一年の間隔を置いて機械翻訳の〝翻訳力〟が、かなりのレベルまで向上していたのには目を見張った。これは、Googleの翻訳についても言えることであり、思えば最近のGoogleの翻訳力の向上ぶりは素晴らしいものがある…。そして思わず脳裏に浮かんだのが、最近はプロの棋士もタジタジの将棋ソフトの実現である。今や、相当の一流のプロでないとソフトに勝てなくなったという話を耳にするにつれ、これは翻訳の世界でも起こり得る近未来であることは、ほぼ間違いないと直感的に思った。

■翻訳者の未来

では、近未来(~2020)飯を食っていける翻訳者像とは何だろうか…。

(1)個人として高度な日本語力が要求される文学作品等を手がける翻訳者(数ヶ月前に英国の某出版社から、小泉八雲の『雪おんな』翻訳の打診があった)
(2)会社員として大企業のローカライゼーション部門に属する翻訳者
(3)小人数で竹のようにしなやかなチームを形成し、中小企業といった隙間市場を手がける翻訳者またはグループ

筆者の場合、文学作品として鑑賞に堪えられるだけの日本語能力があるとは到底思えないし(上記の『雪おんな』は知人の文学者に回した)、かと言ってローカライゼーションの体験もない。必然的に今までの翻訳や校正の他、小人数の精鋭をそろえたチームを構成してやっていくのが、生き延びていく道になると思う。

しかし、あと10年ほどで消えていく我々のような老兵はともかく、未だ30代40代の翻訳者は先行きに不安を覚えていることだろう。また、彼らよりもさらに若い10代や20代の翻訳者を目指す人たちに対しては、翻訳者を目指すことに敢えて反対はしないが、クラウドコンピューティングと新形態のCATを使いこなせるかどうかが、翻訳者として生き残れるか否かの分かれ道になるのかもしれない。

フーテンの亀さん
子育ての究極の目標は、手前で生活の糧を稼げるようにしてやることだ。手前で生活の糧を稼ぐとはどういうことなのか、これから社会に巣立とうとする若者に少しでもお役に立てばと思い、本カテゴリ「仕事の話」を立ち上げた。

また、筆者の稼業は翻訳だが、この翻訳という職人世界についても、思いつくまま語っておきたい。要は、職業全般に関するカテゴリが「仕事の話」というわけだ。

なお、会員数数千人を誇る東京海外旅行研究会の会報誌に、同じく「フーテンの亀さん」と題した記事が掲載されたので、一部を割愛した上で以下に転載する。

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フーテンの亀さん

 日本を1972年3月23日に出国、3年間近く世界放浪の旅を体験した私が、旅発つ前に最も参考にした旅行ガイドブックが、『ヨーロッパ ユース・ホステルの旅』(辻井重著 実業之日本社)であった。当時、同書の筆者である辻井重さんは大阪の海外旅行研究会の代表をされていた方で、それが縁で辻井さんの下にいた杉本健司さんに数多くのアドバイスを受けたのだが、海外旅行の生の情報が少なかった当時としては大変貴重な情報だったと今でも思う。

ヨーロッパ、中南米、北米を放浪、ロンドン、ニューヨーク、サンフランシスコでアルバイト、サンフランシスコ大学で遊学といった体験をして、1974年の暮れに帰国、普通のサラリーマンに戻ったが、その後もサイパン、韓国、台湾、インドネシア、フィリピン、シンガポールなど、近場を会社の連休や有給休暇を利用して旅を続けていた。あれは確か、1978年暮れに友人とサイパンに行った時だったと記憶している。帰りの飛行機で中野博文さんと知り合いになったのだ。帰国後も中野さんとの交流が続き、そのうちに中野さんから「東京海外旅行研究会というのがあるんだけど、来てみない?」と誘われたのである。

 初めて同会に顔を出し、石田淳さんや杉本さんと話をしていくうちに、お二人とも辻井重さんの愛弟子であることを知り、大変驚いたことを今でも覚えている。爾来、例会は無論のこと、中野さんが主催する山梨勝沼のメルシャンワインでのワイン飲み放題バーベキュー、山中湖畔でのテニス合宿、その他様々な特別例会に積極的に参加していた一時期があったが、思えばあれが私の青春だった。本も同会では数冊出版しており、小生も編集協力した本に、新声社で出した『徹底的に安く行く海外旅行の本』、『アクション英会話』、『アクション20カ国語』、ダイヤモンド社で出した『海外個人旅行術』などがある。

その後は結婚し、海外旅行も遠のき、東京海外旅行研究会にも顔を出さなくなっていった。私は(遊びまくっていたので)結婚したのが三十代後半と遅かったので、上の息子が漸く今春京都の大学に進学である。下の息子にいたっては未だ高二だ。そんな二人はともに旅が好きで、上の息子は高二の時に独りで京都・和歌山を一週間ほど一人旅しており、大学在学中はエジプトや沖縄を旅してみたいという。下の息子も高一の時に独りで四国へ行き、最初の日は宿泊先が見つからず、駅のトイレで蚊に刺されながら一晩明かしたとのことらしい。その下の息子も世界各地を旅してみたいようだ。やはり、蛙の子は蛙だな…。いずれ東京海外旅行研究会にもお世話になるかも…。

私は翻訳を生業としているので、ノートパソコン一台があれば、世界のどこに居ても構わない身である。だから、子どもたちが大学を卒業し手が掛からなくなったら、フーテンの寅さんよろしく、ノートパソコンを片手に世界各地を再び放浪したいと思っている。時には一箇所に滞在して仕事(翻訳)をやり、時には世界各地に点在する旧友と語り明かす人生を送ることができたらと、夢想している今日この頃だ。



修身と辻説法
三が日、久しぶりに市内の書店に寄ってみたところ、風邪を引いてしまい数日寝込んでいた。まだ身体が怠いのだが、今夕あたり海外の翻訳会社から、今年の初仕事がメールで入ってくる予定なので、そういつまでも横になっているわけにはいかない。それにしても、とんだ寝正月になってしまった。

書店で渡部昇一の『国民の修身』(産経新聞出版)を手に取ってみた。修身についての渡部氏の解説も素晴らしかったが、巻末に「教育勅語」を載せた同氏の決断も高く評価したい。帰宅して修身に関する本が他にも無いかと、ネットで調べたところ沢山出てきたので、これはと思う一冊を注文し、到着後に下の息子(高二)に「関心があれば読んでごらん」と手渡してみた。すると、彼は直ぐに目を通したようで、「素晴らしい本だね、お父さん」と読後感を述べてくれた。

ところで、〝昭和版・修身書〟と筆者が密かに思っている本がある。今東光和尚が十代二十代の若者を対象に、彼らの悩みや相談事に答える形をとっている、『極道辻説法』という三部作のことである。二人の息子が未だ中学生の頃から読ませてきたが、一応は良い方向に作用したようだ。

たとえば、喧嘩の仕方だが、和尚は以下のように語っている。

〈和尚前白〉ケンカの必勝法はただ一つ。必ず勝つと思ったケンカ以外は絶対にやるな、だ。オレが和泉のボロ寺を預ってた時、村中の野郎どもが寺の所有権は村にあるということで裁判沙汰になったことがある。村じゃ弁護士を二人立てた。一人は杜会党で大阪府知事選挙にも出たことのある有名た弁護士でね、今まで一度も裁判では負けたことたい男なんだ。

 そいつが一審で却下されてた。オレが言ってやったんだ。

「菅原クン、あなたは何十年も弁護士やっていながら、却下されるようた恥ずかしい訴訟をするな!生涯の毅遵だぞ。裁判は相手を見てやれよ。どうだ!? オレを相手にするなら、弁護士を五十人くらい集めて知恵を絞ってかかってもまだ追っつかねえぞ!」

 そうしたら村の連中が控訴するなんて言いだしやがった。そこでオレがラジオカーに乗ってな。

 「おめえらやりたいなら孫子の代までやれ!訴訟の金が無くなったら畑売れ。畑なくなったら娘をパン助に売れ。そしたらオレがいの一番に買ってやらア。でも、おめえらは絶対勝てっこねえんだ。弁護士の食い物にされるのが気の毒で言ってやるんだ。ここいらでやめたらどうだい?」

 これで奴等も降参よ。ケソカっていうのはこうやらなけりゃあいけねえ。
『極道辻説法』p.104


今後、息子たちの長い人生で、色々と喧嘩に遭遇することもあるだろう。そういう時に喧嘩の必勝法を知っていると知らないとでは雲泥の差がある。だから、彼らが実際に喧嘩するようなことになった場合、非常に役に立つ和尚の実践的アドバイスだ。昭和版・修身書と呼ぶには、喧嘩はあまり相応しくないテーマだったかな(笑)?


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日本家紋研究会会長の高澤等さん
灯台下暗しではないが、地元に日本家紋研究会会長を務める、高澤等さんという方が居られることを最近になって知った。そこで、同氏のブログに以下のような挨拶文を書いたが、今後どのような交流に発展するか楽しみである。
http://blog.livedoor.jp/kiseki612-hanno/archives/21112353.html#comments

2012年12月15日 11:40
初めまして、来年の2月に還暦を迎えるサムライと申します。

小学校二年生まで、八幡神社の直ぐ隣に住んでいました(徒歩30秒)。その後、川寺(神明神社近く)に引っ越しましたが、今でも八幡様の境内で遊んだ子どもの頃を懐かしく思い出します。それだけに、貴石様の八幡神社の写真、非常に懐かしく拝見しました。

私は自営業ですが、本業の傍らに己れのルーツを調べており、昨日も子ども図書館の近くに在る、秋葉神社辺りに住む叔母(83歳)に色々と昔の飯能について尋ねてきました。その折、昭和28年5月21日、観音寺の開園時にご訪問された高松宮殿下が話題に出ました。以下は観音寺の幼稚園の開園式にご臨席を賜った、高松宮殿下の記事を載せたPDFファイルで、私が作成したものです(ほんどが『飯能の明治百年』からの引用ですが…)。
http://furukotobumi.web.fc2.com/toneri/doc/sumerogi/Hanno_meiji.pdf

貴石様は家紋を研究しておられるとか、ルーツを調べていると家紋の問題は避けては通れないことを、日を追う毎に痛切に感じている今日この頃です。いつの日か、貴石様の講演会で家紋に関する御高説を拝聴出来れば幸いです。今後とも宜しくお願い申し上げます。

サムライ拝

ご先祖様を求めて
ここ2~3年、ルーツ探しをしている。昨夏は京都で先祖様縁の地を調査したり、先月は近くの本家を久しぶりに訪問し、本家について色々と教えていただいたりした。また、家紋について追究していくことにより、ルーツ探しに威力を発揮することにも気づいた。本カテゴリでは、そうしたルーツにまつわる話を書き連ねていこうと思う。

以下は、『いま、「修身」を読む』(向谷匡史著)にあった、ご先祖様に関する記述である(p.43)。


祖先について、子供たちに正しく教え、尊ぶ心を養うことは大事だ。祖先がいるから、自分がいまこうして生きており、自分という存在があって初めて子孫が続く………。

生命のこの連環に思いを馳せることができれば、あたら人生を無為に過ごすことはなくなるだろう。

言うまでもなく私たちは、両親がいるからこの世に生を授かった。さらに両親には、それぞれ両親(双方二人で計四人)がいる。そして、さらに両親の両親の両親は……と、さかのぼっていくと、驚くなかれ、わずか十代前で、合計2046人もの〝親〟が存在するのである。

これらすべてが「祖先」であり、この祖先の組み合わせがほんの少しでも違っていれば、私たちはこの世には存在しない。

まさに気が遠くなるような確率で生まれたのである。

祖先(先祖)を尊ぶというのは、「生かされて、生きる」………すなわち、人生を粗末にするな、他人に迷惑をかけるな、という人間があるべき姿を子供たちに教えることなのである。

公望さんの新年
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公望さん(大勢の人たちが、稲村さんではな公望さんと親しみを込めて呼んでいる)とは幾度かお会いしているが、会う度に思い出す諺が「実るほど頭を垂れる稲穂かな」だ。現在は日本郵便副会長という重職にありながら、偉ぶるような素振りは一切見せず、常に周囲に気を配るという素晴らしい人生の先輩である。

執筆活動も精力的で、『月刊日本』一月号では「安倍新政権は新自由主義と決別せよ」という具合に、優れた記事をいつも書いておられる他、『みち』という機関誌にも黒潮文明という、壮大なテーマの記事を連載中だ。また、以下のように公望さんを取り上げた記事も多い。
「思い込めた年賀状、1通でも多く元旦に」 稲村副会長が郡山で

カテゴリ「十人十色」では、さまざまな個人について書き連ねていきます。

新年一般参賀
現在、京都の大学で学ぶ息子が帰省(埼玉県)しているが、息子と同じ大学で専攻も同じという友人一と緒に、本日の新年一般参賀に行くとのこと。息子は高一の頃から、『月刊日本』の関係者が主催する様々な催し物に顔を出しており、そうした人生の先輩との交流を通じて、皇室を敬う心が自然と身についたようだ。一緒に行くという友人は慶応大学に合格しながら、京都で学生生活を送りたいという一心から、息子と同じ京都の大学を選んだとのことであり、息子からその友人の話を聞くに及び、己れを生み育んでくれた日本に対する熱い思いが伝わってきた。

今回の帰省バスの中で、息子が読む『月刊日本』に強い関心を抱き、早速購読を申し込んだという。こうした若者の存在を知り、日本も未だ捨てたものではないと、つくづく思った。

13010201
年賀状に見る人間模様
今年の年賀状で一番人間味に溢れていたのは、人生の大先輩とも云うべき72歳の人からの賀状だ。

謹賀新年
外国の旅していた頃の青年の男の姿は今は無し、今は72才の老人だよ。毎日筋トレとランニングやって医者から注意すべき点なしとゆわれている。丈夫でなければ毎日走れない。本人が老人の実感が無い。今はそうゆう時代なんだ。裸で女子高生の前に立っても、引けを取らない。若い頃より丈夫だよ。……以下略
(というよりは、手書きのため判読不能)


その他にも、今年の年賀状を手にとって、幾つか気づいたことがあった。

来月の2月に母は86歳の誕生日を迎えるが、母宛の年賀状は2通のみ。それも1通は母の息子(小生の弟)からで、それ以外は父の国鉄時代の同僚であるMさんだけとなった。父や母の友人知人の訃報に、ここ数年幾度か接していたが、それがいつの間にか2通だけの賀状になってしまったようだ。

二十代の頃に営業の仕事をしていたが、その当時の営業仲間からも賀状をもらった。そのうちの2名の先輩が、今年は会おうという旨の賀状を書いてきた。小生が幹事になって、久しぶりの集いを開けということなのだろう。ヨシャァ~、1月は新年会などで忙しいので、2月頃に皆さんに声をかけてみよう。楽しみだ…。

ブログ開設のご挨拶
新年明けましておめでとうございます。

今年(平成25年)は、伊勢神宮で行われる20年に一度の式年遷宮と、出雲大社の大凡60年に一度の大遷宮が奇しくも重なる年です(ちなみに、私の生まれた昭和28年も重なりました)。そこで、自宅の神棚の小社を昨年末の大安の日に、産土神社の宮司にお清めをして戴き、新しい小社に取り替えて新年を迎えました。

これを機に新たに本ブログを開設、気が向いた時に、思いつくまま書き連ねていくことにしました。よろしくお願いいたします。

ブログのタイトル「人生は冥土までの暇潰し」は、「絶望するなかれ」同様、尊敬する今東光和尚の言葉です。

カテゴリ「日日是好日」では、日々の雑感を書き連ねていきます。相田みつおの「日日是好日」がヒントになりました。



日日是好日

ふっても てっても

泣いてもわらっても

きょうが一番いい日

私の一生の中の

大事な一日だから