FC2ブログ
プロフィール

亀さん

Author:亀さん
FC2ブログへようこそ!

最新記事

最新コメント

最新トラックバック

月別アーカイブ

カテゴリ

kamesan

人生は冥土までの暇潰し

検索フォーム

RSSリンクの表示

リンク

このブログをリンクに追加する

ブロとも申請フォーム

この人とブロともになる

QRコード

QR

人生は冥土までの暇潰し
亀さんは政治や歴史を主テーマにしたブログを開設しているんだけど、面白くないのか読んでくれる地元の親戚や知人はゼロ。そこで、身近な話題を主テーマに、熊さん八っつぁん的なブログを開設してみた…。
応神天皇の秘密(4)

倭は日本列島にあった国ではなく、元来から朝鮮半島に在ったのだし(下図)、決して日本(日本人)のことではなかった!
応神天皇の秘密(3)

18042201.jpg
『卑弥呼の正体』p.187


今回の堺市で飯山一郎さんとお会いしたのは四回目(東京→青州→大阪→堺)となったわけだが、歴史が話の中心となったのは二回ある。初回は一昨年秋の青州、そして今回の堺だ。青州には四日間滞在し、歴史の深奥について多くを聞いた。そのあたりの報告は、「青州で思ふ」と題したシリーズで計9本の記事を書いているが、中でも歴史を中心に書いた記事は以下の4本である。

青州で思ふ(3)…古代中国
青州で思ふ(4)…古代朝鮮
青州で思ふ(5)…古代日本
青州で思ふ(6)…総括(殷→箕子朝鮮→北魏→北燕→邪馬台国→馬韓→扶余→百済→日本)


青州では「青州で思ふ(3)」にある古代中国の話を中心に、飯山一郎さんの話を四日間かけて聞いたわけだが、今回の堺市では二日間かけて「青州で思ふ(4)」の古代朝鮮について聞いたことになる。殊に、話の中心は朝鮮半島の三国時代(紀元前1世紀~7世紀)で、そのあたりを中心に幾本かの記事を書くつもりでいた。

18042302.jpg
朝鮮史

ところが先週金曜日の夜、長年の付き合いのあるドイツの翻訳会社からメールが届き、昨年の晩秋あたりから予告のあった大量の仕事(翻訳)が、今週からスタートすることが本決まりとなったと書いてあった。だから、慌てて「応神天皇の秘密(3)」を一昨日アップしたのだが、どう考えてみても、予定していた残り数本の記事を書き終えるのは無理…。

そして今朝、件の翻訳会社から大量の翻訳ファイルが届いたという次第だ。当初は20万語ていどと言われていたのだが、いざフタを開けてみたところ、ナント倍近くの36万ワード…。今までの体験から、36万ワードを翻訳し終えるのに数ヶ月かかるはずで、7月下旬にアルゼンチンへ発つまでに終わるかかどうか心許ない。もしかしたら、アルゼンチンに行っても仕事を続けざるを得ないかもしれないのだ。よって、次の「応神天皇の秘密」シリーズを書くにしても、アルゼンチンから帰国して以降のことになりそうだ。

むろん、途中で時間が取れたら「応神天皇の秘密」シリーズを書くかもしれないが、そのあたりは皆目わからないというのがホントウのところだ。そこで、本稿では堺市で耳にした飯山史観のあらましを、箇条書き(順不同)の形で示しておくことにしたい。

■応神天皇の出自は熊襲
堺で飯山さんの話を伺って、話の骨格が【連載:ホンダワケ】シリーズに示されていると改めて思ったので、以下にリンクを張っておこう。


応神天皇は仲哀天皇の子?
巨大な前方後円墳の原型は?
やはり応神天皇は…


ここで、応神天皇の御代以降、熊襲は隼人と称されるようになったという点に注目の上、その背景を上の記事で確認していただきたい。

また、皇統という観点から見た、応神天皇についての以下の記事も重要である。

応神天皇(ホンダワケ)が祟る時代が来る…鴨


■蒲生君平の著した『山陵志』
「初めて古墳を天皇陵(山陵)として比定したのが、江戸時代の蒲生君平である」と飯山さんは語っていたが、それと関連して、山形明郷先生の以下の言葉を併せて紹介しておく。

ところで、ここに一つ不審に思われることがあるので、概略を述べておきたい。

わが国の史学者は、どういうわけか他国の歴史に関するものであるとわざわざ出向していき、めったやたら陵墓を掘り返し、何が出土したの発見されたのなどと、他国の歴史的存在や文化程度の一端が解明されたと発表しているが、こと自分たち日本列島の具体的な歴史解明については、一向になされず放置したままで平然としている。

このことは、学者のみならず、一般の研究家と称される人たちもまったく同じ姿勢なのである。これはいったい、なぜなのであろうか。

日本の古代史を語る上で、つねに持ち出されるのが、その信愚性がまったく定かではない「魏志」を始めとする「倭人伝」一辺倒の解釈である。

「倭人伝」を引っぱり出して云々することは各人の自由であるが、それならば「邪馬台」やその国の女王であったという「卑弥呼」の墓と推定されている「箸墓古墳」を始め、幾多の陵墓が現存しているのであるから、なぜそれらの墓を調査しないのであろうか?

それは、現在の皇室に関わる存在であるから、という懸念からだとするならば、そのような考え方は一掃されるべきである。

今日現在、天皇の陵墓としてみなされている存在は、百パーセントの確率で考古学上の物証は皆無である。江戸の寛永年中、蒲生君平によって編纂された『山陵志』が語っているに過ぎないからである。

『古代史犯罪』p.79~80


また、以下は飯山さんが蒲生君平について言及した投稿…。

天武以前の日本は古墳時代で、豪族たちが合従連衡していました。

その豪族たちの中で最大の勢力を誇っていた首長の墓が仁徳天皇陵とした
のは、伊勢松阪の本居宣長の指導で蒲生君平が書いた『山陵志』が最初。
これを後代の学者がほとんど検証しないまま、現在に至っている…。

ズバリ言えば、仁徳天皇は架空の存在です。実在した証拠はありません。

http://grnba.bbs.fc2.com/reply/14186314/917/


豪族に関して、同じく飯山さんの以下の投稿にも注目されたい。
http://grnba.bbs.fc2.com/reply/15523279/932/

■唐仁大塚古墳
【参照】飯山HP

昨日は朝から夜まで隣町で歴史の勉強!
断定:「日本国」は大隅半島で建国された!
日本建国の秘密は大隅半島にある!


堺市で、堺のおっさんと亀さんのみに配布してくれた史料、以下に公表する。

18042303.jpg18042304.jpg

18042309.jpg18042308.jpg

■原田古墳
参考【飯山HP】
あらびき茶の産地は 日本古代史の舞台

■日本書紀
日本書紀は幾つかの改訂版があり、版を重ねる毎に六代の天皇について、良い書き方をしなくなっていくのがわかる。

応神天皇 陵の記載なし
允恭天皇 皇居地の記載なし
雄略天皇 兄弟殺害等の暴虐
清寧天皇 皇后の記載なし 皇子なし
顕宗天皇 兄の仁賢天皇より先に即位
 皇統は兄の仁賢天皇にまわる
武烈天皇 暴虐、皇子の記載なし


藤原不比等は日本書紀に登場する、応神天皇から武烈天皇までを悪ざまに改訂しているわけだが、古事記同様、日本書紀初版には、上記の天皇について悪く書いてはいなかったのだ。

■開化天皇
欠史八代の最後の天皇である開化天皇から初めて枝分かれし、そこから安倍晋三の遠祖が出た。従って、現皇室(田布施)よりも前に分家していることから、安倍家の方が格上と安倍総理は認識している。

なを、流れとしては葛城王朝(欠史八代王朝)→イリ王朝(崇神王朝または三輪王朝)→ワケ王朝(応神王朝または河内王朝)と王朝の交替があった(継体天皇以降の王朝は略)。

■東アジアの二大源流(殷とツングース)
・殷のシャーマニズムを引き継いでいるのが日本の今上天皇。
・ツングースのツンとは豚の意。

殷のシャーマニズムについては、拙稿「天頂に生きる」に書いた。ツング=豚については、飯山さんが幾本か記事にしている。たとえば、「われわれの先祖は豚を飼う民族だった」を参照のこと。

上記以外に、誉田八幡宮の宝物館に入館させていただいて観賞した金銅透彫鞍金具、部落の起源、鯨解体族、その他という具合に書きたいテーマも多いのだが、ネットという公の場では発表できない秘話も多々あるので割愛させていただく。

18042301.jpg
宝物館の前庭に咲く紅白梅

ここで一言。

亀さんが堺市に赴いて飯山さんの話を聞きに行ったのは、知的好奇心から飯山史観に関心があるというだけではない。新しい御代を迎える来年5月以降、どのように生きていくべきか、自分なりの羅針盤を作成したいと思ったからだ。そのあたりは、今年の忘年会の勉強会において発表できればと思う。

なを、アルゼンチンでの体験もブログ記事にする予定だが、これは「応神天皇の秘密」シリーズが終わってからにしたい。

最後に、堺市で別れる際に飯山さんが次のように言ってくれた。

今度は、古代日本について語りたいことがある。場所は志布志!


いよいよ大詰めとなる飯山史観についての最終話、志布志市で古代日本の秘密に迫る話を聞くことになるわけで、今から楽しみだ。しかし、その前に、「応神天皇の秘密」シリーズを完結せねばならぬ…。

スポンサーサイト
応神天皇の秘密(3)

倭が日本列島にあったと頭から信じ切っている。
応神天皇の秘密(2)


前稿で取り上げた歴史雑学探究倶楽部編『天皇家の謎』の場合、倭が日本列島にあったと頭から信じ切っていたし、安本美典氏の場合も、倭は日本のことだと思い込んでいるのが一目瞭然であった。以下、安本氏の『応神天皇の秘密』からの引用である。

すべて(※)「海」を渡ったと記している。

これらは、日本列島にいた「倭」が、海をわたって朝鮮半島におもむいたことを記している。「倭」が日本列島の勢力であることを示している。そして、日本がわの文献『古事記』『日本書紀』を読めば、渡っていった主体は、神功皇后に率いられた軍隊であると記されている。

以上で用いた諸史料のうち、「広開土王碑の碑文」の年代などは、同時代史料なので、ほぼ確実である。

『応神天皇の秘密』p.90

(※)広開土王碑、古事記、日本書紀を指している。


「倭が日本列島にあったと頭から信じ切っている」のは、なにも歴史雑学探究倶楽部や安本氏だけではない。実は、どの辞書や百科事典も押し並べて、倭は日本のことだと解説しているのだ。たとえばデジタル大辞泉の場合、「」について以下のように定義している。

日本人の住む国。古代、中国から日本を呼んだ名。


事実は、倭は日本列島にあった国ではなく、元来から朝鮮半島に在ったのだし(下図)、決して日本(日本人)のことではなかった! その倭について、山形明郷先生は以下のように書いている。

倭人は現韓半島の南部、すなわち慶尚南道の海岸地帯から、全羅南北道の広汎な地域にわたって住んでいた『在地原住民』なのである。その居住区域は、極めて広く、また、その数は厖大なものであったと思われるのである。
『卑弥呼の正体』p.210


18042201.jpg
『卑弥呼の正体』p.187

18041706.jpg
3月3日、深夜の堺市にて。手前の本は山形明郷先生の『古代史犯罪』

さて、前稿で「■応神天皇の生きた時代」について書くと約束していたが、その前に古墳時代から飛鳥時代(592年~710年)にかけて、つまり、国のかたちが一応成立した(中央集権国家成立)頃までを簡単に取り上げておこう。

■応神天皇の生きた時代
先月、紀伊田辺と大阪の堺を旅していた車中、『応神天皇の秘密』をパラパラと捲ってみたが、出鱈目だらけというのが率直な読後感だった。ただ、飯山一郎さんも指摘しておられるように、「応神天皇=ホンダワケが,武内の宿彌と神功皇后とのあいだの子である」、という考察は評価に値すると思うし、それだけでも安本氏の『応神天皇の秘密』を入手しただけの価値はあった。

ここで、大和政権をキーワードに、各々の辞書や百科事典が大和政権について、どのような解説を行っているのか確認しておこう。以下はデジタル大辞泉の「大和政権」の定義である。

大和および河内(かわち)を中心とする諸豪族の連合政権。大王(おおきみ)とよばれる首長を盟主に、畿内地方から4世紀中ごろには西日本を統一し、4世紀末には朝鮮に進出。種々の技術を持つ渡来人を登用し、5世紀末から6世紀ごろには部民制・氏姓制度による支配機構が成立し、国・県(あがた)による地方統治組織が整えられ、大化の改新を経て律令国家へとつながっていった。


上記の「大和政権」について解説したページではデジタル大辞泉以外に、マイペディアといった百科事典の詳しい解説も併記されているので参照していただきたい。では、デジタル大辞泉などの解説を叩き台に、次稿では飯山史観と対比させる形で、具体的に「■応神天皇の生きた時代」について筆を進めることにしよう。

応神天皇の秘密(2)

実に衝撃的な内容であった。
応神天皇の秘密(1)


今回より「応神天皇の秘密」に筆を進めていくことになるが、その前準備として二本の小節を書いておきたい。一本は、我々が学校の教科書で習ってきた日本史。これを、一度突き放す形で見直して欲しいと思い、本稿「■日本史の〝常識〟を乗り越える」を書いた。そして、もう一本は次稿で取り上げる予定の「■応神天皇の生きた時代」で、応神天皇の御代とは、どのような時代だったのかについて振り返ってみたいと思う。何故なら、そうしないことには、何故に飯山史観が〝衝撃的〟なのか、てんで分からなくなるからである。

■日本史の〝常識〟を乗り越える
18041701.jpg

初代の神武天皇から綿々と続いてきた皇統、現在の今上陛下は初代神武天皇から数えて第125代目の天皇であられる。神武天皇以降、2678年もの時間が経過、読者の頭の中では、天皇家について分からないことが幾つもあるのではないだろうか。たとえば、手許にある『天皇家の謎』の目次に目を通すに、以下のようなことが天皇家にまつわる謎とされているようだ。

18041702.jpg

18041703.jpg

18041704.jpg

念のため、久しぶりに同書をサーッと斜め読みしてみたが、無知蒙昧という他はない。たとえば「謎の四世紀をめぐって」(p.52)という小節だが、五世紀前半の応神天皇とも関連してくることもあり、少々長くなるものの、以下に同小節の全文を引用しておこう。

謎の四世紀をめぐって
抜け落ちた大和朝廷成立と倭の五王

史書に記されない空白の時代
まだ日本に文字が入っていなかった時代の出来事を知るには、周辺の国、なかでも中国の史書に頼るしかない。

実際、日本列島の出来事と思われる記述は、西暦五十七年ごろの『漢書地理史』にはやくも登場している。また、有名な邪馬台国と卑弥呼について書かれているのも中国の『魏志倭人伝』だ。

ところが、ある時期から中国の史書に、日本の記述が見られなくなる。およそ百年、西暦四世紀から五世紀にかけての出来事が、まるでわからなくなってしまうのだ。

古代のことだ。百年くらい、どうということはないと思われるかもしれない。

だが、この百年は、日本という国にとって、きわめて重要な百年なのだ。

というのも、それ以前の中国の史書は「倭」という国について記述している。それは、女王卑弥呼の「邪馬台国」に連なる国だ。

ところが百年後、再び中国の史書に登場するのは、いわゆる「倭の五王」と呼ばれる大王たちで、彼らはいずれも「大和朝廷しの「天皇」に相当する人物なのである。

この百年は、大和朝廷成立の経緯が詰めこまれた、きわめて重要な年代だった。にもかかわらず、なんの記録も残されていない。ゆえにそれを「謎の四世紀」と呼ぶのである。

謎の百年の間になにが起こつたのか?

大和朝廷成立にかかわる百年が抜けているということは、この日本という国の起こりが抜けているということに等しい。

つまりわれわれは、もっとも重要な「国の始まり」の歴史がわかっていないのだ。

ちなみに「倭の五王」とは、『宋書』や『梁書』に登場する「賛(讃)、珍、済、興、武」五人の王のことをいう。この五王がどの天皇にあたるかについては諸説あるが、最後の「武」を雄略天皇にあてることはほぼ一致している。そして「興」が安康天皇、「済」が允恭天皇ということも問題はない。意見が分かれるのは賛と珍で、それぞれを履中・反正天皇にあてる説もあれば、応神・仁徳天皇にあてる説もある。

が、いずれにせよそれは十五代から二十一代という天皇の時代であり、それ以前の初代神武天皇から応神天皇までの時代がそのまま謎の四世紀、ということになるわけだ。

四世紀、列島で何が起こっていたのか?

邪馬台国論争にしても、もとはといえばここに原因がある。邪馬台国は畿内にあり、そのまま大和朝廷になったのか? あるいは九州の邪馬台国が東征したのか? 邪馬台国が九州の地方勢力で終わり、大和朝廷は別にどこかで発生した可能性もある。騎馬民族による日本征服説にしても、やはりこの謎の四世紀の出来事なのである。

辛亥銘鉄剣と雄略天皇
ところで、日本にも数少ないながら、この時代の史料が残されていた。

一九七八年のことだ。埼玉県行田市の埼玉古墳群稲荷山古墳から出土した鉄剣に、百十五字からなる金象嵌の銘文が刻まれていることがわかったのだ。

衝撃的だったのはそこに「私は獲加多支鹵大王に仕え、天下を治めるのを補佐してきました。そこで辛亥年七月に、これまでの功績を剣に刻んで記念とします」(意訳)と書かれていたことだった。というのも、「辛亥年」は四七一年と推定されるので、文中の「獲加多支鹵大王」は、「オホハツセワカタケル」――雄略天皇ということになるからである。

雄略天皇は、中国の史書に「倭王武」として登場する人物だ。つまり、この天皇が実在し、しかも当時、勢力を北関東にまで及ぼしていた、という証明になるわけである。

一方、この「辛亥年」を六十年後の五三一年とする説もある。この場合は、「ワカタケル」は欽明天皇ということになる。

この違いは大きく、もしも「ワカタケル」が雄略天皇なら、謎の四世紀からわずか百年で東国に勢力を伸ばしていたことになる。その場合、畿内勢力はかなり早い段階から成熟していた――邪馬台国は畿内にあった――ことの傍証になるというわけだ。はたして、どちらが正しいのだろうか。

18041705.jpg


どうだろうか? もし、読者が上記の小節を読んで、何等疑問を感じなかったのであれば、以降の拙記事に目を通す前に、『卑弥呼の正体』(山形明郷 三五館)を熟読していただきたいと思う。

ちなみに、『天皇の謎』を著したのは歴史雑学探究倶楽部という所のようだが、雑学の名が示すとおり実に雑な内容、出鱈目のオンパレードである。上の小節「謎の四世紀をめぐって」に目を通しただけでも、卑弥呼が日本列島に居たと思い込んでいる、倭が日本列島にあったと頭から信じ切っているといった具合で、目も当てられないとはこのことだと思った。もし、歴史雑学探究倶楽部のように、倭が日本列島にあったと思い込んでいる読者がいたとしたら、上に紹介した『卑弥呼の正体』の第九章、「倭はどこだったのか」の熟読をお勧めする。

ともあれ、『天皇家の謎』では日本の四世紀は謎であると主張しているのだが、とんでもないことである。そのあたりは、次稿以降において敷衍していくとして、「応神天皇の秘密」シリーズを開始する理由の一つが、この機会に、従来の教科書的な日本史を乗り越えて欲しいからだ。

応神天皇の秘密(1)
大阪府羽曳野市に位置する応神天皇陵、飯山一郎さんや堺市の同志と一緒に訪れたのは、前日は紀伊田辺に泊まり(「南方熊楠の世界(1)」参照)、翌朝の特急に乗って堺市に到着した3月3日(土)だった。そして翌日に跨がること2日間、応神天皇を中心テーマとした、興味深い歴史の講義を飯山さんから受けたのだが、実に衝撃的な内容であった。だから、一刻も早く放知技の読者に報告したかったのだが、その直前に訪れた紀伊田辺でも多くの出来事を体験したこともあり、最初に南方熊楠シリーズを書いたのと、仕事(翻訳)の納期に連日のように追われていたのとで、なかなか「応神天皇の秘密」シリーズに筆が進まなかった。しかし、昨日今日に至って漸く仕事が一段落、応神天皇シリーズに取り組むことができるようになった次第だ。

さて、本シリーズでは幾本かの記事を書く予定だが、初回の今回は両日とった行動のあらましを述べておこう。

■3月3日(土)
飯山さん一行は志布志と堺を結ぶフェリー「さんふらわあ」で、前日の3月2日18:30に志布志を発ち、翌日3月3日午前8時50分に大阪に到着、その足で宿泊先のホテルに直行している。だから、到着したばかりの飯山さん一行が、ホテルのロビーで寛いでいた時、亀さんも同ホテルに到着した形だ。そして挨拶もそこそこに、早速、飯山さんによる応神天皇を中心とした、飯山史観の講義がスタートしたのだが、その日に飛び出した飯山史観については次稿以降に書く。

その後、堺市役所の展望台に向かい、眼下に仁徳天皇陵を眺めつつ、再び飯山さんの講義が続いた。本来は同展望台で昼食会のはずが、参加者からの質問が相次いだため、「一日一食の猛者ばかりなのだから、昼飯くらい抜いても大丈夫だろう」という飯山さんの鶴の一声で、同展望台での昼食は急遽中止、急ぎ車に分乗して応神天皇陵へと向かった。(後で聞いた話だが、参加者の一人「舎弟のもっちゃん」は一日三食主義だったようで、大変な思いをしたらしい…笑)

18041601.jpg
百舌鳥古墳群をめぐって活発な議論が交わされた

到着後、最初に応神天皇の御霊に二礼二拍一礼した後、神主さん親子の説明を受け、続いて宮内庁管轄の応神天皇陵に案内していただき、ほぼ全員が生まれて初めて、応神天皇陵の一部を目の当たりにした。なかでも猿都瑠さんの場合、実に思うところ大だったようだ。

その後は全員で堺市に戻り、夕食会。最初は話者の中心が飯山さんだったのだが、次第に堺市役所の展望台で合流したYさんが話のリードを握るようになった。やがて、話(酒?)の勢いで全員でYさん宅に押しかることになり、そこで二次会と相成る。その後はホテルに戻り、堺のおっさんの部屋で飯山さんをはじめ皆さんが集合、深夜まで話が続いたというが、亀さんは紀伊田辺での疲れが溜まっていた上、珍しく当日は酔ったこともあって、残念ながら顔を出していない。

■3月4日(日)
翌日の3月4日、ホテルのロビーに再び集合。飯山さんによる講義が暫く続いた後、堺のおっさんから今後の乳酸菌事業の詳しい説明があった。その後は再び車に分乗して、大阪は難波へと向かた。今思い出すに、活気に満ちあふれた難波を肌で感じるという、滅多にない機会となった。

昼食に鯨料理専門店「徳家」で、美味しい鯨料理に舌鼓を打ちつつ、さらに楽しい会話が弾んだ。ふと腕時計を見ると、もう夕方の5時半、皆さんへの別れの挨拶もそこそこに、急ぎ新大阪駅の新幹線のホームへ向かってダッシュ、辛うじて終電数本前の電車で関東のチベット、飯能に戻ることができた。

18041602.jpg

次稿より、いよいよ飯山さんが堺市で語ってくれた、応神天皇の秘密に迫る話に筆を進めることにしよう。

歴史の闇
例によって、安西正鷹さんが安西ファイルを送ってくれた。実に有り難いことであり、やはり持つべきものは道友である。

さて、今回の安西ファイルで特に注目したのが、「●まつろわぬ神々の反逆」と題する小節であった。以下、同小節を全文引用しておこう。

まつろわぬ神々の反逆
・神社本庁は、敗戦によって国の管理下から離れた神社界をまとめあげるために生まれた民間の宗教法人。神道系の宗教団体として日本で最大。約8万社ある日本の神社のうち7万9千社以上が加盟。その特徴は、伊勢神宮を「本宗」と位置づけたところにある。本宗とは、おおもと、本源を意味する。つまり、皇祖神である天照大神を祀る伊勢神宮を頂点に戴く形で神社界を組織化している。
・ところが、日本の神社で祀られている神々のなかには、『古事記』『日本書紀』などの神話には登場しないものも少なくない。天神も八幡神も、神話には出てこない。稲荷神を祀る伏見稲荷大社は、神社本庁が誕生する際にその傘下には入らなかった。
・八幡神は、もともと九州北部、宇佐地方の渡来人が祀っていた神であり、後に応神天皇と習合して、第二の皇祖神ともされるようになる。その由緒からして、天照大神とは直接には関係しない。少なくとも、八幡神社が伊勢神宮の下にあるというわけではない。
・神社本庁は、ひたすら伊勢神宮の権威を高め、20年に1度の遷宮を無事に果たすことを使命として、傘下の神社から遷宮の必要経費を徴収してきた。伊勢神宮の権威を高め、それを維持することが、神社界全体の利益になるという考え方である。だが、それは、伊勢神宮以外の神社を支える手立てを講じないことを意味する。
・伊勢神宮を頂点とするピラミッド型の支配構造のなかで、天津神系の神社が優遇され、国津神系の神社が冷遇されている。国津神系神社の積年の潜在的な不満と反発の種が、宮司人事の強権発動を機に発現し始めた可能性がある。


安西さんの応神天皇についての記述を目にするに及んで、紀州田辺を訪問した帰り道、途中下車して和歌山市の狸庵に居る、落合莞爾さんを尋ねてみようかと、ふと思った。何故なら、安西ファイルに目を通して、落合さんの主張する「八幡天孫ホムダワケ=第15代・応神天皇」について、この機会に突っ込んで質問してみたくなったからだ。
<落合秘史シリーズ>

しかし、まだ落合さんの応神天皇説について、しっかりと把握しているわけではないので、今回は応神陵と誉田八幡宮(主祭神=応神天皇)のみにしようかと迷っている。

ここで、さらに応神天皇に纏わる歴史の深奥に迫っているのが飯山一郎さんで、掲示板「放知技」の以下の投稿に注目していただきたい。

18022601.jpg
http://grnba.bbs.fc2.com/reply/16256324/794/

上の投稿で紹介されている【連載:ホンダワケ】三部作は、真に歴史の闇に迫る上で必読の部類に属す。
・【連載:ホンダワケ】 応神天皇は仲哀天皇の子?
・【連載:ホンダワケ】 巨大な前方後円墳の原型は?
・【連載:ホンダワケ】 やはり応神天皇は…

ともあれ、久しぶりの紀州田辺…、昨夜も鶴見和子の『南方熊楠』に接し、南方熊楠の海外放浪についての行を読んだが、やはり十代の頃に三年間にわたり、世界各地を放浪した身なので、実に共鳴する箇所が多く、また南方熊楠の心に一層迫ることができたように思う。

18022602.jpg
南方熊楠(左)

【お知らせ】

今週後半から数日にわたり、紀州田辺を中心に関西方面を旅する故、旅発ちまでに仕事を片づけたり、旅の準備や情報収集に時間を取られそうです。よって、関西から戻ってくるまでは、特別大きな事件でも起きない限り、ブログ更新を休む予定です。

南北統一
昨夕、NHKで平昌オリンピックを見ていたところ、中継を挟む形で突然ニュースが流れた。その10分間のニュースでは、シンガポールで〝暗殺〟された金正男事件を取り上げていたのだが、見終わってから「NHK NEWS WEB」を確認したところ、同ニュースについて以下のように解説していたのを見つけた(下線は亀さん)。

この事件について、中国政府の関係者はNHKの取材に対し、6年余り前に死去した北朝鮮のキム・ジョンイル(金正日)総書記の後継問題が背景にあることを明らかにしました。

それによりますと、死去から8か月たった2012年8月、当時、北朝鮮のナンバー2とされ、キム・ジョンウン委員長の叔父にあたるチャン・ソンテク氏が、北京で中国の胡錦涛国家主席と個別に会談した際、「ジョンイル氏の後継にはキム・ジョンナム氏を就かせたい」という意向を伝えたということです。

キム・ジョンナム氏暗殺事件 背景に後継問題の密告か


「中国政府の関係者」という曖昧な表現には思わず苦笑したし、「胡錦濤」の名を出してくれたことで、今というタイミング(平昌オリンピック)で、何故にNHKが金正男暗殺のニュースを取り上げたのか、即座に背景を把握できた(爆)。つまり、こうしたニュースが流れたのも偶然ではなく、北朝鮮と韓国の間で起きつつある〝雪解け〟、これを心良く思っていない連中が関与していた可能性が高いということだ。しかし、胡錦濤と金正恩との本当の絆を知る者であれば、NHKのニュースは正にお嗤いでしかない。

何故か?

それは、以下の記述からも分かる。

北朝鮮のナンバー2とされ、キム・ジョンウン委員長の叔父にあたるチャン・ソンテク氏が、北京で中国の胡錦涛国家主席と個別に会談した際、「ジョンイル氏の後継にはキム・ジョンナム氏を就かせたい」という意向を伝えたということです。
キム・ジョンナム氏暗殺事件 背景に後継問題の密告か


チャン・ソンテク、すなわち張成沢が、金王朝の跡継ぎに金正男を継がせるべく、相談を胡錦濤に持ちかけたということをニュースは伝えているのだが、張成沢は金正恩の義叔父という立場にあったことを思えば、胡錦濤の金正恩に対する〝思い入れ〟を知っていたはずだ。このあたりについては、飯山一郎さんのHP記事「金王朝の“深い謎”」、あるいは『横田めぐみさんと金正恩』の小節、「金正恩と胡錦濤のキズナ」(p.92)に目を通してもらえれば分かることで、胡錦濤の金正恩に対する思い入れは、我々が思う以上に並ならぬものがあったのである。かつ、胡錦濤は金正恩という人物の器を、正確に見抜いていた…。

b120228.jpg

以上から、胡錦濤の名を何故にNHKが、〝今〟というタイミングで出したのか、朧気ながらも想像することが出来よう。ともあれ、南北の〝雪解け〟を快く思わない連中だが、彼らはどうすることもできない。何故なら、金正恩の背後には、あのプーチンが控えているから…。

ところで、最近の『文殊菩薩』 は平昌オリンピックに歩調を合わせるかのように、素晴らしい朝鮮半島情勢の記事を連発、特に心を打たれたのが以下の記事であった。
朝鮮統一の歌に涙を流す金永南

180213401.jpg
「3回泣いた」 北朝鮮・金永南氏の涙、話題に 90歳、激動の歴史思う?

二十代の頃に二度目の訪韓をしてから数年後、亀さんは実の父を亡くし、心が沈んでいた一時期があった。そんな亀さんに対して、韓国の〝父〟が達筆な日本語の手紙を送ってくれている。このあたりの経緯は拙稿「ヘイトデモ」に書き、〝父〟の手紙も公開した。

ここで、最近は鶴見和子の『南方熊楠』を読み進めているが、同書に「解説」を寄せた谷川健一の言葉に心を惹かれたことを告白しておきたい。

柳田民俗学の限界は、日本人とは何かという問いに終始し、ついに人間とは何かという問いの解決まで進み得なかったことである。それは諸民族の比較研究という知識の次元での操作とは正反対に、人間それ自体の生態を直視すること以外の何者でもない。しかもそれは南方のように強烈な視線の集中力と無垢の心境の持主であってはじめてできることであった。
『南方熊楠』p.298


「人間それ自体の生態」については、いずれ書く機会があると思う。ともあれ、表層的には民族的な違いはあるものの、深層的には、人間の心というものは、さして変わらぬということを谷川氏は説いている。だからこそ、涙する金永南の写真を目にした時、韓国の〝父〟が重なって見えて仕方がなかったのかもしれない。

南北統一という大きな流れは、今や誰にも止めようがない。南北の〝雪解け〟を快く思わぬ連中のごまめの歯ぎしりが、今にも聞こえてきそうだ(嗤)。

ビッグバン?
過日行われた大学入試センター試験の「地学 第6問 A」をめぐって、天文・宇宙物理学界で話題になっている。
金・銀・プラチナは宇宙のどこからやってきた?

18021005.jpg
中性子星どうしが衝突・合体し、爆発を起こした際のイメージ図。その際に放出されたと考えられる鉄より重い元素のうちいくつかを、原子番号とともに記している。

記事内容を掻い摘まんで云えば、宇宙に存在する鉄より重い元素は、「超新星爆発」によってできたとする、今や一般常識と化した通説に対して、「否、ほとんどが中性子星の衝突・合体によってできた」と、真っ向から反論を挑んだ記事である。一読して、人体にも不可欠な重い元素はすべて、超新星爆発によってできたものとばかり思っていた亀さん、今日ただいまから考えを改めなければならなくなった。

18021006.jpg
118種の元素を規則的に並べた周期表。水素(H)の原子番号は1、ヘリウム(He)は2、鉄(Fe)は26。

一方で同記事の筆者は、ビッグバンを頭から信じ切っている風であった。まぁ、これは無理もないことで、今日ではビッグバン説が定着しているし、今から138億年前にビッグバンが起こり、今でも我々の住む宇宙は膨張し続けていると、頭から信じている人たちがほとんどだからだ。しかし、一部にはビッグバン説を否定している人たちも確実に存在する。たとえば以下のサイト…。
ビッグバン宇宙論懐疑派のざれごと
ビッグバン宇宙の間違い

また、ビックバン説に懐疑的な書籍も刊行されている。

18021008.jpg 18021007.jpg

なを、鉄をはじめとする重い元素、生命を維持していく上で不可欠なのだが、このあたりについては以下のサイトがわかりやすい。
《人間の体と元素》

人体と云えば、iPS細胞の山中伸弥氏がタモリと司会を務める、NHKスペシャル「シリーズ人体~神秘の巨大ネットワーク~」を思い出す。このシリーズは来月で終了とのことだが、その最中、山中氏の〝部下〟による論文捏造問題が持ち上がった…。そのあたりの経緯について最も的を射ているのが、以下のきのこ組長さんのブログ記事だ。
たった数十分
多能性幹細胞つまりiPSは笹井が特許をとっていた

週刊女性も以下のような記事を書いているが、きのこ組長さんの記事と較べると、パンチ弱すぎ…(笑)
山中伸弥教授、部下の論文捏造で “辞任も視野” にヒヤヒヤするタモリとNHK

【グリコのおまけ】
亀さんもiPS細胞やSTAP細胞について、数本の記事を書いている。
STAP細胞騒動
ガンガンと金儲け
生命史観のパラダイム
笹井芳樹博士の〝自殺〟
『STAP細胞の正体』を読み終えて…
御三家
凄…!
渡辺格博士と宍戸幸輔翁
黒幕の存在
STAP騒動の黒幕


日本建国の秘密
過日、「物部氏の繋累」と題した記事を書いているが、その時に言及したIBD(国際事業開発株式会社)のHPに、「世界の海援隊」というコーナーがあり、亀さんは多くの記事を同コーナーで発表していた一時期がある。そのうちの一本に古代史に関する記事があり、旧ブログに保存してあるので、関心のある読者に一読してもらえたら幸いだ。
古代史研究のすすめ

その後も多角的な観点から、古代について独自に調べてきたが、その過程で『邪馬台國論争 終結宣言』(山形明郷 星雲社)という本に出会っている。その辺りの経緯は、やはり旧ブログの以下の記事に詳しい。
『邪馬台國論争 終結宣言』

その山形先生の本に出会ったことが切っ掛けとなり、飯山一郎さんと掲示板「放知技」で言葉を交わすようになったという次第である。

ところで、拙ブログの「国の始まりは…」という記事で、亀さんは以下のようなことを書いた。

ところで、飯山さんの日本は百済の後継国家という主張、そして飯山さんの考える『日本書紀』成立の背景の話は、概ね肯定できると思う。亀さんは最初、鹿島昇によって国の成り立ちという迷路に迷い込み、歴史という名の森を暫く彷徨っていた時期があった。今振り返るに、鹿島史観には出鱈目が多いのだが、それでも『日本書紀』は〝古代朝鮮史〟のパクリであるといった具合に、亀さんが学校で学んだ歴史の知識を木っ端微塵に砕いてくれた点、今では感謝している。


現在読み進めている、藤井輝久氏の『天皇系図の分析について』も、日本書紀から読み取れる天皇系図の基本(コピー元)は、百済王家であると喝破しているのだが、このあたりは鹿島説に似ているなと思っていたところ、同書の「おわりに」(p.1110~)に鹿島曻氏が登場、鹿島氏と藤井氏は古代史を通じて、深い交流があったことを知るに及んで、『天皇系図の分析について』が鹿島説を彷彿させる訳が、ようやく分かった次第である。

ともあれ、当面は古代史という森の散策を、心行くまで楽しむつもりだ。

【グリコのおまけ】
鹿島曻氏や藤井輝久氏同様に、「日本書紀の天皇系図の基本は百済王家」と喝破した、識者の一人に小川秀之氏がいる。ちなみに同氏は、『古代天皇制研究』(風詠社)という本を著しているが、同書の裏表紙は以下のようになっている。

18020902.jpg

天頂に生きる
18020115.jpg
大涼山の山嶺

NHKの「秘境中国 謎の民 天頂に生きる ~長江文明を築いた悲劇の民族~」という番組を観賞した。この番組は、三千メートル級の山々が連なる大涼山の山頂に暮らす、山岳民族イ族(彝族)を取材したものだが、実に示唆に富む番組であった。以下、同番組を通じて感じたことを、四つの角度から述べてみたい。

18020121.jpg
天頂の村を目指して帰路に就く少女

■国家
最初に、中国〝最古〟の王朝と云われている殷王朝(商王朝)だが、その祭祀王はシャーマンであった。このあたりについては、すでにブログ記事にしている。

四千年近くの時空を超えて、今日の世界にも神格シャーマンが存在する。今上陛下その人である。つまり、朝鮮族であった遙か太古の殷の祭祀王のDNAを、しっかりと引き継がれておられるのが今上陛下なのである。
青州で思ふ(3)


以下は現在の定説とされている殷王朝の版図である。殷王朝が諸侯に分け与えた封国に、揚子江(長江)の一部が含まれているのに注目されたい。

18020100.jpg

次に、以下は同番組で登場した定説の四大文明のイラスト…。

18020118.jpg

しかし、最近の研究では〝第五の大文明〟ともいうべき、「長江文明」なるものの存在が明らかになりつつある。

18020107.jpg

同時に、イ族は長江文明を築いた人たちの末裔である、という可能性が最近の研究で高まりつつあるのだ。その末裔が、長江という肥沃な土地から、何故に大涼山山頂に住むようになったのかというあたりの詳細は、同番組で確認していただくとして、簡単に経緯を述べるとすれば、秦帝国による侵略から始まりモンゴル帝国による侵略に至るまで、侵略に次ぐ侵略を受けた古蜀国の住民は散り散りとなり、一部が大涼山の山頂に逃れたということになる。

18020109.jpg
秦の侵攻を受けた古蜀国

18020113.jpg
古蜀国から最後は大涼山へと逃れたイ族の一部

18020108.jpg
古蜀国侵攻の記述がある中国最古の地誌『華陽国志』

さて、殷王朝の支配者、すなわちシャーマンについてだが、長江文明に属する古代中国の遺跡の一つとして、1986年に発見された四川省広漢市の三星堆遺跡が同番組で紹介されていた。以下はその当時の発掘の模様だ。

18020105.jpg

発掘された遺跡の一部を同番組で紹介していたが、最も強い印象を受けたのが青銅立人像、すなわち長江文明を支配していたシャーマンである。

18020106.jpg

そして、上のシャーマンの流れを汲んでいるのが、大涼山のイ族のピモ(シャーマン)ということになる。数千年もの時空を超えて、殷王朝のシャーマニズムが大涼山のイ族に引き継がれ、さらには東に位置する日本の天皇にも引き継がれたのだと思うと、実に壮大な気持ちにさせられるではないか…。

18020102.jpg

18020103.jpg

18020114.jpg

18020112.jpg

■村落
次に、同番組の中心舞台となった大涼山の最奥地にある、イ族の四季吉村について筆を進めていこう。四季吉村には「ピモ」と呼ばれている上述のシャーマンと、政(まつりごと)を担当する村長がいるのだが、このあたりは現代日本の天皇(シャーマン)と、総理(政)という二体制を連想させるに十分だ。ピモの聖職者としての仕事をテレビを通じて観つつ、村人の精神的な心の拠り所としての存在は村の〝天皇〟を連想させるのだし、村長は今の日本を力強く牽引している安倍総理を連想させるに十分であった。

18020104.jpg

「和を以て貴しとなす」は、架空の人物である聖徳太子の言葉だが、「和」を四季吉村の村長が口にしたシーンを耳にした時、亀さんは飛び上がらんばかりに驚いた。日本の東京と中国の四季吉村という、数千キロの距離を超え、現在日本人の物の見方・考え方に相通じるものを、直感的に悟ったからだ。

18020117.jpg

■家族
二年前、「秋刀魚の味」と題したブログ記事を書いたことがある。「秋刀魚の味」は小津安二郎監督の映画作品なのだが、同映画で印象に残ったシーンがある。

同映画の公開は1962年11月18日というから、1964年10月10日に開催された東京オリンピックから遡ること2年前、亀さんは小学校の4年生だった。だから、かつての古き良き時代の日本を思い出しながら、懐かしく鑑賞した次第である。なかでも印象深かったシーンが、若夫婦の平山幸一(佐田啓二)と秋子(岡田茉莉子)が暮らしていた団地でのシーンだ。
秋刀魚の味


だから、今回のNHKの番組で最も感動したのが以下のシーンだった。

18020111.jpg
家畜番人の娘(16歳)

これは、三千メートル級の山でも夏期には家畜の伝染病が流行るということもあり、近所の家畜をまとめて高地に連れて行き、夏の間の二ヶ月ほどを近所の人たちの代わって、世話をする村人の家畜の番人についてのドキュメンタリーなのだが、ある日預かっていた牛の一頭が行方不明になった。無我夢中で三日三晩探したものの見つからない…。このままでは、35万円もの賠償金を支払わなければならない、という苦境に家畜番人は立たされたのだった。もし牛が見つからなかった場合、山を下りた町に下宿させて勉強をさせていた長女(16歳)、息子(6歳)、末娘(5歳)らを学校や幼稚園に通わせることができなくなる…。悩む父親の姿を見た長女は、自分が学校を辞めて家族のために働く、と決心するのであった。

このあたりは、やはり長女だった亀さんの母を彷彿させるものがある。母は中学校を終えたばかりの叔父が、丁稚奉公に出されるということで、不憫で不憫で仕方がなかったというエピソードを聞かせてくれたものだった。この母の弟を思う気持ち、ブログで記事にして亀さんは以下のように書いている。

叔父は亀さんの母の弟で、小学6年生(12歳)の時に実の母親と死別、長女だった亀さんの母(当時20歳)が、残された弟や妹の面倒を見たのだった。そして、叔父は中学を終えた15歳の春に、親戚の呉服店へ丁稚に出されたのだが、わずか15歳で社会に出る弟を見て、母は不憫でしかたがなかったという。
叔父との別れ


だから、当時の日本と同じ境遇にある四季吉村は、母や叔父が若かりし頃と同じ時代精神を背負っているのだと、画面を通じてつくづく思ったことだった。

18020116.jpg
行方不明だった牛は伝染病で死んだことが判明し、賠償金を払わずに済み、安堵する父親の家畜番人

■お金
以下のシーンは、村長の息子が都会に出て大学生活を送る傍ら、村の羊の肉を使った屋台を開いたところ、好評だったので村の羊を都会の名産にするべく、大規模な事業を展開してみたいと相談した時の父親の反応である。

18020110.jpg

このあたりは意見の分かれるところだろうが、ホリエモンあたりだったら、間違いなく息子の方を応援するんだろうなと思いつつ、同シーンを眺めていた。このお金についての考え方だが、mespesadoさんが実にE-ことを書いているので、この機会に紹介しておこう。

18020120.jpg
http://grnba.bbs.fc2.com/reply/16340424/302/

18020119.jpg
実りの秋を迎えた四季吉村

物部氏の繋累
20年近くのお付き合いのある人生の先輩で、紛うことなき物部氏の繋累である先輩が一人いる。IBD(国際事業開発株式会社)の石上進社長その人である。今世紀に入ってからの数年間は、石上社長の事務所に幾度お邪魔したことか…。多分、50回は訪れているはずだ。

ある日、その石上社長がふと、自身のファミリーヒストリーを語ってくれたことがある。聞けば、石上社長は物部氏の末裔であり、本来なら生琉里の石上神社の神主を継ぐはずだったと、ポツリと語ってくれたことがある。その言葉を耳にした20年近く前は、石上神社の神主になるはずだったと言われても、ドンガメの亀さんはポカンとしていただけだったのだが、ここ数年に至って石上氏(いそのかみうじ)=物部氏の末裔であるという事実の重み、少しずつ分かるようになってきた自分がいる。

18013004.jpg

ここで、改めて藤井輝久氏が著した『天皇系図の分析について』を書架から引っ張り出し、久しぶりに目を通して見たところ、第十八章が目に飛び込んできた…。

第十八章「蘇我氏と物部氏の対立の真相


絶句…。それからは同章のページをパラパラと捲りながら、しばらく蘇我氏と物部氏についてアレコレ思索を巡らせていたが、少々疲れたので(深夜の3時頃から仕事に没頭していた)、一端休憩の意味でアメスピ(アメリカン・スピリット)に火をつけ、ネットサーフィンをしながら何気なく掲示板「放知技」にアクセスしたところ、道友の堺のおっさんの以下の投稿に思わず目が釘付けになった…。

18013005.jpg
http://grnba.bbs.fc2.com/reply/16340424/280/

これだけではピンと来ない読者も多いかと思うが、実は堺のおっさんの言葉には重大な意味が隠されているのだ。ともあれ、急ぎ『天皇系図の分析について』の第十八章「蘇我氏と物部氏の対立の真相」に、腰を据えて取り組まねばならぬと、改めて思ったことである。

ここで一言。

藤井輝久氏の『天皇系図の分析について』に取り組むにあたって、拙稿「青州で思ふ」シリーズに目を通し、さらに藤井氏の浩瀚な著書の第九章「卑弥呼の生家は満州の遼東半島」に目を通した上で、たとえば第二十三章の「天智天皇と天武天皇の正体」等に目を通すことをお勧めしたい。何故なら、堺のおっさんがいみじくも語っているように、物部氏には従来の定説をひっくり返すほどの秘めたパワーが籠められており、そのあたりを正確に理解するには、拙ブログ「青州で思ふ」シリーズで描いた飯山史観を、肚で受け入れられるだけの柔軟性、度量が必要だからだ。

物部氏についてのデータを整理し、思索を重ねた上で、来月にでも久しぶりにIBDの石上社長にお目にかかり、物部氏=石上氏についての話をしてきたいと、心の底から思った。

18013001.jpg
仁徳天皇陵(大仙陵古墳)